2007/04/06 - 2007/04/07
23位(同エリア565件中)
なぽさん
南ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの約350km、中世の街並みが残る
ロマンティック街道をメインに、ライン川クルーズ、ついでにルクセンブルク、
フランスのストラスブールとコルマーを車で周りました。
4/2(月) ボーデン湖 (Dreimaderlhaus泊89EUR)
4/3(火) ノイシュヴァンシュタイン城、ヴィース教会、フッゲライ (アウグスブルク泊)
4/4(水) レゴランド、ドナウヴェルト、ネルトリンゲン (Youth hostel Dinkelsbühl泊)
4/5(木) ディンケルスビュール、ローテンブルク、ヴュルツブルク (Hotel ibis Mainz泊
82,75EUR)
4/6(金) ライン川クルーズ、ポルタ・ニグラ(Hotel Campanile Luxembourg泊60EUR)
4/7(土) ルクセンブルク、ストラスブール (Campanile Hotel Restaurant泊55EUR)
4/8(日) バーデン・バーデン、フライブルク (Hotel Schemmer泊53EUR)
4/9(月) フライブルク、コルマール
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4/6(金)、おはようございます♪今日はライン川クルーズを楽しみます。
(7:39) リューデスハイムの船乗り場に向かっています。 -
(7:40) カーフェリーで対岸へ。
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(7:42)
<ライン川とクルーズ>
スイスアルプスのトーマ湖からドイツ、フランス、オランダを経て北海へ流れ出る“父なる川”ライン川は全長1233km。そのうちドイツを流れるのは698kmで、クルーズはマインツからケルンまでの185kmの区間を数社が運航しています。ちなみにそのうちのビンゲンーコブレンツ間の65kmが、「ライン渓谷中流上部」という名で世界遺産に登録されています。
私たちは1番ポピュラーな会社らしい「KD社」を利用しました。時期によって運行本数や時間が変わるのでご注意。
<KD社 2020年ライン川クルーズパンフレット・料金表>
https://www.k-d.com/fileadmin/schiffstouren/KD_Fahrplan_international_2020.pdf
<KD社 クルーズ船停泊港マップ>
https://www.kdrhine.com/KDRhine_Port_Maps.htm
<KD社 時刻表>
https://www.kdrhine.com/rhineschedule.htm -
見どころが多いというリューデスハイムとザンクト・ゴアールを往復します。所要時間片道1時間40分。
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(8:35) まず見えて来たのが“ネズミの塔”。
<ネズミの塔 Mäuseturm>
古代ローマ人によって砦が建てられ何度も建て替えられたが、968年マインツ大司教ハット2世が、往来する船から通行税を徴収する関所として再建。その名は、970年ごろ重税と飢饉に苦しむ農民を残虐に焼き殺したハット2世が、その罰として送られたネズミたちによってここで食い殺された、という言い伝えに由来しているそうです。1298年には対岸のエーレンフェルス城を補完するため正式に関税徴収塔となり、1689年フランス軍に焼き落とされ、1855年にはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が信号塔として再建、現在は修復工事で白一色となり外観を楽しむだけの塔となっています。ねずみの塔 モニュメント・記念碑
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(8:44)
<ラインシュタイン城>
10世紀後半には築かれており、1282年のハプスブルク家のルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)による盗賊騎士討伐の拠点になった城とも言われていましたが、最近の調査では、1316年ころマインツ大司教区の税関所として、また盗賊の巣窟となったライヒェンシュタイン城を監視するために建設されたと考えられています。17世紀には廃墟となりますが、1823年プロイセン王の甥フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒが買い取り再建、そのまま1975年までホーエンツォレルン家の所有でした。元オペラ歌手ヘルマン・ヘッヒャーが買い取って以降現在も同家の所有で、ホテル・レストラン、博物館となっており、結婚披露宴も行えるそうです。
ホーエンツォレルン家と言えば・・・・・ラインシュタイン城 城・宮殿
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このホーエンツォレルン城を居城とした、11世紀南ドイツ・シュヴァーベン地方発祥の貴族・君主の家系。
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2013年4月1日車で旅行中、この威容に惹かれて撮影。幻想的。
ホーエンツォレルン城 城・宮殿
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(8:49) 酷い写真ですが。
<聖クレメントの旧教区教会>
当時アーヘン近郊にあったコルネリミュンスター修道院の所領地であったここに、ローマ教皇クレメンス1世に捧げられて1220~1230年ころ建てられたロマネスク様式の教会。1282年ハプスブルク家のルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)が盗賊騎士を捕らえて処刑した絞首台の木が使われていると伝えられます。 -
(8:50)
<ライヒェンシュタイン城>
創建は11世紀と推定され、コルネリミュンスター修道院によりその所領地に建てられました。しかしその後盗賊になり下がった貴族の住み処となり、1282年ハプスブルク家のルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)によって一掃され焼き払われました。1344年神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世によりマインツ大司教に与えられ再建されましたが、その後も度々所有者をかえ荒廃が続きました。20世紀初めにネオゴシック様式で再建され、現在はホテル、レストランや博物館となっています。ホテル ブルク ライヒェンシュタイン ホテル
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(8:52) これも一応。こちらは聖クレメント教区教会というらしい。
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(8:57)
<ゾーネック城>
ライヒェンシュタイン城とともに11世紀にコルネリミュンスター修道院によって建てられたらしく、また盗賊騎士の巣窟となったお城で、こちらも1282年皇帝ルドルフ1世によって兵糧攻めに遭い焼き払われました。1350年頃マインツ大司教領となり再建されましたが、1689年ルイ14世のフランス軍により破壊され、現在の城の姿は1861年にプロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世によってネオゴシック様式で再建されたものです。現在はラインラント・プファルツ州が管理する博物館となり、ツアーで見学できるそうです。ゾーンエック城 城・宮殿
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(9:15)
<シュタールエック城>
おそらく1000年頃からこのバッハラッハの町を所有していたケルン大司教により11世紀末から12世紀初めに建てられ、13世紀から19世紀初めまでは、バイエルン地方発祥のバイエルン公や王、プファルツ選帝侯などの有力な家系であるヴィッテルスバッハ家の所有でした。30年戦争中にはさまざまな勢力により8回も包囲・占領され、プファルツ継承戦争中の1689年には仏軍の攻撃により大破、その後仏領となりましたが、ライン史跡保護協会が買い取り1926年からユースホテルとして使われています。 -
(9:18) バッハラッハの船乗り場
バッハラッハ駅 (KDライン) 駅
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(9:27) 中州に建つ可愛らしいお城は石の船と呼ばれる“プファルツ城”。後ろがカウプの町、その丘の上に建つのが“グーテンフェルス城”です。
<グーテンフェルス城>
おそらく神聖ローマ帝国の意向で1220年から軍事拠点として建てられ、その後プファルツ選帝侯に支配されました。当初は“カウプ城”と呼ばれていましたが、ランツフート継承戦争の勝利を記念して、1508年プファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世により“グーテンフェルス城(良き岩の城)”と改名されました。1618年から始まった30年戦争の際には何度も攻撃・占領され、1806年にはナポレオンによって破壊され廃墟となりましたが、19世紀に再建されホテルになり現在は個人所有となっているようです。バイエルン公、ライン・プファルツ伯でもあった神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世が気に入り、度々滞在していたそうです。グーテンフェルス城 城・宮殿
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<プファルツ城>
1327年神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世により、中州に関所として建てられ、丘の上に建つグーテンフェルス城と要塞化されたカウプの町と連携して通行税徴収所となっていました。徴税のための城だったため一度も征服・破壊されることなく、ホーエンツォレルン家統治のプロイセン王国では信号塔として使われ、現在は博物館となっています。城壁は高さ12m、船のような形をしているのは、川の増水や激流などから城壁を守る水害対策のためなのだとか。プファルツ城 城・宮殿
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(9:38)
<シェーンブルク城>
ワインの町オーバーヴェーゼルの丘の上に建ち、ドイツ語で「美しい城」を意味しビクトル・ユーゴーも「最も美しい廃墟」と絶賛したことで有名。12世紀前半にマクデブルク大司教または神聖ローマ帝国によって築かれたそうです。1149年には、シュタールエック城主ヘルマン・フォン・シュターレックが、当時プファルツ伯(現在の大臣に相当する中世ドイツの爵位の一つ)を巡って対立していたラインエック城主オットー1世の子オットー2世をここで忙殺したと伝わります。1166年にその戦功のため神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世からこの城と領地を与えられた家臣シェーンブルク公爵が町を統治、関税も徴収し14世紀には最盛期を迎えますが、その後17世紀まで一族の争いが絶えず、1689年には神聖ローマ帝国とフランスの間で起きたプファルツ継承戦争(1688-1697年)でルイ14世の軍による爆撃を受けて焼失。19世紀末先祖がこの地方出身のドイツ系アメリカ人銀行家ラインランダーが買い取り修復後、市が買い戻し現在はホテル&レストランになっています。ホテル シェーンブルク城 ホテル
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(9:57) ・・・ぼーーッとしててローレライ撮り損ねた・・・・ あれ?
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(9:57) まもなくザンクト・ゴアール到着です。
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(9:58)
<ラインフェルス城>
1245年カッツェンエルンボーゲン伯ディーター5世により、通行税徴収のためザンクト・ゴアールの山上に建てられました。その後増築・増強を繰り返しライン川を見下ろす最大・最強、難攻不落の城となり、プファルツ継承戦争でフランス軍により他の城が攻め落とされる中この城は1693年ルイ14世も攻略を断念し撤退、しかし1797年にはフランス革命軍により爆破され廃墟となってしまいました。1843年プロイセン王で後のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が買い取り20世紀に修復され、現在はホテルと要塞博物館として公開されています。ラインフェルス城 城・宮殿
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(11:12) ザンクト・ゴアールのHotel Hauserでお昼ごはんを食べて、帰りのリューデスハイム行きに乗りました。
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(11:13)
<ネコ城>
1371年カッツェンエルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世により、対岸のラインフェルス城を守るための軍事基地として、また通行税徴収のために建てられました。この城も税徴収のための領地争いが絶えず、ラインフェルス城とともに破壊、再建、増築を繰り返しながら、1806年にはまたナポレオン軍により爆破され、唯一残った主塔の上部が欠けているのはその時の攻撃によるもの。1898年に現在の姿に修復され、1989年より日本人男性の所有となっているそうです。
ちなみに城名は、築城主ヴィルヘルム2世の名「フォン・カッツェンエルンボーゲン」がドイツ語で「猫(カッツェ)の肘」を意味することが由来しているのだそうです。彼の顔が猫に似ていたから、という説もあるらしい(笑)。3km下流には、当時対抗していたトリアー大司教の“ネズミ城”が建っています。ねこ城 城・宮殿
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(11:27) ・・・ああぁーッあれがかのローレライの像?!
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(11:32) ・・んでこれがローレライッ?!船乗りたちを次々と魅惑し海に引き込む・・というのでもっと甘美でミステリアスなものかと・・・・
<ローレライ>
リューデスハイムからオーバーヴェーゼルを過ぎてザンクト・ゴアールスハウゼンの右手前に現れる、高さ130mほどの岩山。ここはかつてライン川で1番川幅の狭い場所で流れが速く岩礁の多い難所だったため事故が多発し、船乗りはこの岩山にたたずむ美しい乙女の歌声に惑わされ次々と船が川に飲み込まれてしまう、という“ローレライの伝説”が生まれました。ローレライの岩 自然・景勝地
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(11:35)
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(11:48) オーバーヴェーゼルの“雄牛塔Ochsenturm”は14世紀半ば建造の中世の要塞の一部。城壁の一部で、かつてあった22のうち今も残る16のうちの1つ。左に見える、これもかつて要塞の一部だったといういかつい鐘楼を持つ白い建物が、1310年頃から建設されたゴシック様式の“聖マルティン教会”。
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(11:55)
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(11:55) 右に建つのは“聖母教会Liebfrauenkirche”。1308年より建てられたゴシック様式の教会で、1331年に奉献されドイツ最古のものの1つと言われる金の祭壇が見所らしい。
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(11:57) シェーンブルク城
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(12:04)
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(12:05)
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プファルツ城
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(12:58) 中央右寄りに見えるのは、ニーダーハイムバッハの町に建つ“ハイムブルク城”というお城らしい。
<ハイムブルク城>
マインツ大司教ゲルハルトにより、プファルツ伯ルートヴィヒ2世の所領に囲まれて飛び地となった領地を守るために建てられ1305年に完成。他の城同様、ルイ14世がプファルツ選帝侯領に侵攻して始まったプファルツ継承戦争でフランス軍により1689年破壊され、16世紀には老廃。19世紀から度々所有者を代えながら改築を繰り返し、現在は個人所有となってその本人自身が住んでおり公開はされていないそうです。ハイムブルク城 城・宮殿
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(13:09) ゾーネック城
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(13:23) ライヒェンシュタイン城
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(13:24) ライヒェンシュタイン城
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(13:30) ラインシュタイン城
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(13:47) ネズミの塔。まもなくクルーズ終了です。
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(14:20) そして。これからルクセンブルクに向かうんですが、その途中に地図で見つけた世界遺産の遺跡に寄ってみます。
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(14:53)
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(16:39) これです!ポルタ・ニグラ!!南側から。
<ポルタ・ニグラ>
古代ローマ時代の城門で、西暦170年頃から約7200の石を使い北の門として建てられ、中世にはその石の色からラテン語で「黒い門」を意味する“ポルタ・ニグラ”と呼ばれました。11世紀にはシチリアの修道士シメオンの隠者としての住み処となり、1035年に彼が亡くなるとここに埋葬され、トリアー大司教ポッポにより、身廊や尖塔を増築して門を覆い「聖シメオン教会」に改装されました。1803年にはフランス革命軍に占領されナポレオンの命により教会は解体、元の姿の城門跡に戻されました。他の遺跡群とともに1986年に世界遺産に登録されています。ポルタ ニグラ(黒い門) 建造物
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(17:23) これは北側。旧市街への門です。すごい歴史を感じる建物。
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(17:24) 通り過ぎただけなんですがドイツ最古の町だったそうで、もうちょっと観光すれば良かったなぁ。さて。これにて今日の観光は終了~。
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4/7(土)、おはようございます♪ルクセンブルクにやって来ました。
(9:27) 広場はマルシェでにぎわっています。
<ギョーム広場>
第2代オランダ国王でルクセンブルク大公(仏語名ギョーム2世)であったウィリアム2世(1792-1849年)にちなんで、18世紀中頃からこの名で呼ばれるように。かつてのフランシスコ会修道院跡地には、今では観光案内所、市庁舎、ウィリアム2世の騎馬像が建ち、夏には野外コンサートや水・土曜日には朝市が開かれてにぎやかな広場となっています。ギョーム広場 広場・公園
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意味不明な写真 by 息子。観光案内所だったかな。
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(9:38) マルシェぶらぶら♪
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(9:41) チーズいっぱいでダンナ・ルンルン。
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(9:43)
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(9:44)
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(9:45) ウィリアム2世の騎馬像が大公宮に向かって建つ。
ウィリアム2世の騎馬像 モニュメント・記念碑
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(9:46) 言葉通じないけど仲良く遊んでました。ちなみに後ろの建物が1830年代にネオクラシック様式で建てられた市庁舎です。
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(9:51)
<ルクセンブルクの大公宮>
16世紀半ばには最初の市庁舎が建っていたが、1890年より大公の執務室兼迎賓館となりました。執務中は国旗が掲げられ、衛兵の交代式も行われているそうです。ルクセンブルクの大公宮 建造物
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(9:55) 楽しいナ♪
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(9:57) こんなトコに入り込んだり。さて、渓谷の方へ行ってみます。
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(10:04) うわぁ~~~
サン ジャン教会 寺院・教会
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(10:05) このピーーーンととんがった塔がスキ♪
<サン・ジャン教会>
1309年ルクセンブルク伯で神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世(1275-1313年)創建という記録が残り、1606年にはノイミュンスター修道院とともに再建、現在の建物は1688~1705年によるものだそうです。 -
(10:06)
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(10:10)
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(10:14)
ボックの砲台 史跡・遺跡
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(10:15)
<ボックの砲台>
963年、ここにルクセンブルク伯ジークフリート(922頃-998年)が本拠地となる“ルクセンブルク城”を築き、それがこの町の発展の礎となったそうです。創建はスペイン支配下の1644年、深さ40m、数階層にわたる23kmの地下道要塞は、40年後にフランスの軍事技術者により、18世紀にはオーストリアにより強化・拡大されました。戦略的に重要な要塞として争いが絶えず、攻撃・破壊・再建が繰り返されましたが、1867年ルクセンブルクの永世中立を規定したロンドン条約が調印され解体、縮小され、1933年より一般に公開されています。 -
(10:16)
<高架橋>
ヴィアデュック橋、また、西のアドルフ橋がニュー・ブリッジと呼ばれるのに対しオールド・ブリッジとも呼ばれる、旧市街と新市街を結ぶ全長290mの橋。1859年から1861年にかけて建設され、24のアーチが並ぶその45m下にはペトリュス渓谷が広がります。高架橋 建造物
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(10:19) ボックの砲台から。奥が高架橋、手前はStierchen橋。
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(10:42) 降りて来ました。
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(10:42) この景色が1番スキ♪
ルクセンブルク市 その古い街並みと要塞群 旧市街・古い町並み
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(10:44)
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(10:51)
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(10:55)
https://youtu.be/PSNoeJEC4Ns
(11:04) -
(11:08) Stierchen Bridge
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(11:11) ランチのため町に戻りま~す。
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(11:23) イースターのチョコを配るウサギさん♪
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(11:24)
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(11:27)
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(11:32) さて。どこで食べよう・・?
持ってるガイドブックは“ヨーロッパ”。800ページに20数ヶ国が網羅されてますが、ルクセンブルクはわずか2ページでレストラン情報なし。ホテルや観光案内所のスタッフなど身近に尋ねる人もおらず・・当てずっぽうに入るのもイヤなので最後の手段です、通りすがりの人に聞いてみた。 -
(11:48) 2人の人が薦めてくれてここへ。
<Chiggeri>
https://www.chiggeri.lu/?lang=en -
なに食べたか忘れたけど・・・すごく個性的でお洒落で気に入ったのを覚えています。ちなみに左下はおトイレ。
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(13:15)
ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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(13:19)
<ノートルダム大聖堂>
3本の尖塔がひときわ目立つ大聖堂。もともとはイエズス会の教会として1613年より創建され、1870年にピウス9世により大聖堂へと昇格。ルネサンス、ゴシック、バロックなどいくつかの様式が融合しているのが特徴で、フランスの芸術家ルイ・バリエ(1880-1948年)によるステンドグラスが綺麗でした。地下にはヨハン盲目王(1296-1346年)や女大公マリー=アデライド(1894-1924年)、その妹女大公シャルロット(1896-1985年)など歴代の大公家や司教たちが葬られています。 -
(13:20)
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(13:20)
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(13:21)
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(13:23)
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(13:27) クレール・フォンテーヌ広場には、フランス人彫刻家ジャン・カルドによる1990年の作品で、ルクセンブルク大公ギョーム4世次女のシャルロット女大公を称える銅像が建っています。
Statue of Grande Duchesse Charlotte モニュメント・記念碑
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(13:34)
https://youtu.be/1Yea4P6OZpY
(13:37) 通りすがりになに気なく覗いてみた教会でしばし聴き入る・・・
<プロテスタント教会>
三位一体教会とも呼ばれ1739~1742年建造。フランス革命の間は劇場として使われ、1817年に要塞守護隊のプロテスタント教会となりました。Eglise Protestante du Luxembourg 寺院・教会
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(13:43) ペトリュス渓谷越しに見えるのは銀行博物館の塔。憲法広場横から降りれば、旧市街と新市街の間を流れるペトリュス川沿いの渓谷に出られ、そこは緑豊かな公園となっています。
ペトリュス渓谷 自然・景勝地
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(13:44)
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(13:46)
<アドルフ橋>
ペトリュス渓谷にかかる絵になる橋。アドルフ大公(1817-1905年)の1900年に建設が始まり1903年に完成。ニューブリッジとも呼ばれ、旧市街と新市街を結ぶ全長153m、高さ42mの石造りの橋。アドルフ橋 建造物
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(13:47) 前に見えるのは銀行博物館。
銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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(13:47) そろそろ次の地ストラスブールへ向かいます。
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渋滞。車がひっくり返ってる(笑)。
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ライン川クルーズのローレライにはガッカリ・・だったけど。
たくさんの物語や歴史とともに今では廃墟と化した古城たちも、
往時は英姿を誇っていたのでしょうね。
ルクセンブルクは素敵でしたー♪どこから見ても絵になる景色。
短い滞在でしたがブラブラ満喫、癒されました。(*^^*)
読んで下さりありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- aoitomoさん 2020/04/16 23:44:44
- 憧れのライン川クルーズ
- なぽさん こんばんは~
『ライン川クルーズ』
古城を眺めながら楽しむライン川クルーズ憧れます。
古城自体も憧れますしフォトジェニックなんですよね~
ローレライの歌は知ってましたが、
事故が多発うんぬんは知りませんでした。
今では事故が起きないように川幅も広げて
なんてことないようになっているようですが、
川幅の狭い当時はかなりの難所だったんでしょうね。
ひとつ勉強になりました。
表紙のペトリュス渓谷の写真も素晴らしいですね~
動画も楽しませてもらいましたよ。
プロテスタント教会の奏でるメロディもよかった~
すぐに動画が終わっちゃったけど。( ´艸`)
現在日本は緊急事態宣言で自宅待機の自粛状態。
私は医療関係なんで普通に仕事してますが、
どうなってしまうのか先が見えません。
なぽさんも十分に注意してくださいね~
aoitomo
- なぽさん からの返信 2020/04/17 22:42:39
- RE: 憧れのライン川クルーズ
- aoitomoさん、こんばんは〜♪
> 『ライン川クルーズ』
> 古城を眺めながら楽しむライン川クルーズ憧れます。
> 古城自体も憧れますしフォトジェニックなんですよね?
> ローレライの歌は知ってましたが、
> 事故が多発うんぬんは知りませんでした。
> 今では事故が起きないように川幅も広げて
> なんてことないようになっているようですが、
> 川幅の狭い当時はかなりの難所だったんでしょうね。
> ひとつ勉強になりました。
ありがとうございます。
ホント、かつて船乗りたちは命懸けでここを通ったのですね。
ライン川については、
聞いたことのある“ローレライ”だけに興味津々だったんですが・・
“タダのガケ('96〜'97版地球の歩き方より)”とは聞いてましたが、
それ以上のガッカリでした。(;'∀')
古城はもうどれがどれか分からなくなるほどたくさんあり、
でもその1つ1つにすごい歴史があって、知るほどに
そのいろんなエピソードが興味深くまた勉強になりました。
ルドルフ1世に捕らえられ処刑された盗賊騎士の幽霊が出るという
お城もあるそうですし・・・(@_@;)ゾゾ―。
行かれる際にはぜひ古城ホテルに泊まって
往時の気分に浸ってみてくださいー!!
>
> 表紙のペトリュス渓谷の写真も素晴らしいですね?
> 動画も楽しませてもらいましたよ。
> プロテスタント教会の奏でるメロディもよかった?
> すぐに動画が終わっちゃったけど。( ´艸`)
ルクセンブルクは本当に美しく癒されるところでした。
動画も見て下さって本当にありがとうございます!
せっかちで雰囲気だけ分かればいいや・・といういい加減さで
また画像も良くなくて申し訳ありません!(>_<)
> 現在日本は緊急事態宣言で自宅待機の自粛状態。
> 私は医療関係なんで普通に仕事してますが、
> どうなってしまうのか先が見えません。
こちらも職種にもよりますが、私もかれこれ1ヶ月の自宅待機。
今頃は石垣島でダイビングしてお魚と戯れてるハズだったのに・・・
ただ、こちらはピークを越えつつあるらしく、
昨日政府から発表があり今月下旬から徐々に再開していくようです。
私の住む州でもまだ感染者が5000人近くいるんですが・・・
今は昔の旅行を懐かしく思い出したり、
これからの旅について調べたりして過ごしています。
ただただ早い収束を祈りつつ。
aoitomoさんもくれぐれも気を付けて。
いつも本当にありがとうございます。
そしてまたどうぞ宜しくお願いします。
なぽ
-
- バモスさん 2020/04/16 19:16:17
- ルクセンブルク
- なぽさんへ
こんばんニャ~☆
ルクセンブルクへは行ってみたいと思ってますので
興味深く拝見しました☆
渓谷美と街並みがマッチした素敵な街ですね!
そう市場でチーズ購入は欧州旅行の楽しみの一つです(*^_^*)
初めて旅した際は”こんなに種類があるの!”と驚きました。
ありがとうございました。
コロナにお気を付けください。
バモス
- なぽさん からの返信 2020/04/17 20:35:13
- Re: ルクセンブルク
- バモスさんへ
こんばんニャ~☆
こちらこそいつもありがとうございます♪
ルクセンブルク、短い滞在でしたが街歩きも楽しく、
上から眺めたり下から見上げたり橋も渡ってみたり、
緑の中、川のほとり、せせらぎ、とんがった屋根、
なぜかとても印象に残る素敵でスキな場所です。
いつか行かれるその日には、
チーズに大興奮されることでしょう!( *´艸`)☆彡
バモスさんもくれぐれもご自愛ください♪
また宜しくお願い致します。
なぽ
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