2015/06/16 - 2015/06/24
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世界80か国ぐらいの国を旅してきました。そして心底思いました。この国を知らずに生きてきたなんて、人生随分損してた。ほんとに。
21世紀になってもなお、この国は、間違いなく”旅”という言葉が最高に似合う国。
今まで一人旅したことがない方にもお勧めしたい国です。
乏しい語彙力なので、あふれるウズベキスタン愛がどうにも収まらない。
ウズベク熱が冷めやらぬうちにブログに記した記録です。
2015年
6月16日 羽田(9時ごろ発アシアナ航空利用)→金浦→仁川→タシケント(20時着)
6月17日 タシケント(7時頃発飛行機移動)→ウルゲンチ(9時頃着タクシー移動)→ヒバ(11時ごろ着)
6月18日 ヒバ(17時ごろ発乗り合いタクシー移動)→ウルゲンチ着(18時ごろ)→ウルゲンチ発(20時ごろ発夜行列車移動)
6月19日 サマルカンド(10時半ごろ着)
6月20日 サマルカンド(12時ごろ発列車移動)→ブハラ(15時ごろ着)
6月21日 ブハラ
6月22日 ブハラ(20時ごろ発夜行列車移動)
6月23日 タシケント(7時ごろ着) タシケント発(22時発アシアナ航空)
6月24日 ソウル(10時ごろ発)→成田(12頃着)
持ち物
・米ドル現金(闇レートがあるため。ATMやクレジットカードが公定レート。)
・日傘
・日焼け止め、リップクリームや保湿クリーム、韓国パックを買う。
・コロコロ付のバックパック
比較的道がしっかりしているウズベキスタンでは、背負うことは無かった。よいチョイス
-
旅の始めは、ビザ取りから。ウズベキスタン大使館であっさりと取得。
韓国経由のアシアナ航空でタシケントへ。
ウズベキスタンに行く日本人はあまり多くないのか、機内にも一人か二人だけだったような。
乗客のほとんどは韓国から出稼ぎ帰りのウズベキスタン人。
ウズベク人は韓国土産に辛ラーメン箱買いするのね。
機内はガラガラで、皆、4人掛けシートを占領してご就寝中。寝台飛行機か。
タシケントまでは、約8時間。時差で1日が4時間長くなる。
夕暮れゾーンに追いかけられながらのフライト、上空は6時をすぎてもずっと青く明るかった。タイムゾーンに若干無理があるのか。
無理やり北京時間に合わせられ、体内時計がおかしくなるウイグルのよう。
日の入り前の8時定刻、タシケント着陸。
滑走路がつぎはぎだらけ。
市内から3キロという立地ながら、高い建物が見当たらず、かわりにトタン屋根の簡素な家並みが点在している。
ここはもしや中央アジアのアルバニア!?というのがウズベキスタンの第一印象。
入国カードというものは存在せず、かわりにビザと二枚の税関申告書が必要で、持ってきた額のドルを正確に申告しないといけないそう。
これを帰国の際にも求められ、同じく帰国時の所持金を記載した新しい税関申告書と、各宿で取得したレジストレーションとともに提出、なかなかめんどうくさい。このめんどくささを、ウズヘク人は一様に、”新しい国だからさ”、と説明する。
8時半を回ると暗くなるタシケント。初めての国で、日暮れの移動はかなり緊張する。
空港を出ると、すぐにタクシー運転手に囲まれた。
予約してあった宿の人に事前に問い合わせていたところ、タクシー運転手はかなり信頼できるとし、5ドル以上にはならないよと言われていたが、ふっかけられた額は「30ドル」。
あっさり10ドルまで下がり、本来なら2ドルの距離だということをあとで学ぶ。
夜のタクシーにどきどきしつつ、運転手が日本のサッカーはああだこうだ、ウズヘクはユースがだめだどうの、陽気に話すのでやや安心していたところ、
「チェンジマネー?」
出たー。
いらないいらない、不要と断る私、聞いてもいないのにレートを言ってくるドライバー。
「3000スムだ」
ネットで確認したのは2200スムだったのに、気持ち悪いほど円高にしてくれるじゃないか。ま、まさか、偽札!?きっと偽札!
「3500ならどうだ?」
食い下がるおやじ、もはや、訳分からんレートになってる。ますます怪しい!
「と、友達がホテルにいる!だからお金は不要!」
得意の仲間がいるぜアピール。
唾を吐き、タバコを吸い始めるおやじ
え、ふ、不機嫌!?
タクシーは人気のない道へ、
どうなる俺!? -
「着いたよ、トップチャン。」
あ、はい。
おやじは、「ばいばい。」と、何事もなく去っていた。
あーー・・・・あの、あからさまなイライラっぷりは何だったんだ・・・?
今回はタシケントに夜遅くに到着し、翌朝早くに出発するため、寝るだけなら、と久々にドミトリーに泊まることにした。
管理者のラファさんが事前にウェルカムレターで行き方や電話番号を教えてくれていた。これ、ホテルからのメール。
It's very easy to take a taxi from the airport. When you exit the airport you will be surrounded by taxi drivers. They are quite reliable and safe. Just negotiate the price first (not more than $10)
Also, if you don't know anything about money exchange in Uzbekistan, I would suggest to browse the internet (forums, blogs) for some tips about the exchange rate! You'll find it easily. Don't exchange in the airport or with the taxi drivers!
”かなり信頼できて安全な”ドライバーに、30ドルってふっかけられた上、
くそレート持ちかけられたけどね。
ところで、さっきドライバーが言ってたナゾレート。
ホテルで両替レートを聞いてみると、1ドル4450スムになっているではないか。
ネットで調べていたのは2200スム。もしや・・・?と思って聞いてみると、ウズベキスタンには闇レートがあった。ウズベキスタン以外でも、ベネズエラなどでお世話になってきたアレ。
銀行で両替するレート(公定レート)と、闇市場でのレートが全く違うというおかしな現象。
一皿8000スムのお料理が、闇レートなら2ドル、公定レートなら4ドルとなるわけです。
おかげでガイドブックに書かれているすべての価格が一挙に半額になりました\(^o^)/ヤター。
ウズベキスタンにはATMがほとんどないという情報は得ていて、米ドルを持参していたが、なるほど。ATMから引き出していたら公定レートになってしまう。
なんでもこの闇レートは毎日割と変動する?らしく、2015年6月現在は4200スム?4500スムだったかな?
ウズベキスタンの闇レートはもちろん禁止されていて、ある時期、ある地域で一斉に取締りがあることもあるそう。分かっていても銀行で両替していた旅行者にも会いました。
でも市民の間ではいまだにこの闇レートが浸透している。
滅多に見なかったけど、クレジットカード払いするともちろん公定レートで切られる。
闇レートに加えて、インフレなウズベキスタン。20ドルだけ両替してみてびっくり。
500スム札で、89000スム分。
500スムは大体15円ぐらいなので、2000円分が15円札で来ちゃったということ。勘弁してくれ。
そういう国では、『お札が落ちていても誰も拾わない』というあるあるがある。
紙幣価値が紙屑以下。
自国通貨への信用がないから、貯金もできない。
お土産屋さんの店員いわく、”貯金しないよ!家を建てたり、なんだり、使ってるよ!”
あ!もしかして・・ウズベキスタン人は、外貨貯金をする代わりに金歯に変えているのか!?
先日ヨーロッパの時代劇を見ていたら、こんなセリフがありました。
『代金はマルクでもらっただろうね?誰がペセタで貯金するものか!今にこいつで尻を拭くことになる!』
よく読むと、メールにも「もしウズベキスタンのレート事情について何も知らんかったら、ちゃんと調べときな」って書いてありました。
せっかく、やんわりとほのめかしてくれたレートについてのアドバイスに全く気付かなかった・・・ -
ウズベキスタンは、泊まるホテルで必ずレギストラーツィアという登録をしなければいけない。宿泊地登録とでも言うのでしょうか。
出国時に提出を求められたので大切。
トップチャンホステルでもらった始めてのレギストラーツィア。仰々しい名前のわりに、簡素な造り。
で、そのトップチャンホテル。共用部分がウズベキスタンぽいスタイル。
トイレがなんと和式で、扉に”和式こそ人類のあるべき姿!”的な記事を貼り付け、欧米人からのクレームをなんとかやり過ごそうとする魂胆が(笑)
電源プラグにiPhoneやらiPodが充電されているのは私が世界一周していたころには見られなかった光景。
女性ドミには、オージーのおばちゃん(おばあちゃん?)もいて、必要に応じたお金の使い方に感銘を受ける。
安宿だけあり、久々に世界一周中のみなさんとお話しできました。
中国のセルタに行ったなんて話を懐かしく思いながら聞きました。楽しそう。うらやましい。
そんな私も今の仕事しながらの弾丸パッカー生活には満たされています。
色々とあるけど今は今で祝福されている、と思う。
なんて、外に出ないとなかなか気付かないことに気付いた旅行1日目でした。
朝4時半、ウルゲンチ行きの飛行機に乗る準備をします。 -
6月17日
4時に起きたら既に外はほんのり明るくなっている。夜がめちゃくちゃ短い!
今日はウルゲンチへ国内線移動。タクシーはきっかり5時に到着。時間厳守だ。
ラファさんに”8000スムだよ”と言われて思わず聞き返してしまった。
2ドル!?昨日10ドル(言い値30ドル!)だったのに。
失敗を経て、本来のタクシー運賃を学ぶ。地方ならさらに安い。
タクシーというか、ドライバーさんの車はピカピカの新車だった。
朝の風はまだ涼しく、刈ったばかりの草の香りがとてもさわやかで、どこか懐かしい香り。
ウズベキスタンで最初の食事(?)は、自動販売機のカフェラテ。
ロシア語表記なので、首を傾げながらなんとなく想像をめぐらしボタンを押す。
ボロボロでふにゃふにゃの500スム札も機械がちゃんと吸い込んでくれた。
タシケント空港には、当然ウズベキスタン航空のみ。
広い国土なのに、飛行機の需要はあまり無いらしい。
朝一はサマルカンド行、ブハラ行がぽつんぽつんと出発していた。
トイレは、何を思ったのか、扉だけでなく左右の仕切りも半透明・・・
前回のオリンピック航空に引き続き、プロペラ機でした。
これはタシケント上空の様子。割と緑が多い街。
ウズベキスタン航空に乗ってみてびっくり。
なんと、自由席(笑)
しかも、チェックインカウンターでお姉さんが持ち込みOKとしたコロコロバックパックが荷物入れに入らない!!!
が、普通に座席の下に収納すればOKとのこと。ゆるい。
機内食は厚切りチーズの挟まったコッペパンみたいな見た目のサンドイッチ。
ナンの国のパン!わくわくしながら一口かじってみて、静かに袋を閉じた。
かてぇ。
砂山の地帯の先にあるウルゲンチに到着。意外と緑が多い。
着陸の瞬間に空席だった隣の席がバタン!と前に倒れた。車かっ!
いろいろと雑な会社である。
ウルゲンチ空港は、トイレは個室が一つしかないという小ささ。
外に出て、タクシーのおじさんたちとの戦い再び。
もう騙されない!
群がるドライバー仲間の援護攻撃にあえなく撃沈、またも1、2ドルで行けるところを5ドルで敗戦。くそー。
横にバス停もあったんだけど、リーマンパッカーなので手抜きしてしまった。
おじさんの前歯が金歯だったのがめっちゃ気になったのですが、あとでそれがインフレ対策だと知る。ウルゲンチ空港 (UGC) 空港
-
列車のチケットを日本の代理店にお願いすると、5倍ぐらいの料金を取られる(*_*)
オフシーズンは直前でも買えると事前に聞いていたので、ヒヴァに行く前に、まずはウルゲンチ駅へ。
コンピュータ化されているので、他の町から発着するチケットも買えた。
まずはウルゲンチからサマルカンドに行く列車の予約。
噂に聞いた通り、列を作らず普通に横入りしてくる。
ずんずん進んでアリーナをキープ。
よーし!次行くぞ!と意気込んだ屋先に横からスーっと札束が!くそー。
中国製の札束カウタンーを利用しているとはいえ、札束を数えるのに時間がかかることかかること。
家族全員分ともなると、ビニール袋いっぱい分の札束となる。 -
英語が通じないということで、事前にウズベク語でメモを書いて渡した。
隣のおじさんが『クーペ』かどうかをやたらと何度も確認していたので、そんなにいいのならと、私もクーペを指定。
指で上か下か指せば、上下のベッドも指定できる。
係りの子は若い女の子で、予想に反し親切で手早い対応。
集合時間や値段などを親切に書き加えてくれた。
この日は翌日のサマルカンド行のチケットだけを購入。
翌日残りの行程も全て購入。
日程変更もわずかな手数料でサクっと処理してくれる。これで並んでくれさえすれば、あまりストレスがないと思いました。
クーペは4人乗りの個室寝台で、インドと違って男女の区別なく指定されてしまうので人によってはいやだという人もいるみたい。
あとでウズベク人に聞いたら、予約の時に女性のコンパートメントを指定できないこともないみたい。
また、乗車後に車掌さんにお願いしてアレンジしてもらうことも可能だそう。
あちらでお仕事をしている日本人女性によると、『クーペでも99%安心だけど、ただし色々話しかけられてうざいから私は8人乗りの三等コンパートメントがいい』とのことでした(笑)
確かに、ウズベキスタン人は、まず食事をするときは必ず『食べるか?』とお誘いするのがマナーらしく、その都度お断りするのが心苦しかった。。。 -
ウルゲンチからヒバ(ヒヴァ)まで、1時間かけてローカルのトロリーバスで行こうしていたのだけど、ドライバーの営業に負ける。
空港から駅まで(ぼられて)「9ドル」から、駅からヒバまでトータルで「20ドル」と言うものだから。
現地価格は多分半額以下だと翌日知る。
値段はまたしても完敗だが、時間はというと、幹線道路をびゅんびゅん飛ばして30分かからない程度でヒバの門に到着。
ウルゲンチを出てすぐに、交通量の激しい道路でロバの荷車を見かけた。
ところどころポプラも植えられていて感動。旅情を誘う木。
ウズベキスタンに来たかった理由の一つは、いつかカシュガルで見たポプラ並木とロバの荷車の光景を再び見たかったから。
ウズベキスタンはウイグルほどド田舎ではないみたい。ウイグルこそ辺境の辺境なのか?
そしてこれが、ヒバ!
わーわー、リアルドラクエだー\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
入口でドルの入場料を提示されたので、ふと閃いてスムでお支払いできるか聞いてみたら、案の定、公定レート換算だった。実際に手にしたときのレートの半分のスムだけ払えばいい。公共施設あるある。
悪知恵が働いてしまってすみません。半額得しちゃった。
ちょっとだけスムが足りなかったので、足りない分だけドル払いしたら、それもきっちり公定レートで今度はちょっと損した。
係りおばあちゃんは、換算するのがとても早くて感心。
私はまだウズベクスムのケタの多さについていけないよ。 -
門をくぐってすぐにこれ、感無量。
目頭が熱くなった!!
異国すぎる!いや、時空さえ超えてきたんじゃないか!?
静かに興奮しながら、まずは宿探し。
写真右手に見えるムハンマドアミンハンメドレセで部屋を見せてもらう。
ここはメドレセと呼ばれる神学校を改装したホテル。
中庭がとっても素敵!お部屋は値段の割に質素だったので、お礼を言って再び宿探し。
めぼしい宿が皆イマイチで、コロコロを転がしたまま城壁内の大体の場所を回ってしまった。
歩きながら思ったのは、歩き方の地図が異様に正確だということ!
普通、旧市街となると歩き方の地図など全く信用できないものなのですが。
ヒヴァの街でたまたま出くわした現地在住の方にそんな話をしたら、実はその方が最新版の歩き方の地図をしっかりと校正されていたからなんだそう!
すばらしすぎて感動しました^^ -
カラゲストハウス改めホテルカラ。
ヒバの旧市街のゲストハウス、ホテルも含め大体と見て回ってみて、ここが一番コスパが良かったし、お嬢さんががんばっていたのでここにいた。
気温が40度になる6月以降はシーズンオフとなるため、だいぶ値切って20ドル。
今回は、どの町のホテルもガラガラで、いいホテルを半額ぐらいに値切って安く泊まることができました。
夏の日差しが超強いからだろうか、ウズベキスタンの家は窓が小さい。
中庭はないけれど、2階のロビーはとっても素敵でした。Wi-Fiも大丈夫。
家族経営で、主に女性が取り仕切るホテル。
ドアを開ける音でいつも女の子が走ってきてくれる。
翌日も夕方まで部屋を使わせてくれたし、今回のウズベキスタンのホテルの中でここが一番よかった。
乾燥しているので室内でも洗濯物が乾く乾く。一瞬でパリパリ。
この季節のウズベキスタン旅行なら、服は2セットで大丈夫。
ウズベキスタンの住宅は、昼間になるとどこもドアを閉ざしてしまう。
一見眠ったような町になるが、でも実はどこの家もたいていドアの鍵は開いているというなんとものんびりとした一面があった。HOTEL KALA KHIVA ホテル
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荷物を置いたら早速ヒヴァ観光。ちなみに、猛暑の6月の真昼間に歩く人は少ない。
ヒヴァの街で一番素敵な通りから。
キングオブ旧市街、インドのジャイサルメールを思わせる。
中央に、イスラームホジャメドレセとミナレット。
1910年建造でヒヴァで一番新しいメドレセとミナレットかつ、一番高いミナレット。ヒヴァのシンボルです。左右にメドレセや廟が点在している。
その反対側にも、ミナレット。このメイン通りを反対の奥まで行って、東門へ行き旧市街を出ると、市場などがある。
この通り沿いにはいくつか廟やメドレセなどがあります。
通りに面し、色々な門があって、どこも覗きたくなる。
一日ではぜんぜん見きれず、翌日もかなり細かく回ったけれど、それでもまだ覗けなかった建物がいっぱいあったし、素敵な場所はもっともっと見ていたかった。
空がとっても青い。30度を超す暑さでも、からりとしているのであまり負担がない。
6月からはシーズンオフ、と言うが、6月なら、まだなんとかなる暑さだと思う。
寒くて凍えることもないし、暑すぎて、もう気持ちいいほど。
シエスタの時間でも、余裕で観光できました。
帽子なんかじゃ防げぬ強烈な日差しなので、女子は雨用でもいいので真っ黒の傘がマスト。こちらの女性もかなりの確率で雨傘をさしていた。
そして水なしには歩けないほど、ものすごい速さで喉が渇いてしまう。
平均3?4リットルは飲んだと思う。
暑いと言っても、観光の途中に熱いお茶だって飲める。
そんなに飲んでもトイレは一日2回。トイレに時間を割かれることがなくて便利だが、どこに行った、3リットル。
朝晩は気持ちいい気温に落ちるのがとてもとてもよかった。
とにかく素敵な6月のヒバです。 -
下から見るとこんなに大きいミナレトット。直径は9.5mだそう。でっかい。
イスラームホジャメドレセは、内部が博物館になっている。
(このチェック係はもれなくおばちゃん。おばちゃんだけに、なかなかチェックが厳しい。どのメドレセでも日付までしっかり見ていた。そしてチェックが終わったらお土産を売ろうとする)
ここのミナレットの絨毯。 -
素敵すぎる\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
ウズベキスタン最初のお食事は、ヒヴァのメイン通りに位置するチャイハナ・ファルーフ。
ウズベキスタン名物、小上がり席。これ写真で見た見たーと一人で静かに盛り上がる。
木漏れ日の中、お外で頂くご飯が何よりの贅沢。
チャイハナはメニューがない店が多い。お値段はお店の人の『言い値』。
5月に出たばかりの最新の歩き方から早くも値段が上がっている。
あとで聞いたら最近はレートの変動が非常に激しいとのことで、このようなことが起こりやすいそう。
あっついのでコーラ!もちろん瓶で!普段全然飲まないコーラ、インドなど、暑い国に行くとついつい頼んでしまう。
店員のお姉さん45歳ぐらい?の前歯が総金歯なのがとてもとても気になる。
シンプルなトマト・きゅうり・玉ねぎのサラダには、アッチクチュチュク。
濃い色の野菜に対し、ウズベキスタン柄の濃紺のお皿が合うこと!
視覚的にもとっても美味しそう。
ギリシャ料理同様、シンプルな味付で、野菜の味を楽しめる料理。
ここのは味は塩と酢ぐらいだと思わるシンプルさ。
トッピングにディルとパクチー。
ディルはロシア料理に欠かせないハーブ、パクチーは中国のウイグル料理にも多用されるハーブということで、東西食文化が交差する中央アジアらしい組み合わせ。
そしてこの二つのハーブのコンビは最強と思う。
テーブルクロスの柄もとても素敵ですね。
今回中央アジアを旅するにあたり、とても楽しみにしていたのはこちらのラグ麺。
ウイグルでお世話になったトマト味、本当に久しぶりで感動。思い出のラグ麺同様、パクチーが乗っている。
ラグ麺は中央アジアを代表する麺料理で、おうどんのようなもの。
お店や場所によってうどん度は異なるが、ウズベキスタンのラグ麺はコシがない。
具はじゃがいも、トマト、たまねぎ、にんじん、牛肉、ナス。
牛肉のダシとトマトで、しっかりとしたお味。
パクチーに加えてディルも乗っていて、とてもさっぱりといただけます。
これも現地在住の日本人の方から教えてもらったのですが、ヒヴァはウズベキスタンの中でも油っこくないエリアなのだそう。
東に行くともっとギトギトしていくのだとか。
合わせて、ラグ麺と聞いて覚悟していた羊肉ですが、ヒヴァでは肉と言えば牛肉なのだそう。
東から、西から、羊地獄に陥っている旅人はぜひヒヴァへどうぞ。ファルーフ 地元の料理
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ヒヴァで一番重要だと思われる、パフラヴァンマフラブ廟。
13世紀に活躍したヒヴァの守護者、パフラヴァンマフムドが眠る場所。
天井まで見事なタイルが敷き詰めらている廟。
これを見れば、土地の人にとってここがいかに重要かが分かる。
となりにある小さな部屋がマフムドの廟。
聖職者の席にナンがお供えされていて、参拝者は聖職者にお経を唱えてもらう。
とても静かな午後、ドームに響く聖職者のコーランがそれはそれは素敵でした。
今もヒバの人々に信仰されている大切な場所です。
ここはヒバで出会った旅行者たちの間でも人気が高かったです。
ちなみに、モスクや廟はエアコンが効いて、暑い季節にはありがたい。
しばしドームを見上げながら、美しすぎるタイルの装飾を鑑賞。 -
とにかく喉が渇くので、公園のチャイハナでお茶をしました。
こんな大きなティーポット、値段を聞くと、いかついロシア顔の若者が一本指を立て、『ミン。』と一言。
はて。ミンとは、おいくら万円?
この国はほんとに英語が通じない。
札束を出して見せると、1000スムを一枚指さされた。
なんと。30円か!
そのあと何かを聞かれ、それはきっとガイドブックに書いてあった黒紅茶か赤紅茶かを聞かれているような気がして、片っぽの方をリピートしてみた。中身はグリーンティだった。
暑いのに、熱いお茶がおいしい。5杯以上飲んでも全然トイレに行かなくても大丈夫。すでに朝から3リットルぐらい飲んでいるいるのに。どこに行った、水分。
私の茶を出したあとは、敷地内に打ち水を始めるスタッフ。
ウズベキスタン人は打ち水がお好きなのか、どこでも打ち水している姿を見た。 -
ヒヴァで一番素敵だと思った場所はこちらのタシュハウリ宮殿。19世紀にアラクリハン公務やパーティで使った宮殿だそう。
あまりにも素敵だったので、翌日も行きました。タシュ ハウリ宮殿 城・宮殿
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上から下まで青いタイルで飾られている。柱はヒバで見られる独特のスタイル。
タイルに黄色が入らないのがこの地方のスタイルだそう。色に統一感があって落ち着く。
イランやトルコだともう少しカラフル。
天井は木の細工で幾何学模様がえがかれている。東洋とイスラム文化が混ざっているよう。タシュ ハウリ宮殿 城・宮殿
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名前もないメドレセ。補修されているものから、されていないものまで、こんな素敵なメドレセが町中にあるのです。
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コクーンの前にある。アラクリハンメドレセ。
近くにはキャラバンサライもあるそう。キャラバンサライ・・・ロマンを感じる響きね。
このドームに似たザクロの模様の木彫りの板をお土産に買った。アラクリ ハン メドレセ 寺院・教会
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中世の世界のようです。うっとり。
ちなみに、ウズベキスタンはイスラム国家ではない、というようなことを何人ものウズベク人から聞きました。
このヒヴァでも、人々が集まるモスクは数える程度なんだそう。
イスラム教を信仰する国では、毎日5回のお祈りの時間には、あちらこちらからアザーンが聞こえてくるものですが、今回はほとんど聞くこともなかった。
日本人は、イスラム建築=イスラム国家と考えてしまうから、今回は家族にウズベキスタンに行くとは言わず、ロシアに行っていることになっている、そんな話をしたらウズベキスタン人に大ウケだった。というか、本当にすごいびっくりされた。
「日本人はウズベキスタンがイスラム国家だと思っているのか!?それは大昔の話だよ、まったく笑っちゃうよ!、長いソビエト時代で変わってしまったんだ、と。」
話を聞いていると、なんだか日本と仏教の関係にも少し似ているような感じでした。
仏教に基づいて作られた数々のお寺とともに生きてきた日本人と、イスラム教下で開花したウズベク式のイスラム建築に彩られているウズベキスタン。
外国人のほうが建築に込められている宗教的な意味や価値を冷静に見ているような気がします。 -
イチオシ
夕暮れ時が始まります。
世界が夕日に染まるマジックアワー、一日のうちでこの時間にしか見られない景色を見に行きます。 -
ヒヴァで一番素敵なバフラヴァンムハマド廟の通り。この時間には絶対にここを通ろうと思っていた。
夕暮れも期待通りの美しさ。
世界と調和するミナレット。 -
家に入れてほしいにゃんこさん。どうがんばっても網戸が開かない!
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夕暮れはミナレットから眺めようと決めていた。
これは北側の旧市街。
メドレセが見える。イスラム建築の特徴、ポコポコしているドームは上からじゃないと見えない。
城壁の向こうは新市街。西門や北門の向こうは開発が進むんだそう。
この光景はウズベキスタンだけでなく世界の宝、どうかずっとこのままこの美しい旧市街が保存されますように。 -
南門方面
イマームホジャメドレセと、ミナレット。
下を歩く子供がメドレセの窓から覗いている私に気づいた!すごい目がいいなー。手を振ったら振りかえりしてくれた。
日が沈むと、ミナレットの階段の窓のない部分は真っ暗。
最後に係りのおばさんに『まだ上に人はいる?』と聞かれた。自分では見ないのか。
さて、日が沈みました。
気温も下がって、夜風に当たりながら飲み会開始ですよー。 -
6月のヒヴァはすでにシーズンオフで、開いているレストランに選択肢はほとんどないのですが、町の中央にあるミルザボシは、6月の旅行者が集まるレストラン。
8時近くになってもまだ明るくて気持ちのいい夕方。玉ねぎ型のドームを見ながら、この旅最初のビールで晩酌。最高だー。
頼んだのは、ヒバのあるホレムズ地方でしか食べられないというシュビトオシュ。
英語で緑のパスタ、と言われ、ガイドブックにも香草の?と書いてあったので、まさかディルが練りこまれているとは思いませんでした。
シュビトオシュは夏しか食べられない料理だそうで、なるほど、ディルの風味が夏らしい!
ディルの葉は、ミンチを作る機械ですりつぶしているそう。
ソースはじゃがいも、トマト、そして牛肉。塩味のシンプルな味付け。
ディルの葉の風味とトマトがとても合っていて、すごくおいしかった。
ヨーグルトがトッピングされている。
忘れられないウズベキスタンの味になりました。
ウズベキスタンで食べた料理の中でダントツにおいしかったので、翌日もリピートしてしまった。
お皿の青にもよく合っている。 -
3日前です。
ホテルカラの朝ごはん。ウズベキスタンのホテルは豪華な朝ごはん付と聞いて、楽しみにしていました。
1つ1つは質素ですが、自然の恵みと、おもてなしの心がしっかりわかりました^^朝からうれしい!
コーヒーは、トルコなどと同じ粉のアルビックコーヒー。
ウズベキスタンではコーヒーにミルクはつかないみたい
チーズはカッテージとスモークの2種類。ミルク自体はあまり飲まないみたいですが、乳製品は豊富なウズベキスタン。
席についてから焼いてくれる目玉焼きは油ギトギトでしたがふっくら。
ナンにつけていただきました。
ビスケットはきっと市場の量り売りで買ったものだと思う。普通においしい。
目を引いたのはチェリーのコンポート。この時期はさくらんぼがとてもよく採れるそう。
カッテージチーズやヨーグルトに合わせて食べるといい。
左奥にはあんずと、角砂糖。この砂糖の正しい食べ方はよくわかりませんが、ボリボリ食べるとおいしかったです。
市場に行けば必ずあり、ウズベキスタンの食卓には欠かせないものみたい。HOTEL KALA KHIVA ホテル
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アイドルみたいにかわいい女の子発見。ママにお願いして撮らせてもらった。
こちらの子は写真慣れしているというか、みんな普通に応じてくれた。 -
ヒバ2日目は、旧市街の外に出てみました。屋根付きのキレイな市場と、場外市場がありました。
買い手も売り手も一番ヒートアップしている商品がこちら、サワークリームのようなもので、サワークリームより酸味と酒粕のような臭みがあるもの。
おばちゃんたちが手作りしているらしく、こうやって匙を差出し、味見をさせる。バケツ一杯に持ってきて、袋に入れて売る。
この列に一人おじいちゃんがまぎれていて、ものすごく肩身が狭そうだった。
サクランボの他に、あんずやリンゴ、プラムも売っていた。
ここでは見なかったけれど、タシケントではマルベリーやラズベリーも沢山売っていた。
ウズベキスタンの女性たちは、柄付きのワンピを来ていて、スカーフをしている人もたくさんいました。最近の子は、膝丈にして、下にスパッツを履くのも流行ってました。
場外に布やさん街もあって、中央アジアらしいにぎやかな柄の化繊がたくさん売っていました。 -
ヒヴァのお土産、おじさんたち。
私も、小上がり風の椅子に座ってくつろぐおじさんの一行を買って帰りました。
今もすごく気に行ってます。 -
市場に何件かあるケバブのお店。この少年たちが大変好奇心旺盛で人懐っこく、ほとんど分からない英語で一生懸命話しかけてくれました。左の子が18歳ぐらい、右の子は14歳ぐらいだったかな。学校の傍らお手伝いしているらしい。こちらでは夏休みが数か月あるとか言ってたっけ。
堂々と胸を張って手を広げ、”さぁどうぞ、寄って行って!”という客引きの仕草がなんとも一著前風だったので、ちょっと立ち寄ってサモサを食べた。
食べている間もあれこれたくさん話しかけてきたっけ。名前や挨拶ぐらいの英語はすらすら話していたので、学校でちょっとは勉強しているみたい。その間、お店のお姉さんたちも皆、お酢だのお水だのをあれこれ世話してくれた。すごい気が回る人々だ。
観光地の市場なのに、本当に物珍しそうに話しかけられて、なんだか面食らった。この国(というかヒヴァ)の人はなんてピュアなんでしょう。 -
朽ち果てたメドレセの門で遊んでいた女の子たち。写真慣れしていた。一番小さい子が最後に”ボンボン”と言っていた。欧米のマダムにもらっているんだろうな。
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イチオシ
5時ごろホテルに戻ってシャワーを浴びたら、いよいよヒバとお別れ。最後は歩いて北門へ。
軒先で夕涼みに出ていた家族。子供にカメラを渡したら、家族の写真を撮ってくれた。
なんともかわいい服を着た、小さい子、将来はプルシェンコか琴欧州か?
ヒヴァの北門から乗り合いタクシーでウルゲンチへ。
来るときは貸し切りで20ドルもぼったくられたタクシーでございますが、(言い値はもっと高かったのよ。)帰りは3人で乗り合いをして、一人1ドル!
ウルゲンチの空港のタクシーは大体ぼったくるそう。ぼったくられないように、時間や距離を考えて適正と思われるまで値切っているつもりでも、ウズベキスタンのタクシー料金が破格すぎて想像の域を大幅に超えていた。
タクシーで居合わせた人はブハラに行くそうで、なんでサマルカンドに行くんだ!?このままブハラまで行けばいいのに!と言っていたが、7時間もタクシーで移動するのはちょっと不安。
わざわざウルゲンチの駅経由にしてもらい、同乗の人々はこのまま7時間先のブハラへ。到着するのは深夜。お気をつけて。 -
7時半ごろのウルゲンチに到着。まだとっても明るく、暑い。
荷物やパスポートをチェックして、やっと駅へ。
さらにチケットチェックが2回。徹底的に国民の移動をチェックしているかのよう。
列車はクーペと呼ばれる4人乗りコンパートメント。おじさん二人と同世代の女の人が一緒だった。
知らない人同士、挨拶を交わしていた。こっちのマナーなのかな。
乗車するとベッドシーツ2枚と枕カバー、そしてハンドタオルが支給される。
これは降車前にしっかり回収される。
座席は固めで、座席の上に布団のようなマットを敷くのがウズベキスタン流。
力仕事も多いので、ウズベキスタンの列車の車掌は男性の職業だった。
同室のおじさんは夕飯タイム。食べるか?という仕草をしていた。食事の席に他の誰かがいたら、とりあえず声をかけるのがこの国のマナーなのかもしれない。
停車時などはエアコンが切れるため、暑い時間のほうが長かった。
ウトウトとして、気が付いたら消灯となっていた。
翌朝。同室のおじさんがのんびり外を眺めていた。
早朝にナヴォイという駅で停車。ここがサマルカンドとブハラの中間。
ナヴォイはこのあとサマルカンドからブハラに行くときも停車した。 -
定刻より少し遅れて10時ごろサマルカンドに到着。
サマルカンド駅からレギスタン広場まではタクシーで大体15分ぐらい。さすがにもうぼられなかった。
ヒヴァから来るとだいぶ都会に思えた。女の子たちのファッションもぜんぜん違って今風。
レギスタン広場が一望できるフルカットという宿にチェックイン。部屋にはスザニ(刺繍)の飾りがあって、毛布はまさかのタイガー柄。
荷物を下したら早速観光へ。
レギスタン広場とビビハニムの別れ道でちょっと悩んで、まずはビビハニムのエリアへ行くことに。
この分かれ道が、一生引きずりそうな後悔の引き金だったのですよ。
ビビハニムを望む食堂で、まずは朝ごはんを。
地元の人にも大人気だというサマルカンドナンを頼んでみた。
小間使いの少年がどこかへ買いに行ったのかしら。だいぶ待たされた後、出てきてびっくり!でっかい!横に置いてあるサングラスもそこそこ大きいよ。
一口食べてさらにびっくり!ふわっふわでアツアツ!
フランスパンでもないし、コッペパンでもない。ふわっ、もちっ。世界が変わる味!列車がサマルカンド駅に到着すると、ホームのサマルカンドナン屋台に人が群がる理由が本当によくわかった。
ゴマがまた香ばしくていいアクセント。
も、何もつけたくない、手が止まらない、無心でむしゃむしゃ食べました。
あまりにもおいしいので、サマルカンドナンを食べていないお向かいのロシア人ツーリストにご紹介したいほどだった。
このナンを食べるためだけに、また来たい。 -
ビビハニムが見える、こんな素敵なレストランで食べました。
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サマルカンド最初のモスクはビビハニムモスクという大きなモスク。
歩き方によると、かつてはイスラーム世界で一番大きなモスクだった時代もあったそう。
美しい装飾を堪能しました。
写真は反対側の丘から見たビビハニム。
ここはとにかく巨大でした。ビビハニム廟 建造物
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一緒に写真を撮ってと声をかけてきた家族。ただの日本人ですが喜んで。ついでに私のカメラでも撮らせてもらった。
この後、またまた呼び止められて、今度は写真撮影。
家族のカメラに収まっているのかと思いきや、知らぬ間にモスクで商売しているカメラマンに写真を撮られていたらしい。
あっという間に現像したものを差し出され、知らんおばちゃんと撮った写真を買わされた。結果、いいお土産(笑)
しかしウズベキスタンのマダムは体格がいいねー。(そしてみんな好奇心が旺盛だこと。)
こんなにふつうに写真を頼まれる国は珍しい。 -
近くの市場に寄ってみた。とても大きく、清潔な市場です。
こんなにたくさんのサマルカンドナン屋さんが来ていた。 -
ドドメのジュース!最近ではおしゃれにマルベリーなんて呼ばれているが、地元では”ドドメ”と呼んでいて、学校帰りに摘んでみては、Tシャツにシミをつける、あれ。
ウズベキスタンもまた養蚕をする国で、桑の木がとても多い。立派なドドメが取れるんだね。ドドメワインはパキスタンで飲んだことがあったけど、ドドメのジュースなんて、初めて!ものは試しで、一杯飲んでみた。
ブルーベリーやぶどうみたいな甘さや、すっきりさはない。なんせ畑で荒々しく育つドドメですから。ワイルドで、すっぱい。どんな効能があったのかな? -
今回のウズベキスタン旅行の中でもぜひともまたリピートしたいと思った観光地がここ、サマルカンドのシャーヒズィンダ廟群。
ティムールの妻や親族などが眠る廟が一同に集まっているいます。シャーヒズィンダ廟群 建造物
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過去というより未来を感じさせる!
シャーヒズィンダ廟群 建造物
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イチオシ
見ての通り、まるでブルータイルの街!
こんな場所は本当に珍しい!廟が集まる場所、と読んでいたので、廃墟のようなところかと思ったら、リアルなディズニーランド並みの美しさ、ファンタジーさ。
イスラム建築、タイル、幾何学模様などが好きなら、一日中、口半開きで楽しめます!シャーヒズィンダ廟群 建造物
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すっかり気に入ったタクシーで、サマルカンド観光の目玉の一つ、アミールティームール廟へ移動。
サマルカンドのタクシーは、観光地間は大体1ドル未満で、かならず乗り合い。
夫婦とか、おじさんとか、みんな喜んで相乗りさせてくれる。
ここはアミールの一族が眠る廟。
地元の小学生や、大学生ぐらいの人が団体でやって来ていました。ウズベキスタンを代表する観光地の一つ。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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元気な小学生軍団に囲まれたよ。
ウズベキスタンの小学生は元気で明るい。英語もちょっと話せるよ。
ぜんぜんすれてない。 -
サマルカンド観光最後を締めくくるのは、憧れのレギスタン広場。
長らくこの広場への憧れがあり、この光景を見たときは、それはもう感無量。
すごい、大きい!予想していたよりもよっぽど大きかった。
さぁ中へ!と勢い勇んでゲートへたどり着くも、なんと!国家的行事の予行練習のために、3時で閉場だった!!!!
こんなことならグリアミールなんかに行ってないで、真っ先にここに入っておくんだった!!
夕暮れに染まるシェルドルメドレセ。美しすぎる。もっと近づきたい。。。
途方に暮れつつ、警備さんに事情を話してなんとか入れないか粘ってみる。
粘ってみたつもりが、愚痴になり、世間話になり、気付いたら2時間ほど立ち話。
警備のお兄さん、兄弟は少ないらしく、両親によりしっかり教育を受けさせてもらったので英語が堪能なのだと話していた。
この人もなかなか好奇心が強く、また考察力があるのか、話の内容が鋭く面白かった。
すでにお子さんもいるそうで、生活はごくシンプルでいいから、家族と過ごす時間が一番大切なんだよ、なんて話していた。
これはウズベキスタンで何度か聞いた話。
だからウズベキスタンはすごく発展はしないけれど、適度に整っている感があるんだろうな。
そうこうしつつ、柵の外から恨めしそうに中を見ていたら、さっきから私同様、警備さんに粘っているガイジンがちゃっかり中に入っているではないか!
慌ててさっきの警備さんに『アイツハイッタ、ハイッタ!!』と猛アピール!
警備さん引率の元、レギスタン広場侵入に成功!やったー!!!!!ここを見るために遙かかなたの日本からやって来たのにですよ、ここを見ずして帰る羽目になりそうだったんですよ!!!も、中に入ってからは大興奮。柵の外から2時間以上見つめ続けていた廟の大きさが想像を大きく上回っているのだから。夢中でシャッターを切りながら、一生懸命記憶に残そうとあっちもこっちもきょろきょろしたが、興奮しすぎて消化できず(笑)
ほんの10分程度だったでしょうか。夢のような一時を過ごせました。
結局親切な警備さんは、近くのレストランまで引率までしてくれて。無事サマルカンド1日目が終わったのでした。レギスタン広場 広場・公園
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翌日再びレギスタン広場へ!
11時を待って、開門とともに入場。12時15分の電車に乗るために、許された時間はわずか30分!く?!!!悔しい!が、短い時間にしっかり堪能できたと思う!
本物のレスギスタン広場、どんな写真よりも壮大で、優雅で、ド迫力であった。
毎週でも通いたいほどすばらしい。本当にはるばるサマルカンドまでやって来てよかった。
たった30分強の滞在でしたが、本当に大満足でした。 -
イチオシ
レギスタン広場のメドレセを見上げた時、その迫力を一番実感できると思う。
ここのメドレセの中庭で、修理しているおっちゃんに呼び止められ、何かと思ったらメドレセのタイルを売ってやるというブラックなオファーだった。もちろん買わないけれど、商売になるんだね・・・ -
大慌てでタクシーに乗り込む。残り時間20分。
あせっている感が伝わったのか、相乗りなしで駅まですっ飛ばしてくれたおかげでギリギリ5分前に滑り込みセーフ。
地下道を通ってプラットホームに出るのは中国風。
すっごく暑いのに、冷たいお水がなく、代わりにぬるいジュースしかなかった。
あの苦しさ、今もまだ覚えている。
ホームにはサマルカンドナンに群がる人々!今ならわかる、並んででも買いたいその気持ち。
列車は定刻通りの出発。
ブハラまでは昼間の特急で3時間の道のり。
列車が駅に入るとエアコンが停止してしまい、列車が動き出すまでは蒸し風呂状態。みんな遠い目をしていた。。。
エコノミー座席にもかかわらず、スナックとチェリージュースのサービス。
車掌は若い男の子で、手際よく配ったかと思ったらあっという間にゴミも回収。
降りる時なども、さっと手伝ってくれて、”どこから来たんですか?よい旅を”などととても爽やかな口調で話しかけてくれる。
車内でも私と同じ年くらいの男性が、どこぞの子供の面倒を見てあげたりと、なかなかできた男子が多い。
ウズベキスタンのお母さんたちは息子の教育が本当にうまい。 -
ブハラの駅から旧市街までは、乗り合いのミニバンに乗ってみた。
ミニバンと言ってもアフリカのマタツみたいなぎゅっぎゅとしたものではなく、座席スペースも天井もゆとりがある。
なんと脅威の500スム。日本円にしてわずか15円程度。こんな少額で商売が成り立つのだろうか・・・
駅から旧市街までの間、何組かの客が乗ったり降りたり。新しい客が来る度に物珍しそうにこちらを見て、すかさず運転手が”日本人だ”と紹介。どうも日本人です。
旧市街までの道はずっと幹線道路、そこを抜けるとすぐにラビハウズの近くのタクシーターミナルへ。
旧市街中心へは車が乗り入れできない仕組み。道も狭いし、現実を忘れさせてくれるのでとてもいい。
ああそうか、ヒバもブハラも、本当にタイムトリップしたような感覚でいられたのは、車の乗り入れが無かったからか。 -
宿はラビハウス横の中級ホテル。飛び込みで半額の20ドル!
暑すぎてのシーズンオフですが、ブハラにはタキというお土産屋さんがひしめく通りがあったり、木陰も多く、個人的には全く苦にならなかった。
奥の路地にある安宿から客引きのおじさんが来ていて、シーズンオフは本当に大変そうでした。
荷物を下したら早速旧市街の奥へ散策。
これはタキザルガロン。この外観、リアルドラクエですね!!
ひっそりとして訪れる人も少ないこのタキは、職人さんも多く、プロ仕様な雰囲気。
ブハラは工芸品で有名な街。日本人にも人気のスザニの先生のお店があります。
とても親日家で、スザニについての知識を色々教えてくれました。
スザニ先生のお店は、生徒さんが作ったへたくそな作品も多数(笑)
もちろん大作やアンティーク風もあり、交渉次第ではだいぶ値引きしてくれるのでお勧めです。 -
ウズベキスタンでおすすめのお土産といえば、美しいスザニと呼ばれる刺繍。
もともとは嫁入り道具として持参するものだったそうです。
”今ではうちで買って姑に提出する子もいるよ”と、スザニ屋さんのお兄さんに教えてもらった(笑)
これはブハラで買ったスザニ。カーネーション、唐辛子、ザクロ、チューリップの代表的デザイン。豊穣・子孫繁栄の象徴として、トルコなどでも好んで扱われるモチーフです。
何がかわいいって、ピンク貴重の色合い!青の差し色も素敵。 -
ミルアラブメドレセ全景。夕日がタイルを照らしてとてもきれい。
しばらく座って日が落ちていくのを眺めていた。最高に贅沢な一時。気が付くと、他にも同じように座ってたそがれていた人が何人か。本当に素敵な光景だった。
ブハラには、まるで時間が止まったかのような静けさがあり、一人旅がよく似合う。
この町ではアジア人、欧米人にかかわらず一人旅の旅行者を多く見た。
邪魔する人もいないし、本当にどっぷり旅に浸かれるので、初めての一人旅にもいいのかもしれない。ミル アラブ メドレセ 史跡・遺跡
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ずっと見ていたい、永遠の美しさ。
ミル アラブ メドレセ 史跡・遺跡
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ブハラ2日目は、聖地バハウッディンへ。
木陰で休んでいるおじさんたちにバハウッディンに行きたいと言うと、しばし相談がなされたあと、ご親切にあちらだこちらだと教えてくれる。
写真がミニバン・マルシュルートカの車内。軽バンを改造した感じ。車は小さいが、乗る人はでかい。
ウズベキスタン人のお話好きはしばしウザイほどだと駐在日本人に聞いていた通り、終始誰かが話しかけてくるぞ。
特に、直射日光に当たる場所に座っていると、皆が気を使って”そこは暑い、こっちへ、あっちへ”と指示が飛ぶ。
暑いこの国では、お客さんに対し真っ先に気を使わなければならない事項なんだろう。
20分ほどでバハウッディン到着。14世紀の聖人を祀った廟で、このあたりではメッカに次ぐ聖地なんだそう。
ウズベキスタンの有名建築のほとんどはメドレセと呼ばれる神学校。
イスラム教を国教とはしていないウズベキスタンにおいて、モスクを見学する機会は意外と少ない。それだけに時にモスクとメドレセを混同してしまいがち。モスクに行くときは服装なども気を付けたいところ。 -
世界の”フォローミー” ウズベクヴァージョン。
旧市街のチョルミナルに行く途中、道を聞いた男の子。
行先は他にあったみたいだけど、結局最後まで案内してくれた。
最後にお礼を言うと、胸に手を当てるしぐさをする男の子。ウズベキスタンのマナーだそう。このしぐさ素敵だなー。”マイプレジャー”と言っているかのよう。 -
そしてこれがかの有名な4つのミナレットを持つチョルミナル。19世紀初めの門番小屋だったそう。
この門番小屋を擁するメドレセはもう無くなってしまっている。
お向かいにあるお土産屋さんで、店番の女の子が私のジェルネイルに興味を示していた。ネイルは万国共通だね。チョル ミナル 史跡・遺跡
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イチオシ
マジックアワーの開始です。
今日もカラーンミナレットでサンセットを迎えようと決めていた。
明日はもう見られない。
この写真を撮ったレストランにいた人々みんな、素晴らしい夕暮れにうっとり。
または忙しくシャッターを切る!カラーン ミナレット 寺院・教会
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早速iphoneの壁紙を変えるよね。
サンセットが終わって、観光客はディナータイム。
大体の人が食べていたものをオーダー。意外とおいしかった。
この眺めでディナー、幸せだー。(炭水化物だらけ。)
食器もおとぎ話のようにかわいい!
美味しかったので、レストランのお母さんに料理の名前を聞いてみた。
歩き方に載っているやつとはちょっと違ったので、もし明日来ればそっちのを作ってくれるそう。 -
泊まっていたホテル、ファティマの朝ごはん。朝ごはんがすごいということで有名
。前日には蕎麦の実を蒸したものも出ました。ロシアでダイエット食として流行っているみたいですよね。Hotel Fatima Boutique ホテル
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最終日。まだ行っていない場所がたくさんある。朝からガツガツ観光に出かけます!
今日は旧市街を出てみます。
こんな建築物がある街並み、すごい!
公園で、欧米人のおじさんと、”暑いねー”と言葉を交わす。
彼はスマートに世間話だけをして去っていく。
そんな、ごく自然で、なんともさわやかな出会いが、実にウズベキスタンの旅らしい。妙に印象的。 -
ボラハウズ・モスク。モスクだよ。
18世紀の建物で、”アイヴァン”という建築様式だそう。
柱で支えられた高い天井付きテラスを持つ建築様式を指すそうで、サマルカンドのかわいらしいハズラティ・ヒズル・モスクや、ヒヴァのタシュ・ハウリ宮殿など、ウズベキスタンで”素敵だな、珍しいな”と思った建築は大体このアイヴァン様式でした。
ブハラのバハウッディンもそうかな。柱はクルミの木なんだそう。ボラハウズ モスク 寺院・教会
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最後はモスクの横にある素敵なチャイハネでランチ。とても爽やかな場所にあって、地元の人にも大人気。
このチャイハネ、ウズベキスタンの中で一番素敵なチャイハネだと思った。
バタバタで荷物をまとめて、タクシーで駅へ急ぐ。
駅前の食堂でクレープのようなものを作って持ち帰りにしてもらった。
お店の女の子たち、英語はまーーーーったく分からない。分からないなりに、ウズベキスタン語で一生懸命に聞いてくる。何本ほしいの?持って帰るの?なんとなく身振り手振りで通じるもんだな。
なんとかなって、プラットホームへ。
夕暮れ時で、出発までの間乗客はプラットホームに出て、思い思いに過ごす。
車内は例によってエアコンの効いていない灼熱なのでね。 -
今日のコンパートメントはママが私より2つ年上だという大学生の男の子。
タシケントの大学に行っていて、ブハラには里帰りだったんだそう。まだ18ぐらいなのにえらいね。
英語はなんとなく聞くだけならわかると言っていたが、話すのはめっぽう苦手だったみたい。
それでもお話好きなウズベク人、なんとかなる。
ママの持たせてくれたおかずとナンで夕食を取る。例によって、おすすめされる。
ママが作ってくれた大切なご飯、ゆっくり食べてねー。
少年はiPhone5を持っていたな。2等クーペに乗るぐらいだから、多少お金持ちのご家庭の息子さんなのかもしれない。
一通り話し終わると、身支度。同じコンパートメントのおねえさんも、気が付けばパジャマ姿だった。
コンパートメントはあいかわらず微妙に暑く、寝汗をかきながら眠る。
夏になれば、それはそれでいい気がする。観光で疲れていたので、この日もあっという間に眠りに落ちた。
翌朝6時、ほぼ定刻に、田舎からの列車が大都会タシケントに到着。
国内移動でさえパスポートチェックのあるこの国。
日本のように気軽に移動しない国で、この乗客たちは今日から何が始まるんだろう?
タクシー拾う→トップチャン認識されず→ラファさん入電→駅からはとっても近かった→しまった、またぼられたわ。
玄関のベルを鳴らすと泊り客が門を開けてくれた。”オーナーはまだ寝てるから”と。さすが安宿。
今夜は泊まらないが施設だけ貸して、と話すと、頼んでもいないのにまけてくれたラファさん。本当にいい人だー。 -
最終日、タシケントの街の散策はこの日のみ。荷物を下してシャワーを浴びたら、早速外出。
お兄さんに駅までの行き方を聞いてみたら、親切なことに、ちょっと離れた駅まで引率してくれた。
このお兄さん、英語は全く話せないが、ウズベキスタンで活躍している日本人サッカー選手のネタなど、話はつなげた。
ちなみにお兄さん、ジャッキーチェンは日本人ではない。
地下鉄に乗った途端、うとうとしてしまったが、乗車時に”チョルスーに行きますか?”と尋ねたお兄さんが、”着いたぞ!”と起こしてくれた。
そんな国民が多いウズベキスタン。
チョスルーバザールは、とってもきれい!売っているものも、ちょっと珍しい。
バケツいっぱいのラズベリーなんて、初めて見た!おいしそう( *´艸`)
6月の旬は、チェリー。あまりにもおいしそうなので、2000スム(50円ぐらい)を出して、”これだけちょうだい”とお願い。(こうしないとキロで包まれてしまう。)
両手いっぱい分ぐらいを快く袋に詰めてもらって、食べてみたらあまりにも甘くておいしく、その場で完食。サクランボを市場で買うなんて生まれて初めての経験。とっても贅沢!チョルスー バザール 市場
-
その後、史跡の集まるエリアをしばし観光。
コーラン博物館なる場所は、この旅初めての停電(涙)
お金を返されるわけでもなく、○分たったら電力が戻るぞ、と励まされることもなく、何ごともなかったかのようにその場に放置された。
ここでは、ヘブライ語のコーランを見た。ヘブライ語=ユダヤ人=ユダヤ教だと思っていた。どんな境遇の人が読むんだろう???
続いて、拾った車のドライバーさんが、このママと息子。
めちゃくちゃいい母子で、このあと行きたかったアブドゥールハシムメドレセの中までついてきてくれて、一つ一つの工房を一緒に巡った。英語はほとんど分からないので、お店の人で英語が話せる人を介し、少しずつお互いを知り、一周するころには私はこの親子の親戚のような扱いになっていた(笑)
最後は炎天下、二人そろってちょっと遠くの駅まで歩いて送ってくれた。
おうちにもお誘いを受けた。ほとんど言葉が通じないのに、本当に好奇心旺盛なお母さん。
息子がまたとてもいい子でね、こんな面倒くさいお母さん(笑)にも、よく付き合っている。付いては来るんだけど、適度に自立していて、一人でちょこっと隣の店に入ってみたり、でも遠くにはいかなかったり、お母さんの言うことも素直に聞いて、もうどんな教育をしたらこんなにいい子に育つのかと感動するほどだった。
最後に地下鉄駅の前で写真撮影大会。車とタブレットを持っていたので、なかなか裕福な家の人々かもしれない。
別れるときに気持ち涙ぐむほどのお母さん、なんて素敵なんでしょう。
ちなみに隣のおじさんは日本にも来たことがあるという細密画職人さん。通訳役を買って出てくれた。
名古屋万博に招待されたらしい。そういう職人さんに何人か会った。
ウズベキスタンで会った人は本当にみんな親切だったなぁ。本当にまたいつか再訪したい。 -
続いて一般人のタクシーでウズベキスタン工芸博物館へ行こうとして、お金を払ったらそこはウズベキスタン美術館だった。
ここではないのである。
目的地ではなかったが、入ってみたらウズベキスタン絵画が豊富で、十分満足できた。
再び車を拾ってウズベキスタン工芸美術館へ、と思ったら、今度はウズベキスタン歴史博物館ではないか。ここでもないのである。
そこもそれなりに楽しんで、チケットオフィスにお母さんたちに、工芸博物館の行き方を訪ねる。
書いてくれたのはさっきのウズベキスタン美術館だった。
戻ってしまうではないか。
そんなこんなで3台目でやっとたどり着いたウズベキスタン工芸博物館。
様々な地方のスザニが展示されており、スザニに興味がある人はマストな場所。
建物自体も美しい!
素晴らしいスザニの数々を堪能したあとは、グムという百貨店でウズベキスタン風の皿を買ったり、お土産の食べ物を買ったり。ウズベキスタンでは、大きなスーパーは見なかった。最低限の食材を最大限に生かす食文化もまた、ウズベキスタン人の人生のあり方に似ていると思った。
地下鉄に乗って、タシケント中央駅へ戻る。
ここからタクシーでトップチャンホテルに行く場合は必ずぼられるとわかった。
なぜならこのエリアは一般人でなく商売タクシーが陣取っているから。
もう時間もないので1ドルでOK。ノリノリでホテルを探す運ちゃん、私の道案内も板につき、1ドルは道に迷う分が含まれていることも分かった。
宿に戻ったのは7時半。10時のフライトに搭乗するギリギリまでタシケントを遊びつくした。
素敵な親子のおうちに招待してもらう時間も、レトロなトラムの写真を撮る時間も、素敵なカフェでお茶する時間もなかった。
どうやらまた来るしかないらしい。 -
午後8時のウズベキスタン。
雨上がり、夕日を浴びてオレンジ色に染まる。
ラファさんがさっと手配してくれたタクシードライバーは、1週間前にヒヴァに行く際に空港に連れていってくれた人と同じだった。
あの時よりもだいぶウズベキスタンについて学んだよ。
”ウズベキスタンはどうだったかい?”
一週間経ったあとの私の顔が満足感いっぱいだったのか、まるで”超楽しかったぜ”という答えが分かっているかのような言い方だった。
”また来年会いましょう”
気付いた色々なところで会った人々に何度もこの言葉を言っていた。
来るときはよく分からないままに闇両替をさせられそうになったウズベキスタン。
一周してみて、なんとも去りがたい国となった。
ミャンマー、インド、中国に続き、通いたい国がまた一つ増えてしまった。
ウズベキスタン、素晴らしい旅でした!
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この旅行記へのコメント (2)
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- mishmishさん 2019/04/13 03:44:39
- ウズベク愛が溢れてますね!
- コロコロパッカさん、こんにちは。
ウズベキスタン旅行記、とても興味深く拝見しました。80か国も旅行されてきたコロコロパッカさんに「人生損してた!」と言わしめたウズベキスタン、私も前から狙っていた国ではありますが、これは行かねば!と興奮してしまいました。
それにしても、ウズベキスタンって、美しいイスラーム建築の宝庫なので、イスラーム教徒が多いのだと思い込んでいましたが、実際にはイスラーム色が強くないんですね。意外でした。
お土産選びも、コロコロパッカさんのセンスが光りますね。おじさん達の置物@ヒヴァ、素敵です。スザニ刺繍も激かわですね!私もスザニが好きなのですが、こんなに細かいデザインのものはトルコでは見たことがありません。モチーフに唐辛子が入っているのも新鮮です。
夕日に染まる街並みにもうっとり。
もしウズベキスタンに行く機会ができたら、またコロコロパッカさんの旅行記を参考にさせていただきたいです^^
mishmishより
- コロコロパッカーさん からの返信 2019/04/17 10:31:42
- RE: ウズベク愛が溢れてますね!
- mishmishさん、こんにちは。
コメントいただきありがとうございます。そしていつも旅行記拝見させてもらっています。
アラブ、トルコマスターのmishmishさんが行くウズベキスタン旅行記、ぜひ見てみたいです!
ウズベク旅行とスザ二に関して、ブログにはもっと細かく詳細を記録しています。
もしよろしければ “トラベリングソング "でぐぐってみてください
素敵な旅行記を楽しみにしています!
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