2018/05/31 - 2018/06/04
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chemireさん
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この旅行記のスケジュール
2018/05/31
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電車での移動
JR千葉駅から四街道駅まで。総武線快速利用。 四街道駅からルボン山まで徒歩15分くらい。
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電車での移動
JR四街道駅〜成田駅。駅からホテルまで徒歩約5分。
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この旅行記スケジュールを元に
成田山新勝寺で、初めて御朱印をいただいた。これが、御朱印集めの始まり。
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5/31(木)旅初日
千葉駅から成田に向かう途中、四街道駅で下車して街歩き。
大土手山(ルボン山)。
1861 年(文久元年)から始まった佐倉藩の砲術訓練の標的に使われた。その後、1873年(明治6年)陸軍指導者として招かれたフランス陸軍ルボン大尉が、陸軍砲兵射的学校を設立し大土手山を改築。その後、大土手山はルボン山とも呼ばれるようになった。ルボン山 名所・史跡
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頂上は桜の名所。
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明治期以降、富国強兵策が進められ、陸軍の学校や兵士の宿舎などが立ち並び四街道は軍郷と呼ばれていたが、敗戦後、ベッドタウンとして発展した。
ルボン山のとなりにあった幼稚園。昭和40年開園だそう。子どもの笑い声が響くような平和が続いてほしい。 -
陸軍野戦砲兵学校跡記念碑。
江戸時代末期、佐倉藩主は欧米列強に対抗するため藩内に砲術射的場を築造。その後、1886年(明治19)政府は佐倉市に陸軍砲兵射的学校を開設。1896年には陸軍野戦砲兵射撃学校と改称し、この場所に移設された。 -
当時使われた弾丸の模型。
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文化センターのベンチで、ひと休み。近くにある市役所駐車場の一角には、広島で被爆した「 被爆アオギリ二世」が移植されている。
2時間ほど街歩きしてから、ホテルのある成田へ。 -
JR四街道駅~成田駅へ。今回は、JR成田駅から徒歩5分のセンターホテル成田2 R51へ4泊。
ホテルにチェックインしてから、成田駅前で夕食。
初めて食べた「ながらみ」。関東地方(九十九里浜)や東海地方(駿河湾・浜名湖)などで漁獲され、旬は春から夏。最近はあまり獲れなくなり高級品になってきているとか。
酒の肴にピッタリ。美味。 -
6/1(金)旅2日目
銚子方面で用事を済ませて、昼からビール。
なめろう。新鮮でおいしい。 -
千葉県のHPによると、三方を海に囲まれた千葉県は様々な魚介類が水揚げされ、特に銚子漁港の水揚量は全国1位の漁港だそう。
とにかく、お魚がおいしい。 -
成田に戻って、この日は美食三昧。
夕食の1軒目は、お寿司やさんで刺し盛りからスタート。 -
地酒。長命泉。
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2軒目もお寿司やさんへ。
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九十九里浜の魚介。絶品。お酒が進む。
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〆にサービスでいただいた魚汁とスイカ。
おいしくて幸せなひとときを過ごして、ホテルへ。 -
6/2(土)旅3日目
とっても久しぶりの成田詣で。成田山薬師堂 寺・神社・教会
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薬師堂。1655(明暦元)年に建設された、成田山新勝寺の3代前の本堂。初代市川團十郎 が参拝したのは、このお堂だった。1855(安政2)年に現在地へ移築された。
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成田山新勝寺。
正しくは成田山明王院神護新勝寺と号する関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王(国指定重要文化財)。
平将門が東国において反乱を起こしたとき (将門の乱)、藤原秀郷・平貞盛らの軍勢に攻められて討死し、乱は平定。940年(天慶3年2月14日のことで、この日を新勝寺の開山とし以後東国鎮護の道場になった。
以後、中世は千葉氏の外護を受けたが一時衰退・変遷を経て、1566年(永禄9年)に現在地に移り再興された。成田山新勝寺 寺・神社・教会
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総門。2007(平成19)年築。総欅造の楼門。
成田山新勝寺 寺・神社・教会
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仁王門。国指定重要文化財。1830(文政13)年築。正面向かって左側に密述金剛、右側に那羅延金剛を安置する。
江戸民衆と新勝寺を結び付けるのに一役買ったのが歌舞伎の市川団十郎(屋号成田屋)で、初代団十郎は成田不動の霊験を受けたとして以後代々新勝寺を信仰し、度々「成田不動霊験記」を出開帳に合せて上演して当寺の名を広める役割を果した。成田山新勝寺 寺・神社・教会
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光明堂。国指定重要文化財。1701(元禄14)年築。釈迦堂の前の本堂、2代前の本堂となる。
成田山新勝寺の旧本堂である光明堂・釈迦堂・三重塔・仁王門・額堂の五棟が国の重要文化財に指定されている。一寺院で五棟もまとめて重要文化財に指定されるのは、きわめて異例。 -
三重塔。国指定重要文化財。1712(正徳2)年築。 周囲に十六羅漢の彫刻がある。
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大本堂。1968(昭和43)年築。成田山で最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場で、御本尊である不動明王が安置される。
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醫王殿。2017年(平成29)開基1080年祭記念事業として建立。
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松尾芭蕉句碑
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高浜虚子句碑
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参拝を終えて。成田山参道と言えば、うなぎ。
近江屋 グルメ・レストラン
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300年の歴史を誇る近江屋さん。
近江屋 グルメ・レストラン
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名代上蒲焼きとビールで、幸せなひととき。
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山道にある酒屋さんで地酒や甘酒など購入してから、ホテルに戻ってひと休み。
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日没間近の水郷潮来あやめ園へ。潮来駅から徒歩3分。入場料無料。
シンボルの水雲橋(通称太鼓橋)のたもとに、ろ舟乗り場(前川櫓舟遊覧船待合所)があったけれど、先ずは園内を散策。水郷潮来あやめ園 公園・植物園
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昭和30年前半までは、この地方は水路によって形成された生活形態であったため、嫁入りする際の花嫁や嫁入り道具等を運搬するときにもサッパ舟(ろ舟)が使われていた。これが「嫁入り舟」のはじまりだとされている。
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生活形態や交通手段の変化により嫁入舟は姿を消してしまったが、昭和60年にイベントとして嫁入り舟を復活し、その後、あやめまつり大会においてイベントとして行われようになり、今では水郷潮来を代表する行事となった。
水郷潮来あやめ園 公園・植物園
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手漕ぎの「ろ舟遊覧」。花嫁さんが行く舟路を辿って、30分の遊覧。1000円。
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宵のろ舟遊覧は、風情があって素敵だった。
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遊覧を終えて舟乗り場に戻ると、人力車に乗った花嫁さんが橋を渡って来るとアナウンスが流れた。
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あやめ園に人力車で到着した花嫁さんを、拍手で出迎えて。
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イベントではなく本当の婚礼。仲人と共に花菖蒲の中を進む。
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拍手と歓声に包まれて、嫁入り舟へ。
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お囃子の一行を乗せた舟と共に、宵の嫁入り舟は、ゆっくりと新郎のもとへ進む。
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橋の上も川沿いも、祝福する人でいっぱい。 素敵な嫁入りでした。末永くお幸せに。
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あやめ園内は、端から端まで歩いても500mほどと思ったよりコンパクトだった。
水郷潮来あやめ園 公園・植物園
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成田に戻って夕食。
さわらや グルメ・レストラン
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鯵のたたき。カラッと揚げた骨せんべいも付けてくれた。
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日本酒を飲んでいたら、いろいろ勧められて。
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サービスで頂いた日本酒とパイナップル。店長さんや店員さんとの会話が楽しくて、閉店まで長居。お会計4.150円。安くて美味しかった。
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居酒屋放浪記。まさに、そんな言葉が似合うお店でした。
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