ウィーン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回のウィ-ン市内観光はウィ-ン美術史美術館です。<br />ウィ-ン美術史美術館の入口は豪華で上部のクリムトの絵に迎えら<br />れます。<br />展示している絵の中では特にピーテル・ブリューゲルの作品数は世界<br />最大といわれています。<br />ドイツの巨匠 デュ-ラ-、クラナッハの絵は必見です。<br />ドイツ以外のラファエロ、アルチンボルト、ル-ベンス、<br />カラヴァッジョ、フェルメ-ル、レンブラントの展示も見逃せません。<br />さすがにハプスブルク家のコレクションと思わせる内容でした。<br /><br />□ 7/2(木) <br />日本航空(JL413便)成田空港→フィンランド ヘルシンキ空港<br /> 乗継ぎ フィンエア共同運行日本航空(JL6837便)→ウィ-ン空港                    ウィ-ン泊 <br />□ 7/3(金) メルク修道院、ドナウ川クル-ズ :メルク→ <br />               デュルンシュタイン(下船観光)→ クレムス、<br />               ウィ-ン市立公園  <br />                ウィ-ン泊 <br />□ 7/4(土)  ウィ-ン→ザルツブルク旧市街観光  ザルツブルク泊<br />□ 7/5(日)   ウィ-ン泊                       <br />   午前 レオポルツクローン宮殿,フローンブルク宮 殿, <br />          ミラベル広場            <br />   午後 ザルツカンマーグート観光          <br /> 7/6(月) ウィ-ン市内観光: ウィ-ン泊<br />■午前  ザルツブルクから ウィ-ンへ移動                                           <br />■ 昼    ウィ-ン美術史美術館<br />□ 夕方 ホ-フブルク宮殿、聖ペーター教会 <br />□ 夜    楽友協会ホール <br />□ 7/7(火) ウィ-ン市内観光: ウィ-ン泊<br />    シュテファン寺院、ウィ-ン国立歌劇場,ベ ルヴェデ-レ宮殿,シェ-ン     ブルン宮殿<br />□ 7/8(水)フィンエア共同運行日本航空(JL6836便)ウィーン空港発<br />   フィンランド ヘルシンキ空港   乗継ぎ 日本航空(JL414便)機内泊<br />□  7/9(木)   成田空港着<br /><br />画像はウィ-ン美術史美術館内のカフェ<br />

2015年 オ-ストリアの旅(4) ウィ-ン市内観光 「世界で最も美しいカフェ」のある美術史美術館

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2015/07/06 - 2015/07/06

1210位(同エリア5842件中)

旅行記グループ 2015年オ-ストリア旅行

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MK988さん

今回のウィ-ン市内観光はウィ-ン美術史美術館です。
ウィ-ン美術史美術館の入口は豪華で上部のクリムトの絵に迎えら
れます。
展示している絵の中では特にピーテル・ブリューゲルの作品数は世界
最大といわれています。
ドイツの巨匠 デュ-ラ-、クラナッハの絵は必見です。
ドイツ以外のラファエロ、アルチンボルト、ル-ベンス、
カラヴァッジョ、フェルメ-ル、レンブラントの展示も見逃せません。
さすがにハプスブルク家のコレクションと思わせる内容でした。

□ 7/2(木)
日本航空(JL413便)成田空港→フィンランド ヘルシンキ空港
乗継ぎ フィンエア共同運行日本航空(JL6837便)→ウィ-ン空港 ウィ-ン泊
□ 7/3(金) メルク修道院、ドナウ川クル-ズ :メルク→
デュルンシュタイン(下船観光)→ クレムス、
ウィ-ン市立公園
ウィ-ン泊
□ 7/4(土) ウィ-ン→ザルツブルク旧市街観光 ザルツブルク泊
□ 7/5(日) ウィ-ン泊
午前 レオポルツクローン宮殿,フローンブルク宮 殿,
ミラベル広場
午後 ザルツカンマーグート観光
7/6(月) ウィ-ン市内観光: ウィ-ン泊
■午前 ザルツブルクから ウィ-ンへ移動
■ 昼 ウィ-ン美術史美術館
□ 夕方 ホ-フブルク宮殿、聖ペーター教会
□ 夜 楽友協会ホール
□ 7/7(火) ウィ-ン市内観光: ウィ-ン泊
シュテファン寺院、ウィ-ン国立歌劇場,ベ ルヴェデ-レ宮殿,シェ-ン ブルン宮殿
□ 7/8(水)フィンエア共同運行日本航空(JL6836便)ウィーン空港発
フィンランド ヘルシンキ空港 乗継ぎ 日本航空(JL414便)機内泊
□ 7/9(木) 成田空港着

画像はウィ-ン美術史美術館内のカフェ

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 8:53<br />小雨が降って来たのでホテルからタクシ-でザルツブルク駅に到着。<br />

    8:53
    小雨が降って来たのでホテルからタクシ-でザルツブルク駅に到着。

  • レイルジェットでザルツブルク駅(9:08発)からウィ-ン西駅(11:30着)へ

    レイルジェットでザルツブルク駅(9:08発)からウィ-ン西駅(11:30着)へ

  • 9:38<br />車窓はきれいな田園風景

    9:38
    車窓はきれいな田園風景

  • 車窓からネギ坊主の塔を持つ教会

    車窓からネギ坊主の塔を持つ教会

  • 10:00<br />景色が大きな窓から見渡せる食堂車でコ-ヒ-を注文。

    10:00
    景色が大きな窓から見渡せる食堂車でコ-ヒ-を注文。

  • 12:55<br />ホテル・リング(The Ring - Vienna&#39;s Casual Luxury Hotel)に到着。<br />航空券とセットで割安で宿泊。<br />玄関前がものものしい5ツ星ホテルと違いアットホ-ム。<br />フロントの男性は笑顔でとてもフレンドリ-で威圧感がない。<br />5ツ星ホテルはさすがにインテリアの雰囲気が良く、布団のクッション<br />が心地よい。<br />宿泊者はアジア系でも日本近隣の国は私達だけでインド系、中近東系の<br />人が目立った。

    12:55
    ホテル・リング(The Ring - Vienna's Casual Luxury Hotel)に到着。
    航空券とセットで割安で宿泊。
    玄関前がものものしい5ツ星ホテルと違いアットホ-ム。
    フロントの男性は笑顔でとてもフレンドリ-で威圧感がない。
    5ツ星ホテルはさすがにインテリアの雰囲気が良く、布団のクッション
    が心地よい。
    宿泊者はアジア系でも日本近隣の国は私達だけでインド系、中近東系の
    人が目立った。

  • 室内は現代的なデザイン

    室内は現代的なデザイン

  • バスル-ム

    バスル-ム

  • 14:25<br />マリアテレジア広場(Maria Theresien Platz)にはマリアテレジア像<br />(Maria Theresia)がある。<br />後方は自然史博物館。<br />

    14:25
    マリアテレジア広場(Maria Theresien Platz)にはマリアテレジア像
    (Maria Theresia)がある。
    後方は自然史博物館。

  • 拡大

    拡大

  • 14:25<br />美術史美術館 Kunsthistorisches Museumに到着。<br />収蔵作品数	約2,200<br />来館者数	769,119人 (2016年)<br />開館	1891年<br />ネオ・ルネサンス様式の建築にはゴットフリート・ゼンパーが1876年迄<br />その後を引き継いでカール・ハーゼナウア (Karl Hasenauer) が行う。<br />自然史博物館と良く似ているが正面入り口の左右にある彫刻が異なる。<br /><br />

    14:25
    美術史美術館 Kunsthistorisches Museumに到着。
    収蔵作品数 約2,200
    来館者数 769,119人 (2016年)
    開館 1891年
    ネオ・ルネサンス様式の建築にはゴットフリート・ゼンパーが1876年迄
    その後を引き継いでカール・ハーゼナウア (Karl Hasenauer) が行う。
    自然史博物館と良く似ているが正面入り口の左右にある彫刻が異なる。

  • 14:35<br />美術史美術館入口

    14:35
    美術史美術館入口

  • 14:35<br />階段を上る

    14:35
    階段を上る

  • 階段にあるハプスブルグ家のワッペンの彫刻。

    階段にあるハプスブルグ家のワッペンの彫刻。

  • 14:35<br />大階段ホール<br />階段の踊り場で反転すると豪華な壁画が見える。<br />

    14:35
    大階段ホール
    階段の踊り場で反転すると豪華な壁画が見える。

  • 3対のアーチのすぐ上にクリムト1891年作の壁画がある。

    3対のアーチのすぐ上にクリムト1891年作の壁画がある。

  • 左のア-チの上にある壁画 「ローマとヴェネツィアの1400年代」<br />15世紀は初期ルネサンス の時代<br />左 十字架を持っている女性がエクレシアEcclesiaはキリスト教の象徴<br />右 ヴェネツィア総督レオナルド・ロレダン Leonardo Loredan<br /><br />

    左のア-チの上にある壁画 「ローマとヴェネツィアの1400年代」
    15世紀は初期ルネサンス の時代
    左 十字架を持っている女性がエクレシアEcclesiaはキリスト教の象徴
    右 ヴェネツィア総督レオナルド・ロレダン Leonardo Loredan

  • 十字架を持っている女性のエクレシアEcclesiaの拡大

    十字架を持っている女性のエクレシアEcclesiaの拡大

  • 中央のア-チ<br />右 裸体の女性が産婦を表現している「エジプト I」<br />左 古代ギリシャ女神アテネ像

    中央のア-チ
    右 裸体の女性が産婦を表現している「エジプト I」
    左 古代ギリシャ女神アテネ像

  • 中央のア-チ左側の壁画  「古代ギリシャ」<br />右 赤い服の女性は女神Athena Parthenos(アテナ・パルテノス)<br />左 女神Athena Promachos(アテナ・プロマコス)<br /><br />

    中央のア-チ左側の壁画 「古代ギリシャ」
    右 赤い服の女性は女神Athena Parthenos(アテナ・パルテノス)
    左 女神Athena Promachos(アテナ・プロマコス)

  • 中央のア-チの右側の壁画  「」エジプト<br />左 裸体の女性が産婦(生)を表現している「エジプト I」<br />右 柱の横に立っている女性像が死を表現「エジプト II」

    中央のア-チの右側の壁画 「」エジプト
    左 裸体の女性が産婦(生)を表現している「エジプト I」
    右 柱の横に立っている女性像が死を表現「エジプト II」

  • 右のア-チの壁画<br />「Altitalienische Kunst 古いイタリア芸術」<br />14世紀から15世紀初頭を表している。<br />左 イタリアの神曲の作家ダンテ<br />右 神曲の女性の絵か<br />残り3面の同じアーチの上には、エルンスト、クリムト、フランツ・<br />マッチュ、3人の共同作品<br />

    右のア-チの壁画
    「Altitalienische Kunst 古いイタリア芸術」
    14世紀から15世紀初頭を表している。
    左 イタリアの神曲の作家ダンテ
    右 神曲の女性の絵か
    残り3面の同じアーチの上には、エルンスト、クリムト、フランツ・
    マッチュ、3人の共同作品

  • 14:36<br />豪華絢爛な階段ホールにある天井画ムンカーツィ作の<br />「ルネッサンス賛歌」140平方mの面積

    14:36
    豪華絢爛な階段ホールにある天井画ムンカーツィ作の
    「ルネッサンス賛歌」140平方mの面積

  • 14:37<br />豪華な階段ホール、下に「ケンタウロスと戦うテセウスの像」がある<br />ため、劇的なシ-ンが今ここで行われているような錯覚をする。

    イチオシ

    14:37
    豪華な階段ホール、下に「ケンタウロスと戦うテセウスの像」がある
    ため、劇的なシ-ンが今ここで行われているような錯覚をする。

  • ケンタウロスと戦うテセウスの像<br />アテナイ王子テセウスが半人半馬のケンタウロスを撃退する。<br />カノーヴァのケンタウロスと戦うテセウスの像はもともとナポレオン<br />のために制作されたが、ナポレオンが引き取らなかったためフランツ<br />皇帝の物になったといわれている。<br />国民庭園のテセウス神殿に置いてあったものを美術史美術館が開設し<br />た1890年に移設。

    ケンタウロスと戦うテセウスの像
    アテナイ王子テセウスが半人半馬のケンタウロスを撃退する。
    カノーヴァのケンタウロスと戦うテセウスの像はもともとナポレオン
    のために制作されたが、ナポレオンが引き取らなかったためフランツ
    皇帝の物になったといわれている。
    国民庭園のテセウス神殿に置いてあったものを美術史美術館が開設し
    た1890年に移設。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries<br />ラファエロ・サンティ<br />Raffaello Santi 1483-1523<br />イタリアのルネサンス期の3大巨匠(ダ・ビンチ、ミケランジェロ、<br />ラファエロ)のひとり。<br /><br />「草原の聖母」 MADONNA IM GRÜNEN 1505-1506作<br />印象的な三角形の安定した聖母子の構図、時空を越えた緑の草原。<br /><br /><br />

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries
    ラファエロ・サンティ
    Raffaello Santi 1483-1523
    イタリアのルネサンス期の3大巨匠(ダ・ビンチ、ミケランジェロ、
    ラファエロ)のひとり。

    「草原の聖母」 MADONNA IM GRÜNEN 1505-1506作
    印象的な三角形の安定した聖母子の構図、時空を越えた緑の草原。


  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries<br />ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Tiziano Vecellio、<br />1488年/1490年頃 - 1576年<br />ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人<br />ヴェネツィア共和国ベッルーノ近郊のピエーヴェ・ディ・カドー<br />レ生まれ<br /><br />『ルクレツィアと夫コッラティヌス』<br />Lukrezia und ihr Gemahl Lucius Tarquinius Collatinus 1515年作<br />ルクレツィアが夫の前で自決する場面を描いた。<br />あらすじ<br />紀元前509年、ローマはルトゥリ人(英語版)のアルデアを攻撃中で、<br />ルクレティアの夫コッラティヌスもこの陣中に滞在していた。この陣中<br />でルキウス・タルクィニウス・スペルブス王の王子セクストゥス・タル<br />クィニウスらとコッラティヌスは妻を比べあった結果、陣営を抜け出し<br />実際に妻たちのもとへ行きその貞淑を確かめることになった。王家の妻<br />たちが宴会に興じているのに対してルクレティアだけは夫の留守を守り、<br />貞節を守っていた。この結果を確認したのち一行は陣中に戻っていった。<br /><br />このときルクレティアの姿を見たセクストゥスは彼女に横恋慕し、数日後<br />今度は一人でルクレティアのもとを訪れた。夜になり、セクストゥスはル<br />クレティアを強姦しようとし部屋に侵入した。剣で脅したがルクレティア<br />は死をおそれず屈しなかった。しかし殺害後に裸の奴隷の死体とともに置<br />き姦通の最中に殺されたかのようにするとの脅しには、その恥辱に耐える<br />ことはできなかった。<br /><br />セクストゥスの去った後、ルクレティアはローマの父と陣営の夫を呼び出<br />した。父はプブリウス・ウァレリウスを、夫はルキウス・ユニウス・ブル<br />トゥスを伴って駆けつけた。ルクレティアはそろった4人の男の前ですべ<br />てを告白し、男たちに復讐を誓わせると短剣で自らの命を絶った。<br /><br />この事件が契機となり復讐を誓った男たちは民衆に呼び掛け、王家はロー<br />マから追放された。

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Tiziano Vecellio、
    1488年/1490年頃 - 1576年
    ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人
    ヴェネツィア共和国ベッルーノ近郊のピエーヴェ・ディ・カドー
    レ生まれ

    『ルクレツィアと夫コッラティヌス』
    Lukrezia und ihr Gemahl Lucius Tarquinius Collatinus 1515年作
    ルクレツィアが夫の前で自決する場面を描いた。
    あらすじ
    紀元前509年、ローマはルトゥリ人(英語版)のアルデアを攻撃中で、
    ルクレティアの夫コッラティヌスもこの陣中に滞在していた。この陣中
    でルキウス・タルクィニウス・スペルブス王の王子セクストゥス・タル
    クィニウスらとコッラティヌスは妻を比べあった結果、陣営を抜け出し
    実際に妻たちのもとへ行きその貞淑を確かめることになった。王家の妻
    たちが宴会に興じているのに対してルクレティアだけは夫の留守を守り、
    貞節を守っていた。この結果を確認したのち一行は陣中に戻っていった。

    このときルクレティアの姿を見たセクストゥスは彼女に横恋慕し、数日後
    今度は一人でルクレティアのもとを訪れた。夜になり、セクストゥスはル
    クレティアを強姦しようとし部屋に侵入した。剣で脅したがルクレティア
    は死をおそれず屈しなかった。しかし殺害後に裸の奴隷の死体とともに置
    き姦通の最中に殺されたかのようにするとの脅しには、その恥辱に耐える
    ことはできなかった。

    セクストゥスの去った後、ルクレティアはローマの父と陣営の夫を呼び出
    した。父はプブリウス・ウァレリウスを、夫はルキウス・ユニウス・ブル
    トゥスを伴って駆けつけた。ルクレティアはそろった4人の男の前ですべ
    てを告白し、男たちに復讐を誓わせると短剣で自らの命を絶った。

    この事件が契機となり復讐を誓った男たちは民衆に呼び掛け、王家はロー
    マから追放された。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries<br /> 本名フランチェスコ・マッツォーラ<br />Girolamo Francesco Maria Mazzola <br />通称 パルミジャニーノ<br />イタリア パルマ生まれ<br /><br />「凸面鏡の自画像」<br />Selbstbildnis im Konvexspiegel  1523/1524作<br />手前においた手は拡大され、窓から天井は大きく湾曲しているが、<br />顔だけは湾曲していない。<br />この絵でロ-マへデビュ-し高い評価を得た。<br />

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries
    本名フランチェスコ・マッツォーラ
    Girolamo Francesco Maria Mazzola
    通称 パルミジャニーノ
    イタリア パルマ生まれ

    「凸面鏡の自画像」
    Selbstbildnis im Konvexspiegel 1523/1524作
    手前においた手は拡大され、窓から天井は大きく湾曲しているが、
    顔だけは湾曲していない。
    この絵でロ-マへデビュ-し高い評価を得た。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries<br />本名 ジャコポ ロブスティ Jacopo Robusti 1518年-1594年<br />通称 ティントレット Tintoretto<br />父が染物屋だったので染物屋の息子=ティントレットと呼ばれる。<br />ティツィアーノの門下で16世紀ヴェネツィア派を代表する画家<br /><br />「若い女性の肖像」<br />Bildnis einer jungen Dame 1553/1555作

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries
    本名 ジャコポ ロブスティ Jacopo Robusti 1518年-1594年
    通称 ティントレット Tintoretto
    父が染物屋だったので染物屋の息子=ティントレットと呼ばれる。
    ティツィアーノの門下で16世紀ヴェネツィア派を代表する画家

    「若い女性の肖像」
    Bildnis einer jungen Dame 1553/1555作

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries<br />本名 ジャコポ ロブスティ Jacopo Robusti 1518年-1594年<br />通称 ティントレット Tintoretto<br />父が染物屋だったので染物屋の息子=ティントレットと呼ばれる。<br /><br />「白いひげを生やした男」<br /> Bildnis eines weißbärtigen Mannes <br />1570作<br />エル・グレコが1567年頃から1576年頃までヴェネツィアに渡り<br />ティツィアーノに弟子入りしていたのでティントレットとは兄弟<br />弟子か。<br />エル・グレコ作「ジュリオ・クローヴィオの肖像」1572はこの<br />「白いひげを生やした男」と絵の雰囲気が似ている。<br />ティントレットとエル・グレコの絵の優劣は付け難く、両者とも<br />歴史に残る大画家に違いない。<br />

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th - 16th centuries
    本名 ジャコポ ロブスティ Jacopo Robusti 1518年-1594年
    通称 ティントレット Tintoretto
    父が染物屋だったので染物屋の息子=ティントレットと呼ばれる。

    「白いひげを生やした男」
    Bildnis eines weißbärtigen Mannes
    1570作
    エル・グレコが1567年頃から1576年頃までヴェネツィアに渡り
    ティツィアーノに弟子入りしていたのでティントレットとは兄弟
    弟子か。
    エル・グレコ作「ジュリオ・クローヴィオの肖像」1572はこの
    「白いひげを生やした男」と絵の雰囲気が似ている。
    ティントレットとエル・グレコの絵の優劣は付け難く、両者とも
    歴史に残る大画家に違いない。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries<br />ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)<br />ミラノ生まれ マニエリスムの画家<br />アルチンボルドはウィーンにて1562年から1593年まで宮廷画家。<br /><br />「夏」 <br />Sommer 1563年作 <br />連作『四季』の中の1枚<br />野菜、果物から構成。新大陸からもたらされたトウモロコシやインド<br />からのナスを配置し絵を見る人へアピ-ルしたらしい。

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries
    ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)
    ミラノ生まれ マニエリスムの画家
    アルチンボルドはウィーンにて1562年から1593年まで宮廷画家。

    「夏」
    Sommer 1563年作
    連作『四季』の中の1枚
    野菜、果物から構成。新大陸からもたらされたトウモロコシやインド
    からのナスを配置し絵を見る人へアピ-ルしたらしい。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries<br />ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)<br /><br />「冬」<br />Winter 1563年作 <br />絵は連作『四季』の中の1枚<br />頭上の月桂冠のような枝と外套のMの文字から神聖ロ-マ帝国の<br />当時の皇帝の肖像と見られている。<br />ル-ブル美術館、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに同じシリ<br />-ズの絵があり奇妙なだまし絵だがルネサンス当時はこういう変<br />わった嗜好は人気があったようだ。20世紀の画家ダリに通じる。<br /><br />この絵は2017年上野の西洋美術館の展覧会で展示。

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries
    ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)

    「冬」
    Winter 1563年作
    絵は連作『四季』の中の1枚
    頭上の月桂冠のような枝と外套のMの文字から神聖ロ-マ帝国の
    当時の皇帝の肖像と見られている。
    ル-ブル美術館、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに同じシリ
    -ズの絵があり奇妙なだまし絵だがルネサンス当時はこういう変
    わった嗜好は人気があったようだ。20世紀の画家ダリに通じる。

    この絵は2017年上野の西洋美術館の展覧会で展示。

  • イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries<br />ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)<br /><br />「水」<br />Wasser 1566年作<br />連作『四大元素』の中の1枚、「冬」とペアで並べて展示される。<br />女性は海を象徴していて、魚貝、甲殻類から構成されているのは<br />女性の顔とされる。<br /><br /><br /><br />

    イタリア15世紀-16世紀の絵画 Italy 15th- 16th centuries
    ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526-1593)

    「水」
    Wasser 1566年作
    連作『四大元素』の中の1枚、「冬」とペアで並べて展示される。
    女性は海を象徴していて、魚貝、甲殻類から構成されているのは
    女性の顔とされる。



  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi<br />通称 カラヴァッジョ 1571年9月28日 - 1610年7月18日<br />(カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)<br />光と陰の明暗、徹底した写実が特徴の画風のバロック絵画の先駆者 。<br />喧嘩早いので悪名が高く殺人をして逃避したため忘れられた存在になる。<br /><br />『ロザリオの聖母』<br />Rosenkranzmadonna 1601作<br />聖母子を中心に左右のドメニコ会修道士で構成される巨大な三角形の構図<br />ドミニコ会の創設者である聖ドミニコ(1170 - 1221年)がアルビの聖堂<br />で祈っている時に聖母マリアからロザリオを授けられたと言われている。<br />この絵はカラヴァッジョが殺人をして司法権が及ばないナポリで有力貴族<br />コロンナ家の庇護を受けた頃に描かれた。<br /><br />

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi
    通称 カラヴァッジョ 1571年9月28日 - 1610年7月18日
    (カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)
    光と陰の明暗、徹底した写実が特徴の画風のバロック絵画の先駆者 。
    喧嘩早いので悪名が高く殺人をして逃避したため忘れられた存在になる。

    『ロザリオの聖母』
    Rosenkranzmadonna 1601作
    聖母子を中心に左右のドメニコ会修道士で構成される巨大な三角形の構図
    ドミニコ会の創設者である聖ドミニコ(1170 - 1221年)がアルビの聖堂
    で祈っている時に聖母マリアからロザリオを授けられたと言われている。
    この絵はカラヴァッジョが殺人をして司法権が及ばないナポリで有力貴族
    コロンナ家の庇護を受けた頃に描かれた。

  • 拡大<br />聖母マリアとキリスト

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    聖母マリアとキリスト

  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi<br />通称 カラヴァッジョ<br /> (カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)<br /><br />「ゴリアテの首を持つダヴィデ」<br />David mit dem Haupt des Goliath<br /> 1600/1601作<br />イスラエル王となるダヴィデがペリシテ軍の屈強な闘士ゴリアテを倒し、<br />その首を掲げている。<br />

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi
    通称 カラヴァッジョ
    (カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)

    「ゴリアテの首を持つダヴィデ」
    David mit dem Haupt des Goliath
    1600/1601作
    イスラエル王となるダヴィデがペリシテ軍の屈強な闘士ゴリアテを倒し、
    その首を掲げている。

  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi<br />通称 カラヴァッジョ<br /> (カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)<br /><br />「エマオの晩餐 」 <br />Christus und die Jünger in Emmaus <br />1621作<br />ロンドンのナショナルギャラリ-「エマオの晩餐 」に似た構図<br /><br />新約聖書のルカの福音書「エマオの晩餐 」の一節<br />イエスは復活後にエマオの途中で、クレオパに近づいて彼らと語りながら歩いた。<br />そして食事の招待を受け感謝してパンを裂いた時に、それがイエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    本名ミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi
    通称 カラヴァッジョ
    (カラヴァッジョ はペストを避けミラノから移住した村名)

    「エマオの晩餐 」
    Christus und die Jünger in Emmaus
    1621作
    ロンドンのナショナルギャラリ-「エマオの晩餐 」に似た構図

    新約聖書のルカの福音書「エマオの晩餐 」の一節
    イエスは復活後にエマオの途中で、クレオパに近づいて彼らと語りながら歩いた。
    そして食事の招待を受け感謝してパンを裂いた時に、それがイエスだと分かったが、その時イエスは見えなくなった。

  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />ロレンツォ リッピ<br />Lorenzo Lippi (1606 - 1665) <br />フィレンツェで幾つかの芸術制作をしたのち、クラウディア・デ・<br />メディチ(レオポルド五世ダウストリアの未亡人で、トリオロ伯爵<br />夫人)の随行員としてインスブルックへ、宮廷画家として移り住んだ。<br /><br />「キリストとサマリアの女」<br /> Christus und die Samariterin <br />1644年作<br />男の衣服の赤と青の美しさに見とれたが、あとで調べると男はキリスト<br />だった。よく見るとキリストの頭の上には光の輪が描かれている。<br /><br />あらすじ<br />イエスはサマリアの女に「水を飲ませてください」と言った。<br />サマリアの女は驚いて、<br />「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリアの女のわたしに、<br />飲ませてくれとおっしゃるのですか」と言った。<br />女はイエスが自分に話しかけただけではなく、自分の器から水を飲む<br />ということに驚いた。<br />それは当時の性差別、人種差別、階級制度による常識では、普通には<br />考えられないことだった。<br /><br />この絵は以上の情景を描いていた。さらに聖書は続く。<br />キリストは話題を変え、「あなたの夫を連れてきなさい」と言った。<br />そして女が知られたくないと思ったであろう過去、すなわち、五人<br />の夫があったこと、今は結婚していないが六人目の男と一緒に生活<br />していることを言い当てる。<br />これは、イエスには隠し事ができないことを知らせ、女に真実を語<br />るようにうながすと同時に、自分のほんとうの姿を自覚させるため<br />であった。<br />イエスは彼女が霊的渇きを覚えていること、それが異性遍歴につな<br />がっていることを読み取り、女にその自覚を促すことを意図してい<br />ると思われる。<br />この女性は多くのサマリア人を連れてきて、<br />「この人は、私のしたことを何もかも言いあてました」と証言し、<br />彼らはイエスがメシアであることを信じた。<br /><br /><br /><br />

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    ロレンツォ リッピ
    Lorenzo Lippi (1606 - 1665)
    フィレンツェで幾つかの芸術制作をしたのち、クラウディア・デ・
    メディチ(レオポルド五世ダウストリアの未亡人で、トリオロ伯爵
    夫人)の随行員としてインスブルックへ、宮廷画家として移り住んだ。

    「キリストとサマリアの女」
    Christus und die Samariterin
    1644年作
    男の衣服の赤と青の美しさに見とれたが、あとで調べると男はキリスト
    だった。よく見るとキリストの頭の上には光の輪が描かれている。

    あらすじ
    イエスはサマリアの女に「水を飲ませてください」と言った。
    サマリアの女は驚いて、
    「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリアの女のわたしに、
    飲ませてくれとおっしゃるのですか」と言った。
    女はイエスが自分に話しかけただけではなく、自分の器から水を飲む
    ということに驚いた。
    それは当時の性差別、人種差別、階級制度による常識では、普通には
    考えられないことだった。

    この絵は以上の情景を描いていた。さらに聖書は続く。
    キリストは話題を変え、「あなたの夫を連れてきなさい」と言った。
    そして女が知られたくないと思ったであろう過去、すなわち、五人
    の夫があったこと、今は結婚していないが六人目の男と一緒に生活
    していることを言い当てる。
    これは、イエスには隠し事ができないことを知らせ、女に真実を語
    るようにうながすと同時に、自分のほんとうの姿を自覚させるため
    であった。
    イエスは彼女が霊的渇きを覚えていること、それが異性遍歴につな
    がっていることを読み取り、女にその自覚を促すことを意図してい
    ると思われる。
    この女性は多くのサマリア人を連れてきて、
    「この人は、私のしたことを何もかも言いあてました」と証言し、
    彼らはイエスがメシアであることを信じた。



  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />ベルナルド・ベッロット Bernardo Bellotto 1720年- 1780年<br />ベッロットはヴェネツィアで生まれ14歳から伯父カナレットの元で修行<br />を積んだ。1747年から1758年にかけ、彼はザクセン選帝侯でもあるポ<br />ーランド王アウグスト王の招きに従い、ヴェネツィアからドレスデンへ<br />赴く。1758年にハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの招きでウィー<br />ンへ向かった。ここで彼は市内の記念物を描いた。<br />その後ポーランド宮廷画家となりワルシャワで没。ワルシャワを描いた<br />絵画は、第二次世界大戦で焼け野原となったワルシャワ歴史地区復興の<br />参考資料となった。<br /><br />「シェーンブルン宮殿、庭園側 」 <br />Das kaiserliche Lustschloß Schönbrunn, Gartenseite  <br />1759-1760作<br />画風は精巧な建築物の描写や自然の眺望の正確な描写にカメラ・オブスキ<br />ュラを使用しあるがままの日常生活の光景を描いた。

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    ベルナルド・ベッロット Bernardo Bellotto 1720年- 1780年
    ベッロットはヴェネツィアで生まれ14歳から伯父カナレットの元で修行
    を積んだ。1747年から1758年にかけ、彼はザクセン選帝侯でもあるポ
    ーランド王アウグスト王の招きに従い、ヴェネツィアからドレスデンへ
    赴く。1758年にハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの招きでウィー
    ンへ向かった。ここで彼は市内の記念物を描いた。
    その後ポーランド宮廷画家となりワルシャワで没。ワルシャワを描いた
    絵画は、第二次世界大戦で焼け野原となったワルシャワ歴史地区復興の
    参考資料となった。

    「シェーンブルン宮殿、庭園側 」
    Das kaiserliche Lustschloß Schönbrunn, Gartenseite
    1759-1760作
    画風は精巧な建築物の描写や自然の眺望の正確な描写にカメラ・オブスキ
    ュラを使用しあるがままの日常生活の光景を描いた。

  • イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries<br />ベルナルド・ベッロット Bernardo Bellotto 1720年- 1780年<br /><br />「ベルヴェデーレから見たウィーン 」<br />Wien, vom Belvedere aus gesehen<br /> 1759-1760作<br /><br /><br /><br />

    イタリア17世紀-18世紀の絵画 Italy 17th-18th centuries
    ベルナルド・ベッロット Bernardo Bellotto 1720年- 1780年

    「ベルヴェデーレから見たウィーン 」
    Wien, vom Belvedere aus gesehen
    1759-1760作



  • ドイツの絵画 Germany<br />アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年 <br />ドイツのルネサンス期の大画家。<br />父はハンガリ-からドイツ南部に移住した金銀細工師。<br /><br />『若きヴェネツィアの女性の肖像』 <br />einer jungen Venezianerin <br />1505作<br />美術史美術館で有名な絵の一つ。物思いに耽るような目、カ-ル<br />した髪の若い女性が黒の背景で生命感が一層引き立つ。<br />二度目のヴェネチア旅行でイタリアルネサンス期の理知的な画風<br />のジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃 - 15<br />16年)と親交を結び影響を受けた。<br />

    ドイツの絵画 Germany
    アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年
    ドイツのルネサンス期の大画家。
    父はハンガリ-からドイツ南部に移住した金銀細工師。

    『若きヴェネツィアの女性の肖像』
    einer jungen Venezianerin
    1505作
    美術史美術館で有名な絵の一つ。物思いに耽るような目、カ-ル
    した髪の若い女性が黒の背景で生命感が一層引き立つ。
    二度目のヴェネチア旅行でイタリアルネサンス期の理知的な画風
    のジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430年頃 - 15
    16年)と親交を結び影響を受けた。

  • ドイツの絵画 Germany<br />アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年 <br /><br />「1万人のキリスト教徒の殉教」 <br />Marter der zehntausend Christen <br />1508<br />2世紀頃ローマ皇帝ハドリアヌスとアントニヌスがオリエント王7名<br />を招集しアカツィウス率いるキリスト教のアルメニアの9千人の軍勢<br />とロ-マ兵でキリスト教に改宗した千人、計1万人のキリスト教徒を<br />様々な刑によって虐殺した事件の情景を描いた作品。<br />画面中央の黒衣の二人の男の右は画家デューラー、左に友人の詩人コ<br />ンラート・ケルティス。虐殺を命令したハドリアヌス帝は右手にこん<br />棒のような棒を持ったタ-バンの男らしい。その反対の左にいる司祭<br />の白い法服を着ているのがアカツィウス。<br />上にはノアの方舟がとまったとされるアララト山から茨の茂みに突き<br />落とされる兵士達。<br />デューラーが当時オスマン帝国によるキリスト教に対する脅威を暗示し<br />た絵画。

    ドイツの絵画 Germany
    アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年

    「1万人のキリスト教徒の殉教」
    Marter der zehntausend Christen
    1508
    2世紀頃ローマ皇帝ハドリアヌスとアントニヌスがオリエント王7名
    を招集しアカツィウス率いるキリスト教のアルメニアの9千人の軍勢
    とロ-マ兵でキリスト教に改宗した千人、計1万人のキリスト教徒を
    様々な刑によって虐殺した事件の情景を描いた作品。
    画面中央の黒衣の二人の男の右は画家デューラー、左に友人の詩人コ
    ンラート・ケルティス。虐殺を命令したハドリアヌス帝は右手にこん
    棒のような棒を持ったタ-バンの男らしい。その反対の左にいる司祭
    の白い法服を着ているのがアカツィウス。
    上にはノアの方舟がとまったとされるアララト山から茨の茂みに突き
    落とされる兵士達。
    デューラーが当時オスマン帝国によるキリスト教に対する脅威を暗示し
    た絵画。

  • ドイツの絵画 Germany<br />アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年 <br /><br />「切った梨を持つ聖母子 」<br /> Maria mit Kind <br /> 1512作<br />マリアの視力が低い状態はキリストの磔を暗示。<br />キリストは切った梨を手に持っている。<br />

    ドイツの絵画 Germany
    アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年

    「切った梨を持つ聖母子 」
    Maria mit Kind
    1512作
    マリアの視力が低い状態はキリストの磔を暗示。
    キリストは切った梨を手に持っている。

  • ドイツの絵画 Germany<br />アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年 <br /><br />『神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世』<br />Kaiser Maximilian I. <br />1519年<br />マクシミリアン1世( 1459年-1519年)は、神聖ローマ帝国の<br />ローマ皇帝(1508年 - 1519年)、ローマ王(ドイツ王、在位:<br />1486年-1493年)、オーストリア大公。<br />自身と子・孫の結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛<br />の基礎を築いた。武勇に秀で体躯に恵まれ、デューラーなど芸術<br />の保護者であったことから、中世最後の騎士とも謳われる。<br />マクシミリアン1世の死後に製作、ブルジョワの服を着て手には<br />自身の紋章に使用のザクロを持つ。<br />また殻が固いザクロはイスラムの鉄壁のグラナダ王国を象徴し、<br />息子の義父フェルナンド2世がグラナダを1492年征服したことも<br />示す。<br />

    ドイツの絵画 Germany
    アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年

    『神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世』
    Kaiser Maximilian I.
    1519年
    マクシミリアン1世( 1459年-1519年)は、神聖ローマ帝国の
    ローマ皇帝(1508年 - 1519年)、ローマ王(ドイツ王、在位:
    1486年-1493年)、オーストリア大公。
    自身と子・孫の結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛
    の基礎を築いた。武勇に秀で体躯に恵まれ、デューラーなど芸術
    の保護者であったことから、中世最後の騎士とも謳われる。
    マクシミリアン1世の死後に製作、ブルジョワの服を着て手には
    自身の紋章に使用のザクロを持つ。
    また殻が固いザクロはイスラムの鉄壁のグラナダ王国を象徴し、
    息子の義父フェルナンド2世がグラナダを1492年征服したことも
    示す。

  • ドイツの絵画 Germany<br />アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年 <br /><br />「諸聖人の絵」<br />Allerheiligenbild (&quot;Landauer Altar&quot;)<br />1511<br />鉱山経営で富を蓄えたニュルンベルクの大商人マテウス・ランダウアー<br />(Matthäus Landauer)が、老人ホ-ムのような「ランダウアー12人<br />兄弟館」の礼拝堂に寄贈した祭壇画。<br />アウレリウス・アウグスティヌ著「神の国」に基づいた絵画。<br />最後の審判ののちに出現する神の国において、旧約の人物たち、諸聖人、<br />選ばれた者たちが、聖三位一体(父、子、聖霊)を礼拝するという場面<br />を表している。<br />画面上部中央に、磔刑に処せられてキリストと、その背後に父なる神が、<br />そして神の頭上の逆アーチ状の空間に鳩が描かれているが、この鳩が聖<br />霊であり、この三者をあわせて、「父と子と聖霊」の三位一体というこ<br />とになる。<br />画面は上下に二つないし三つに分割され、上部の三位一体の周囲には、<br />モーゼやダヴィデ、洗礼者ヨハネのほか殉教した聖人たちからなる天国<br />の共同体が描かれ、下部には教皇や皇帝をはじめとして現世のあらゆる<br />階層の人々からなるキリスト教の共同体が描かれて現世と天国の各共同<br />体が共に三位一体を礼拝する時を予測している。<br />登場人物のそれぞれは、ランダウアー家の人々をモデルにしているとい<br />われマテウス・ランダウアーは一番下の列の左側。<br />最下部には広々とした平原が広がり、その右端には台を前にしてデュー<br />ラーが立っていて持っている板には、「ノリクムの人アルベルトゥス・<br />デューラー、聖母御懐胎の後1511年に作れり」とラテン語で記されて<br />いる。ノリクムはニュルンベルグのラテン名。

    ドイツの絵画 Germany
    アルブレヒト・デューラー Albrecht Dürer 1471年 - 1528年

    「諸聖人の絵」
    Allerheiligenbild ("Landauer Altar")
    1511
    鉱山経営で富を蓄えたニュルンベルクの大商人マテウス・ランダウアー
    (Matthäus Landauer)が、老人ホ-ムのような「ランダウアー12人
    兄弟館」の礼拝堂に寄贈した祭壇画。
    アウレリウス・アウグスティヌ著「神の国」に基づいた絵画。
    最後の審判ののちに出現する神の国において、旧約の人物たち、諸聖人、
    選ばれた者たちが、聖三位一体(父、子、聖霊)を礼拝するという場面
    を表している。
    画面上部中央に、磔刑に処せられてキリストと、その背後に父なる神が、
    そして神の頭上の逆アーチ状の空間に鳩が描かれているが、この鳩が聖
    霊であり、この三者をあわせて、「父と子と聖霊」の三位一体というこ
    とになる。
    画面は上下に二つないし三つに分割され、上部の三位一体の周囲には、
    モーゼやダヴィデ、洗礼者ヨハネのほか殉教した聖人たちからなる天国
    の共同体が描かれ、下部には教皇や皇帝をはじめとして現世のあらゆる
    階層の人々からなるキリスト教の共同体が描かれて現世と天国の各共同
    体が共に三位一体を礼拝する時を予測している。
    登場人物のそれぞれは、ランダウアー家の人々をモデルにしているとい
    われマテウス・ランダウアーは一番下の列の左側。
    最下部には広々とした平原が広がり、その右端には台を前にしてデュー
    ラーが立っていて持っている板には、「ノリクムの人アルベルトゥス・
    デューラー、聖母御懐胎の後1511年に作れり」とラテン語で記されて
    いる。ノリクムはニュルンベルグのラテン名。

  • ドイツの絵画 Germany<br />ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) <br />1472年- 1553年<br />ルネサンス期ドイツのデユ-ラ-と並ぶ同世代の大画家。<br />ルーカス・クラナッハは1472年に画家ヨハネスの子として、<br />ドイツ・ニューレンベルク地方のクロナッハに生まれた。<br />当時の風習で、姓は地名に由来している。<br />同名の息子も画家のため、ルーカス・クラナッハ (父) と表記<br />されることが多い。<br />マルティン・ルターの宗教改革を全面的に支援し、宗教改革に<br />大きく貢献した。<br />2016年西洋美術館でウイ-ン美術史美術館のクラナッハの展覧会で見られた。<br /><br />「アダムとイブ」Adam und Eva 1510/1520<br />知識の木で二つの絵はつながりを持つ。<br />イブはアダムにリンゴを食べるように誘惑する。<br />クラナッハは、こうした「女の誘惑」「女のたくらみ」という<br />テーマを繰り返し描く。「女の誘惑」「女のたくらみ」には<br />気をつけろという男性に対する戒めが込められているがクラナ<br />ッハの絵画は、見る者を誘惑する。<br />

    ドイツの絵画 Germany
    ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere)
    1472年- 1553年
    ルネサンス期ドイツのデユ-ラ-と並ぶ同世代の大画家。
    ルーカス・クラナッハは1472年に画家ヨハネスの子として、
    ドイツ・ニューレンベルク地方のクロナッハに生まれた。
    当時の風習で、姓は地名に由来している。
    同名の息子も画家のため、ルーカス・クラナッハ (父) と表記
    されることが多い。
    マルティン・ルターの宗教改革を全面的に支援し、宗教改革に
    大きく貢献した。
    2016年西洋美術館でウイ-ン美術史美術館のクラナッハの展覧会で見られた。

    「アダムとイブ」Adam und Eva 1510/1520
    知識の木で二つの絵はつながりを持つ。
    イブはアダムにリンゴを食べるように誘惑する。
    クラナッハは、こうした「女の誘惑」「女のたくらみ」という
    テーマを繰り返し描く。「女の誘惑」「女のたくらみ」には
    気をつけろという男性に対する戒めが込められているがクラナ
    ッハの絵画は、見る者を誘惑する。

  • ドイツの絵画 Germany<br />ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) <br />1472年- 1553年<br /><br />「キリストと女性の別れ」  <br />Abschied Christi von den Frauen <br />1520年<br />キリストと親しいラザロの姉妹、母との別れを描いているらしい。<br /><br /><br />

    ドイツの絵画 Germany
    ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere)
    1472年- 1553年

    「キリストと女性の別れ」
    Abschied Christi von den Frauen
    1520年
    キリストと親しいラザロの姉妹、母との別れを描いているらしい。


  • ドイツの絵画 Germany<br />ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) <br />1472年- 1553年<br /><br />「エデンの園」 Paradies 1530年<br />1枚の絵(図)の中に、同一人物の異なる時間を複数描き込む画法<br />異時同図法で描かれている。<br />手前に神がアダムとイブに善悪の知識の木の実は食べてはならないと<br />論(さと)す。<br />後方右からアダムの創造、蛇がイブに善悪の知識の木の実を食べるよ<br />うそそのかす情景、イブの創造、アダムとイブの楽園の追放が描かれ<br />ている。<br /><br />

    ドイツの絵画 Germany
    ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere)
    1472年- 1553年

    「エデンの園」 Paradies 1530年
    1枚の絵(図)の中に、同一人物の異なる時間を複数描き込む画法
    異時同図法で描かれている。
    手前に神がアダムとイブに善悪の知識の木の実は食べてはならないと
    論(さと)す。
    後方右からアダムの創造、蛇がイブに善悪の知識の木の実を食べるよ
    うそそのかす情景、イブの創造、アダムとイブの楽園の追放が描かれ
    ている。

  • 拡大<br />神がアダムとイブに善悪の知識の木の実は食べてはならないと論(さと)す。

    拡大
    神がアダムとイブに善悪の知識の木の実は食べてはならないと論(さと)す。

  • ドイツの絵画 Germany<br />ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) <br />1472年- 1553年<br /><br />「キュ-ピッド」Amor 1530年<br />ローマ神話の恋の神クピドはビーナスの子。弓矢を持つ裸の有翼の<br />少年でその矢に当たった者は恋心を起こすという。<br />ギリシャ神話のエロスに当たる。

    ドイツの絵画 Germany
    ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere)
    1472年- 1553年

    「キュ-ピッド」Amor 1530年
    ローマ神話の恋の神クピドはビーナスの子。弓矢を持つ裸の有翼の
    少年でその矢に当たった者は恋心を起こすという。
    ギリシャ神話のエロスに当たる。

  • ドイツの絵画 Germany<br />ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) 1472年- 1553年<br /><br />「ザクセンの王女 シビリア、エミリア、シドニア」1535年<br />Die Prinzessinnen Sibylla, Emilia und Sidonia von Sachsen<br />クラナッハはザクセン選帝侯の宮廷画家。

    ドイツの絵画 Germany
    ルーカス・クラナッハ 父(Lucas Cranach der Ältere) 1472年- 1553年

    「ザクセンの王女 シビリア、エミリア、シドニア」1535年
    Die Prinzessinnen Sibylla, Emilia und Sidonia von Sachsen
    クラナッハはザクセン選帝侯の宮廷画家。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />フランダ-スはかつてフランドル伯統治下の現在のベルギ-北部の<br />アントワ-プとブリュッセル、ブリュ-ジュを含む東西に拡がる地域。<br /><br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)<br />のコ-ナ-<br />ルーベンスは祭壇画、肖像画、背景画、歴史的絵画や神話的、宗教的<br />絵画を主に描いた。アントワープで非常に大きな工房を経営しながら<br />多くの作品を生み出し、ヨーロッパ全土の貴族やアートコレクターに<br />人気であった<br />ほか、人文学の学者およびイギリスのチャールズ1世やスペインの<br />フェリペ4世の騎士として仕えた外交官でもあった。ルーベンスは<br />非常に多才な芸術家であり、工房で制作された多くの模写作品は除<br />いて1403枚の絵画を描いたと言われている。<br /><br />美術館の意図とは違うかもしれないが小さな部屋の沈んだ緑の壁紙の<br />レンブラントやフェルメ-ルの絵の部屋とは異なりより大きな部屋の<br />派手な赤の内装の部屋をルーベンスの絵画はあてがわれ絵全体が引き<br />立てられている。<br /><br /><br />

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    フランダ-スはかつてフランドル伯統治下の現在のベルギ-北部の
    アントワ-プとブリュッセル、ブリュ-ジュを含む東西に拡がる地域。

    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)
    のコ-ナ-
    ルーベンスは祭壇画、肖像画、背景画、歴史的絵画や神話的、宗教的
    絵画を主に描いた。アントワープで非常に大きな工房を経営しながら
    多くの作品を生み出し、ヨーロッパ全土の貴族やアートコレクターに
    人気であった
    ほか、人文学の学者およびイギリスのチャールズ1世やスペインの
    フェリペ4世の騎士として仕えた外交官でもあった。ルーベンスは
    非常に多才な芸術家であり、工房で制作された多くの模写作品は除
    いて1403枚の絵画を描いたと言われている。

    美術館の意図とは違うかもしれないが小さな部屋の沈んだ緑の壁紙の
    レンブラントやフェルメ-ルの絵の部屋とは異なりより大きな部屋の
    派手な赤の内装の部屋をルーベンスの絵画はあてがわれ絵全体が引き
    立てられている。


  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)のコ-ナ-

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)のコ-ナ-

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640) <br /><br />「ヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガ II. 」Vincenzo II. Gonzaga <br />1604/1605<br />マントヴァ公ヴィンチェンツォ2世の肖像画。かなり美男子に描いて<br />いるようだ。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「ヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガ II. 」Vincenzo II. Gonzaga
    1604/1605
    マントヴァ公ヴィンチェンツォ2世の肖像画。かなり美男子に描いて
    いるようだ。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)<br /> <br />「四大陸」Die vier Flüsse des Paradieses 1615<br />世界の4つの地域の擬人化。<br />「四大陸」ではアジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの四つの大陸<br />はそれぞれ女神を思わせる女性の姿に擬人化されており、その隣に同じ<br />く人の形をとった河が配置されている。<br />左端に描かれているのがヨーロッパであり、そのそばではドナウ川が櫂<br />を手にしている。アフリカは中央に描かれており、そのそばには擬人化<br />されたナイル川がいる。<br />虎を足元に従えている女性がアジアを象徴しており、彼女の隣にはガン<br />ジス川が描かれている。アジアの左手奥に描かれているのがアメリカ大<br />陸で、ラプラタ川が隣に描かれている。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「四大陸」Die vier Flüsse des Paradieses 1615
    世界の4つの地域の擬人化。
    「四大陸」ではアジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの四つの大陸
    はそれぞれ女神を思わせる女性の姿に擬人化されており、その隣に同じ
    く人の形をとった河が配置されている。
    左端に描かれているのがヨーロッパであり、そのそばではドナウ川が櫂
    を手にしている。アフリカは中央に描かれており、そのそばには擬人化
    されたナイル川がいる。
    虎を足元に従えている女性がアジアを象徴しており、彼女の隣にはガン
    ジス川が描かれている。アジアの左手奥に描かれているのがアメリカ大
    陸で、ラプラタ川が隣に描かれている。

  • フランダ-ス17世紀の絵画Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640) <br /><br />「アンブロジウス司教とローマ帝国皇帝テオドシウス1世」<br />Hl. Ambrosius und Kaiser Theodosius  1615/1616<br /> 390年、テサロニケのキリスト教徒が暴徒化し、行政長官らを多数<br />殺害する事件が発生、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が派遣した軍<br />によるテッサロニカの虐殺(7000名)が起こった。<br />聖人アンブロジウス ミラノ司教が報復が過剰であったと抗議しロー<br />マ帝国皇帝と側近のミラノ大聖堂の立ち入りを禁止し破門をした。<br />

    フランダ-ス17世紀の絵画Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「アンブロジウス司教とローマ帝国皇帝テオドシウス1世」
    Hl. Ambrosius und Kaiser Theodosius 1615/1616
    390年、テサロニケのキリスト教徒が暴徒化し、行政長官らを多数
    殺害する事件が発生、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が派遣した軍
    によるテッサロニカの虐殺(7000名)が起こった。
    聖人アンブロジウス ミラノ司教が報復が過剰であったと抗議しロー
    マ帝国皇帝と側近のミラノ大聖堂の立ち入りを禁止し破門をした。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640) <br /><br />「チモーネとイフェジェニア」 Cimon und Efigenia 1617<br />ジョヴァンニ・ボッカッチョ作デカメロンの物語画 <br />1349年から1351年作<br />愛の象徴のおうむ、忠節の象徴の犬、愚かさの象徴の猿、恋の象徴<br />のイルカの噴水。猿や犬は有名な動物画家のスネイデルスが描いた。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「チモーネとイフェジェニア」 Cimon und Efigenia 1617
    ジョヴァンニ・ボッカッチョ作デカメロンの物語画
    1349年から1351年作
    愛の象徴のおうむ、忠節の象徴の犬、愚かさの象徴の猿、恋の象徴
    のイルカの噴水。猿や犬は有名な動物画家のスネイデルスが描いた。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)  <br /><br />「メデューサの頭部」Haupt der Medusa 1617/1618<br />ギリシア神話に登場する英雄ペルセウスによって醜い女の怪物ゴルゴン<br />3姉妹の1人メデューサの首が切り落とされる。<br />メデューサは蛇の頭髪を持つ。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「メデューサの頭部」Haupt der Medusa 1617/1618
    ギリシア神話に登場する英雄ペルセウスによって醜い女の怪物ゴルゴン
    3姉妹の1人メデューサの首が切り落とされる。
    メデューサは蛇の頭髪を持つ。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640) <br /><br />「聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟 」Wunder des Hl. Franz Xaver<br /> 1617/1618   535 x 395 cm<br />画面右側上部に青年僧を一人従え、台座に立ち様々な奇蹟を起こして<br />いる聖フランシスコ・ザビエル(1549年-1551年 布教で来日)。<br />上では異教の像が破壊、左下では死者が甦っている。<br /><br />

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟 」Wunder des Hl. Franz Xaver
    1617/1618 535 x 395 cm
    画面右側上部に青年僧を一人従え、台座に立ち様々な奇蹟を起こして
    いる聖フランシスコ・ザビエル(1549年-1551年 布教で来日)。
    上では異教の像が破壊、左下では死者が甦っている。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640) <br /><br />「エレーヌ・フールマン(毛皮さん)」<br />Helena Fourment (&quot;Das Pelzchen&quot;) <br />1636/1638<br />ティツィアーノ「毛皮をまとった女性」に倣って毛皮をまとっている。 <br />ルーベンスは1626年、49歳のとき最初の妻、イザベラ・ブラントを亡<br />くす。1630年53歳のときアントウェルペンの絹織物商人の娘で、当時<br />16歳のエレーヌ・フールマン (en:Helena Fourment) と再婚。<br />この肖像画は、エレーヌを美の女神、ヴィーナスに見立てて製作された。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens (1577 -1640)

    「エレーヌ・フールマン(毛皮さん)」
    Helena Fourment ("Das Pelzchen")
    1636/1638
    ティツィアーノ「毛皮をまとった女性」に倣って毛皮をまとっている。
    ルーベンスは1626年、49歳のとき最初の妻、イザベラ・ブラントを亡
    くす。1630年53歳のときアントウェルペンの絹織物商人の娘で、当時
    16歳のエレーヌ・フールマン (en:Helena Fourment) と再婚。
    この肖像画は、エレーヌを美の女神、ヴィーナスに見立てて製作された。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century <br />アンソニー・ヴァン・ダイク Anthonis van Dyck (1599-1641)<br /><br />バロック期のフランドルの画家。<br />ヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家テ<br />ィツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響<br />が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、<br />1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主<br />席宮廷画家として活躍。

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    アンソニー・ヴァン・ダイク Anthonis van Dyck (1599-1641)

    バロック期のフランドルの画家。
    ヴァン・ダイクの作風には、師のルーベンスのほか、イタリア人画家テ
    ィツィアーノらヴェネツィア派の画家の軽妙な筆致と華麗な色彩の影響
    が見られる。ヴァン・ダイクは1627年にイタリアからいったん帰国後、
    1632年にはイングランドに渡り、イングランド国王チャールズ1世の主
    席宮廷画家として活躍。

  • フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century<br />アンソニー・ヴァン・ダイク Anthonis van Dyck (1599-1641)<br /><br />「サムソンとデリア」Gefangennahme Simsons 1628/1630<br />ルーベンスの作風で描かれた歴史画。色彩技法にはティツィアーノの<br />影響が見られる。サムソンが髪の毛を切り取られることによって超人<br />的な力を失う場面が描かれている。<br /><br />主人公であるはずのサムソンではなく、サムソンが愛していたデリア<br />に視点を集中させるように描かれている。<br />巧みなライトがデリアに照明があてられ、その姿を際立たせている。<br />デリア以外の人物像や背景はやや暗くなっている。ここでは、優美<br />なシルクの衣装がはだけているデリアと、デリアにすがるように倒<br />れているサムソン、そしてその状況を見つめるまわりの人々たちの<br />情景を描いている。<br />あらすじ<br />サムソンは二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。その後、<br />サムソンはソレクの谷に住むデリラという女性を愛するようにな<br />ったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探<br />ろうとした。<br />サムソンはなかなか秘密を教えなかったが、とうとう頭にかみそり<br />をあててはいけないという秘密を話してしまう。<br />デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ<br />人の手に落ちた。彼は両眼をえぐり出されてガザの牢で粉をひかさ<br />れるようになった。<br />ペリシテ人は集まって神ダゴンに感謝し、獄屋からサムソンを引き<br />出して見世物にしていた。<br />屋根の上には3000人程の見物人がいた。しかしサムソンは神(主)<br />に祈って力を取り戻し、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と<br />言い、二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連<br />れにして死んだ。<br /><br />士師の原語の意味は「治める者」あるいは「裁き人」。<br />「士師」という呼び方は中国語聖書に由来する。<br /><br />絵とは関係ないがワ-グナ-「ニ-ベルングの指輪」第3夜「神々の黄昏」<br />のジ-クフリ-トが妻のブリュンヒルデに背中の急所を教えニーベルング<br />族の小人グンタ-に殺される「ジ-クフリ-トの死」のシ-ンがこのサム<br />ソンとデリラの話に使われているように思える。<br />

    フランダ-ス17世紀の絵画 Flanders 17th century
    アンソニー・ヴァン・ダイク Anthonis van Dyck (1599-1641)

    「サムソンとデリア」Gefangennahme Simsons 1628/1630
    ルーベンスの作風で描かれた歴史画。色彩技法にはティツィアーノの
    影響が見られる。サムソンが髪の毛を切り取られることによって超人
    的な力を失う場面が描かれている。

    主人公であるはずのサムソンではなく、サムソンが愛していたデリア
    に視点を集中させるように描かれている。
    巧みなライトがデリアに照明があてられ、その姿を際立たせている。
    デリア以外の人物像や背景はやや暗くなっている。ここでは、優美
    なシルクの衣装がはだけているデリアと、デリアにすがるように倒
    れているサムソン、そしてその状況を見つめるまわりの人々たちの
    情景を描いている。
    あらすじ
    サムソンは二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。その後、
    サムソンはソレクの谷に住むデリラという女性を愛するようにな
    ったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探
    ろうとした。
    サムソンはなかなか秘密を教えなかったが、とうとう頭にかみそり
    をあててはいけないという秘密を話してしまう。
    デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ
    人の手に落ちた。彼は両眼をえぐり出されてガザの牢で粉をひかさ
    れるようになった。
    ペリシテ人は集まって神ダゴンに感謝し、獄屋からサムソンを引き
    出して見世物にしていた。
    屋根の上には3000人程の見物人がいた。しかしサムソンは神(主)
    に祈って力を取り戻し、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と
    言い、二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連
    れにして死んだ。

    士師の原語の意味は「治める者」あるいは「裁き人」。
    「士師」という呼び方は中国語聖書に由来する。

    絵とは関係ないがワ-グナ-「ニ-ベルングの指輪」第3夜「神々の黄昏」
    のジ-クフリ-トが妻のブリュンヒルデに背中の急所を教えニーベルング
    族の小人グンタ-に殺される「ジ-クフリ-トの死」のシ-ンがこのサム
    ソンとデリラの話に使われているように思える。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />「初期フランドル派」は、ブルゴーニュ公国の統治下にあった15世紀から<br />16世紀のフランドル北部とネーデルラント王国南部で発展した絵画作品と、<br />その作者たる画家を意味する用語として使用されることが多い。<br /><br />ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck  1395- 1441<br />卓越した技量を持った15世紀ネーデルランド絵画の創始者。<br />細密な描写と鮮やかな着彩法を確立。ルネサンスにも劣らない革新を<br />もたらした。<br />1422年からホラント伯ヨハン・フォン・バイエルンの宮廷画家とし<br />て活躍し、1425年以降はブルゴーニュ侯フィリップ善良公の従者兼<br />宮廷画家となりポルトガル、スペインなどに旅行。終生、同公の寵<br />愛を受けながら制作活動を続ける。<br /><br />「枢機卿ニッコロ・アルベルガティ」<br />Kardinal Niccolò Albergati ?  1438?<br />枢機卿アルベルガティは百年戦争(1337年-1453年)の調停のため、<br />1431年教皇庁から使節として派遣された。<br />ヘント・ブリュセルに滞在していた。<br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    「初期フランドル派」は、ブルゴーニュ公国の統治下にあった15世紀から
    16世紀のフランドル北部とネーデルラント王国南部で発展した絵画作品と、
    その作者たる画家を意味する用語として使用されることが多い。

    ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck 1395- 1441
    卓越した技量を持った15世紀ネーデルランド絵画の創始者。
    細密な描写と鮮やかな着彩法を確立。ルネサンスにも劣らない革新を
    もたらした。
    1422年からホラント伯ヨハン・フォン・バイエルンの宮廷画家とし
    て活躍し、1425年以降はブルゴーニュ侯フィリップ善良公の従者兼
    宮廷画家となりポルトガル、スペインなどに旅行。終生、同公の寵
    愛を受けながら制作活動を続ける。

    「枢機卿ニッコロ・アルベルガティ」
    Kardinal Niccolò Albergati ? 1438?
    枢機卿アルベルガティは百年戦争(1337年-1453年)の調停のため、
    1431年教皇庁から使節として派遣された。
    ヘント・ブリュセルに滞在していた。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck  1395-1441<br />「金細工師 Jan de Leeuwの肖像画」<br />Der Goldschmied Jan de Leeuw 1436 <br />手には金細工師の象徴として赤い宝石が付いた金の指輪を持っている。

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ヤン・ファン・エイク Jan van Eyck 1395-1441
    「金細工師 Jan de Leeuwの肖像画」
    Der Goldschmied Jan de Leeuw 1436
    手には金細工師の象徴として赤い宝石が付いた金の指輪を持っている。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ロヒール・ファン・デル・ウエイデン Rogier van der Weyden<br />1399/1400-1464<br />ロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派<br />を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力<br />があったフランドルの画家とみなされている。<br /><br />三連祭壇画 「キリスト磔刑」Kreuzigungsaltar<br />左     聖女マグダラのマリア <br />中央  キリスト 磔刑図 Kreuzigungsaltar<br />右     聖女ヴェロニカ(キリストの顔が写った布を持っている)<br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ロヒール・ファン・デル・ウエイデン Rogier van der Weyden
    1399/1400-1464
    ロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派
    を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力
    があったフランドルの画家とみなされている。

    三連祭壇画 「キリスト磔刑」Kreuzigungsaltar
    左 聖女マグダラのマリア 
    中央 キリスト 磔刑図 Kreuzigungsaltar
    右 聖女ヴェロニカ(キリストの顔が写った布を持っている)

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ハンス・メムリンク Hans Memling 1430-1494<br />ハンス・メムリンクは、15世紀フランドルの画家。 15世紀後半に<br />ブルッヘで活躍した画家。ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファ<br />ン・デル・ウェイデンに続く世代の北方絵画を代表する画家である。<br />宗教的な主題を、華麗な色彩と、北方絵画特有の細部までゆるがせに<br />しない徹底した写実表現をもって描いた。<br />トリプティカ(三連祭壇画) 1485/1490<br />左のパネル 洗礼者ヨハネ <br />イエスの弟子である使徒ヨハネとは同名の別人<br /><br />中央のパネル マリアと幼子キリスト、左横に天使<br />右のパネル キリスト最初の弟子 福音記者ヨハネ<br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ハンス・メムリンク Hans Memling 1430-1494
    ハンス・メムリンクは、15世紀フランドルの画家。 15世紀後半に
    ブルッヘで活躍した画家。ヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファ
    ン・デル・ウェイデンに続く世代の北方絵画を代表する画家である。
    宗教的な主題を、華麗な色彩と、北方絵画特有の細部までゆるがせに
    しない徹底した写実表現をもって描いた。
    トリプティカ(三連祭壇画) 1485/1490
    左のパネル 洗礼者ヨハネ
    イエスの弟子である使徒ヨハネとは同名の別人

    中央のパネル マリアと幼子キリスト、左横に天使
    右のパネル キリスト最初の弟子 福音記者ヨハネ

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ハンス・メムリンク Hans Memling 1430-1494<br />二連祭壇画「アダムとイブ」  1485/1490

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ハンス・メムリンク Hans Memling 1430-1494
    二連祭壇画「アダムとイブ」 1485/1490

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br /><br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br />ヤン・ファン・エイク以来となるネーデルランド絵画の巨匠。<br />伝説の巨匠であったヒエロニムス・ボス風の幻想や奇怪的な作品を<br />制作。<br />1563年にブリュッセルへ移住してからは農民を題材にした作品を<br />数多く描き「農民ブリューゲル」と呼ばれた。<br />この美術館では質の高い絵が集まりブリューゲルは特別なコレクシ<br />ョンのようだ。

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries

    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569
    ヤン・ファン・エイク以来となるネーデルランド絵画の巨匠。
    伝説の巨匠であったヒエロニムス・ボス風の幻想や奇怪的な作品を
    制作。
    1563年にブリュッセルへ移住してからは農民を題材にした作品を
    数多く描き「農民ブリューゲル」と呼ばれた。
    この美術館では質の高い絵が集まりブリューゲルは特別なコレクシ
    ョンのようだ。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br /><br />「雪中の狩人」Jäger im Schnee (Winter) 1565<br />季節毎の農民の生活を克明に描いた連作月暦画の合計6点からなる<br />作品群の1点。<br />冬期(12月・1月)に農民たちがおこなう狩猟の風景を描いた作品<br />であると考えられている。<br />ブリューゲル(父)の代表作の一つ。<br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「雪中の狩人」Jäger im Schnee (Winter) 1565
    季節毎の農民の生活を克明に描いた連作月暦画の合計6点からなる
    作品群の1点。
    冬期(12月・1月)に農民たちがおこなう狩猟の風景を描いた作品
    であると考えられている。
    ブリューゲル(父)の代表作の一つ。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br /><br />「謝肉祭と四旬節の喧嘩」<br />Kampf zwischen Fasching und Fasten 1559<br />主イエスの死からの復活を記念する祝日≪復活祭(イースター)≫の前<br />の40日間、受難者イエスの死を偲び(伝統的に)肉食など食事の節制<br />と祝宴の自粛をおこなう修養期間≪四旬節(レント)≫。<br />四旬節に先立ち(一週間から数週間)肉食など禁則事項との告別をお<br />こなう祭事≪謝肉祭(カーニバル)≫を題材に人間の利己と愚考に満ち<br />た姿を描いた作品。<br />一般的にはカトリック(四旬節)とプロテスタント(謝肉祭)の対立<br />を表現したものと解釈される。<br />画面下部中央に描かれる樽にまたがり豚の頭や肉の串焼きを手にする男<br />は≪謝肉祭(カーニバル)≫の擬人像。<br />二匹の鮫を乗せたしゃもじを手に樽の男と対峙する痩せた老婆は≪四旬節<br />(レント)≫の擬人像とされる。<br />中央から左を≪謝肉祭(カーニバル)≫、右を≪四旬節(レント)≫とし、<br />それぞれに関連する(200種類以上の)様々な行事・行為が画面内へ描か<br />れている。<br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「謝肉祭と四旬節の喧嘩」
    Kampf zwischen Fasching und Fasten 1559
    主イエスの死からの復活を記念する祝日≪復活祭(イースター)≫の前
    の40日間、受難者イエスの死を偲び(伝統的に)肉食など食事の節制
    と祝宴の自粛をおこなう修養期間≪四旬節(レント)≫。
    四旬節に先立ち(一週間から数週間)肉食など禁則事項との告別をお
    こなう祭事≪謝肉祭(カーニバル)≫を題材に人間の利己と愚考に満ち
    た姿を描いた作品。
    一般的にはカトリック(四旬節)とプロテスタント(謝肉祭)の対立
    を表現したものと解釈される。
    画面下部中央に描かれる樽にまたがり豚の頭や肉の串焼きを手にする男
    は≪謝肉祭(カーニバル)≫の擬人像。
    二匹の鮫を乗せたしゃもじを手に樽の男と対峙する痩せた老婆は≪四旬節
    (レント)≫の擬人像とされる。
    中央から左を≪謝肉祭(カーニバル)≫、右を≪四旬節(レント)≫とし、
    それぞれに関連する(200種類以上の)様々な行事・行為が画面内へ描か
    れている。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br /><br />「バベルの塔 」 Turmbau zu Babel 1563 <br />塔の建設場面を描いた本作は、内部まで細密に描かれている建設途中<br />の塔の形態、色彩、人物・風景描写など各部分において特筆に値する<br />秀逸の出来栄えを示している。<br /><br />旧約聖書創世記 第11章に記されている伝説の塔で、ノアの洪水後、<br />人間が天にも届くような高い塔≪バベルの塔≫を築き始めたのを神が見<br />て、その驕りを怒り、人々の言葉を混乱させ建設を中止させことから、<br />世界中の言語が誕生したとされている。<br /><br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「バベルの塔 」 Turmbau zu Babel 1563
    塔の建設場面を描いた本作は、内部まで細密に描かれている建設途中
    の塔の形態、色彩、人物・風景描写など各部分において特筆に値する
    秀逸の出来栄えを示している。

    旧約聖書創世記 第11章に記されている伝説の塔で、ノアの洪水後、
    人間が天にも届くような高い塔≪バベルの塔≫を築き始めたのを神が見
    て、その驕りを怒り、人々の言葉を混乱させ建設を中止させことから、
    世界中の言語が誕生したとされている。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br />	<br />「子供の遊戯 」 1560 <br />当時の遊戯を網羅し260人余りの子供らによる約90種類の遊戯が示さ<br />れている。

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「子供の遊戯 」 1560
    当時の遊戯を網羅し260人余りの子供らによる約90種類の遊戯が示さ
    れている。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br /><br />「農民の婚宴」   Bauernhochzeit  1568<br />花嫁はいるが花婿はいない。<br />花嫁は紙で作った王冠の天蓋の下で酒を飲んで赤い顔をしている。<br />貧しい家庭に育った娘。彼女の長い人生の内の、たった数時間の栄光。<br />客たちは、粗末な食器でふるまわれるポリッジ(かゆ)か、カスター<br />ドを食べている。貧しい者たち、しいたげられた者たちの哀れな祝杯。<br />楽器の演奏者たちは、食事を受け取るまで演奏しなくてはならない。<br /><br />

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「農民の婚宴」 Bauernhochzeit 1568
    花嫁はいるが花婿はいない。
    花嫁は紙で作った王冠の天蓋の下で酒を飲んで赤い顔をしている。
    貧しい家庭に育った娘。彼女の長い人生の内の、たった数時間の栄光。
    客たちは、粗末な食器でふるまわれるポリッジ(かゆ)か、カスター
    ドを食べている。貧しい者たち、しいたげられた者たちの哀れな祝杯。
    楽器の演奏者たちは、食事を受け取るまで演奏しなくてはならない。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries <br />ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569 <br /><br />「農民の踊り」 Bauerntanz 1568<br />村の聖堂の開基祭を祝う縁日の様子を描いた。<br />単に農民の日常風景を捉え描いたのではなく、画面右端に描かれた聖祭<br />の象徴である聖母マリアの絵画に背を向け、暴飲暴食や情欲に溺れる農<br />民の姿や、怠慢や憤怒、虚偽を露わにする農民の姿や象徴を大きく取り<br />上げることで、道徳的な戒めを表している。

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル Ä.Pieter Bruegel d. Ä. 1525/30 -1569

    「農民の踊り」 Bauerntanz 1568
    村の聖堂の開基祭を祝う縁日の様子を描いた。
    単に農民の日常風景を捉え描いたのではなく、画面右端に描かれた聖祭
    の象徴である聖母マリアの絵画に背を向け、暴飲暴食や情欲に溺れる農
    民の姿や、怠慢や憤怒、虚偽を露わにする農民の姿や象徴を大きく取り
    上げることで、道徳的な戒めを表している。

  • ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries<br />ピーテル・ブリューゲル(父)と(子)共作<br /><br />「幼児虐殺」Bethlehemitischer Kindermord<br />ベツレヘムに新しい王が生まれたと聞かされたヘロデ大王が、ベツ<br />レヘムやその近辺で生まれた2歳以下の男の子をひとり残らず殺し<br />てしまえと命じたという『マタイ伝』の逸話をアレンジした。

    ネ-デルランド15世紀-16世紀の絵画 Netherlands 15th-16th centuries
    ピーテル・ブリューゲル(父)と(子)共作

    「幼児虐殺」Bethlehemitischer Kindermord
    ベツレヘムに新しい王が生まれたと聞かされたヘロデ大王が、ベツ
    レヘムやその近辺で生まれた2歳以下の男の子をひとり残らず殺し
    てしまえと命じたという『マタイ伝』の逸話をアレンジした。

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />ホラントは北ホラント州には首都「アムステルダム」が含まれ、<br />南ホラント州には政府都市「デンハーグ」や近代都市「ロッテ<br />ルダム」などの大きな都市が含まれていて栄えたネ-デルラン<br />ド(オランダ)の州。<br />ホラント州は大西洋の北海に面した地域。<br /><br />本名	ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト<br />         Jan van der Meer van Delft<br />通称 ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer<br />1632年-1675年<br />バロック期を代表するホラントの画家の1人である。映像のような<br />写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特<br />徴とする。<br />作品制作にカメラ・オブスキュラ(暗箱)を用いるなど、当時の光<br />学や透視図法の研究を取り入れた。<br /><br />「絵画芸術(画家のアトリエ)」Die Malkunst 1666/1668<br />画家のアトリエの写実的描写と、内装を照らし出す光の表現が高く<br />評価されている作品。<br />右手に名声を象徴するトランペットを、左手に歴史を象徴する書物<br />を、そして頭に月桂樹の冠を被る歴史の女神クリオに扮した女性。<br />フェルメールらしい画中の画家。<br />画面左部に大きくかかるカーテンは巻き上げられ空間に奥行きを与<br />えるルプソワ-ルという技法。<br />カ-テンに見られる光の粒は表層的で装飾的な点描がされている。<br />フェルメ-ルとしては120 cm × 100 cmの大作。<br />この美術館では必見の絵と思われるがル-ベンスとは異なり小さな<br />部屋にひっそりと展示されていた。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    ホラントは北ホラント州には首都「アムステルダム」が含まれ、
    南ホラント州には政府都市「デンハーグ」や近代都市「ロッテ
    ルダム」などの大きな都市が含まれていて栄えたネ-デルラン
    ド(オランダ)の州。
    ホラント州は大西洋の北海に面した地域。

    本名 ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト
    Jan van der Meer van Delft
    通称 ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer
    1632年-1675年
    バロック期を代表するホラントの画家の1人である。映像のような
    写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特
    徴とする。
    作品制作にカメラ・オブスキュラ(暗箱)を用いるなど、当時の光
    学や透視図法の研究を取り入れた。

    「絵画芸術(画家のアトリエ)」Die Malkunst 1666/1668
    画家のアトリエの写実的描写と、内装を照らし出す光の表現が高く
    評価されている作品。
    右手に名声を象徴するトランペットを、左手に歴史を象徴する書物
    を、そして頭に月桂樹の冠を被る歴史の女神クリオに扮した女性。
    フェルメールらしい画中の画家。
    画面左部に大きくかかるカーテンは巻き上げられ空間に奥行きを与
    えるルプソワ-ルという技法。
    カ-テンに見られる光の粒は表層的で装飾的な点描がされている。
    フェルメ-ルとしては120 cm × 100 cmの大作。
    この美術館では必見の絵と思われるがル-ベンスとは異なり小さな
    部屋にひっそりと展示されていた。





  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン <br />Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669) <br /><br />レンブラントは、同じオランダのフェルメール、イタリアのカラヴァ<br />ッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、<br />バロック絵画を代表する画家の一人。また、ヨーロッパ美術史におけ<br />る重要人物の一人。<br /><br />「光の画家」「光の魔術師」(または「光と影の画家」「光と影の魔術<br />師」)の異名を持ち、油彩だけでなくエッチングや複合技法による銅版<br />画やデッサンでも多くの作品を残した。絵画『夜警』(別名『フランス<br />・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の<br />市民隊)』)はレンブラントの代表作として著名である。また、生涯を<br />通じて自画像を描いたことでも知られ、これらはその時々の彼の内面ま<br />でも伝えている。<br />若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活における度重なる不幸<br />と浪費癖による財政的苦難に喘いだが、生前、すでに著名で高い評価を<br />受け、オランダには比類すべき画家がいないとさえ考えられていた。<br /><br />「男の肖像画」Bildnis eines Mannes  1632

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    レンブラントは、同じオランダのフェルメール、イタリアのカラヴァ
    ッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、
    バロック絵画を代表する画家の一人。また、ヨーロッパ美術史におけ
    る重要人物の一人。

    「光の画家」「光の魔術師」(または「光と影の画家」「光と影の魔術
    師」)の異名を持ち、油彩だけでなくエッチングや複合技法による銅版
    画やデッサンでも多くの作品を残した。絵画『夜警』(別名『フランス
    ・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の
    市民隊)』)はレンブラントの代表作として著名である。また、生涯を
    通じて自画像を描いたことでも知られ、これらはその時々の彼の内面ま
    でも伝えている。
    若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活における度重なる不幸
    と浪費癖による財政的苦難に喘いだが、生前、すでに著名で高い評価を
    受け、オランダには比類すべき画家がいないとさえ考えられていた。

    「男の肖像画」Bildnis eines Mannes 1632

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669) <br /><br />「女の肖像画」Bildnis einer Frau 1632

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「女の肖像画」Bildnis einer Frau 1632

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)<br /><br />「預言者ハンナ(レンブラントの母)」<br />Die Prophetin Hanna 1639<br />ハンナは『旧約聖書』の登場人物、預言者サムエルの母

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「預言者ハンナ(レンブラントの母)」
    Die Prophetin Hanna 1639
    ハンナは『旧約聖書』の登場人物、預言者サムエルの母

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)<br /><br />「自画像」 Großes Selbstbildnis 1652 <br />画家の自画像は買い手がいなかったので、基本的に絵の研究をする<br />ためにこれらの自画像を描いていた。<br />作品の一点に、暗闇に鋭く差し込むスポットライトのような光線が<br />当てられ、その部分を強調すると同時に、暗闇の部分を逆に強調した。<br />当時のアムステルダムでは、“ 絵画が目に映るだけのものではなく、<br />人間の魂、苦悩をも表現し得るものであることを証明した ” とも評さ<br />れている。

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「自画像」 Großes Selbstbildnis 1652
    画家の自画像は買い手がいなかったので、基本的に絵の研究をする
    ためにこれらの自画像を描いていた。
    作品の一点に、暗闇に鋭く差し込むスポットライトのような光線が
    当てられ、その部分を強調すると同時に、暗闇の部分を逆に強調した。
    当時のアムステルダムでは、“ 絵画が目に映るだけのものではなく、
    人間の魂、苦悩をも表現し得るものであることを証明した ” とも評さ
    れている。

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)<br /><br />「チェ-ンとイヤリングと毛皮を着た自画像」<br />Selbstbildnis im Pelz, mit Kette und Ohrring 1655<br /><br />レンブラントは翌年破産する。

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「チェ-ンとイヤリングと毛皮を着た自画像」
    Selbstbildnis im Pelz, mit Kette und Ohrring 1655

    レンブラントは翌年破産する。

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)<br /><br />「小さな自画像」Kleines Selbstbildnis  1657<br />翌年自宅を競売に付される。それでも多額のの負債が残った。<br />

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「小さな自画像」Kleines Selbstbildnis 1657
    翌年自宅を競売に付される。それでも多額のの負債が残った。

  • ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century<br />レンブラント・ファン・レイン<br /> Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)<br /><br />「本を読む画家の息子ティトゥス」 <br />Titus van Rijn, der Sohn des Künstlers, lesend 1656/1657<br />描かれているのは、1641年に生まれた第四子ティトゥス<br />

    ホラント17世紀の絵画 Holland 17th century
    レンブラント・ファン・レイン
    Rembrandt Harmensz van Rijn (1606-1669)

    「本を読む画家の息子ティトゥス」
    Titus van Rijn, der Sohn des Künstlers, lesend 1656/1657
    描かれているのは、1641年に生まれた第四子ティトゥス

  • 今回はカフェに立ち寄る時間がなかったが、2019年6月2度目の<br />ウイ-ン旅行では是非訪れたい世界一美しいと言われるカフェ。<br /><br />このあと王宮へ向う。

    イチオシ

    今回はカフェに立ち寄る時間がなかったが、2019年6月2度目の
    ウイ-ン旅行では是非訪れたい世界一美しいと言われるカフェ。

    このあと王宮へ向う。

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