2018/03/17 - 2018/03/17
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鎌倉散策(8)2018年3月 金沢街道を歩く 2018年3月17日
里山歩き 十二所果樹園展望台(標高149M)
鎌倉駅⇒(バス10分)岐れ道→(徒歩4分)白旗神社(6分)→(徒歩5分)大江広元墓(10分)→(徒歩8分)荏柄神社(9分)→(徒歩6分)鎌倉宮(11分)→(徒歩6分)永福寺跡12(分)→(徒歩13分)護良親王墓(4分)→(徒歩16分)杉本寺(30分)→(徒歩11分)報国寺(14分)→(徒歩3分)旧華頂宮邸(5分)→(徒歩14分)浄妙寺(25分)→(徒歩16分)明王院(6分)→(徒歩11分)光触寺(5分)→(徒歩10分)十二所神社(3分)→(徒歩11分)果樹園・朝夷奈切通分岐→(徒歩17分)果樹園展望台(4分) →(徒歩10分)分岐 →(朝夷奈切通 徒歩15分)熊野神社分岐→(徒歩6分)熊野神社(4分) →(徒歩17分)朝比奈バス停
(1) 白旗神社
源頼朝の幕府の北済隅で頼朝が観音像を持仏堂に安置していました。頼朝没後、法華堂(行を行う仏堂または納骨堂を指す)がここに建てられ祭祀が行われました。明治時代以降は寺を白旗神社(社名は源氏の白旗に由来しています)として改められ現在に至ります。石段を登ると左に白旗神社の鳥居と拝殿、左右に狛犬が配置されています。更に50段ほど石段を登ると源頼朝の墓があります。白旗神社という名の神社は鶴岡八幡宮(境内社)にもあり、全国に70社ほど在るようです。江戸時代の徳川家に関係する寺社に比べ、すごく質素で小さな神社です。鶴岡八幡宮は大混雑に対し、ここは参拝者ゼロ、ゆっくり参拝できました
(2) 法華堂跡
法華堂跡の説明版が源頼朝の墓のある白旗神社入り口と大江広元等3人の墓がある下の平場2箇所にありました。頼朝の墓があるところが法華堂跡(頼朝の持仏堂)で、大江広元等3人の墓の下にある平場の方は北條義時の新法華堂(頼朝の法華堂と分ける)(墳墓堂)が在ったところの様です。新法華堂は発掘調査で遺構が確認されています。鶴岡八幡宮等に比べ地味、遺構も無いのでこちらも観光客ゼロ、ゆっくり見学できました。源平合戦に興味ある人にはお勧めです
(3) 大江広元等3人の墓
ここも法華堂跡の史跡に含まれているようです。石段の手前のやぐら(鎌倉周辺で多く見られ横穴式の納骨窟または供養堂)は三浦康村一族の墓と言われています。墓は北條義時の新法華堂広場から100段余の石段を登り切ったところにあります。右のやぐらは、十八世紀末島津重豪が初代忠久の墓を造営、左は十九世紀初め毛利斉煕が初代毛利季光の墓、中央は毛利季光の父大江広元の墓を造営しました。墓はどなたかが掃除をされているようで、きれいに整備されていました。鶴岡八幡宮は大混雑に対し、ここは観光客ゼロ、ゆっくり拝観できました
(4) 荏柄天神社
福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ三天神の一社です。祭神は菅原道真で御利益は学問成就と厄除けです。門を潜って正面に朱色の拝殿、その奥に朱色が鮮やかな国重文本殿があります。石段を少し登った左記に摂社熊野権現があります。境内には鎌倉一で樹齢900年の御神木大銀杏があります。またミツマタ、梅、アセビが咲いていました。梅は3分咲き、1週間後なら綺麗だったでしょう。本殿の銅板葺きの屋根、鮮やかな朱色の柱、白壁と梅の花のコントラストがきれいです
(5) 鎌倉宮
創建は1869年。主祭神は大塔宮護良親王。本殿後方に護良親王が幽閉されていたという土牢があ
ります。本殿の屋根に菊の御紋を見ました。吉野の戦いで親王の身代わりになった村上義光を祀る村上社があります。村上社の前に義光の木彫像が置いてあり、自分の直したい患部の木彫のところを撫で、かつ絵馬に願い事を書いて収めます(千円必要)と願いが叶うとあります。高血圧はどこを撫でるのかわからないのと収め料が千円と高いのであきらめました。秋の紅葉の季節も良いですが、今は梅、ミツマタ、が咲いていてきれいでした
(6) 永福寺跡
国指定史跡、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後、源義経、藤原泰衡、数万人の将兵の鎮魂のために、中尊寺の二階堂(大長寿院)を模倣した大伽藍の永福寺を建てました。発掘調査の結果、阿弥陀堂、二階堂(二階建てから二階堂と言われる)、薬師堂、池、橋、庭園の配置が明らかになり、盛土をして遺跡を保護し、その上に基壇、礎石を再現しています。約200年後、度重なる火災で廃寺となりました。基壇、礎石を基に寺院の壮大さを想像するのも楽しいものです。CGによる復元図をみると池を含めた伽藍の壮大さ、建物の大きさが伺えます
(7) 護良親王の墓
護良親王は後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府倒幕に活躍し、倒幕後征夷大将軍に任ぜられましたが、足利尊氏と対立し、幽閉され後殺害されました。近くの鎌倉宮には親王が幽閉された土牢が残されています。急な石段を登った先に親王のお墓がありましたが、入り口には鍵がかかり墓には近づくことはできません。石段の下には親王の遺体を葬った理智光寺跡の碑が建っています。鎌倉宮と瑞泉寺を繋ぐ道には観光客が多いですが、1本外れたここ護良親王の墓には一人もおらず、とても静かでした
(8) 杉本寺
天台宗の一寺で創建は伝734年。光明皇后の御願いの寺で開山は行基。本尊は三体の十一面観世音菩薩。坂東および鎌倉33ケ所の第一番札所です。文化財は十一面観世音菩薩二体、県指定本堂、運慶作十一面観音等多くを有します。石段を登り山門を潜ると正面に苔むした石段、通行禁止なので、左手の石段を登ると正面に茅葺の本堂があります。本堂に入り、一番奥に秘仏本尊の十一面観世音菩薩(向かって中央が慈覚大師作、右が恵心僧都作、左が行基作)、本尊前立に頼朝寄進の十一面観音、毘沙門天像、地蔵菩薩像等多くの仏様を拝むことができました。本尊三体は暗くて見難かったです。秘仏なのに拝むことが出来るとはどういうことでしょうか?本堂を出て、右手には鐘楼、権現堂、弁天堂、地蔵尊、五輪塔群がります。本堂の屋根で、瓦や銅板葺きをよく見かけますが茅葺屋根は風情があっていいですね。鐘楼の傍には満開の紅梅が咲いており綺麗でした
(9) 報国寺
臨済宗建長寺派の一寺。 1334年創建。 開基は上杉重兼または足利家時、開山は天岸慧広 。本尊は釈迦三尊像。文化財は国重文 東帰集(伝仏乗禅師筆)一冊、仏乗禅師使用の木印、市指定の釈迦如来像等を有する。山門を潜ると左に庭、右手登ると正面に本堂、右手奥に迦葉堂があります。竹林を散策します。別名竹の寺として有名で、塔頭の跡に孟宗竹が生え報国寺の境内内に見事な竹の庭を形成しております。枯山水や池泉回遊式庭園とは違った趣を感じます。茶屋から庭園を見たかったのですが、観光客で混雑していて、あきらめました。茅葺屋根の鐘楼も趣があります。枯山水の庭、サンシュユ、梅が満開、足利家の墓といわれるやぐら等見るべきものが多くありました。鎌倉寺院の中では私のお気に入りの一寺です。杉本寺や報国寺ではかなりの観光客で一杯でした
(10) 旧華頂宮邸
昭和4年に建てられた華頂博信侯爵邸の西洋建築です。現在は鎌倉市が取得し国指定有形文化財に登録されています。木造三階建てで、銅葺き屋根を持ちます。寄付金を募金箱に入れ、裏のフランス式庭園に入ります。庭園は整備されていて、広い芝生庭園、アジサイ、紅葉、特にバラの木が多く植えてありましたが、今は何も咲いていません。それぞれの花が咲けば見事な庭が見られるのでしょう。邸の中は春、秋に一般公開されているようで常時は非公開です。花の季節に来たいものです
(11) 浄妙寺
臨済宗建長寺派の一寺。鎌倉五山第五位。 1188年創建。 開基は頼朝の臣下足利義兼、開山は退耕行勇。本尊は釈迦如来。文化財は 国重文 木造退耕行勇坐像他、釈迦如来像、阿弥陀如来像等を有する。伽藍は総門、本堂、客殿、庫裏等。境内には足利貞氏(尊氏の父)の墓がある。喜泉庵の前には見ごたえのある枯山水庭園があります。境内には野花を見ることができ、5年前に来た時はセツブンソウ、福寿草等を見ましたが、今回はユキワリイチゲ、福寿草1輪、ヒトリシズカを見ました。ここに来て、野花を見るのが楽しみの一つです。寺の一番奥に石窯ガアデンテラスというレストランがあり石窯で焼いた焼きたてのパンが食べられます
(12) 明王院
真言宗の一寺、 1235年創建。 開基は鎌倉四代将軍九条経、開山は定豪。本尊は五大明王。文化財は国重文 不動明王坐像を有する。シダレ梅とモクレンがさいている。ここの本堂の屋根も茅葺になっています。趣があって良いですね。今2018年3月17日現在、参道途中から本堂までの境内は撮影禁止になっていました。京都滝口寺は入り口でさえ撮影禁止でした。なんででしょうか?
(13) 光触寺
時宗の一寺。 1278年創建。 開基は一遍上人、開山は作阿、本尊は阿弥陀三尊像。文化財は国重文 木造阿弥陀如来及両脇侍立像三体、紙本淡彩頬焼阿弥陀縁起等を有する。鎌倉33観音霊場第七番札所。山門を潜り、両脇に墓がある参道の先に本堂、そこから右へ行くと、庭園と宗祖一遍上人の像が立っています。商売繁盛を祈って塩を初穂に納め、帰りには塩がなくなっていて、お地蔵様が嘗めたのだろうという塩嘗め地蔵があります。庭園は整備されているような、無いようなという感じで今ひとつです。この当たりまで来る参拝客は殆どおらず、静かに参拝することができました
(14) 十二所神社
伝1278年創建、祭神は天神七柱、地神五柱。古くは光触寺の境内にあったが、江戸時代後期に現在地に再建。石段を登り、鳥居を潜ると正面に拝殿、右手に小さなやぐらと山の神という祠がありました。小さな、人のいないさびしい神社でした。特徴を見つけることはできませんでした
(15) 果樹園展望台
三郎の滝(果樹園展望台と朝夷奈切通の分岐)から右の展望台に向かう。割と急な道を登り、果樹園入り口通過。梅の花は2分咲きで未だのようです。割りと急な登りを登って17分果樹園展望台(149M)に到着。展望台にはベンチが置いてあります。横須賀や金沢八景が見下ろせます。4分ほどいて、来た道を下り10分で分岐に着きました。残念ながら梅の花には少し早いようでした
(16) 朝夷奈切通
分岐を右(来たときから見ると左)にとり緩やかに登る。だんだん両側の壁が迫ってきて道が細くなり切通らしくなってきます。この道のピーク辺りになると切通のポイントに来ます。崖の一部に仏が彫られたりやぐらがあります。熊野神社に寄り戻ってきたあと(熊野分岐)からさらに3分下ると本日のハイライトの一番切通らしく見えるところに着きます。敵方がここを突破するのはかなり難かしいと思われます。更に4分ほどで、舗装道に出、更に4分で朝夷奈バス停に到着しました。朝夷奈切通は鎌倉七切通の一つで、鎌倉と横浜の六浦とを結ぶ経済的および防衛上の防御施設として重要な道路でした。古道の雰囲気をよく残している切通です
(17) 熊野神社
創建は鎌倉時代、 御祭神は速玉男命、伊邪那岐命、伊邪那美命。源頼朝が幕府を開くと同時に朝夷奈切通の開墾の際に守護神として熊野三社大明神を勧請したのが始まりです。手すりのある急石段を登り、鳥居を潜ると正面に拝殿、もう一石段上に本殿があります。本殿は昭和時代の建物で、新しいせいか綺麗な本殿です。また銅板葺きの屋根のカーブはいつ見ても綺麗だなと思います。鎌倉市内の寺社の人の多さが信じられないほど環境です。パワースポットの感じがします。静寂の中にひっそりとある神社で、参拝者は一人もおりませんでした
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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白旗神社説明版 頼朝没後、法華堂が建てられ、明治時代以降は寺を白旗神社(社名は源氏の白旗に由来しています)として改められ現在に至ります
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白旗神社鳥居と拝殿 石段を登ると左に白旗神社の鳥居と拝殿、左右に狛犬が配置されていま
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頼朝の墓説明版 源頼朝の幕府の北隅で頼朝が観音像を持仏堂に安置していました。頼朝没後、法華堂(行を行う仏堂または納骨堂を指す)がここに建てられ祭祀が行われました
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頼朝の墓 白旗神社から更に50段ほど石段を登ると源頼朝の墓があります
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法華堂跡(義時)説明版 頼朝の法華堂跡そばに北条義時の法華堂跡があります
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法華堂跡(大江広元等)説明版 義時の法華堂跡東谷奥に大江広元等3人の墓があります
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大江広元等の墓 ここも法華堂跡の史跡に含まれているようです。石段の手前のやぐら(鎌倉周辺で多く見られ横穴式の納骨窟または供養堂)は三浦康村一族の墓と言われています。墓は北條義時の新法華堂広場から100段余の石段を登り切ったところにあります。右のやぐらは、十八世紀末島津重豪が初代忠久の墓を造営、左は十九世紀初め毛利斉煕が初代毛利季光の墓、中央は毛利季光の父大江広元の墓を造営しました
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法華堂跡 こちらが北条義時の法華堂跡です
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荏柄天神社拝殿 福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ三天神の一社です。祭神は菅原道真で御利益は学問成就と厄除けです
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荏柄天神社梅 本殿の銅板葺きの屋根、鮮やかな朱色の柱、白壁と梅の花のコントラストがきれいです
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荏柄天神社大銀杏 境内には鎌倉一で樹齢900年の御神木大銀杏があります
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鎌倉宮拝殿 創建は1869年。主祭神は大塔宮護良親王。本殿後方に護良親王が幽閉されていたという土牢があります。本殿の屋根に菊の御紋を見ました。吉野の戦いで親王の身代わりになった村上義光を祀る村上社があります
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護良親王弟宮お手植えの梅 残念ながら2~3分咲きです
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鎌倉宮のミツマタと梅 こちらはほぼ満開です
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鎌倉宮撫で身代わり 村上社の前に義光の木彫像が置いてあり、自分の直したい患部の木彫のところを撫で、かつ絵馬に願い事を書いて収めます(千円必要)と願いが叶うとあります
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永福寺跡説明版 国指定史跡、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後、源義経、藤原泰衡、数万人の将兵の鎮魂のために、中尊寺の二階堂(大長寿院)を模倣した大伽藍の永福寺を建てました。発掘調査の結果、阿弥陀堂、二階堂(二階建てから二階堂と言われる)、薬師堂、池、橋、庭園の配置が明らかになり、盛土をして遺跡を保護し、その上に基壇、礎石を再現しています
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永福寺跡 発掘後の礎石跡の写真
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永福寺跡の礎石 発掘調査に基づいた各堂の礎石
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理智光寺跡の碑 護良親王の遺体を葬った理智光寺跡の碑が建っています
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護良親王の墓 護良親王は後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府倒幕に活躍し、倒幕後征夷大将軍に任ぜられましたが、足利尊氏と対立し、幽閉され後殺害されました。近くの鎌倉宮には親王が幽閉された土牢が残されています。急な石段を登った先に親王のお墓がありましたが、入り口には鍵がかかり墓には近づくことはできません
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杉本寺の仁王門と仁王像 天台宗の一寺で創建は伝734年。光明皇后の御願いの寺で開山は行基。本尊は三体の十一面観世音菩薩。坂東および鎌倉33ケ所の第一番札所です。文化財は十一面観世音菩薩二体、県指定本堂、運慶作十一面観音等多くを有します
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杉本寺茅葺屋根の本堂 正面に茅葺の本堂があります。本堂に入り、一番奥に秘仏本尊の十一面観世音菩薩(向かって中央が慈覚大師作、右が恵心僧都作、左が行基作)、本尊前立に頼朝寄進の十一面観音、毘沙門天像、地蔵菩薩像等多くの仏様を拝むことができました
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杉本寺本堂前の苔むした石段 石段を登り山門を潜ると正面に苔むした石段、通行禁止なので、左手の石段を登る
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杉本寺本堂前の苔むした石段 石段を登り山門を潜ると正面に苔むした石段、通行禁止なので、左手の石段を登る
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報国寺の茅葺屋根の鐘楼 臨済宗建長寺派の一寺。 1334年創建。 開基は上杉重兼または足利家時、開山は天岸慧広 。本尊は釈迦三尊像。文化財は国重文 東帰集(伝仏乗禅師筆)一冊、仏乗禅師使用の木印、市指定の釈迦如来像等を有する。茅葺屋根の鐘楼も趣があります
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報国寺枯山水庭園があります
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報国寺のサンシュユが満開です
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報国寺のサンシュユが満開です
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報国寺内には足利家の墓といわれるやぐらがあります
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報国寺の竹林 竹林を散策します。別名竹の寺として有名で、塔頭の跡に孟宗竹が生え報国寺の境内内に見事な竹の庭を形成しております
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華頂宮邸(庭側から) 昭和4年に建てられた華頂博信侯爵邸の西洋建築です。現在は鎌倉市が取得し国指定有形文化財に登録されています。木造三階建てで、銅葺き屋根を持ちます
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華頂宮邸の噴水とバルコニー 寄付金を募金箱に入れ、裏のフランス式庭園に入ります。庭園は整備されていて、広い芝生庭園、アジサイ、紅葉、特にバラの木が多く植えてありましたが、今は何も咲いていません
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浄妙寺の本堂 臨済宗建長寺派の一寺。鎌倉五山第五位。 1188年創建。 開基は頼朝の臣下足利義兼、開山は退耕行勇。本尊は釈迦如来。文化財は 国重文 木造退耕行勇坐像他、釈迦如来像、阿弥陀如来像等を有する
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浄妙寺の梅 満開です
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浄妙寺のヒトリシズカ 境内には野花を見ることができ、5年前に来た時はセツブンソウ、福寿草等を見ましたが、今回はユキワリイチゲ、福寿草1輪、ヒトリシズカを見ました。ここに来て、野花を見るのが楽しみの一つです
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浄妙寺のユキワリイチゲ
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浄妙寺喜泉庵の前には見ごたえのある枯山水庭園があります
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明王院門 真言宗の一寺、 1235年創建。 開基は鎌倉四代将軍九条経、開山は定豪。本尊は五大明王。文化財は国重文 不動明王坐像を有する。今2018年3月17日現在、参道途中から本堂までの境内は撮影禁止になっていました
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明王院本堂 ここの本堂の屋根も茅葺になっています
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明王院 シダレサクラが咲き始めていました
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光触寺本堂 時宗の一寺。 1278年創建。 開基は一遍上人、開山は作阿、本尊は阿弥陀三尊像。文化財は国重文 木造阿弥陀如来及両脇侍立像三体、紙本淡彩頬焼阿弥陀縁起等を有する
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光触寺宗祖一遍上人像が建っています
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光触寺塩嘗地蔵 商売繁盛を祈って塩を初穂に納め、帰りには塩がなくなっていて、お地蔵様が嘗めたのだろうという塩嘗め地蔵があります
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光触寺庭園 庭園は整備されているような、無いようなという感じで今ひとつです
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十二所神社本殿 伝1278年創建、祭神は天神七柱、地神五柱。古くは光触寺の境内にあったが、江戸時代後期に現在地に再建。石段を登り、鳥居を潜ると正面に拝殿、右手に小さなやぐらと山の神という祠がありました
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切通と展望台の分岐、先ず右の展望台に向かいます
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割と急な登り道を登ります
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果樹園の梅はまだ咲き始めです
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果樹園の展望台 分岐から17分果樹園展望台(149M)に到着。展望台にはベンチが置いてあります。横須賀や金沢八景が見下ろせます
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果樹園の梅 残念ながら梅の花には少し早いようでした
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割と急な登り道を登ります
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朝夷奈切通は鎌倉七切通の一つで、鎌倉と横浜の六浦とを結ぶ経済的および防衛上の防御施設として重要な道路でした。古道の雰囲気をよく残している切通です
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迫った岩壁に仏が彫られていました
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一番切通らしいところに来ました
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熊野神社への分岐で右に行きます
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熊野神社拝殿 創建は鎌倉時代、 御祭神は速玉男命、伊邪那岐命、伊邪那美命。源頼朝が幕府を開くと同時に朝夷奈切通の開墾の際に守護神として熊野三社大明神を勧請したのが始まりです
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熊野神社本殿 本殿は昭和時代の建物で、新しいせいか綺麗な本殿です。また銅板葺きの屋根のカーブはいつ見ても綺麗だなと思います
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