2019/01/18 - 2019/01/18
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belleduneさん
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上毛三山を1日で周ってきました。最後は妙義神社です。昨年11月5日に、妙義山をハイキングしたのですが、神社本殿へは行く時間がなかったので、今回お詣りしてきました。残念ながら、御殿は見学できなかったので、借景庭園を眺めることはできませんでした。
妙義山東麓に鎮座する妙義山信仰の中心となる神社です。江戸時代に、関東平野の北西にあり、江戸の戌亥(乾)、天門の鎮めとして家運永久・子孫繁栄を祈願して、歴代将軍家に深く信仰されたそうです。天門とは、北西(乾)の方位のことです。また、妙義神社、日光山・輪王寺、二荒山神社)、箱根山と共に、関東の守護神として、徳川将軍家の厚い崇敬を受けいました。創建は宣化天皇2年(537)と伝わっています。現在の社殿は宝暦年間(1751~1764)の改修によるものだそうです。
2007年の台風で、土砂崩れが起こり、修復がなされ、2013年に完了しています。
表紙の写真は、隋神門の左大臣像です。
- 旅行の満足度
- 4.5
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総門は、昨年11月5日の妙義山の旅行記にアップしてありますので、今回は省きます。
現在は、総門を潜って、銅鳥居前の石段を見上げています。右手の石垣は、高さ10mで江戸時代中期、妙義山から産出する安山岩で巧みな技巧で築かれています。 -
右手方向には御殿があります。後で行きましたが、今日は内部見学ができませんでした。
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亨保4年に建立された銅鳥居。鳥居の神額裏に「寛文人戌申(1668)十二月吉日、前天座主二品親王良尚書之」とあります。
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この銅鳥居のある位置が旧寺域と同じ高さとなります。
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銅鳥居の下部の装飾、獅子?が面白い!
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御神木
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波己曽(はこそ)社殿(旧本殿及び旧神楽殿)
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本殿、幣殿、拝殿からなり、旧本社と伝えられています。明暦2年(1656)の建造。最近まで、本殿は波己曽社に、拝殿は神楽殿になっていて、幣殿は失われていたのですが、新材を補足して移築し、大修理の末、建立当時の姿に復元されているそうです。
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石造りの太鼓橋です。
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ここから上部神域となります。165段の石段です。参道石段脇石に、宝永の年号が記されていることから、この年代に上部神域隋神門の高さの造成と参道の整備、下部寺域の基本的な地盤が造成されたものとされています。
2007年の台風後、安全のため杉が切られました。 -
隋神門が見えてきました。
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後ろを振り返ってみると、こんな急な石段でした。
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随神門からの眺め
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隋神門は明暦頃の建立。左大臣像があります。
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こちらには右大臣像
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その後ろには青鬼。
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反対側には赤鬼。
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隋神門から袖回廊が続いています。
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隋神門
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宝暦6年に建立された唐門。隋神門から左手に曲がってから、更に石段を上がります。
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唐門左右に袖廊があります。
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妻を唐破風にした銅葺の平入門。
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扉も内部も彫刻技巧が巧みです。鳳凰が舞っています。後ろの彫刻は、雉の透し彫りでしょうか。
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こちらの扉にも鳳凰が。
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唐門の龍の天井画です。
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扉周りにも彫刻が施されています。
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柱上部にも彩色を施した菊花葉の彫刻があります。
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痛まないようにアクリル板で保護されているため、反射してしまいます。
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唐門の屋根部分。
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彩色された彫刻部
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唐門の柱間の彫刻は、鳳凰のようです。
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こちら側も鳳凰かな。
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左手は神楽拝見所です。正面が南門です。
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唐門を入ると拝殿・幣殿・本殿が一体となった権現造の御本社があります。宝暦6年(1756)の建立です。
本殿、拝殿は、黒漆塗り、銅噴、入母屋造。拝殿は正面に千鳥破風を置いて、その前に唐破風の向拝屋根が張り出しています。 -
本殿の板壁部、欄間、蟇股、小天井、柱頭などに彫刻が施されています。
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鶴や鷹と鳶などが彫られています。後輩の柱の根巻金具の彫刻も繊細で、その技術は日光東照宮の彫刻師がここへ来て、彫り上げたものと伝えられているそうです。
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拝殿の向拝部との繋の海老虹梁に、上り龍が見えます。
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こちら側には、下り龍があります。
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欄間、蟇股、脇障子なども見応えがあります。
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脇障子の竹林に七賢人でしょうか。竹林七賢人とは、中国の晋時代に、世の中の煩わしさを避け、隠者七人が集まって、清談に耽ったという故事のことだそうです。
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右から拝殿、幣殿、本殿と繋がっています。
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附透塀から覗いて見ています。
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本殿です。
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附透塀の向こうに見える本殿・幣殿・拝殿。
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左端に唐門が見えます。正面に見えるのが附神饌所です。
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北門から下りていきます。
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北門
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妙義山への登り口です。
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165段の石段
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旧宮様御殿へ
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残念ながら、内部は今日見れませんでした。明治天皇第10皇女貞宮の御養育主任となった楫取素彦は、数え2歳の貞宮と共に、明治31年の夏をこの御殿で過ごしたそうです。内部の上段の間、借景庭園など見たかったです。
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向こうに見えるが御殿。嘉永5年(1852)に再建されてもの。
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群馬県指定の天然記念物である妙義神社のウラジロガシです。
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行きにお参りした波己曽社殿です。
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社殿側面です。
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凸凹しているので、足元を見ていないと転びそう。
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青銅製灯籠は、「奉献永代御神燈元治紀元甲子(1864)六月、諸国、糸繭商人、諸商人、養蚕人、一連」とあり、総215人外に活國廣東より活國人八人の名も刻まれているという。
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これは、樹齢五百年の大杉の子孫です。昭和8年に国指定の記念物の大杉が、昭和40年頃老朽化で衰弱し、昭和46年の突風で、倒壊しました。茨城県の国立関東林木育種場に、この杉の木の健全な穂を接ぎ木して保存してありました。それを取り寄せ、自根を出して、完全な大杉の子孫として、昭和49年春に植栽したものだそうです。
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人気のない静かな境内です。
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総門
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月が空に浮かんでいました。
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