2018/11/23 - 2018/12/03
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nitarikujiraさん
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ほとんど何の情報も持たず、というかそもそもほとんど情報などなく訪れたサンセバスチャン近郊の町パサイア。そこでバスク独立の生々しい風を感じ、そこはラファイエットがアメリカ独立戦争のために船に乗った港だと知る。その他に何が、何かあるのか?
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Barを出て、港までの道を引き返す。
すると正面に観光案内所のある建物が見えてきた。
手前にバスクの旗がかかっている。
昨日までと違い、強烈にバスクを主張しているように感じられる。
それにしても重厚な石積みの建物だ。 -
開館時間は10時から14時までと16時から18時まで。夏場とイースターの日は開館が1時間早くなり、閉館が1時間遅くなる。日曜日は午前中だけ開館。
と読みながら、まだ一番大きな文字に目が行ってない。 -
先ほどの重厚なドアは開け放たれていた。
中に踏み込むと一人の男が出迎えてくれた。
写真ではあるが。
ヴィクトル・ユーゴーである。
フランスのロマン主義の詩人、小説家で政治家でもあるヴィクトル・ユーゴー。「レ・ミゼラブル」の著者であり、その出版後、売れ行きを心配して出版社に出した手紙「?」と出版社からの返事「!」が世界で一番短い手紙として有名だ。
この観光案内所はヴィクトル・ユーゴ―が暮らしたこの19世紀の石造りの家の1階に設けられていた。
そもそもここがヴィクトル・ユーゴ―の家という情報を持っていなかったのでこれには少し驚いた。開け放たれた入り口の正面に彼が立ち、左手奥が観光案内所、右の階段を上るとヴィクトル・ユーゴ―の住居となる。 -
2階に上がると廊下の正面に彼の胸像が立っている。
-
胸像の手前を右に入ると窓際にピアノが置かれた居間になる。
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窓からは港が望め、気持ちのよさそうなベランダがある。
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居間に隣接して二つのベッドルームがある。廊下側のこちらの部屋には書き物机があるので、おそらくこちらの方がユーゴ―の部屋であろうと思われる。
壁には、おそらく何らかの詩の一節が書かれてある。 -
そして海を臨む隣の寝室はどこか女性的である。
気になって調べてみた。
彼には幼馴染の恋人、アデールがいた。母親から交際を反対されていたが、母の死後、1821年に結婚する。しかしその10年後、アデールはユーゴ―の知人の文芸批評家の男と恋に落ちてしまう。
寂しくなったユーゴ―は1833年、女優のジュリエットの愛人になる。この愛人関係は長く続き、1943年、愛娘の結婚を機に二人はピレネーへの旅に出る。その旅の途中で滞在したのがここパサイアのこの家であったということである。したがってこの部屋は愛人のジュリエットが使っていたのではないだろうか。
しかしこの家に滞在していた9月4日、愛娘がセーヌ川で溺死してしまい、9月9日にその報を聞いたユーゴ―はこの家を立ち去ることになる。 -
このピアノを弾いたのはジュリエットであろうか。
話は戻るが、ユーゴ―の妻アデールに関してはもう一つ悲劇がある。
ユーゴ―の実兄がアデールに恋し、発狂して精神病院に入院してしまうが、1837年、そこで自殺してしまっている。
発狂するほどの恋、か。 -
愛娘をなくしすっかり心に大きな穴の開いたユーゴ―であったが、娘の死の2年後、彼は画家のビヤールの妻と姦通している現場を警察に押さえられている。画家の妻は当時の法律により収監され、ユーゴ―もスキャンダルで攻撃されたが、当時のルイ・フィリップ王がユーゴ―を可愛がっていたため、ルイは画家にベルサイユ宮殿の壁画を描く仕事を与え、事態の収拾を図っている。
この時、まだジュリエットとも愛人関係にあったのでジュリエットは深く傷つくことになっただろう。
ユーゴ―の家は3階もあり、踊り場の壁には男前のユーゴ―の写真が飾られている。 -
観光案内所、もしくはヴィクトル・ユーゴ―の家への入り口は舟着き場から歩いていくと、このようなトンネルを抜けるところにある。
トンネルと便宜上呼んでみたが、この上には建物が立っている。 -
トンネルの中にはキリスト像がある。
対岸のマリア様とちょうど向かい合う位置関係にあっている。
偶然でしょうか。 -
ヴィクトル・ユーゴ―の家から舟着き場を通り過ぎて海岸沿いに歩いてみた。
-
しばし佇んでいると、想像もしなかったようなスケールの貨物船が前を通って行った。
波の荒いビスケー湾からは入り江になっているので天然の良港になっている。
ラファイエットがアメリカ独立戦争に参加するため船に乗り込んだ港であったということが思い出される。 -
狭い路地を抜け、広場に出る。
Barがあったのでワインを飲むことにした。 -
Barでワインを飲んでいる間に雨になった。
店を出て、雨の中広場に面した家々を撮ってみる。
バスク旗が風にはためいている。 -
そしてここにも
ETXERA
の旗が飾られている。
ピンクの旗もバスク独立運動に関係するものだろうか。 -
小雨に打たれながら帰途につく。
ほとんど予備知識なく訪れたPasaiaの町。
正確にはヴィクトル・ユーゴ―の家がある町はPasai Donibaneという町になるのだが、この小さな町を訪れて、静かな、けれど力強いバスクの魂を感じることなった。
今まで何の疑問もなくサンセバスチャンと呼んでいた街を、バスク語であるドノスティアと呼ばないといけない気がしてきた。 -
ドノスティアも雨だった。
旧市街へ出たものの、人影は少ない。 -
だが、Barに入ると盛況だった。
ドノスティアの夜の楽しみはピンチョスに限る。 -
この店の一押し、フォアグラのピンチョスをいただく。
-
そして〆はキリンビールとラーメン。
遠い異国で祖国を思いながらいただきました。
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