2018/12/03 - 2018/12/03
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ドクターキムルさん
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大磯町西小磯を流れる血洗川に架かる切通橋の袂には道祖神がある。ここの小字は西町というようで、西町の道祖神と呼ばれているようだ。ここの石塔にも「道祖神」と彫られており、屋根が付いている。まるで石廟のようだ。この道祖神の石塔の側面には世話人の名と建立年(明治16年(1883年))の銘がある。明治期の道祖神であり、この頃には石塔に屋根を上げたのであろうか?また、五輪塔も安置されている。傍らの石碑は「水神」(大正11年(1922年)銘)であり、関東大震災(大正12年(1923年))の前年に建てられ、水神さまを祀っている。この血洗川に由来するものであろう。
この先、東海道は城山(小磯城址)の裾野を切通にして二宮へと続くが、その切通の手前であることから、血洗川に架かる橋に「切通橋」の名が付いたのだろう。それにしても「血洗川」とは…。Webでは、「切通しの岩窟中に行基作と伝えられる地蔵があった(現在は大磯町国府本郷の西長院にあり「身代わり地蔵」と呼ばれている)。縁起によれば、源頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際、狼藉をはたらいた者がおり、梶原景時の子悪太郎景義が疑いをかけられた。この地蔵に帰依していた悪太郎はお参りに来た際に畠山重忠によって討たれた。だが、悪太郎の身体には傷はなく、代わりにこの地蔵が血を流し、その腕も刀傷を受けたかのようであった。その時に地蔵が流した血を洗ったことにより、この名がついたと言われている。」(ウィキペディア)とその名の由来を記載している。鎌倉十二所(じゅうにそ)にも「太刀洗川」と名付けられた滑川(なめりがわ)の支流があるが、これと似ており、いづれも鎌倉時代に遡るようだ。
かつての村の外れに当たる場所であろう。しかし、今では旧吉田茂邸の手前になっており、旧東海道が「関東ふれあいの道 大磯高麗山の道」になっている。
(表紙写真は切通橋袂にある道祖神)
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