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 大磯町西小磯にある旧伊藤博文邸の滄浪閣(そうろうかく)は初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文(天保12年(1841年)~明治42年(1909年))にゆかりのある別荘である。明治31年(1898年)に建てられた金沢別邸(横浜市金沢区野島町)から別荘地が大磯に移っていった。当初の建物は、明治29年(1896年)に建てられた萱葺き屋根の和館と洋館であったが、関東大震災(大正12年(1923年))で倒壊し、それまでの部材を活用する形で大正15年(1926年)頃に再建された。今回は国土交通省 関東地方整備局が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開で訪れた。<br /> Web(http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x2n/cnt/f3670/documents/07-1_ito.pdf)には、「伊藤博文は、明治 23 年(1890)に小田原十字町に別邸を設け「滄浪閣(そうろうかく)」と名付けましたが、梅子夫人の療養のため、明治 29 年(1896)滄浪閣を大磯に移した後、明治 30 年(1897)10 月 1 日に本籍を東京から大磯に移し、ここを本邸として使用しました。<br /> 博文没後、養子博邦に継がれ、大正 10 年(1921)に朝鮮京城府李王職の長官を務めていた李載克に譲渡されました。大正 12 年(1923)の関東大震災で被害を受け、現存する建物はその際に再建された建物です。戦後には、米軍に接収され、軍人の施設として使用されました。<br /> 昭和 26 年(1951)に西武鉄道が購入、昭和 29 年(1954)から平成 19 年(2007)まで大磯プリンスホテル別館として「滄浪閣」の名称を残し営業していました。この間に行われた改築等により当初の状況をとどめているのは洋室棟と和室棟のほか、小屋組等の軸組は旧状を残しているものの、間仕切りや仕上げ材などは改変されました。しかしながら、町民からは別荘地大磯のシンボルとして変わらずに認識されています。」とある。<br /> 結果的には和洋折衷住宅が流行した時期に再建された和洋折衷住宅である。しかし、これまでに外観を見てきた横浜市内や鎌倉市内、平塚市内の和洋折衷住宅とは全くのところ異なる外観を呈している。一般的な和洋折衷住宅では和館は宮大工、洋館は大工が担当し、2人の棟梁が別々にそれぞれの建物を建てるという形になり、和館を建てた後に洋館を建て増す場合も多くある。ここ大磯町西小磯にある滄浪閣では一人の大工棟梁が和館と洋館を同時に一緒に建てている。そのために、洋館部分の屋根と和館部分の屋根が段差なく繋がり、和館、洋館とも同じ鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっており、度肝を抜くものである。また、財力があれば屋根は銅板葺きになるのだが、見た目には鉄の赤錆が出ているようにも見える。震災後の復興住宅には上屋が重くなる瓦屋根を避けて、軽いトタン屋根にして柱を細くした住宅が建てられたが、その類か?<br /> また、洋館は鎌倉や横浜・山手では有り触れたハーフティンバーの洋館で、水色の柱と白壁は洋館の定番色でもある。ただ、洋館は左右対称に作られ、食堂と寝室の棟には出窓が設えてあり、寝室の窓ガラスの上部にはステンドグラスの装飾が施されている。<br /> 和館の外観は当時のモダンな近代数寄屋建築のものであり、他の和洋折衷住宅のような伝統的で本格的な日本建築ではない。この当時に和洋折衷住宅はその土地の名士の住宅として建てられているものが殆んどであり、ここ滄浪閣程度の建坪はある。<br /> 道路側、あるいは裏の小道から見える現在まで残っているこの時代に建てられた和洋折衷住宅も、道路からは見えない場所にはこうした初めて目にする建築様式の建物もあるものだとつくづく実感した。1ヶ月以上も待って、わざわざ大磯町まで来た甲斐があったというものだ。<br />(表紙写真は滄浪閣の和館)

滄浪閣(旧伊藤博文邸)(明治記念大磯庭園)

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2018/12/03 - 2018/12/03

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ドクターキムル

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 大磯町西小磯にある旧伊藤博文邸の滄浪閣(そうろうかく)は初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文(天保12年(1841年)~明治42年(1909年))にゆかりのある別荘である。明治31年(1898年)に建てられた金沢別邸(横浜市金沢区野島町)から別荘地が大磯に移っていった。当初の建物は、明治29年(1896年)に建てられた萱葺き屋根の和館と洋館であったが、関東大震災(大正12年(1923年))で倒壊し、それまでの部材を活用する形で大正15年(1926年)頃に再建された。今回は国土交通省 関東地方整備局が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開で訪れた。
 Web(http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x2n/cnt/f3670/documents/07-1_ito.pdf)には、「伊藤博文は、明治 23 年(1890)に小田原十字町に別邸を設け「滄浪閣(そうろうかく)」と名付けましたが、梅子夫人の療養のため、明治 29 年(1896)滄浪閣を大磯に移した後、明治 30 年(1897)10 月 1 日に本籍を東京から大磯に移し、ここを本邸として使用しました。
 博文没後、養子博邦に継がれ、大正 10 年(1921)に朝鮮京城府李王職の長官を務めていた李載克に譲渡されました。大正 12 年(1923)の関東大震災で被害を受け、現存する建物はその際に再建された建物です。戦後には、米軍に接収され、軍人の施設として使用されました。
 昭和 26 年(1951)に西武鉄道が購入、昭和 29 年(1954)から平成 19 年(2007)まで大磯プリンスホテル別館として「滄浪閣」の名称を残し営業していました。この間に行われた改築等により当初の状況をとどめているのは洋室棟と和室棟のほか、小屋組等の軸組は旧状を残しているものの、間仕切りや仕上げ材などは改変されました。しかしながら、町民からは別荘地大磯のシンボルとして変わらずに認識されています。」とある。
 結果的には和洋折衷住宅が流行した時期に再建された和洋折衷住宅である。しかし、これまでに外観を見てきた横浜市内や鎌倉市内、平塚市内の和洋折衷住宅とは全くのところ異なる外観を呈している。一般的な和洋折衷住宅では和館は宮大工、洋館は大工が担当し、2人の棟梁が別々にそれぞれの建物を建てるという形になり、和館を建てた後に洋館を建て増す場合も多くある。ここ大磯町西小磯にある滄浪閣では一人の大工棟梁が和館と洋館を同時に一緒に建てている。そのために、洋館部分の屋根と和館部分の屋根が段差なく繋がり、和館、洋館とも同じ鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっており、度肝を抜くものである。また、財力があれば屋根は銅板葺きになるのだが、見た目には鉄の赤錆が出ているようにも見える。震災後の復興住宅には上屋が重くなる瓦屋根を避けて、軽いトタン屋根にして柱を細くした住宅が建てられたが、その類か?
 また、洋館は鎌倉や横浜・山手では有り触れたハーフティンバーの洋館で、水色の柱と白壁は洋館の定番色でもある。ただ、洋館は左右対称に作られ、食堂と寝室の棟には出窓が設えてあり、寝室の窓ガラスの上部にはステンドグラスの装飾が施されている。
 和館の外観は当時のモダンな近代数寄屋建築のものであり、他の和洋折衷住宅のような伝統的で本格的な日本建築ではない。この当時に和洋折衷住宅はその土地の名士の住宅として建てられているものが殆んどであり、ここ滄浪閣程度の建坪はある。
 道路側、あるいは裏の小道から見える現在まで残っているこの時代に建てられた和洋折衷住宅も、道路からは見えない場所にはこうした初めて目にする建築様式の建物もあるものだとつくづく実感した。1ヶ月以上も待って、わざわざ大磯町まで来た甲斐があったというものだ。
(表紙写真は滄浪閣の和館)

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  • 「東海道松並木」。

    「東海道松並木」。

  • 「関東ふれあいの道」。最近、伊勢原市日向でもこれを見た。

    「関東ふれあいの道」。最近、伊勢原市日向でもこれを見た。

  • 国土交通省が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開の集合場所。

    国土交通省が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開の集合場所。

  • 国土交通省が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開の集合場所。

    国土交通省が主催する明治記念大磯庭園・明治150年記念公開の集合場所。

  • 大磯プリンスホテルのレストラン跡。

    大磯プリンスホテルのレストラン跡。

  • 大磯プリンスホテルのレストラン跡。

    大磯プリンスホテルのレストラン跡。

  • 大磯プリンスホテルのレストラン跡。

    大磯プリンスホテルのレストラン跡。

  • 旧大磯プリンスホテルの建物。

    旧大磯プリンスホテルの建物。

  • 滄浪閣洋館。

    滄浪閣洋館。

  • 滄浪閣洋館食堂。

    滄浪閣洋館食堂。

  • 滄浪閣洋館応接室。

    滄浪閣洋館応接室。

  • 滄浪閣洋館寝室。

    滄浪閣洋館寝室。

  • 滄浪閣洋館食堂の出窓。

    滄浪閣洋館食堂の出窓。

  • 滄浪閣洋館。

    滄浪閣洋館。

  • 滄浪閣洋館と和館。

    滄浪閣洋館と和館。

  • 滄浪閣洋館と和館。

    滄浪閣洋館と和館。

  • 滄浪閣洋館と和館。

    滄浪閣洋館と和館。

  • 滄浪閣和館。

    滄浪閣和館。

  • 滄浪閣洋館。

    滄浪閣洋館。

  • 滄浪閣洋館。

    滄浪閣洋館。

  • 滄浪閣和館。鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

    滄浪閣和館。鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

  • 滄浪閣洋館寝室。ここにも鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

    滄浪閣洋館寝室。ここにも鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

  • 滄浪閣洋館食堂。ここにも鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

    滄浪閣洋館食堂。ここにも鴟尾(しび)の形をした棟瓦が上がっている。

  • 旧大磯プリンスホテルの滄浪閣。

    旧大磯プリンスホテルの滄浪閣。

  • 旧大磯プリンスホテルの滄浪閣。

    旧大磯プリンスホテルの滄浪閣。

  • 「伊藤公滄浪閣之旧蹟」碑。

    「伊藤公滄浪閣之旧蹟」碑。

  • 石碑。

    石碑。

  • 稲荷社。伊藤博文邸時代からのものか?

    稲荷社。伊藤博文邸時代からのものか?

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