2018/12/02 - 2018/12/02
156位(同エリア7080件中)
lagunaさん
- lagunaさんTOP
- 旅行記69冊
- クチコミ7件
- Q&A回答6件
- 93,802アクセス
- フォロワー60人
12月に入り、久々に「鎌倉散策」を楽しんできました。
いつもながら「鎌倉」は小・中学・高校の修学旅行や外国人観光客でにぎわっていました。
当日は気温が低く、太陽もほとんど顔を出さずで肌寒い感じでした。
今年の紅葉は台風による塩害のせいか、あまり鮮やかな紅葉ではありませんが晩秋の季節に浸ることができました。
いつも掛かりつけの医師から「歩かないと寝たきりになってしまうよ」と言われるので、老体にムチ打って歩くように心がけていますが、漫然と歩くと「〇〇症の徘徊者」と間違われるといけないので、それなりの格好をしていますが・・・・
行程は次のとおりです。
JR鎌倉駅西口~問注所址~裁許橋~六地蔵~甘縄神明神社~鎌倉大仏~御霊神社~月影地蔵~JR鎌倉駅
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
PR
-
JR鎌倉駅西口を出て、鎌倉市役所方面に歩き、十字路を左に曲がり、極楽寺方面に歩きだすと今小路の道になります。
今小路は一般的には、寿福寺から六地蔵に至る道をいっています。
元今小路の敷地の一部である、御成小学校の敷地から発掘調査で木簡が見つかり、「鎌倉郡衙」があったことが確認されています。 -
御成小学校の向かい側には問注所址の碑があります。
鎌倉時代に訴訟を裁許する役所で、今でいう裁判所のような機関があった場所です。 -
先ほどの今小路を横断して流れる佐助川に架かる裁許橋です。
訴訟を裁許(判決)する問注所が近くにあったことに由来します。 -
この裁許橋で源頼朝と西行法師が出会ったという逸話があります。
-
写真ののうなぎ屋さんは昔、往年の大女優「田中絹代」が鎌倉山から何度も食べに来たといわれた由緒あるうなぎ屋さんです。
-
歴史小説「徳川の夫人たち」などを書いた小説家「吉屋信子」の居宅跡です。
現在、鎌倉市に寄贈されて「吉屋信子記念館」となっています。 -
閑静な住宅街にある平屋建ての母屋は、吉屋信子の「奈良の尼寺のように」との希望で建てらたそうです。
-
毎年、春と秋には一般公開されています。
行かれる方は、鎌倉市役所に事前に確認してからお出かけください。 -
鎌倉市の景観重要建築に指定されている「鎌倉市長谷子ども会館」です。
明治41年に株仲買人の福島浪蔵の邸宅として建てられ、その後、三重県出身の大富豪、諸戸清六の別邸となった。明治時代の華麗な造形が特徴で、バルコニーの柱にはギリシャ建築の様式が取り入れられています。 -
源頼朝に最初から仕え、鎌倉創成期に活躍した「安達盛長」の屋敷跡です。
この碑は、「甘縄神明神社」入り口近くに建っています。 -
「甘縄神明神社」に着きました。この階段を頑張って上っていきます。
-
階段を上りきると、なにか碑文が見えました。
「甘縄神明神社」は鎌倉で奈良時代に出来た一番古い神社です。 -
万葉集の歌でしょうか。
-
源頼義が「甘縄神明神社」に参拝して子を授かったことから源氏と結びつきが強い神社として知られています。
授かった子が「八幡太郎義家」です。
源頼朝や北条政子、実朝も参詣したと伝えられます。
この神社には「北条時宗公産湯の井」があります。 -
「甘縄神明神社」を正面に見て、左に見える建物が、「川端康成」が住んだ家です。
この日も修学旅行の生徒が、大行列で見に来ていました。
ただし、敷地内には入れません。 -
少し、拡大してみました。
川端康成がここ「長谷」の家で執筆した小説が「山の音」だそうです。 -
こちらが、「川端康成」が住んだ家の正門です。
-
庭も木々が多くて建物が見えません。
-
長谷の裏道をせっせと歩いていくと、高徳院に着きました。
いわゆる「鎌倉大仏」のあるお寺さんです。 -
正式には「大異山 高徳院 清浄泉寺」といい、浄土宗の寺です。
拝観料200円を支払い、大仏殿にむかうと、あれ!まあ!観光客の多いこと多いこと、半端ではありません。
外国人がとてつもなく多く、修学旅行の学生・生徒もまけずに多く、目が回りそうでした。 -
せっかく来たのだから、大仏さんの写真をと必死の思いで撮りました。
-
大仏の裏手にある「観月堂」です。その昔、朝鮮から解体・移築された由緒ある建物だそうです。
-
ここに有名な「与謝野晶子」の大仏を称えた歌があります。
-
「かまくらや 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」
有名すぎるくらい有名な歌ですよね。
この歌で、与謝野晶子は決定的な間違いを2つしています。
1.「御仏なれど 釈迦牟尼は」は、釈迦牟尼でなく「阿弥陀仏」なのです。
大仏の指を見てください。両腕の親指と人差し指を丸くして組んでいますよ ね。これは「阿弥陀九品印」のひとつである「上品上生」の印なのです。
2.「美男におわす」とありますが、元来仏さまには人間と違い、男性・女性の区 別はなく、強いていえば「仏性」というべきでしょうか。
しかし、あまりにも有名になりすぎた歌ですが・・・・
以前、私が若い頃オーストラリアから来た人を案内したことがありました。
やはり、しきりにこの大仏は男性だろうというのです。
何故かと聞いたら、女性だったらもっと胸があるはずだと。
やはり、何でも合理的に考える欧米人は感覚が違うなと感じました。 -
高徳院の周辺の木々もだいぶ色づいてきました。
-
今日も大勢の観光客が来てにぎわっています。
-
東南アジアからの観光客は、大仏の前ではお供物をささげ、きちんとひざを折って石畳に頭を付けている姿が印象的でした。
-
大仏殿左手の紅葉を観光客がカメラに収めていました。
-
木々もだいぶ色づいてきましたが、まだ、ピーク時には時間がかかりそうです。
-
日本の紅葉は、海外から来た観光客が見てもとても美しいと言います。
-
高徳院をあとにして、長谷寺の前を通り抜け、御霊神社に到着しました。
-
御霊神社の祭神は「鎌倉権五郎景政」で、後三年合戦では、八幡太郎義家に従い、数々の武功をあげた。敵に右目を射抜かれてもひるまず戦った武勇伝が残っている強者だったと言われています。
-
御霊神社にある御神木「タブの木」は鎌倉市の天然記念物に指定されています。
-
御霊神社から極楽寺に向かう途中にある、「上杉憲方の逆修塔」に着きました。
極楽寺に着く手前に表示板がありますが、行かれる方はよほど注意して歩かないと見落とししてしまいます。また、進入路も狭いので、注意してください。 -
極楽寺を左に見て、「月影地蔵」に向かいます。
-
もともとは、「月影ヶ谷」(つきかげがやつ)にあったものが、現在の場所に移転されたものです。
-
「月影地蔵」は子供たちの健やかな成長を願う地蔵として、地元の方に守り継がれてきた地蔵尊です。
そもそも「お地蔵さん」は、この世と地獄のパスポートを持っているといわれます。
親より先に死んだ子は「親不孝」とされ、三途の河原で石を積んでいます。
「ひとつ積んでは母のため、ふたつ積んでは父のため・・・」
そこへ地獄の鬼が現れ、石を積んでいる子をいじめるそうです。
ですから、親は先だった子が鬼にいじめられないよう、お地蔵さんにお願いするのです。お地蔵さんは、子が鬼からいじめられそうになると、スーッと現れ、法衣で子を隠し、鬼からの危害を救うといいます。
しかしお地蔵さんは、頼まれた親の子がどの子かわかりません。
だから、子をなくした親は、生前子が身に着けていた「よだれ掛け」をお地蔵さんの首につけて、我が子の匂いを知ってもらうようにします。
そして、お地蔵さんに死んだ我が子のことを頼む親が「よだれ掛け」をお地蔵さんにかけるのです。
いつまでたっても、親の子に対する愛情は消えることはありません。
子が死んでも、まだその行く末を案じ、お地蔵さんにお願いしているのです。
余談ですが、最近あった事件で3歳の女の子が親からの折檻で亡くなるという悲しい報道がありました。冬の寒いマンションのベランダに放置し、ロクに食事を与えず、暴力をふるった親が逮捕されましたが、こういう情けない親は、お地蔵さんにお願いし、すぐ地獄へ連れて行ってもらいたいです。そして「一つ積んでは子のため ふたつ積んでも子のため」と石積みをずっとやってなさい!!!と言いたい。
子は親を選んで生まれてはこないんだぞ!!と言いたい。
私は子育て卒業してますが、孫の安全・無事をひたすら祈ってきました。
さあ、すっきりした気持ちで帰ることとしましょう。
日曜日で行楽日和なので、極楽寺から鎌倉駅まで相当込み合うことでしょう。
今回、少し理屈っぽくなり、難しかったかもしれません。
お読みになって、疲れたことと思います。
お地蔵さんの話もいろいろな説がありますので、参考までにとどめてください。
最後までお読みいただき有難うございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37