2018/08/02 - 2018/08/02
16位(同エリア1030件中)
norio2boさん
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メキシコシティに初めてやって来たのは、あれは確か6年前の2012年の11月でした。
あの時、メキシコシティに行くのなら「死者の日」にと決めていました。
「死者の日~ Día de Muertos、Day of the Dead」とは日本の「お盆」のような国民の祝日で11月1日から2日間です。
メキシコシティへ行きたいと思ったのはフリーダカーロ(1907~1954)の作品を直接自分の目で見たかったからでした。
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今回のメキシコ行きはツアーへの現地参加でした。
メキシコシティ空港でツアーの皆さんにお会いして小型バスに同乗してフリーダカーロ美術館へやってきました。
博物館が6年前とくらべて変わったことにはこんなものがありました。
1)圧倒的に来場者が増えていて入口はパリのルーブル美術館並みの行列でした。
お客さんが増えたということはフリーダカーロの人気の裾野が広がっていることの証拠だと思います。
フリーダの生き方のなかに何か自分の生き方を投影しているような女性客の熱心な眼差しとオーラが心に残りました。
2)フリーダカーロの衣服の展示は別棟にまとめて展示されていました。
いろんな形のコルセットや松葉杖、患者服なども詳細な解説パネル付きで展示されていました。ここでも女性客は熱心に解説を読んでいました。
フリーダカーロが亡くなってから50年以上過ぎて博物館の運営サイドもフリーダの個人的な遺品を公開するようになっています。
3) 前回は展示されていなかった作品を3枚見ることができました。
4)イサムノグチ がフリーダカーロに送った「蝶々の標本」は変わらずベッドの天蓋にありました。
数年前にここでコンサートを行ったアメリカのシンガソングライターのパティスミス(ボブディランのノーベル文学賞の受賞式典で「はげしい雨が降る」を代わりに歌った)はこの「蝶々の標本」インスパイアされたようで、本館の展示を終わって階段を降りた中庭の青い壁に、パティスミスの作った献辞「Noguchi's Butterflies」が書かれていました。
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以下は長文になりますのでご関心のない方はスルーして下さい。
世界を代表する女流画家フリーダカーロの事を知ったのは1989年頃です。
1989年は昭和天皇が亡くなられ年号が平成となった年です。
急成長というかバブル経済が株価急落で崩壊し始めるのが1990年です。
(東西ドイツの統一が1990年、湾岸戦争が1991年です)
その当時は大手のデパートは文化貢献活動の一環としてミュージアムを経営していました。
池袋の東武デパートにも美術館があって1995年には「ブリューゲルの世界展」と題してダルムシュタット美術館の収蔵作品「絞首台のカササギのいる風景」を持って来て展示したりしていました。
西武デパートでは渋谷と有楽町に美術館がありました。
有楽町は有楽町アートフォーラムと呼ばれていました。
1989年にここで「フリーダカーロ展~愛と生、性と死の身体風景」が行われました。
フリーダの主要な作品が(今では考えられない程の作品数でした)集まっていました。
会場には何体もの骸骨の張りぼて「フーダス」がぶる下がっていていました。
この時が、奇妙で、普通ではない、そして魅力的なフリーダカーロとの最初の出会いでした。
翌年1990年にはメキシコ映画の「フリーダカーロ」が渋谷の東急Bunkamuraのシネマ2で上映されました。
西武の展示会での疑問というか好奇心でこの映画も見ました。
フリーダの死後ソ連邦の赤い国旗に包まれたフリーダの棺にディエゴリベラがつきそうシーンから始まる映画でした。
時系列ではなく「心象で」展開するストーリーは、2003年に制作されたアメリカ映画よりもメキシコとフリーダを上手に表現出来ていると思います。
ノーベル文学賞作家の大江健三郎の「人生の親戚」という本が出版されたのは1989年です。
身障者を子供に持つ親たちの交流を中心にストーリーは展開します。
やがて自殺してしまう身障者の息子の母親である主人公のまり恵さんは「小児まひ、交通事故と続く受難の経歴を持ち、それにも負けず絵を描き続けたフリーダカーロ」に共鳴しメキシコシティへ旅立ち、、、というストーリーです。
(大江健三郎氏のフリーダカーロ作品の描写の部分は「文章」で「絵画」は表現可能かという意味で興味深いです)
堀尾真紀子さんが「フリーダカーロ引き裂かれた自画像」を中央公論社から出したのも1991年でした。
ニューヨークのヘイデンエレーラ(Hyden Herrera)著「A Biography of Frida Kahlo」からの引用が多い本です。
日本語訳の「フリーダカーロ生涯と芸術」(晶文社刊)は1988年でした。
バブルの崩壊前夜の1990年前後は日本にとってフリーダカーロの「当たり年」だったようです。
そのような経緯で僕はメキシコのコヨアカンにフリーダカーロの作品を見に行きたいと思いはじめていました。
実際にはメキシコシティへの旅行が実現したのは20年後の2012年になりました。
その時の旅行記は下記です。
ご覧になって頂ければ嬉しいです。
https://4travel.jp/travelogue/10736058
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
-
メキシコシティへの直行便は
エアロメヒコ 成田15:25~メキシコシティ空港13:00 AM57便 Terminal 2着
ANA 成田16:35~メキシコシティ空港15:20 NH180便 Terminal 1着
があります。
ツアーのみなさんはエアロメヒコ
僕はANA(最長飛行時間路線)で前日にメキシコシティに入りました。
空港内のヒルトンメキシコシティエアポートに宿泊しました。
空港の敷地の中にあるホテルです出口を出て左に曲がると3-4段の階段の上に写真のHiltonの青い看板が見えます。
その下がエレベーター2基です。
メキシコシティ空港でも制服みたいな服装の男性が何かと寄って来ます。
温厚で親切そうなおじさんでした。
思わずヒルトンホテルは?と聞くと案内されてエレベーター前でチップを要求されました。
メキシコペソは持っていないというとドルでもくれというので1US$を渡しました。ヒルトン メヒコ シウダー アエロプエルト ホテル
-
ヒルトンメキシコシティエアポートホテルのカウンターです。
朝食なしで1泊21000円でした。 -
ヒルトンは空港内にあります。
荷物を置いてメキシコ用のプリペイドSIMを買いに空港内を散策しました。
HUAWEIの無料充電スタンドが並んでいます。
写真の右側に並んでいるテイクアウトの店で左側のフリースペースで食事する若者たちです。 -
両替屋さんが沢山並んでいます。
一番人が多い店で少し両替して見ました。
US$40で700ペソになりました。
両替屋さんが6店舗くらい並んでいます。
レートは各店同じです。
行列ができているわけでも無いのに何故並んでいるのでしょうか? -
日本ではドコモ、ソフトバンク、auですが、メキシコではこのTelcelというのが主流のようです。
SIMフリーのiPhoneにプリペイドSIMカードを挿しています。
通話ができるし、検索できるし、ナビができるし、写真には現地時間と場所が記録できるし、通訳ができるし、日本とのヴィデオ会話(ライン経由)もできるし
高齢者の一人旅の「強力な補助道具」です。
メキシコではSIMカードのことを「アミーゴチップ」と呼んでいます。
(プリペイドSIMカードと言っても通じません)
10日間、2G、通話100分で279ペソ(2000円弱)
アクチベート確認(稼働確認)、電話もかけてみるをしてからお金を払います。
営業時間は朝9時から夕方7時までです。
英語は全くダメです(僕はスペイン語まるでダメ)
全てが無事に終わっていかつい男性店員にお礼(グラシャス)を言いました。
隣に座っっていた女性店員がその男性店員の頭を良くやったねという感じでやさしく撫で回しました。
男性店員もようやく人相の悪い東洋人の客(僕)の対応を無事に終えてホッとしたようでした。
笑ったら可愛らしい、人の良さそうな若い男性でした。
緊張してたのか交渉中は怖いおっさんに見えましたが、、、、 -
翌日はエアロメヒコでやって来る皆さんと合流します。
メキシコの空港は少し複雑です。
ANAは ターミナル1
エアロメヒコは ターミナル2
ターミナルが普通の空港のように単純に繋がっていないのです。 -
ターミナル間の移動は
電車は飛行機の搭乗券の提示で無料
バスは18ペソ
タクシは500ペソ
があります。
今回はターミナル2でツアーの皆さんと集合した後コヨアカンに行くのでバスを利用しました。
バスの行列で前にいたメキシコ女性に確認したら30ペソと教えてくれました。バスの運転手は18というのでその金額を払いました。(現金) -
エアロメヒコ 成田15:25~メキシコシティ空港13:00 AM57便 Terminal 2着
成田からのエアロメヒコの直行便はほぼ定刻で到着しました。 -
空港から小型バスで皆さんとコヨアカンへ移動です。
ツアーの日程ではフリーダカーロ博物館とトロッキー博物館を見学予定でしたが、何故か、時間の都合でフリーダカーロ博物館だけの見学になりました。フリーダ カーロ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
MUSEO FRIDA KAHLO 「フリーダカーロ博物館」
フリーダカーロ(1907~1954)の生まれ育った家です。
ハンガリー系のユダヤ人の写真家を父にスペイン系のインディオを母に生まれた所がこの家です。
この家にもアトリエはあります。
サンアンヘル地区にある「ディエゴリベラとフリーダカーロの家」がアトリエ兼住居です。
あと、「ドロレスオルメドパティニョ美術館」の3ヶ所がフリーダを知る上では訪れて頂きたいスポットだと思います。
1954年7月13日肺血栓のため「コヨアカンの自宅」で死去しています。フリーダの死後ディエゴリベラはこの家をドロレスオルメド財団に寄贈しています。
4年後の1958年7月「コヨアカンの自宅」が「フリーダカーロ博物館」として公開されています。ディエゴリベラの遺言で「フリーダカーロ博物館」収蔵の作品と全てのものの持ち出しが禁じられています。
通称はCasa Azul (The Blue House)です。 -
博物館の入り口には骸骨の張りぼてがディスプレーされています。
-
入り口の右側の小部屋は
チケット
クローク
オーディオガイド
インフォメーション
になっています。 -
入場券メニューです。
一般週日200ペソ土日220ペソ
メキシコ人80ペソ土日90ペソ
ガイドスペイン語500ペソ英語600ペソ
珍しく英語が併記されています。
写真撮影代は自己負担で30ペソ支払いました。 -
Frida y Diego vivieron en esta casa
フリーダとディエゴはこの家に住んでいました。
スマホのGoogle翻訳を使ってカメラ入力すると訳してくれます。
会話モードもあるのでメキシコでは結構使いました。
しょせん、機械翻訳です。翻訳にミスが出ないような「簡単な表現」での入力が必要です。
ディエゴとの結婚が1929年です。
この年にクエルナバカ(メキシコシティの南75km)のコルテス宮殿(2017年の地震で修復休館中)の2階に壁画制作の仕事が入りクエルナバカで新婚生活を送っています。
サンアンヘルにある「ディエゴリベラとフリーダカーロの家」アトリエ兼自宅は1934年に作られています。
(メキシコの建築家としてはルイスバラガン1902~88が有名ですが、ここはファンオゴルマンの作品です。隣にオゴルマンの家があります。Juan O'Gorman1905~82)サボテンの外壁、採光のためのノコギリの刃形状の屋根、フリーダ棟とリベラ棟の構造と渡り廊下など機能的で無駄を省いた構造の家です。 -
入ったところの展示です。
-
何枚かの下絵が展示されています。
油彩画の技法についてディエゴのアドバイスがあったと言います。 -
フリーダカーロの作品の中で強烈な印象を鑑賞者に与えるのは
自画像
次がこの「ヴィヴァラヴィダ(生命万歳)」だと思います。
フリーダは自画像や家族や医者を描いた人物画が知られていますが、静物画も魅力的です。 -
「生命万歳」の下のスイカの部分です。
VIVA LA VIDA
Frida Kahlo
Coyoacan 1954 Mexico
作品に文字を書き込むのはフリーダカーロの作品に見られる特徴です。
日本の水墨画では「讃」または「画賛」という文化があります。
水墨画を描きそのそばに文字を書き合わせて鑑賞する文化です。
フリーダの絵に書かれた文字はそれとは違って「奉納画」に書かれる文字に近いものだと思います。
メキシコをはじめとする中南米には「レタブロ」という奉納画の民間の伝統があります。
フリーダカーロは一般人が描いた「レタブロ」(この博物館にも展示されていますが)を好んで収集していました。「レタブロ」のように絵に文字を補足することは彼女にとって「祈りの気持ち」を添えることだったように思います。
1954年は亡くなった年です。
7月13日未明に肺血栓のためコヨアカンの自宅で死亡。
スイカは好きな題材であったようです。
1953年4月には初めての個展をメキシコシティで開催しています。
病状が悪化したフリーダはメキシコのテワナ衣裳で着飾り担架に載せられ個展のオープニングに登場したと伝えられています。
8月には壊疽が更に悪化し右足を膝から切断。
手術後は落胆の日が続き制作活動も停止したという。
薬の依存は極限に達した。手術跡と注射のカサブタで注射針を刺す場所もありませんでした。ディエゴは妻の薬中毒を止めるためにアルコール(コニャックを2L/毎日)を飲ませたが効かなかったと伝えられています。 -
前回は展示されていなかった作品その1
この作品も初めて見ました。
フリーダカーロの画集でも見たことありませんでした。
解説パネルによると
1954年(亡くなった年)の制作
「レンガ焼成窯」
52x72cm メゾナイト(硬質繊維板)に油彩
フリーダの絵とは思えない風景画です。
色使いはベンシャーンを思わせるくすんだ色彩です。
炎が見える4つの窯の前にはソンブレロを被った男性が長い火搔き棒を持って作業をしています。
前年の1953年には壊疽のため右足を膝から切断したフリーダ。
実際にこの光景を現地でフリーダは担当医師のファーリルとのドライブの通りすがりに見たという。
この絵の静けさは死後は火葬されことを望んでいたフリーダの気持ちの反映だという評論家がいます。
最近、フリーダの数多くの未完作品のある倉庫の中に発見された1枚だといいます。 -
前回は展示されていなかった作品その2
石膏を局面に形成しコラージュして彩色した作品です。新しい造形に挑戦していたことが分かります。
「カラーパレット」1927~29年の制作
48.5x64.5cm 石膏にテンペラで彩色
フリーダが20~22歳の頃の作品です。
フリーダが初恋の人に送るために描いた最初の自画像「自画像-アレハンドロに捧ぐ」の制作が1926年です。
その頃の作品です。
自分はどんな絵を描いたら良いのか?
新しい可能性、自分の絵画の方向性を模索していたのでしょうか。
1925年の壊滅的な交通事故の後、フリーダは病床で絵を描き始めています。
絵を描くことをすすめたのは父親のギリュエルカーロでした。
彼はハンガリーユダヤ人の写真家でした。 -
前回は展示されていなかった作品その3
ほぼ無彩色で構成された風景画作品です。
「ペドレガル風景」1952年
30.5x40cm カンバスに油彩
ペドレガルはメキシコシティの西部の街です。
荒れ果てた、ひび割れた大地には画面中央部分に人が倒れているような形状のものが描かれています。左手前には投げ捨てられたような仮面が描かれています。
フリーダカーロ博物館の作品のそばに貼られた解説パネルでは1952年制作と記述されていました。
画集で見ると1946年制作とされていました。 -
写真の左側の壁に展示されている小さな作品たちはフリーダカーロが収集したメキシコの一般人の描いた作品です。
メキシコには「レタブロ」という習慣があります。
日本でいうところの「絵馬」です。
神社に行くと「XX高校に入学出来ますように!」とか「おばあちゃんが元気になりますように!」とか書かれた板があります。あれが「絵馬」です。
病気になったけどもおかげさまで助かりました。
交通事故で亡くなりました。
そんな体験を持つ(画家ではない)一般市民が絵と文字を板に描き教会に奉納するのが「レタブロ」です。
日本の「絵馬」は奉納しご利益をお願いするのに対して「レタブロ」ではおかげさまでという感謝の立場で描かれているものが多いようです。 -
フリーダのコレクションの「レタブロ」が並んで展示されています。
描かれた絵の下には文字が書かれています。
薄い木の板や金属の板に描かれています。 -
メキシコシティに1942年文部省絵画彫刻学校が開校しています。
「エスメラルダ」と呼ばれたこの絵画彫刻学校の22人の教員の一人としてフリーダカーロも10年間にわたり参加しています。
このコヨアカンの自宅も生徒たちに解放されました。
1945年には公共洗濯場の壁画制作に生徒たちを参加させています。 -
フリーダカーロの指導方針は生徒の個性の尊重でした。
目に入ったものを、好きなものを描きなさい
町へ出ましょう、外へ出て町の生活を描きましょう
とフリーダ先生の言葉が残されています。
エスメラルダへの通勤が病状の悪化で苦しくなり、この青い家で授業を行うようになりました。
この食堂も使われたのだと思います。 -
室内の飾り付けの鑑賞も楽しい。
フリーダは生徒たちに、室内の果物、花、皿などの配置換えをさせ、誰が一番人目をひく構成に出来るか競わせ、日常生活での美に対する姿勢を教えようとしていました。
生徒たちが卒業の時にフリーダは「あなたたちがいなくなると寂しくなるわ」といい、ディエゴが「ひとりだちの時がきたのだよ」と言った。 -
大きなイーゼルが置かれたアトリエは一般的な画家とは違って整理整頓された空間です。
居間や食堂も整然としています。 -
アトリエ部分
大きなイーゼル(画架)は高さが変えられるように特別に改造されているとい言います。 -
整然と配置されています。
そこにフリーダの几帳面さを感じます。
パレットの上の絵の具の配置や
右側の絵の具ボトルの並べ方
博物館の職員が綺麗にメンテしているからだという意見も聞きますが、
几帳面な画家であり主婦だったと思います。 -
左側に最初のベッド
天蓋には鏡があります。 -
入り口側の(最初の)ベッドです。
天蓋には大型の平面鏡が置かれている。
寝たまま自画像を描くのに使われていました。
ベッドのレースの上には深緑色の細いストライプのショールがあり彼女のデスマスクが置かれています。
前回はキャンバスがわりに絵を描いたコルセットが置かれていました。
病床にあっても絵を描くという行為をしている時には正常な精神状態でいられる事が出来たと思います。 -
フリーダのベッドの奥には彼女の松葉杖が置かれていました。
6年前は、ここに彼女の義足(赤いブーツを履いた)が置かれていました。
白いシーツでカバーされたベッドの上にはグリーンのストライプのショールと彼女のデスマスクがありました。 -
2番目のベッドです。
イサムノグチの「蝶々の標本箱」(意外と分厚い)が見えるでしょうか? -
2番目のベッドの天蓋にあるイサムノグチが送った「蝶々の標本」です。
-
iPhoneを持った手を伸ばして標本箱を真下から撮影しました。イサムの手作りの標本のようです。
イサムノグチがメキシコにやって来たのは1935年です。
フリーダカーロが妹のクリスティナとの関係を知りついにディエゴリベラと離婚したのがこの年1935年です。
イサムノグチはディエゴリベラの依頼を受けアベラルドロリゲスマーケットに「メキシコの歴史」という立体壁画作品を制作しています。
高さ2m、横幅20mという大きな立体壁画作品で完成まで8ケ月にわたりメキシコシティに滞在しています。
今回の旅行でイサムノグチの「メキシコの歴史」も見てきました。その旅行記は別にまとめています。
https://4travel.jp/travelogue/11396201 -
フリーダのコレクションの小物たち
彼女が手を加えたものもある。 -
本館の展示スペースを出ると下り階段があって中庭に降りるようになっています。
何か見落としたものがあればこの階段を上がり展示室に戻ることもできます。 -
中庭を少し上がったところに今でもビデオコーナーがあります。
小さな画面ですが、熱心に聞いています。
画面に映った絵からすると「ちょっとした刺し傷」という作品についての解説のようです。 -
青い壁には白い文字でパティスミスの献辞があった。
パティスミスはボブディランがノーベル文学賞を貰った時に受賞式で代理出席してディランの歌を歌った女性歌手です。 -
中庭の青い壁面に描かれたパティスミスの献辞「ノグチの蝶々」の全文です。
シンガーソングライターのパティです。
精神的に深い詩です。訳はやめておいた方が良いようです。
子供の頃、風邪をひいて寝ていると退屈で天井を見上げていたものです。
実家は日本式家屋でしたので、天井は板を何枚も組み合わせてものでした。
その木目を見つめていると、発熱のせいか何かの形が見えてきたものです。
この家のフリーダカーロの2番目のベッドの天蓋に「蝶々の標本」が飾られているのに気がつく人は少ないです。
ましてや、それがイサムノグチから送られた事に気付きその時の自分の思いを詩にできる人が何人いるでしょうか?
パティスミスはノーベル文学賞の受賞式でボブディランの「Hard Rain's a gonna fall」を代読、代唱した歌手です。
2番目の歌詞のところでパティは歌えなくなってしまいます。その時、パティは「ごめんなさい。ナーバスになってしまって、、、、。歌い直していいですか?」と歌い始めます。
その時のyoutubeです。
9分と長いですが聞く価値あります。
時間のない方は2:00~2:30の部分だけでもお聞きください。
https://youtu.be/DVXQaOhpfJU -
着るものやコルセット関係は奥の別棟に集めて展示されています。
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手前に松葉杖、奥にコルセット各種が展示されていました。
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ABC Hospitalと名前の入った白衣です。
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フリーダのドレスが並べられています。
フリーダカーロ博物館はフリーダの死後50周年の活動として彼女のプライベートな「遺品」を一般に公開しはじめています。
その活動の一つとして、日本の女流写真家の石内都にフリーダの「遺品たち」の撮影を依頼しています。
石内 都(1947~)は多摩美で当初は染織をやっていましたがカメラへ転向した経歴の作家です。
母親の「遺品」を撮影し作品集にした「Mother’s」から独自の境地をつかんでいます。
その後は広島の原爆被害女性の「遺品」を撮影した「Hiroshima 」で世界的な評価を得ています。 -
先程の松葉杖の展示コーナーの正面写真です。
石打都の撮影現場(フリーダカーロ博物館)でのメッセージが残されています。
「今まで通り普通に撮ると決めていた。フリーダはとても著名なアーティストだけれど、残されたモノの悲しみという点では、無名の女性たちが残した<ひろしま>の遺品と同じ。遺品たちは何も語らないけれど、かつて服を着た人がたしかに生きていたことを感じていた。フリーダの遺品にも同じ気持ちで向き合いたかった」 -
この石打都の撮影の様子はドキュメンタリー映画として2015年に公開されています。
ご参考まで
予告編です。
https://youtu.be/vhZQvJ_WlME -
熱心に見学する女性客です。
-
男性の僕には想像出来ないコルセットの数々が展示されています。
-
このコルセットのベルトの部分を見るときれいで実際に使われなかったようです。
1945年には背骨の状態は悪化し、補助コルセットを使わないと自立出来ない状態でした。
この皮製の他に銅製のものなど30個ほどのコルセットを使用しました。
よく知られているのは石膏のコルセットです。外した後にフリーダはキャンバスのようにこのコルセットの上に絵を描いています。
1946年にはニューヨークで椎骨の接合手術を行うが痛みは改善できず、モルヒネを使いはじめ幻覚症状に襲われるようになります。
フリーダは多量の香水を使用しています。
入浴が充分出来なかった為に香水を多量にするしかなかったのです。 -
自慢のドレスだったと思います。
-
写真は「フリーダカーロ博物館」の別棟の展示でフリーダの松葉杖の脇にあった日記帳の1ページです。
1953年に壊疽が悪化し、右足の膝からしたを切断しています。
赤い背景にひび割れた膝から下の右足が描かれています。
足なんかいらない
私には大空を自由に飛び回る翼があるのだか
1953
このフリーダカーロの日記帳はオルメド財団の収蔵品です。
ドロレスオルメドパティニョ美術館には今回も行きましたが、前回と同様フリーダの作品は海外に貸し出しされていました。
この日記帳は一般公開されているでしょうか?
この日記帳は友人から1944年頃ニューヨーク土産に貰った赤革の本だといいます。
個人的な日記です。
一部はフリーダの友人が破り捨てられ160ページが残されています。
この日記帳は米国のHarry N. Abrams, Incから「The Diary of Frida Kahlo」として出版されています。
英文の対訳がついています。
ーーーーーーーーーーーーーー
今回の旅行記を動画にまとめました。
https://youtu.be/FRCgqO29-Ok
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この旅行記へのコメント (9)
-
- お黙り!さん 2019/01/28 21:23:27
- 何時も楽しみにしています
- norio2boさん、こんにちは。
今回はメヒコまで行かれたんですね。凄いです。私の知らないことばかりでこの旅行記、バイブルになりそうです。norio2boさんの旅行記を発見して、コメントさせて頂いたのも「死者の日」の旅行記だったと記憶しています。norio2boさんもフリーダが好きだったのですね。最近はブリューゲルの旅行記が目立っていましたが。イサムノグチもお好きだったんですね。年末にTVで映画「私を離さないで」を見ました。フリーダとノグチさん、生と死、愛と苦しみ、逃れられないものに立ち向かう姿勢。普段はぼんやりしている私ですが、魂の世界へいざなってくれる旅行記。ありがとうございました。
昨年、ウインブルドンへテニスを見に行った時、たまたま「フリーダ・カーロ展」を見ることが出来、ラッキーでした。
マリー
- お黙り!さん からの返信 2019/01/28 21:31:10
- Re: 何時も楽しみにしています
- すみません。間違えていました。カズオ・イシグロでした。イサム・ノグチさんは彫刻家でした。なんか?時代が違うように思っていましたが。大変失礼いたしました。
- norio2boさん からの返信 2019/01/28 21:48:23
- Re: 何時も楽しみにしています
- お黙り!さんさん
メッセージありがとうございます。
大坂なおみすごかったですね!
世界ランキング1位!
フランスで勝てればなおみの天下が続きそうです。
6年前にもメキシコの旅行記をご覧頂きありがとうございます。
ブリューゲル没後450年展が終わって
ブリューゲル関係であと3本鋭意作成中です。
加齢と共に薄らぐ記憶です。
早めに仕上げたいと思っています。
新しい旅行記のアップを楽しみにしています。
追伸
フリーダカーロ美術館の動画YouTubeを旅行記の頭に付けました。旅行記と同じ画像です。
- norio2boさん からの返信 2019/01/28 22:21:59
- Re: 何時も楽しみにしています
- 最終ページに追記しました。
動画にまとめました。
https://youtu.be/FRCgqO29-Ok
- お黙り!さん からの返信 2019/01/29 16:05:45
- とっても素敵です
- 音楽がマッチしていて、とても素敵です
-
- yukiさん 2019/01/28 19:49:35
- norio2boさんへ
- norio2boさん
こんばんは!
norio2boさんのこちらを読み、フリーダの映画がまた観たくなりました。
私が知っているのはサルマハエックのフリーダだけでしたが、それより昔のフリーダカーロという映画があるんですね。
そちらも借りて観たいと思います。
いつから日本でも広く知られるようになったのでしょうね。
でもそうなるべき人ですね、フリーダカーロとディエゴは。
そしてnorio2boさんのお好きなイサムノグチ先生ともここで繋がっていたんですね。
私は画集は持っていますものの、一度も本物を見たことがないんです。
こちらの旅行記にまた何度も来させていただきたいと思います。(^^)
カメラちゃん
- norio2boさん からの返信 2019/01/28 21:33:37
- Re: norio2boさんへ
- カメラちゃんざん
メッセージありがとうございます。
メキシコシティにはANAが直行便飛ばしています。
今年の旅行先の候補でいかがですか?
8月のメキシコは高度が高いのか日本より涼しかったです。
ANAの最長飛行時間路線です。
寒い毎日が続いています。
ご自愛ください。
新しい旅行記アップお待ちしております。
-
- wakupaku2さん 2019/01/28 13:39:19
- フリーダ大好き
- norio2boさん
こんにちは。
フリーダの詳細な解説付きの旅行記、とってもよかったです。懐かしくて、面白くて、何度も読み返しています。
私は去年1月にメキシコに行く前に、初めてフリーダを知り、映画を見て予習していきました。
メキシコシティだけでなく、プラヤデルカルメン、グアナファトもフリーダとディエゴの展示があった。メキシコの象徴のようなお方ですよね。
作品が強烈、人生はもっと強烈、で、自宅でお土産に買ったマウスパッド(スイカの絵柄)を見て、思い出しています。フリーダのお顔のTシャツを着ると皆に驚かれるんですけど(笑)
ところで、個人でエアを取って、ツアーに合流?ってどういう風にしたらできたんでしょうか?私はフリーダ見るために、現地ツアーを探して、現地ガイドさんに組んでもらって、大変だったんですけど・・
- norio2boさん からの返信 2019/01/28 18:58:34
- Re: フリーダ大好き
- wakupaku2さん
メッセージありがとうございます。
wakupaku2さんのメキシコ旅行記拝見しています。
丁寧な旅行記作成とても参考にしています。
美術鑑賞の旅行をしています。
作家ブリューゲルとフリーダカーロです。ほとんど共通点のない2人ですが、あえて言えば「絵のうまさ」でしょうか?
最近は旅行記の筆の運びが遅くなりました。
今年もよろしくお付き合いください。
新しい旅行記のアップをお待ちしています。
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