2018/11/12 - 2018/11/14
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ペコちゃんさん
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一度行ってみたかった南九州の鹿児島・宮崎・・・南九州を回る2泊3日の旅行に出かけました。
1日目は、8時のJALで羽田から鹿児島空港に飛び、午後は半日コースの定期観光バスで市内の主要スポットを観光。
2日目は特急列車で宮崎へ向かい、午後から青島観光。
3日目はレンタカーで日南海岸をドライブし、夜のフライトで羽田へ。
見どころが多く食べ物も美味しい南九州をゆっくり観光するためには、1県で3泊くらいしたいところですが、なかなかそうもいきません。
またの機会を楽しみに、駆け足で回った3日間でした。
写真は、鹿児島の中心街・天文館通りに設置された「重豪、薩摩の科学技術の礎を築く」の像・・・この地に天文館の地名の由来となった明時館(天体観測や暦の研究施設)を建てた第25代薩摩藩主・島津重豪が、家臣と天を仰いでいる姿です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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<1日目>
8時に羽田を離陸したJALは、10時に鹿児島空港に到着。
鹿児島には、1932年に造られた鴨池空港が市内にありましたが、1966年に全日空機がオーバーラン事故を起こしたこともあり、1972年に霧島市の高台に現在の鹿児島空港を開設しました。 -
今年は明治維新から150年、そして「西郷どん」ブーム・・・この時期に鹿児島に来られたのも、何かの因縁でしょう。
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種子島・屋久島・奄美大島・・・鹿児島空港は多くの離島路線を抱えていることもあり、頻繁に飛行機が飛び立っています。
利用客数は、九州では福岡空港に次いで第2位、日本国内では中部国際空港に次いで第9位と、国内有数の規模。 -
空港からリムジンバスに乗って、約40分で市内に到着。
ホテルに荷物を預けて、鹿児島中央駅から市電で中心地の天文館へ。 -
「天文館」は鹿児島で最大の繁華街。
少し変わったこの地名は、ヨーロッパ文明を進んで取り入れた第25代薩摩藩主・島津重豪(しげひで:1745~1833)が、1779年に天体観測や暦の研究施設としてこの地に建てた明時館(別名:天文館)に由来します。
天文館通りのアーケードを通り抜けて歩いていくと、島津斉彬公を祭る照国神社や西郷どんの銅像があります。 -
市電「天文館通」で下車。
今日は雨の一日ですが、天文館通りはアーケード街になっているので、雨も桜島の火山灰も大丈夫。 -
市電の通りを挟んだ反対側もアーケード街になっています。
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天文館は「天文館通」の電停を中心に、アーケードが縦横に広がる繁華街・歓楽街で、地元の人や観光客でいつも賑わっています。
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ショッピングゾーンの天文館にはマリメッコなども出店し、地元の若い人たちから天街(てんまち)という愛称で親しまれています。
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丁度、お昼になったので、アーケード街を進んで左に入った所にある昭和41年開業の「正調さつま料理・熊襲亭」へ。
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(上の写真)鹿児島の郷土料理が一通り楽しめる「熊コース(1,800円」
(下の写真)熊コースに熊襲亭名物・酒ずし、季節のご飯がついた「おたのしみコース(2,300円)」
鹿児島の味(きびなごの刺身 / さつま揚げ / 黒豚のとんこつ等)が楽しめました。 -
昼食後、アーケード街に戻ります。
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アーケード街のお店を覗きながら・・・
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1階にお菓子屋さんやお土産屋さんが入っている「菓々子横丁」で、お土産をゲット。
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天文館や周辺の7カ所に、幕末から大正期にかけて日本の近代を創った、鹿児島にゆかりの15人の偉人達の像「時標(ときしるべ)」のオブジェが設置されています。
これは、天文館に設置された島津重豪と家臣(水間良実)の像で、タイトルは「重豪、薩摩の科学技術の礎を築く」。
天文館が建てられた当時、この辺りには石垣をめぐらした武家屋敷があったそうです。 -
天文館のアーケード街は、アーチ型・片屋根型を合わせて約2kmにも及び、桜島の降灰や夏の強い日差しも気にせずにショッピングやグルメを楽しめます。
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13時半に、半日観光・早回りコースで市内観光へ・・・コースは《 城山⇒桜島⇒仙厳園 》。
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鹿児島中央駅と天文館で観光客を乗せた観光バスは、城山に向かいます。
照国神社を過ぎて車窓から見えてきたのは、鹿児島観光の目玉「西郷隆盛銅像」・・・1932年に没後50年を記念して建てられた像で、台座を含めると8mもあります。
夜間ライトアップの時に、もう一度見に来ることにしました。 -
続いて見えてきたのは「鶴丸城跡」。
1602年に18代当主・島津家久が築いた「鶴丸城」は、天守閣がない屋形造りの城で、江戸へ輿入れ前の篤姫もここで数か月を過ごしました。
1897年に焼失したため、今残っているのは石垣とお堀だけですが、明治維新150周年記念事業として、鶴丸城の正門だった「御楼門」の復元工事が始まっています。(完成予定:2020年) -
城山の駐車場に着きました。
JR九州バスの定期観光バスはカラフルな車体で、よく目立ちます。 -
鶴丸城の裏手にある標高107mの城山は、山頂から鹿児島市街と桜島が一望できる絶好のスポットですが・・・
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雨が降ったり止んだりのお天気なので、展望台から肝心の桜島は見えません。
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この景色を見たかったのですが、仕方ないですね~(写真はHPより)
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上の写真:鹿児島市立美術館(緑の屋根)
下の写真:西本願寺・鹿児島別院 -
城山から下りる途中、「西郷洞窟」で写真タイム。
1877年(明治10年)に起った西南戦争で、政府軍に追い詰められた西郷隆盛が、数名の側近と最後に立て籠った洞窟です。
この洞窟で5日間過ごした後、山を下りる途中で腰に銃弾を受け、最後は自決しました。 -
バスに乗ったままフェリーに乗り込み、桜島へ。
昭和9年から運航を開始した「桜島フェリー」は、約3.5kmの距離を約15分で結びます。 -
バスから降りて、フェリーの甲板へ出てみると、1997年に開館した「いおワールドかごしま水族館」が目の前に見えます。
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橋の先は、錦江湾と繋がっている「イルカ水路」。
この水路は、水族館内のイルカのプールとも繋がる水族館の一部。
イルカショーのない時間帯は、ここでイルカが自由に泳いだり遊んだりする姿を遊歩道や橋の上からも見ることが出来、しかも、水族館のショーのようなジャンプや鳴き声まで披露してくれることも・・・勿論、無料で観れますよ。 -
鹿児島市営の桜島フェリーは、現在5隻が就航しており、各船とも旅客定員は約700名、乗用車の積載能力は約60台。
24時間営業で、日中は1時間に3~4往復し、年間利用者数は450万人を超えています。
このフェリーは、1995年に竣工した第十五櫻島丸(チェリークイーン)。(総トン数:1134トン、船の長さ:56m) -
フェリーが出港し、鹿児島の街を見ていたら、突然、白波が・・・何と、イルカの群れです!
錦江湾には野生のイルカが200~300頭も生息しているそうですが、ガイドさんも見たことがないとか。 -
桜島は見えませんが、イルカが見れて満足!
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桜島ターミナルに到着し、「湯之平展望所」に向かいます。
かつて島だった桜島は、1914年(大正3年)の噴火により、東側が大隅半島と陸続きになりました。 -
桜島の山道をグングン上り、北岳の4合目(標高373m)にある「湯之平展望所」へ。
ここは、桜島の中で一般の人が立ち入れる最高地点の展望所。 -
目の前に迫った桜島の高峰・北岳(1117m)の荒々しい山肌・・・桜島は有史以降、30回以上の噴火が記録に残されており、特に文明(1471~76年)、安永(1779~81年)、大正(1914年)の3回が大きな噴火でした。
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展望所2階から望む北岳・・・先ほどまでは雨雲で山頂が見えなかったのに、ラッキー!
今日は風が東向きのため、南岳の噴煙は反対側(大隅半島)の方に流れています。 -
錦江湾を挟んで、対岸には鹿児島市の街並みが霞んで見えます。
天気が良ければ、北に霧島連山、南に開聞岳が見えるのですが・・・ -
展望所2階にある桜島のジオラマ。
約5,000年前までは手前の北岳だけでしたが、約4,500年前の噴火によって奥の南岳が生まれました。
現在、噴煙を上げているのは南岳の火口です。 -
折角、桜島に来たので、展望所1階の売店で「桜島みそ大根」をお土産にゲット。
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展望所を後にして、大正溶岩原を見ながらフェリー乗り場に戻ります。
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これは、鹿児島出身のシンガーソングライター・長淵剛のモニュメント「叫びの肖像」。
2004年8月21日にこの地で開催された長渕剛・桜島オールナイトコンサートに集った約7万5千人の情熱のシンボルとして、50トンもの桜島溶岩を使って製作・建立されたものです。
コンサート会場の跡地は、赤水展望広場として整備されています。 -
桜島と桜島大根をデザインした街路灯。
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指宿温泉や霧島温泉など鹿児島県は、温泉大国かつ銭湯大国!
鹿児島市には、45軒もの銭湯が軒を連ね、しかも天然温泉が多いのです。
これは、鹿児島市役所の近くにある源泉かけ流しの「かごっま温泉」。
ガイドさんも ” 銭湯めぐりがお勧めですよ~ ” -
定期観光の最後は「仙厳園」。
バスを降り、仙巌園に隣接した「鶴嶺(つるがね)神社」へ・・・明治2年に創祀されたこの神社には、島津氏初代・忠久公(1227年没)以降の歴代当主とその家族たちが祀られています。 -
16代当主・島津義久の三女である亀寿(かめじゅ)姫(1571~1630年)も御祭神の一人・・・ 亀寿姫は大変美人だったと伝えられ、鶴嶺神社にお参りすれば身も心も美しい女性になるとか・・・心を込めて参拝しました。
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錦江湾に面している仙巌園は、島津氏の別邸跡とその庭園で、磯庭園とも呼ばれます。
園内は約15,000坪もあり、とにかく広い! -
1658年に第19代当主・島津光久によって造園された仙厳園は、目の前の桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年に国の名勝に指定されています。
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仙巌園では江戸時代に人気の高かった菊の園芸文化を伝えるため、昭和35年より「菊まつり」を開催しており、明治維新150周年に当たる今年は約1万5千本の菊が園内を彩っています。
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1本仕立ての鉢以外にも、華麗な作品が園内を飾っています。
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相撲を身近に愛した薩摩の人々。
大河ドラマ「西郷どん」でも相撲のシーンがありましたが、その撮影場所がここです。 -
そして薩摩藩といえば、「斉彬公」と「篤姫」。
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懸崖作りも見事。
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菊花三重塔や、鮮やかな黄色い菊で彩られた籠に入って、皆さん記念撮影。
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「反射炉跡」。
嘉永4年(1851)に薩摩藩主となった島津斉彬は、軍備強化だけでなく殖産興業のために近代化政策を行い、「集成館」をこの地に築きます。
反射炉は大量の銑鉄を溶かして鋳型に流しこみ、大砲の砲身を造る施設ですが、仙巌園の入口近くにその基礎部分が遺っています。 -
これは、錦江湾に面した「正門」。
樟を使って明治28年に建てられました。 -
「仙巌園」という名称は、中国江西省にある景勝地「龍虎山仙巌」からとったと言われています。
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嘉永元年(1848)まで仙巌園の正門だった「錫門」は、当主と嫡男しか通ることが許されていなかったそうです。
薩摩藩の特産品だった錫で屋根を葺いた朱漆塗りの錫門は、わが国唯一の錫瓦葺き建造物。 -
29代・島津忠義が明治17年(1884)に造らせた「獅子乗大石燈籠」。
畳八畳ほどの大きな笠石の上に、大きく口を開けた逆さの獅子「飛獅子」が乗っています・・・これだけ大きな石を見つけてくるのも大変だったでしょう。 -
天気が良ければ、目の前に桜島が見えるのですが・・・
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鶴が羽を伸ばしたように見える「鶴灯籠」。
島津斉彬は、御殿からこの灯籠までガス管を引いてガスの実験を行い、日本で初めてガス灯を灯した灯籠です。 -
自然石を集めて石灯籠の形にした「山燈籠」は、化け燈籠とも言われます。
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島津家の別邸として利用された「磯御殿」は、見事な書院造り。
現在残されている御殿の建物は、明治17年に改築された部分を中心に、往時の3分の1ほどの規模。
来客への応接に使用された「謁見の間」、島津忠義が1日の大半を過ごした「御居間」、忠義の寝室である「御寝所」、藩主専用の浴室「御湯殿」や美しい中庭などを見学できます。(別料金:300円) -
廊下の雨戸にも工夫があり、角にある丸竹の所でクルリと雨戸が回るようになっているので、戸袋が目につきません。
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御殿裏山の山腹の巨大な岩に刻まれた「千尋巌(せんじんがん)」。
千尋巌とは、「とても大きな岩」という意味。 -
約40mの岩に刻まれた「千尋巌」の3文字は、27代・島津斉興が失業者救済の公共事業として、杉や竹で足場を組んで3ヶ月の日数と人員延べ3,900人を要して彫らせたものだそうです。
1文字の縦は3.3m、幅は2.2m~2.6mもあり、遠くからでも目立ちます。 -
お土産屋を覗いて、半日観光が終わりました。
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鹿児島中央駅でバスを降りて、ホテルに戻り一休み。
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その後、再び市電に乗って夜の天文館へ。
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軍服姿で口を真一文字に結んだ表情が凛々しく見える、ライトアップされた西郷さん。
この像は、郷土出身の彫刻家・安藤照(1892~1945)が東郷平八郎より依頼を受けて、習志野大演習で陸軍大将の制服を身に着けた西郷の姿を思い描き、1937年に制作した銅像です。 -
西郷像の近く、中央公園南側にある「時標」のオブジェは「伊地知、吉井、政変について語る」。
徳川幕府と改革派の覇権争いの中、井伊大老が暗殺された安政の大獄(1860年)について、薩摩藩士の吉井友実・伊地知正治・大久保利通らの間でも、この政変をめぐって様々な議論が交わされました。 -
これは、加治屋町交差点にある「イギリス艦、鹿児島湾に現る」。
イギリス人が死傷した生麦事件を解決するため、1863年にイギリスは薩摩に7隻の艦隊を派遣し、薩英戦争が勃発。
イギリス艦隊入港の知らせを聞いて、大山巌、西郷従道、山本権兵衛も港に駆け付けます。 -
鹿児島市内を流れる甲突川に架かる高見橋のたもとにある、大久保利通(1830~1878年)の銅像。
大久保は、西郷隆盛・木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称され、明治草創期に活躍した指導的政治家でしたが、馬車で皇居へ向かう途中、暗殺されました。〈享年49歳〉。
没後100年を記念して1979年に制作された本体4.3mの銅像ですが、維新の三傑といえども、ここ鹿児島では「西郷どんの敵」という認識で一致しているようで、この銅像が建てられるまで、かなり揉めたそうです。 -
高見橋の中ほど両サイドに置かれた「母と子供の群像」。
「子供たちが健やかでたくましく育つ姿」と「強さと厳しさを秘めながら優しく、子供たちを見守る母の姿」を表現しているのだそうです。 -
高見橋から鹿児島中央駅は直ぐ。
アミュプラザ鹿児島の屋上には、直径約60m、最大高91mの大観覧車「アミュラン」のイルミネーションが輝いています。 -
これは、駅ビルのアミュ広場に飾られたシンボルタワー「光の塔」・・・薩摩切子がモチーフで、高さは12m。
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駅ビルの2階に上がると、昔の西鹿児島駅からは想像出来ない賑わい・・・まさに、新幹線効果です。
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今日のホテルは、鹿児島中央駅から徒歩で約5分の「シルクイン鹿児島」・・・奄美の伝統工芸品・大島紬の「都喜ヱ門」ブランドで知られる藤絹織物(株)が母体のビジネスホテル・・・だから名前が「SILK INN」なんですね。
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ホテルの自慢は、地下約700mから湧き出る良質の天然温泉、しかも源泉掛け流し・・・泉質は塩化物泉で、お肌にも優しいと言われています。
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ビジネスホテルですが部屋は広く、ベッドはセミダブルで、ゆったり過ごせました。
明日は宮崎に向かいます。
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