2017/12/10 - 2017/12/10
29位(同エリア75件中)
あおしさん
戦後から最近まで、日本の政治には「フィクサー」「政界の黒幕」と呼ばれる人たちが暗躍してきました。
吉田茂から佐藤栄作に至る歴代の総理に絶大な権力を行使し、「日本の大統領」「室町将軍(事務所が東京室町にあったため)」と呼ばれた三浦義一。
三浦は佐藤栄作首相、田中角栄自民党幹事長(当時)に「2月11日を建国記念日にしろ!」と恫喝して、「建国記念日」が制定された、というエピソードが表に出ています。
裏ではさらにいろいろあったことでしょう。
他にも、ロッキード事件で田中角栄の黒幕であることが明らかになった児玉誉士夫、私の子供のころのアニメ「一休さん」のCMに出ていた笹川良一、共産党から右翼のフィクサーになった田中清玄、暗殺集団「血盟団」出身で中曽根、細川首相の指南役とされていた四元義隆など。
彼らは豊富な資金と、暴力(人殺しもしていたようです)で時の政治家たちを動かしていたとされています。
最近読んだ「下山事件 最後の証言」という本の中でジャーナリストの柴田哲孝さんと言う人が、フィクサーの1人、矢板玄という人に平成4年に会ったという話があり、その矢板玄の家が今は一般公開されているとのことで、行ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
12月10日は毎冬、冬の「青春18きっぷ」のスタートの日。
というわけで18きっぷで、東京から宇都宮線のグリーン車でまず宇都宮駅へ。
東京から約2時間。
宇都宮駅までは15両編成、グリーン車付きですが、ここから先は4両の電車になります。宇都宮駅 駅
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宇都宮駅で駅弁を売っていたので、ランチに購入。
コンビニに押されて最近は少なくなった駅弁ですが、宇都宮駅は「駅弁発祥の地」。
いつまでも頑張ってほしいものです。宇都宮駅 駅
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宇都宮駅から約30分で矢板駅に到着します。
矢板駅は矢板市の玄関。
矢板市は人口3万人ほどの栃木県北部の中心の市です。矢板駅 駅
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まずは駅から市役所へ。
柴田さんが矢板市役所に行き、矢板玄の家を教えてほしいと受付の女性に尋ねると、その女性はびっくりして、すぐに市長室に呼ばれます。
矢板市長は緊張した雰囲気で矢板玄に電話し、矢板玄を「先生」と呼び、汗たらたら、電話にペコペコしていて、柴田さんは市長にここまでさせることに驚いています。
その矢板玄から柴田さんは「家はすぐ近くなので来い」と言われます。 -
市役所にあった矢板武の銅像。
矢板玄の曽祖父にあたる人です。
矢板武は幕末から明治にかけてのこの一帯の名主、地域の名士で、那須一体の開発を行ったり、東北本線を開通させるなど地域に貢献しました。 -
矢板玄の家は市役所のすぐ近く、「本町」交差点にあります。
「本町」という町の中心にお屋敷があるというだけで、矢板家が矢板市のボスだったことを伺わせます。 -
平成4年、柴田さんが矢板玄と会ったこの家は現在は矢板市に寄贈され、「矢板武記念館」になっています。
矢板武記念館 美術館・博物館
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矢板武記念館の前にある矢板家代々の説明板。
矢板武の説明は多いのですが、フィクサー・矢板玄は矢板家にとっても矢板市にとっても「黒歴史」なのか、たった3行「技術者で昭和電工に勤務しました・・・晩年は矢板信組の理事長になりました」とあっさり。
実際の矢板玄は昭和電工は3年ほどでやめてしまい、その後日中戦争中、中国にわたり、児玉誉士夫などと暗躍し莫大な財産を得て、戦後はフィクサーになるのですが、一言も書かれていません。矢板武記念館 美術館・博物館
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中に入ると立派な玄関と庭。
こんな地方の小さな都市のこの家で、日本の政治が動いていた、というのも不思議な気がします。 -
立派な玄関です。
矢板武の時代には、明治時代の総理大臣元老山県有朋、松方正義、幕臣出身の勝海舟、「日本資本主義の父」渋沢栄一などの政財界の大物たちもこの玄関を通ったそうです。 -
矢板玄は表向きは「亜細亜産業」という会社、実態は「矢板機関」という裏の世界の仕事を引き受けた集団のボスだった人です。
柴田さんは、戦後間もなく、国鉄総裁だった下山定則が行方不明、変死体で発見された「下山事件」の「暗殺の黒幕?」の取材でここに来ていたのです。
フィクサーがジャーナリストの取材を受けるのはめったにない(ジャーナリストもビビッてしまう)ことですが、柴田さんの祖父と矢板玄が友人だったため、取材をすることができたそうです。
柴田さんが矢板玄の娘さんの案内で通された「暗い廊下」。
今は普通の廊下ですが、矢板玄が健在だったころは、さぞかしある種の雰囲気、霊気があったことでしょう。 -
柴田さんがまず通された居間。
日の当たらないこの暗い部屋で矢板玄はここに座っていましたが、柴田さんに対していきなり日本刀を鞘から抜いて顔に突き付けたそうです。
「室町将軍」三浦義一は官僚をやめて衆議院議員選挙に出たいと頼みにきた佐藤栄作(のち首相)に対してやはり日本刀を突き付け、佐藤栄作は腰を抜かしてしまったとか。
柴田さんは剣道をやっていたからか腰を抜かすこともなく、「いい刀ですね」と答えると矢板玄は大笑いし、「さすがは柴田さんの孫だな」と一言。
柴田さんの矢板玄に対する第一印象は「戦国時代の武将」だったとのこと。 -
山県有朋の書、「光山氣佳」。
山県は吉田松陰の松下村塾の出身で、幕末の動乱に生き残り、明治時代は総理大臣、内務大臣、陸軍大臣、元老となり、明治政府の最大権力者となりました。
矢板市に彼は別荘を持っており、この家にもたびたび立ち寄ったそうです。 -
勝海舟の書。
勝海舟は江戸幕府の海軍奉行、坂本龍馬の師匠であり、また薩長軍の最高軍司令官だった西郷隆盛との会談で江戸城を無血開城を実現したことで有名です。
明治14年、この家に立ち寄ったときに残したものとされています。 -
太政大臣だった三条実美もこの家に宿泊したようです。
三条実美は内閣制度ができて伊藤博文が初代総理大臣になるまでは、ずっと明治政府のトップだった人です。
その三条に対して、「公」「卿」「閣下」「様」と言った目上の人間に対する敬称ではなく、同格の人に対する「殿」という記載が当時の矢板武の立場を表しています。 -
その後、矢板玄と柴田さんはこの明るい部屋に移動し、さまざまな話を聞きます。
ここが矢板玄の普段の居間だったようです。
矢板玄の時代にも多くの政財界の大物がここに通されたことでしょう。 -
居間の隣のサンルーム。
庭に面していて、明るい雰囲気です。 -
歴代の矢板家当主と奥様の写真が飾られていました。
ただ、やはり矢板玄は「黒歴史」なのか、矢板玄の写真はありませんでした。 -
裏の庭園にある桜の木。
春には満開の桜がとても美しく、矢板市の桜の名所とか。
「ひと~つ、人の世の生き血をすすり」「ふた~つ、不埒な悪行三昧(?)」のフィクサーと美しい桜の木はなんともアンバランスのような。
もっともフィクサーは一面では篤志家が多く、笹川良一は莫大な資産をさまざまなところに寄付しており、彼が亡くなった時は資産何千億はあると思われたのに、資産はほとんどなかったとか、三浦義一も全国の荒れ果てた寺社を多く再建したり(彼のお墓はその1つ、大津市の義仲寺にあります)、矢板玄もこの屋敷を遺言で矢板市に寄贈したり・・・
善悪功罪がわからない人たちです。 -
今では落ち着いた古い家。
でも、闇の世界の住人であるフィクサーの家を見ることができたのは興味深いものでした。
矢板市も「フィクサーの家を見れるのは日本でここだけ!とPRすれば面白いのに。
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