2018/11/03 - 2018/11/03
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ドクターキムルさん
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秦野市寺山に鎮座する鹿嶋神社は勧請年は不明だが、約850年前に鹿島神宮より当地に勧請し、乾漆造り神像二軀、銅像一軀が平安末期の作と伝えられている。寺山村総鎮守であった。祭神は武甕槌之命であり、境内社に厄神社、金毘羅社、子神社を祀っている。
分祠を丹沢山守護として設立し、貞永元年(1232年)より年々鹿島神社の焼印木札を奉安した。それより後は分祠所在の地を札掛といい、後は、山廻り役人巡視の証として鹿島分祠に札を掛けるようになり、その焼札奉安は明治の初めまで続いた。
慶安の頃(1648年~1652年)に三代将軍家光公の御参拝があった。また、慶安2年(1649年)8月に御朱印を賜わり、将軍世継ごとに御朱印状が送られている。
明治維新(1968年)までは、隣接する園通寺が神宮寺であった。
明治の初期より崇敬者が寄進したに絵馬額はその数百枚に達したが、現在では六十有余枚が残っている。
明治6年(1873年)に鹿島神社と改称し、村社に列せられた。
大正2年(1914年)に幣帛供進の神社に指定された。
昭和43年(1968年)に本殿・弊殿・拝殿等を大改修し参道も整備した。 昭和45年(1970年)に石造大鳥居と社号柱も奉納されている。
平成元年(1989年)に社殿、神楽殿、社務所を改築・新築した。
社号柱と拝殿に掛かる扁額は「鹿嶋神社」であるのに、看板は「鹿島神社」となっているのはおかしいだろう。
(表紙写真は鹿嶋神社拝殿)
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「鹿嶋神社」社号標石。
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鹿嶋神社参道入口。
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「鹿島神社
祭神 武甕槌之命
境内社 厄神社 金毘羅社 子神社
由緒沿革 勧請年代は不明だが、鹿島神宮より勧請した、神体は木像二軀(実は乾漆造り)銅像一軀、平安末期の作と伝えられている。寺山村は往時寺社多く、慶安の頃三代将軍家光御参拝あり、此の当時より寺山村の総鎮守であった。分祠を丹沢山守護として設立し、貞永元年(一二三二)より年々鹿島神社の焼印木札を奉安した。それより後分祠所在の地を札掛といい、後、山廻り役人巡視の証として鹿島分祠に札を掛けるようになった。焼札奉安は明治の初めまで続いた。慶安二年(一六四九)八月御朱印を賜わり、将軍世継ごとに御朱印状が送られている。明治の初期より崇敬者が増大し、それらの寄進による絵馬額は相模、武蔵、駿河、伊豆におよびその数は数百枚に達した。(現在六十有余枚保存) 明治六年七月三十日鹿島神社と改称し村社に列せられ、大正二年八月幣帛供進の神社に指定された。昭和四十三年本殿弊殿拝殿等大改修し参道も整備され、昭和四十五年石造大鳥居社号柱も奉納され、現在の神域となった。
宮司 草山清和
連絡先 出雲大社相模分祠 秦野市平沢1221
〇四六三-八一-一一二二」 -
常夜燈と鳥居。
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狛犬と鳥居。
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鳥居。
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鳥居。
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社務所。
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鹿嶋神社拝殿。
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鹿嶋神社拝殿。
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鹿嶋神社拝殿の龍の彫刻。
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鹿嶋神社拝殿に掛かる「鹿嶋神社」の扁額。
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境内社。
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境内社の覆い殿。中に厄神社を中心に三峰神社(子神社を合祀)と金刀比羅宮(白山社と山王社を合祀)の社殿を安置している。
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「厄神社」と「金刀比羅宮」。
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覆い殿に掛かる「厄神大権現」の扁額。
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鹿嶋神社本殿。
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神輿倉か。
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鹿嶋神社本殿。
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鹿嶋神社拝殿。
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