二本松旅行記(ブログ) 一覧に戻る
福島4日間の旅の最終訪問地・二本松城跡を紹介させて頂きます。<br /><br />今日は午前中に二本松を経ち郡山12:39発やまびこ212号で帰路につく予定なので、滞在時間はわずか2時間程となります。<br />回り方は箕輪門前から本丸に上がるのがオーソドックスですが、前夜泊まった二本松岳温泉の宿喜ら里さんに短時間で回れるという坂道を上がった駐車場まで連れて来てもらいました。先に城址を見て回り、時間が余れば菊人形展を見るつもりですが・・<br />************<br />二本松城は室町時代に畠山満泰が城を築いたと言われており、その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏などの所領を経て、江戸時代(1643)に10万石で入部した丹羽光重により石垣や城下町を整備し、現在残る二本松城を築き上げたと言われています。<br />二本松市郭内にある標高233m付近となる麓の居館部分と、標高345m白旗が峰に築かれた城郭からなる平山城で国の史跡です。二本松城は 別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれ、 日本100名城 に選ばれています。<br />城は幕末の戊辰戦争で新政府軍による攻撃を受けて落城、江戸時代の建物はほぼ無くなりました。今は霞ヶ城公園として整備されており、石垣と再現された箕輪門があります。さらに山上の本丸には天守台、石垣が再構築されました。箕輪門の近くに幕末の戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした”二本松少年隊群像”があり悲話を残しています。<br /><br />「戊辰戦争で戦った会津藩の白虎隊は良く知られていますが二本松少年隊のことは殆んど知られてなくて・・・」「知らなかったですねー」と、こちらに向かう車中で地元住民だと言う宿の運転手さんと交わした会話が心に残りました。<br /> <br /><br /> 

2018/10福島の旅*8 二本松城跡(霞ヶ城公園)歴史と悲話を知る

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2018/10/14 - 2018/10/17

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しんちゃん

しんちゃんさん

福島4日間の旅の最終訪問地・二本松城跡を紹介させて頂きます。

今日は午前中に二本松を経ち郡山12:39発やまびこ212号で帰路につく予定なので、滞在時間はわずか2時間程となります。
回り方は箕輪門前から本丸に上がるのがオーソドックスですが、前夜泊まった二本松岳温泉の宿喜ら里さんに短時間で回れるという坂道を上がった駐車場まで連れて来てもらいました。先に城址を見て回り、時間が余れば菊人形展を見るつもりですが・・
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二本松城は室町時代に畠山満泰が城を築いたと言われており、その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏などの所領を経て、江戸時代(1643)に10万石で入部した丹羽光重により石垣や城下町を整備し、現在残る二本松城を築き上げたと言われています。
二本松市郭内にある標高233m付近となる麓の居館部分と、標高345m白旗が峰に築かれた城郭からなる平山城で国の史跡です。二本松城は 別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれ、 日本100名城 に選ばれています。
城は幕末の戊辰戦争で新政府軍による攻撃を受けて落城、江戸時代の建物はほぼ無くなりました。今は霞ヶ城公園として整備されており、石垣と再現された箕輪門があります。さらに山上の本丸には天守台、石垣が再構築されました。箕輪門の近くに幕末の戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした”二本松少年隊群像”があり悲話を残しています。

「戊辰戦争で戦った会津藩の白虎隊は良く知られていますが二本松少年隊のことは殆んど知られてなくて・・・」「知らなかったですねー」と、こちらに向かう車中で地元住民だと言う宿の運転手さんと交わした会話が心に残りました。


 

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 車を降り少し行くと蓮の葉が浮かぶ”霞池”がありました。<br />小規模な回遊式庭園で、池の向こうには”洗心亭”の屋根が見えています。

    車を降り少し行くと蓮の葉が浮かぶ”霞池”がありました。
    小規模な回遊式庭園で、池の向こうには”洗心亭”の屋根が見えています。

  • さらに少し行くと&quot;傘松”という、樹齢三百年といわれている老松が。<br />1本の幹から三方に枝を伸ばし1つの傘の形になるように手入れされています。<br />こんな形状は始めて見たような*_* <br />二本松市指定天然記念物指定されています。

    さらに少し行くと"傘松”という、樹齢三百年といわれている老松が。
    1本の幹から三方に枝を伸ばし1つの傘の形になるように手入れされています。
    こんな形状は始めて見たような*_* 
    二本松市指定天然記念物指定されています。

  • 洗心亭の右の道を進むと、花壇の奥には小さな社がありました。

    洗心亭の右の道を進むと、花壇の奥には小さな社がありました。

  • 丹羽霊祠殿<br />歴代藩主丹羽家が祀られている所です。<br /><br />

    丹羽霊祠殿
    歴代藩主丹羽家が祀られている所です。

  • 二本松藩は明治維新まで、丹羽光重から10代、220余年続きました。<br /><br />

    二本松藩は明治維新まで、丹羽光重から10代、220余年続きました。

  • 洗心滝<br />城内にはいくつか滝があります。<br />とても水量が豊富な二本松城。

    洗心滝
    城内にはいくつか滝があります。
    とても水量が豊富な二本松城。

  • 智恵子抄詩碑<br />高村光太郎直筆の銅版をはめ込んだ岩は「牛石」と呼ばれ、最初に二本松城が築かれた頃の伝説の岩だそうです。<br />妻・智恵子を偲んで詠んだ”樹下の二人”の冒頭の句が彫られているようです。<br /><br /><br /><br /><br />

    智恵子抄詩碑
    高村光太郎直筆の銅版をはめ込んだ岩は「牛石」と呼ばれ、最初に二本松城が築かれた頃の伝説の岩だそうです。
    妻・智恵子を偲んで詠んだ”樹下の二人”の冒頭の句が彫られているようです。




  • 説明板

    説明板

  • 少年隊の丘<br />この場所は、戊辰戦争の直前まで藩内少年武士が鉄砲の稽古をした場所です。

    少年隊の丘
    この場所は、戊辰戦争の直前まで藩内少年武士が鉄砲の稽古をした場所です。

  • 戦に出陣した二本松少年隊員六十四名の顕彰碑<br /><br />戊辰戦争・二本松の戦いにおいて、藩の兵力は仙台などの応援兵を合わせても約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人、徹底抗戦の末、1868年(明治元年)ついに二本松城は炎上し、落城しました。<br />二本松藩の戦死者は337名だそうです。<br /><br />

    戦に出陣した二本松少年隊員六十四名の顕彰碑

    戊辰戦争・二本松の戦いにおいて、藩の兵力は仙台などの応援兵を合わせても約1千人、それに対して薩摩・長州・土佐などの西軍は約7千人、徹底抗戦の末、1868年(明治元年)ついに二本松城は炎上し、落城しました。
    二本松藩の戦死者は337名だそうです。

  • 二本松少年隊顕彰碑<br />二本松藩の戦死者の中に、信義のために出陣を志願した12歳から17歳までの14名の少年隊が含まれています。

    二本松少年隊顕彰碑
    二本松藩の戦死者の中に、信義のために出陣を志願した12歳から17歳までの14名の少年隊が含まれています。

  • さらに階段を上り進むと広場があり、そこは覆い被さるような青紅葉^^<br />紅葉もどんなに美しいことでしょう<br />

    さらに階段を上り進むと広場があり、そこは覆い被さるような青紅葉^^
    紅葉もどんなに美しいことでしょう

  • 地図を見ると新城館跡辺りのようです。

    地図を見ると新城館跡辺りのようです。

  • 搦搦手(からめて)門跡<br />城の裏面にあたる門で二本松城始築時の慶長初期(1590年)頃に建てられ、その後に何度か修復改築されたことが絵図等でわかります。<br />現在は石垣および門柱を建てた礎石を残すばかりです。<br /><br />

    搦搦手(からめて)門跡
    城の裏面にあたる門で二本松城始築時の慶長初期(1590年)頃に建てられ、その後に何度か修復改築されたことが絵図等でわかります。
    現在は石垣および門柱を建てた礎石を残すばかりです。

  • 搦手門案内板<br />

    搦手門案内板

  • 搦手門よりさらに階段上り登城口へと進みます。

    搦手門よりさらに階段上り登城口へと進みます。

  • 奥州探題 畠山氏居城 霞ヶ城址 石碑<br />蒲生氏や丹羽氏ではなく二本松城創建の頃の名前が彫られているが、横の説明板によると、昭和28年の本丸入口石垣修復工事完了の際に、畠山氏末裔の人によって建てられたそうです。<br /><br />

    奥州探題 畠山氏居城 霞ヶ城址 石碑
    蒲生氏や丹羽氏ではなく二本松城創建の頃の名前が彫られているが、横の説明板によると、昭和28年の本丸入口石垣修復工事完了の際に、畠山氏末裔の人によって建てられたそうです。

  • ようやく本丸跡の石垣が見えてきました。

    ようやく本丸跡の石垣が見えてきました。

  • 本丸跡<br />野面積みの高石垣が残されています。<br />この石垣は安土城の石垣を積んだ近江の穴太衆(あのうしゅう)とよばれる、優れた石工集団によって積まれたもので、歴史を感じます。<br /><br />

    本丸跡
    野面積みの高石垣が残されています。
    この石垣は安土城の石垣を積んだ近江の穴太衆(あのうしゅう)とよばれる、優れた石工集団によって積まれたもので、歴史を感じます。

  • 平成になって発掘調査とともに崩落を防ぐために、積み直し再建された石垣です。<br /><br /><br />

    平成になって発掘調査とともに崩落を防ぐために、積み直し再建された石垣です。


  • 本丸枡形虎口

    本丸枡形虎口

  • 旧石垣 説明タイル<br />面の内部には別の古い石垣(横7m、高さ1m、3段ほど)が埋まっており、調査の結果、蒲生氏時代の慶長初期に築かれた最も初期の石垣遺構であることが判明し、埋め戻して保存。<br />当時安土城など多くの城郭の石垣工事を手掛けた近江の穴太衆の手によるものだったので、1995年の本丸石垣復元工事の際にも、穴太衆の末裔に当たる業者が2年をかけ石垣の全面修築復元工事を完成させたのだそうです。<br /><br />

    旧石垣 説明タイル
    面の内部には別の古い石垣(横7m、高さ1m、3段ほど)が埋まっており、調査の結果、蒲生氏時代の慶長初期に築かれた最も初期の石垣遺構であることが判明し、埋め戻して保存。
    当時安土城など多くの城郭の石垣工事を手掛けた近江の穴太衆の手によるものだったので、1995年の本丸石垣復元工事の際にも、穴太衆の末裔に当たる業者が2年をかけ石垣の全面修築復元工事を完成させたのだそうです。

  • 本丸跡へ<br />天守台や本丸石垣も整備され、現在は「霞ヶ城公園」の一部となり広々として休憩するのに最良の場所です。<br />

    本丸跡へ
    天守台や本丸石垣も整備され、現在は「霞ヶ城公園」の一部となり広々として休憩するのに最良の場所です。

  • 本丸からの見晴らしは雲に覆われていて良くありませんが、山や木々と一体のように見える市街地が墨絵のようです。天気が良ければ安達太良山の展望も素晴らしかったことでしょう。

    本丸からの見晴らしは雲に覆われていて良くありませんが、山や木々と一体のように見える市街地が墨絵のようです。天気が良ければ安達太良山の展望も素晴らしかったことでしょう。

  • 天守台跡<br />天守台は造られた二本松城ですが、天守閣はできなかったようです。<br />

    天守台跡
    天守台は造られた二本松城ですが、天守閣はできなかったようです。

  • 本丸跡にあるこの碑は、戊辰戦争で燃え上がる城を眼下に、共に自刃した城代・丹羽和衛門と勘定奉行・安部井又乃丞二人の碑です。<br /><br /><br /><br /><br />

    本丸跡にあるこの碑は、戊辰戦争で燃え上がる城を眼下に、共に自刃した城代・丹羽和衛門と勘定奉行・安部井又乃丞二人の碑です。




  • 日影の井戸<br />「日本の三井」と書かれてます。 <br />他は、千葉県の月影の井戸・神奈川県の星影の井戸です。<br />石積みで、深さ14m余り、底から北方に12m余り横堀りされているという。

    日影の井戸
    「日本の三井」と書かれてます。 
    他は、千葉県の月影の井戸・神奈川県の星影の井戸です。
    石積みで、深さ14m余り、底から北方に12m余り横堀りされているという。

  • 二本松藩自尽の碑<br />主戦論者であった家老・丹羽一学、城代・服部久左衛門、小城代・丹羽新十郎の3名が責任をとり、自尽(割腹)し壮絶な最後を遂げた。と書かれています。<br />日影の井戸の下にあります。

    二本松藩自尽の碑
    主戦論者であった家老・丹羽一学、城代・服部久左衛門、小城代・丹羽新十郎の3名が責任をとり、自尽(割腹)し壮絶な最後を遂げた。と書かれています。
    日影の井戸の下にあります。

  • 二本松藩自尽の碑

    二本松藩自尽の碑

  • 散策路を巡っていたら洗心亭の説明板が目に入ったので、ここで小休止する事に。

    散策路を巡っていたら洗心亭の説明板が目に入ったので、ここで小休止する事に。

  • 緩やかな坂道を進みます。

    緩やかな坂道を進みます。

  • 洗心亭<br />城内に唯一残る江戸期の建造物で、木造カヤ葺き・寄棟平屋造りの茶亭<br />庭園の中にあった茶室を一時城外へ移築したことにより戊辰戦火を逃れられ、明治40年(1907)に再移築したものです。

    洗心亭
    城内に唯一残る江戸期の建造物で、木造カヤ葺き・寄棟平屋造りの茶亭
    庭園の中にあった茶室を一時城外へ移築したことにより戊辰戦火を逃れられ、明治40年(1907)に再移築したものです。

  • 二間続きの金屏風がある茶室

    二間続きの金屏風がある茶室

  • 少し高台に建つ洗心亭から、霞池および三の丸御殿跡地方面を見下ろすとこんな感じです。三の丸御殿跡地は現在菊人形のメーン会場となっています。<br />

    少し高台に建つ洗心亭から、霞池および三の丸御殿跡地方面を見下ろすとこんな感じです。三の丸御殿跡地は現在菊人形のメーン会場となっています。

  • 遠くに菊人形会場で準備されている様子がうかがえます。

    遠くに菊人形会場で準備されている様子がうかがえます。

  • 視線の先の菊人形会場をさらに拡大して撮りました。

    視線の先の菊人形会場をさらに拡大して撮りました。

  • では、美しい風景や菊を愛でながら一服^^♪

    では、美しい風景や菊を愛でながら一服^^♪

  • 抹茶を点ててくださったご婦人の話では、東日本大震災で二本松は震度6の被害を受けたうえ更に原発の除染作業が一帯で強いられ、全ての植木草花が抜かれ殺風景な景色に変わり果て悲しい思いをしたと話されていました。<br />また、平成7年に修築復元を終えた石垣もずれが生じ、再度修復されたと聞きました。

    抹茶を点ててくださったご婦人の話では、東日本大震災で二本松は震度6の被害を受けたうえ更に原発の除染作業が一帯で強いられ、全ての植木草花が抜かれ殺風景な景色に変わり果て悲しい思いをしたと話されていました。
    また、平成7年に修築復元を終えた石垣もずれが生じ、再度修復されたと聞きました。

  • 一息ついて、七つ滝が見られる脇道散策路を下ります。

    一息ついて、七つ滝が見られる脇道散策路を下ります。

  • 三の丸御殿跡の石垣<br />菊人形展は、ゆっくり見る時間が無いので入場しませんでした。

    三の丸御殿跡の石垣
    菊人形展は、ゆっくり見る時間が無いので入場しませんでした。

  • 二本松城内のアカマツ

    二本松城内のアカマツ

  • 箕輪門(城内側から)

    箕輪門(城内側から)

  • 箕輪門(城内側から)<br />丹羽光重公は、霞ヶ城築城にあわせて門の建設も行い、箕輪村(現二本松市内)の樫を主材とし楼門を完成させ箕輪門と命名したそうです。<br />

    箕輪門(城内側から)
    丹羽光重公は、霞ヶ城築城にあわせて門の建設も行い、箕輪村(現二本松市内)の樫を主材とし楼門を完成させ箕輪門と命名したそうです。

  • では、目の前にドーンと高い石垣が控える箕輪門をくぐり城外へ

    では、目の前にドーンと高い石垣が控える箕輪門をくぐり城外へ

  • 箕輪門(表側)<br />箕輪門より高い石垣に左の多門櫓がのっかています。

    箕輪門(表側)
    箕輪門より高い石垣に左の多門櫓がのっかています。

  • 昭和57年(1982年)に復元された多門櫓・箕輪門・二階櫓

    昭和57年(1982年)に復元された多門櫓・箕輪門・二階櫓

  • 菊が箕輪門付近に飾られて華やかです☆

    菊が箕輪門付近に飾られて華やかです☆

  • 特に目を引くのはこの大きくて豪華な菊です。千輪咲きと言うのでしょうか<br />菊一輪一輪が開花したらどんなに美しい姿を見せるのでしょうか

    特に目を引くのはこの大きくて豪華な菊です。千輪咲きと言うのでしょうか
    菊一輪一輪が開花したらどんなに美しい姿を見せるのでしょうか

  • 三の丸側から、 箕輪門の方へ降りる石段です。<br />二階櫓が入らないので階段を何段も下りて、

    三の丸側から、 箕輪門の方へ降りる石段です。
    二階櫓が入らないので階段を何段も下りて、

  • なんとか箕輪門二重櫓が撮れましたょ<br /><br />

    なんとか箕輪門二重櫓が撮れましたょ

  • 箕輪門より見下ろすと・・<br />入口脇に建つ、二本松藩少年隊の銅像群が見えます。

    箕輪門より見下ろすと・・
    入口脇に建つ、二本松藩少年隊の銅像群が見えます。

  • 箕輪門のそばにあった案内板

    箕輪門のそばにあった案内板

  • 箕輪門に通じる石段前の「二本松少年隊群像」<br />

    箕輪門に通じる石段前の「二本松少年隊群像」

  • 「二本松少年隊群像」<br />戊辰戦争における大壇口の戦いがテーマです。<br />

    「二本松少年隊群像」
    戊辰戦争における大壇口の戦いがテーマです。

  • 二本松少年隊は郷土を守るために結成された13~17才の幼い少年たちで、果敢に戦った少年隊の勇ましい姿が目に浮かぶよう*_*<br /><br />

    二本松少年隊は郷土を守るために結成された13~17才の幼い少年たちで、果敢に戦った少年隊の勇ましい姿が目に浮かぶよう*_*

  • 大砲、鉄砲、刀を携えて勇ましく戦う少年たちの姿と、わが子のために着物を仕立てる母の姿が対照的な構図になっています。<br />なんとなく戦いとは何か?を考えさせられる場所です。

    大砲、鉄砲、刀を携えて勇ましく戦う少年たちの姿と、わが子のために着物を仕立てる母の姿が対照的な構図になっています。
    なんとなく戦いとは何か?を考えさせられる場所です。

  • 案内板<br />

    案内板

  • 会津の白虎隊と同じく少年達が戦った戊辰戦争、二本松少年隊の活躍も語り継がれてほしい悲劇がこの地二本松にもありました。

    会津の白虎隊と同じく少年達が戦った戊辰戦争、二本松少年隊の活躍も語り継がれてほしい悲劇がこの地二本松にもありました。

  • 素晴らしいこの景色を目に焼き付けた後、霞ヶ城公園近くのバス停から二本松駅行きバスに乗り移動。JR二本松駅には11:10頃到着しました。

    素晴らしいこの景色を目に焼き付けた後、霞ヶ城公園近くのバス停から二本松駅行きバスに乗り移動。JR二本松駅には11:10頃到着しました。

  • 二本松11:27発在来線で郡山へ。その先郡山12:39発やまびこ→東京14:16発ひかりを乗り継ぎ名古屋駅へ。名古屋には16:17に着きました。

    二本松11:27発在来線で郡山へ。その先郡山12:39発やまびこ→東京14:16発ひかりを乗り継ぎ名古屋駅へ。名古屋には16:17に着きました。

  • このまま名古屋で特急しらさぎに乗り継げば帰宅できますが、滅多に下車しない名古屋で夕食を済ませることに。新幹線乗り場に近い地下街をうろついて、鰻専門店の稲生エスカ店に入りました。

    このまま名古屋で特急しらさぎに乗り継げば帰宅できますが、滅多に下車しない名古屋で夕食を済ませることに。新幹線乗り場に近い地下街をうろついて、鰻専門店の稲生エスカ店に入りました。

  • 稲生でひつまぶしを頂きました。入店した時は2組の客でしたが食べ終えた頃徐々に店内が混みあってきました。<br />お腹も満たされ駅へ戻り、しらさぎに乗車して20時頃に無事帰宅いたしました。<br /><br />*************最後までご覧いただきありがとうございました&lt;m(__)m&gt;

    稲生でひつまぶしを頂きました。入店した時は2組の客でしたが食べ終えた頃徐々に店内が混みあってきました。
    お腹も満たされ駅へ戻り、しらさぎに乗車して20時頃に無事帰宅いたしました。

    *************最後までご覧いただきありがとうございました<m(__)m>

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この旅行記へのコメント (1)

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  • たらよろさん 2020/07/15 23:37:07
    二本松少年隊
    こんばんは、しんちゃんさん

    白虎隊、
    会津城は、みに行ったし、おっしゃるように有名ですよねー
    やっぱり、ドラマになったりしたので、どうしても知ってますよね。
    そんな影で、二本松少年隊の存在が…
    私も全然知らなくて、先程ちょっとだけ検索かけて見たのですが、
    史実って、自身で調べに行かないと知らないことが多いんだなぁって
    再認識しました。
    そういう意味でも、ある意味脚色されていたとしても、
    ドラマ化や映画化って、知るには早いんだなって感じたり。

    また福島でゆっくり温泉とか楽しんでみたいなぁ。

    たらよろ

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