2018/05/23 - 2018/05/23
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この旅行記のスケジュール
2018/05/23
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車での移動
14:45 モンテルキを出発し、アレッツォへ向かう
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15:15 アレッツォ到着、B&B "La Corte"にチェックイン
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16:00 街歩き開始
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ムレッロ広場(トスカーナ大公フェルナンド3世に捧げられた像と小さな教会あり)
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ガストロノミア・イル・チェルヴォで美味しそうなお惣菜を買う
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サンテ・フローラ・エ・ルチッラ修道院(外観だけ)
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Gelateria Cremiでジェラートタイム♪
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サン・ミケーレ教会
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この旅行記スケジュールを元に
トスカーナ州の小都市アレッツォ(Arezzo)は、フィレンツェの南東約70キロに位置する城壁に囲まれた町。その起源はエトルリア時代にまで遡る歴史ある町で、中世の面影を残す街並みが美しく、映画「La vita è bella(ライフ・イズ・ビューティフル)」の舞台になったことでも知られています。
中世にはルネサンス文化が花開き、また、イタリア三大詩人の一人ペトラルカや、フィレンツェのウフィッツィ美術館を設計したヴァザーリ、"ドレミ・・・"の音階を発明したグイド・モナコなど、多くの文化人を輩出。芸術・文化ともに優れていた町でもあります。
2005年にペルージャから日帰りで一度訪れたことがありましたが、短時間だった為、見逃したところがたくさん!
そこで13年ぶりに町を訪れ、リベンジすることにしました。
今回もわずか半日の滞在ではありましたが、前回見られなかったピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「聖十字架伝説」もしっかりと見ることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。
□1日目 5/18 成田空港→ローマ・フィウミチーノ空港→ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港
□2日目 5/19 ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港(レンタカーピックアップ)→ラヴェンナ→リミニ
□3日目 5/20 リミニ→サン・マリノ→ウルビーノ
□4日目 5/21 ウルビーノ→グッビオ→ペルージャ
□5日目 5/22 ペルージャ
■6日目 5/23 ペルージャ→サン・セポルクロ→アンギアーリ→モンテルキ→アレッツォ
□7日目 5/24 アレッツォ→ローロ・チュッフェンナ→ピエーヴェ・ディ・グロピーナ→ポッピ→ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港(レンタカー返却)→ボローニャ
□8日目 5/25 ボローニャ
□9日目 5/26 ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港→ローマ・フィウミチーノ空港→成田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー タクシー 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6日目 5/23(水)
15:15 アレッツォに到着。
ガリバルディ通りに入り、この日宿泊するB&Bへ直行。
写真中央のドアが宿泊するB&B"La Corte"の入口。写真右手に半分切れて写っているのが専用駐車場になる。
旧市街から比較的近く、駐車場が付いているところを探して、この宿に行きついた。 -
チェックインを済ませ、部屋に案内してもらうと、途中にこんな中庭があった。
なるほど、だから名前が”コルテ(corte=中庭)”なのか。 -
部屋はまずまずの広さ。古いなぁ・・・って感じはするけど、きちんと掃除されてるみたい。
小さいけど冷蔵庫も付いてるし。 -
バスルームも清潔。
これで駐車場と朝食込で55ユーロ、旧市街中心までも徒歩10分ほどだし、お得だったからまぁヨシとしよう。
B&B La Corte
Via Giuseppe Garibaldi, 200 52100 - Arezzo
TEL: +39 3392923825
http://www.beblacortearezzo.it/it/index.php -
16:00 街歩きスタート
サン・フランチェスコ教会でピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「聖十字架伝説」を見るため16:30に予約を入れているので、それまでの30分で教会を一つ回ることにした。
・・・とその前に。B&Bからほど近い"国立中世・近代美術館(Museo Nazionale d'Arte Medievale e Moderna)”に立ち寄ってみた。
なぜかというと、2005年にアレッツォを訪れた際にお世話になった、この美術館の職員ブルーノさんに会うためだ。
ブルーノさんは、当時まだイタリアに留学したてで心もとない私に付き添い、町を案内してくれたのだった。ひと目会いたいと思ったのだが、休館日だった。
残念・・・
Museo Nazionale d'Arte Medievale e Moderna
Via San Lorentino, 8 ? 52100 Arezzo
TEL: +39 0575 409050
http://www.museistataliarezzo.it/museo-arte-medievale -
道すがら通りかかった"ヴァザーリの家(Casa Vasari)"
イタリアマニエリズム期の画家であり、建築家でもあったジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)の住居。
アレッツォ出身で、フィレンツェのウフィツィ美術館を設計したことで有名な人物だ。ヴァザーリの家 史跡・遺跡
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"ヴァザーリの家(Casa Vasari)"の入口。
内部は博物館になっており、各部屋の壁や天井に描かれたフレスコ画や装飾がみどころとなっている。
ちょっと気になったけど、時間が無いので先へ進んだ。
MUSEO DI CASA VASARI
Via XX Settembre, 55 - Arezzo
TEL: +39 0575 299071
http://www.museistataliarezzo.it/museo-casa-vasari -
サン・ドメニコ聖堂(Basilica di San Domenico)
この光景を目にした瞬間、ブルーノさんを思い出し涙が溢れた。
そうそう、この建物の前で撮った写真が今も残ってる。「この教会の中にはチマブーエの十字架があるから、絶対見るべきだ!」と言って連れてきてくれたのだった。
13世紀に起源を持つこの教会は、その歴史の深さはもちろんだが、祭壇に飾られたチマブーエの木製の十字架で有名。今日はそれを、13年前ぶりに目にすることになる。サン ドメニコ教会 (アレッツォ) 寺院・教会
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大小2つの鐘が並ぶ鐘楼。
アシンメトリーな感じが逆にイイ。石もだいぶ風化してるけど、それもまた時を経て味となっている。 -
アーチの連なりが目に楽しい入口。
外壁と比べると新しい感じがすると思ったら、この部分は20世紀になってから改修されたらしい。 -
入口を改修して屋根を付けたのは、ルネッタに描かれたこの16世紀のフレスコ画を保護する為だという。
失ってしまったら、もう二度と取り戻すことができない過去の遺産。大切に保護しないとね。
フレスコ画は聖母子を中心に、左にアレッツォの守護聖人・聖ドナート、右に聖ドメニコが描かれている。 -
内部はゴシック様式。単身廊でシンプルな造りではあるが、両側の壁は古いフレスコ画がところどころに残る。
かつては一面フレスコで装飾されていたのだろう。 -
主祭壇側から見た聖堂内。
壁のフレスコ画が全て残っていたとしたら、今とは全く違う華やかな印象だったことだろう。 -
主祭壇。
白黒の縁取りのアーチとリブヴォールトのモノトーンの世界、その中につり下げられた彩色磔刑像がひときわ鮮やかだ。
流線を描くパイプオルガンも美しい。 -
そして、これが13世紀末のイタリアで活躍したゴシック絵画を代表する画家、チマブーエ(1240-1302)が手掛けた"キリストの磔刑(Crocifisso)"。
修復はされているが、彩色がとても美しい。
ビザンティン芸術では"イコン"と言って聖人を抽象化し、人物の向きや持ち物、衣装なども厳格に様式化されていた。当時の祭壇画や磔刑像などが作者は違っても似ているものが多いのはその為だ。
また奥行きや陰影の無い、平坦でペッタリした感じの表現方法であるのも特徴。
チマブーエはこうったビザンティン絵画の形式を崩し、より現実的・写実的に表現しようと試みた第一人者と言える。
このキリストの磔刑を見ても、筋肉の盛り上がりや体の立体感、腰布の繊細なひだなど、それまでのビザンティン絵画とは異なるのがわかる。 -
内陣左手の壁には、小さな祭壇のようなものがある。
これはヴォルテッラの司祭だったラニエーリ・デリ・ウベルティーニの慰霊碑で、14世紀始めのもの。古い聖母子のフレスコ画が残る。 -
主祭壇に向かって左手の礼拝堂にある三翼祭壇画。
アレッツォ出身の無名の画家の作品で、14世紀のもの。暗くてうまく撮影できなかったが、左から聖ドメニコ、大天使ミカエル、聖パオロが描かれている。
むふふ、ミカエルファンにはたまらない一枚・・・♪ -
こちらは主祭壇に向かって右手の礼拝堂。
中央に14世紀前半の聖母子の像が置かれている。 -
主祭壇に向かって右手の礼拝堂。
聖母子像の右手の壁に描かれているキリスト磔刑のフレスコ画。アレッツォ出身の無名の画家が14世紀に描いたもの。 -
ここからは、身廊右手の壁に描かれたフレスコ画。
写真のフレスコ画は14世紀前半に描かれたもので、右手に青い衣装のキリスト、左手は消えてしまっているが、聖母が描かれていたという。 -
身廊右手の壁に描かれたフレスコ画。
スピネッロ・アレティーノ(1350-1410)が描いたもので、三人の聖人が描かれていたが、残念ながら一人欠けてしまっている。
左は聖ロレンツォ、中央は自身のアトリビュートである車輪を手にしたアレクサンドリアの聖カタリナ。 -
これは身廊右手の壁に設えられていたテラコッタの壁龕。
フィレンツェの陶芸一族であるロッビア家の、ジョヴァンニとジローラモ兄弟の作品で、"ヴェローナの聖ピエトロ"、1515年から1520年頃のもの。
今回の旅では、彩色テラコッタの草分けであったロッビア一族の作品をいくつか目にしたが、テラコッタとは思えない繊細な表現、滑らかで艶やかな質感に、すっかり虜になってしまった。
この聖ピエトロも、顔や衣服の皺、手の甲の筋などが本当にリアルに表現されている。 -
身廊右手の壁の祭壇。
14世紀にフィレンツェの彫刻家ジョヴァンニ・フェッティ・ディ・フランチェスコが手掛けた"ドラゴマンニの祭壇(Altare Dragomanni)"。
祭壇後方の壁には若きキリストが教会の博士たちと問答する場面が描かれている。
シエナの画家ルーカ・ディ・トンメ(1330-1389)が手掛けたもの。 -
これも身廊右手の壁に設えられていたテラコッタの壁龕、17世紀のもので作者は不明。
かなりふくよかな幼子キリスト・・・そして聖母子の両脇から覗く顏・顔・顔がちょっと面白い(笑) -
ここからは身廊左手の壁に描かれたフレスコ画。
思い思いの表情を見せる天使たちがとてもカワイイ。
詳細は不明だった。 -
身廊左手の壁に描かれたフレスコ画。
ジョヴァンニ・ダニョーロ・ディ・バルドゥッチョが1410年頃に描いたもので、
左側は"受胎告知(Annunciazione)"、右側は"キリストの磔刑(Crocifissione di Cristo)"。 -
身廊左手の壁に描かれたフレスコ画。
ところどころ剥がれてしまっているのでわかりにくいが、右手には聖クレメンテと聖ロレンツォの間に聖母子が描かれている。上部にはキリストも見える。
これらも、ジョヴァンニ・ダニョーロ・ディ・バルドゥッチョが1410年頃に描いたもの。 -
これも身廊左手の壁に描かれたフレスコ画だが、詳細不明。
あまりに薄くなり過ぎてて、全容もつかめない。 -
これは入口右手の壁に描かれていたもの。
スピネッロ・アレティーノの1390年頃に描いたフレスコ画。
中央に聖フィリッポと聖ジャコモが、その周囲には彼らの生涯が描かれている。 -
こちらは入口左手の壁に描かれていたもの。
先ほどのスピネッロ・アレティーノの息子、パッリ・ディ・スピネッロの作品で1410頃のもの。
キリストの磔刑を中心に、左端はほぼ消えているが聖ニコロ、その隣が聖母マリア、右手は使徒ヨハネと聖ドメニコ。上部のルネッタには聖ニコロの生涯が描かれている。 -
サン・ドメニコ聖堂を出ると、時刻は16:20。
まずい、あと10分でサン・フランチェスコ教会の予約時間になっちゃう!
急いで先へ進む。
途中通過したムレッロ広場(Piazza di Murello)。
中央にトスカーナ大公フェルディナンド3世の像が立っている。左手に小さな教会も見えるが、時間が無いので先を急ぐ。 -
アンドレア・チェザルピーノ通り(Via Andrea Cesalpino)
旧市街を北東から南西に走る通り。北東の端にはアレッツォ大聖堂が、そして南西の終点にはサン・フランチェスコ教会がある。
ヤバイ、もうすぐ16:30になっちゃう(大汗) 緩やかな下り坂を、ほぼ競歩状態で進んで行く・・・ -
急ぎ足でも目に止まる、ステキな建物!
イタリア銀行(Banca d'Italia)のものだ。 -
BANCA D'ITALIAの文字の上の方にも、小さい文字で何か書かれてる・・・
『ここに天文学者トンマーゾ・ペレッリが住まい、そして亡くなった』
現在イタリア銀行になっているこの建物は、1704年にフェイレンツェで生まれた天文学者トンマーゾ・ペレッリが住まい、1783年に生涯を終えたのだそうだ。 -
16:30 サン・フランチェスコ教会(Basilica di San Francesco)到着!
予約した時間にギリギリセーフだった(汗)
13世紀末期から16世紀にかけて建造されたロマネスク様式の教会。ファサードは上塗りされていない石壁がむき出しになっているが、これは資金不足で工事が頓挫してしまった為で、13世紀の土台そのままの状態で現在に至っている。
そして、この教会の中に、ピエロ・デッラ・フランチェスカの傑作、「聖十字架伝説」のフレスコ画があるのだ!
もう予約時間なので急いで中へ入る。入口は中央ではなく左から。
入ると階段があるので、そこを下りた先にチケットカウンターがある。ネット予約した際のバウチャーを提示するとチケットを発行してくれる。
ちなみに、ネット予約はココでできる。
↓↓↓
http://www.pierodellafrancesca-ticketoffice.it/
私が予約した時は
入場料(大人)6ユーロ+前売手数料2ユーロ+管理料0.77ユーロ
合計8.77ユーロだった。
2005年に訪れた時は予約しておらず入ることができなかったので、13年越しの希望がようやく叶う♪サン フランチェスコ教会 寺院・教会
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さて、いよいよ聖堂内へ・・・ドキドキが募る。
制限時間はわずか30分なので、その間にしっかりとこの目で見ないと!!
内部は天井が高く広々した印象。単廊式で左壁面にいくつか礼拝堂がある。
シンプルではあるが、それだけに主祭壇を埋め尽くすフレスコ画の存在が顕著だ。
両壁面にもかつてはフレスコ画が多く描かれていたのだろうが、現在はところどころに残るだけとなっている。 -
主祭壇に向かって歩きだすと、床に施された大理石の装飾が目に飛び込んできた。
真っ直ぐに祭壇へと続いている。 -
模様がキレイだけど、どんな意味があるのかはわからず・・・。
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大きな十字架が宙吊りになっている中央の祭壇が、バッチ礼拝堂(Capella Bacci)。
この礼拝堂一面に描かれたフレスコ画が、イタリアルネサンス期を代表する画家ピエロ・デッラ・フランチェスカが1447年から1466年にかけて描いた「聖十字架伝説(Leggenda della Vera Croce)」。
彼の遺した作品の中で最大であり、ルネサンス初期の傑作といわれているものだ。
バッチ礼拝堂の両脇にも礼拝堂があるが、左手は"受胎告知の礼拝堂(Capella delle Annunciazioni)"、右手は"グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)"となっている。 -
バッチ礼拝堂のフレスコ画は、13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネが書いた、聖人や殉教者たちの列伝である「黄金伝説(Leggenda Aurea)」の中の一節、「聖十字架伝説」を題材としている。
エデンの園の木が、後にキリストの磔刑に使われる十字架となるまでの一連の物語が描かれている。 -
フレスコ画もさることながら、この祭壇に宙吊りにされた大きな十字架がまた素晴らしい。1270年から80年の作品とされているが、作者は不明。しかし、その技法や着想から、チマブーエと同世代で、少なからず彼の影響を受けたものとされている。
そしてキリストの足元をよく見ると、そこに口づけする聖フランチェスコが描かれている。 -
バッチ礼拝堂を左手から撮影。
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イチオシ
バッチ礼拝堂を右手から撮影。
あまりに素晴らしいフレスコ画に言葉を失い、ただじっと眺める。 -
バッチ礼拝堂。
さて、細部までじっくり見て行こう。
制限時間30分で、どれだけしっかりと目に焼き付けられるかの勝負だ。
それにしても、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵を一度にこんなにたくさん見られるなんて!感激で胸がいっぱいになる。
今回の旅ではピエロの絵を追って町を辿ってきたが、このフレスコ画はまさにその集大成にふさわしいと感じた。 -
バッチ礼拝堂、右手の壁。
こうして全体を見ると、ピエロ特有の遠近法や幾何学的理論に基づいた構図が、要所要所に見て取れる。 -
バッチ礼拝堂、右手の壁。
ルネッッタに描かれているのは物語の始まりとなる「アダムの死」。
アダムは死ぬ間際、息子に大天使ミカエルのもとに行き聖油をもらってくるよう頼むが、息子が戻った時アダムは既に息絶えていた。すると息子は大天使ミカエルから授かった生命の木の種を、アダムの口に入れる。
埋葬されたアダムの墓からはやがて木が生えてくる。 -
アダムから育った生命の木は大木に成長。ソロモン王はこの木で神殿を建てようとするが、どうにも寸法が合わず断念。木は橋の建設に使われる。
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「聖木の礼拝」
その後、シバの女王がエルサレムを訪れた際にこの橋を見ると、いつか世界の救い主(キリスト)がこの木に掛けられることを予知し、橋の前に跪いて拝礼する。 -
「ソロモン王とシバの女王の会見」
シバの女王はソロモン王と会見し、橋で予知したことを話す。
この木が後にユダヤの王国に終末をもたらすかもしれないという神の啓示を聞いたソロモン王は、木を地下深く埋めることにする。 -
「聖木の運搬」
ソロモン王の命で地中に埋めることになった聖木を運ぶ様子。
この後木は埋められたが、後にその場所で池を掘った際にひとりでに水面に浮上し、シバの女王の予言通りこの木で十字架が作られ、キリストは磔刑となる。 -
「コンスタンティヌス帝の夢」
そしてキリストの受難から3世紀の時が経った。
コンスタンティヌス帝は、皇位継承権をめぐり敵のマクセンティウス帝と決戦を迎えていた。その前夜、夢の中で「十字架を掲げて戦えば勝利を収める」という神の啓示を聞く。 -
「コンスタンティヌス帝の勝利」
夢のお告げ通り、十字架を掲げて戦ったコンスタンティヌス帝は敵に勝利し、312年に晴れてローマ帝国の新皇帝となる。そして翌313年、キリスト教を公認することとなる。 -
イチオシ
今度はバッチ礼拝堂の左手の壁を見ていく。
こちらも美しい色彩が目を引く。詳細はともあれ、純粋に”絵”として鑑賞しても本当に見ごたえがある。 -
「ユダの拷問」
コンスタンティヌス帝の母ヘレナは、キリストが磔けられた聖十字架を探そうとする。聖十字架の隠し場所を知っていたユダは、秘密を明かすことを拒み井戸に吊るされて拷問を受ける。
しかし7日目、ついにヴェヌス神殿にキリストが磔にされた十字架が隠されていると白状する。 -
そしてユダが白状した通り、ゴルゴダの丘から十字架が発見されることとなる・・・
-
「十字架の発見」
コンスタンティヌス帝の母ヘレナはヴェヌス神殿を取り壊すよう命じた。するとそこからは、三本の十字架が発見される。 -
「十字架の検証」
ヘレナは三本のうちのどれがキリストの十字架であるかを検証するために、偶然遭遇した葬列で三本の十字架を順番に死者の上にかざしてみた。すると、最後にかざした十字架で死者が蘇り、それこそが真の"聖十字架"であることが判明する。 -
「ヘラクリウス帝とホスロー王の戦い・ホスロー王の斬首刑」
615年、聖十字架はエルサレムに攻め入ったペルシャ王ホスローにより奪い取られる。それを知った東ローマ帝国皇帝ヘラクリウスは、ホスロー王を攻め聖十字架を奪還、戦いに敗れたホスロー王は斬首される。 -
「皇帝ヘラクリウスのエルサレム入城と聖十字架の賞揚」
皇帝ヘラクリウスは、聖十字架を返却するためエルサレムに入城しようとする。その時、城門の上に天使が現れ「主キリストはかつてこの門を通って受難の地に赴かれる時、つつましくロバに乗り、質素な衣類に身を包んでおられた。」と皇帝を諭す。
皇帝はすぐに乗っていた馬から下りて靴を脱ぎ、豪華な衣装も全て脱ぎ捨て、聖十字架を高く掲げながら入城する。エルサレムの民の歓迎とともに・・・。 -
「受胎告知」
一連の物語の結末は、この"受胎告知"で締めくくられている。
聖十字架伝説の元となった黄金伝説には、実はこの受胎告知は含まれていないのだが、ピエロ・デッラ・フランチェスカは人類の救い主の復活を予知し、あえてこの受胎告知を描いたのだという。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ40~50歳の円熟期の作品と言われるこの"聖十字架伝説"。確かに彼の人生をもかけた情熱が伝わってくる大作で、本当に見応えがあった。 -
バッチ礼拝堂の天井のフレスコ画はピエロ・デッラ・フランチェスカではなく、14世紀前半に活躍したフェイレンツェ出身の画家、ビッチ・ディ・ロレンツォが描いたもの。
この天井画の青、そして交差する枠絵の細やかな柄がとても美しい。 -
こちらはバッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
ここも一面にフレスコ画が残るが、これはアレッツォ出身の画家スピネッロ・アレティーノ(1350-1410)が手掛けたもの。
最初に訪れたサン・ドメニコ聖堂でも、彼のフレスコ画を目にしたばかりだ。
14世紀から15世紀のもので、礼拝堂右手の壁には大天使ミカエルの物語、左手の壁には聖エジディオの物語が描かれている。 -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
中央に置かれた多翼祭壇画は、フィレンツェ出身の15世紀の画家、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品。 -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
スピネッロ・アレティーノのフレスコ画、この面には大天使ミカエルの物語が描かれている。ミカエルファンにはたまらな~い♪
ピエロ・デッラ・フランチェスカの明るいトーンと比べると、かなり落ち着いた色彩だが、それがかえってドラマチックな雰囲気を醸し出しているように思う。 -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
大天使ミカエルの物語のフレスコ画、最上部のルネッタ。 -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
大天使ミカエルの物語の中段。
大天使ミカエルが神に反逆を企てたサタンを退治し、足で踏んづけるシーンは彼のイコンとなっている為、これをテーマに描かれた絵はあちらこちらで目にする。
ただ、足で踏んづけられてるのが、見かけが人間に近いサタンであったり、サタンの化身ドラゴンであったりとバリエーションはあるようだ。
いずれにしろ、ミカエル様はいつもカッコイイのだ☆ -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
大天使ミカエルの物語の最下段。
これは590年、ローマ教皇グレゴリウス1世がローマを襲ったペストの収束を祈願していると、目の前に大天使ミカエルが現れ、ペストが治まったという逸話を描いている。 -
バッチ礼拝堂の右手、グァスコーニ礼拝堂(Cappella Guasconi)。
礼拝堂左手の壁に描かれた、聖エジディオの物語。 -
バッチ礼拝堂の左手、受胎告知の礼拝堂(Capella delle Annunciazioni)。
美しい木製の祭壇画は、フィレンツェの画家ネーリ・ディ・ビッチ(1418-1492)の1470年の作品。
中央に受胎告知が描かれ、その左には聖ジローラモ、右には聖フランチェスコが描かれている。
上部の小さい窓から顔を出しているのは、預言者イザヤとダヴィデ。 -
バッチ礼拝堂の左手、受胎告知の礼拝堂(Capella delle Annunciazioni)。
1920年にこのサン・フランチェスコ教会に持ち込まれたと言われるフレスコ画。これも受胎告知が題材にされている。
ルーカ・シニョレッリの作品と言われてきたが、最近の研究ではアレッツォ出身のマッテオ・ラッポーリのものとされている。 -
ここからは身廊左右の壁に残るフレスコ画。
かなり古く、かろうじて残ってる部分も多い。 -
ずらりと聖人が並ぶフレスコ画はスピネッロ・アレティーノがサント・スピリトという病院の壁に描いたもの。
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詳細不明。
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このひとまとまりのフレスコ画は、部分によって年代も作者も異なるようだ。
まず名前があがるのは、この教会内にいくつも作品が残るスピネッロ・アレティーノ。そして同じくアレッツォ出身の14世紀の画家、アンドレア・ディ・ネリオの名もあがっている。 -
左手に描かれているのは我らがヒーロー・大天使ミカエル。
中央は、肝心の顔の部分が消えてしまってるが、修道服と腰紐から聖フランチェスコと想像できる。 -
上部に受胎告知が描かれたこの部分も、かなり古いが色使いや繊細なタッチが美しく、気に入ってしばらく眺めていた。
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作者は不明だが、床や聖母にかぶさるように描かれた天蓋の奥行が、遠近法で巧妙に描かれている。
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左は聖フランチェスコ、中央は聖母子で、幽閉の身であるダマスコの聖ヨハネと会見している場面。
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身廊右手の壁の礼拝堂。
祭壇は末期ゴシックのもので、中央には聖母マリアの像が置かれている。
背面の壁にはスピネッロ・アレティーノの息子、パッリ・ディ・スピネッロ(1387-1453)が描いたフレスコ画、"玉座の聖母(Madonna in Trono)"が残っている。 -
礼拝堂の右隣には、鮮やかな天使たちのフレスコ画が残る。
楽器を手にし、楽し気な姿だ。 -
こちらも身廊右手にある礼拝堂。
中央には聖フランチェスコの像が置かれている。 -
礼拝堂の左上に描かれているフレスコ画。
ここだけちょっとテイストが違い、なんとなくポンペイを彷彿させるフレスコ画だ。 -
キリストの磔刑が描かれたフレスコ画。
見たいところがちょうど剥げてて、残念・・・。 -
ちょっとマンガチックな聖母子のフレスコ画。
でも4本の柱とその奥の壁龕はしっかりキッチリ遠近法で描かれてる。
気になるのは・・・右端にちょこっと居る、矢で射られまくりの聖セバスティアーノ(@@;) -
このフレスコ画は確か身廊左手の礼拝堂のものだったような・・・(←もう記憶が定かでない汗)
詳細は不明だったが、聖フランチェスコの生涯にまつわるものかな?? -
中央で手を取り合ってるのは聖母とアッシジのキアラ?
その右手でひそかに流血してるのは聖セバスティアーノ、左手は聖フランチェスコぽい。 -
聖フランチェスコの生涯??
-
これも詳細不明。
わかるのは、とにか~く古い!ってことくらい(汗) -
見上げた礼拝堂の天井がひどくキレイだった。
教会で、星をちりばめた夜空のような天井ってよく目にするけど、いつ見てもなぜか惹かれる。 -
これも聖フランチェスコのフレスコ画。
やっぱりサン・フランチェスコ教会だけに、彼にまつわるフレスコ画が多い。 -
入口付近に描かれていたフレスコ画。
-
入口上部の円窓のステンドグラス。
1524年のもので、ホノリウス3世がアッシジを訪れた際、聖フランチェスコが白薔薇を献上する様子が描かれている。
さて、そろそろサン・フランチェスコ教会を出る時間・・・
念願のピエロ・デッラ・フランチェスカの聖十字架伝説を満喫できて、もう胸いっぱい!
大満足で教会を出た。 -
サン・フランチェスコ教会の前に立つ、ヴィットリオ・フォッソンブローニ(1754-1844)の像。
アレッツォ出身で、数学者、エンジニア、経済学者、そして政治家でもあり、多岐にわたり活躍した人物。彼の栄光を讃え、フィレンツェの彫刻家パスクァーレ・ロマネッリに依頼し建造された。 -
サン・フランチェスコ教会の前のカヴール通り(Via Cavour)をちょっぴり北西に歩いて来た。
写真はグイド・モナコ通り(Via Guido Monaco)。なんだかちょっと洗練された雰囲気だ。 -
カヴール通りとグイド・モナコ通りが合わさるところに、気になるお店がある。
イル・チェルヴォ(Il Cervo)という惣菜店だ。
看板には"FARMACIA DEL CERVO(チェルヴォ薬局)"と書かれているが、これは昔薬局だった名残りだそうだ。 -
中に入ってみる。
なんかクラシックな感じでいい♪ -
カウンターにならぶ美味しそうなお惣菜たち!!
この辺はパスタとソースだな。 -
おぉ~カルチョーフィのオイル漬け、美味しそう♪
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野菜メニューが充実してる。旅先では常に野菜不足だから、こういうの食べたくなる。
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いやいや、でもやっぱりお肉関係は食欲をそそるのだ♪
野菜メニュー数品をちょっとずつテイクアウト。後でB&Bでいただいた。
家庭の味っぽくて美味しかった。 -
カヴール通りを更に北東に進むと、左手にバディア広場(Piazza Badia)があり、そこにサンテ・フローラ・エ・ルチッラ修道院 (Badia delle Sante Flora e Lucilla)が建っていた。
でも先に見たいものがあるので中には入らず、外観だけ眺める。 -
サンテ・フローラ・エ・ルチッラ修道院の、とてもエレガントな鐘楼。
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カヴール通りを南西に戻って行く。
ラベンダー製品を扱ってるお店の店先がカワイイ☆ -
自転車までラベンダー色。
紫が好きだから、自然と反応してしまう。 -
アレッツォはあの名作映画「ライフ・イズ・ビューティフル(原題 ラ・ヴィータ・エ・ベッラ La vita è bella)」の撮影地なので、あちこちにこの看板がある。
もう20年以上も前なんだなぁ。初めて観た時は感動のあまりしゃくり上げながら泣いたっけ。 -
サン・フランチェスコ教会も通り過ぎ、カヴール通りを更に南西へ進む。
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イタリア通り(Corso Italia)に入るとすぐにジェラート屋さん発見!
ちょっと休憩しよ~っと♪
Gelateria Cremi
Corso Italia, 100, 52100 Arezzo -
あ~~、どれも美味しそう♪
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いつものノッチョーラとピスタッキオの名コンビ&山盛り生クリーム♪
このボリュームで2.50ユーロ、激安!
しかもめちゃめちゃ美味しかった♪ -
陽もだいぶ傾いて来た。
街のメインストリートであるイタリア通りは、まだまだ賑わいを見せる。 -
イタリア通りにある"サン・ミケーレ教会(Chiesa di San Michele)"。
ここも2005年に訪れたが、閉まっていて中を見られなかった。
けど、今日は修復中?!・・・と思いきや、近寄ってみたら開いてたのでホッと胸をなで下ろす。
1095年にカマルドリ会の修道院として初めて記録に登場、14世紀前半にはゴシック様式に改修、15世紀にも大掛かりな改修、そして1817年から1824年には修復作業も行われるが、1934年には全面的に改修されるという、なんとも忙しい歴史を持ってる。 -
内部は単身廊、ロマネスクとゴシックが混在している。近年まで修復されていたせいか、かなり新しい印象を受ける。
ほとんど装飾が無いグレーの世界は、教会というより倉庫のような雰囲気さえするが、そのシンプルさが逆に新鮮でよい。 -
祭壇も、後方に控えめなパイプオルガンを配置したのみでいたってシンプルだが、それだけに祭壇画が引き立っている。
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祭壇画はフィレンツェ出身の画家ネーリ・ディ・ビッチの"玉座の聖母子と四聖人"、1466年の作品。
聖母子を中心に、左から聖ベネデット、大天使ミカエル、洗礼者ヨハネ、カマルドリ会創始者のロムアルドの四聖人が描かれている。 -
サン・ミケーレ教会を出て、次の目的地へ向かってぶらりと歩く。
イタリア通りから北東に伸びるレーディ通り(Via dei Redi)からサン・フランチェスコの鐘楼が覗いていた。
アレッツォ街歩きの前編はここまで。
後編に続きます→→→
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2020/06/17 12:48:18
- 聖十字架伝説
- めておらさん Ciao☆
アレッツォって中世が残ってて、エトルリア起源だし、いい雰囲気の街だよね。
私はツアーと友達と2回訪れているんだけど、時間が少なくて…
お知り合いのブルーノさんに会えなくて残念でしたねぇ。
まずはサン・ドメニコ聖堂。単身廊だけどフレスコ画もところどころ残っていてチマブーエのキリストの磔刑まで見れるとは、いい教会だね。私、こういう静かな単身廊って好き。おまけに我らがミカエル様も君臨してるし♪
聖十字架伝説はずっと見れなかったのですね。私は2度見れたけど1度目は何も知らずホーッという感じだったし。2度目は興味薄の友達と一緒だったし、まだ撮影禁止だったの。いくら脳裏に焼き付けても悲しいかな、忘れちゃうのよね。
めておらさんが解説して下さって、じっくり拝見出来ました☆
やっぱりいい絵だねぇ~(ど素人に言われても(^_-)-☆)
バランスと色彩が絶妙ばよね。
もしももう一度行けたら、めておらさんの解説読みながら見ちゃおうっと。
アレッツォは定期的に結構大規模な骨董市が開かれるじゃない。
前回、骨董市の日だったんだけどイタリア初めてで朝の支度がすご~く遅い友達と一緒で置いていくわけにもいかず涙をのんだ滞在だったのだ。
やっぱリベンジだな!
続き楽しみにしてま~す♪
マリアンヌ
- めておら☆さん からの返信 2020/06/17 13:54:17
- Re: 聖十字架伝説
- マリアンヌさん、いつもどもども、ありがとうございます(^^)♪
アレッツォ、私も2度行ったけど2度とも短時間の滞在になってしまって・・・
街並みも美しいから、もっとゆっくり散策できたら更に魅力発見できたのになって思う。
聖十字架伝説は、やっぱり名作だね~。ピエロさんの情熱が込められてる感じが見ててひしひしと伝わったきた(←ど素人に言われても(^^;))
ミカエル様のでっかいフレスコ画も見られたし、言う事無しでやんした♪
でも、あのこじんまりしたサン・ドメニコ教会もステキだよね。
私もあの”ひっそり感”好きだよ。三身廊で前後左右ゴージャスに飾られてるのもいいけど、どこ見ていいかわからなくて「あわわわわ・・・」ってなるよね。でも単身廊の、”歴史ある村の教会”みたいな雰囲気って和やかでいいよね。
そうそう、ここにもミカエル様いたいた。アレッツォ滞在は短時間だった割りに、ミカエル様遭遇率高かった気がするよ。
骨董市、確か月一で開催されるやつだよね??
私も2005年に行ったとき丁度その日で、見てるだけでも楽しかった♪
マリアンヌさんは残念ながら見られなかったんだね。
じゃあまたいつか、その日に訪れることができますように・・・
リベンジの町多すぎて、お互い大変だね~笑
めておら☆
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