2024/09/24 - 2025/09/04
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砂布巾さん
ソ連旅行の思い出とウィーンでのバッタリ(自分史)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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新潟からハバロフスクへ飛んで始まったシベリア鉄道での旅は辛かった。
*怖さでは双璧 アエロフロートソ連国営航空(当時)
新潟→ハバロフスクで利用 無事に到着すると拍手が起こったとか(ミンスクに行く際、中国国際航空で控えめながら唯一経験した)新潟空港 空港
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*初日に泊まったハバロフスク、インツーリストホテルの室内(いかにもソ連的)
お見せ出来ないものが手前にあったので…ホテル インツーリスト ホテル
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*ハバロフスク~イルクーツク間 何時間も湿地帯の中を走行
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*2階には転落防止用の策がなく、不安で仕方なかった
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バイカル湖観光(食費の¥800で参加させてもらえた)がメインのイルクーツクまで2泊、
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*バイカル湖観光の拠点リストビアンカ村にて
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更にモスクワ(表紙写真はヤロスラブリ駅)まで3泊。途中飲んだ牛乳でモスクワでは水下痢に苦しむなど散々だった。そんな旅に彩りを添えてくださったのがレニングラードまで一緒だった8人組ツアーの皆さん(ガイドは日ソ双方から帯同しなければならない)と個人旅行で一人旅の女性2人。モスクワでもホテルまで便乗させていただいた。
*こういった途中駅で買った牛乳 -
*左のターニャは同行の日本人看護師に兄の病気治療をしてもらったにもかかわらず、(日本人的価値観では)厚かましくも賄賂を要求
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*いかにもソ連的なプロパガンダ的ポスター
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*下はデカブリストの方々
ロシア帝国のツァーリ(皇帝)に反抗した 敵の敵は味方ということか? -
*モスクヴァ~ヴラジボストーク(東方を征服せよ) 背後霊が
沿海州(プリモルスキー)は1860年の北京条約で清からロシアに帰属がかわった -
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予想はしていたがソ連ほど「違和感」を感じた国はない。
マルクスはエンゲルスとともに「資本論」(1848)を著し資本主義の限界を指摘。誰もが平等な労働者の社会を築こうとした。
*ドイツ、トリアーにあるマルクスの生家カール マルクスの生家 博物館・美術館・ギャラリー
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仕事は(かなり無理して)国家が与え、給料を払う。いわば国民全体が公務員。縄張り意識は強烈、自分の職務以外やらず、嫌々仕事しているオーラ全開でサービスの欠片もない。アメリカには強烈な憧れがあるため、特にマルボロを渡した途端に態度が180度変わる賄賂がまかり通る社会。地下経済が占める割合が高く、
*信号機を操作する警官 これも仕事を作る政策の一環ではないか? -
入国地ハバロフスクで旅行ガイドにヤミ両替へと誘導されてルーブルを持ち過ぎ、最後にソ連製ジーンズを購入するハメとなった。
*買ったのがこちら レニングラード聖イサク寺院前にて -
モスクワにマクドナルドがオープンした時、あの世界共通の笑顔とサービスに度肝を抜かれ、真冬でも長い行列。買い占め騒動が起き、後に購入は10個に制限。マフィアさえ並んだそうだ。
体制を守ることが何より優先されるため反対意見を容認せず、特にスターリン時代には密告や濡れ衣などで粛清されたのは2千万人(大戦時に匹敵)とも言われる。計画経済がうまくいっていないのに軍事的にもアメリカに対抗せざるを得ないのも致命的だった。
旅行者、特に西側の外国人は潜在的スパイとみなし、全ての交通機関と宿泊先が決定しないとビザが下りない。 -
ザルツブルクのYHでグム百貨店での買物の様子を真冬のソ連に行った豪傑から面白おかしく聞いたのがゴルバチョフの存在とともにソ連行きの切っ掛け。
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*右奥がグム百貨店 真正面はクレムリン
右側聖ワシリー寺院前にある銅像がミーニンとポジャールスキーの像(1613年に成立したロマノフ朝の開祖)赤の広場 広場・公園
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*百貨店内部 扱っている商品も時代遅れの代物
商品購入の流れ
展示品(手に取って確認できない)の中から買いたいものを選び、注文票のようなものを貰う
→それを持って許可を出す人の所に持って行き、彼が首を縦に振る
→許可が出た注文票を提出し、商品が出て来るのを待つ
→レジに行き会計を済ませる→商品の購入が完結
(それぞれ違う人が担当)グム百貨店 百貨店・デパート
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ソ連専門旅行社に手配を頼んだ際、大学時代の恩師岡先生(「貿易論」を受講しなかったのが悔やまれる)を通じた縁が分かった営業部長の第一声「安くはできませんけど」には唖然。復路は韓ソ国交樹立に先立って開設された(東ベルリン→)モスクワ→ソウル線を依頼していた。しかし「多分」と言っていた倍の40万を提示され、結局ドイツ、ゲッティンゲンでカラチ乗り換えパキスタン航空北京立寄約13万円を購入した。
Perhaps I arriveならぬPakistan International Airlineは搭乗直前にフライトキャンセル。もしかしたら墜落したのでは?と思いながら、その夜、伊丹十三監督の「タンポポ」を観た。
*購入した旅行社
エジプト航空(飛ぶ棺桶だとか)カイロストップ案、エアインディアのインドストップ案もあった -
1996年の妻布巾初ヨーロッパ、ウィーンで観た「アタックナンバーワン」(Mira Superman)も日本物をドイツ語の吹き替えで観ることに違和感。
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シュテファン聖堂前では近所の魚屋さんから声を掛けられる偶然。
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同年3月には両親の唯一海外旅行にも帯同して訪問した。
*アムステルダム、スキポール空港にてスキポール空港 (AMS) 空港
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1990年Fischer家の次男Nielsと初めて訪問したウィーンは、前述のように大晦日に2回訪問し、大好きというより偉大、威厳のある街。(2024 年12月改訂)
ウィーン西駅 駅
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ヤロスラフスキー駅 駅
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第6章 独ソ・日米開戦(戦局の転期)
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