2018/09/01 - 2018/09/05
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MasaakiJTPさん
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9月1日夕刻、成田を経ち、翌日の2日夜明け前にチューク島のTKKに到着後、断続的に降雨に遭い、3ヶ日目にして、赤道に近いミクロネシアの太陽を浴びられる天候に恵まれた。
Smithの島とPeteの島を観ながら、SmithのDadyの島を訪れた。
表紙の写真はSmithの島の洞窟、日本からの取材では、この島の特徴としてこの洞窟は頻繁に雑誌やテレビ報道で掲載される。
未だに日本海軍の軍人の骸骨が放置された侭、収骨されていないからだ。
観たいかと尋ねられたが、今更どうにもならないので、頭蓋骨を含めた人骨を拝んでも、意義を感じないと思い断ったよ。
Peteが所有するTOL島(南洋の海軍基地当時は水曜島)-実際の登記上は島の半分の領地-の周りを巡り、米軍に撃沈され、未だ引き揚がられない侭、海底に眠る戦艦「はなかわ丸」を海上から、輪郭を捉え、一度はサルベージ船が引き揚げを試みたが
船体が半分に折れてしまい、断念し、海底に沈んだまま放置されている、と説明を受けた。
乗船前にSmithが買い込んだ、氷、ソフトドリンク類、弁当、ハンバーガーなどの飲食類を、最終目的であるSmithのDadyの島に揚げて、昼飯となった。
驚くことに二家族が居住していた。
幼い子供たちもいるので、学校は?とSmithに尋ねると、夏休み期間中はWenoの街から島に移り、島の管理をしながら自給自足の生活をしているとのことであった。持ち込んだ多くの飲食類は彼らの為であったようだ。
Peteの説明によると、記憶は定かで無いが、元森喜朗首相が3年に実父の墓はこの近くの島であった。島の山、船からは稜線がくっきりと見え、3本の椰子の木が聳え立っている。その真ん中の根元に墓を建てたとのこと。
Peteの日本語は片言以下で、挨拶の単語が間に挟まる程度だから、外務省から英語の通訳が同行していたのだろう、と想う。
ボートは親爺の会社からレンタルしたと言っていたが、紹介されたのは親爺の弟と称するPeteの叔父だ。
ガソリンは自前で、20ガロンほど必要なので、予備タンクをPeteの従兄弟である現駐日ミクロネシア連邦国大使であるJohn Fritzの実家へ借りに寄り、若くして逝った大使の祭壇前で黙祷を捧げる機会を与えられた。Frutz姓は大戦前にドイツに統治下での総統の姓であるので、ドイツの血を継いでいるのであろう、と想う。
島巡りを終え、ホテルで一休みが、再度、Rose Garden Restaurantへ
短い滞在も明日一日、
続く、
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