2018/08/15 - 2018/08/15
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2018年8月に行った、北陸方面の旅行記です。
越前(福井)→加賀、能登(石川)→越中(富山)と回ってきました。
丸岡城→養浩館庭園→一乗谷朝倉氏遺跡→越前大野城→七尾城→(兼六園)→瑞龍寺→高岡城址→富山城。
さすがの酷暑だったので、今回は少しゆっくり目です。
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最終日。
北陸に来て行っておかなければならない所はたいてい回り終わっているので、このまま金沢から東京に帰る、という流れもありなのですが、せっかく来たので、越中の国にも片足を突っ込んでおくことにしました。
金沢から、あいの風とやま鉄道に乗って、降りた先はここ。高岡駅 駅
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高岡駅です。ここに城と国宝があると聞いたので。
高岡駅 駅
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高岡は前田利長によって城が築かれ、一国一城令で廃城となった後も商業都市となり、加賀第二の都市として栄えたそうで。実際に降りてみるまで知らなかったのですが、正直それほど立派な都市とは思っていませんでした。
かなり広い駅前ロータリーを見ながら、いつもの通りコンビニで水と氷を買って準備。
最初に高岡城址を回る予定だったのでバスの時刻を見ると…。何と8/15は休日ダイヤ運行、1時間に1本しかなく、しかも行った直後でした。
いやいや、本当に今回の旅ではバスに恵まれていません。
じゃあ歩いていく予定だったあっちに先に行くか、と、私は高岡駅の構内を抜けて逆側の出口から歩き始めます。高岡駅 駅
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平日の午前中、しかも酷暑なだけに誰も歩いていません。
10分ほど歩くと、景色が変わってきました。程近いようです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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というわけで最初の目的地。
瑞龍寺です。瑞龍寺 寺・神社・教会
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この瑞龍寺は前田利長の菩提を弔うために、次の藩主である前田利常によって建立された菩提寺。
前田、と言えば戦国野郎からすると槍の又左、加賀大納言利家が真っ先に浮かぶわけですが、前田利長は彼の長男、利常は前田利長の弟(利家の庶子:四男)で、後に利長の養子になっています。
利長には嫡子がなかったので弟が相続したのは良いとして、次男、三男を差し置いて四男の利常が藩を継いだのには、色々と事情があります。
とはいえ利常は、利長が自分に家督を渡してくれたことを非常に感謝していて、その感謝の念がこの瑞龍寺の建立につながったといわれています。瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺の全景はこんな感じで、七堂伽藍を備えています。
七堂伽藍、って言葉はよく聞くんですが、実のところ私もここに来るまでよく知らなくてですね。
寺院を構成する建物のことを伽藍というんですが、この伽藍は7つの建物で一揃えになっている、というのです。
すなわち、山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、西浄、浴室の7つ。まぁ、宗派によっていろいろ違うようですが。
瑞龍寺はこの7つをすべて備えていて、しかも各建物が回廊で結ばれ、左右対称に配置されているという寺院です。
この瑞龍寺は富山県初、しかも現在唯一の国宝指定を受けていて、いくつかの建物が国宝、重文になっています。瑞龍寺 寺・神社・教会
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まずは総門。重文です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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総門をくぐると、砂が敷き詰められた庭にまっすぐ道が伸びていて、その先に山門が見えます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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山門です。これが国宝。
上部の扁額には"影向閣"、下部の扁額には"高岡山"。
左右に力士像を配し、力のある門です。瑞龍寺 寺・神社・教会
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力士像を見てみると、他の寺院の山門に配置された力士像と比して、どことなく愛嬌を感じる気がします。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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威圧を目的に作られていないような印象です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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山門をくぐると、左右に回廊が伸びています。
左側。瑞龍寺 寺・神社・教会
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右側。
階段には登れません。瑞龍寺 寺・神社・教会
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私はもったいぶって歩く方なので、本堂にはまっすぐ行かずに左側の回廊から回っていきます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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左側の端まで行くと、烏枢沙摩(うすさま)明王が祀られていました。
あまり知らない明王だったんですが、火を司る明王で、元はアグニと呼ばれた神だったそうです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここは東司。いわゆるトイレですが、七堂伽藍の一つに数えられています。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここから右手に回廊が伸びているので、さらに進みます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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しばらく行くと分岐。どうやらここに一つ伽藍があるようです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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折れずにまっすぐ進むと、入り口正面に出ます。
ここは禅堂。重文です。瑞龍寺 寺・神社・教会
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重文指定を受けている禅堂は日本に3か所あるそうですが、ここは高い評価を受けているのだとか。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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中に入ると、道元の木像を中心に据えつつ、
瑞龍寺 寺・神社・教会
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左右に座禅を組む単が設けられています。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺 寺・神社・教会
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禅堂の外にも。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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左に折れる回廊は裏に続いていて、
瑞龍寺 寺・神社・教会
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禅堂の背後に回り込むこともできます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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禅堂から対面の伽藍を見るとこんな感じ。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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仏殿方面を向いて。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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法堂方面を向いて。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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さて、回廊にはまだ先があるのでそのまま進みます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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しばらく行くと右に折れるのですが、逆側にこんな立札が。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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実はこんなところに石廟があってですね。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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5つ並んでいます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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右から、前田利長。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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前田利家。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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織田信長。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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信長公側室。
正覚院って誰のことかと思ったんですが、一説によると前田利長の正室永姫の生母とも言われているとか。瑞龍寺 寺・神社・教会
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そして、織田信忠のものです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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石廟を出たら、右手に折れる道を進み、法堂方面に向かいます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここから靴を脱いで上がります。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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法堂左側の部屋では、高岡市と瑞龍寺のジオラマが飾られていました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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中央に向かうと、"瑞龍寺"の扁額がかかっていて。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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奥はこんな感じ。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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右手には中庭があって、
瑞龍寺 寺・神社・教会
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スリッパをはいて庭に降りることができます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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法堂から見る仏殿。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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左右を見るとこんな感じです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺 寺・神社・教会
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一度法堂から仏殿に出て、振り返って法堂を見ます。
国宝。瑞龍寺 寺・神社・教会
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灯篭と共に生飯台があります。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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反対側に置かれている台は形が違っていました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ところで、法堂の右側にはもう一つ建物があって、大茶堂というそうです。
重文。
確かに大茶堂という言葉自体をあまり聞いたことがないですね。瑞龍寺 寺・神社・教会
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中はこんな感じ。確かに大茶堂というだけあって広い。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここから中庭を鑑賞することができます。
なるほど、茶を喫しながら庭園を鑑賞するという、茶室的な使い方もできるわけです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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この部屋は階段を経由して土間になっていて、
瑞龍寺 寺・神社・教会
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土間には小さな入り口から入ることができます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ん? これってひょっとして躙り口では? と思ったりしました。
ということは、形こそデカいものの、大茶堂という名の通り、茶室としての設えがきちんと意識されているってことですかね。なかなか興味深い造りです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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靴を履いて大茶堂から延びる回廊を先へ進んでいきます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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少し歩くと地蔵菩薩が祀られていました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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その先には韋駄天が祀られた大庫裏が。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここも重文。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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ここは台所です。
こんな感じで竈が配されていて。瑞龍寺 寺・神社・教会
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反対側は畳敷きになっています。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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お米とか置かれていたので、実際に使ってるっぽいですね。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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庫裏を出て回廊を歩くと、そろそろ一周です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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角には建物が建っていなくて、表に出るとこんな標識があります。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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この辺が浴室だったそうです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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跋陀婆羅菩薩という菩薩が祀られていました。
菩薩を神と呼称していいのかどうか…まぁいいか。瑞龍寺 寺・神社・教会
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こんな感じの浴室だったそうです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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さて、これで回廊を1周したことですし、そろそろ仏殿に行きますか。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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この仏殿も国宝です。
というか、この寺社の建造物、ほとんど重文か国宝ですね。そもそも回廊も重文ですし。
七堂伽藍丸ごと、ってのはあまり見ない気もします。瑞龍寺 寺・神社・教会
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中はこんな感じ。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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本来仏殿内には釈迦、文殊、普賢を安置しているらしいのですが、私が来た時には修復中でした。
一応この瑞龍寺の本尊は釈迦如来だそうです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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見上げるとこんな感じ。上部の木組みの精巧さに目を引かれます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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よし、大体見終わりました。
では早速高岡城址に…と思った時に目に留まったのがこれ。
地図を見ると、この瑞龍寺からまっすぐ道が伸びているのと、ここ経由で駅に戻るなり、高岡城址に行くのもアリかな、と思ったので、立ち寄ってみることにしました。瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺を出ると、こんな感じでまっすぐ道が伸びています。
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ちょっと遠いんですが、行ってみましょう。
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途中に像が置いてありました。
前田利長。
大納言利家の長男として生まれ、二代目として加賀を継いだ人物です。
利家死後、関ヶ原までの彼の動き方については、特に秀吉、利家の立場からすると、なかなか歯痒いものがあります。
秀吉死後、権勢を高める徳川家康に対抗する立場だった父の利家は、秀吉の後を追うように死去してしまいます。利家は利長に、家康に対抗するための遺言を授けますが、彼はその遺言を全うできませんでした。3年上方(京都)に居よと言われたのに加賀に帰ってしまうんですね。
結果、家康に煽られた豊臣政権は加賀征伐などという勇み足に出てしまい、豊臣の名を借りた徳川の圧力を受け、芳春院(利家の妻:まつ)を人質に出すなど忍従を余儀なくされることになります。
この辺り、政治的に非常にかじ取りが難しいだけでなく、相手が天下人という役者の違いもあり、並大抵の政治力では歯が立たなかったでしょうから、まぁ無理もないのですが、父や太閤殿下であればもう少しやりようはあったのではないかなぁ、と。
もう一つ、弟と家臣団にも苦しめられたようです。
利長に嗣子がなかった場合は後を継がせよ、と遺言された弟の利政は、関ヶ原の折にも十分に動けず、かえって西軍に加担したとみなされてしまう、という微妙な動きをしていて(これにより利政は改易されます。利常が家督を継げたのはこういう理由)。
家臣団も対立があって出奔する者や暗殺される者も出たりと一枚岩ではなかったそうです。
最終的には関ケ原で利政が失った能登を利長が回収し(加増を受け)、江戸期最大の百二十万石を有する加賀藩を誕生させるに至ったのですが、この辺の状況込みで考えていくと、天下人の器量を持たないながらも、難局の中、外様第一の家名を保ちつつ維新まで永らえさせることに成功したわけですから、やるだけのことはやったのではないか、とも思いました。 -
少し日差しは弱まってきましたが、暑い中しばらく歩いていると、着きました。
前田利長公墓所 名所・史跡
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国指定史跡、前田利長墓所。
前田利長公墓所 名所・史跡
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大名個人の墓としては全国最大級だそうです。
前田利長公墓所 名所・史跡
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灯篭が立ち並ぶ参道を、木漏れ日の中進んでいきます。
前田利長公墓所 名所・史跡
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しばらく進むと左手に折れます。
前田利長公墓所 名所・史跡
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ありました。
前田利長公墓所 名所・史跡
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先ほど述べた彼の来歴を思い出しながら、
『親父や太閤からはいろいろ言われたかもしれないが、まぁよくやったと思うよ』
などと思いつつ手を合わせました。前田利長公墓所 名所・史跡
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んじゃ、そろそろ高岡城に行きますかね。
Google Mapを調べていたら、もう駅前に戻るより直接行った方が早そうなので、そのまま歩いていたら、案内看板を見つけたので、ここに軽く立ち寄ってみることにしました。高岡大仏 寺・神社・教会
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高岡大仏、だそうです。
高岡大仏 寺・神社・教会
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台座の中に入ることもできて、中にはこうした仏像や仏教絵画が飾られていました。
高岡大仏 寺・神社・教会
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牛久大仏ほどではないですが、まぁそれなりに立派な大仏でしたね。
高岡大仏 寺・神社・教会
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高岡大仏の前の道を進んでいくと、赤い橋が見えてきました。
ようやく目的地ですかね。高岡古城公園 公園・植物園
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到着したようです。
高岡古城公園。高岡古城公園 公園・植物園
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堀を渡って中に入っていきます。
いい眺めなんですが、まぁ滅茶苦茶暑いんですよ。高岡古城公園 公園・植物園
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高岡古城公園 公園・植物園
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こういう歴史の公園です。
先ほどの前田利長によって築城されました。縄張りは築城の名手の一人、キリシタン大名でもある高山右近。確か当時前田家の客将でしたね。
元和偃武(大坂の陣終焉)により、一国一城令に基づき廃城になってしまいましたが、その後も城址に塩蔵や米蔵を配置して管理していたそうです。
廃藩置県後民間に払い下げられるものの、その後公園指定されて現在に至るとか。高岡古城公園 公園・植物園
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この後、この公園をぐるっと一周したんですが、まぁ広いんですよここ。
縄張りが残っているだけで、遺構はせいぜいわずかな石垣程度なので、歴史的なものはそれほど残ってないんですが、一周して回る気なら相応の時間がかかるので要注意です。高岡古城公園 公園・植物園
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二の丸から入る形ですが、ここは市民会館とか護国神社が建っています。
高岡古城公園 公園・植物園
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本丸へ通じる道。
高岡古城公園 公園・植物園
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途中にこんな看板が。
ここにだけ遺構があって、築城当時の石垣が残っているそうです。高岡古城公園 公園・植物園
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本丸への道を渡り終えた後で、左に折れてその道を下から眺めると…。
高岡古城公園 公園・植物園
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ありました。
石的には割と角ばった石を使っているようですが、一応野面積みのようです。高岡古城公園 公園・植物園
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本丸の中心は神社になっています。
高岡古城公園 公園・植物園
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射水神社ですね。
高岡古城公園 公園・植物園
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神社に向かって左側に進むとこんな広場に出ます。
本丸広場です。
この暑いのに諸肌脱ぎでランニングしているお爺さんがいました。高岡古城公園 公園・植物園
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この広場には高岡城石垣の石が置かれています。
立札の文字がいろいろ抜けていて、何を言っているのか分からない個所もありますが。高岡古城公園 公園・植物園
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こんな感じ。
高岡古城公園 公園・植物園
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本丸広場は高岡古城公園 芸術の森として、色々なオブジェが置かれていました。
高岡古城公園 公園・植物園
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たくさんの芸術オブジェの中、遠目に見るは騎馬武者の像。
高岡古城公園 公園・植物園
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あぁ、あなたでしたか。
またお会いしましたね、利長公。高岡古城公園 公園・植物園
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本丸広場の中心には、こんな立派な碑もたっていました。
瑞龍前田公遺徳碑というそうです。大正期の設立だとか。高岡古城公園 公園・植物園
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広大ですが、歴史的には何もありません。
流石にあっついので、ここの東屋で氷を交換したり、水を補給したりと色々準備をしていました。
汗やら氷から結露した水やらで、上半身はずぶぬれなんですが、それでも暑いことに変わりはなかったですね。高岡古城公園 公園・植物園
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本丸広場からさらに奥に行くと歌碑がありました。
高岡古城公園 公園・植物園
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与謝野夫妻の歌碑だそうです。
高岡古城公園 公園・植物園
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近くに皇太子殿下御野立所。
どの皇太子か、って話なんですが、大正天皇だそうです。高岡古城公園 公園・植物園
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井戸なんてものもありました。
高岡古城公園 公園・植物園
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射水神社の裏手の方に進んでいくと、赤い橋が。
高岡古城公園 公園・植物園
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橋の手前にこんな看板があって。
高岡古城公園 公園・植物園
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橋を渡らずに降りていくと滝が見えるようだったので、先にそっちに行ってみました。
高岡古城公園 公園・植物園
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これですね、朝暘の滝。
高岡古城公園 公園・植物園
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で、この奥に道があったので、私は先に進んでしまったのですが、後で後悔することになります。
ここを先に進むと本丸経由で出口にしかつながっておらず、しかも未整備の道で、虫もブンブン出てくるので、引き返して橋を渡った方が賢明です。高岡古城公園 公園・植物園
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こんな感じなので。
高岡古城公園 公園・植物園
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ここから池を見ると噴水が良く見えるんですが、鑑賞位置はここじゃなくてもいいので。
高岡古城公園 公園・植物園
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進み切ると本丸の北から表に出てしまったので、堀に沿って進みます。
なんか立派な樹だったので撮ってしまいました。高岡古城公園 公園・植物園
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ちなみにこんな遊覧船が運航している時もあるようです。
高岡古城公園 公園・植物園
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遊覧船乗り場の傍から再び公園に入っていきます。
高岡古城公園 公園・植物園
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先ほどの朝暘橋を見ながら。
噴水は涼やか。高岡古城公園 公園・植物園
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先に進むと広場に出ました。
小竹藪広場だそうです。高岡古城公園 公園・植物園
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近くにこんなものを見つけました。
高岡古城公園 公園・植物園
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高岡城古井筒。
最も大事な井戸として現在まで保存され続けてきたのだとか。高岡古城公園 公園・植物園
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近くには体育館が。
高岡古城公園 公園・植物園
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あぁそういえば、SLが展示されていました。
高岡古城公園 公園・植物園
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地元で使われていたものだそうです。
高岡古城公園 公園・植物園
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内堀経由で明丸を抜けて鍛冶丸、大手口を目指します。
高岡古城公園 公園・植物園
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途中、動物園の前を通りがかりました。
本日はふれあいをお休みするそうですが、お休みしたほうがいいと思いました。動物の方がつらいです、この暑さでは。高岡古城公園 公園・植物園
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堀から道路を臨んで。
結構幅ありますね。高岡古城公園 公園・植物園
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ようやく大手口まで到着しました。
するとこんな立派なものが。高岡古城公園 公園・植物園
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高山右近像。この城の設計者ですね。
和田惟政、荒木村重を経て信長配下になった人ですね。10歳で早くも洗礼を受けている辺り、幼いころからのキリシタン。
秀吉からの信頼も得ていたのですが、彼から発せられたバテレン追放令を受け、大名であったにもかかわらず、信仰を守るためにその地位を捨てたそうです。
その後小西行長、前田利家の庇護を得て、前田利長からも引き続き庇護を受け、相談役となりつつ、この高岡城の縄張りを担当したのだとか。
家康のキリシタン追放令によって国を追われ、程なく病没。
三つ子の魂百まで、ではないですが、幼いころに植え付けられた思想というのは生涯にわたって影響するものですから、信仰を守るために数万石の地位を捨てた、と言っても、覚悟の強さはさておき、それほど驚くほどのことでもなかったりします。ましてや彼は、大怪我から奇跡的に復帰するような信仰体験を経ているので、なおさらでしょう。
どうやら最近バチカンから福者(カトリックの称号)の認定を受けて、列福したそうですね。世界的にも信仰心を認められたキリシタン大名になったわけです。高岡古城公園 公園・植物園
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『高岡市民は利長公と高山右近異体同心の苦衷を偲び、敬慕の至情は綿々子々孫々に及んで永久不滅である』
高岡古城公園 公園・植物園
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というわけで、前田利長、高山右近と高岡市民の思いを留め続ける、高岡城址でした。
高岡古城公園 公園・植物園
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よし、これで高岡は回り終わりました。
折悪しく電車が行ってしまったので、次を待つ間に昼食を。
富山名物白エビを丼で頂きます。高岡駅 駅
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そういえば、電車待ちの時間つぶしで入ったバスの待合室で、こんなものを見かけました。
ドラえもんポスト。
高岡はドラえもんの原作者、藤子・F・不二雄の出身地だったんですね。高岡駅 駅
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さて、電車が来たので最後の目的地、富山へ向かいます。
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で、富山で降りて、路面電車で最後の城へ向かおうとして、電車を降りた直後。
私を出迎えてくれたのは、それはそれは凄まじい夕立でした。
さっきまで雲一つない灼熱の晴天だったのに。
雨だけじゃなくて風がすごい。
もちろん傘は携帯していましたが、雨粒が水平に飛んでくるので、あっという間にずぶぬれです。
かろうじて近くの軒先に避難したものの、このままでは一歩も進めません。
そして、あと3時間で私が乗るべき新幹線が富山駅に到着してしまいます。
その間に最後の城を踏破し、土産物を買った上で、プラットフォームにいないとならないのです。
もはや一刻の猶予もない。
私は意を決して、吹きすさぶ雨の中を一歩一歩進んでいきます。
(傍から見るとアホじゃないかとも思いますが) -
激しく雨粒が大地を叩く中、その城の縄張りに足を踏み入れました。
富山城 名所・史跡
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何とか到着しましたが、いやー酷い雨です。
富山城 名所・史跡
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洪水なんじゃないかと疑ってしまう光景。
富山城 名所・史跡
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本丸の広場まで上がると、こんな像が。
富山城 名所・史跡
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前田正甫。
富山の薬売り、というのは昔から有名ですが、その基礎を築いた人物だそうです。
常備していた反魂丹という薬を腹痛に苦しむ大名に分け与えたら効果覿面、そこから行商が始まった、というのはなかなかすごいトップセールスです。富山城 名所・史跡
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舗装された道を歩いていきます。
この辺から少し小降りになってきました。富山城 名所・史跡
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歩きながら右手を見ると、庭の泉水を超えて天守の姿が見えます。
富山城 名所・史跡
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というか、この庭園も趣があるなぁ、とちょっと思いました。
富山城 名所・史跡
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そのまま進むと一旦外周に出るのですが、左右には石垣が。
富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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石垣に沿って進んでいくと、
富山城 名所・史跡
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千歳御門。
富山藩藩主の隠居所の門を移設したものだそうです。
東大の赤門と同じ建築様式なのだとか。富山城 名所・史跡
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そして周辺の石垣は野面積みだそうです。
富山城 名所・史跡
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立派な門ですが、左右の城壁と比較すると面白い構成になってますよね。
本物の城門と違って、門の左右の高さが石垣に届いていないので、取ってつけたような不思議な作りではあります。富山城 名所・史跡
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この千歳御門から富山城天守をのぞき込むことができるのもまた面白いです。
実はこの天守、当然現存天守ではないんですが、他の復元天守と違って、模造天守と呼ばれています。史実の造形に基づかない天守として造られているんですね。
その意味では、これは『史実に基づく城壁にかけられた、史実に基づかない門から、史実に基づかない天守をのぞき込んでいる』という、富山城の奇妙さを象徴的に示した景色です。富山城 名所・史跡
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この千歳御門から再び城内に入り、先ほど私の目を引いた庭園を散策します。
富山城 名所・史跡
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なんか夕立が降っていたせいで緑が映えるのか、妙に気に入りましてね。
富山城 名所・史跡
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水の流れと緑の置き方も良くて。
富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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ここにも東屋があったので、一息ついて座り込み、靴下を脱いで絞っていました。
雨脚はこの辺でほとんどなくなったんですが、もう足までずぶぬれでして。富山城 名所・史跡
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庭園を離れて、本丸内部の高台を進んでいくと、こんな場所に出ました。
富山城 名所・史跡
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ということで、江戸時代の石垣の石が置いてありました。
富山城 名所・史跡
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振り返ると模造天守の雄姿。
富山城 名所・史跡
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天守の方まで歩いていくと、こんな場所が。
馬に乗って写真が撮れるんですね。子どもとかが喜びそう。富山城 名所・史跡
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天守にほど近いところに、こんな歌碑がありました。
富山城 名所・史跡
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越中と言えば佐々だよなぁ、と思いながら歩いていたら、果たして。
佐々成政の歌ですね。
『何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雪の 白くふるらん』
何というか、この句自身が、この人について説明したいことを説明してしまっているというか。
佐々成政は織田信長の家臣でしたが、前田利家などと共に府中三人衆として柴田勝家の与力として北陸で活躍していました。織田信長が死ぬちょっと前に越中半国を与えられ、この富山城の大規模改修を行っています。
その後本能寺の変、賤ケ岳、北ノ庄を経て、成政が味方した柴田勝家が倒されると、一度は秀吉に臣従します。
この歌は、ちょうどこの頃に詠まれた歌と言われています。雪深い山の中で何もできずに秀吉によって時勢を変えられていく悔しさを託した歌でしょう。
次いで家康が起こした小牧、長久手の戦いでは、彼は家康方について秀吉に背きます。これだけ秀吉に背くことからも、信長、勝家麾下として秀吉に靡くことが彼には耐え難い苦痛だったのでしょう。
しかし、家康は秀吉と和睦してしまいます。この和睦を止め、家康に再戦を説得するために、彼は自ら冬の飛騨、立山を超えて浜松へ行くという凄まじい行動をとります。世に言う『さらさら越え』です。
この命がけの説得も甲斐なく、最終的に彼はこの富山城で秀吉の軍勢10万に囲まれてしまい、降伏を余儀なくされます。
その後肥後一国を与えられるものの、統治を焦るあまり大規模な一揆を招き、鎮圧できなかった責任を受けて、最終的に切腹させられました。
……。
ここでもまた一つ、抗いようのない外圧に晒された人物を見ることになったわけですが、柴田勝家よりも柔軟であろうとしつつも、ついにそうし得なかった、不運と挫折の半生という気もします。
思うに、おそらく家康や信雄も同様のジレンマを抱えたはずですが、彼らは生き延びこの人は生きえなかった。この辺りに生死を分ける何物かがあったように思います。我慢なんですかね。富山城 名所・史跡
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さて、そろそろ天守に登城しましょう。
この模擬天守は郷土資料館になっていて、富山の歴史を一通り見ることができます。時間もなかったのでさらっと見ていきましたが。富山城 名所・史跡
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ちょっと狭い階段を上って天守の展望台に上がると、こんな眺めです。
富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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下城の折に石垣も見ていきました。
これを見ると、野面積みだけじゃなくて、打込み接ぎも使われていて、複数種類見られそうですね。富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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この辺はかなり武骨な野面積み。
富山城 名所・史跡
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これが鏡石ってやつですね。ひときわ大きい。
富山城 名所・史跡
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富山城 名所・史跡
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ここは打ち込み接ぎですかね。隙間がすごく少ない積み方です。
富山城 名所・史跡
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城外に出ると、富山城址の新旧比較図が。
今は本丸だけが残っているようで、実際の縄張りは結構広大ですね。富山城 名所・史跡
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よし、ではそろそろお暇しましょう。
というわけで、富山城でした。富山城 名所・史跡
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さ、後は帰るだけです。
この時点で16:20。あと1時間ちょっとで帰りの新幹線が来てしまいます。
実は今回の旅、こんな終盤になるまで土産を買う暇がなくてですね。とりあえず残りのわずかな時間で、駅前の土産屋さんで見繕います。
ついでに帰りの荷物を減らしたかったので、宅急便で送る手配をしたかったのですが、駅入り口のお土産屋さんだと、宅配の手配はできないとのこと。
そこで、ほんの少しだけ歩いて、駅構内に隣接している『きときと市場 とやマルシェ』という所に行ってみたら、ここにヤマト運輸の窓口があって、ここで買った土産を宅配手配することができました。
富山から土産を送ろうと考えている人にはお勧めです。富山駅 駅
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さて、帰りは新幹線なのですが、今回はちょっとスペッシャルな席を手配してあります。
いざ乗り場に行くと、私しか並んでいない。
ワクワクしながら待っていたのですが、ふとスマホで調べて、到着5分前にようやく気づきました。
『やべっ、ここじゃねーよ!』富山駅 駅
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完全に真逆でした。慌ててホームを走ります。
こんな間抜けな優等列車の乗客もいません。富山駅 駅
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こっちでした、こっち。
…そして、こっちにも誰も並んでいません。富山駅 駅
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息を切らせていたら、やってきました。
北陸新幹線『はくたか』。
あえて、高速な『かがやき』ではなく『はくたか』を選んでいます。富山駅 駅
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わざわざ『はくたか』を選んだ理由は、これに長く乗っていたかったからです。
富山駅 駅
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内装が明らかにいつもの新幹線と違います。
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ようこそ、
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グランクラスへ。
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というわけでグランクラス初乗車です。
座席数の少ない、特徴的なシートが私を出迎えます。 -
私が座ったのはこんなシート。
シートピッチはさすがの一言で、当然グリーン車を上回っています。
両手でスマホをいじっている私の両肩まですっぽり収まるぐらいの懐の広さ。
そうそう、豪雨でびしょぬれになっていた私の服は、この時ほとんど乾いていました。特にズボンの水切れが格段に良かったもので、シートには特段迷惑をかけずに座ることができました。 -
向かいの二人席はこんな感じでした。
リクライニングの角度は大体こんな感じです。
フルフラットまではいきませんが、ヘッドレストの位置を調整すると、それなりに深く体を包み込んでくれます。
フットレストがない代わりに、オットマンのように足側も上がるので、リクライニングとしてはかなり力の入ったシートです。 -
これがグランクラスのカップホルダーか…、と思っている矢先にアテンダントさんが私のところにやってきて、
『本日はグランクラスにご乗車いただき、誠にありがとうございます』
と、恭しくお辞儀をしたかと思うと、
『和軽食と洋軽食、どちらになさいますか?』
『ドリンクはいかがなさいますか?』
『ケーキとおつまみをお出しいたしますか?』
と、コンシェルジュのようにオーダーを聞きに来ます。
はぁ。ハイソな世界とはこういうものかーと、場違いな貧しい庶民は、よくわからないままオーダーしていました。 -
シートの説明書です。
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このシートの説明書きを読む前に、アテンダントさんが来てしまったので、テーブルの出し方に迷って、危うくシートを壊しそうになったのは内緒。
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しばらくすると軽食を持ったアテンダントさんがやってきて、
『テーブルをお出しください』
と言われたので、よくわからないまま操作して、何とかテーブルを出します。 -
するとこんなものがサーブされました。
和軽食にアイスコーヒー(!?)、ケーキにおつまみです。 -
開けるとこんな感じ。
ケーキはパウンドケーキです。美味しゅうございました。 -
こちらが、北陸新幹線上りでサーブされる、グランクラスの和軽食でございます。
すぐにサーブされたので取っておくのもアレだし、ここで食べてしまうことにしました。 -
食べ終わって一息ついたら席を立って後続車両の方へ向かってみます。
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グランクラスの車両は先頭、もしくは最後尾で、グリーン車の隣にあります。
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ここがグランクラス車両の入り口。
新聞が備え付けてあるのと、左側に乗務員室があります。
アテンダントさんはここに詰めていて、ここからドリンク等をサーブしてくれます。 -
席に戻ると、
『後でご確認ください』
と言われていたメニューを、席のポケットから取り出します。 -
一つだけ思ったのは、『沿線の特徴を生かしたサービス』ってのが、軽食以外に特になかったのには、ちょっと首をかしげましたね。
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で、こちらがメニューでございます。
その気になればアルコールもいけます。
スパークリングに若干興味をそそられましたが、いくらグランクラスでも本物のシャンパーニュは出ないでしょうから、まぁいいやと思って頼みませんでした。
(実際には梅酒スパークリングとか出るらしいですね。道理でワインと書いてないわけだ) -
まぁしかし、グランクラスの最大の力は、何と言っても客がボタン一つで乗務員を呼びつけることができる、という事でしょう。
グランクラスのコストの多くは、この乗務員を意のままに動かすための力に割かれているのではないか? と思ったぐらいです。
ただまぁ、個人的には列車に乗るときは、自分の面倒は自分で見た方が気楽(ドリンクも好きなのを事前に買って持ち込む)な人なので、正直なところ私からすると、アテンダントからのサービスのためにグランクラス料金を払うのは勿体ないなーとは思いました。
私の観点からすると、ベストチョイスはグランクラスのシートのみか、グリーン車のいずれかかなぁ、と。
グランクラスを最大に楽しむことができるのは『人にサーブしてもらう』ことを贅沢の一つとして強く求める層だと思うのです。
『ひょっとして、これって今のシニア(6,70代)が欲しがっているものでは?』
という思考が私の脳裏によぎった時、このグランクラスのターゲット客層が大体わかった気がしました。なるほど。 -
とはいえ、私も今はグランクラスの客なわけなので、元は取らないと(貧乏性)。
指は鳴らしませんでしたが、ポチっとな、とボタンを押して、
『君、ダイエットコーラを一つ頼めるかね』
じゃなかった、
『ダイエットコーラを一ついただけますか』
とお願いして、飲み物を持ってきてもらいつつ、そのまま3時間ほど、東京までゆっくりとシートに身を沈め、至高の時を過ごすことにしました。 -
というわけで、今回の旅はこれでおしまい。
北陸地方で踏破しておくべき現存天守の一つ、丸岡城をはじめ、風聞しか知らなかった種々の史跡を歩むことができ、肌で感じることができたのは良かったですね。
移動がやたらラグジュアリーな旅になりましたが、一度経験しておきたいと思っていたことではあるので、快適さを堪能しつつ良い体験をさせてもらいました。
ただ、例年にない灼熱の盛夏、行軍は予想通りに大変だったので、来年の夏旅はもう少し小規模、近場にしつつ、次の城廻はもう少し涼しい時期にしようと思っています。
現存天守全踏破まであと5つ。
さて、次はどちらに行きましょうか。
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旅行記グループ
灼熱の盛夏に歩む、北陸の戦国旅路
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