2018/08/14 - 2018/08/14
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dimeizaさん
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2018年8月に行った、北陸方面の旅行記です。
越前(福井)→加賀、能登(石川)→越中(富山)と回ってきました。
丸岡城→養浩館庭園→一乗谷朝倉氏遺跡→越前大野城→七尾城→(兼六園)→瑞龍寺→高岡城址→富山城。
さすがの酷暑だったので、今回は少しゆっくり目です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて3日目。
越前の旅はここまでで、3日目からは加賀、能登に入ることになります。
早めに宿を出た私がホームで待っていたのは、特急ダイナスター、金沢行き。
最後まで恐竜に縁のある福井でした。福井駅 (福井県) 駅
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で、意気揚々とグリーン車に乗り込みましてですね。
…あれ…誰もいない…? -
先頭まで言っても誰もいません。
そして、ここから終点金沢まで誰も乗ってきませんでした。
何とグリーン車貸し切りという、訳の分からない贅沢を堪能することに。 -
周りにこういう話をすると、『グリーン勿体ないよ、指定席で行けば?』とよく言われるんですが、そうじゃないんですよ。
旅行とか出張みたいな長距離移動するときぐらい、移動の時間を快適にしたいと、ただそれだけなのですよ。やっぱりシートピッチの小さい椅子に座って、隣の客に気を使いながらとか、気が休まりませんからね。
人はグリーン車中毒と呼ぶ症状なような気がしますが…。
ダイナスターのグリーンは1:2だったので、隣に煩わされることなく一人で座れるのが実に心地よいです。
ところが、金沢から先については、私は特急の準備をしていなかったのに気づきまして。まぁ普通でもいいか、とその時思ったのですが、
"どうせだから特急で行かない?(折角だからグリーンで行かない?)”
という依存患者の強迫観念的な声が聞こえてきてですね。
車中で調べてみたら、どうも金沢駅の構内にみどりの窓口があるようなので、乗り換え時間内に素早く行ってみて、ダメもとで聞いてみるかと。 -
で、ダメもとで聞いてみたら、普通にグリーン券を発行してもらうことができました。
構内に窓口があって実に助かりました。
というわけで、金沢からも特急に乗ります。
『能登かがり火1号』です。金沢駅 駅
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お? まさかの…?
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グリーン貸し切り…ではありませんでした。後から他に乗る人がいましたので。
ただ、確か一組だけで、ほとんど貸し切りに近かったですね。
平日に戻っているので、わざわざグリーンで行く人も少ないのでしょう。 -
金沢から特急に揺られて数十分。
着きました。七尾。
何か雅な駅名看板ですねぇ。七尾駅 駅
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さて、ここからは日本屈指の山城攻略になります。
この時点で荷物を抱えているので、コインロッカーを探して荷物を預けたのち、例年にない猛暑に対抗すべく、水と氷を調達しなければなりません。七尾駅 駅
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ところが。
水は簡単に見つかったのですが、氷が簡単に見つからなかったのには参りました。
七尾駅にはセブンイレブンが併設されているのですが、普通のセブンにあるようなロックアイスやアイスペールが売ってないのです。
ならばと駅前のスーパーに行くと、何と氷だけ棚にない。
ひょっとして、あまりの暑さに氷が売り切れるってアレか? とその時は思ったのです。
改めて駅前のセブンに戻ると、私の目に入ったのはアイスセブンカフェ用の氷。うーん、単価高いけどやむを得んか、と、私は氷が入ったセブンカフェ用カップを4つほど持ってレジへ。
会計を済ませる間に、店の人がカップホルダーを持ってきたのですが、『いらないです』と断ると、怪訝な顔をしてましたね。そりゃぁそうです。
が、私はセブンカフェのマシンを素通りして表に出、やおらカップの氷を片っ端から取り出して、水をつぎ込んだキャメルバッグと氷のうに詰め込みます。
準備が完了した私は、目の前に止まっているタクシーに乗り込んで、行き先を告げました。七尾駅 駅
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タクシーに揺られること20分ぐらい。
運転手さんは若かったですが訥々とした話しぶりでした。
夏休みを使って首都圏から来たこと、丸岡城、朝倉氏遺跡、越前大野と城廻をしていることなどを話してました。
行きはタクシーで帰り歩こうかと思っていたので、『徒歩で行くと資料館までどれぐらいですかね?』と聞いたのですが、『人によって異なるので一概には言えない』とのこと。
歩き回って疲れ切ったらタクシー呼びたいので、どこに電話すればいいか教えて、と言ったら、領収書に書かれている電話番号を示されました。
礼を言って、本丸前駐車場にて降車。
というわけで着きました。七尾城跡 名所・史跡
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能登の山城、七尾城です。
能登畠山氏の根拠にして、日本五大山城の一つ。国の史跡に指定されています。
先ほどの地図にもありますが、石動山の複数の尾根にまたがってたくさんの郭が連なっています。戦国期に入って拡張され、非常に堅固な城となったものの、上杉謙信の200日もの攻撃を受けて落城、能登畠山家はここに滅亡しました。七尾城跡 名所・史跡
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どうもこの七尾城までの道は戦国の道として自然歩道になっていて、
七尾城跡 名所・史跡
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もう少し進むと展望台があるらしいのですが、どちらかと言うと城郭を見るのが私の目的なので、展望台には行かずに城跡を見て回ります。
七尾城跡 名所・史跡
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というわけで、本丸駐車場前で降りると、すぐに本丸跡へ行くことができます。
七尾城跡 名所・史跡
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駐車場のそばに歌碑があったのですが、なんて書いてあるのかよくわかりませんで。
七尾城跡 名所・史跡
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と思ったらここに書いてありました。
畠山義忠の歌だそうです。七尾城跡 名所・史跡
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ここからでもなかなかの遠景が。
七尾城跡 名所・史跡
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本丸方面に向かおうとすると、こんなものを見つけました。
本丸と長屋敷を遮断するための堀切りだそうです。
ここで『尾根を切る』と書いてありますが、尾根づたいの移動を防ぐ、というのはこれから何度か出てくる、この七尾城の重要な設計思想です。七尾城跡 名所・史跡
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さて、眼前の道に目を転ずると、何かが敷かれた道がまっすぐに伸びています。
七尾城跡 名所・史跡
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どうもウッドチップのようです。ただの山道よりずっと歩きやすいですね。
七尾城跡 名所・史跡
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そのまま進んでいきます。
いや何というか、森林浴ですね。七尾城跡 名所・史跡
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しばらく進むと看板が。
本丸跡と古道(旧大手道)の分かれ道。七尾城跡 名所・史跡
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本丸跡はいいとして、古道(旧大手道)と思って見てみると、どうやら下りの道のようです。これだと下城してしまうようなので、まずは本丸からかな、と。
七尾城跡 名所・史跡
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近くに七尾城址の説明書きがありました。
上杉謙信のあまりにも有名な七言絶句、
霜満軍営秋気清(霜は軍営に満ちて秋気清し)
数行過雁月三更(数行の過雁月三更)
越山併得能州景(越山併せ得たり能州の景)
遮莫家郷憶遠征(さもあらばあれ家郷遠征を憶うは)
が、そもそも謙信の作なのか、この七尾で詠われたかどうかについては諸説あるようですが、実際はどうだったんでしょうね。七尾城跡 名所・史跡
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さて、標識に示された本丸方面を見ると…。
七尾城跡 名所・史跡
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いよいよ来ましたよ石垣が。
七尾城跡 名所・史跡
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いいですねぇ。
七尾城跡 名所・史跡
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ただ、この辺でちょっと思ったのは、
・意外に石垣の各段が低いなぁ
・登りの斜度がそれほどきつくないなぁ
ってことでした。
昨年行った備中松山城で、城壁側に見た崖の岩壁を思い返すと、そこまでの峻厳さは全くなく、むしろ素手で登れそうにすら思えます。七尾城跡 名所・史跡
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石の間から苔がたくさん生育しています。
これこそまさに、『兵どもの夢のあと』でしょう。七尾城跡 名所・史跡
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陽光がまだらになりながら、階段は上へと続いていました。
七尾城跡 名所・史跡
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階段を上りきると、こんな標識が。
九尺石?
という事でそっちへ向かいます。七尾城跡 名所・史跡
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そちらに行くと次の看板が。
七尾城跡 名所・史跡
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桜馬場跡。
備中松山城にも小さな厩舎はあったようですが、この山城にも馬場はあったんですね。七尾城跡 名所・史跡
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目を転じて見渡してみると、今でこそ木がたくさん生えていますが、確かにちょっとした広場として使えそうな空間が広がっています。
七尾城跡 名所・史跡
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その馬場を進んでいくと、今度はこんな標識が。
二の丸跡と九尺石の分岐。後ろにも何やら立札が…。七尾城跡 名所・史跡
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温井屋敷跡。
いわゆる畠山七人衆に数えられた、温井家の屋敷跡です。
能登畠山氏は畠山義続以降、七人衆と言われる重臣たちの合議制によって政務が執られ、当主は傀儡の状態でした。
その七人衆の筆頭が温井総貞。この屋敷の主だったであろう人物です。
後で暗殺されてしまうのですが。七尾城跡 名所・史跡
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さて、お目当ての九尺石が近づいてきました。
七尾城跡 名所・史跡
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ここを降りていけばよさそう。
七尾城跡 名所・史跡
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これかな?
七尾城跡 名所・史跡
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なるほど、ずいぶん大きな石です。
城のかなめ石で、名前はこの石の長さから来ているとか。七尾城跡 名所・史跡
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さて、では二の丸の方に目を転じます。
七尾城跡 名所・史跡
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この傾斜を上っていきます。
七尾城跡 名所・史跡
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この辺りから、また虫の羽ばたきがブンブンと。
トンボもちらほら見かけるのですが、決して多くはありません。
気を付けながら進みます。七尾城跡 名所・史跡
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この階段を上ると、
七尾城跡 名所・史跡
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こんな広場に出ました。
七尾城跡 名所・史跡
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ここが二の丸跡です。
七尾城跡 名所・史跡
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再び看板が。
ここ、尾根を造成してるんですね。確かに、先ほど上ってきた石垣がある以上、ここは盛り地ではあるのか…。七尾城跡 名所・史跡
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二の丸の端にはこんなのがあります。
大堀切。ここでも尾根を人工的に断ち切っているのです。
尾根づたいに攻める、という山城の攻城法に対して、この七尾城は徹底的に対策をしています。一つの郭を落としても、寄せ手は決して楽にならず、次の郭を落とすために同じような苦労を強いるような設計になっているわけです。七尾城跡 名所・史跡
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とはいえ、この看板が示す通り、攻城しているわけでもない我々は、歩いて三の丸に行くことはできるのです。
七尾城跡 名所・史跡
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と、軽く思って三の丸に足を運び始めたあたりで、私は後悔し始めました。
結構足場が悪くてそれなりに高低差があるのですよ、この道。しかも虫はあちこちでブンブン言ってるし。
そして、こうして歩いていると、左側が尾根、右側が谷という、割とシビアで狭い道を通らないと、二の丸と三の丸を行き来できないことも、また分かります。
これも攻城側にとっては著しく不利です。
この狭い道なら寄せ手は多勢を繰り出すことができず、守備側は少人数で待ち伏せても十分迎撃できるわけです。加えて私なら崖の上から熱湯か岩を落とすなり、弓矢で射かけるぐらいの援護射撃はするでしょう。七尾城跡 名所・史跡
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この細い道を延々進んだ先に広場が。
七尾城跡 名所・史跡
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三の丸跡。
曲輪の中で一番デカいのはここだそうです。
で、先ほどの看板に従うと、この先には安寧寺跡という場所があるようなのですが、ここまでの獣道をさらに進むのも怖いし、何より下山ルートっぽいので、後で来ることにして、ひとまず本丸まで戻りました。七尾城跡 名所・史跡
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本丸まで上がろうとした直前に見かけたのがこれ。
遊佐屋敷跡。本丸に最も近いこの場所に屋敷を許されたというのは、相当主君に近い位置にいることを示しています。
これも畠山七人衆の有力者である遊佐氏の屋敷ですね。守護代というからには大名に次ぐ地位ですが、一時期は温井氏の方が実権を持っていたそうで。そうなると対立を余儀なくされるわけですが、温井総貞によって遊佐続光は追放されてしまったそうです。
温井総貞が暗殺された後、再び畠山氏に帰参して家臣に。その後専横の限りを尽くしたそうです。
織田信長と上杉謙信のいずれにつくかで家中が割れ、織田派の長続連が実権を握ると一時期権勢を失うものの、上杉派の遊佐続光はまさにこの城の攻城戦において上杉方に内応し、結果この七尾城は落城したそうです。
…って、この城を落とした戦犯じゃねーか!
ただ、戦国において主家を裏切った者の末路が短命なのは、符節を合わせるがごとくで。上杉から能登を任された彼はその翌年、信長の攻撃を受けて降伏後、親子ともども処刑されたそうです。七尾城跡 名所・史跡
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遊佐屋敷跡から本丸を見ると、誘うように階段が伸びていました。
七尾城跡 名所・史跡
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ここまでは木立が日を遮ってくれましたが、ここからは灼熱の陽光にさらされながら、階を上ります。
七尾城跡 名所・史跡
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二段構えになってますね。実際にはこの下にもう一段あります。
…石垣自体はしっかりしていますが、やはり、この壁から感じる峻厳さはそれほどでもありません。七尾城跡 名所・史跡
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石垣の間に伸びている階段も、それほど傾斜はきつくありません。ゆっくりと登っていきます。
七尾城跡 名所・史跡
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見下ろすと、まぁ結構上ってきたなぁ、という感はあるのですが。
七尾城跡 名所・史跡
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というわけで、到着しました。
本丸跡です。七尾城跡 名所・史跡
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おお、これは。
七尾城跡 名所・史跡
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本丸跡には見事な石碑が建っています。
七尾城址。七尾城跡 名所・史跡
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なるほど、ここからだと、
七尾城跡 名所・史跡
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七尾の町、そして海をも超えて、
七尾城跡 名所・史跡
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その先の能登半島までも望むことができます。
確かにこの景色を、越後越中を領する謙信が見たとしたら『越山併得能州景』と詠ってしまいそうですね。七尾城跡 名所・史跡
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背後を振り返ると神社が。
七尾城跡 名所・史跡
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一番の高台は城山神社になっていました。
七尾城跡 名所・史跡
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その高台から撮った光景。
上杉謙信がこの七尾の光景を表した言葉はもう一つあって。
彼は七尾に初めて登城した時、
「聞きしに及び候より各地、賀・越・能の金目の地形と云い、要害山海相応し、海頬島々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候」
と手紙で家臣に話しています。
『絵像に写しがたき景勝』(絵では表現できないほどの景色)
天下の山城から望むこの光景を描写するに最もふさわしいのは、七言絶句よりもこの言葉ではないかと、私は思いました。七尾城跡 名所・史跡
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さて、ここから下城していきます。
タクシーを呼ぼうかとも思いましたが、まだ余裕はだいぶあったので、先ほどの大手道から歩いて下城してみることにしました。七尾城跡 名所・史跡
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しばらく行くと『寺屋敷』への入り口らしきものが。
七尾城跡 名所・史跡
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行こうと思って歩を進めたんですが、今まで以上の獣道でして。
七尾城跡 名所・史跡
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行きついた先はここでした。
完全に藪になっていてこれ以上進めなかったので、引き返しました。七尾城跡 名所・史跡
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あ、そうそう。
遊歩道のウッドチップは石川県立七尾高校2年生のボランティアで敷設されたものだったそうです。
歩きやすくて助かりました。
ありがとうございました。七尾城跡 名所・史跡
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さらに降りていくと、『とよの水』という水源が。
七尾城跡 名所・史跡
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これで山城で必ず探すべき最後の設備を見つけたことになります。
山城で籠城するには水の手は必須ですからね。七尾城跡 名所・史跡
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さらに降りていくと、こんな標識が。
先ほどあきらめた安寧寺跡への道がありました。七尾城跡 名所・史跡
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途中、軽い下りの道の中腹にベンチが。
七尾城跡 名所・史跡
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腰を下ろして景色を見ると、ここからもまた良い眺めです。
七尾城跡 名所・史跡
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しばし休んで景色を楽しみます。
七尾城跡 名所・史跡
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さて、ここが安寧寺跡。
七尾城跡 名所・史跡
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ここには畠山氏の墓碑や、七尾城攻めの戦没者たちの慰霊碑があります。
七尾城跡 名所・史跡
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おそらくこれが畠山氏の墓。
七尾城跡 名所・史跡
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立札は倒れていて、文字も消えているので、ここが何物かはよくわかりませんでしたが。
七尾城跡 名所・史跡
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これが慰霊碑です。
こう言っては何ですが、七尾城で亡くなった人々に対して、私には特に思い入れはなかったので、一瞥してそのまま去ってしまったのですが、しばらく後で、私はこの素っ気なさを後悔することになります。七尾城跡 名所・史跡
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さて、後は下城するだけです。
…下城するだけなのですが、ここからが長かった。七尾城跡 名所・史跡
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しばらく歩くと番所跡がありました。
七尾城跡 名所・史跡
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なるほど、確かにこの辺にあってもおかしくないですね。
七尾城跡 名所・史跡
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何やら石が崩れている跡がありましたが、ひょっとして石垣だったものが崩落したのかしら。
七尾城跡 名所・史跡
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そしてここから先、やたら曲がりくねった道が続きます。
七尾城跡 名所・史跡
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降りるのにも気を使います。
七尾城跡 名所・史跡
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これまた攻めづらい地形です。
七尾城跡 名所・史跡
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そしてこんな看板を見つけました。
七曲り。
山深くなっているのでのぞきませんでしたが、この両側は谷になっているという事で、ここが唯一の攻め口だとすると、例によって小勢でくねくねと曲がった道を攻めあがらなければならず、寄せ手の規模に関わらず逐次投入を余儀なくされるという、ストレスのたまる地形になっています。七尾城跡 名所・史跡
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道はまだまだ続きます。
七尾城跡 名所・史跡
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時鐘跡。
七尾城跡 名所・史跡
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ここに鐘があったそうです。
七尾城跡 名所・史跡
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まだまだまだまだ続きます。
七尾城跡 名所・史跡
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まだまだまだまだ続きます。
相変わらず虫の羽ばたきがすごくて。
何やらハチの仲間みたいな虫が、日向に出て日向ぼっこしているので、踏まないように気を付けながら歩いていました。七尾城跡 名所・史跡
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さらに進むと、片側の林が竹林に変わりました。
七尾城跡 名所・史跡
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まだまだ終わりません。
七尾城跡 名所・史跡
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長坂。
ここに門があったそうです。
という事はそろそろかしら。七尾城跡 名所・史跡
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まだまだ長いです。
七尾城跡 名所・史跡
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ずいぶん降りてきているはずなのですが…。
七尾城跡 名所・史跡
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もうそろそろかなと思いきや。
七尾城跡 名所・史跡
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ついにこの碑にたどり着きました。
歴史の道、赤坂口の碑です。
旧道の入り口なので、もうすぐ人里に出れるはず。七尾城跡 名所・史跡
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ようやくふもとまでたどり着きました。
七尾城跡 名所・史跡
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ここからは落ち葉こそあるものの、舗装道です。
虫の羽音もほとんどありません。
後はこの道をたどっていくだけ。七尾城跡 名所・史跡
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ようやく脱出! 下城しました。
寄り道しながらではあるんですが、写真の時刻を見るに50分位かかってますね。
ペース的にはややゆっくりなので、まぁこれぐらいを平均と見た方がいいと思います。七尾城跡 名所・史跡
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ふもとまで帰ってきたので、七尾城址資料館も軽く見てきました。
資料館に入ると大きなモニタがあって、七尾城の再現CGビデオを上映してくれます。ちなみにyoutubeでも見ることができます。再現された城郭を見ていると、道を歩いて感じる以上に攻めにくいことが分かります。
https://www.youtube.com/watch?v=22Ut_gz151w
ところで、私はこの資料館で一つの昔話を聞くことになります。
七尾城からこの資料館の脇を流れている一本の川があります。蹴落川というそうですが、なぜこんな名がついているのか。
謙信が七尾城を攻めた時、彼はこの城の堅固さゆえに力攻めではなく、兵糧攻めを行いました。それが200日ほど続いたわけですが、その間に城内は飢餓と疫病に苦しめられ、城主すら疫病で命を落とすほどの苦しみだったそうです。
やがて先ほど述べたように、内通によってこの城は落ちるわけですが、城に攻め上がった寄せ手の雑兵たちは、城内で飢餓や疫病に苦しむ人々を、片っ端から谷底の川へ蹴落としていったそうです。
城から谷底への落差は言うまでもなく、蹴落とされた川は血で真っ赤に染まったそうです。これが蹴落川の名の由来。
これが、謙信が景色を激賞したと声高に喧伝される七尾城が併せ持つ、強者が弱者を虐待した裏の歴史です。
この話を聞いて、私は先ほど慰霊碑に手を合わせず、祈りも捧げなかったことを強く後悔しました。
そしてこうした裏の歴史、とかく戦国のロマンを見せつける城が決して声高に語らない真実とその意味を、我々戦国野郎は決して忘れてはならないのだと思いました。
古今、戦争は平時の人間が自分に宿っているとは到底想像できない、このような獣性を剥き出しにさせ、弱者を蹂躙する、野蛮にして惨い行為なのです。城も武具も人殺しの道具に過ぎません。
このことを決して忘れないようにしなければならない、と。七尾城史資料館 美術館・博物館
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そろそろ電車の時間も迫っているので、駅に戻ることにしましょう。
資料館から大通りに出るとバス停があって、ここに周遊バスが止まるので、こいつに乗って七尾駅に出ます。七尾城史資料館 美術館・博物館
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帰りも同じく能登かがり火で金沢へ。
七尾駅 駅
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金の稲穂を見ながら、七尾の地を後にしました。
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金沢に戻ったらホテルにチェックインして、ついでにここに行くことにしました。
兼六園。昨日の一乗谷の庭園と違って、誰が見てもそれとわかる方の特別名勝です。
そもそも兼六園には10年前に一度行ったことがあって、今回は立ち寄らない予定だったんですが、旅程上ちょっとだけ余裕があったので、軽く再訪してみることにしました。
兼六園は行っている人も多いことですし、ここからの写真はおまけ程度。兼六園 公園・植物園
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そしてなんとこの日は無料開放という大盤振る舞い。
兼六園 公園・植物園
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時間はもう夕方ですが、一枚一枚がいちいち絵になります。
兼六園 公園・植物園
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見晴らしも良い。
兼六園 公園・植物園
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江戸時代に逆サイフォンで水道を動かすとは。
兼六園 公園・植物園
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この橋で撮影する人が多くて、撮るのに苦労しました。
外国の人も多くて、いちいち橋の上で記念撮影していくもんですから大変。兼六園 公園・植物園
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分かりやすい回遊式泉水庭園の美です。
兼六園 公園・植物園
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兼六園と言うと、雪つりがされることでも有名な、松ですかね。
兼六園 公園・植物園
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雁行橋を臨む遣水。
いちいち涼しげです。兼六園 公園・植物園
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池から離れてもこの景色。
単なる清々しさだけではなく、妖艶さというか、幽玄さを感じます。兼六園 公園・植物園
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兼六園 公園・植物園
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成巽閣は残念ながら時間切れで回れませんでした。
兼六園 公園・植物園
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しかし何というか、これだけ広大な庭園なのに、どこにいても必ず何らかの水に関する仕掛けがあるのがすごい。
兼六園 公園・植物園
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梅林にもきちんと遣水が通っています。
兼六園 公園・植物園
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しかも一つ一つがきちんと絵になっていて、この大きさにもかかわらず、回遊式林泉庭園の変動する視点を意識して楽しませてくれます。
兼六園 公園・植物園
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瓢池。
ここには翠滝という滝が流れていて、最初に行った霞ヶ池とはまた別の景観を楽しませてくれます。兼六園 公園・植物園
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この瓢池を回ったあたりから、改めてこの庭園が化け物庭園だと思い始めてきました。
中央にある島は神仙島。
もう一つの霞ヶ池にも神仙島(蓬莱島)が配されていることを考えると、回遊の対象となる池泉が2つも内包されているという非常に豪奢な造りなわけで、同じ特別名勝と言っても、都内にある庭園、例えば六義園などとはスケールが違います。
しかもこの庭園は生きています。昨日訪れた一乗谷の庭園と違って、骨格たる石を中心として、樹と水が命を吹き込んでいます。
私も相応に庭園を見てきましたが、この規模に比する庭園となれば、確かに日本三名園の一つとされる岡山後楽園辺りを持ってこないと無理でしょう。兼六園 公園・植物園
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先ほどの水道といい、そしてこの噴水といい、江戸期にあってこれだけの遣水を実現しつつ、あらゆる場所の景観を広大な庭園全域にわたって維持する、というのは相当なことです。
これぞまさに、加賀百二十万石の底力を満天下に見せつけたものでなくて、何だというのでしょうか。
ついでに再訪した程度だし、しかも時間内からパパっと見て回るか、と当初は思っていたのですが、いくつもの庭園を見て目が肥えたはずの私が、いつの間にか逆に兼六園の凄まじさを、以前より強く印象付けられていました。兼六園 公園・植物園
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まぁ、一度すごいと納得してしまえば、後は細かいことはいいのです。
もう閉園時間も近かったので、暮れなずむ中、最後の眺めを堪能して、私は踵を返しました。金沢城公園にも再訪したかったのですが、時間がなくて行けなかったのは残念。
後は最終日を残すのみです。
以下、次号。兼六園 公園・植物園
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