2018/08/13 - 2018/08/13
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dimeizaさん
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2018年8月に行った、北陸方面の旅行記です。
越前(福井)→加賀、能登(石川)→越中(富山)と回ってきました。
丸岡城→養浩館庭園→一乗谷朝倉氏遺跡→越前大野城→七尾城→(兼六園)→瑞龍寺→高岡城址→富山城。
さすがの酷暑だったので、今回は少しゆっくり目です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目。
次の目的地にはバスで行く予定だったんですが、電車の時刻がたまたま合ったので、電車で行くことにしました。
越美北線(えつみほくせん)、通称九頭竜線(くずりゅうせん)に乗っていきます。
2両編成。出入り口に料金箱がある辺り、バスに似ています。福井駅 (福井県) 駅
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電車に揺られること数十分で、発達した地方都市の光景が、これです。
一乗谷駅 駅
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到着しました。一乗谷。
一乗谷駅 駅
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一乗谷は無人駅。
駅を降りると、田んぼを突っ切るようにまっすぐに一本道が伸びていて、左右はこんな感じ。一乗谷駅 駅
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遺跡に向かう前に、駅からほど近い資料館に立ち寄ってから行くことにしました。
朝倉氏と言うと、我々戦国野郎は織田信長と対峙した朝倉義景を連想するわけですが、彼は朝倉家の五代目で、実際には初代の朝倉孝景が、100年ぐらい前にこの一乗谷に根拠を置いたそうです。
が、この地は難治の地で、朝倉氏による越前の統治は戦いの連続だったそうです。
それでもこの一乗谷には寺社や医療設備を含む街並みが並び、庭園、館を含めて栄えていたのだとか。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館
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資料館を出て、遺跡までしばらく歩きます。
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というわけで、特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡です。
実はここは特別名勝の指定も受けていて、特別史跡かつ特別名勝という、日本の史跡の中ではレアな存在です。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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遺跡へは遊歩道が整備されていて、入っていくと早速水の手が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここが下城戸。
水の手は堀の名残。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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確かに。
堀の奥に壁という作り、パッと見ると城郭のそれですね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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歩みを進めていくと、石垣と曲がり角。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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このコの字型は枡形を思わせます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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入り口を扼していて、容易には入れない作り。
大分崩れてしまっていますが、備えがなお今に残っています。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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下城戸を過ぎても遊歩道は続くので、たどっていきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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当分こんな感じで平坦な道が続きます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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しばらく進むと、目を引く大樹が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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瓢町地区。
職人街だったっぽいですね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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もう少し進むと、一旦遊歩道が切れて、舗装道を進みます。
左右にちらほら民家があって、遺跡の傍にも住めるんだなぁと思いながら進んでいました。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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さらに進むと、再び遊歩道が始まります。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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遊歩道をしばらくたどっていくと、こんな光景が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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いかにも遺跡な光景が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この辺は寺院跡だったようです。
北陸は戦国期仏教王国で、諸大名にとっても難治の地だったと聞いていますが、この一乗谷にも40近い寺院があったとか。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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こんな感じで、門跡などが示されていますが、寺院だった面影はあまりありません。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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もう少し進むと、墓地跡。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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火葬が一般的と考えられていた一乗谷の埋葬の様式にあって、乳幼児だけ土葬していたそうです。
杮経、笹塔婆に法華経や題目を書写していたという様式も確かにちょっと珍しいですね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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コンクリートで固めているので何かと思ったら、礎石を固定しているようでした。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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さらに進むと、芝生が中心のもう少し広い場所に出ます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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雲正寺地区。ここも寺院ですね。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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もう少し進むと、往時の街並みを復元した、街並立体復元地区という場所に出ます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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あまり復元されたものには興味がないのですが、進路でもあるので入場料を払って進みます。
大通りはこんな感じ。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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左右に屋敷への入り口があって、
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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例えばこんな感じになっています。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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これは厠を再現したものだそうです。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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一局指しておいででした。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この辺りに朝倉氏の重臣の武家屋敷があったそうです。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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これは復元されてませんでしたね。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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長屋的なものも。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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よく考えると、規模の大きい武家屋敷と、規模の小さな普通の町屋が混在している構成なんですね。階級で分けられていないという意味で、なかなか面白いものがあります。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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きっとこんな感じで店が立ち並んでいたんだろう的な。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この辺で復元街並地区が終わります。ここを抜けると休憩所に到着します。
曇天ですがこの日も大変暑く、歩き詰めだったので流石に疲れました。
休憩所のクーラーで涼を取りつつ、水を補給してしばし休息。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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では後半戦。
休憩が終わった私は、休憩所の正面の横断歩道を渡り、一乗谷川を越えて反対側の遺跡を回り始めます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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橋を渡ると早速広場に出ます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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米津というそうです。
ここには朝倉氏お抱えの金工師がいて、刀装具を作っていたとか。
この辺は流石に、一度は足利将軍家を迎えた名門朝倉だけのことはあって、文化を感じますね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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米津に向かって左側を向き、今度は登ってきた谷を下っていきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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しばらく行くと、右手側から水が流れているのが見えてきました。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この辺から水の力を感じ始めます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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で、こんな標識に出会いました。
まっすぐ行くと館跡、おそらく朝倉義景のそれでしょう。
一方で折れて登っていくと『諏訪館跡』に出ます。
なるべく立ち寄りながら戻っていきたいので、ここは館跡に直接行かずに諏訪館跡行きの道を上っていきます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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登っていく道の右手側には、先ほど見かけた水の手が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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このパイプの上の道を進んでいくと、
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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こんな空間に出ます。ここが諏訪館跡。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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看板を見ると、何とここは特別名勝『諏訪館跡庭園』。
回遊式林泉庭園だといいます。
先ほどの光景からはとても庭園に見えませんでしたが…。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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『どこが特別名勝なんだ…?』と不思議に思いながら諏訪館跡を回り、ふと庭園の正面に出た瞬間。
庭園の力が伝わってきました。
安定感のある中央の石組み。
石組みに影を投げかけつつ緑の景観を提供する紅葉。
左右に羽翼を広げんがごとく配された遣水。
なるほど。特別名勝なわけだ、と納得がいきました。
水もなく、比較的荒れているかに見えるが、それでもなおこの設えは、庭園の風格を鑑賞者に伝えてくれます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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右手から回遊していくと、力強い石組みが見えてきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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右側の坂を上がっていくにつれて表情が変わっていきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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後ろに回り込むと、遣水の上流に出てきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここが取水口のようです。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ぐるっと回って降りてくると、こんな感じ。
これもまた一景を成しています。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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しかし、中央の石にすごい存在感。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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朝倉家歴代当主の法名が刻まれているようでした。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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庭園に流れた水が流れていく水路も見つけましたが、
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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先ほどの上り坂の右手に流れていた小川に合流する作りになっているようでした。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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こうしてみると非常に存在感のある庭園なのですが、遣水にしても広場の落ち葉にしても、整備が十分に行き届いていない感がありました。
夏場とはいえ非常にもったいないですね。
一乗谷は水が非常に豊かなので、清水を絶えず流すようにしておけば、特別名勝にふさわしい景観を見せてくれるはず。
整備のコスト的なものもあるのでしょうが、国から名勝指定されているのであれば、街並といった復元物よりも、往時の景観を残す庭園の整備にこそ力を入れてほしいものです。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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それを差し引いてもなお、私はこの庭園に去り難さを感じて、灼熱の陽光が照り付けるにもかかわらず、しばしここに佇んでいました。
去り難き庭園というのは本当に良いものです。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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諏訪館跡から降りて歩んでいくと、今度は中の御殿跡への案内板が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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再び上りです。
ここにも武骨な石垣が。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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南門跡から入っていきます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここからは復元街並辺りまで見通すことができます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここが中の御殿跡。
庭園付きの日常の住まいがあったようです。
先ほどの諏訪館跡は、朝倉義景の愛妾小少将のために建てられたものだという事を考えると、この辺も当主の近親者が優雅に過ごすための建物だったのでしょう。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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中の御殿跡の後ろには展望台があって、こんな感じで中の御殿跡を見通すことができます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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中の御殿跡からは空堀を経て、次の遺跡へと橋がつながっています。
この空堀の存在意義がいまいちよくわかっていなかったのですが、地図を確認すると、この先は朝倉館の縄張りなので、館を囲む堀としての意味合いですね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この橋を渡ると朝倉館の上部に出ます。
ここには湯殿跡があって、庭園が特別名勝に指定されています。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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で、これがその庭園なのですが…
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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これまた難しい庭園です。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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黒、白、灰色の3色に彩られた特徴的な石ですが、
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ぱっと見るだけだと、単なる石組みでしかありません。
実際、これを一瞥し、さして興味を持たずに去っていく観光客も見かけました。
おそらくそれが普通の反応でしょう。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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この庭園は明確な鑑賞位置を持っているので、そこから全景を眺めるとこんな感じ。
枯れ果ててはいますが、両翼に広がった石組みが、往時の姿をしのばせるものがあります。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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角度を変えて見てみると、確かに山水画を思わせるものがあります。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ただ、本来の光景とは別に、やはり荒廃感がありますね。
山中だけに整備の手間がかかるのは分かりますが、水を張らないにしても掃除をしておいた方が分かりやすいでしょうに。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ただ、この辺りから、庭園における石の力に気づき始めます。
樹や水といった装飾がなくても、先ほどの諏訪館跡庭園と同様、この湯殿跡庭園からは、作庭者の力が石を介して伝わってくるのです。
『庭園の骨格は石で決まる』という学びを得た瞬間でした。
樹や水のような肉が時間とともに失われてしまっても、石が庭園の風格というか、表現を留め、残してくれるのだな、と。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここからは朝倉義景館の全景を見下ろすことができます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここが一乗谷朝倉氏遺跡の中心、かつて足利義昭を迎えてもてなしたとされる一大館が建てられていた場所です。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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今は何も残っていませんが、往時の広大な館の跡が留められています。
ここには後程。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここまでで私が見た庭園は2つ。あと2つ、この地には特別名勝があります。
ここから3つ目の特別名勝に至るには、さらに登りを経ないとならないようだったので、登り始めます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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登りきると、こんな標識が。
ここから南陽寺跡を目指します。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ところがこのルート、結構な山道でして。
しかもこの夏の時期、耳元でブンブンと虫の羽ばたきがすごいのです。
スズメバチとかもちらほら見かけたので、場合によっては結構危険。この辺はトンボも飛んでおらず、護りは一切ないので、特に夏場は用心して進む必要があります。
虫よけを持ってくるべきだった、というのは今回の旅の大きな反省でした。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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しかもこのルート、登ったと思ったら下りになるので、コスパ的には悪いコースです。南陽寺側から登ってきた方がいいかもしれません。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ハチの脅威におびえながら歩いていると、こんな場所に出ます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここが南陽寺跡。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ここで桜を見ながら足利義昭と朝倉義景が歌を詠んだのだとか。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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傍らに歌碑がありました。
この句には両者の主従の結びつきが示されていますが、時を経て袂を分かち、やがては両者とも信長に滅ぼされる運命となったのには、何というか無常感を感じます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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で、これが特別名勝 南陽寺庭園。
今残っているのはこの石組だけのようです。
草深く埋もれていて、おそらく共にあったであろう樹も水も失われていますが、中央の立石を含めた石組から、日本庭園の様式美が伝わってくるかと思います。
この辺り、やはり石組は庭園の心髄と言えそうです。
先日の養浩館庭園もそうでしたが、越前の庭園は石自慢という事もあるのかもしれません。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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寺社の遺構もこんな感じで残してありました。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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で、このまま南陽寺跡を抜けて、ぐるっと回って朝倉義景館に行こうと思っていたのですが、先に行こうとしたらスズメバチに行く手を阻まれまして。
どうにもどいてくれそうになかったので、刺されるわけにもいかないと、来た道を引き返し、湯殿跡から義景館に降りていきました。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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降りると義景公の墓所が。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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小さな祠と、
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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墓塔があります。
朝倉義景。朝倉家第五代の彼は、足利義昭をはじめとする室町の文化人を保護するも、結局将軍を奉じて上洛することはなく、その後義昭を迎えた織田信長と干戈を交え、滅ぼされることになります。
以前は『どうして将軍という錦の御旗を持っていたのに上洛しなかったのだろう』と不思議に思っていたのですが、今でこそ、天下に望みを持つような大それた戦国武将は一握りであって、彼の望みは現状維持程度だったのだろう、と分からなくもないです。
おそらくは織田信長に最も憎まれた男の一人でしょう。
信長の人生における最大の危機の一つである金ヶ崎の戦いで、妹婿の浅井氏を離反させて信長を孤立させ、信長、秀吉、家康の三天下人や、松永久秀ほどの悪人が力を合わせて血路を切り開かざるを得ない逆境を作り出したわけですし、その後も信長包囲網の一角として、信玄の死までずーっと信長を苦しめ続けたわけですから。
死後、髑髏を箔濃(はくだみ:漆塗りにして金粉をかける)にされたことについては、供養なのか残忍さの表れなのか、諸説あるようですが、宴の席に引き出して酒の肴にしたというのは明らかに誇示で、憎い仇敵を征伐したことを子供っぽく見せびらかしたのだろう、と私は思っています。信長という男は自分にされた行為をずーっと覚えていて、後になってから強力な意趣返しをするような、いわゆる根に持つ男ですからね。
しかし、一大文化圏を築いた朝倉氏の最期は、従弟(朝倉景鏡)にも裏切られるという悲惨なものでした。武田家とか、あるいはこれから行く3日目の史跡でもそうなんですが、負け戦というのは時代を問わず、実に惨く、惨めなものです。
『かねて身の かかるべしとも 思はずば今の命の 惜しくもあるらむ』
と辞世に残していますが、本当に悔いがなかったのかと彼に問うたとしたら、また別の答えが返ってきそうな気もしました。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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さて、墓に詣でた後で、最後の庭園を見ます。
特別名勝 一乗谷朝倉氏庭園。
これまで3つの庭園を見てきましたが、最後の義景館跡庭園を見ます。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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山を背景にした石組があって、山から水路が引かれて池につながっています。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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これぐらいがちょうどいいですかね。
遺跡の周辺にロープが引かれていて、なかなか全景を取るのが難しいのが、この庭園の厄介なところですが、これまたなかなか良い石組みです。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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水はあるものの力も流れもなく、淀んでいるのはやはりもったいないですね。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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ただ、今まで見てきた三庭園と同様に、力強い石組みが庭園の力を伝えてきていて、湯殿跡や南陽寺より、やや分かりやすく表現されているといえます。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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遺跡越しに遠景から見るとこんな感じ。
水と樹が揃っていれば、この山深い辺境の中にあって、都の文化を反映した雅な庭園を見ることができたのでしょう。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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そして庭園の向かいには茶室。
自然の緑と水を活かしつつ、茶を点てながら愛でることのできる庭園。
贅沢なものです。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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庭園を離れ、義景館跡を歩き回りますが、まぁ広大です。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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朝倉義景館。
地味に背後を山、三方に堀と土塁が配されていて、大した防御力はないですが守りの備えになっています。
一方で先ほどのような庭園茶室もあり、接客と日常生活の両面を持つ館だったのだとか。
残存していたらなかなか興味深い建築だったでしょうね。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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土塁の上から。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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いくつもの建物の遺構があって、今なお調査中のようでした。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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さて、そろそろ列車の時刻があるのでお暇しなければ。
という事で、本来の入り口から出て1枚。
特別史跡、一乗谷朝倉氏遺跡でした。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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後は一乗谷川を下って帰るだけです。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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しかし、この景観はいいですね。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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本当に水が豊かな、良い地でした。
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そうそう、帰り際、こんなのも見たのでした。
朝倉景鏡館跡。
先ほど話した通り、最終的に義景を裏切って信長に降った男です。
天正元年に信長に降った後、翌年に越前一向一揆で戦死。
主を売り渡した者の末路が短命だというのは、この戦国にあって符節を合わせたように合致していたりします。一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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足羽川のほとりを歩いて駅の方へと歩いていきました。
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ちょっと雨がぱらついていましたが、悠然と流れる川のほとりを、汗をぬぐいながら駅へ。
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この川もまた、朝倉氏に始まる越前の興亡を見てきた証人と言えるのかもしれません。
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さて、では次の目的地へ向かいましょうか。
それにしてもこの九頭竜線、1時間に1本も来なかったりするので、この辺を電車で回るのはなかなか大変です。一乗谷駅 駅
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結構疲れていたのでできれば座りたかったのですが、あいにくの満席。
しかし、怪我の功名で、こんな1枚が取れました。
もう次の目的地が見えています。 -
というわけでやってきました越前大野。
越前大野駅 駅
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駅を降りてみると、こんな水飲み場が。
清水広場 名所・史跡
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清水広場。越前大野は水の街だそうで。
口当たりの柔らかい水でした。清水広場 名所・史跡
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しかし、駅に到着したはいいものの、城行きのバスに乗り遅れてしまって。
しかもちょうど空腹で、この辺で昼食にしようと思っていたんですが、何というかこの辺、駅前なのに全然食べる所がなくて、ちょっと驚きましたね。
仕方がないので、すごく暑かったのですが、駅前に唯一あったラーメン屋さんでつけ麺を食べつつ、次のバスが来るのを待っていました。越前大野駅 駅
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福井駅行きのバスに乗って大野六間で降車。
しばらく歩くと亀山公園の登り口にたどり着きます。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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この登り口は神社の裏手にあって、舗装されつつも曲がりくねった道をたどりながら登る、ちょっとした登山道です。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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登頂まであと20分程度。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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標高は多少ありますが、舗装されてはいるので、ゆっくり上るならさほど大したことはありません。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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で、しばらく行くとこんな感じで、階段と遊歩道の二者択一を何度か迫られます。
体力に余裕があるなら階段でショートカットするといいでしょう。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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しばらく上っていくとこんな像があって、
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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こんな説明書きが建った広場に出ます。
土井利忠。
江戸期に土井と言うと、秀忠、家光の側近として辣腕を振るった、あの土井利勝のことを思い出します。
越前大野藩は越前松平家の後で、彼の庶子から分派した利房系土井家が入って統治したそうで、彼はその7代目なのだとか。
当時越前大野藩はかなりの財政赤字だったそうですが、幕末にかけて彼は藩政改革を行い、財政再建、洋学推進、軍制改革、北蝦夷地開発と様々な手を打ち、ついに黒字化を達成したのだとか。
幕末にかけて現れた最後の名君、といったところでしょうか。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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再び日差しが強くなってきていて。
この辺で疲労がピークに達してしまったので、近くにあった東屋に転がり込み、ベンチに腰掛けて休んでいました。
日差しは午後から夕方にかけて、弱くなりながらもなお照らしつけてきていましたが、私が座った場所は常に涼風が流れ込む日陰になっていて。
疲労と快適さが手伝って、しばらく動くことができませんでした。
ゆっくりと水分を取りながら、山中の涼風に火照りを取ってもらいます。
20分ほど外の景色を見ながら休み、回復したのでさらに上を目指します。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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階段を上ることしばし。
立派な門が姿を見せました。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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門をくぐると。
どうやら天守近くまでやってきたようです。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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この辺から苔むす石垣も本格的になってきました。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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天守に向けて石垣の外周を回っていきます。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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いいですねぇ。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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この時点でそこそこの標高なので、天守でなくてもこれぐらいの見通しが得られます。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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塩硝蔵跡。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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いわゆる火薬庫ですね。
…しかし、江戸期に火薬を何に使ったんでしょうね? 曲がりなりにも武家、戦の備え(鉄砲)というところでしょうか。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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ぼちぼち天守の正面。
枝に隠れていますが、なかなかの見映え。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城跡。
築城者は金森長近。信長の家臣ですね。
一応山城なんですね、この高さでも。
廃藩置県後に城は取り壊されているので、残っているのは石垣のみ。この天守は復元天守です。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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という事で石垣は本物の野面積みです。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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このカーブがいいんですよ。カーブが。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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さて、そろそろ本丸に入りましょう。
階段があるので上っていきます。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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登った先から見下ろすとこんな感じ。
そこそこ高さを感じます。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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本丸内部に入るには、正面から回り込んでいく必要があるのですが、途中でこんなところを見つけました。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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権現宮跡だそうです。神社跡かしら。
どの権現を祀っていたんでしょうね。
まぁよく考えると、江戸に入ってからは親藩、次いで譜代の名門となれば、祀るであろう権現は一柱しかいませんね。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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さて、入り口が見えてきました。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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というわけで、越前大野城に入城。
と言ってもここは先ほど話した通り復元天守で、中には特に江戸期の武具や日常品等が展示されています。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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さて、では天守からの眺め。
四方に看板が配されていたので、看板と実際の景色を対比させながら。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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よし、大体見終わったのでこれで下城しようと、登城時とは別の道を降りようとして、まだ見ていなかった天守前の立派な立像に気が付き、慌てて引き返しました。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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それがこれ。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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金森長近。築城者の立像を見忘れる所でした。
信長の家臣として越前大野城を築城したのは前述のとおりですが、基本的に彼も北国勢として柴田勝家の麾下にいました。
勝家が破れて後、秀吉に降伏。
その後功績を立てて飛騨一国を与えられ、最終的には家康からも加増、初代高山藩主として全うしたのだとか。
……。
昨日訪れた北ノ庄城跡の柴田勝家の生涯と対比すると、彼は大身(数万石程度の大名として終わっている)にはなれなかったものの、同じように秀吉に敵対しつつも戦国の世に家名を残すことには成功したわけです。
先ほど立ち寄った朝倉の末路にしてもそうですが、単に自身と家名の存続を目的として生きていても、自分の力でどうにもならない大きな外圧にさらされたとき、どのように身を処するべきなのか、戦国の栄枯盛衰を見るたび考えさせられます。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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よし、そろそろ下城しましょう。
というわけで、越前大野城でした。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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下城ルートは登城とは違うルート。
途中でこんな看板を見つけました。
亀山観音。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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見ると、一列に観音菩薩の石像がずらりと並んでいます。
大正期に建立されたものだそうで、昭和の伊勢湾台風で倒れ吹き飛んだものの、復興して現在に至るそうです。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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亀山観音を超えてしばらく歩くと階段が。
これで下城完了です。
ただ、こっちの道は登城時のルートと違って、見ての通り手すりが壊れていたりと未整備感が強かったです。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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さて、どうにか下城したので後は帰るだけ。
バスで福井駅まで帰ろうかと思ったのですが、まだ時間がある。
どこかで休めないかな、と思って見つけたのがここ。
藩主隠居所。
先ほどの土井利忠が隠居に使っていた建物を移築したのだそうです。
現在は無料休憩所として使われています。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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庭を見ると、なかなか立派な作り。
越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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ここには靴を脱いで上がることができて、座布団が置いてあったりするので、再び疲労のピークに達した私は座布団を強いて大の字に転がり、しばらく昼寝していました。
やがてバスの時間が来たのでバス停に行ってみたら、この日は越前大野祭りとかで、昨日の丸岡城と同じく通行止めになっていて、行きで降りた大野六間のバス停にバスが止まらないという事が明らかに。
つくづく今回はバスに関しては調子を狂わされっぱなしでした。
じゃあ電車で帰ろうか、と、そのまま歩いて越前大野駅まで戻り、ちょうど大野始発だった九頭竜線に乗って福井駅まで戻ったのですが、クーラーの中ほとんど眠ってましたね。
こうして、今回の旅最大の難所である2日目は幕を閉じたのでした。
以下、次号。越前大野城【冬期休館中】 名所・史跡
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