2018/08/10 - 2018/08/12
73位(同エリア41件中)
はいさいさん
ユジノサハリンスク(Южно-Сахалинск・南サハリンの町の意味)は、日本領時代には樺太庁が置かれ豊原という名だった。札幌を模して作られた計画都市で、碁盤の目のようになっていて歩きやすかった。
しかし、街を歩いていても日本統治時代の面影は感じられず、日本語の看板もなければ英語併記さえもないという状況で、ロシア語を知らない私はとても苦労した。道は分かりやすいので、地図をもとに目的地に到着はするのだが、果たしてその建物が何なのかロシア語で書かれておりわからない状況だった。アジア系の顔立ちの人もけっこういることに驚いた。日本人と全く同じ顔立ちなのにロシア語しか話さないと不思議な感じだった。宿や商店でも英語はほとんど通じず、言葉の面で苦労したが、「旅の指さし会話帳」を持っていったので活用できた。出発前にいくつか本を読んだ。この地を訪ねる方に有益な情報となることを願い、この旅に際して読んだ書籍等の一部を自身の備忘録を兼ねて記しておく。
[書籍]
・チェーホフ著、原卓也(翻訳) 「サハリン島」(2009年・中央公論新社)
・ぺーター・ウルバン編、谷川道子(翻訳)「チェーホフの風景」(1995年・文芸春秋)
[略歴]
1854年 日露和親条約では、サハリンは両国民雑居地
1875年 樺太・千島交換条約によりロシア領となる。
1890年 チェーホフがサハリンを訪ねる。
1905年 日露戦争の結果、ポーツマス条約により南半分が日本領になる。
1945年 ソ連軍(赤軍)が豊原を爆撃後、占領。
2018年 現在の人口は約20万人
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ヤクーツク航空にて、成田→ユジノサハリンスク。21時到着のため、初日はどこにも出歩かず寝る。
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翌朝、街歩きのスタートは、レーニン像前からスタート!
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レーニン像が見る方向の広場。
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右手に劇場らしき建物が見えてくる。そして通り過ぎる。
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しばらく歩くと右手に突如としてサハリン州立郷土博物館が現れる。
日本領時代の1938年に樺太庁博物館として建てられたものである。 -
サハリン州立郷土博物館の外に展示されていた。
Japanese light field howitzer 1931年とあった。
旧日本軍の榴弾砲だろう。 -
これも旧日本軍のものだろう。
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詳細を見てみると、明治三十七八年戦役記念海軍大将男爵片岡七郎謹書とあった。
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ホッキョククジラ (Balaena mysticetus) の骨
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人との比較があるが、このクジラはものすごく大きいことが分かる。
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Japanese light tank / Type 95 HA-GO 1935-1943年
子供が遊んでいたが、遊び道具ではない。 -
博物館の中に入ってみると。
1階には、サハリンにいる動物のはく製や人々の暮らしぶりを展示してあった。 -
こうしてみると、サハリン島は意外と大きいことに気づく。
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2階へ。この部屋内の展示は日本の一部であった時代の記録が数多く展示されていた。
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日本とソビエトの国境に置かれていた国境標石。石の反対側はロシア語だった。貴重な記録である。
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1920-25年ごろの北洋銀行での写真。詳細はロシア語でなんて書いてあるかわからない。
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この日本橋というのはどこにあったのだろうか。1920-25年。
ロシア語でしか書いてないから数字以外は読めない。 -
豊原市内の地図があった。興味深く見ていた。
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博物館を出てガガーリン公園方面に歩いていくと。
左手に見えてきたのは、ロシア正教会。 -
教会の裏手に何やら日本風な庭園らしきものが…
ここは、在ユジノサハリンスク日本総領事館の庭ですね。
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