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奥平城(おくだいらじょう、群馬県高崎市吉井上奥平)は戦国時代に奥三河作手に本拠を置く国人領主で、武田氏から徳川氏に主家を変え家康の信頼のもと城主として長篠城を武田軍包囲から守り、続く設楽原(したらがはら)合戦で無敵武田騎馬軍に壊滅的な打撃を与え勝利に貢献した奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)の本貫地いわゆる奥平氏「発祥の地」にあります。<br /><br />それまでの経緯としては概ね次の通りです。<br /><br />奥平氏の初代は氏行(うじゆき)といい、上野国甘楽郡司を務めていました。それから六代の定政(さだまさ)の時鎌倉幕府が倒れますが、南北朝時代に入りますと定政は南朝の新田義貞(にった・よしさだ)に従い武蔵七党のひとつである児玉党を率いて奮戦します。<br /><br />定政を継いだ定家(さだいえ)の頃の上野国は新田氏とその与党は北朝に駆逐され、定家にとっては住みにくくなってきたため、定家の息子の中で貞俊(さだとし)は一族と家人の一部を率いて出奔、縁戚を頼りに三河国設楽郡作手郷に移ります。<br /><br />さて天正18年(1590)小田原戦役後関東入府となった家康に従った信昌は3万石を以て遠祖の地である甘楽郡小幡に移封し、慶長6年(1601)10万石に加増されて美濃国加納藩に転出するまで当地を支配することになります。<br /><br /><br />奥平城入口に建てられた説明板には次の通り記されています。<br /><br /><br />「 奥平城跡<br /><br />奥平氏は、村上源氏の赤松則景の子息氏行が上野国甘楽郡司となり、十二世紀末に奥平郷に築城し、奥平氏を称したことに始まります。六代定政は武蔵七党を率いて新田義貞に属し、建武の中興にあたり多くの軍功を挙げました。その後、子孫は南朝方で活躍しましたが、新田氏の没落と共に十四世紀の末に八代貞俊は三河国(愛知県)に移りました。<br /><br />奥平氏の居城となった奥平城は、河川の北に広がる丘陵地の中を貫通する申(さる)田(た)川と桜沢の間に広がる、平地の中央に位置していました。九台に武家屋敷跡が多く見られ、西の外郭の武道原や、二つの川の合流点を堰き止めて水をためていたことから止め場などの地名が付いたと言われます。<br /><br />奥平氏は二百年近く奥平に在城し、発祥の地に相応しく鎌倉期以降の板碑や五輪塔が散見され盛時を物語っています。 」

上野西吉井 奥三河・設楽が原合戦で武田勝頼に大打撃を与え戦功をたて家康娘を室とし家運を挙げた奥平信昌の遠祖の本貫地である『奥平城』訪問

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2018/07/08 - 2018/07/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

奥平城(おくだいらじょう、群馬県高崎市吉井上奥平)は戦国時代に奥三河作手に本拠を置く国人領主で、武田氏から徳川氏に主家を変え家康の信頼のもと城主として長篠城を武田軍包囲から守り、続く設楽原(したらがはら)合戦で無敵武田騎馬軍に壊滅的な打撃を与え勝利に貢献した奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)の本貫地いわゆる奥平氏「発祥の地」にあります。

それまでの経緯としては概ね次の通りです。

奥平氏の初代は氏行(うじゆき)といい、上野国甘楽郡司を務めていました。それから六代の定政(さだまさ)の時鎌倉幕府が倒れますが、南北朝時代に入りますと定政は南朝の新田義貞(にった・よしさだ)に従い武蔵七党のひとつである児玉党を率いて奮戦します。

定政を継いだ定家(さだいえ)の頃の上野国は新田氏とその与党は北朝に駆逐され、定家にとっては住みにくくなってきたため、定家の息子の中で貞俊(さだとし)は一族と家人の一部を率いて出奔、縁戚を頼りに三河国設楽郡作手郷に移ります。

さて天正18年(1590)小田原戦役後関東入府となった家康に従った信昌は3万石を以て遠祖の地である甘楽郡小幡に移封し、慶長6年(1601)10万石に加増されて美濃国加納藩に転出するまで当地を支配することになります。


奥平城入口に建てられた説明板には次の通り記されています。


「 奥平城跡

奥平氏は、村上源氏の赤松則景の子息氏行が上野国甘楽郡司となり、十二世紀末に奥平郷に築城し、奥平氏を称したことに始まります。六代定政は武蔵七党を率いて新田義貞に属し、建武の中興にあたり多くの軍功を挙げました。その後、子孫は南朝方で活躍しましたが、新田氏の没落と共に十四世紀の末に八代貞俊は三河国(愛知県)に移りました。

奥平氏の居城となった奥平城は、河川の北に広がる丘陵地の中を貫通する申(さる)田(た)川と桜沢の間に広がる、平地の中央に位置していました。九台に武家屋敷跡が多く見られ、西の外郭の武道原や、二つの川の合流点を堰き止めて水をためていたことから止め場などの地名が付いたと言われます。

奥平氏は二百年近く奥平に在城し、発祥の地に相応しく鎌倉期以降の板碑や五輪塔が散見され盛時を物語っています。 」

交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 奥平城入口<br /><br />上信電鉄西吉井駅から北西へ徒歩約30分、岩平小学校前から道路を右折して数分歩くと右手に小幅の道路が見え、入口の傍らには何やら立て札が認められます。

    奥平城入口

    上信電鉄西吉井駅から北西へ徒歩約30分、岩平小学校前から道路を右折して数分歩くと右手に小幅の道路が見え、入口の傍らには何やら立て札が認められます。

  • 奥平城跡・説明板

    奥平城跡・説明板

  • 奥平城跡・登城口<br /><br />入口道路を進むと右側の舌状の丘陵地を登る開口部が見えてきます。

    奥平城跡・登城口

    入口道路を進むと右側の舌状の丘陵地を登る開口部が見えてきます。

  • 奥平城跡・標柱

    奥平城跡・標柱

  • 奥平城跡・石標

    奥平城跡・石標

  • 奥平城跡・説明板

    奥平城跡・説明板

  • 奥平城跡・登城路

    奥平城跡・登城路

  • 城郭<br /><br />登城口を登るとすぐ右側に畑が視野に入ります。かつては城郭の一つであったと思われます。

    城郭

    登城口を登るとすぐ右側に畑が視野に入ります。かつては城郭の一つであったと思われます。

  • 登城路<br /><br />通路が整っておらず前進できません。前方だけではなく左右についても竹藪で覆われ前進不可能の状況です。

    登城路

    通路が整っておらず前進できません。前方だけではなく左右についても竹藪で覆われ前進不可能の状況です。

  • 立ち塞がる竹薮<br /><br />無理して前進を試みますがやはり道はなく、見通し不明につき引き返さざるをえません。<br /><br />

    立ち塞がる竹薮

    無理して前進を試みますがやはり道はなく、見通し不明につき引き返さざるをえません。

  • 視野を妨げる竹薮<br /><br />特に左側は太く密な竹林と竹薮が迫ってきており内部状況を確認することができません。

    視野を妨げる竹薮

    特に左側は太く密な竹林と竹薮が迫ってきており内部状況を確認することができません。

  • 外部風景<br /><br />竹薮から右側の風景を捉えます。眼下に申田(さるた)川が流れており、その北側の段丘が僅かに見えます。

    外部風景

    竹薮から右側の風景を捉えます。眼下に申田(さるた)川が流れており、その北側の段丘が僅かに見えます。

  • 桜谷<br /><br />藪に阻害されやむなく下山し、奥平城入口に戻ります。次は入口の左側に視線を移すと、藪に覆われた小川らしき風景が眼に入ります。

    桜谷

    藪に阻害されやむなく下山し、奥平城入口に戻ります。次は入口の左側に視線を移すと、藪に覆われた小川らしき風景が眼に入ります。

  • 奥平城全景<br /><br />桜谷側から奥平城方向を捉えます。当然ながら竹林と竹薮に覆われてその全貌は把握できません。

    奥平城全景

    桜谷側から奥平城方向を捉えます。当然ながら竹林と竹薮に覆われてその全貌は把握できません。

  • 奥平城全景<br /><br />今度は北側から奥平城を捉えます。眼下には申田川が流れており、城郭は西から東にかけてなだらかに走り、北側(申田川)と南側(桜谷)を流れる川に挟まれている状況が確認できます。

    奥平城全景

    今度は北側から奥平城を捉えます。眼下には申田川が流れており、城郭は西から東にかけてなだらかに走り、北側(申田川)と南側(桜谷)を流れる川に挟まれている状況が確認できます。

  • 奥平城遠景

    奥平城遠景

  • 公田集落入口<br /><br />偶然にも集落入口の右端には古びた石標を発見します。

    公田集落入口

    偶然にも集落入口の右端には古びた石標を発見します。

  • 公田集落入口(近景)                                                                近づいてみると「史蹟奥平公廟所」と刻された石標があります。この先に奥平氏の墓石があるようですが時間の関係で立ち寄り控えて先を急ぎます。<br /><br />

    公田集落入口(近景)                                                                近づいてみると「史蹟奥平公廟所」と刻された石標があります。この先に奥平氏の墓石があるようですが時間の関係で立ち寄り控えて先を急ぎます。

  • 奥平神社・入口<br /><br />更に進むと左側に奥平神社の入口があり左右に石門が認められます。

    奥平神社・入口

    更に進むと左側に奥平神社の入口があり左右に石門が認められます。

  • 奥平神社・鳥居

    奥平神社・鳥居

  • 石碑

    石碑

  • 奥平神社<br /><br />拝殿へは石段を上ることになります。

    奥平神社

    拝殿へは石段を上ることになります。

  • 奥平神社・拝殿<br /><br />地理的には奥平城と同一丘陵地の西側に位置することから同神社は城郭内に鎮座し、奥平氏の庇護を受けた祈願所だったと考えられます。

    奥平神社・拝殿

    地理的には奥平城と同一丘陵地の西側に位置することから同神社は城郭内に鎮座し、奥平氏の庇護を受けた祈願所だったと考えられます。

  • 奥平神社本殿<br /><br />拝殿を通して本殿の状況を捉えます。

    奥平神社本殿

    拝殿を通して本殿の状況を捉えます。

  • 奥平神社・境内<br /><br />石段側には長い歳月を経たと思われる石灯籠が対になって建っています。

    奥平神社・境内

    石段側には長い歳月を経たと思われる石灯籠が対になって建っています。

  • 奥平神社・本殿

    奥平神社・本殿

  • 奥平神社・境内

    奥平神社・境内

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