2018/07/08 - 2018/07/08
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滝山氏照さん
天祐山公田院・仁叟寺(じんそうじ、群馬県高崎市吉井町神保)は南北朝時代応永元年(1394)から正長元年(1428)にかけて本貫地である多胡郡吉井町奥平公田に城主奥平貞訓(おくだいら・さだくに)が創建した曹洞宗の古刹です。
時代は降り後裔の奥平貞能(おくだいら・さだよし)が大永2年(1522)に現在の地に寺を遷し本堂を再建して開基、更に渋川市中郷雙林寺(そうりんじ)四世の高僧である直翁裔正禅師を初代住職として迎え開山されています。
天正18年(1590)当寺院は徳川家康の長女で奥平信昌(おくだいら・のぶまさ、1555~1615)正室の亀姫より寺領の寄進を受け、これを機に当地域の領主となった歴代城主(長根城主小幡氏、宮崎城主奥平氏、吉井城主菅沼氏など)の深い帰依と手厚い保護を受け、とりわけ慶安2年(1649)三代将軍家光より寺領及び御朱印25石を改めて賜ることになります。
総門付近に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。
「 仁叟寺について
天祐山公田院仁叟寺は、吉井町大字神保にある曹洞宗の寺院である。応永年間(1394~1428)奥平公田(九台)に建立され大永2年(1522)神保に移転、この年本堂が創建されたと伝える。当初は寄せ棟造り瓦葺屋根であった。約600年間法燈を保ち続け、現在に至っている。この間住職は三十一世を数える。
創建は後に中津藩主となった奥平氏が係わり、その縁もあって徳川家家臣から庇護を受けた。また、常に各時代の領主や藩主などの手厚い保護を受けた。
幕末から明治にかけては変動の波が押し寄せたが、これを乗り切り、その後も外護者の貢献を得て、今日の隆盛をみている。
また、仁叟寺は昭和46年(1971)に「仁叟寺及び関係文書」として市指定史跡となり、平成17年(2005)諸堂・仏像・古文書他多数が市指定重要文化財に指定替えとなっている。」
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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仁叟寺入口看板
上信電鉄吉井駅から南進徒歩15分、バス通りに面した所に入口があります。 -
仁叟寺駐車場付近
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御移転五百回報恩忌看板
平成34年(2020)には移転五百回保護報恩忌が予定されています。 -
仁叟寺・総門
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仁叟寺総門・説明板
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仁叟寺三代名水・三堂巡り案内地図
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仁叟寺・山門
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仁叟寺・説明板
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古照堂
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座禅堂
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仁叟寺・本堂
本堂正面上部には院号「公田院」と記された扁額が掲載されています。当該寺は大永2年(1522)下奥平から移転、再建されたもので北に開山堂、東には庫裏を配した建築となっています。 -
仁叟寺歴史墓地・案内板
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溝口豊前守勝信墓石
江戸時代前期旗本で、書院番士から使番を経て巡見使、寛文10年(1670)奈良奉行就任、退任後小普請役となる。知行地は大和国から上野国4郡(多胡・甘楽・碓井・緑野)に移管、最終知行は2千5百石。戒名:「智光院殿実参了心大居士」。 -
溝口豊前守勝信墓碑
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長谷川淡路守&長谷川讃岐守の墓石
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長谷川淡路守・長谷川讃岐守墓石説明板
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奥平貞訓・墓所
当該寺院開基とされた奥平貞訓氏の墓所があります。 -
奥平貞訓・墓石
戒名は「天祐院殿仁叟貞訓大居士」で当該寺を創建した奥平城主の奥平貞訓の墓石となっています。 -
奥平貞訓墓所・石標
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開基塔
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仁叟寺境内に立つ榧(カヤ)の木
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仁叟寺のカヤ説明板
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