2018/07/28 - 2018/07/28
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morino296さん
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京都での慶事に出席するため、2日前から出掛け奈良・京都を散策することにしました。
とは言え、危険な暑さが続き「不要な外出は控えるように」とか、過去にない経路の台風12号が接近するなど、不安な旅となりました。
2日目は、京都大原から下鴨神社あたりを散策しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
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修学院駅に近いホテル アピカルイン京都
翌日の慶事がこの近くであるため前泊の宿をこちらに準備していただきました。
この朝は、四条烏丸から移動して、荷物を預けて大原へ向かいました。 -
アピカルイン京都の横を流れる高野川
台風12号が接近しており、翌日の慶事に影響がないことを祈りながら出掛けます。
修学院駅前から京都バスで大原へ向かいました。 -
大原バス停から三千院へ向かう途中にあるしそ畑
大原の気候などがしその栽培に適している日本一のしそ畑だそうです。
しば漬けや梅干しなどの材料として使われます。 -
三千院へ向かう途中にある食事処「松門」
名前の通り見事な松が玄関を飾ります。志野 松門 グルメ・レストラン
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三千院へ向かう呂川(りょせん)沿いの道 10:17頃
前回、はんなりさんご夫妻、rokoさんとご一緒させていただいて以来、5年振りの大原です。
この日は、土曜日ですが観光客は少なかったです。 -
三千院へ向かう呂川(りょせん)沿いの道
青モミジのトンネルを進みます。 -
大原 三千院の参道
大原の地は、千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地で、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。
創建は傳教大師最澄上人が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結んだのに始まります。
別名、梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、皇子・皇族が住職を勤めた宮門跡です。
現在の名称は、明治4年法親王還俗に伴い、梶井御殿内の持仏堂の勅額から取られたものだそうです。
寺地は、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わり、明治維新後、現在の大原の地に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいます。(三千院のパンフレットとHP参照) -
大原 三千院 御殿門
門跡寺院にふさわしい風格をそなえた城廓、城門を思わせる構えの石組みは近江坂本の穴太衆(あのうしゅう)が積んだものだそうです。
拝観料700円三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 客殿の庭園・聚碧園(しゅうへきえん)
(建物内部は撮影禁止ですが、庭は撮影可能です。)
池泉観賞式庭園で、江戸時代の茶人・金森宗和(1584-1656)による修築と伝えられています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 客殿の庭園・聚碧園
ここでは、庭を眺めながらお茶を頂くこともできます。
中央奥には、半夏生が見られます。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 宸殿前の庭園・有清園(ゆうせいえん)
宸殿より往生極楽院を眺める池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運(385-433)の「山水清音有」より命名されたそうです。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 宸殿前の庭園・有清園
この時期は、深緑と苔の青さが綺麗です。
春には山桜と石楠花、夏の深緑、秋の紅葉、そして雪景色と季節毎に美しさが変わります。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 宸殿前の庭園・有清園の杉苔
厳しい暑さにもかかわらず綺麗な苔が見られました。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 往生極楽院(重文)
平安時代に天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。
ここに祀られている阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きく、堂内に納める工夫として天井を舟底型に折り上げていることが特徴です。
その天井には現在は肉眼ではわかり難いものの、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、あたかも極楽浄土そのままを表しています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 往生極楽院の阿弥陀三尊像(国宝)
中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前かがみに跪く「大和坐り」で、慈悲に満ちた姿です。
平安時代を代表する三尊像(木造漆箔)は、信者の臨終に際して、阿弥陀如来やその眷属(けんぞく)が極楽浄土から迎えに来られる様子を表現した来迎相です。
阿弥陀如来(194.5cm)は来迎印を結び台座に坐し、両脇侍は蓮台上に跪坐(きざ)し、向かって右側の観世音菩薩(132.2cm)は蓮台を捧げ、左側の勢至菩薩(132.7cm)は合掌する。 両菩薩は膝を少し開き、上半身を前屈みにする「大和坐り」といわれる珍しい姿で、往生者をお迎えするまさにその一瞬を表しているといわれます。(写真は購入した絵葉書をコピーしたものです。) -
大原 三千院 往生極楽院の舟底形天井画(円融蔵入り口のポスター)
宇宙ほど深い、極楽のグラデーション。
850年と言う時空に、心に染みる青が隠されていたなんて。 -
大原 三千院 朱雀門
往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門で江戸時代に再建。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 有清園のわらべ地蔵
往生極楽院南側、弁天池脇にたたずむ小さなお地蔵さまたち。
(石彫刻家の杉村孝氏の作)三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 有清園のわらべ地蔵
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 有清園のわらべ地蔵
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 弁天池とわらべ地蔵
池の周りのわらべ地蔵が分かるでしょうか?三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 有清園のわらべ地蔵
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 有清園のわらべ地蔵
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 弁財天
往生極楽院から金色不動堂に向かう参道脇に祀られている『京の七福神』の弁財天。
他の『京の七福神』は恵美須(ゑびす神社)、大黒天(妙円寺)、毘沙門天(毘沙門堂)、布袋尊(長楽寺)、福禄寿(護浄院)、寿老人(行願寺)。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 観音堂
平成10年に建てられた観音堂内には身丈3mの金色の観音像が祀られています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 観音堂横の百日紅の花
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 小観音像
観音堂の両側にある小観音堂には三千院と縁を結ばれた方々の小観音像が安置されています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 金色不動堂前の蓮の蕾
三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 律川(りつせん)
境内の北側を流れる川を「律川」、南側を流れる川を「呂川(りょせん)」と呼びます。
これは声明音律(しょうみょうおんりつ)の「呂律(りょりつ)」にちなんで名づけられたといわれています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 律川近くの阿弥陀石仏(売炭翁石仏)
金色不動堂の北、律川にかかる橋を渡ったところに、鎌倉時代の大きな阿弥陀石仏(高さ2.25m)が安置されています。
この場所は、昔、炭を焼き始めた老翁が住んでいた「売炭翁(ばいたんおきな)旧跡」と伝えられることから、この阿弥陀さまを親しみをこめて、売炭翁石仏と呼ぶようになったと伝わっています。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 律川に並ぶおさな六地蔵
阿弥陀石仏の後ろに並んでいます。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 律川に並ぶおさな六地蔵
六地蔵と書かれていますが、実際には8体のお地蔵様がいらっしゃいます。
下の右側のお地蔵様は猫を抱いていらっしゃいます。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 律川に並ぶおさな六地蔵
頭に鳥が乗っているお地蔵様も。三千院 寺・神社・教会
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大原 三千院 朱雀門
三千院を失礼して、呂川沿いの道を登り来迎院へ向かいます。三千院 寺・神社・教会
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大原 来迎院
来迎院は、平安時代初期に天台宗を開宗した傳教大師最澄の直弟子である慈覚大師円仁によって中国からもたらされた声明の修練道場として開山。
円仁が唐に留学した際、五台山念仏が流行しているのを学び、帰国後、比叡山に伝えました。
藤原時代には、俗化した比叡山を離れた念仏聖が修行する隠棲の里となり、聖応大師良忍が来迎院を建立。
創建当時の来迎院は、三尊院と称し、多くの堂塔伽藍があったが応永33年(1426)に火災で焼失。
この後、上院来迎院と下院勝林院を中心に坊が集落化する別所となり魚山大原寺と総称したそうです。(パンフレットより)
拝観料400円来迎院 寺・神社・教会
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大原 来迎院 本堂
室町時代中期に諸堂が焼失、室町時代後期の天文2年の再建。
本尊の薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像が安置されています。
いずれも藤原時代の木造漆箔寄木造で国重要文化財です。
本堂に座り、暫しの間、三尊像に見とれていました。来迎院 寺・神社・教会
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大原バス停近くのお店「さわだ」
エアコンの効いた席に案内され、
蕎麦と炊き込みご飯のセットを頂きました。さわだ グルメ・レストラン
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大原バス停から寂光院へ向かう途中を流れる高野川
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大原バス停から寂光院へ向かう途中
暑さの中、木陰がない道を進みます。 -
寂光院へ向かう細い道の脇にある小さな湧き水「朧の清水」
建礼門院が京都から寂光院へ移ってきた際、この清水のあたりで日が暮れ、朧月夜によってこの水溜りに映るやつれた自分の姿を見て嘆いたという話が伝えられます。 -
寂光院へ向かう途中
厳しい暑さが続きますが、眼には秋の気配も。 -
寂光院の近くの川の流れ
涼し気に見えますが、やはり暑かったです。 -
大原 寂光院の前に置かれた参拝記念の顔出しパネル 12:55頃
大原バス停から20分弱歩きました。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院の参道
寂光院は天台宗の尼寺で、推古2年(594)に聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられます。
平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られます。
拝観志納金600円寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 孤雲 (茶室)の入り口
茶室までは立入禁止になっていていけません。
京都御所で行われた昭和天皇の即位の大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に千宗室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きを行ったものだそうです。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 山門
寂光院初代住持は聖徳太子の乳人であった玉照姫[敏達13年(548)に出家した日本仏教最初の三比丘尼の一人で、慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたと伝えられるが、史料がなく名前は伝わらないそうです。
寂光院では、柴売りで有名な「大原女」のモデルとされている阿波内侍(藤原信西の息女)を第2代と位置づけ、第3代の建礼門院徳子(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年(1185)年に入寺し真如覚比丘尼と称した。源平の合戦に敗れ長門国壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、この地に侍女たちとともに閑居して終生を過ごされた。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 本堂
桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、平成12年(2000)5月9日未明、放火により焼失。
焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、5年の歳月を経て平成17年6月に落慶。
当初の本尊は聖徳太子作といわれる六万体地蔵尊菩薩(鎌倉時代造立)であったが火災により大きく焼損、修理を施されて、現在は収蔵庫に安置されています。
焼損した地蔵菩薩像の体内に納められていた小さな地蔵菩薩が数多く焼け残っており、宝物殿に展示されています。
新しい本堂には、3年半をかけて復元、平成17年(2005年)に完成した新たな地蔵菩薩立像が安置されています。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 四方正面の池
本堂の東側にある池で、四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されているそうです。
ここは、2007年秋に訪ねた時に鯉と池に映り込む紅葉を一緒に撮った写真が気に入っていました。
https://4travel.jp/travelogue/10200385寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 雪見灯籠
本堂の右手前にある鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝わります寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 千年姫小松 (御神木)
本堂前西側の庭園は「平家物語」当時のままで、汀の池 (みぎわのいけ)、千年の姫小松、苔むした石、汀の桜などがあります。
樹齢千年の姫小松も火災により枯死、根元が御神木として残されています。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 諸行無常の鐘楼
江戸時代に建立された鐘楼には「諸行無常の鐘」が懸かっています。
鐘身には宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があるそうです。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 建礼門院御庵室跡
文治元年(1185)長門壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、安徳天皇と入水した建礼門院はひとり助けられて京都に連れ戻され、都を遠く離れた大原寂光院に閑居。
女院は夫高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、建久2年(1191)2月中旬この地でその生涯を閉じています。
御庵室跡の右手奥に、門院が使用したという井戸が残ります。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院 建礼門院御庵室跡の前に立つ合掌地蔵
比較的新しいお地蔵様のように見受けられます。寂光院 寺・神社・教会
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大原 寂光院からバス停へ戻る途中にて 13:30頃
見事な百合の花が咲いていました。
まだ時間も早いので、京都バスで出町柳まで移動し、
下鴨神社へ向かうことにしました。 -
下鴨神社の参道 14:25頃
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下鴨神社へ向かう道の左手にある旧三井家下鴨別邸
下鴨神社の「糺の森」から南、高野川と鴨川の合流地点の北岸に位置し、この地一帯は明治31年(1898)、三井家が購入し、同42年(1909)、三井家の祖霊社「顕名霊社」が遷座された地であり、京都に複数あった三井家邸の中でも特別の意味を持つ場所だったそうです。 -
旧三井家下鴨別邸 玄関
下鴨別邸は、「主屋」「玄関棟」「茶室」の3棟からなり、
新築された玄関棟は、主屋西側に位置し、入母屋造りの桟瓦葺の平屋建築で、鬼瓦には三井家の家紋「四ツ目結」が残ります。
入館料410円 -
旧三井家下鴨別邸 主屋1階の座敷から眺める庭園
玄関棟でガイドさんの解説があり、管内を見学します。
(写真撮影は可能ですが、展示物など撮影禁止もあります。)
ここでは庭園を望みながら喫茶もできます。
平成25年、文部科学省の所管となり、管理団体は京都市に移されています。
京都市では、屋根の葺き替えや土壁の塗り替えなどお修復工事を進め、平成28年10月から一般公開を開始。
3階建ての主屋のうち、観覧できるのは1階部分と庭園で、2階・3階は通常非公開ですが、観光シーズンに合わせ3階まで観覧できる特別公開も実施されています。 -
旧三井家下鴨別邸 主屋の坪庭
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旧三井家下鴨別邸 庭から望む主屋
三階の望楼からは東山の眺望が楽しめるそうです。
大文字焼の時に特別公開があり、食事付きで3万円だとか。
既に予約は完売でした。
この日は2階が貸切で特別公開されていました。 -
旧三井家下鴨別邸 ひょうたん池と茶室
泉川から水を取り入れた滝流れを持つひょうたん型の池です。 -
旧三井家下鴨別邸 茶室(非公開)
庭園に面して三畳次の間が付いた四畳半の広間があり、
裏側には茶室として極小空間である一畳台目の小間を置き、
煎茶と茶の湯のいずれにも対応できたと考えられるそうです。
建築年代は定かではないが、修復中に「慶応四年」(1868)と書かれた祈祷札が確認されたそうです。 -
旧三井家下鴨別邸 主屋
主屋は鴨川下流の「木屋町別邸」から移築され、増築を加え、大正14年(1925)に竣工。
木屋町別邸は三井総領家第8代当主・三井八郎右衞門高福が明治13年(1880)、鴨川下流の東岸に建造したもの。9代当主・高朗が死去する明治27年(1894)まで居宅していたそうです。
戦後は京都家庭裁判所宿舎に大正から昭和初期にかけて、下鴨別邸では三井家による例祭が行われてきたが、戦後、三井財閥は解体。顕名霊社は三井総領家の油小路邸に移され、下鴨別邸は昭和24年(1949)に国有化され、隣接する京都家庭裁判所の所長舎として平成19年(2007)まで使われていました。 -
下鴨神社 参道
入口はそうでもありませんが進むにつれて出店も並び混んでいました。 -
下鴨神社 河合社
河合神社は下鴨神社の摂社として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお社である。ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。河合神社ではこの美麗の祈願絵馬として鏡絵馬の授与を行っている。河合神社 寺・神社・教会
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下鴨神社 河合神社 美麗祈願の手鏡絵馬
手鏡の形をした顔を表す絵馬がたくさん並びます。
この絵馬には自分が普段使用している化粧品でメイクをして、
裏に願意を記入します。
外見だけでなく内面も磨いて美しくなってもらう絵馬。河合神社 寺・神社・教会
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下鴨神社 南口鳥居
糺の森の雰囲気が好きで、何度も来ていますが、この日が一番混んでいました。
「何だろう?」と思ったら、「みたらし団子」の出店に多くの人が並んでいました。下鴨神社(賀茂御祖神社) 寺・神社・教会
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下鴨神社 楼門
多くの提灯がぶら下がり、みたらし祭が行われていました。下鴨神社(賀茂御祖神社) 寺・神社・教会
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下鴨神社 中門
正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」。
鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨さん」「下鴨神社」とよばれます。
祭神は、西殿の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、
東殿の玉依媛命(たまよりひめのみこと)。
下鴨神社(賀茂御祖神社) 寺・神社・教会
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下鴨神社 みたらし祭
真夏の京の風物詩で、
「足を浸け、お水を飲んで 身を清め、心身とも爽快に一年を過ごしましょう。」
平安期の頃、季節の変わり目に貴族は禊祓いをして、罪、けがれを祓っていた。土用の丑の日に御手洗池の中に足をひたせば、罪、けがれを祓い、疫病、安産にも効き目があるといわれている。
毎年、土用の丑の日に境内御手洗池に祀られている御手洗社において「足つけ神事」が行われます。御手洗社 寺・神社・教会
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下鴨神社 橋殿
みたらし祭は、ここで受付をします。
履き物を脱ぎ、受付で献灯料を納め、ローソクを貰います。
身を清める気持ちで、心静かに御池に入ります。
清らかな斎火(いみび)をローソクに点して、御神前に供え、
お祓いの神様に一年の無病息災をお祈りします。
御池から上がったら御神水をいただき、内側から全身を清めます。
これほど多くの人が御池に入っていらっしゃるとは思いませんでした。御手洗社 寺・神社・教会
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加茂みたらし本舗 15:45頃
下鴨神社の中のみたらし団子の出店は行列が出来ていたので、
こちらの店まで来てみましたが、やはり店内は満席で諦めました。
少し早いですが、この日の宿へ戻り、風呂に入り一休み。加茂みたらし茶屋 グルメ・レストラン
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修学院 上田酒店 18:40頃
翌日の慶事の場所を確認してから、修学院駅の近くで飲食する店を探していたら、
気になる看板を発見!
「雰囲気のある酒屋?」 -
修学院 上田酒店 欧和雅店(おうわがみせ)
ボードを見ると「酒屋とレストラン」が合体。 -
修学院 上田酒店/欧和雅店
店に入ると、右手が酒屋、左手がレストラン。
カウンター席が4席あったので、迷わずカウンター席へ。
カウンター席は、店の方と話が出来るので、一人の時はカウンター席が良いです。 -
修学院 上田酒店/欧和雅店
何やら美味しい日本酒が期待できそうです。
店(上田酒店)のおかみさんにお薦めの日本酒をお願いしたところ、
京丹後の日本酒「玉川」の「アイスブレーカー」が出てきました。
純米吟醸無濾過生原種でオンザロックで頂きます。
夏にぴったりの日本酒のオンザロック、「美味い!」 -
修学院 上田酒店/欧和雅店
料理は、酒屋の娘婿さんが腕を振るいます。
イタリアンが中心ですが、日本酒に逢いそうなものを注文。
左は小鮎のエスカベッシュ(マリネ?)、右はタラモサラダ。
下は、サービスで出していただいたしば漬けなど。 -
修学院 上田酒店/欧和雅店
日本酒のお替りをお願いしたところおかみさんがこちらを進めてくれました。
広島県竹原の藤井酒造「龍勢」番外品 壱。
これは氷入れずに頂きました。
ボトルを見せていただくとラベルには使用米・精米歩合ともに非公開となっていました。なかなか珍しいですね。 -
修学院 上田酒店/欧和雅店
最後に、シソジュースのサーダ割りもサービス頂きました。
修学院、なかなか行くことのない場所ですが、良い店を見つけることが出来ました。
台風12号が西へ進んでおり、京都に直撃しそうなコースなので、
早目に宿に戻り、翌日の慶事に備えます。
結局、心配された台風12号は夜中に京都を通過、明け方には風雨も収まっていて
、滞りなく慶事は終わりました。(Iさん、お幸せに!)
真夏の奈良・京都、ちょっと疲れましたが、熱中症にも罹らず無事家路に着くことが出来ました。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (2)
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- comodoさん 2018/09/01 20:33:36
- 愛らしいお顔のわらべ地蔵
- morino296さん こんばんは
たくさんの旅行記を見ていただき、いいね!をありがとうございます。
実は、こちらの旅行記にコメント送ろうと思っていたんです。
さまざまな表情をしたお地蔵さん、なんてかわいいんでしょう!
深みのある苔の世界に愛らしい笑顔が、あちらにもこちらにも。
やはり、京都って風情がありますね・・・
高校の修学旅行の時、三千院の御殿門の前でみんなで撮った写真が
妙に記憶に残っています。
ずーっとずーっと昔の話。
三千院の門が、あの頃の雰囲気と全く変わっていません。
記憶の中と変わらない風景や建物は心が温かくなります。
comodo
- morino296さん からの返信 2018/09/02 07:38:30
- RE: 愛らしいお顔のわらべ地蔵
- comodoさん
おはようございます。
いつも有難うございます。
三千院、修学旅行の思い出の地でしたか。
わらべ地蔵は、いつごろから置かれているのか分かりませんが、
今では、三千院の人気スポットになっているようです。
この夏は厳しい暑さでしたが、
わらべ地蔵たちを包み込む苔も青々としていて安心しました。
庭を管理されている方々には、大変だったことと思いますね。
思い出の地、三千院、機会があれば再訪してみて下さい。
新たな発見があるかも知れませんよ。
大きな台風が接近しýているようですが、
各地で被害がないといいですね。
morino296
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