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妙覚寺は、北龍華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具足山及び京都十六本山の一つだそうです。南北朝時代、龍華院に日実上人によって、信徒で豪商・小野妙覚の四条大宮邸に創建され、その後、二条衣棚に移りましたが、豊臣秀吉による大規模な都市改造の際に、この地に移転しました。一時は、本能寺と共に織田信長の上洛時の宿とされ、千利休が茶会をここで催したとも言われています。

妙覚寺の法婆園・青紅葉の庭へ

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2018/05/11 - 2018/05/11

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belledune

belleduneさん

妙覚寺は、北龍華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具足山及び京都十六本山の一つだそうです。南北朝時代、龍華院に日実上人によって、信徒で豪商・小野妙覚の四条大宮邸に創建され、その後、二条衣棚に移りましたが、豊臣秀吉による大規模な都市改造の際に、この地に移転しました。一時は、本能寺と共に織田信長の上洛時の宿とされ、千利休が茶会をここで催したとも言われています。

旅行の満足度
4.0
  • この大門は、秀吉が天正18年(1590)に移設した聚楽第の裏門を寛文3年(1663)に移建したと寺伝に残されています。<br />西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈、唐門などと共に数少ない聚楽第の遺構となっています。城門特有の両潜門があり、梁の上には伏兵が配置できる空間があり、建築史上興味深い建物となっています。

    この大門は、秀吉が天正18年(1590)に移設した聚楽第の裏門を寛文3年(1663)に移建したと寺伝に残されています。
    西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈、唐門などと共に数少ない聚楽第の遺構となっています。城門特有の両潜門があり、梁の上には伏兵が配置できる空間があり、建築史上興味深い建物となっています。

  • 大門を入り、内側から門を見ています。

    大門を入り、内側から門を見ています。

  • 祖師堂

    祖師堂

  • 「法婆園」の唐門

    「法婆園」の唐門

  • こちらは大玄関になりますが、見学者は庫裏から入ります。

    こちらは大玄関になりますが、見学者は庫裏から入ります。

  • こちらが庫裏。

    こちらが庫裏。

  • 庫裏前の曲松

    庫裏前の曲松

  • 庫裏正面

    庫裏正面

  • こちらは大玄関

    こちらは大玄関

  • 大玄関前の踏石

    大玄関前の踏石

  • 大玄関内部奥に緑の庭が見えます。

    大玄関内部奥に緑の庭が見えます。

  • 庫裏内部

    庫裏内部

  • 庫裏玄関内部

    庫裏玄関内部

  • 日蓮宗の十莫

    日蓮宗の十莫

  • 内部から見た奥庭

    内部から見た奥庭

  • ここは法婆園ではありません。

    ここは法婆園ではありません。

  • 丸窓からの景色

    丸窓からの景色

  • 大玄関からの眺め

    大玄関からの眺め

  • 内部から見た大玄関天井

    内部から見た大玄関天井

  • 大玄関内部

    大玄関内部

  • 本堂

    本堂

  • 本堂縁上部軒

    本堂縁上部軒

  • 法婆園

    法婆園

  • 緑一色の法婆園

    緑一色の法婆園

  • 青紅葉が晴れたそれに見事です。

    青紅葉が晴れたそれに見事です。

  • 弘治2年の斎藤道三の遺言状のレプリカが掲げてありました。長良川の決戦前夜に死を覚悟した道三は、幼少の頃、この妙覚寺で得度出家し、その後油商人を経て、戦国武将となった下克上大名の典型でした。当山が19世日饒(にちじょう)上人が美濃領斎藤道三の息子であったことから、織田信長と関係が深く、信長は20数回の内、18回ここに宿泊しています。3回しか泊まらなかった本能寺で討たれたので、もしここで変が起こったなら、妙覚寺の変となっていたと言われています。

    弘治2年の斎藤道三の遺言状のレプリカが掲げてありました。長良川の決戦前夜に死を覚悟した道三は、幼少の頃、この妙覚寺で得度出家し、その後油商人を経て、戦国武将となった下克上大名の典型でした。当山が19世日饒(にちじょう)上人が美濃領斎藤道三の息子であったことから、織田信長と関係が深く、信長は20数回の内、18回ここに宿泊しています。3回しか泊まらなかった本能寺で討たれたので、もしここで変が起こったなら、妙覚寺の変となっていたと言われています。

  • 日蓮宗の御庭には、禅宗の枯山水のような定義は特にないそうです。紅葉を植えた「自然庭園」となっています。「あるがままが美しい」という諸法実相の教えを元に、手を加えず、掃除だけで守って来られた御庭出そうです。

    日蓮宗の御庭には、禅宗の枯山水のような定義は特にないそうです。紅葉を植えた「自然庭園」となっています。「あるがままが美しい」という諸法実相の教えを元に、手を加えず、掃除だけで守って来られた御庭出そうです。

  • 本堂内部

    本堂内部

  • 向こうに祖師堂の屋根が見えています。

    向こうに祖師堂の屋根が見えています。

  • 本堂横にある華芳堂<br />日蓮上人は、仁治4年(1242)頃から建長4年(1252)頃まで比叡山延暦寺を中心に高野山・四天王寺などで仏教の諸宗を学ばれ、その際に法華経を写経されて、石造の塔も納められ、密かに宗旨建立を誓願されました。織田信長が比叡山を焼き討ちしましたが、この石塔を見つけ、これを妙覚寺におさめたそうです。胴の背面に書写された法華経を納めた空間が彫りこんであります。後に、この石塔を納める木造多宝塔(華芳宝塔)が造られて、掛堂(華芳堂)も建立しました。

    本堂横にある華芳堂
    日蓮上人は、仁治4年(1242)頃から建長4年(1252)頃まで比叡山延暦寺を中心に高野山・四天王寺などで仏教の諸宗を学ばれ、その際に法華経を写経されて、石造の塔も納められ、密かに宗旨建立を誓願されました。織田信長が比叡山を焼き討ちしましたが、この石塔を見つけ、これを妙覚寺におさめたそうです。胴の背面に書写された法華経を納めた空間が彫りこんであります。後に、この石塔を納める木造多宝塔(華芳宝塔)が造られて、掛堂(華芳堂)も建立しました。

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