2018/05/11 - 2018/05/11
1873位(同エリア3566件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,494,151アクセス
- フォロワー63人
妙覚寺は、北龍華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具足山及び京都十六本山の一つだそうです。南北朝時代、龍華院に日実上人によって、信徒で豪商・小野妙覚の四条大宮邸に創建され、その後、二条衣棚に移りましたが、豊臣秀吉による大規模な都市改造の際に、この地に移転しました。一時は、本能寺と共に織田信長の上洛時の宿とされ、千利休が茶会をここで催したとも言われています。
- 旅行の満足度
- 4.0
-
この大門は、秀吉が天正18年(1590)に移設した聚楽第の裏門を寛文3年(1663)に移建したと寺伝に残されています。
西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈、唐門などと共に数少ない聚楽第の遺構となっています。城門特有の両潜門があり、梁の上には伏兵が配置できる空間があり、建築史上興味深い建物となっています。 -
-
-
-
-
-
-
-
-
大門を入り、内側から門を見ています。
-
祖師堂
-
-
「法婆園」の唐門
-
こちらは大玄関になりますが、見学者は庫裏から入ります。
-
-
こちらが庫裏。
-
庫裏前の曲松
-
庫裏正面
-
-
-
こちらは大玄関
-
-
大玄関前の踏石
-
大玄関内部奥に緑の庭が見えます。
-
庫裏内部
-
-
庫裏玄関内部
-
日蓮宗の十莫
-
内部から見た奥庭
-
ここは法婆園ではありません。
-
丸窓からの景色
-
-
大玄関からの眺め
-
内部から見た大玄関天井
-
大玄関内部
-
本堂
-
-
本堂縁上部軒
-
-
-
-
法婆園
-
緑一色の法婆園
-
青紅葉が晴れたそれに見事です。
-
弘治2年の斎藤道三の遺言状のレプリカが掲げてありました。長良川の決戦前夜に死を覚悟した道三は、幼少の頃、この妙覚寺で得度出家し、その後油商人を経て、戦国武将となった下克上大名の典型でした。当山が19世日饒(にちじょう)上人が美濃領斎藤道三の息子であったことから、織田信長と関係が深く、信長は20数回の内、18回ここに宿泊しています。3回しか泊まらなかった本能寺で討たれたので、もしここで変が起こったなら、妙覚寺の変となっていたと言われています。
-
-
日蓮宗の御庭には、禅宗の枯山水のような定義は特にないそうです。紅葉を植えた「自然庭園」となっています。「あるがままが美しい」という諸法実相の教えを元に、手を加えず、掃除だけで守って来られた御庭出そうです。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
本堂内部
-
-
向こうに祖師堂の屋根が見えています。
-
-
本堂横にある華芳堂
日蓮上人は、仁治4年(1242)頃から建長4年(1252)頃まで比叡山延暦寺を中心に高野山・四天王寺などで仏教の諸宗を学ばれ、その際に法華経を写経されて、石造の塔も納められ、密かに宗旨建立を誓願されました。織田信長が比叡山を焼き討ちしましたが、この石塔を見つけ、これを妙覚寺におさめたそうです。胴の背面に書写された法華経を納めた空間が彫りこんであります。後に、この石塔を納める木造多宝塔(華芳宝塔)が造られて、掛堂(華芳堂)も建立しました。 -
-
-
-
-
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
belleduneさんの関連旅行記
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
65