若桜・智頭から津山、美作・佐用、児島・井原線の旅(一日目)~鳥取駅発の若狭鉄道、因美線で、因幡街道の若桜往来、智頭往来の歴史ある街並みを訪ねる山間コース。ハイライトは藩主池田家に岡山時代から従ってきた石谷家の豪邸です~
2018/04/28 - 2018/04/28
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朝イチの便で鳥取空港に到着。今回は、ここから、中国山地を越えて津山経由、岡山児島に向かい、最後は井原線で福山に抜けるという四日間のコースです。
一日目は、若狭鉄道と因美線を使って、若狭から智頭。山間に入って行きますが、中国山地は比較的なだらかな地形なので、視界が極端に狭まることはない。日当たりがいい山道を進む感じもあって、明るい印象です。
最初の若桜宿は、戦国時代は若桜鬼ヶ城の城下町であり、江戸時代は鳥取と姫路を結ぶ因幡街道、若桜往来の宿場町。裏通りに入ると 蔵通りの白壁土蔵群や寺町に情緒が残りますが、まっすぐ長く続くメインストリートの市街も意外に印象的。今でも脇には小川が流れて清潔さが確保されていたりするのは地形的な条件も良かった証。かつての賑わいはありませんが、市街がこれだけ残っていることには十分それなりの理由があるでしょう。
続いての智頭宿は、鳥取と姫路を結ぶ因幡街道の智頭往来。若桜往来と並行した街道ですが、こちらは岡山へ続く備前街道への分岐点でもあります。
市街の観光の中心は石谷家住宅。元々は岡山で塩を商っていたというのですが、藩主、池田家の国替えに伴い岡山から移り住み、再び藩主の命により、今度は鳥取市からさらにこの智頭宿に移ってくる。山林で財を成したということなので、何かの特権があったのかもしれません。一帯は限られたエリアですが、昔の建物もあれこれと残っていて、丹念に訪ねると細かな歴史が辿れます。
最後は今夜の宿の津山に入ります。
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東京から朝一番のANAで鳥取空港へ。そのまま、鳥取駅に到着です。
ここから若桜に向かうのですが、待ち合わせの時間があるので、例によって、周辺の散策。
鳥取駅前食品市場は、鳥取駅からさほどの距離ではないのですが、ちょっと分かりにくいかな。地元の人に聞きながら訪ねました。 -
こじんまりしているのは否めませんが、野菜とか魚とかの生鮮食料を一通りそろえています。
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市場内に食堂もありますが不定休で、この日の営業も午後から。朝はやっていませんでした。残念でした。
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イチオシ
では、方針転換して、すなば珈琲にしましょう。
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入口はこれ。本当に砂場になってます。
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ところで、すなば珈琲は、鳥取でスタバが初めて出店する時、県知事が「スタバはないけど、すなばはある」とコメントして大うけ。地元を代表するカフェです。
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ここでモーニングをいただきます。地元の人より観光客の方が多いかな。トーストが分厚いし、付け合せもしっかり。それぞれ席の下に充電用のコンセントがあったりして、顧客のニーズもよく考えています。
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ここから、まちパル鳥取の一階にある鳥取市ふるさと物産館。お土産物屋さんとか軽食のコーナーがあるのは道の駅と同じ感じですね。
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一方で、助かるのはかなり余裕のある休憩エリア。ここは市街なので、こうした休憩所があるのは価値あり。用事がなくてもちょっと立ち寄る。そんな場所かなと思います。
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さて、若桜に向かうのは若桜鉄道ですが、まずはJR因美線から入る直行便。
因美線は、鳥取駅から東津山駅を結ぶ鉄道。郡家駅で若桜鉄道と分かれます。
鳥取市から因美線に乗るとたいていは途中の智頭駅が終点。津山駅に向かうにはここで乗り換えとなります。 -
若桜鉄道は、郡家駅と若桜駅を結ぶ第三セクターの鉄道です。
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これは、最近、走り出したばかりというきれいなレトロ列車。
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途中の駅や地域のことをあれこれ紹介してくれるボランティアの人が同乗していて、これは楽しい。
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意外なところで旅気分が高まりました。川沿いを走る景色にもほのぼの。これもお勧めです。
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あっという間に若桜駅に到着。ここから市街を散策です。
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道の駅若桜は、若桜駅から歩いて数分。市街中心部の反対側ですが、遠くないので、無駄はないですね。
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山の中なので、
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コゴミやコシアブラといった山菜が豊富に並んでいて、これは価値あり。天ぷらにするとうまいんですが、ただ、それを知らないとあんまり目が行かないかもしれません。
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若桜郷土文化の里に向かう途中。
若桜は山の中で自然も豊かなのに公園って何かなあと思ったら、市街から川を越えたところにある中之島公園は、大きな滑り台が設置されていたり、児童遊園でした。これなら、子供たちも安心して遊べる。周囲もきれいに整備されているし、よく利用されているように感じます。 -
若桜郷土文化の里は、若桜の市街地から少し山の方に行ったところ。敷地内には、若桜町歴史民俗資料館、たくみの館、三百田氏住宅といった施設に、無動山永福寺の山門が移築されていたり、やや雑多ですが、若狭の街を紹介する特徴的なものが集められています。すべて無料の施設だし、勝手に上がり込んで拝見するスタイル。気楽な観光を楽しめます。
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で、たくみの館は、若桜郷土文化の里に入ってすぐ。一番手前の施設です。
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若桜の地場産業の一つ
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木工製品を紹介していましたが、
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それよりも展示スペースを広く使っていたのは、川柳の関係。地元では川柳が盛んなようで、数々の賞を取ったトロフィーなど。木工製品に川柳という組み合せもユニークです。
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その隣が三百田氏住宅。
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元禄7年(1694年)に建てられた庄屋の家を復元したもので、
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茅葺平屋建てのシンプルな建物。
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玄関入ってすぐの土間の片隅には
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牛小屋もあったり、
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黒光りのする板間にいろりなど。かつての山里の暮らしがそのまま感じられる。掃除もよく行き届いていて、中は快適。上がって、あちこち歩き回って、住み心地を想像したりしました。
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無動山永福寺の山門を過ぎて、
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一番奥に建つのが若桜町歴史民俗資料館。
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明治40年から昭和56年まで銀行として使われていた建物を復元したものというのですが、カウンターとかはないので
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今の銀行のイメージとは違って、いわゆる商家の建物。かつては、町々にあった零細な銀行の典型でしょう。
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展示品は
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甲冑から祭り道具。
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枕や食器などの生活道具類まで。街に伝わるあれこれを集めたコレクションです。
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イチオシ
ほか、裏庭がけっこう美しくて和みました。
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再び、市街に戻ってきまして。
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これがメインストリート。一直線に続く街並みはちょっと珍しいかも。
防衛の視点はあんまりなかったんでしょうか。 -
市街にはちょこちょこ観光客向けの施設があって。
これは、昭和おもちゃ館。昔の駄菓子屋さんみたいなレトロ感ですね。 -
もう一つは、若桜民工芸館。
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玄関からすぐ奥はおびただしい数の土鈴。
土鈴はこの辺りの代表的な民芸品なのかなとも思ったのですが、そういうことでもないよう。民芸品のいちジャンルとしてのコレクションだということでした。 -
ただ、ここの見どころは
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イチオシ
むしろ、建物と路地庭園。
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悠々とした室内の空間は
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豪華さというほどではないにせよ、
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イチオシ
当時の豊かな暮らしを想像させるもの。
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人や物が十分に行き来していたことの証でしょう。
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そして、今でもそこそこの街並みが残って、立派な鉄道も残っている。
変な話、鳥取県でも米子の衰退は目に余るくらいなのに、鳥取市の周辺、東部はそうでもない。その違いはなんなのか。考えさせられるものがあるように思います。 -
市街の散策を続けます。
宮本製菓は、若桜の旧宿場町の通りの中ほどにある小さな和菓子屋さん。 -
ショーケースには生菓子がいくつか並んでいましたが、
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わかさ最中というのをいただきました。淡いピンクの桜の形をした最中。
餡子は白餡。すっきりとした味わいでした。名前は単純ですが、その分かりやすさも悪くないと思います。 -
ところで、若桜は若桜街道の宿場町だけでなく、歴史的には若桜鬼ヶ城というのも重要です。
城は、鎌倉時代の初めの正治2年(1200年)、矢部氏によって築かれたのが始まり。矢部氏は16代の城主が続き、この地を治めました。若桜の市街の背後にそびえる山の上で、市街から直接登る道もなくはないのですが、かなりの険しさらしく。。市街からは反時計回りで山の裏側に回る自動車道で4キロほど進んで、駐車場から登るのがポピュラーなアクセス方法です。 -
ただ、私はナビで調べたら、市街から直接登る道が示されたので、
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それをたよりにウロウロ。しかし、道は行き止まりになってしまい、断念しました。ナビだとこんなこともよくあるんですが、ご注意を!
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昼飯もここで食べていきましょう。
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通りの脇には川が流れていて、清潔さを保っています。
ほどよい高低差があってできることなんですが、これも市街をここに作る時の大事な条件の一つだったんだろうと思います。 -
ダイニングカフェ 新は、旧若桜宿の通りの中ほど。かつてはお医者さんの家だったという邸宅を利用した町家レストランを町が借りて、レストランとしてオープンしました。
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外観ではそうまでも思わなかったのですが、玄関を入ると
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イチオシ
重厚な造りのどっしりとした建物だということに気が付きます。玄関から板間の空間に建つだけでも独特の気持ちよさがありますね。
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靴を脱いで上に上がります。
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ミニ豚重をいただきましたが、なんだか野菜も生き生きして田舎らしい健康的な味わい。子供の面倒を見ながらの若い夫婦が切り盛りしていて、それもアットホームな感じで悪くない。多くのお客さんで賑わうのも当然かなと思います。
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ここから、もう少し歩いて。
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弁天まんじゅう本舗は、弁天まんじゅうという米粉の饅頭一本でやっているお店。若桜の市街の端っこです。
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店内に入って、
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ばら売りをいただきます。
ほー。米粉の皮だともっちり感には限界があるものなんですが、ここの饅頭はしっかりした弾力があって、本物のお餅に負けないくらい。さすが、これだけで勝負するだけのことはありますね。若桜に来たら、これを食べないわけにはいかないでしょう。なお、さっきの道の駅でも取り扱っていますので、そちらでもどうぞ。 -
そして、最後は若桜神社へ。若桜市街の外れですが、中心部からだと歩いて10分足らず。さほど遠くはありません。
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若桜鬼ヶ城初代城主矢部氏による創建とされ、若桜の街の歴史とは重なる神社でしょう。
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鳥居から山の斜面を上って行く石段の参道は緑が濃いし、途中に赤い山門があったりして格調も感じます。
5月2~3日に行われる大祭もあるようです。
以上で、若桜はおしまい。 -
智頭に向かう途中、郡家駅では30分弱の待ち合わせ時間。
途中下車して、ここでも周辺散策をしてみます。 -
安藤井手は、地元の豪農、安藤伊右衛門が水不足解消のため私財を投げうって完成させた水路。3年の月日をかけて全長10.8kmを開削しました。その水路がどこかはよく分かりませんでしたが、安藤伊右衛門の顕彰碑というのがあって、その偉業を詳しく紹介していました。
地元の人に話を聞くと今でも「安藤伊右衛門さんね」みたいによく知られた存在。それにも少し驚きました。 -
続いては、甘味屋さん。坂の上の方に構える立派な店舗で、
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店内も老舗の匂いがプンプン漂います。
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いただいたのは、上用饅頭。芋がけっこうたくさん入っているんでしょう。もっちり感が半端ではない。上用饅頭としてはちょっと極端な感じがしなくはないんですが、それも個性でしょうか。手を抜かない作りの証かもしれません。
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そして、今日の最終目的地、智頭に到着。
智頭は智頭農林高等学校もあったり、若桜と比べるとずっと大きな街。先ほども触れましたが、因美線の乗換駅だし、交通の要衝といった位置づけもあるでしょう。 -
智頭駅から歩きだして。
常盤堂は、智頭の市街の真ん中。智頭駅から石谷家に向かう途中です。 -
いただいたのは、智頭名物というどら焼き。ちょっと小さめですが、この餡子がいいですね。見た目は粒餡の粒々がしっかり残っていますが、でも食べると柔らかな仕上がり。甘さも存在感があって、あれっという感じ。何でもないお店のようでしたが、なかなかレベル高いです。
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川を渡って。
観光スポットが集まるのは川向こうです。 -
市街に入ると、標識があちこちに。
智頭は、因幡街道と備前街道が合流する場所。因幡海道は姫路、備前街道は岡山へ向かいます。そして、因幡街道の方は参勤交代の道であったことから、智頭往来と特別な名前で呼ばれた道。この辺りからがまさに智頭往来。標識もなんだか誇らしげです。 -
旧塩屋出店は、後でうかがう石谷家の分家。石谷家は元々は塩を扱っていた商家でした。
建物内には食事処があってももう営業が終わっていたのですが、 -
裏の庭は自由に入れるので問題なし。
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そして、その庭の一角に建つのが西河克己映画記念館です。
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イチオシ
元々は戦前に建てられた結核療養施設だったようですが、
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今では地元出身の映画監督、西河克己氏から映画関係の資料の寄贈を受け、
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映画記念館となりました。
小さな建物ですが、展示品は意外に豊富。 -
「絶唱」「伊豆の踊子」「青い山脈」「潮騒」などの代表作のポスターだけでなく、
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主演をした山口百恵、三浦友和からの手紙といった、貴重なお宝もさりげなくあって
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西河克己の人間的な大きさも想像されるように感じました。
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ただ、映画の題名はよく知っていても、西河克己の名前はあまり認知されていないような。
一方で、映画の名前よりむしろ監督の名前の方がよく知られているようなパターンもありますから、その辺りにも何かスタンスの違いがあるのかもしれません。 -
旧塩屋出店の隣が米原邸。智頭往来と備前街道の辻に建つ、目を見張るほど豪華なお屋敷です。
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イチオシ
表に「木綿屋」とあって、かつては木綿を扱っていた名残りでしょうか。
内部は非公開で外観を確認できるだけですが、建物は見事なむくりの屋根。赤瓦と格子の窓もちょっと気品が漂っています。 -
これが智頭往来。かつてのメインストリートというところでしょうか。石畳で、そこがわずかに名残です。
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その通り沿いに構えるお屋敷が、石谷家住宅。智頭の観光では一番の目玉です。
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元々は岡山で塩を営む商家だったのですが、
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藩主池田氏の領地替えに従って鳥取に移ると今度は鳥取から智頭に移る命を受け、この地で木材業を興し財を成す。
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この大木を惜しげもなく使った建物は、なんでしょうねえ。
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イチオシ
こんな広い空間を持った建物はどこかの大寺みたい。堺で似たような建物を見ましたが、それは代官所の役割を持った建て物で土間はお白州の役割を持つものでした。こちらのこの途方もない空間はそうではないでしょうし、一体どういう目的なんでしょうか。
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私の推量ですが、実は、何かの役割があったのではなくて、これはいわばショールームだったのではないか。木材を取引する際にこの建物を見せることで、こんな使い方があるよとアピールしてみせる。そうした商売の目的のためだったのではないか。
つまり、財を成したのは商売上手でもあった石谷家の手腕。私なりにそこから想像を膨らませてみたのですが、いかがでしょうか? -
そして、裏の日本庭園も想像以上の迫力。
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イチオシ
ボランティアガイドの方から、智頭の観光振興のために自慢の自宅を町に無償提供したのだという話もあって、
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石谷家は地元から今でもリスペクトされている存在だということも知りました。
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それにしても、母屋と一体になった日本庭園は豊かな水をたたえて
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悠々としたもの。
住人だけがこっそり楽しむというには、あまりにももったいない。それを惜しげもなく提供していただいた石谷家の方には感謝するしかないでしょう。 -
基本は座観式だと思いますが、少し散策ルートもあって、
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庭の奥の方にも入れます。
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あっちから見たり、こっちから見たり。
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これは一段高い場所から。
こういう場合、庭に込めた物語とかメッセージとかを感じようとするんですが、むしろ、石谷家の変遷の歴史こそが物語であり、メッセージ。
しかし、頭の整理をするにはもう少し時間がかかるように思います。 -
さて、改めて、邸内へ。
さっきの巨大空間から入ります。 -
室内を
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巡って、
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これはさっきの池に面していた離れ。
書院のハート形みたいな意匠も面白いですね。 -
赤いテーブルも堆朱風ですね。
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続いては二階へ。
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建物が軒を競うように立ち並んでいます。
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欄間は大山。
仏師に彫らせたもののようです。 -
また一階に降りて、路地庭園を臨む客間です。ちょこちょここだわりもありますが、全体としては自然な佇まい。無理をしたところがありません。
やっぱり、基本的な家屋の構造のところで手をかけていますから、余裕、余裕。細かいことにこだわっても意味はありません。 -
母屋を出て
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蔵のギャラリーの方へ。
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展示品は少なめですが、上品な趣。
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田舎のお金持ちだと、あれこれ何でも集めてしまって見苦しいコレクションになることが多いのですが、これは好きなものだけを集めるという最低限の審美眼が主人に備わっていたことも窺われる。
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そんな感じも受けました。
清々しい印象です。 -
石谷家を終えて。。ここからしばらくマイナースポットをチェックします。この一角は限られた場所にあれこれとあるんですよね。
智頭消防団本町分団屯所は、石谷家住宅の通りを挟んだ向かい側。見晴らし台を備えたレトロな木造建物です。 -
無人ですが、自分で中に入って奥の階段から二階へ。
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意外に広いスペースがあって、昔の智頭の風景を伝える写真とかがちょこっと展示されていました。
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諏訪神社は、参道を山の方に上って行きます。
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始めは細い粗末な参道でしたが、鳥居を入った辺りから、もう一段高い場所にある本殿までの境内はさすがかつての鳥取藩主池田家の祈願所。
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歴史を積んだ雰囲気と悠々とした広さがあって、
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社殿はうっそうとした紅葉の大木に囲まれている。けっこういい感じです。
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興雲寺は、禅宗のお寺で、石段を少し上がると赤い屋根の櫓門のような山門。ちょっと個性的ですね。
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そうなると本堂の方も気になったのですが、あいにくこちらは工事中。鳥取池田藩の藩主、池田光仲の父、忠雄(ただかつ)の位牌が安置されたことで寺領が安堵されたという歴史もあるようです。
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下町公民館は、今は公民館ですが、かつては智頭町役場。大正時代に建てられた地方の洋風庁舎建築。木造二階建、寄棟造の正面に玄関ポーチを設けるくらいのシンプルな意匠。大きさもむしろかわいらしいくらいの大きさです。
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諏訪酒造は、石谷家住宅の前の因幡街道を少し北に歩いた辺り。地元の酒蔵です。
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女将さんが一人で留守番をしている限られたスペースの販売所があるだけで、酒蔵の見学とかはありません。銘柄は「諏訪泉」。試飲のコーナーもありました。
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中町公民館は、本陣跡の広場。因幡街道の裏手の筋になります。
今は公民館ですが、かつては個人病院。大正時代に建てられた木造二階建、寄棟造は外観は洋館でも内部は和風という擬洋風建築です。下町公民館と比較するとこちらの方が保存状態はいいような。ペンキの少し青みがかった白が鮮やかです。 -
智頭は智頭往来と言われた参勤交代の道。石碑の傍らに案内板があるだけで、建物等は何も残ってはいませんが、案内によれば。。
ここは、藩政時代、鳥取藩主池田候が参勤交代で江戸に上る旅の宿所。鳥取からの最初の宿所で、初代藩主光仲から幕末の慶徳まで、214年間(178回)使用されたとありました。
智頭宿御本陣平面図も示されていましたが、かなりの規模の施設だったことが窺われました。 -
桜土手は、さっきの千代川の川端に出たところ。
まあまあの大木で、一番手前の交差点が旧智頭宿の入口となっていますが、智頭駅から向かうとあまり関係ない。位置的にはわざわざ行く形になるので、ちょっと面倒くさいかもしれません。 -
智頭駅の近くに戻ってきて、これから今夜の宿の津山に向かいます。
ただ、まだ列車の時間があるので駅の前にあるこの立派な観光案内所にも寄ってみます。 -
智頭のイラストマップでさっき回った場所を再確認。
西河克己の映画のロケ地となった場所もいくつかあるようでした。 -
とっこ処は、智頭駅前のホルモンそばのお店。今夜の宿の津山に向かう列車の中でいただこうとテイクアウトでそれを買いました。
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鉄板の上でホルモンをジュージュー焼いて、キャベツやもやしと合わせていきます。少し独特のピリ辛ソースでまとめて、なるほど、なるほど。B級グルメではあるのですが、意外にちゃんとした味わい。きちんとおいしいです。
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津山に到着すると、もう日が暮れていました。
市街の中心は駅から川を越えた向こう側です。 -
津山市内のお店はどこも閉まるのが早いのですが、ら・めーるは日が暮れてからも開いていました。
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ただ、店内に入るとショーケースには何もない。あれっと思ったら、もう奥にしまったんだとか。
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シュークリームもありますということでそれにしました。値段はちょっと高めですが、カスタードと生クリームの二重構造。手がかかっているなというシュークリームでした。
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そして、鶴聲庵へ。こちらは、津山の知る人ぞ知るの名店。看板商品の「千本桜」は、津山城の桜をモチーフにしたお菓子ですが、婦人画報にも掲載されたという逸品です。
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取り置きをしておいてもらったので、それを受け取りに行きました。
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イチオシ
箱を開けると
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スティックの形をした千本桜。白い砂糖で景色を作った麩焼き煎餅で、もっちりした求肥餅を包んでいます。お茶の席でこれが出てきたら、しばらく眺めていても見飽きないんじゃないかというような趣ある形。求肥が少し塩味っぽい感じなのも、ちょっとサプライズでいい変化。ひねりの効いた奥深い味わいになっていると思います。
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泊まりはこの津山グランドホテル。津山駅からは比較的近く。市街に向かう川を渡らない手前のエリアなので、余計近く感じるかもしれません。建物も比較的遠くから見えるので安心感もあるでしょう。
部屋は別館の方。安いコースだったのでそうだったのかなと思いますが、そちらは人けがなくてちょっと寂しい。まあ、泊まるだけなので問題はないと思います。
明日は、津山市内の散策。自転車を借りて回る予定です。
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