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市中山・江浄寺(こうじょうじ、静岡県静岡市清水区江尻東)は徳川家康の嫡男岡崎信康(おかざき・のぶやす、1559~1579)の遺髪がその境内に奉じられ、供養塔が建てられている浄土宗の寺院です。<br /><br />信康は義父織田信長から武田方に内通の懐疑が懸けられ、天正7年(1579)遠江国の二俣城にて徳川家の安泰を願って自害となります。<br /><br />岡崎城主の信康に傳役として仕えていた榊原清政(さかきばら・きよまさ、1546~1607、-徳川四天王の一人である榊原康政の兄)は信康自害後、弟の康政が配せられた上野国館林の屋敷で蟄居している中、慶長11年(1606)大御所として駿府に退いた家康の招きにより久能山城主となります。<br /><br />その際清政はかつての主である信康の遺髪を譲り受け江浄寺の境内に埋めてその霊を祀ったと言われています。<br /><br /><br />山門をくぐり供養塔を過ぎると長い説明板が立っており、その中に「江浄寺と岡崎三郎信康卿」と題した長文の説明が付されています。<br /><br />「 江浄寺と岡崎三郎信康卿<br /><br />徳川家康公が、まだ今川氏の人質として府中(静岡)にいた時、今川氏の一族の娘をめとりましたが(これが後に「築山御前」と言われた方です)、この方との間に一男を設け、長じて後に岡崎三郎信康と称しました。<br /><br />甲斐の武田信玄は、三遠(三河・遠江)の地に、徳川家康とよく争いました。そのため、家康は、隣国の雄、織田信長と結び、火急の場合は救援を得ようとして政略結婚を計り、信康を信長の娘と結婚させました。ところが、信康は豪放ですこぶる剛勇な人でしたので、神経の鋭い猜疑心の深い信長とは和合しなかったようでした。たまたま母親の築山殿と共に武田方に内通していると噂されたので、信長の怒りを買い「不肖なのは、三郎信康なり」と信長はしきりに、父家康に、我が子信康を討つようにと強硬に申し入れたのでした。家康は信康の人となりを信じていましたが、止むを得ず、当時、信康のいた遠州二俣城に討人を向けて、心ならずも犠牲にしてしまいました。<br />それは天正7年9月15日のことでした。<br /><br />信康に仕えていた榊原七郎右衛門清政は、信康の亡きあと、上州館林に蟄居していましたが、慶長11年家康に召されて、久能城の主を命ぜられましたが、その折、信康の遺髪を譲り受けまして、江浄寺に奉りました。<br /><br />家康は、府中に隠居後も、度々人を遣わして過ぎし日の非道を詫びていました。更には家康が没し、駿府城が幕府の留守番城となった後も、徳川家では代参をたててその霊を弔うことを忘れませんでした。<br /><br />そして、三代将軍家光の代に至っては、江浄寺の紋章に葵の御紋の使用を許可して、此の地方の寺院の顔とさせました。当時は、江浄寺に駿府から代参人が、上土まで輿で来て舟に乗り巴川を下り、仲町家(今の清水銀座)にて下船し、江浄寺に参入したとのことです。<br /><br />こうして江戸時代は、江浄寺の前を通る参勤交代の西国の諸侯は、すべて当地を過ぎる時(今の伝場町通りが東海道であった)必らず、大名行列を一旦止めて、当山を参詣することを例としていたと言われます。<br /><br />又、当時において法会を営む時は、駿府城より警護の士を派遣されたということでした。御宝塔は、山門を入ってすぐ左手に、又、御位牌、本堂の奥の位牌堂の中心に安置してございますので、心あらば、お線香でも手向けて頂ければ、徳川家の為に、若くして犠牲となって散っていった信康卿の御霊も、さぞかし喜ばれることでありましょう。」<br /><br />

駿河清水 武田氏に内通と信長に疑われ自刃に追い込まれた家康嫡男信康の遺髪を境内に埋め五輪塔を建て供養したといわれる『江浄寺』散歩

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2018/03/25 - 2018/03/25

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滝山氏照

滝山氏照さん

市中山・江浄寺(こうじょうじ、静岡県静岡市清水区江尻東)は徳川家康の嫡男岡崎信康(おかざき・のぶやす、1559~1579)の遺髪がその境内に奉じられ、供養塔が建てられている浄土宗の寺院です。

信康は義父織田信長から武田方に内通の懐疑が懸けられ、天正7年(1579)遠江国の二俣城にて徳川家の安泰を願って自害となります。

岡崎城主の信康に傳役として仕えていた榊原清政(さかきばら・きよまさ、1546~1607、-徳川四天王の一人である榊原康政の兄)は信康自害後、弟の康政が配せられた上野国館林の屋敷で蟄居している中、慶長11年(1606)大御所として駿府に退いた家康の招きにより久能山城主となります。

その際清政はかつての主である信康の遺髪を譲り受け江浄寺の境内に埋めてその霊を祀ったと言われています。


山門をくぐり供養塔を過ぎると長い説明板が立っており、その中に「江浄寺と岡崎三郎信康卿」と題した長文の説明が付されています。

「 江浄寺と岡崎三郎信康卿

徳川家康公が、まだ今川氏の人質として府中(静岡)にいた時、今川氏の一族の娘をめとりましたが(これが後に「築山御前」と言われた方です)、この方との間に一男を設け、長じて後に岡崎三郎信康と称しました。

甲斐の武田信玄は、三遠(三河・遠江)の地に、徳川家康とよく争いました。そのため、家康は、隣国の雄、織田信長と結び、火急の場合は救援を得ようとして政略結婚を計り、信康を信長の娘と結婚させました。ところが、信康は豪放ですこぶる剛勇な人でしたので、神経の鋭い猜疑心の深い信長とは和合しなかったようでした。たまたま母親の築山殿と共に武田方に内通していると噂されたので、信長の怒りを買い「不肖なのは、三郎信康なり」と信長はしきりに、父家康に、我が子信康を討つようにと強硬に申し入れたのでした。家康は信康の人となりを信じていましたが、止むを得ず、当時、信康のいた遠州二俣城に討人を向けて、心ならずも犠牲にしてしまいました。
それは天正7年9月15日のことでした。

信康に仕えていた榊原七郎右衛門清政は、信康の亡きあと、上州館林に蟄居していましたが、慶長11年家康に召されて、久能城の主を命ぜられましたが、その折、信康の遺髪を譲り受けまして、江浄寺に奉りました。

家康は、府中に隠居後も、度々人を遣わして過ぎし日の非道を詫びていました。更には家康が没し、駿府城が幕府の留守番城となった後も、徳川家では代参をたててその霊を弔うことを忘れませんでした。

そして、三代将軍家光の代に至っては、江浄寺の紋章に葵の御紋の使用を許可して、此の地方の寺院の顔とさせました。当時は、江浄寺に駿府から代参人が、上土まで輿で来て舟に乗り巴川を下り、仲町家(今の清水銀座)にて下船し、江浄寺に参入したとのことです。

こうして江戸時代は、江浄寺の前を通る参勤交代の西国の諸侯は、すべて当地を過ぎる時(今の伝場町通りが東海道であった)必らず、大名行列を一旦止めて、当山を参詣することを例としていたと言われます。

又、当時において法会を営む時は、駿府城より警護の士を派遣されたということでした。御宝塔は、山門を入ってすぐ左手に、又、御位牌、本堂の奥の位牌堂の中心に安置してございますので、心あらば、お線香でも手向けて頂ければ、徳川家の為に、若くして犠牲となって散っていった信康卿の御霊も、さぞかし喜ばれることでありましょう。」

交通手段
JRローカル
  • 江尻宿案内地図

    江尻宿案内地図

  • 江浄寺(全景)

    江浄寺(全景)

  • 江浄寺・参道

    江浄寺・参道

  • 江浄寺・寺門<br /><br />参道の入口には「浄土宗 市中山 江浄寺」と刻された石門が立っています。

    江浄寺・寺門

    参道の入口には「浄土宗 市中山 江浄寺」と刻された石門が立っています。

  • 江浄寺・山門<br /><br />山門からは入場できません。右側の駐車場側から入るしかありません。

    江浄寺・山門

    山門からは入場できません。右側の駐車場側から入るしかありません。

  • 松平信康公菩提所<br /><br />山門の脇には「徳川信康公菩提所 市中山 江浄寺」と刻された石標が立っています。

    松平信康公菩提所

    山門の脇には「徳川信康公菩提所 市中山 江浄寺」と刻された石標が立っています。

  • 江浄寺・本堂<br /><br />

    江浄寺・本堂

  • 岡崎信康・供養塔(全景)

    イチオシ

    岡崎信康・供養塔(全景)

  • 岡崎信康供養塔(近景)

    イチオシ

    岡崎信康供養塔(近景)

  • 岡崎信康法名<br /><br />信康は天正七年九月十五日、遠州二俣城にて自刃、法名は「謄雲院殿隆厳長越大居士」です。<br />

    岡崎信康法名

    信康は天正七年九月十五日、遠州二俣城にて自刃、法名は「謄雲院殿隆厳長越大居士」です。

  • 岡崎家康供養塔(遠景)

    岡崎家康供養塔(遠景)

  • 岡崎信康供養塔・説明板<br /><br />境内の一角に江浄寺と岡崎信康に関する長い説明板が建てられています。

    岡崎信康供養塔・説明板

    境内の一角に江浄寺と岡崎信康に関する長い説明板が建てられています。

  • 「市中山 長光院 江浄寺の歴史」説明文

    「市中山 長光院 江浄寺の歴史」説明文

  • 「江浄寺と岡崎三郎信康」説明文

    「江浄寺と岡崎三郎信康」説明文

  • 岡崎信康戒名<br /><br />当該説明では「平岩親吉と清政の女の二人で信康の遺髪を奉じて、江浄寺に埋葬し、松の樹を植えて五輪の塔を建てた」としています。<br /><br />

    イチオシ

    岡崎信康戒名

    当該説明では「平岩親吉と清政の女の二人で信康の遺髪を奉じて、江浄寺に埋葬し、松の樹を植えて五輪の塔を建てた」としています。

  • 江浄寺・本堂

    江浄寺・本堂

  • 徳川家家紋<br /><br />三代将軍家光の時代に葵の御紋の使用が許可されます。

    徳川家家紋

    三代将軍家光の時代に葵の御紋の使用が許可されます。

  • 江浄寺境内風景<br /><br />本堂から山門方向を見据えます。

    江浄寺境内風景

    本堂から山門方向を見据えます。

  • 江浄寺・鐘楼

    江浄寺・鐘楼

  • 鬼瓦

    鬼瓦

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