2018/01/06 - 2018/01/28
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hy-2217さん
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以前からずっと、頭の隅っこに残っていた「パンチボウル(Punch bowl):国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)」は、近くて遠い観光名所になっていました。
以前は、ツアーバスを利用すれば簡単に下車観光が出来たのですが、いつ頃からか、ツアーバスは車窓観光のみとなっています。
下車観光をしたければ、レンタカーを利用するか、タクシーを利用するしか方法がありません。
悶々としていたところ、J社の「オリオリ・スニーカー 2階建てバス」で「歴史探訪コース:ハワイ王国8人の王ゆかりの地と、パンチボウルを巡る!」ツアーがあることを知りました。
アラモアナ・センター~ホノルルミュージアム・オブ・アート~ハワイ州庁舎~セント・アンドリュース大聖堂~パンチボウル~イオラニ宮殿~カメハメハ大王像~アラモアナ・センターをすべて車窓観光、約50分で周遊するコースです。
パンチボウルだけは、下車観光したいところですが、贅沢なことは言っておられません。
折角のチャンス、躊躇することなく参加しました。
「アッ」という間の50分でしたが、26年振りに見た「パンチボウル」は神聖・厳粛な空気が漂っていました。
よろしければ一見していただければ有難く思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ハワイアン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
※アラモアナ~ダウンタウン~パンチボウル周辺の地図です。
「パンチボウル」は「ハワイ州庁舎」のすぐ北側にある広大なクレーターです。 -
オリオリ・ステーション・アラモアナを出発した「2階建てバス」は、先ず、「ホノルル・ミュージアム・オブ・アート」の正面に到着しました。
-
「ホノルル・ミュージアム・オブ・アート」を通過した2階建てバスは、やがて、「ハワイ州庁舎」に到着しました。
-
「ハワイ州庁舎」を過ぎると、すぐ近くにある「セント・アンドリュース大聖堂」の正面にやって来ました。
これから2階建てバスは、Lusitana St.~Auwaiolimu St.~Puowaina St.~Puowaina Dr.を経由して、「パンチボウル」目指して進んで行きました。 -
これから行こうとしている「パンチボウル」は、空から見るとこのような景色です。
手前の白い壁がある砦のように見える所が「展望台」です。展望台からは、ホノルル国際空港~ダウンタウン~カカアコ~アラモアナ~ワイキキ・ホテル群~ダイヤモンド・ヘッドを見ることができます。
※参照:Punchbowl・・・From the Skies Above Oafu(1999年版)
【パンチボウル(Punchbowl):国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)の豆知識】
約47万平方メートルもある広大なクレーター内に、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した3万人以上のアメリカ軍兵士らの魂が眠る墓地です。
その形がフルーツパンチなどを入れるボールの形に似ていることから「パンチボウル」と呼ばれています。
クレーターは昔、首長一族の埋葬地として使われていたと言われています。
現在の墓地は1964年に造成されたそうです。
米国の国立墓地は、「パンチボウル」と「アーリントン」の2ケ所のみと言うことです。
毎年5月の最終月曜日はメモリアルデーで、追悼式が営まれています。
ここには第二次世界大戦のイタリア前線で戦った日系二世だけで編成された大隊と連隊の戦死者も眠っています。
日本軍の真珠湾攻撃で厳しい立場になった彼らは、そのような偏見を打ち返すべく、アメリカ軍隊の中で最も活躍し、多くの勲章を受ける戦果を上げました。
同時に、隊の戦死者率もアメリカ軍隊の中で最も高かったということです。
現在、パンチボウルには軍人だけでなく、1986年にスペースシャトル「チャレンジャー」号の事故で亡くなったハワイ出身の宇宙飛行士「エリソン・オニズカ」氏や昨年4月にホノルル国際空港名になったダニエル・K・イノウエ上院議員(第二次世界大戦でアメリカ陸軍に従軍した陸軍大尉)も埋葬されています。
また、「パンチボウル」は古来ハワイ語では、「Puowaina(プオヴァイナ)」と呼ばれてきました。その意味は「いけにえの丘」と言われ、このクレーターの縁には、その上で無数のいけにえが燃やされた大きな祭壇があったそうです。
今でも「Puowaina」と言う名は、墓地に通ずる道路の名前「Puowaina Drive」として残っています。
余談になりますが・・・。
今、ツアーバスでパンチボウルを訪れた場合は、停車・下車できずスルーするだけになっています。しかし、レンタカーやタクシーを利用すると下車観光は可能となっています。
いつ頃からそのようになったのか? 何故、そのようになったのか?
ハワイで日本の或る旅行会社の人に聞きました。
”いつ頃からかは定かではありませんが、理由は、或る時、日本人観光客が墓石の上を歩いていた。それを見た、現地の人が怒り、今のルールになったらしい。
観光客が墓地に対する知識が無知であったのか、旅行者がハワイ旅行で浮かれてはしゃぎ過ぎたのか、非常に残念な結果になった”と言うことでした。 -
国立太平洋記念墓地正面にある、国の歴史的建造物に指定されている高さ30フィートの「女神像」。
26年振りに見る「女神像」は、今はどのようになっているのだろうか?
過去と随分変わっているのだろうか?
非常に気になるところでした。
※参照:真珠湾とアリゾナ記念館 写真で見る戦史(1982年版) -
2階建てバスは、セント・アンドリュース大聖堂~Lusitana St.~Auwaiolimu St.~Puowaina St.を通って、Puowaina Dr.の近くまでやって来ました。
道路の正面には、「国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)」の案内標識が設置されていました。
※参照:昔のハワイ/1978年のパンチボウルから眺めたホノルル -
案内標識を拡大するとこのようになっています。
※参照:昔のハワイ/1978年のパンチボウルから眺めたホノルル -
Puowaina Dr.の緩やかな坂道を上っていくと、「国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)」のゲートがありました。
※参照:昔のハワイ/1978年のパンチボウルから眺めたホノルル -
2階建てバスは、左手、遥か遠くに「ダイヤモンド・ヘッド」を眺めながら緩やかな坂道を上って行きました。
-
写真中央、遥か遠くに見える建物は、おそらく「カカアコ」周辺のビル群だと思います。
-
2階建てバスは、「国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)」の正面に到着しました。
※参照:昔のハワイ/1978年のパンチボウルから眺めたホノルル -
芝生&樹木の鮮やかな緑色、澄み切った空気、厳粛な雰囲気は、墓地と言うより、静かな、落ち着いた公園のようでした。
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きれいに整備された芝生には、戦没者たちの墓石が埋められています。
墓地には、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した3万人以上の兵士や祖国のために命を捧げた人達など、4万人以上の魂が眠っています。 -
墓地の正面には、「国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of The Pacific)」のシンボルとなる「女神像」が見えてきました。
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本来ならば下車観光をして、26年振りに、「女神像」を見てみたい、その裏に展示されている「戦争の歴史を語る資料パネル」を見てみたい、パンチボウルの丘に登って「ホノルル市内を一望」したい、という気持ちは十分ありましたが、下車観光は不可のため、車窓から眺めました。
今回は、下車観光が出来ず確認できませんでしたが、「女神像」に登る階段の両脇には石の厚板が並び、戦没者の名前が刻まれています。 -
2階建てバスから見た「女神像」は、26年前と何ら変わっていませんでした。
余程、手入れが行き届いているのでしょうか、年月の経過を感じませんでした。 -
悲しそうな「女神像」を見ていると、国のために命を捧げた戦没者達、国のために活躍された人達を、静かに見守っている母親の姿と重なってきました。
そこに、何とも言えない「厳粛さ」を感じ、「女神像」に自然と手を合わせました。 -
出口に向かって移動する途中、後ろを振り向けば、このような景色でした。
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僅かの滞在時間でしたが、心を洗われた気持ちで「パンチボウル」を後にしました。
緑色をした芝生&樹木を見ると、26年前よりも、手入れが行き届いているように見えました。 -
「パンチボウル」は、日本の墓地のイメージと違い、ピクニックに出かけたい気持ちにさせる公園に見えました。
-
これは、昔々の写真です。
もし、よろしければ一見していただければ有難く思います。
【パンチボウルの思い出:1984年2月(1回目)】
「パンチボウル」を初めて訪れたのは、1984年2月、今から34年前、初めてハワイへ行った時でした。
その頃は、今のようにアーリー・チェックイン等はありませんでした。午前中にハワイへ到着しても、ホテルのチェックイン(3:00PMだったと思います)までには随分時間がある、旅行会社はその時間を有効に使うため、ダウンタウン~パンチボウル~アラモアナビーチ・パーク等を周遊するミニ・ツアーを組んでいました。
旅行者は、”ハワイへ来た!!!”という喜びと実感が大きく、時差ボケにも負けず、ミニ・ツアーに参加していました。
今は、ホノルル市内を一望したければ、「タンタラスの丘」や「ダイヤモンド・ヘッド」に登れば可能ですが、当時は「パンチボウルの丘」しかありませんでした。
※写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、ダウンタウン周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
正面はダウンタウンのビル群、中央左側には「ハワイ州庁舎(完成1969年)」が見えます。
当時は、ツアーバスやマイクロバスに乗ったままで、展望台まで行くことができました。
〈余 談:最近知った情報ですが・・・。〉
「パンチボウル」が古来ハワイ語で「Puowaina(プオヴァイナ)」と呼ばれていたことはまったく知りませんでした。その意味は「いけにえの丘」と言われ、昔、このクレーターの縁には、その上で無数のいけにえが燃やされた、大きな岩の祭壇があったそうです。
この展望台は1960年代に建設されたそうですが、それまで「いけにえの岩」は残されていたそうです。
過去にそのような情報を知っていれば、楽しみながらホノルル市内の景色を見ている訳にはいきませんでした。今思うと、手を合わせて合掌をした後で、景色を見させていただかないといけない場所でした。 -
写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、下の展望台とダウンタウン周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
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写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、カカアコ周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
この頃は、「カカアコ」と言う地名は知りませんでした。
今では、「カカアコ」には多くの高層コンドミニアムが建っています。 -
写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、ワイキキ・ホテル群~ダイヤモンド・ヘッド方面の景色です。(撮影:1984年2月)
この頃は、今と違って、ワイキキのホテルも少ないですね。 -
写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、墓地周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
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写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、墓地と歴史的建造物周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
写真中央左側に、「女神像」がある白い建物が見えています。 -
写真は、「パンチボウルの丘」下の展望台から見た、ダウンタウン周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
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展望台のすぐ隣に咲いていた「ブーゲンビレア&ヤシ」。(撮影:1984年2月)
今でも、残っていますかね?。 -
写真は、「パンチボウルの丘」下の展望台から見た、アラモアナ~ワイキキ・ホテル群~ダイヤモンド・ヘッド方面の景色です。(撮影:1984年2月)
アラモアナ地区の高層ビルでは、アラモアナ・センターの北隣りにある「アラモアナ・ビル」と西隣りにある「アラモアナ1350」のコンドミニアムの2棟しか建っていません。 -
「パンチボウル」の展望台で、ホノルル市内の景色を楽しんだ後、国の歴史的建造物に指定されている「女神像」周辺に移動しました。(撮影:1984年2月)
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先ず、「国立太平洋記念墓地」のシンボルとなっている「女神像」の前で記念撮影。(撮影:1984年2月)
墓地と言うより、観光名所を訪れているような感覚だったと思います。
初ハワイなので、それくらいの知識しかありませんでした。
34年前は、今のように、ネットで検索すれば何でも判るような時代ではありませんでした。 -
階段を上っていくと、国のために戦死した兵士たちを悼み、悲しそうな表情をしている「女神像」がありました。(撮影:1984年2月)
34年前のことですが、「女神像」に非常に強烈な印象を受けました。 -
「女神像」から「パンチボウル」を見下ろした景色です。(撮影:1984年2月)
遠くに、ダイヤモンド・ヘッドが見えました。 -
「女神像」の後ろにある、第一次世界大戦以降の戦線の歴史を語る資料パネル周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
入り口上部の壁には、アメリカのシンボル「国鳥の白頭鷲」の彫刻がありました。 -
第一次世界大戦~第二次世界大戦~朝鮮戦争~ベトナム戦争などの戦線の歴史を語る資料パネル周辺の景色です。(撮影:1984年2月)
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手前に見えるのは、「朝鮮戦争」、その向こうに見えるのは「第二次世界大戦・沖縄戦線」の歴史を語る資料パネルです。(撮影:1984年2月)
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手前に見えるのは、「第二次世界大戦・フィリッピン戦線」、その向こうに見えるのは「第二次世界大戦・硫黄島戦線」の歴史を語る資料パネルです。(撮影:1984年2月)
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「第二次世界大戦・硫黄島戦線」の歴史を語る資料パネルです。(撮影:1984年2月)
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【パンチボウルの思い出:1986年9月(2回目)】
前回訪れて、2年7ケ月後に「パンチボウル」を訪れました。
写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、ダウンタウン周辺の景色です。(撮影:1986年9月) -
写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、アラモアナ~ワイキキ・ホテル群の景色です。(撮影:1986年9月)
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写真は、「パンチボウルの丘」上の展望台から見た、ワイキキ・ホテル群~ダイヤモンド・ヘッド方面の景色です。(撮影:1986年9月)
この展望台あたりに、いけにえが燃やされた、大きな岩の祭壇があったそうです。
その頃は、まったく、そのような知識はありませんでした。 -
「女神像」から「パンチボウル」を見下ろして記念撮影。(撮影:1986年9月)
遥か遠くに見えるのは、ダイヤモンド・ヘッドです。 -
第一次世界大戦~第二次世界大戦~朝鮮戦争~ベトナム戦争の歴史を語る資料パネル周辺の景色です。(撮影:1986年9月)
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墓地周辺の景色です。(撮影:1986年9月)
墓地には、3万人以上のアメリカ軍兵士と国に命を捧げた人たちの魂が眠っています。 -
墓地周辺の景色です。(撮影:1986年9月)
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【パンチボウルの思い出:1989年12月(3回目)】
前回訪れて、3年3ケ月後に「パンチボウル」を訪れました。
写真は、「女神像」の階段下から撮った周辺の景色です。(撮影:1989年12月) -
「女神像」周辺には、多くの観光客が訪れていました。(撮影:1989年12月)
-
【パンチボウルの思い出:1992年2月(4回目)】
前回訪れて、2年3ケ月後に「パンチボウル」を訪れました。
階段を上がったところから「女神像」を撮った写真です。(撮影:1992年2月)
何度見ても、厳粛な雰囲気が漂っていました。 -
「第二次世界大戦・太平洋戦争」の歴史を語る資料パネルです。(撮影:1992年2月)
1992年2月以降の写真アルバムは開いていませんので、確信は持てませんが、これが、最後の「パンチボウル」訪問であったように思います。 -
26年振りに訪れた「パンチボウル」を後にして、2階建てバスはダウンタウンにある「イオラニ宮殿」にやって来ました。
-
反対側を見ると、「カメハメハ大王像」がありました。
「歴史探訪コース」はすべて車窓からの見物でしたが、26年振りに、近くて遠かった「パンチボウル」をこの眼で見ることが出来、頭の隅っこにあったモヤモヤがどこかへ飛んでいきました。
J社さん、”Thank you very very much!!!”でした。
感謝いたします。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- Pメテオラさん 2018/04/03 20:56:52
- 時の流れ
- 作者さまのように、時の流れを感じながらつづる旅、けっこう良いものですね。戦没者の霊に、安らぎがありますように。そして作者さまの30年、40年の時の流れが、ますます良い旅のもとになりましょうに!
- hy-2217さん からの返信 2018/04/09 10:46:56
- RE: 時の流れ(書き込み、有難うございました。)
- Pメテオラ 様
書き込み、有難うございました。
> 作者さまのように、時の流れを感じながらつづる旅、けっこう良いものですね。戦没者の霊に、安らぎがありますように。そして作者さまの30年、40年の時の流れが、ますます良い旅のもとになりましょうに!
↓
何事も、外観だけではなく、その歴史・背景を勉強すると、同じものを見ても、感じ方が変わってきますね。
ハワイの「パンチボウル:国立太平洋記念墓地」にしても、昔は”展望台に上ってホノルル市内のすばらしい景色を眺める丘”くらいにしか考えていませんでした。
ところが歴史・背景を知ると、そのようなチャラチャラした気持ちにはなれませんね。
神聖なる気持ちになりますね。
Pメテオラさんの「メテオラ」の「旅行記」を拝見させていただきました。
昔の記憶が、懐かしく、よみがえってきました。
私は、「奇岩の上に建つメテオラの修道院」をこの眼で見たいために、2007年にギリシャ旅行をしました。
「紺碧のエーゲ海クルーズ・アテネ・メテオラ・デルフィ・オリンピア ギリシャ周遊8日間。(2007)」のタイトルで「旅行記」を投稿しています。
その時、訪れた観光地は、「クチコミ」として数件投稿しています。
もし、時間がございましたら、一見していただければ有難く思います。
今後、時間があれば、「メテオラ」だけ拡大した「旅行記」を投稿したいと考えていますが、何時のことになるかはわかりません・・・。
それだけ、「メテオラ」は記憶に残っています。
Pメテオラさん、今後もすばらしい「旅行記」を投稿して下さい。楽しみにしています。
返信が遅くなったこと、お詫び申し上げます。
from hy-2217
- Pメテオラさん からの返信 2018/04/09 19:40:58
- 追伸 時の流れ(書き込み、有難うございました。)
- > Pメテオラ 様
>
> 書き込み、有難うございました。
>
> > 作者さまのように、時の流れを感じながらつづる旅、けっこう良いものですね。戦没者の霊に、安らぎがありますように。そして作者さまの30年、40年の時の流れが、ますます良い旅のもとになりましょうに!
> ↓
> 何事も、外観だけではなく、その歴史・背景を勉強すると、同じものを見ても、感じ方が変わってきますね。
> ハワイの「パンチボウル:国立太平洋記念墓地」にしても、昔は”展望台に上ってホノルル市内のすばらしい景色を眺める丘”くらいにしか考えていませんでした。
> ところが歴史・背景を知ると、そのようなチャラチャラした気持ちにはなれませんね。
> 神聖なる気持ちになりますね。
>
> Pメテオラさんの「メテオラ」の「旅行記」を拝見させていただきました。
> 昔の記憶が、懐かしく、よみがえってきました。
> 私は、「奇岩の上に建つメテオラの修道院」をこの眼で見たいために、2007年にギリシャ旅行をしました。
> 「紺碧のエーゲ海クルーズ・アテネ・メテオラ・デルフィ・オリンピア ギリシャ周遊8日間。(2007)」のタイトルで「旅行記」を投稿しています。
> その時、訪れた観光地は、「クチコミ」として数件投稿しています。
> もし、時間がございましたら、一見していただければ有難く思います。
> 今後、時間があれば、「メテオラ」だけ拡大した「旅行記」を投稿したいと考えていますが、何時のことになるかはわかりません・・・。
> それだけ、「メテオラ」は記憶に残っています。
>
> Pメテオラさん、今後もすばらしい「旅行記」を投稿して下さい。楽しみにしています。
>
> 返信が遅くなったこと、お詫び申し上げます。
>
> from hy-2217
> hy-2217様
ギリシャ旅行記拝読しました。はるばる行った感がにじみ出ていました。近そうで、意外と時間がかかるアテネ。そこから、さらに5時間を要するメテオラは、難易度の高い目的地であることは間違いないと、改めて思いました。ツアーにしようという気持ちも分かるような、です。
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