2018/03/02 - 2018/03/03
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FUKUJIROさん
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金門島を旅行した話の続きです。
台湾好行の金門C線と金門D線を利用しました。
2日間で平日運行の4コースに全て乗りましたが、お土産が買えるところは金門B線の双鯉湿地自然中心にあるカフェ(お土産は少し)、金門C線の山后民俗文化村(住民が開いている民族風お土産店)の2ヶ所だけでした。必要な方は買い忘れないようにしてください。
いずれのコースもバスで巡るから楽な旅だと思っていたのですが、結構歩きます。坑道や段差のある場所が多いので履き慣れた靴で行きましょう。どのコースも7000歩前後を歩きました。
幸いにも金門島はお天気が良く、一日中ほどよい風が吹いていて、長袖シャツ+ジャケットでちょうど良かったです。
翌日、台北に戻り、マッサージを受けて養生しました。
今回は7泊8日の出張&旅行となりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- マンダリン航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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金門C線と金門D線は金門島の東側にある山外車站発のため、早朝に移動します。
この時刻表の上半分が金城車站から山外車站へ向かう便です。 -
グーグル先生が所要時間1時間40分なんてとんでもない答えを出すので、早めのバスに乗ることに。
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朝の金城車站。ジャージ姿の高校生が多いです。
朝は開店しているお店が少ないので、前日に7イレブンで買ったおにぎりと牛乳で朝食を済ませました。 -
山外車站。
バスには台湾好行の2日券で乗車できました。
7:20発の紅1路線のバスに乗りましたが、結局、所要時間は約20分でした。 -
山外車站。造りは金城車站と同じです。
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隣は警察署。
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站前では、おばちゃん達が野菜を売っていました。
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山外車站にあったスマホの充電器。
試しに繋いだところiPhoneもちゃんと充電できました。 -
金門C線のルート:山外車站→山后民俗文化村→獅山砲陣地→馬山觀測所→文化園區→山外車站。
今日も8:30定刻に発車。
金門民族文化村は、山后村の中堡にあたります。 -
日本華僑のリーダーであった王氏親子が親族に住ませるために建てた豪華な建物です。
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地元では「十八室」と呼ばれ、18棟のびん南様式の古い民家で構成された集落です。
※びん南のびんは、門がまえの中に虫。 -
当時、唐山の職人を呼んで施工建造させ、実に25年を費やして完成させました。
これの古い建物は依然として昔の姿を維持しており、金門の伝統的な民家を代表しています。 -
建物内には王氏一族の歴史を知る写真や持ち物などの展示のほかに、金門島の慣習を知る生活用品なども置いてあります。
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説明をしている人は、この村のガイドさん。
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海珠堂。
王氏一族の学び舎です。 -
この建物は、もともと王敬祥氏の住居でした。現在は、婚姻の風俗習慣に関する展示があります。
王敬祥の父、王國珍氏は清の同治年間に、姪の敬濟とともに日本に渡りました。
初めは、布袋戯(伝統の人形劇)から商売をスタートし、のちに大豆、マッチの貿易や、金融業を行う復興号貿易を経営するようになりました。
貿易で財を成した2人は故郷金門に戻り、同族の人々のために18軒の伝統建築を建てました。 -
花轎。
お嫁さんは、この籠にのって、お嫁に出ます。 -
孫文公が王敬祥氏にあてた委任状。
袁世凱の暴政に抵抗しようと、1913年9月、孫文公らは東京で中華革命党を組織しました。在日華僑、主に神戸や大阪の華僑たちは、中華革命党を積極的に支援したそうです。
その後、中華革命党の組織が次第に確立され、各支部への委任状が出されました。 -
1913年(民国2年)9月6日、孫文公が王敬祥氏にあてた書簡。
解説文によれば、同年8月、第二革命に失敗し、日本に亡命した孫文公は各界の人物に連絡を取りました。池亨吉氏は「支那革命実見記」で中国革命を宣伝した人物。鈴木とは鈴木宗言氏のことで、時の検察官。
当時、孫文公らは南京での再蜂起の準備の真っ最中で、そのために王敬祥氏を東京に呼び寄せたのでした。 -
この建物は郵便局として使われています。
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この石が風水的に良いとされているようで、皆さん触っていました。
よく分からないままに私も撫で撫でしました。 -
金門島金沙鎮にある獅子砲陣地の入り口。
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獅子砲陣地のマーク。
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獅子砲陣地には、震東坑道と呼ばれる坑道(トンネル)があり、1969年に完成しました。全長509m、高さ4.6m、幅3.6mです。
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震東坑道とは砲声が大陸に響くと言われるほどの巨大な爆音だったかららしいです。
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8吋榴砲で中国大陸を攻撃しました。
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8吋榴砲の射程は32km。大陸に届くわけです。
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武器や弾薬を盗んだら、即死刑。
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弾薬庫の内部です。
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ここでは、毎日数回、発射実演練習が間近で見られます。
得難い体験です。 -
轟音が響き渡るのかとドキドキしていましたが、花火ほどのかわいい音でした。
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入り口には兵隊さんが24時間立っています。
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馬山に来ました。
名前からてっきり山だと思っていたのですが、海沿いの場所でした。 -
金門島の最北端に位置している馬山には、馬山観測所と放送所がありました。
対岸にある福建の角嶼、大小嶝島との距離はわずか2kmです。 -
心理戦である敵への呼びかけ及び宣伝文書を空からばら撒く軍事上の要衝であり、「天下第一歩哨所」と称されていました。
この地には、以前、48個もの大型スピーカーを取り付けた壁があり、中国大陸へ向けたプロパガンダ放送が行われていました。 -
テレサ・テン(デン麗君)が中国向けの放送をしていた様子が再現されています。
※デンは、登におおざと。 -
放送室内。
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テレサ・テンが台湾軍を慰問する映像をユーチューブで見ることができます。
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今回も坑道に入ります。
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この坑道は長くはありませんでした。
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観測所です。
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目の前には中国領の岩礁があります。
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今は穏やかな海が拡がっています。
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馬山観測所の出口(入り口)。
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通路の壁にもレリーフがあります。
これを見ているときに、ふとアンコール遺跡の壁に描かれたレリーフを思い出しました。古今東西、たぶん同じ思いの人が残したんでしょうね。 -
金門文化園区です。
右の建物は金門大學の別館です。 -
この塔は何かを模したようですが、詳細は不明。
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金門文化園区のメインである「歴史民俗博物館」です。
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ロビー。
内部は、海洋、信仰、歳時記、歴史など7つのテーマにエリア分けされています。 -
宗教展示のコーナー。
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水を汲み上げるための器具です。
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千手千眼観音座像。
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歴史のコーナー。
朱子学の創始者、朱熹。 -
金門飛揚。
金門文化園区の広場にありました。海、岩、島をシンボルとして、金門の未来飛向をイメージした造形です。
これで金門C線は終わりです。
今回は男性のガイドさんでしたが、やはり中国語のみ。
乗客は昨日のA線に乗っていた北京からの6人組とB線に乗っていた台北からのおじさん、そして私の8人でした。
帰路、山外車站の手前で「迎賓館」の横を通りました。車站からは歩いて行けない距離ではないですが、登り坂が続いているので、ちょっときついように思います。 -
兪大維氏記念館。
金門D線のルート:山外車站→八二三戰史館、榕園及び兪大維紀念館→特約茶室展示館→瓊林聚落→自転車故事館→陳景蘭洋樓→山外車站。
(今回、自転車故事館には寄りませんでした)
ガイドさんは午前中のC線と同じ男性でした。乗客は昨日の金門B線に乗っていた台北からの4人家族と私だけ、とうとう5人になりました。 -
兪大維氏は、八二三砲撃戦の際、国防大臣であり、その任期中、猛烈な砲火をものともせず、何度も金門を視察していました。
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この兪氏の英雄的な行為を記念するため、八二三戦史館の真正面に兪大維氏記念館が建てられました。
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八二三戦史館
緑の瓦、朱色の柱、真っ白な花崗岩の塀で囲まれ、雄雄しく壮麗な擬古代建築物となっています。
正面両側の外壁には、当時砲撃戦中に国のために犠牲となった数百名の国民党軍の英雄たちのレリーフがあります。 -
台湾から中国へ飛ばした宣伝品。
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中国からも台湾へも宣伝品を飛ばしてきました。
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八二三砲戦(1958年8月23日~10月6日)の間、中国から金門島に打たれた砲弾の数は、約47万5千発。
戦後、砲弾の鋼鉄を材料としてこのような包丁が作られました。 -
台湾からは中国軍に向けてテレサ・テンの歌を流しました。
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戦史館のわきにはLVT水陸両用兵士運送車両が展示されていました。
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榕園。
八二三戰史館に隣接する公園。 -
一軒だけ残った昔の家らしいです。
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室内。
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ガジュマルの樹がいっぱいの榕園。
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榕園から見た太武山。
太武山は、金門島で海抜がもっとも高く、標高253m。
形が兜に似ているから「太武」と名付けられました。
手前は練兵場。 -
太武山を3分の2まで登ると、故蒋介石総統の書いた「毋忘在呂」の四文字を彫った岩があります。
これは戦国時代、燕の国に最後の領地まで攻め込まれて、亡国の瀬戸際に立たされた時、よく攻め返して最後の勝利をおさめたという斉の国の故事にちなんでいて、「今、我々がにいることを忘れてはいけない」と戒め励ましている言葉です。
※呂はくさかんむりに呂。 -
特約茶室展示館。
1949年から金門島へ兵隊が送り込まれ始めたのですが、当初は軍人による暴行事件が発生し、市民を守るため、1951年に慰安施設が造られました。 -
後に「茶室」と呼ばれる慰安所が、金城、山外、沙美、小徑、成功、庵前、東林などに設けられ、別名「軍中楽園」とも呼ばれていました。
ここでは、敷地内には10室あります。 -
茶室の利用規定。
軍人以外は立ち入ることができませんでした。 -
ここで働く女性には様々な理由があったようです。
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(ピントが合ってませんが)娯楽券。
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室内。右奥には浴室があります。
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ベッド。
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この部屋の住人。
映画「軍中楽園」は、茶室を舞台とした物語です。 -
瓊林。
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1967年、地下坑道が全村に張り巡らされ、戦争時の自己護衛、命を守る坑道となりました。
昔は指揮本部となった村役場から坑道に入ることができます。 -
民防隊員のパネル。
説明しているのは、瓊林の村人。 -
当時の身分証明書。
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電話交換機。
盗聴も行われていたようです。 -
通路は1人しか通ることができない幅。
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写真の展示とともに戦備用井戸が残っています。
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昔の標語。
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この坑道もかなり長く、抜けるまでに約10分間。
でも明るいので危なくなかったです。 -
坑道の出口。
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坑道を出ると、風獅爺がありました。
風獅爺(フェンシーイエ)は金門の守護神とされ、現在も100体以上あります。
風を受け止め、魔除けの意味があります。
このマントのような物は幾重にも重ね着しています。 -
民宿です。
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こちらも民宿です。
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装飾のある壁。
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壁に埋め込まれた風獅爺。
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今回は自転車故事館には寄らず、成功海岸に来ました。
(理由は説明があったかも知れませんが、中国語はわかりません)
遠くに見える陸地は、金門島の料羅という地域です。 -
東シナ海に面していますが、中国軍の上陸阻止用にコンクリートブロックと軌條が設置されています。
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トーチかがありました。
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ここにも戦車が潜んでいます。
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とげとげのあるサボテンも上陸阻止のため。
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またまた坑道を歩きます。
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坑道では軍人さん(人形)が見張っていました。
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成功海防坑道という場所でした。
ここから最後の目的地、陳景蘭洋楼まで歩きました。 -
陳景蘭洋楼。
金門で一番大きく、完全な形を留めている洋館です。
金門島出身の華僑で、シンガポールやインドネシアで成功した陳景蘭氏が、1917年に建設を始め、金門や厦門の職人の手で4年の歳月をかけて完成しました。
建物の前庭からは美しい海を望むことができます。 -
勝利の女神。
海岸から歩くと、結構な高低差があります。階段がキツイ。 -
陳景蘭氏の生い立ちを紹介する部屋。
金門島出身の陳景蘭氏は、20歳の時に家計を助けるため、厦門を経由し、一ヶ月かかってシンガポールに到着しました。そして、事業で成功し、裕福な商人として故郷に錦を飾ったのです。 -
貝殻で作られた降魔風獅爺。
-
洋楼は、完成後まもなくして建物を学校として使用し始めました。
1949年以降は国民党軍によって野戦病院として使われ、その後は金門中学や軍人の休暇の場所となりました。
故蒋介石総統と宋美齢も泊まっていました。 -
軍人や政治家のほか、テレサ・テンも宿泊したことがあるそうです。
彼女の若い頃のポスターもありました。 -
私たちは海岸から上がってきましたが、こちらが正規の入り口。
門には、金門長官休暇中心と書かれています。昔日が偲ばれます。 -
2日間バスに乗り続けると案外疲れるものです。陳景蘭洋楼では、海を望んだ写真を撮り忘れてしまいました。
さて、2日間券が使えるので、山外車站から金城車站へは17:30発の藍1路線バスに乗りました。途中の民航站まで約20分、そこから金城車站までさらに20分。明日の移動時間がだいたい分かりました。
途中のバス停から乗って来た東南アジアの青年が~~ヂンチェン~~と聞いて来たので、ヂンチェンOKと回答したけれど、私の英語力は金門の人達とほとんど同じレベル、お役に立てずごめんなさい。 -
帰国日、朝の金城です。開いているお店はほとんどありません。
金城車站へ向かいます。 -
昨日、山外車站から戻ってくるときに藍1路線に乗り、所要時間を確認済み。
金城車站から民航站までは約20分。 -
バスは金門縣議会の前を通りました。
-
金門空港の到着出口の真ん前にある民航站です。
空港のバス停はここだけです。 -
出発入り口へ向かう途中にも風獅爺がありました。
沖縄のシーサーと似ていますが、シーサーが雌雄で対になっているのと違い、風獅爺は雄だけです。昔からの風獅爺は股間がもっこりしています。 -
空港ターミナル1F待合ロビーにある微風海恋カフェ。
時刻が早すぎてサンドイッチだけでしたが、ここで朝食にしました。 -
華信空港のカウンターでチェックイン、保安検査を抜けて、搭乗口へ向かいます。
やっぱり早すぎたので、1階の免税店をひやかします。 -
立榮航空(ユニ・エアー)はプロペラ機を使用しています。
1階の搭乗口から歩いて乗り降りします。 -
2階から見た立榮航空機。
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2階の待合室。
ガラスの奥には、到着便の荷物受取ターンテーブルが見えます。 -
出発の待合室ですが、到着の際にもトイレを使うことができます。
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私の乗る華信航空AE1264便が到着しました。
台中からの便ですが、少し遅れたようです。 -
定刻5分遅れで出発しました。
帰りのフライトでは、離陸していったん北上した後はまっすぐ東に飛んで、そのまま松山空港に着陸しました。
ムダな旋回もなく、すごくシンプルなフライトで定刻10分前に到着です。 -
帰りのANA854まで4時間以上あるので、市内に出ます。
余裕がある(と思っていた)ので、MRTで移動することにしました。 -
行天宮のはす向かいにある活泉足體養身世界。
日本人オーナーが経営する有名なマッサージ店です。日本語でOKです。
この日もオーナーがいて、ウロウロしてました。
足底按摩+全身指壓按摩の100分で1390TNDでした。
ANAのチェックイン時刻が近づいていたので、空港へはタクシーで戻りました(100TND)。 -
ANAのチェックインを終えて、国内線ターミナルのロビーです。
国際線よりも空いています。たぶん、待機時間が短いからでしょう。
恥ずかしいけれどPCを開き、メールの返事を書いたりしてから、7イレブンでポケットwifiを返却しました。1日200円と格安でした。 -
帰りのANA854。
-
昼飯を食べ損ねたので、今日一番のご馳走です。
-
久しぶりにemergency seatでした。
台湾人のCAさんと金門島の話をしたのですが、台湾の方でも訪れる人は少ないようでした(大陸からの買出し人で賑わっている印象を持っていました)。
可愛いかったので笑顔の写真を撮らせてもらいました。 -
無事に羽田空港に到着しました。
台湾の観光地はだいたい見ちゃったよ~という方も多いようですが、ぜひ金門島に行ってください。台湾が今の台湾であり続けるためには、国際社会の理解が必要です。中国大陸に最も近い台湾の領土は必見の島です。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ateruiさん 2018/03/18 18:43:34
- 金門島良いですね
- 最後にやられちゃいました
防空壕とか好きなんで気に入りました
行きたい候補地になりました
aterui
- FUKUJIROさん からの返信 2018/03/18 20:27:35
- Re: 金門島良いですね
- ateruiさん、ありがとうございます。
今回、金門島へ行く機会があり、中国語がまったくわからないままに行って来ました。
金門島の皆さんはもちろんのこと、バスで一緒だった台湾の人も、意外に中国の方もフレンドリーでした。
どうぞ足を運んでください。
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