2018/02/28 - 2018/03/01
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FUKUJIROさん
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台北から金門島を経由して渡った厦門での滞在を終えて金門島に戻ってきました。
移動が多いと疲れるものですが、国境越えでは無意識に緊張にしていたのでしょう。ホテルに着いて、少し仮眠したら元気になりました。
船で厦門を往復した旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11334520
早速ホテルの周辺を散策することにしました。
この後2日間は台湾好行の金門路線バスで観光します。路線は毎日1便運行のA線、B線、C線、D線の4路線と、土日運行のE線がありますが、日程の関係でE線は利用しておりません。
まずは台湾好行の金門A線と金門B線で、金門島の西半分を廻ります。
なお、観光地の説明については中国語を聞いてもさっぱり分からなかったので、帰国後、おもに金門観光旅遊のホームページ https://kinmen.travel/ja を参考に復習しました。
昔は大食い、大酒飲みの私でしたが、病気をしてから小飲小食で過ごしておりますので、グルメリポートはありません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
水頭碼頭です。
バス停から碼頭ターミナルを見たところです。
台湾に戻ってきたので、ポケットwifiをONにしました。
今回の旅行でもiVideoの4G使い放題200円/日を借りました。
日本で申込みと決済、松山空港の7イレブンで受け取りました。 -
水頭碼頭を出たバスはすべて金城車站が終点です。
路線は、7、7A、7Bと三つありますが、どれでも金城車站へ行けます。 -
13:30のバスを待っていましたが、13:20にバスが来たので乗りました。
ということで、バスの時刻表を当てにしてはダメと心に刻みました。
バスの車内。このバスは新しいので快適です。こういうバスはこのときだけでした。 -
バス停を降りたら見えた景色。
中央の建物が3泊するIN99ホテルです。
バス停を降りたらホテルが見えるって、ものすごい安心感です。 -
605の部屋でした。ホテルには4階がないので5階です。
陽当たりも良く、窓際に吊した洗濯物はすぐに乾きました。
夏は暑いかも。
フロントは2名の女性が交代でしたが、2人とも英語OKです。 -
ベッドは大きいですが、シングルを二つ並べているので、中央に寝ると背中部分がベッドの縁に当たります。
大きなスーツケースを広げるスペースはありません。リュックなので問題ありません。
アメニティはひととおり揃っていましたが、パジャマの類はありません。
明け方、肌寒かったので暖房を入れようとしましたが、エアコンは冷房専用でした。Tシャツを重ね着しました。 -
ベッドサイドにUSBのコネクタがあって、スマホの充電ができました。
すごく便利。 -
アジアでよく見る形式のシャワーとトイレ。
シャワーを使うと当然足下がびちょびちょになるので、サンダルがあります。 -
ちょっと疲れていたので、ホテルで2時間ほど休みました。
この年齢になると移動は疲れますね。
暗くなる前に付近を散策します。 -
北鎮廟。
伝説によると、昔ある老婦人が北京から玄天上帝の像を携行し、この地を通ったところ、一泊することになり、その翌日の早朝、神像が地面にしっかりと固定されていることが発見されたため、地元の住民がこれを神のお告げと考え、資金を集めて北鎮廟を建てました。 -
陳氏宗祠の門。
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こちらが陳氏宗祠。
金門島で最も多い性が陳氏です。
ここは1904年に建てられ、先祖を祀っています。 -
境内にはいろいろなお店があります。
夜になると開店するようです。 -
城隍廟(吾島城隍廟) 。
台湾の離島で最初に国の重要民俗行事に指定された金門吾島迎城隍が行われることで有名な廟です。
この建物は、1993年に一度取り壊された後、規模を拡大して再建されています。
※吾はさんずいに吾。 -
ご本尊の後浦城隍爺様。
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禹帝廟。
民國90年に再建されました。 -
「聖なる牛」ではなく、焼き肉屋さんの置物です。
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南門天后宮の門。
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南門天后宮の本堂。
大媽祖宮、料羅の順済宮とともに金門の三大媽祖の廟祠です。 -
ご本尊は媽祖様。
航海・漁業の守護女神様ですね。 -
金門縣立體育館のモニュメント。
これを見ながら東進したのですが、南に曲がれば呂光湖、呂光樓があります。
※呂はくさかんむりに呂。 -
奎閣(天魁星楼)。
福建省から金門島に渡ってきた林斐章が建設し、1838年に完工しました。
奎閣は六角形の2階建て楼閣で、建築の特徴は柱廊、双塔形式で、泉州晋江派の伝統的な様式です。
天魁星楼には、北斗七星の星主である天魁星が祭られ、当時は科挙試験に参加する学生が敬虔な気持ちでひれ伏していたそうです。 -
陳詩吟洋樓。
洋館はイギリスの新ルネサンス様式を移植したものです。
前館に「出亀(張り出し)」と称される外回廊があり、立面に双龍や草花などの絵が刻まれ、屋根の下及び柱頭に鷹、象、草花、ラッパ手などの泥人形が施され、中国式と西洋式の折衷により、異国情緒に溢れています。
惜しまれるのは洋館完成前に陳氏が病気で亡くなり、その後継者も戦争などで他地へ逃走したことで、これにより洋館には悲しさと儚さが満ち溢れています。
以前は内部も観覧できたようですが、今は工事中のため、外観も見えませんでした。
いつの日か、この絵のように復元されることでしょう。 -
こんな狭い路地を抜けて行きます。
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大きなお犬様が現れました。
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金門鎮総兵署。
元来は明朝の萬暦年間に才子であった許?貌が勉学に励む場所でした。
後に総兵署に改築され、現在まで残っています。
建物の地下には牢獄が残っているそうです。 -
戌年だからでしょうか、お犬様天国になってました。
我が家は毎日がお犬様天国です... -
ホテルの近くまで戻ってきました。
御神籤のガチャです。
どこかで夕食を食べましょう。お店はいっぱいあります。 -
ホテルから見た朝日です。
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右奥の建物が金城車站です。金城は霧の中です。
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夕方に撮影した写真ですが、朝はもっと大勢の人がいました。
一番奥がインフォメーションで、台湾好行のバスチケットを購入できます。 -
インフォメーションの手前、左側の壁にこのポスターの貼ってあり、そこで待っているように指示されました。
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ロッカーもありました。
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使い方が書いてあるようですが、インフォメーションに申し出るみたいです。
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台湾好行のサイトを見たら事前に申し込むみたいだったので、サイトから申し込みをしておきました。2日券(表・裏)で700TNDでした。
バスに乗るたびにスタンプを押されます。
最初に押された時刻から48時間(2日券)内なら、運転手さんに見せるだけで島内の路線バスにも乗ることができます。
8:25、定時にバスが来て、ガイドさんがバスに乗るよう促します。
8:30、定時にバスは出発しました。 -
金門A線のルート:金城車站→金城衛生所→西門里公所→體育館→呂光樓→空中大學→水頭聚落→明遺古街→文台寶塔→櫂山坑道→珠山→金城車站。
この内、呂光樓、水頭聚落、明遺古街、文台寶塔、櫂山坑道を観光します。
※呂はくさかんむりに呂、櫂は木へんがない。 -
通路側の座席にはUSBのコネクタがありました。
窓側はあったり、なかったりです。 -
呂光樓。
金城の西南郊外、呂光湖に臨み、古代麒麟閣を模倣した3階建て建築物です。
戦火が激しかった1950~60年代、金門の戦役で見事な戦果を収めた部将の栄誉がここで表彰され、人々に崇められる国民党軍の英雄館でした。
※呂はくさかんむりに呂。 -
金門への貢献が非常に大きかった胡漣将軍。
※漣は王へんに漣。 -
胡漣将軍の遺品が多数展示されています。
※漣は王へんに漣。 -
屋上には対岸を眺望できる望遠鏡が据え付けられています。
うっすらと島影が見えました。 -
水頭聚落に来ました。
金水學校。1932年建設。 -
学校の全景。パネル写真から。
建築様式は、回字形となっています。 -
校内には、まだ昔の教室の姿が残されています。
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「南洋で商いに励んでいた村民物語」の展示。
金門の人々が南洋で商いに励んでいた歴史が紹介されています。
ここは薬屋さんですが、手紙や荷物の受け渡し的なことも行っていました。 -
この紋章は貴重だから写真を撮るようにと身振りされました。
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得月楼(左側の塔)。
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得月楼。
1931年に建てられ、泥棒・強盗の警戒及び防御するための銃器を備えた建物は、地下室を含めて計四フロアあり、地下坑道を通じて傍の洋館と繋がっています。 -
この洋館はインドネシアで成功した華僑が建てたようです。
写っている皆さんは北京から来た方たち。 -
洋館の出窓。
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歩いて明遺古街へ移動します。
古街の北門。 -
明遺古街。
展示館になっている建物もありますが、時間がなく見学できませんでした。 -
文台寶塔。
伝説によると、明朝の太祖年間に江夏侯の周徳興が建てたとのことです。
昔は金門への航行の目印でした。
花崗石を切り出して積み上げたもので、塔の高さは5層あり、六角形の塔体となっています。 -
昔から文人・武官がこの地を通ると、必ず多くの石刻を残してきました。
奥で見にくいのですが、明朝時代千戸の兪大猷が書き記した「虚江嘯臥」。 -
この岩の向こうには海。
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櫂山坑道。
右前方の丘の中に坑道が造られています。
※櫂は木へんがない。 -
櫂山坑道の案内図。
※櫂は木へんがない。 -
坑道の入り口。
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勇ましい標語が掲げられています。
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坑道。
1963年、八二三砲撃戦後に掘削され、海にまで通じる地下坑道です。 -
思ったよりも明るい。
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まだまだ続きます。
坑道と水路の2つに分かれています。
今はLED照明で明るくなっています。 -
途中でY字に分岐してます。
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もうすぐ海側の出口です。
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出口は塞がっていますが、時折波しぶきが見えました。
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外には船。
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戦車もありました。
これで金門A線の行程は終わりです。
金門A線を利用した人は14人。内、11人が北京から来たようで、台北からの夫婦と私の構成でした。
でも、自分たちの国が金門島を攻撃した記録フィルムなんかを見て、どうなんだろう?と思いました。 -
ホテル。
最上階の右端2つの窓が私の部屋です。
お昼を食べて部屋で休みます。 -
お昼休みに写した金城車站。
この時は、これから起きる恐怖体験など思いも寄りませんでした。 -
13:25。定刻どおりバスが来て、乗り込みました。
金門B線のルート:金城車站→體育館→西門里公所→金城民防坑道出口→金城衛生所→救國團→光前廟→和平紀念園區→北山洋楼→古寧頭戦史館→双鯉湿地自然中心→慈湖三角堡・觀景台→金城車站。
ただ、時刻表を見ると、次站の體育館まで38分かかることになっていて、不思議な時刻表です。
13:30。定刻になったらガイドさん(午前中とは別の女性)がみんなをバスから降ろしました。
何事かと付いて行くと、金城車站の脇の階段を上がります(写真は夕方に改めて撮影)。 -
金城民防坑道の展示がありました。
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民防服。
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坑道が縦横無尽に金城市内の地下で交わり、県庁、県党部、銀行などの多くの政治経済の要衝に繋がっています。
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金城車站から中学校の脇の出口までが観光ルートとして使われています。
地下坑道とはいえ、適当に掘ったわけではなく、ほとんどが道路の下に造ってあります。 -
ガイドさんは中国語しか話しませんので、心で聞き取ります(でも、分からない)。と、階段を下りて、いきなり坑道に入りました。
ヘルメット被らないの?と、聞く間もなく、ノーヘルで進みました。 -
坑道の幅は約1m、高さは1.7~1.8m、時々身を低くしないとぶつかりそうになるのが怖い。ヘルメット被った方が良かったんじゃないの。
ところどころに明かりがあるのですが。 -
だんだんと暗い部分の距離が長くなりました。
ガイドさんが中国語で何か言ってますが、もちろん分かりません。 -
とうとう真っ暗です。
善光寺のお戒壇めぐりよりも暗いです。
どのくらい歩いたでしょうか?2分、3分、5分?
タイムスタンプから逆算すると4~5分は真っ暗い中を歩いたようです。 -
やっと明るいところに出ました。
ぜんぜんピントが合ってません。 -
出口です。太陽の光がありがたいです。
坑道の長さは約2500m。
戦時中は外に出ることもできず、うっかり外に出たら爆弾が落ちてくるのですから、その恐怖ははかり知れません。 -
金門高中の隣に坑道出口がありました。
ここからバスに乗って出発です。 -
金門B線の乗客は9人。台東から一人旅の女子、高雄から2人、台北から4人家族とおじさん、私以外は皆さん台湾人でした。
和平紀念園區に到着しました。 -
胡漣将軍紀念館。
ここには胡漣将軍が活躍した様々な記録が展示されています。
※漣は王へんに漣。 -
中共寄りの政策をとった馬英九はこの地で何を思ったのでしょうか?
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金門島は牡蠣の大産地でもあります。
棒状の杭に牡蠣を生育させるのが、金門の特徴です。 -
平和の鐘。
ガイドさんが鳴らしました。その後私たちも鳴らしました。 -
2号砲堡。
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金門精神堡塁。
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古寧頭、北山洋楼。
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この南洋様式の家は、当時共産党軍の指揮本部として使用されていました。
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猛烈な砲火で切れ切れの塀や崩れかけた壁となり、弾痕が今も累々と残っています。
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このぼろぼろになった古い洋館は、古寧頭戦役を証明する一つです。
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古寧頭は、昔、「古龍頭」と称され、元来岩牡蠣によって有名だった小さな漁村でした。
古寧頭大戦により、国民党と共産党の激戦の最前線となりました。
伝統的な建築は、そのほとんどが明朝末期から残されてきたものです。
振威第後壁の泰山石敢當(写真の左側に立つ石柱)。
T字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけ。魔物が石敢當に当たると砕け散ると伝わっています。 -
古寧頭戦史館。
1949年の古寧頭戦役を記念して建設されました。
古城郭を模した建築外観で、門前の勇士の像及び当事戦場で威力を示した戦車が、昔、熾烈な戦いがあったことを髣髴させています。 -
戦史館は、故蒋介石総統が作戦を指揮した古戦場に位置しています。
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展示ブース/功績のあった将軍や兵士の写真。
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展示ブース/銃、機関銃。
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周囲の壁には当時の戦況を描いた12枚の巨大な油絵が掛けられています。
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蒋介石が使用したジープ。
1944年製造FORD・GPW。 -
外に出ると、海の向こうに厦門が見えます。
昨日の午前中は、あの地にいたのだと思うと不思議です。 -
排雷記念碑。
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戦史館の外には戦車もありました。
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双鯉湿地自然中心。
慈湖とその北側にある双鯉湖は相互に繋がっています。
本来は内海でしたが、昔、駐留軍が南山及び湖下間に長さ550mに渡る慈堤防を築いたため、金門で最大の塩水湖が形成されました。
地下1階部分は半地下状態で、湖水面が窓と同じ高さになっていてガラスから、水中生物の動きを見ることが出来ます。
この日は水が濁っていて、何も見えませんでした。
カフェになっているので、アイスを食べたりして過ごしました。 -
慈湖は渡り鳥の休息地としても有名で、湖畔のモクマオウ樹林も冬の渡り鳥カワウの主な棲息地であり、秋冬の鳥類も沢山集まるため、バードウオッチングの絶好のポイントとなっています。
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駐車場にあった碑。
1945年6月、大東亜戦争の末期に日本軍が金門島に侵出したときに、住民に馬を強要したようで、泣く泣く手放したというようなことが書かれています。 -
慈湖三角堡・觀景台。
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古寧頭慈湖にある三角堡(トーチカ)も、最前線の地でした。
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今では、戦車もコンクリート製の台に飾られています。
(砂地のために沈んでしまうので) -
戦車の向こうには厦門の高層ビルが見えています。
これで金門B線の行程は終わりです。
金城車站に戻ってから2階に上がり、金城民防坑道の展示をもう一度見直しました。 -
今日は金門島の西半分を観光しました。
廻ってないところにも見所が多そうです。
夕ご飯食べて早く寝ましょう。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
後編もどうぞお読み願います。
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