2018/02/15 - 2018/02/15
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ドクターキムルさん
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上野動物園(正式名は東京都恩賜上野動物園)の中には閑々亭(かんかんてい)がある。
閑々亭は、江戸時代初期の寛永年間に藤堂高虎が建てた茶室であった。しかし、明治維新の上野戦争(明治元年(1868年))で焼け、明治11年(1878年)に再建された。
高虎は寛永寺建立(寛永2年(1625年))にあたっては、土地を幕府に返上するとともに、屋敷跡に寒松院を建てて寄進した。その寒松院にあった茶室である。また、寛永3年(1626年)には上野東照宮を建立している。
寛永4年(1627年)に、2代将軍・徳川秀忠や3代将軍・徳川家光が上野東照宮を参拝し、その帰りに寒松院に立ち寄った。家光が立ち寄りった際には閑々亭と名付けるようにと言われたとされている。
閑々亭がある付近は、明治15年(1882年)の上野動物園開園時から明治20年(1887年)までは、当時の正門の前庭にあたり、一般客の休憩所としても利用されていた。
上野動物図鑑(https://ueno-zoo.mamakoe.jp/facilityeast/kankan-tei/)では日光東照宮としているが、(上野動物園が建てた)看板には(上野)東照宮とあり、こちらの方が最もらしい。
(表紙写真は閑々亭)
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閑々亭。
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「閑々亭」。
「閑々亭
寛永三年(一六二六)伊勢国安濃津藩主(三重県津市)藤堂和泉守高虎は上野の私邸内に東照宮を建て前後してそのとなりに寒松院という寺を建て客をもてなすために立派な家をつくりました。
翌四年東照宮の移し替えの祭りのおり徳川秀忠・家光が相次いで東照宮を参拝し、その帰りに寒松院に立ち寄っていろいろ持て成しを受けました。
閑々亭の名はその時将軍家光が「武士も風流をたしなむほど世の中が閑になったので閑々亭と名付けるがよかろう」といったことに依ると言われています。
寒松院は明治元年(一八六八)彰義隊の戦いで焼けましたが明治十一年(一八七八)五月寒松院の庭になっていたこの場所に閑々亭だけが復旧されその後度々補修されて今日に至っています。」
寛永2年(1625年)に、上野には慈眼大師天海大僧正によって天台宗の寛永寺が建立されており、上野東照宮が建立されたのはその後のことになる。 -
閑々亭の附属施設。腰掛待合か。
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