2018/01/28 - 2018/02/01
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tono202さん
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台北から新幹線とバスを乗り継いでやってきた集集線。終点で昼ご飯を食べて集集に引き返してきました。
ここで自転車を借りてサイクリングを楽しもうと思うのですが・・・・
さてどうなりますか。
集集周辺の探訪報告記です。
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終点の車埕駅から2駅15分ほどで集集駅に着きました。
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駅前は集集線の中でもっとも賑やかで、乗り降りする観光客も一番多いようです。
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地震で倒壊したという駅舎も、今はこの通り復旧。
「日式駅舎」の面影を留めています。 -
この駅の「守護神」たちが周辺を守っています。
お手洗いも綺麗に保たれています。 -
駅前のレンタサイクル店で、連れ添いが二人乗り自転車に乗りたいというので借ります。1日一人100元。二人乗りなので200元。
そして、この地図を渡され行くべき所に印をつけて「oK」かと確認されました。
非常にイージな地図ですがグーグルと併合しながら進めばなんとかなるでしょう。 -
まずは集集線に沿って整備された自転車道を東に進みます。
所々に立つモニュメントが私たちを迎えてくれます。 -
線路の向こう側には台湾バナナの畑や・・
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檳榔の木(?)の畑が広がり旅情が出てきました。
今は檳榔(びんろう)の収穫期でもあるようだ。
ペダルを漕ぐ二人のリズムもあって来て良いサイクリングです。 -
道の向こうには戦車や戦闘機の姿が見えます
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軍史公園のようです。
興味が無いので素通りです。 -
次に現れたのは蒸気機関車。
イベントの際には今でも、このサイクリングロードを走るそうです。 -
2㎞あまりの道のりを10分少々で到着したのがここ。
説明板には次のように書かれていました。
明新書院は、清朝末期の光緒帝の時代(1908年)に、この地に移築された。
その際に、この廟の土地は日本人の原什太郎から寄付された。ここには文昌帝君と紫陽夫子が祀られ、正殿の隣の過水の間には地蔵王菩薩神殿があり、開廟にかかわった人々の位牌が収められている。義学として集集文化の中心地となっている。 -
明新書院は、講堂と斎舎の間に翼房がある正殿を中心となっている。
この建物は1985年)に三級古蹟に指定され、原型に従って全修復されたが、日本式の様式が取り入れられているのはそのまま残した。これも日本統治時代を経験したという歴史の証明となっている。 -
正殿は講義のためのもので、殿宇は高くそびえ、屋根の棟の上にある麒麟を御している男の子の飾りは、今にも動き出しそうです。その両側に置かれた一対の龍は、左右対称の4本の足を草花で飾られており、生き生きとした表情をしています。
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民俗の文化遺産である石のつき臼、酒がめ、すき、蓑、石のひき臼、製茶機などが展示されており、その中でも牛車でかめを運ぶ様子は大変珍しいものです。
以上
そう言えば昨年の冬に訪れた西表島で水牛をもたらしたのは台湾からの開拓民であったと紹介されたのを思い出しました。
東南アジアの水牛が台湾に運ばれ、台湾の開拓民によって八重山諸島に導入され、今は竹富島なので水牛車を牽いていることになります。 -
私が興味深く感じたのは、殿の前に広がる光景です。
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小学校の校庭と境目なく続いているのです。
子ども達が自由に出入りできることになります。
「義学として集集文化の中心地」となっているという文言に納得しました。
ちなみに私が訪れた1月末は正月休みで校庭には、生徒の姿は見えませんでした。 -
明新書院からは自転車道が見当たらず一般道を東に進むと、右手に現れたのがこれ。
自然史博物館のようです。
「中には台湾の生物の標本がきちんと整理されて展示されており、生態系に興味を持つ人には必見の場所」だそうですが、生態系に興味が無いのでPass。
ここで左手に折れて文心街を西に下って行きます。 -
渡された地図の次なるチェックポイントはここ。
威圧感さえ感じる大きな「寺院」 何を祀っているのか気になる。
説明板には
「據傳於清朝同治年間,由先民從大陸移民來臺,時恭請玄天上帝香火供奉在民間蔡振枝先生吉宅。爾後神威顯赫,恩澤?里。
公元一九二三年民國十二年因?民感恩遂發動建宮濟世,設於現址右側,邀請福州雕刻名師,依湖北武當山南岩祖廟玄天上帝原貌神態雕塑奉祀。將此更迭顯化、遠近慕聖,信眾擁湧而至,造成壅塞諸多不便。民國七十九年為擴建宮殿,老主委?朝瓞發心捐地,由籌建主任委員陳永錡?眾委員及善心仕紳發起?購宮地大興土木。
意訳すると
清朝同治年間に大陸から移ってきた客家同胞が郷里の玄天上帝の信仰を守ってきた。辛亥革命後の1923年に現在地周辺に信仰施設を建立することになった。そして湖北武當山南岩祖廟玄天上帝を招来し祀った。
とある。 -
玄天上帝の聖地は、湖北省武当山で世界遺産にも登録されている。
ここには大陸から招致された玄天上帝が祀られているということらしい。
湖北省の本地の建物に負けずこの武昌宮も、鮮やかな色彩と、力強さと威厳に溢れているなあとぼんやり見ていると・・・
後に傾いた建物が見えてきた。 -
第一印象は「これなあに?」
近づいて説明板を見て納得
1999年9月21日 集集を中心に起きた地震で倒壊した旧武昌宮なのだ。 -
それをそのまま「記念物」として残し、その前方に新しい建物を建てたのだ。
洞爺湖噴火の「被災建築物」を見たときの衝撃を思い出した。
震災の被害を忘れない「実物教育」として残されている。 -
川沿いに周辺のサイクリングロードを走る。
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畑には目新しく名前の分からない作物がたくさん植わっている。
なにやろ?
なにやろ?と自説を互いに主張する。
それが楽しい。 -
そして集集老街を抜けて大樟樹(和平公園)へ向かう。
現「明新書院」「武昌宮」ともに、1923年の集集線の開通と前後している。
この時代に、濁水沿いのこの地域が開拓期から安定期に入ってきたことが推察できる。そして、その主体は大陸からの客家を中心とする人々だったようだ。 -
この地方はびんろうの産地でもあるようだ。
檳榔をあつかう店の看板があちらこちらに見受けられる。 -
右側通行のメインストリートを二人で息を合わせて漕ぐ。
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そして到着したのがここ。
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大樟樹。
大きな樟が周囲に枝を伸ばして木陰を作っている。
日本統治下で樟から樟脳をとるために多くのクスの大木が切り倒されたが、この木だけは「樟樹公の神木」として残されたという。
樹齢700年の大木は、原住民がオランダ人や中国からの開拓民たちに追われていく姿や日本人が来て支配者として統治する姿を見守ってきたことになる。 -
その下には大眾爺祠。
説明板によると
清朝政府の官吏横暴に対して、天地会等が蜂起し反乱を起こしたが大陸からの増援部隊により鎮圧され多くの人々が処刑された。その人達を弔うために神木である大きな樟の下に祠が建てられたのが始まりと書かれてあった。
上帝会や客家の活発な動きがうかがえる。 -
ぼんやりと木の下で休んでいると・・・
やってきたトラックの荷台には・・・ -
これなあに?
竹で編んだもののようですが・・
この竹細工の技術 凄い。
何かのイベントに用いられるものなのでしょうか? -
そろそろ集集発の列車の出発時間です。
駅まで帰ってきました。 -
そして、やってきた列車に乗り込み
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往路と同じく田中駅で乗り換え、新彰化駅から新幹線で台北に帰ってきました。
台北は雨でも台中は晴れ。
台北が雨の時には、新幹線で台中や台南観光もありでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Islanderさん 2018/02/05 21:31:02
- ドラゴンフルーツでは?
- 集集線、乗ってみたいですね。レンタサイクルだと行動範囲が広がって効率的に観光できますね。参考にさせていただきます。サボテンのような植物はドラゴンフルーツではないでしょうか。国内でも沖縄で見たことがあります。
- tono202さん からの返信 2018/02/06 11:30:30
- Re: ドラゴンフルーツでは?
- なるほど、これにあの紅い実が付くのですか。
実を見たことはありますがこんなサボテンの実だとは知りませんでした。
連れ添いにも伝えておきます。ありがとうございました。
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