2018/01/28 - 2018/02/01
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tono202さん
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1月末に台北にやって来て寒い雨の日が続く。
ついついホテルで「沈」したくなるが、小雨をぬって近場の龍山寺へ出かけて見ることにする。
大陸からの交易者たちが台北で最初に定住した龍山寺界隈を歩いてみることにする。
ここには漢方の薬草を扱う店も並んでいるという。
まずは地下鉄龍山寺駅を目指す。
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MRT龍山駅で下車。
2番出口 龍山寺商場より入り出口へ進み龍山寺駅 駅
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地上へ出れば艋舺公園。
そして北側に龍山寺の山門が見えてくる。
この付近は原住民平埔族ケタガラン族の交易民が住んでいたところで、ケタガラン語で丸木舟を意味する「ヴァンカア」が語源で、それに台湾語音で「艋舺」という漢字が宛てられ地名となっている。
淡水流域の山から切り出した木が、ここに貯木され、水運を利用して各地に販売された。そのため台北では最も早くから交易都市化したした地域のようだ。
1920年(大正9年)日本統治下で「艋舺」の標記から発音が類似し、「万年の繁栄」との願いを込めて「萬華」(新字体:万華)と改変され今に至っているようだ。龍山寺 寺院・教会
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山門の棟の上にはお約束のトリオが並んでいます。
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麒麟を御している男の子の飾りは、今にも動き出しそうです。
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その両側に置かれた一対の龍は、左右対称の4本の足を草花で飾られており、生き生きとした表情をしています。
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門の内側天井の飾りも見事です。
大陸の媽祖廟が文化大革命の時に破壊され、その後建立された建物がワンダーランドのような様式のものが多い中で、「歴史性」を感じます。 -
山門は閉じられ入口は右手側にあります。
入場料は「不要」
しかも、呼び止められて線香を手渡されました。
京都の観光化した寺社も、この「姿勢」に学びなさいと悪態をつきながら境内に入っていきます。 -
さきほど見上げた山門を振り返ってもう一度確認。
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そして正殿に向かって線香を手向け、合掌。
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台湾は福建南部から移住した開拓民が多いが、彼らは出航の折に媽祖を祀って航海中の安全を祈り、無事に台湾へ到着した事を感謝し媽祖廟祠を建てた。
このため台湾では媽祖が広く信奉され、今ではもっとも台湾で親しまれている神になっている。
かつては日本統治下の神道強制によって弾圧を受けた時期もあった。
ちなみに台北最大規模だった「天后宮」は1908年に撤去され、その上に博物館(現 国立台湾博物館)が建てられた例もある。 -
下町にあるお寺として浅草寺と比べてしまいますが、熱心に祈る人たちの多さに圧倒されます。当たり前のことですが、観光地であるより前に祈りの場なのです。
線香の煙は絶えません。 -
正殿の裏側には多神教の偶像崇拝の好例が見られます。(神道も似たり寄ったりですが)
その真ん中に位置し、最も人々の信仰を集めるのが・・・ -
媽祖神です。
媽祖は実在の人物で、宋代の福建省の官吏の娘:黙娘です。小さい頃から才気煥発で信仰心も篤く、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められました。
しかし、28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなり、これに悲嘆した彼女は旅立ち、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったと言われます。
媽祖が従えているのが千里眼(せんりがん)と順風耳(じゅんぷうじ)の随神です。 -
媽祖は、航海・漁労などに利益があるとされ、中国南部の沿岸地方で特に信仰を集め、後には元世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、清代康熙23年(1684年)に皇帝からは天后に封じられました。そのため媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれます。台湾では大天后宮(台南市)が最古の廟になるようです。
江戸時代に長崎に出入りした中国船も媽祖神を守護神として祀り、港に停泊中はその像を唐寺預けていたことを思い出しました。 -
こちらは若い女性に人気の神様
若い男女の縁結びを行うそうです。 -
赤い糸の伝説を信じる女性達の祈り花が供えられていました。
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そして、一番左が定番の関羽像。
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ここにも熱心に祈りを捧げる人が絶えません。
江戸時代に「流行神」が大流行した庶民信仰の一端を覗いたような気になりました。 -
龍山寺を出て境内の塀に面する東側の路地に入っていきます。
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「青草港」という路地です。
何が特色かというと・・・・漢方薬=青草の店が狭い路地に並んでいます。青草巷 市場
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ここから東の「剥皮寮」にかけては、この地区が栄えていた頃の歴史的旧市街が残されています。その路地を歩いてみることにします。
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まずは「青草港」
ここには、昔から漢方の「青草」を扱う店が密集していたようです。。 -
こんな風景が残っているのか「青草ストリート」に入って行くと・・・
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いまも昔の写真と変わらない光景がありました。
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店には煎じて飲む薬草がいっぱいです。
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店の境も分かりません。
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見たことのない薬草がいっぱい。
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野菜ではありません。
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もちろん効能も分かりません。
見慣れた草を見つけては「ああでもない こうでもない」と楽しみます。 -
歩き疲れたので、ペットボトルに入った青草茶を一杯いただきました。
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さて路地をでるとドーム型のお店?
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どうも違うようです
看板には地蔵王廟と書かれています。
台湾の市街地の廟は、本殿の前にはこのような屋根が建てられて、広場としても活用されていました。 -
その横の路地に入っていきます。これが昔の青草街であったようです。
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この路地を抜け康定路を横切った向こうが目指す?皮寮歴史街区のようです。
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しかし、近づいてみると・・・・
本日(月曜)は休館日。
路地自体が封鎖されていました。 -
広州街から反対側へ回り込んでも、閉鎖されています。
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この通りは「街並み保全地区」のような感じで、建物が保全され、古く見せた看板が掛けられています。
映画の撮影などにはおあつらえ向きで、この時も閉鎖された通りで、ライトを灯して撮影が行われていました。 -
生活感のない保全建物を見回して・・・・
さてどうするか。
雨は降り止みません。
2時間近く動きました。
連れ添いのエネルギーが切れてきたようです。
ホテルで昼寝の時間のようです。
予定の1/4程度の散策でした。
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