2017/12/30 - 2017/12/30
3736位(同エリア6668件中)
コタさん
年も押し迫った12月30日にお天気も良かったので将軍塚に登り、祇園界隈をウロウロしてきました。
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いつものように京阪三条からスタート。知恩院の前を通って青蓮院門跡へと。ここの楠には圧倒される。
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三条通りの粟田神社鳥居前にある相槌稲荷の鳥居群。ここは三条小鍛治の言い伝えのある由緒正しい神社。
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神社本体は路地裏にあるが最近建て直されたよう。
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相槌稲荷の前の参道を登ると粟田神社。三条通りに面し昔は東海道五十三次の沿道でこの辺りには刑場もあった。
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粟田神社境内にある展望台からは北山方面が一望。平安神宮の大鳥居も見える。昔はこの粟田神社の奥から将軍塚に登る道があったが今では閉鎖されていてぐるっと回り込まないと行けないようになっている。
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ぐるっと回り込むと元三大師尊勝院。厄除けの角大師のお札もあるところ。ここからも北山方面が良く見える。
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尊勝院からはひたすら山道の上り坂。それでも15分ほどで東山連峰の稜線上へと。稜線には青蓮院大日堂があり、ここに青不動が祀られている。ここの展望台からの景色と青不動を見たかったのだが結構な団体さんがいたので断念。
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山科方面も良く見える。
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将軍塚の展望台から市内方面。展望自体はまずまず、大文字の方が良く見える。
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下りは円山公園・知恩院方面へと。途中石仏が多い。あっという間に円山公園と知恩院への分岐路に。
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知恩院の梵鐘が気になったので知恩院方面へと。こちらには法垂の窟という法然上人が庵を結んだ(いわゆる吉水草庵)ところがある。知恩院の大梵鐘から5分位登っただけのところですが辺りは深山幽谷。
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少し下ると除夜の鐘で有名な大梵鐘。翌日が大晦日なのに特に変わったことのない日常風景。
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本家吉水草庵の安養寺。昔は円山公園はこのお寺の境内だったのが。
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円山公園を経由して八坂神社。祇園祭の発祥元である疫病退散を願う疫神社。蘇民将来を祀る。祇園祭の山鉾で配られる粽には蘇民将来の子孫也、との護符が貼られている。その昔印度の祇園精舎の守護神である牛頭天王が南海に旅立った際に一夜の宿を長者である巨旦将来に求めたが断られ、貧しい蘇民将来が一行を泊めてもてなした。牛頭天王は帰途この村の者を全滅させたが蘇民将来一家のみを助け、茅の輪を護符として渡した。この茅の輪が変形し粽となり、八坂神社(祇園社)の祭りに護符として配られるようになった、との言い伝え。牛頭天王は神仏習合で今ではスサノオになって祀られている。
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八坂神社境内奥にある忠盛灯篭。忠盛は平清盛の父親。その昔白河天皇が祇園女御の元に通う際に祇園社の境内を通り掛り、暗闇に怪しい灯りを点しながら動いている物の怪を見つけ付き人の忠盛に成敗を命じた。忠盛が注意深く観察すると、それは蓑を被って灯篭に火を付けて回っている神人であった。無駄な殺生を避けた忠盛は天皇に賞賛され、その灯篭は忠盛灯篭と言われるようになった、という言い伝え。
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悪王子社。忠盛灯篭の横。悪は悪いではなくて強い、即ちスサノオです。ヤマタノオロチを倒したくらい強いスサノオ、しかし荒ぶる神。元はこの社は四条烏丸辺りの街の真ん中にあったのが秀吉によって移転されて最終的に同じスサノオを祀る祇園社の境内に移ってきたというもの。
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さらに隣にあるのが美御前神社。宗像三女神が祀られている。うちイチキシマヒメは最も美人で水の神とされることから弁財天と同一視される。神社前にはご神水が湧きその水で顔を濡らすと美人になるとのこと。
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祇園の街中を南下、建仁寺へと。海北友松の雲竜図の障壁画(デジタルコピー)はいつ見ても見飽きない。
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枯山水の庭も、いつまでも居れそうな感じなのだが先を急ぐ。残念。
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俵屋宗達の風神雷神図屏風。これもデジタルコピー。
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法堂の天井絵双竜図。小泉淳作画伯作。
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