2017/11/12 - 2017/11/12
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SUOMITAさん
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昭和以前の雰囲気が色濃く残る,魚津の街を歩く.以前にも来てタクシーで回ったことのある街だ.伏見稲荷魚津大社,桃原寺,西願寺,長円寺,角川橋,大町小学校,米騒動発祥の地(魚津水産),長教寺,てんこ水,米騒動の井戸跡と歩いた.あまり観光化されていない街で寺の本堂などは入ることができなかったが,古い漁業で栄えた,米騒動発祥の街のかつての繁栄をしのびながら散歩することができた.しかし日本からこんな懐かしい街並みがどんどん消えてしまっている.私のふるさとの東京西部も昔はこんな感じだったっけ.懐かしさを覚えつつ散歩した.観光化されていない街歩きも楽しい.
以前2011年7月に仕事で魚津に来たことがある.その時の印象が深くまた来てみたくなった.
https://4travel.jp/travelogue/10588402
【国内68】魚津出張とんぼがえり1-夕方の魚津,諏訪神社,万灯台
https://4travel.jp/travelogue/10588630
魚津出張とんぼがえり2-旧北陸街道,旧十二銀行,鮨やぐら
http://www.uozu-kanko.jp/wp/wp-content/uploads/2012/01/pamph07.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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1035 電鉄魚津駅を出発
電鉄魚津駅 駅
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新宿通り商店街
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小さな道を曲がり伏見稲荷魚津大社 ここで高齢の人に話しかけられる.「なにしているの」「街歩きです.」「どこから来たの」「東京」「それはいいことだ」
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イチオシ
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拝殿から神殿を見る
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住宅地に朱の鮮やかな神社がある.沿革はわからなかった.
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桃原寺 山門を裏から
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浄土真宗本願寺派慶谷山桃原寺は口承によれば、1,000~1,200年ほど前に遡ると言われ、創建の地とされる医王山(富山県と石川県の県境)には「桃原寺」という地名が残っています。その後、その後早月川上流の虎谷、角川下流の慶野から現在地へ移ってきました。永正7年(1510)虎谷の地に仏閣があったころに真言宗から浄土真宗へ改宗しました。
本堂内陣の欄間には魚津市指定重要文化財に指定されている龍の彫刻があります。この龍が水を噴くと火事があるという言い伝えがあり、火災を予知し、水を噴くことで寺をお守りしてくれていると崇拝され、『水噴きの龍』と言われています。しかし、時々暴れ回って田畑を荒らして人々を驚かすので棕櫚縄で縛りつけて動けないようにし、左目に五寸釘が打たれています。昭和18年(1943)、昭和31年(1956)の魚津大火にも桃源寺が焼け残ったのは、この水噴きの龍のおかげといわれています。http://www.uozu-kanko.jp/?p=3313 -
残念入口が閉まっていた
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ここにも龍があるが中の水噴きの龍は有名だ.観光客が少ないせいか中を見せてくれるところが少ないのが難点
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鐘楼
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イチオシ
郡金山養林院西願寺 1470年開基 栄海上人 赤門の寺 浄土宗
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古い街並みだ
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長円寺 真宗大谷派
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角川に 角川橋が見える 南へ歩く
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上口橋がみえる
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レトロだねえ
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旧北陸街道 県道1号線
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1101 大町小学校
魚津城跡 名所・史跡
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魚津城は、旧魚津市街地の中心部に位置する平城で、椎名孫八入道胤明が建武2年(1335年)に築城と伝わっていますが定かではありません。
北陸道の押さえとなる一方、松倉城への主要ルートと考えられる角川の河口に位置する海陸の交通の要所でもありました。
天正10~11年に織田勢が上杉方を制して以来、佐々成政、次いで前田利家の支配下となり、江戸時代初期には廃城となりましたが、重要な地にあることから、加賀藩は米蔵や武器庫を置いて万一に備え、周囲に郡代行や奉行所などを配したので、魚津街は近世城下町として新川群の政治・軍事の中心として繁栄しました。
明治初期ごろまで、堀や土塁などが残されていましたが、のちに破壊されて当時を偲ぶものは何もありません。城址の様子は天明5年(1785年)の「越中魚津街惣絵図」に描かれており、これによると本丸とそれを三方から囲む二の丸が見てとれますが、二の丸は元々四方を囲むものであったと推定されます。
現在、その跡地には大町小学校が建っています。
「武士の鎧の袖を かたしきて枕に近き 初雁の声」越中に攻めいった上杉謙信が魚津城外にて詠んだもの -
柴田勝家を総大将とする織田信長軍と上杉景勝軍との戦いです。
天正10年3月23日、魚津城の指揮官の中条景泰は、上杉景勝の側近直江兼続宛てに救援要請と落城間近で決死の覚悟であること訴えましたが、景勝はすぐには来られずようやく天神山に布陣したのは5月15日です。しかし、織田軍に二の丸を占拠された為、魚津城への救援は妨害され、さらに織田軍が上杉方の本拠地である越後の春日山城への侵攻の動きをみせたこともあり、景勝は26日に天神山城を撤退し、魚津城は孤立無援の状態になります。その後、篭城戦を展開しましたが、魚津城内では兵糧も尽き落城を悟った上杉方の守将12人が自害して魚津城は6月3日に落城しました。
一方、落城前日の6月2日に「本能寺の変」が起こっていました。織田信長が明智光秀の謀反にあい、自害を遂げたという知らせが魚津城に届いたのは、落城後の6月5日以降といわれています。知らせがもう少し早く伝わっていたら、悲劇的な結末を迎えることはなかったかもしれません。
当時を偲ぶものは、児童玄関前にある石碑や常盤の松、上杉謙信の歌碑のみです。 -
魚津市忠魂碑 ずいぶん大きい 大町幼稚園の裏側にある
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うしろから金刀比羅宮へ 1532年より魚津城内の鎮守
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天神様も合祀
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イチオシ
狛犬がかわいい
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イチオシ
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こちらが入口
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1113 魚津水産株式会社
米騒動発祥の地 名所・史跡
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イチオシ
魚津町は江戸時代から越中東部の政治・経済の中心地でした。
明治時代の近代化とともに、貧冨の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊り上げが起こっていました。大正年間には、15,000人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出しで栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいました。
大正7年7月23日、北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展しました。日本の近代史を語る上で、大きな事件である米騒動に関する遺跡は全国的に少ないです。米騒動が起こった現場に、当時の建物が現存するケースは、旧十二銀行米倉の他にはありません。魚津では、この地を米騒動発祥の地として顕彰しています。http://www.uozu-kanko.jp/?p=1216 -
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一杯説明が書いてある
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ここからの大町海岸
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ここで蜃気楼が見えるらしい
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富山市草島の北陸電力火力発電所 このあたりが蜃気楼になる
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大町海岸公園のモニュメント
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米騒動の説明がたくさん
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遠く能登半島
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魚津ミラージュランドの観覧車
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大町海岸公園の全景
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最初に託児所ができた 三銭学校といった 1932年のこと
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現在の魚津保育園 進んでいたんだね
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旧北陸街道を歩く むこうの茶色いビルが下田温泉
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下田温泉の駐車場
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なんと銀座商店街 残念なことにシャッター通りになってしまっている
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イチオシ
長教寺 日蓮宗
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文明年間(1469年 - 1487年)に松倉城下にて創建。天正年間(1573年 - 1592年)に寺町に移る。その後天保年間(1830年 - 1844年)に、現在地に移った。尚、この地にはかつて魚津町奉行所が設置されていた。一時期のみ、開校間もない魚津市立大町小学校の仮校舎としても使用された。Wikipedia
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南無妙法蓮華経だね
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諏訪神社の方に向かう
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鴨川の橋
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鴨川
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てんこ水という
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いまでは枯れてしまっている
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あまりきれいではない
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浄土宗大泉寺 浄土宗・金谷山大泉寺は、かつては松倉城下・現在の鹿熊・春日神社直下の角川沿いにあったとされます。「魚津古今記」に大泉寺についての記述があります。それによると、椎名氏の奥方の菩提寺としての伝説があるといいます。
松倉城落城後の弘治年間に松倉から魚津・馬出町に移転したそうです。本尊の阿弥陀仏は、慈覚大師の作と伝え平重盛公の守護仏としてあったもので、縁あって椎名氏の奥方看経仏となり、松倉城落城のおり、この仏を寺に投げ入れたと言う。なお、現在の境内には、小貝塚という芭蕉の石碑があります。http://heartland.geocities.jp/matsukurajyou/bodaiji/jiin_1/jiin1.htm -
鴨川沿いの道
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諏訪町の下町に入る
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ここに共同井戸があり,ここでの井戸端会議が米騒動に発展したとされる 庶民の不満が一気に発展するときはすごい.1148
近くの諏訪神社に向かう -
魚津パンフ 電鉄魚津駅にあった
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