2017/11/02 - 2017/11/02
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belleduneさん
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法隆寺手前にある「慈光院」へ行き、書院を見てきました。ここには2つの茶室もありますが、かの篠原一男氏が絶讃された書院を是非見たおこうと友人と訪れました。友人は、30年程前に来たそうですが、その頃は鄙びたお寺という印象だったそうですが、私達がお寺に着いたと同時に、団体の訪問者がとっど押し寄せ、静かに鑑賞したかった思いを打ち破られました。すぐに書院の間で、お抹茶を頂きながら、お坊さんの立て板に水の如き、説明を聞きました。団体客が去った後、ゆっくり見させて頂きましたが、そうこうする内に、新たな団体客が押し寄せて来ました。このところ、台風なので、ツアーが延びていたそうで、皆さん嬉しそうでした。
最初に訪れるところは、第一印象が大事だと再認識しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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慈光院は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院です。山号は円通山。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が寛文3年(1663)に創建しました。
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奈良駅からのバスだと1時間に2本ほどしかありませ。バス停は「慈光院前」より「片桐西小学校前」の方が近いです。
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父・片桐貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉船和尚を開山に迎えて、建立しました。慈光院の名称は、父の法名である「慈光院殿雪庭宗立居士」から採ったものだそうです。
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片桐石州の説いた茶の教えは、武士の間で広く伝わり、徳川四代将軍家綱をはじめとして各地の大名が多く学ぶようになりました。慈光院が境内全体が一つの茶席の風情となっているように作られているそうです。表門から玄関までの道、座敷、庭園、路地を通り、小間の席へ茶の湯で人を招く場合に必要な場所が石州の考えるストーリーそのままに残されていると言われています。
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土塀も修復されています。最近、法隆寺の団体客の寄り道とでも言うのでしょうか、多くのツアーがここに立ち寄られていくようです。
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茨木城楼門は、片桐石州の出生地である摂津茨木の門を買い受けて、屋根を書院と合わせて茅葺に葺き替えて慈光院の山門としたそうです。徳川家康の発した「一国一城令」によって城は取り壊されました。志賀直哉が好んだ門で、写真集「座右寶」を大正15年に出版していますが、その中にこの門が入っています。
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門をくぐって見たところです。
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書院玄関方向の景色
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庫裏玄関への露地。表門からずっと露地に水を打ってあったので、午後なのに珍しいなと思っていたら、私たちが靴を脱ぐと同時にどっと押し寄せて来た団体客の勢かと...
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庫裏玄関
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寺全体は、こんな風になっています。本堂は後になってから造られました。
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書院玄関から見た茨木門
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茅葺の屋根軒下を見る
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書院「不昧室」へ向かいます。でもこれは帰る時に撮ったもので、入る時は大勢の人で埋まっていました。ツアーだと滞在時間が短いので、暫くすると静かになりました。
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書院は、「上ノ間」が13畳の書院広間の席、「中ノ間」、水屋のある「下ノ間」からなっています。
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床、府書院はありますが、長押は省かれており、簡素で軽やかな意匠となっているようです。
全体に天井や鴨居の高さを低くして、座敷の座った時に最も落ち着くように考えられています。 -
竿縁天井が基本の書院造
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「下ノ間」の水屋です。
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奈良盆地を借景としたお庭を見ています。昭和30年代、入江泰吉氏撮影の写真を見ると、ここから眺望は田畑が広がる真っ平らな盆地の風景でした。今は、住宅が広がり、工業施設も目に入るため、遠くから見た方が良いかもしれません。
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上の間、中の間から見た庭園の景色
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ここは石ではなく、サツキの丸い刈り込み、数種類の寄せ植えの刈り込みなど庭園を造っています。
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『外部と内部が一体となる日本建築の在り方は、日本文化の根幹的思想をよく表した構成である...東から南へと廻る鍵の手型の広縁、軒先きと縁先が作り出すフレーミングの効果で庭の美しさがさらに際立つ...襖や建具を全て開け放した一室空間が広縁へと繋がった空間構成は、日本建築の住空間の美しさの典型のようだ。』建物も庭もとても控えめな作り方は、石州流の茶の精神そのままなんでしょうか、と篠原一男氏が言われていました。暫しここに座って、じっくりと鑑賞...
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京都ではあまり見たことのない広縁ですね。
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面取りした角柱が並ぶ広縁
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書院側にある「角ばらず」の手水鉢です。素材、形状、配置全て石州のこだわり、演出。
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茶室「高林庵」二畳台目
片桐石州の代表的な席で、手前畳の奥に床の間がある亭主床になっています。 -
客間二畳に高さをずらした連続する横長連子窓
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亭主床になっています。
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直径5cmほどの中柱は、クヌギ皮付き、天井直前の曲がり具合が絶妙です。壁止めである節3つの横竹が良いとのこと。
天井は、杉杢、黒竹の竿縁は床差し。床差しとは、天井の竿縁材が床柱に直角に収まることで、床の間を否定することから、不吉とされ、嫌われています。武家の家では、切腹の間に使用されていたそうです。この茶室では、なぜ床差しとしたのか疑問です。 -
二畳台目の隣にある二畳の控えの間を設け、中の襖を外して、四畳台目のように使ったり、懐石の配膳場所に使ったりと使い勝手を考えた席ということです。時代、作者、形状などが証明できる最古の席と言われています。
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建物裏から茶室を見たところです。
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庭園に降りて見ます。
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茅葺の屋根が農家のような雰囲気を出しています。
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これが皐月の丸い刈り込みです。
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奥が高林庵の躙口への露地となっています。
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書院の足元
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書院の広縁書院方向
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「閑茶室」の丸窓を廊下から見ていますが、中へは入れないので、内部から見てたい...
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道安好みとも言われているそうで、逆勝手の向板、向切で、躙口はありません。廊下の貴賓口から入るようになっています。二畳台目と比べると、席は暗く、床の間、天井の形式、炉の位置などを比べると、陰陽がはっきり付けられていて、この二つの席で一対とするのが、本来だと言われています。
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席に出入りする貴賓口です。
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本堂に向かう廊下脇にあるのが、「女ノ字」の手水鉢です。
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左が閑茶室。右が本堂。
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本堂には、片桐石州像、本尊の釈迦如来像、玉船和尚像が安置されています。本尊は、慈光院建立以前にここにあった惣善寺に祀られていたものを石州が台座と光背、手先を修理し、この慈光院の本尊にしたと言われています。
玉船和尚は茶と禅を深く結びつけた方で、現在まで代々使われている表千家の「宗左」、武者小路千家の「宗守」の家元の名前は、共に和尚が授けた名前だそうです。石州が自分のために大徳寺の中に建てた高林庵に祀った34歳の時の自作の坐像で、廃仏毀釈で高林庵が廃寺となったので、慈光院に移されました。 -
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正面に閑茶室を見る
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閑茶室を正面に見る
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中庭にある立派なゴヨウマツ
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