鳴門旅行記(ブログ) 一覧に戻る
B1フロアは、ゴヤ作品がバロックである他は、人気の高い近代絵画のオンパレードです。<br />近代西洋絵画の起源には諸説ありますが、定説は1874年の第1回印象派展です。絵具の進歩が戸外で描くのを許容し、光を捉えようとする印象派が誕生しました。印象派展は、それまでサロンが牛耳っていた画壇に対し、新派の画家たちが反旗を翻した歴史的転換点でした。印象派の特徴は、色彩の分割にあります。画面を一様に塗らず、光を捉えようと筆のストロークを短くして色を重ねました。<br />その後、印象派の手法はニュートンやゲーテによる色彩学を取り入れ、点描画へと発展しました。ですから、点描画は「ネオ印象派」と呼ばれます。<br />しかし、やがてポスト印象派へと移行していきます。ポスト印象派とは、英国で企画された展覧会「マネとポスト印象派の画家たち」に由来する呼称です。ポスト印象派の共通点は、美学を追求する姿勢にあり、派閥としての結び付きは希薄でした。代表的な画家は、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ等です。<br />しかし、やがて目に映るものを忠実に捉える「写実主義」から、画家の内面を表現する「表現主義」と、象徴的なもので暗喩して内面を表す「象徴主義」へと遷移して行きます。象徴主義の萌芽はモローとされ、クリムトやセガンティーニ、ルドン、バーン・ジョーンズ等が代表です。<br />ポスト印象派のセザンヌの最大の功績は、単視点描画を止め、多視点を取り入れたことです。やがてこの多視点描画は、もう一つの路線となるピカソやブラック等のキュビズムへと継承されました。ブラックがセザンヌに感銘を受けて描いた風景画を見たマティスが、「小さなキューブによる絵のようだ」と語ったことがキュビズムの語源です。<br />大塚国際美術館のHPです。<br />http://o-museum.or.jp/

桐葉知秋 阿波紀行⑤大塚国際美術館 B1フロア

713いいね!

2017/10/06 - 2017/10/07

5位(同エリア1479件中)

2

38

montsaintmichel

montsaintmichelさん

B1フロアは、ゴヤ作品がバロックである他は、人気の高い近代絵画のオンパレードです。
近代西洋絵画の起源には諸説ありますが、定説は1874年の第1回印象派展です。絵具の進歩が戸外で描くのを許容し、光を捉えようとする印象派が誕生しました。印象派展は、それまでサロンが牛耳っていた画壇に対し、新派の画家たちが反旗を翻した歴史的転換点でした。印象派の特徴は、色彩の分割にあります。画面を一様に塗らず、光を捉えようと筆のストロークを短くして色を重ねました。
その後、印象派の手法はニュートンやゲーテによる色彩学を取り入れ、点描画へと発展しました。ですから、点描画は「ネオ印象派」と呼ばれます。
しかし、やがてポスト印象派へと移行していきます。ポスト印象派とは、英国で企画された展覧会「マネとポスト印象派の画家たち」に由来する呼称です。ポスト印象派の共通点は、美学を追求する姿勢にあり、派閥としての結び付きは希薄でした。代表的な画家は、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ等です。
しかし、やがて目に映るものを忠実に捉える「写実主義」から、画家の内面を表現する「表現主義」と、象徴的なもので暗喩して内面を表す「象徴主義」へと遷移して行きます。象徴主義の萌芽はモローとされ、クリムトやセガンティーニ、ルドン、バーン・ジョーンズ等が代表です。
ポスト印象派のセザンヌの最大の功績は、単視点描画を止め、多視点を取り入れたことです。やがてこの多視点描画は、もう一つの路線となるピカソやブラック等のキュビズムへと継承されました。ブラックがセザンヌに感銘を受けて描いた風景画を見たマティスが、「小さなキューブによる絵のようだ」と語ったことがキュビズムの語源です。
大塚国際美術館のHPです。
http://o-museum.or.jp/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス JR特急 徒歩
  • コローなど印象派の画家の絵画がずらりと並ぶ壮観な回廊です。<br />こうした大胆な展示方法は、ルーヴル美術館を彷彿とさせます。<br />スペースが潤沢になければ、こうした展示はできません。

    コローなど印象派の画家の絵画がずらりと並ぶ壮観な回廊です。
    こうした大胆な展示方法は、ルーヴル美術館を彷彿とさせます。
    スペースが潤沢になければ、こうした展示はできません。

  • マネやルノワールの作品の展示ルームです。<br />

    マネやルノワールの作品の展示ルームです。

  • エドゥアール・マネ『フォリー・ベルジェール劇場のバー』(1881~82年 コートールド美術研究所蔵)<br />マネが死の前年に制作した、総決算とも言える最後のサロン入選作です。この頃、マネは梅毒で左足が壊疽し、激痛に耐えながら劇場に通って描きました。暫くして歩けなくなると、アトリエにバーのセットを組み、女給仕シュゾンをモデルにして完成させました。マネが最も印象派に近づいた作品とされますが、他の印象派との相違点は黒色の多用です。しかし、黒と白を基調にしながらも色彩感覚に溢れ、華やかな印象を与えています。<br />パリの社交場「フォリー・ベルジェール劇場」のバーが舞台です。フランス初のミュージックホールの賑やかな「動」の雰囲気が、それとは対照的に「静」を感じさせる女給仕の周りに広がっています。鏡に映った世界は虚像でしかないことを、彼女の虚ろな表情で暗示しています。また、ホールでは、高級娼婦が公然と客引きをする時代でした。つまり、女給仕は、カウンターの上の酒と同様、自らも商品となる宿命なのです。マネは、急速な近代化によって大都会になったパリに生きる人たちの不安も見透かしています。<br />女給仕の背後には大きな鏡があり、シャンデリアの下で客が飲食する様子が映っています。その鏡の中に彼女の後ろ姿と彼女に話しかける男性客が映っているのが、この絵の最大の謎です。カウンターと鏡は平行ですから、このように人物が映り込むのは不自然です。マネは、意図的に正面向きの構図を用い、実際には2人の姿は鏡に映り込まないのに、それを敢えて右に移動させて描いています。彼女の前に立つ男性の視点がこの絵の視点であり、つまり「男性=この絵の鑑賞者」ということです。鑑賞者は男性と同じ視点である一方、鏡にはもっと引いた所から第三者的な視点を通して2人を映し出しています。つまり、キュビズムの要素がこの絵に見られるのです。しかし、あまりにも進歩的だったため空間的矛盾として、発表当初は評論家から酷評を受けました。<br />何故ここまで拘った不自然な構図にしたのでしょうか?彼女は手持ち無沙汰なのではなく、客と会話している最中で、その時の彼女の一瞬の表情を客の立場にある鑑賞者に見せたかったのだと推測されています。ですからこの絵は、鑑賞者を虚像ではあるが煌びやかなパリの夜の世界へと誘うのです。 まさしく、劇場的な要素を取り込んだ傑作と言えます。恐らく、他の印象派の画家にはこうした絵は描けなかったでしょう。

    エドゥアール・マネ『フォリー・ベルジェール劇場のバー』(1881~82年 コートールド美術研究所蔵)
    マネが死の前年に制作した、総決算とも言える最後のサロン入選作です。この頃、マネは梅毒で左足が壊疽し、激痛に耐えながら劇場に通って描きました。暫くして歩けなくなると、アトリエにバーのセットを組み、女給仕シュゾンをモデルにして完成させました。マネが最も印象派に近づいた作品とされますが、他の印象派との相違点は黒色の多用です。しかし、黒と白を基調にしながらも色彩感覚に溢れ、華やかな印象を与えています。
    パリの社交場「フォリー・ベルジェール劇場」のバーが舞台です。フランス初のミュージックホールの賑やかな「動」の雰囲気が、それとは対照的に「静」を感じさせる女給仕の周りに広がっています。鏡に映った世界は虚像でしかないことを、彼女の虚ろな表情で暗示しています。また、ホールでは、高級娼婦が公然と客引きをする時代でした。つまり、女給仕は、カウンターの上の酒と同様、自らも商品となる宿命なのです。マネは、急速な近代化によって大都会になったパリに生きる人たちの不安も見透かしています。
    女給仕の背後には大きな鏡があり、シャンデリアの下で客が飲食する様子が映っています。その鏡の中に彼女の後ろ姿と彼女に話しかける男性客が映っているのが、この絵の最大の謎です。カウンターと鏡は平行ですから、このように人物が映り込むのは不自然です。マネは、意図的に正面向きの構図を用い、実際には2人の姿は鏡に映り込まないのに、それを敢えて右に移動させて描いています。彼女の前に立つ男性の視点がこの絵の視点であり、つまり「男性=この絵の鑑賞者」ということです。鑑賞者は男性と同じ視点である一方、鏡にはもっと引いた所から第三者的な視点を通して2人を映し出しています。つまり、キュビズムの要素がこの絵に見られるのです。しかし、あまりにも進歩的だったため空間的矛盾として、発表当初は評論家から酷評を受けました。
    何故ここまで拘った不自然な構図にしたのでしょうか?彼女は手持ち無沙汰なのではなく、客と会話している最中で、その時の彼女の一瞬の表情を客の立場にある鑑賞者に見せたかったのだと推測されています。ですからこの絵は、鑑賞者を虚像ではあるが煌びやかなパリの夜の世界へと誘うのです。 まさしく、劇場的な要素を取り込んだ傑作と言えます。恐らく、他の印象派の画家にはこうした絵は描けなかったでしょう。

  • モネの作品の展示ルームです。<br />

    モネの作品の展示ルームです。

  • クロード・モネ『印象ー日の出』特別展示(1872年 マルモッタン美術館)<br />印象派の作品は今でこそ特別展では客寄せパンダになりますが、往時は完全な負け組でした。印象派という名も、風刺新聞『シャリヴァリ』がこのモネの作品を揶揄し、「印象的にへたくそだ」と記したことに由来します。<br />因みに、往時の画家の勝ち負けが何で決まったかといえば、唯一の展覧会だった「サロン」に入選できるかどうかでした。しかし、サロンへの出品数が増したため、1798年に審査制度を導入しました。審査があれば当然落選する画家もでてきます。印象派の画家たちが落選続きだったのは想像に難くありません。<br />負け組だった印象派の画家たちは、落選者のサロンの再開を嘆願するも許されず、業を煮やして自ら展覧会を企画しました。これが西洋絵画史上の変換点「印象派展」でした。

    クロード・モネ『印象ー日の出』特別展示(1872年 マルモッタン美術館)
    印象派の作品は今でこそ特別展では客寄せパンダになりますが、往時は完全な負け組でした。印象派という名も、風刺新聞『シャリヴァリ』がこのモネの作品を揶揄し、「印象的にへたくそだ」と記したことに由来します。
    因みに、往時の画家の勝ち負けが何で決まったかといえば、唯一の展覧会だった「サロン」に入選できるかどうかでした。しかし、サロンへの出品数が増したため、1798年に審査制度を導入しました。審査があれば当然落選する画家もでてきます。印象派の画家たちが落選続きだったのは想像に難くありません。
    負け組だった印象派の画家たちは、落選者のサロンの再開を嘆願するも許されず、業を煮やして自ら展覧会を企画しました。これが西洋絵画史上の変換点「印象派展」でした。

  • クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ』(1876年  ボストン美術館蔵)<br />モネが描いたジャポニスムの作品中、 最大級かつ華麗な作品です。モデルは、妻カミーユ。武者が刀を抜こうとする姿が刺繍された真紅の打掛を着て、手にはフランス国旗のトリコロール・カラーの扇を持ち、西洋世界のイコンとされる金髪のカツラを被り、挑発するかのように笑みを浮かべています。 <br />打掛の図柄は、能『紅葉狩』をデザインしたものとの説があります。鹿狩りにやってきた平安時代の武将 平維茂(これもち)の一行は、紅葉狩をする妖艶な女たちと遭遇し、誘われるがままに酒宴を愉しみます。夜も更け、うかつにも維茂は眠り込むも、夢に八幡神が現われて女たちが鬼の化身だと悟ります。覚醒した維茂は、神剣で鬼女を退治するというストーリーです。モネがこの物語を知る由もないのですが…。<br />一方、部屋の壁や床には、団扇が沢山飾られています。カミーユの顔の右側にある浮世絵風の「花魁」が描かれた団扇は、最初はカミーユの左下にあったことが修復時の調査で判ったそうです。花魁がカミーユを見つめる位置に描き直されたことが、モネの構図への執着心を浮き彫りにしています。<br />幸せ一杯のカミーユですが、この3年後、僅か32歳の若さでこの世を去っています。子宮癌だったと言われています。この作品は、悲しみに暮れたモネにとって心の寄る辺になったに違いありません。

    クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ』(1876年 ボストン美術館蔵)
    モネが描いたジャポニスムの作品中、 最大級かつ華麗な作品です。モデルは、妻カミーユ。武者が刀を抜こうとする姿が刺繍された真紅の打掛を着て、手にはフランス国旗のトリコロール・カラーの扇を持ち、西洋世界のイコンとされる金髪のカツラを被り、挑発するかのように笑みを浮かべています。
    打掛の図柄は、能『紅葉狩』をデザインしたものとの説があります。鹿狩りにやってきた平安時代の武将 平維茂(これもち)の一行は、紅葉狩をする妖艶な女たちと遭遇し、誘われるがままに酒宴を愉しみます。夜も更け、うかつにも維茂は眠り込むも、夢に八幡神が現われて女たちが鬼の化身だと悟ります。覚醒した維茂は、神剣で鬼女を退治するというストーリーです。モネがこの物語を知る由もないのですが…。
    一方、部屋の壁や床には、団扇が沢山飾られています。カミーユの顔の右側にある浮世絵風の「花魁」が描かれた団扇は、最初はカミーユの左下にあったことが修復時の調査で判ったそうです。花魁がカミーユを見つめる位置に描き直されたことが、モネの構図への執着心を浮き彫りにしています。
    幸せ一杯のカミーユですが、この3年後、僅か32歳の若さでこの世を去っています。子宮癌だったと言われています。この作品は、悲しみに暮れたモネにとって心の寄る辺になったに違いありません。

  • クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ』<br />2年前、『ラ・ジャポネーズ』から復元した打掛を羽織って記念写真を撮ろうというイベントがボストン美術館で開催されましたが、突然中止されました。中国系米国人等から、SNSで「文化的に無神経で人種差別だ」との抗議が広がったのが理由です。<br />しかし、その主張は様々です。モネまでもが批判された作品で人を呼び寄せ、ドレスアップさせるイベントに何の価値があるのか?着物の体験をさせたいのなら、何故「北斎の浮世絵」を選ばないのか?何故1870年代のジャポニスム・ブームに関して歴史的な文脈や批判を議論にしないのか?等々です。<br />大半の意見は、「イベント自体は攻撃的でなくても、間接的に損害を与え、精神的に傷付ける」という主旨のものです。具体的には、「オリエンタリズムの影響でアジア系米国人やアジア文化が周辺的なものと見做され、その文化がエキゾチックやセクシーなものと扱われ、その結果、白人至上主義者の攻撃がオリエンタリズムの人々に向かう」という論調です。異国の地でこんな事態に陥ったことを、モネも草葉の陰で悲しんでいることでしょう。<br />このイベント中止は、さすがに様々な人種や民族の文化が混沌とした米国特有のものです。米国社会の闇や価値観を知らないと一筋縄には理解できないことです。もしも現在のトランプ政権下であれば、どんな騒ぎに発展していたか判ったものではありません。翻って、日本は良くも悪くも「平和ボケしてる」と思います。<br />米国と北朝鮮が一触即発の状態にありますが、それを日本の首相が「寄らば大樹の陰」の発想で国連総会で圧力による制裁を挑発したのは忸怩たる思いです。本来なら、トランプ大統領を諫める立場であるのが、被爆国の役割です。戦争被害者はどんな思いでこの言葉を聞いたことでしょう。自ら国難をつくっておいて、それを責任転嫁するとはリーダーとして失格です。例え正当防衛であっても、報復そのものが全面戦争の始まりになることを忘れてはいけません。被爆国が永久に戦争を放棄することが、「第三次世界大戦」の唯一の抑止力なのです。

    クロード・モネ『ラ・ジャポネーズ』
    2年前、『ラ・ジャポネーズ』から復元した打掛を羽織って記念写真を撮ろうというイベントがボストン美術館で開催されましたが、突然中止されました。中国系米国人等から、SNSで「文化的に無神経で人種差別だ」との抗議が広がったのが理由です。
    しかし、その主張は様々です。モネまでもが批判された作品で人を呼び寄せ、ドレスアップさせるイベントに何の価値があるのか?着物の体験をさせたいのなら、何故「北斎の浮世絵」を選ばないのか?何故1870年代のジャポニスム・ブームに関して歴史的な文脈や批判を議論にしないのか?等々です。
    大半の意見は、「イベント自体は攻撃的でなくても、間接的に損害を与え、精神的に傷付ける」という主旨のものです。具体的には、「オリエンタリズムの影響でアジア系米国人やアジア文化が周辺的なものと見做され、その文化がエキゾチックやセクシーなものと扱われ、その結果、白人至上主義者の攻撃がオリエンタリズムの人々に向かう」という論調です。異国の地でこんな事態に陥ったことを、モネも草葉の陰で悲しんでいることでしょう。
    このイベント中止は、さすがに様々な人種や民族の文化が混沌とした米国特有のものです。米国社会の闇や価値観を知らないと一筋縄には理解できないことです。もしも現在のトランプ政権下であれば、どんな騒ぎに発展していたか判ったものではありません。翻って、日本は良くも悪くも「平和ボケしてる」と思います。
    米国と北朝鮮が一触即発の状態にありますが、それを日本の首相が「寄らば大樹の陰」の発想で国連総会で圧力による制裁を挑発したのは忸怩たる思いです。本来なら、トランプ大統領を諫める立場であるのが、被爆国の役割です。戦争被害者はどんな思いでこの言葉を聞いたことでしょう。自ら国難をつくっておいて、それを責任転嫁するとはリーダーとして失格です。例え正当防衛であっても、報復そのものが全面戦争の始まりになることを忘れてはいけません。被爆国が永久に戦争を放棄することが、「第三次世界大戦」の唯一の抑止力なのです。

  • アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック『ムーラン・ルージュにて』(1892年 シカゴ美術研究所蔵)<br />暗く陰鬱なタッチで描かれ、得体の知れない集団が発する不気味な臨場感、奇抜かつ濃密な色彩感覚、そして緻密に計算された構図が絶妙です。この絵画全体を支配する享楽と退廃的な空気が混在する世紀末独特の表現は、ロートレックの作品に共通するモチーフです。<br />鑑賞者の視線は、ハレーションを起こしたような人工的な緑色の光と影が照らし出す女性の顔から中央のテーブルに座る集団へと流れ、更にその奥の画家自身の姿へと移ります。諸説ありますが、手前の女性はダンサーのジャンヌ・アヴリルとされ、酒場の妖しげな雰囲気を鮮烈に表現する主人公です。しかしこの女性は、後からキャンバスを付け足して描かれたものだそうです。作品として物足りなかったのでしょうが、付け足した部分が主役になるとは…。

    アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック『ムーラン・ルージュにて』(1892年 シカゴ美術研究所蔵)
    暗く陰鬱なタッチで描かれ、得体の知れない集団が発する不気味な臨場感、奇抜かつ濃密な色彩感覚、そして緻密に計算された構図が絶妙です。この絵画全体を支配する享楽と退廃的な空気が混在する世紀末独特の表現は、ロートレックの作品に共通するモチーフです。
    鑑賞者の視線は、ハレーションを起こしたような人工的な緑色の光と影が照らし出す女性の顔から中央のテーブルに座る集団へと流れ、更にその奥の画家自身の姿へと移ります。諸説ありますが、手前の女性はダンサーのジャンヌ・アヴリルとされ、酒場の妖しげな雰囲気を鮮烈に表現する主人公です。しかしこの女性は、後からキャンバスを付け足して描かれたものだそうです。作品として物足りなかったのでしょうが、付け足した部分が主役になるとは…。

  • アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック『ムーラン・ルージュにて』<br />ロートレックはスケッチブックを持ち歩き、人や情景の一瞬の仕草や様子を素早く描き留めていました。ですから、ポスターや絵画にユーモアたっぷりに活き活きとした姿で描くことができたのです。人工的なライティングが随所に配されたこの作品は、浮世絵の構図を下敷きにしたものとされ、画面の外に広がる空間にまで思いを馳せらせます。明確な輪郭線は日本画的な描き方ですし、筆や墨汁を取り寄せたり、侍姿で写真を撮ったり、日本への旅行も夢見たほどジャポニスムに傾倒していました。奥の2人連れの背の低い方がロートレック自身ですが、彼は他人を見る自分の姿を見続けた画家とも言えます。ロートレックは、1864年にフランスでも有数の貴族の家に生まれ、8歳の頃に絵を描き始め、母親から画才を見出されて絵を習い始めました。しかし事故に遭って足を骨折し、それが原因で足の成長が止まりました。その後、父親から疎外されるようになり、寂しい青春時代を過ごしました。やがてパリの画塾で学び、その後は優れた絵画を制作しましたが、アルコール依存症や梅毒を抱え、パリから移住したマルロメ城で母親に看取られながら「お母さん、あなただけでした」と呟いて36歳で亡くなりました。名士の長男として生まれながら、酒場と娼婦街をこよなく愛し、踊り子と共に暮らし、娼婦達の宿にも住み着いて彼女たちの姿を筆にしました。 ロートレックは、浮世絵師「喜多川 歌麿」と生き様まで重なります。

    アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック『ムーラン・ルージュにて』
    ロートレックはスケッチブックを持ち歩き、人や情景の一瞬の仕草や様子を素早く描き留めていました。ですから、ポスターや絵画にユーモアたっぷりに活き活きとした姿で描くことができたのです。人工的なライティングが随所に配されたこの作品は、浮世絵の構図を下敷きにしたものとされ、画面の外に広がる空間にまで思いを馳せらせます。明確な輪郭線は日本画的な描き方ですし、筆や墨汁を取り寄せたり、侍姿で写真を撮ったり、日本への旅行も夢見たほどジャポニスムに傾倒していました。奥の2人連れの背の低い方がロートレック自身ですが、彼は他人を見る自分の姿を見続けた画家とも言えます。 ロートレックは、1864年にフランスでも有数の貴族の家に生まれ、8歳の頃に絵を描き始め、母親から画才を見出されて絵を習い始めました。しかし事故に遭って足を骨折し、それが原因で足の成長が止まりました。その後、父親から疎外されるようになり、寂しい青春時代を過ごしました。やがてパリの画塾で学び、その後は優れた絵画を制作しましたが、アルコール依存症や梅毒を抱え、パリから移住したマルロメ城で母親に看取られながら「お母さん、あなただけでした」と呟いて36歳で亡くなりました。名士の長男として生まれながら、酒場と娼婦街をこよなく愛し、踊り子と共に暮らし、娼婦達の宿にも住み着いて彼女たちの姿を筆にしました。 ロートレックは、浮世絵師「喜多川 歌麿」と生き様まで重なります。

  • ジャン・フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』(1857年 オルセー美術館蔵)<br />牧歌的な田園風景と納得してしまいそうな絵画です。この作品を理解するには、時代背景を知る必要があります。落ち穂拾いとは、「収穫後の田畑に散らばる稲穂や穀物の茎穂を拾うこと」です。中世では現在のように収穫が機械化されておらず、散らばって収穫出来ない穂もありました。しかし描かれた3人は、何処となく物哀しげな雰囲気を纏っています。実はこの女性たちは、この畑の持ち主ではなく、小作人でもありません。生活に困窮した未亡人とされています。つまり、他人の畑で落穂を拾い、それを糧にする貧民です。曲がった腰や無骨な手、赤黒い顔の色から、労働の過酷さが伝わってきます。ミレーは、遠景に収穫物の山を描き、遠近で貧富のコントラストを表現しています。生きるために必至な姿が描かれているからこそ、この絵画がただならぬ哀愁を帯びているのです。<br />他人の畑で落穂を拾うのはどうなのかと思われるかもしれませんが、『旧約聖書』「申命記」には「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れた時は、それを取りに戻ってはならない」と記されています。つまり、「ノブレス・オブリージュ」思想に近いキリスト教の教えが由来です。往時の農村には、収穫時に落穂を意図的に残しておく習慣が生まれたそうです。少量の穀物を、困っている人や異国から来た人に分けてあげようとの思いやりの精神です。往時の生活の厳しさ、上に立つ者の心得、そして働くことの尊さを1枚の絵で表現した作品ゆえ、心に染入る傑作なのです。 <br />因みに、ミレーは、絶妙の色彩と構図により3人を主役に劇場空間を描いていますが、この構図の決定までには100枚以上の習作を描いたそうです。しかしこの絵はサロンに出展されるも、貧民を主役にしたことが保守的な批評家には受け入れられず、「革命を暗示した作品」と誹謗中傷を受けたそうです。

    ジャン・フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』(1857年 オルセー美術館蔵)
    牧歌的な田園風景と納得してしまいそうな絵画です。この作品を理解するには、時代背景を知る必要があります。落ち穂拾いとは、「収穫後の田畑に散らばる稲穂や穀物の茎穂を拾うこと」です。中世では現在のように収穫が機械化されておらず、散らばって収穫出来ない穂もありました。しかし描かれた3人は、何処となく物哀しげな雰囲気を纏っています。実はこの女性たちは、この畑の持ち主ではなく、小作人でもありません。生活に困窮した未亡人とされています。つまり、他人の畑で落穂を拾い、それを糧にする貧民です。曲がった腰や無骨な手、赤黒い顔の色から、労働の過酷さが伝わってきます。ミレーは、遠景に収穫物の山を描き、遠近で貧富のコントラストを表現しています。生きるために必至な姿が描かれているからこそ、この絵画がただならぬ哀愁を帯びているのです。
    他人の畑で落穂を拾うのはどうなのかと思われるかもしれませんが、『旧約聖書』「申命記」には「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れた時は、それを取りに戻ってはならない」と記されています。つまり、「ノブレス・オブリージュ」思想に近いキリスト教の教えが由来です。往時の農村には、収穫時に落穂を意図的に残しておく習慣が生まれたそうです。少量の穀物を、困っている人や異国から来た人に分けてあげようとの思いやりの精神です。往時の生活の厳しさ、上に立つ者の心得、そして働くことの尊さを1枚の絵で表現した作品ゆえ、心に染入る傑作なのです。
    因みに、ミレーは、絶妙の色彩と構図により3人を主役に劇場空間を描いていますが、この構図の決定までには100枚以上の習作を描いたそうです。しかしこの絵はサロンに出展されるも、貧民を主役にしたことが保守的な批評家には受け入れられず、「革命を暗示した作品」と誹謗中傷を受けたそうです。

  • ジョン・シンガー・サージェント『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885~86年 ロンドン・テート・ギャラリー 蔵)<br />サージェントは、19世紀末に英国で活躍した米国人画家です。ホイッスラーやカサットと共に、印象派周辺の米国3大画家のひとりに数えられています。フィレンツェに生まれ、フィレンツェ美術アカデミーで学び、18歳でパリのエコール・デ・ボザールにて美術教育を受けました。しかしサロンに出展した肖像画 『Madame X』がゴートロー夫人を官能的に描いたと批判され、スキャンダルに巻き込まれた末、落胆した29歳の彼は逃れるように英国に旅立ちました。この作品は充実期の代表作であり、ロンドン郊外のブロードウェイ村にある米国人画家F・D・ミレー宅に寄留した時に描きました。毎夕、20分間を制作に充て、「夏の日の終わりの光りの数分」を描くために2年がかりで筆を運びました。夏の夕暮れ時、少女をモデルに不思議なほど幻想的な空間を切り取ったチャーミングな作品です。提灯の明かりが少女の顔をバラ色に染め、そのやさしい光は鑑賞者の心まで幸福色に染めます。<br />また、提灯や日本から輸入されたヤマユリは、ジャポニスムの影響を感じさせます。その奥ゆかしさと懐かしさが日本人の琴線に触れるのかもしれません。奇妙なタイトルは、ミレー夫人のリリーという名と、往時の流行歌の歌詞を重ね合わせたものだそうです。<br />ロンドンに移住した頃の彼は上流階級向けの流行画家として名声を博すも、その肖像画は内面を捉えていないと酷評され、軽視されました。しかし、この作品に見られる繊細な空気感、やさしい表現は、彼が「金持ちのため」の肖像画家ではなかったことの証です。実際、1907年頃からは肖像画の注文を断り、晩年は水彩の風景画に没頭していきました。

    ジョン・シンガー・サージェント『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885~86年 ロンドン・テート・ギャラリー 蔵)
    サージェントは、19世紀末に英国で活躍した米国人画家です。ホイッスラーやカサットと共に、印象派周辺の米国3大画家のひとりに数えられています。フィレンツェに生まれ、フィレンツェ美術アカデミーで学び、18歳でパリのエコール・デ・ボザールにて美術教育を受けました。しかしサロンに出展した肖像画 『Madame X』がゴートロー夫人を官能的に描いたと批判され、スキャンダルに巻き込まれた末、落胆した29歳の彼は逃れるように英国に旅立ちました。 この作品は充実期の代表作であり、ロンドン郊外のブロードウェイ村にある米国人画家F・D・ミレー宅に寄留した時に描きました。毎夕、20分間を制作に充て、「夏の日の終わりの光りの数分」を描くために2年がかりで筆を運びました。夏の夕暮れ時、少女をモデルに不思議なほど幻想的な空間を切り取ったチャーミングな作品です。提灯の明かりが少女の顔をバラ色に染め、そのやさしい光は鑑賞者の心まで幸福色に染めます。
    また、提灯や日本から輸入されたヤマユリは、ジャポニスムの影響を感じさせます。その奥ゆかしさと懐かしさが日本人の琴線に触れるのかもしれません。奇妙なタイトルは、ミレー夫人のリリーという名と、往時の流行歌の歌詞を重ね合わせたものだそうです。
    ロンドンに移住した頃の彼は上流階級向けの流行画家として名声を博すも、その肖像画は内面を捉えていないと酷評され、軽視されました。しかし、この作品に見られる繊細な空気感、やさしい表現は、彼が「金持ちのため」の肖像画家ではなかったことの証です。実際、1907年頃からは肖像画の注文を断り、晩年は水彩の風景画に没頭していきました。

  • ジェイムズ・ティソ『休日』(1876年頃 ロンドン・テート・ギャラリー蔵) <br />ティソは、1871年の普仏戦争における母国の敗北、その後の内乱に嫌気をさしてロンドンへ渡り、そこでこの作品を描きました。 この作品は「ピクニック」とも呼ばれ、ロンドンのティソ邸の庭で、老若男女がお茶をしたり、談笑して憩う愉しげな様子が描かれています。 <br />右側でカップを手にした女性はキャサリン・ニュートンで、絵のモデルとしてしばしば登場します。黄葉した栗の木々が、彼女の哀愁に満ちた表情を引き立てています。シーツの上に横たわる男性の前に並ぶ飲料水用のガラス製ボトルは当時の新製品で、この絵を評したオスカー・ワイルドは、時代を象徴するこの工業製品を「醜い」の一言で一蹴しました。 また、男女のファッションも注目すべき点です。男性が被っている日本のコマの模様をあしらった帽子は、往時のイギリス紳士を熱狂させたスポーツ「クリケット」のチームの帽子です。紅葉に心奪われる秋の休日のひととき…。人物の表情や仕草の中に、それぞれの想いが垣間見える作品です。

    ジェイムズ・ティソ『休日』(1876年頃 ロンドン・テート・ギャラリー蔵)
    ティソは、1871年の普仏戦争における母国の敗北、その後の内乱に嫌気をさしてロンドンへ渡り、そこでこの作品を描きました。 この作品は「ピクニック」とも呼ばれ、ロンドンのティソ邸の庭で、老若男女がお茶をしたり、談笑して憩う愉しげな様子が描かれています。
    右側でカップを手にした女性はキャサリン・ニュートンで、絵のモデルとしてしばしば登場します。黄葉した栗の木々が、彼女の哀愁に満ちた表情を引き立てています。シーツの上に横たわる男性の前に並ぶ飲料水用のガラス製ボトルは当時の新製品で、この絵を評したオスカー・ワイルドは、時代を象徴するこの工業製品を「醜い」の一言で一蹴しました。 また、男女のファッションも注目すべき点です。男性が被っている日本のコマの模様をあしらった帽子は、往時のイギリス紳士を熱狂させたスポーツ「クリケット」のチームの帽子です。紅葉に心奪われる秋の休日のひととき…。人物の表情や仕草の中に、それぞれの想いが垣間見える作品です。

  • オディロン・ルドン『目を閉じて』上の作品(1890年 オルセー美術館蔵)<br />フランス象徴主義の巨匠ルドンの作品で、長男ジャンの死から3年後、次男アリ誕生の翌年に制作されました。ルドンは、生後2日目に里子に出され、田舎の不毛の地で孤独な幼少期を過ごしました。そんな生い立ちが影響し、彼の作品は不気味で奇怪な黒の表現を追及したものが大半でした。しかし本作は、まるで人が代わった様な、鑑賞者の心に染入り、温もりさえ感じさせる画風に変貌しています。長男ジャンの死で失意のどん底を味わったルドンが、次男アリを授かったことで、これまで体験したことのない幸福感に浸り、それが画風に多大な変化を与えたとされています。<br />また、ルドンは「目」という画題に特別な思いを抱き、以前はその視線が闇や孤独、不安、死へと向けられていました。しかしこの作品は、目を閉じ、穏やかで安らぎに満ちた表情を浮かべています。因みに水平線の彼方に浮かぶ人物は、ルドンの妻カミーユ・ファルトだとされています。彼の孤独と内向的な心を癒やしてくれたのがカミーユ夫人だったことを思えば、この作品は夫人へのオマージュとして捧げられたのかも知れません。このルドンの「黒の時代」からの離脱と温もりのある明るい色彩の採用という変換点となった記念碑的な本作は、1904年にフランス国家が買い上げています。

    オディロン・ルドン『目を閉じて』上の作品(1890年 オルセー美術館蔵)
    フランス象徴主義の巨匠ルドンの作品で、長男ジャンの死から3年後、次男アリ誕生の翌年に制作されました。ルドンは、生後2日目に里子に出され、田舎の不毛の地で孤独な幼少期を過ごしました。そんな生い立ちが影響し、彼の作品は不気味で奇怪な黒の表現を追及したものが大半でした。しかし本作は、まるで人が代わった様な、鑑賞者の心に染入り、温もりさえ感じさせる画風に変貌しています。長男ジャンの死で失意のどん底を味わったルドンが、次男アリを授かったことで、これまで体験したことのない幸福感に浸り、それが画風に多大な変化を与えたとされています。
    また、ルドンは「目」という画題に特別な思いを抱き、以前はその視線が闇や孤独、不安、死へと向けられていました。しかしこの作品は、目を閉じ、穏やかで安らぎに満ちた表情を浮かべています。因みに水平線の彼方に浮かぶ人物は、ルドンの妻カミーユ・ファルトだとされています。彼の孤独と内向的な心を癒やしてくれたのがカミーユ夫人だったことを思えば、この作品は夫人へのオマージュとして捧げられたのかも知れません。 このルドンの「黒の時代」からの離脱と温もりのある明るい色彩の採用という変換点となった記念碑的な本作は、1904年にフランス国家が買い上げています。

  • ジェームズ・アンソール『陰謀』 (1890年 アントワープ王立美術館蔵)<br />ベルギー近代絵画の代表格です。フランドル絵画や印象主義の影響を受けた斬新な画風は、後の表現主義やシュールレアリスムを予感させ「20世紀美術の先駆者」と評されました。また、カーニバルを連想させる仮面や怪物、骸骨を好んで描いたため、「仮面の画家」とも呼ばれました。当初は異端児扱いされるも、やがて評価され、晩年には男爵に昇り詰めています。旧100ベルギー・フラン紙幣にも肖像画が使われるほど、母国の尊敬を集めた画家です。<br />この絵は、アンソールの妹の結婚をモチーフにした作品と解釈されています。それは、妹が中国系男性と結婚して1年後に離婚したこと、また、カップルの男性の仮面だけが東洋的な顔立ちというのが論証です。しかし謎なのは、この絵は1890年に制作され、妹の結婚はその2年後だったことです。彼には予知能力が備わっていたのでしょうか?因みに所蔵美術館のHPでも、不幸な結婚を表した絵と説明しています。<br />仮面を付ければ素顔を隠せ、世間体を気にせず自由に振る舞うことができます。しかし、仮面は素顔以上に人間性の本質を透かすことがあり、その醜悪さを訴求した作品ともとれます。仮面は素顔以上に饒舌であることを示唆したかったのかもしれません。<br />一見グロテスクですが、構成要素は高名な先達から学び取っています。例えば、上半身が並ぶ構図はルーベンス『キリストと姦通の女』からの着想とされ、神秘的で劇的な光の表現にはレンブラントの片鱗が窺えます。表情豊かな輪郭線はドラクロワ、非現実的・奇怪な生物はボス、仮装・仮面は「コメディア・デラルテ(イタリアの仮面劇)」あるいはブーシェ等の「雅宴画」等々。そして骸骨は、死の恐怖から半狂乱になって踊り続けたという14世紀のフランス詩をツールにした「死の舞踏」。「死の舞踏」が描かれた背景には、ペストのパンデミズムをはじめローマとアヴィニヨンに2人の教皇が立つというカトリック教会の分裂危機、英国とフランスの百年戦争による国土の荒廃と多数の人命の損失といった世紀末的な世相の反映も与しています。

    ジェームズ・アンソール『陰謀』 (1890年 アントワープ王立美術館蔵)
    ベルギー近代絵画の代表格です。フランドル絵画や印象主義の影響を受けた斬新な画風は、後の表現主義やシュールレアリスムを予感させ「20世紀美術の先駆者」と評されました。また、カーニバルを連想させる仮面や怪物、骸骨を好んで描いたため、「仮面の画家」とも呼ばれました。当初は異端児扱いされるも、やがて評価され、晩年には男爵に昇り詰めています。旧100ベルギー・フラン紙幣にも肖像画が使われるほど、母国の尊敬を集めた画家です。
    この絵は、アンソールの妹の結婚をモチーフにした作品と解釈されています。それは、妹が中国系男性と結婚して1年後に離婚したこと、また、カップルの男性の仮面だけが東洋的な顔立ちというのが論証です。しかし謎なのは、この絵は1890年に制作され、妹の結婚はその2年後だったことです。彼には予知能力が備わっていたのでしょうか?因みに所蔵美術館のHPでも、不幸な結婚を表した絵と説明しています。
    仮面を付ければ素顔を隠せ、世間体を気にせず自由に振る舞うことができます。しかし、仮面は素顔以上に人間性の本質を透かすことがあり、その醜悪さを訴求した作品ともとれます。仮面は素顔以上に饒舌であることを示唆したかったのかもしれません。
    一見グロテスクですが、構成要素は高名な先達から学び取っています。例えば、上半身が並ぶ構図はルーベンス『キリストと姦通の女』からの着想とされ、神秘的で劇的な光の表現にはレンブラントの片鱗が窺えます。表情豊かな輪郭線はドラクロワ、非現実的・奇怪な生物はボス、仮装・仮面は「コメディア・デラルテ(イタリアの仮面劇)」あるいはブーシェ等の「雅宴画」等々。そして骸骨は、死の恐怖から半狂乱になって踊り続けたという14世紀のフランス詩をツールにした「死の舞踏」。「死の舞踏」が描かれた背景には、ペストのパンデミズムをはじめローマとアヴィニヨンに2人の教皇が立つというカトリック教会の分裂危機、英国とフランスの百年戦争による国土の荒廃と多数の人命の損失といった世紀末的な世相の反映も与しています。

  • ヤン・トーロップ『3人の花嫁』(1893年 クレラー・ミュラー美術館蔵)<br />生まれ故郷のジャワ芸術に通じる象徴的な色彩を帯び、暗く、神秘的かつ謎めいた作品も手掛けています。有名なこの作品は、アールヌーヴォの魁になりました。トーロップの紹介文では徐々に作風が変貌したように記されますが、実際は同じ年に点描画からアールヌーヴォ調の作品まで描いており、天才タイプと言えます。<br />手がニョロニョロした蛇女のような女性たちは、空気の妖精「シルフィード」です。妖精たちが、3人の花嫁を取り囲み、白薔薇や白百合を捧げています。中央のベールを被った女性は人間に嫁ぐ「地上の花嫁」で、穏やかな表情は純潔と母性を、透けた裸体は女性美を表しています。左側の首を傾げて聖母風のポーズの女性は、神に嫁ぐ「天国の花嫁」です。右側で睨み付けるような厳しい表情の女性は悪魔に嫁ぐ「地獄の花嫁」で、首や胸に蛇と髑髏を飾られた冷酷で官能的な 「 ファム・ファタル(運命の女) 」を表しています。足元にあるワームを彷彿とさせるものは、イバラです。イバラは、「魂を気高く保つことでしか希望はない」を表しています。<br />多彩なアレゴリーが配された複雑怪奇な絵画ですが、結局、何を表現しているかと言えば、「精神的なる宇宙と官能的なものの結婚による美の誕生」だそうです。これを解読するのは、まず無理ですね!

    ヤン・トーロップ『3人の花嫁』(1893年 クレラー・ミュラー美術館蔵)
    生まれ故郷のジャワ芸術に通じる象徴的な色彩を帯び、暗く、神秘的かつ謎めいた作品も手掛けています。有名なこの作品は、アールヌーヴォの魁になりました。トーロップの紹介文では徐々に作風が変貌したように記されますが、実際は同じ年に点描画からアールヌーヴォ調の作品まで描いており、天才タイプと言えます。
    手がニョロニョロした蛇女のような女性たちは、空気の妖精「シルフィード」です。妖精たちが、3人の花嫁を取り囲み、白薔薇や白百合を捧げています。中央のベールを被った女性は人間に嫁ぐ「地上の花嫁」で、穏やかな表情は純潔と母性を、透けた裸体は女性美を表しています。左側の首を傾げて聖母風のポーズの女性は、神に嫁ぐ「天国の花嫁」です。右側で睨み付けるような厳しい表情の女性は悪魔に嫁ぐ「地獄の花嫁」で、首や胸に蛇と髑髏を飾られた冷酷で官能的な 「 ファム・ファタル(運命の女) 」を表しています。足元にあるワームを彷彿とさせるものは、イバラです。イバラは、「魂を気高く保つことでしか希望はない」を表しています。
    多彩なアレゴリーが配された複雑怪奇な絵画ですが、結局、何を表現しているかと言えば、「精神的なる宇宙と官能的なものの結婚による美の誕生」だそうです。これを解読するのは、まず無理ですね!

  • カルロス・シュワーベ『百合の聖母子』(1899年 国立ヴァン・ゴッホ美術館蔵)<br />ドイツ アルトナに生まれ、活動拠点をフランスに置いた象徴主義の画家です。文学への造詣が深く、文筆家から本の挿絵製作の依頼が多かったようです。時代背景から察すると、世紀末思想をはじめ数多の芸術潮流(写実主義、ロマン主義、印象派等々)の荒波に揉まれた苦難の画家と言え、この作品はその中から磨き上げた独自の境地の集大成と言えます。天上の世界から雲の階段や百合の手すりを伝い、聖母が幼児イエスを抱いて降臨する幻想的な光景を描いています。しかも下界に至るまで誤魔化すことなく微細な所まで水彩画で描いています。<br />また、構図や筆致にはシュワーべのオリジナリティが満載です。具体的には、聖母子の漫画チックな描写、純潔のシンボル「百合」の寓意、逆光と陰影の駆使、ドラマチックかつ東洋風な雲の描写、アール・ヌーヴォ風な枠組み、螺旋階段の手すりを彷彿とさせる百合の装飾的な配列等々。また、百合等には陰影がありますが、聖母子には影がありません。つまり聖母子を光源として象徴的に描いています。<br />何の予備知識もなくこの絵を見たら、「月光菩薩」と思われるかもしれません。実はこの絵画は、シュワーべ自身の創作力の賜物だけでなく、往時流行ったジャポニスムの影響を少なからず受けているからです。

    カルロス・シュワーベ『百合の聖母子』(1899年 国立ヴァン・ゴッホ美術館蔵)
    ドイツ アルトナに生まれ、活動拠点をフランスに置いた象徴主義の画家です。文学への造詣が深く、文筆家から本の挿絵製作の依頼が多かったようです。時代背景から察すると、世紀末思想をはじめ数多の芸術潮流(写実主義、ロマン主義、印象派等々)の荒波に揉まれた苦難の画家と言え、この作品はその中から磨き上げた独自の境地の集大成と言えます。 天上の世界から雲の階段や百合の手すりを伝い、聖母が幼児イエスを抱いて降臨する幻想的な光景を描いています。しかも下界に至るまで誤魔化すことなく微細な所まで水彩画で描いています。
    また、構図や筆致にはシュワーべのオリジナリティが満載です。具体的には、聖母子の漫画チックな描写、純潔のシンボル「百合」の寓意、逆光と陰影の駆使、ドラマチックかつ東洋風な雲の描写、アール・ヌーヴォ風な枠組み、螺旋階段の手すりを彷彿とさせる百合の装飾的な配列等々。また、百合等には陰影がありますが、聖母子には影がありません。つまり聖母子を光源として象徴的に描いています。
    何の予備知識もなくこの絵を見たら、「月光菩薩」と思われるかもしれません。実はこの絵画は、シュワーべ自身の創作力の賜物だけでなく、往時流行ったジャポニスムの影響を少なからず受けているからです。

  • ゴッホの作品の展示ルームです。

    ゴッホの作品の展示ルームです。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ『芦屋のひまわり』(1888年 焼失作品の復元)<br />ゴッホは「ひまわり」を描いた作品を7点残し、6点は世界中に散らばっています。『芦屋のひまわり』は2番目に描かれましたが、他の6点とは印象が異なり、ロイヤルブルーの背景に黄色い花を浮かべています。日本のバブル期を象徴する絵画の超高額購入で世界中の顰蹙を買いましたが、実は大正時代に「ひまわり」を購入した日本人がいました。1920年に実業家 山本顧彌太が白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼により、スイスで購入しました。往時の金額で7万フラン(2万円)、往時は1000円で立派な家が建ったそうです。芦屋市にあった作品ですが、奇しくも広島への原爆投下と同日の阪神大空襲で焼失したものを陶板画で復元した「幻のヒマワリ」です。火が迫る中、『芦屋のひまわり』だけは壁に固定されており、どうしても移動させることができなかったそうです。絵画のカラー写真が武者小路実篤記念館に保存されていた画集に載せられており、そこから陶板画の技術で復元されました。2014年10月1日から常設展示しています。

    フィンセント・ファン・ゴッホ『芦屋のひまわり』(1888年 焼失作品の復元)
    ゴッホは「ひまわり」を描いた作品を7点残し、6点は世界中に散らばっています。『芦屋のひまわり』は2番目に描かれましたが、他の6点とは印象が異なり、ロイヤルブルーの背景に黄色い花を浮かべています。日本のバブル期を象徴する絵画の超高額購入で世界中の顰蹙を買いましたが、実は大正時代に「ひまわり」を購入した日本人がいました。1920年に実業家 山本顧彌太が白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼により、スイスで購入しました。往時の金額で7万フラン(2万円)、往時は1000円で立派な家が建ったそうです。 芦屋市にあった作品ですが、奇しくも広島への原爆投下と同日の阪神大空襲で焼失したものを陶板画で復元した「幻のヒマワリ」です。火が迫る中、『芦屋のひまわり』だけは壁に固定されており、どうしても移動させることができなかったそうです。絵画のカラー写真が武者小路実篤記念館に保存されていた画集に載せられており、そこから陶板画の技術で復元されました。2014年10月1日から常設展示しています。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ『ローヌ川の星月夜(星降る夜)』(1888年 オルセー美術館蔵) <br />北斗七星を中心にする星座「大熊座」は、日本人にも馴染みのある星座です。ゴッホが描いたこの夜のしじまの風景は、ローヌ河畔を舞台にしています。空には綺羅星が散り嵌められ、左側にはアルルの町並を陰影とオレンジの街灯を巧みに配して描写しています。<br />また、縦横のタッチで描かれた空に対し、川面は横のタッチ、地面は斜めのタッチで描き、こられのタッチの相違により、限られた配色の中で豊かな表現になるよう工夫しています。<br />同じく星をモチーフにした作品『星月夜』は、ゴッホが療養院に入院している時に描かれた晩年期のものであるのに対し、この作品は比較的に楽観的だったアルル滞在時代の作品です。ゴッホは、アルルに到着してすぐ、夜の美しさを描こうとして弟テオに手紙を送っています。その手紙によると、この作品では青と黄色という補色の対比で手前に描いた恋人たちの愛を表現し、暗い背景の上の明るい色調の輝きにより思想を表現し、星により希望を表現したそうです。「男と女」、「試練と希望」等々、この作品には深い思想が込められ、鑑賞者の脳裏にストーリーを描かせます。<br />伝説では、ゴッホは帽子にローソクを立てて夜の戸外で制作したと伝わっています。実際にはガス燈の光で制作したものと思われますが、いずれにせよ夜の美しさに魅了された詩人の姿を偲ばせる作品です。

    フィンセント・ファン・ゴッホ『ローヌ川の星月夜(星降る夜)』(1888年 オルセー美術館蔵)
    北斗七星を中心にする星座「大熊座」は、日本人にも馴染みのある星座です。ゴッホが描いたこの夜のしじまの風景は、ローヌ河畔を舞台にしています。空には綺羅星が散り嵌められ、左側にはアルルの町並を陰影とオレンジの街灯を巧みに配して描写しています。
    また、縦横のタッチで描かれた空に対し、川面は横のタッチ、地面は斜めのタッチで描き、こられのタッチの相違により、限られた配色の中で豊かな表現になるよう工夫しています。
    同じく星をモチーフにした作品『星月夜』は、ゴッホが療養院に入院している時に描かれた晩年期のものであるのに対し、この作品は比較的に楽観的だったアルル滞在時代の作品です。ゴッホは、アルルに到着してすぐ、夜の美しさを描こうとして弟テオに手紙を送っています。その手紙によると、この作品では青と黄色という補色の対比で手前に描いた恋人たちの愛を表現し、暗い背景の上の明るい色調の輝きにより思想を表現し、星により希望を表現したそうです。「男と女」、「試練と希望」等々、この作品には深い思想が込められ、鑑賞者の脳裏にストーリーを描かせます。
    伝説では、ゴッホは帽子にローソクを立てて夜の戸外で制作したと伝わっています。実際にはガス燈の光で制作したものと思われますが、いずれにせよ夜の美しさに魅了された詩人の姿を偲ばせる作品です。

  • ギュスタフ・クリムト『接吻』(1907~08年 ベルヴェデーレ宮殿蔵)<br />クリムトの黄金時代を代表する作品であり、ウィーン・アール・ヌーヴォの代表作でもあります。また、彼はジャポニスムを消化した画家としても知られています。19世紀末期~20世紀初頭、数多の画家が日本画の影響を受けましたが、大半はモチーフを描き込む程度でした。しかしクリムトの作品は、全体的に日本美術の影響を読み解くことができます。<br />男性の頭部は大胆にキャンバス上端に描かれ、これは欧州の古典絵画から離脱しており、浮世絵の影響が顕著です。また、彼の作品には琳派の様式も窺えます。琳派とは、尾形光琳らが完成させた装飾的で意匠性に富む様式で、渦巻き紋様や流水文様、藤・鱗・唐草文様からの影響がマントの柄に現れています。更に、金色の背景は、恐らく1903年に彼がラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂を訪れた時に出会ったビザンチン・モザイクの影響と思われますが、琳派に刺激されたことも否めません。<br />一方、キュビズムも窺え、最も美しい角度の人間像を描いています。男性の頭は真上から観ており、女性の首の角度も不自然です。男女は色彩豊かな花畑の縁に居り、鑑賞者には崖っぷちのような不安感を与えます。崖下は死の世界を表し、2人の幸せな「愛と死」の世界の対比を象徴しているとも言われています。<br />モデルは、クリムトと愛人エミーレ・フレーゲとされていますが、確たる証拠や記録はなく、定かではないようです。

    ギュスタフ・クリムト『接吻』(1907~08年 ベルヴェデーレ宮殿蔵)
    クリムトの黄金時代を代表する作品であり、ウィーン・アール・ヌーヴォの代表作でもあります。また、彼はジャポニスムを消化した画家としても知られています。19世紀末期~20世紀初頭、数多の画家が日本画の影響を受けましたが、大半はモチーフを描き込む程度でした。しかしクリムトの作品は、全体的に日本美術の影響を読み解くことができます。
    男性の頭部は大胆にキャンバス上端に描かれ、これは欧州の古典絵画から離脱しており、浮世絵の影響が顕著です。また、彼の作品には琳派の様式も窺えます。琳派とは、尾形光琳らが完成させた装飾的で意匠性に富む様式で、渦巻き紋様や流水文様、藤・鱗・唐草文様からの影響がマントの柄に現れています。更に、金色の背景は、恐らく1903年に彼がラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂を訪れた時に出会ったビザンチン・モザイクの影響と思われますが、琳派に刺激されたことも否めません。
    一方、キュビズムも窺え、最も美しい角度の人間像を描いています。男性の頭は真上から観ており、女性の首の角度も不自然です。男女は色彩豊かな花畑の縁に居り、鑑賞者には崖っぷちのような不安感を与えます。崖下は死の世界を表し、2人の幸せな「愛と死」の世界の対比を象徴しているとも言われています。
    モデルは、クリムトと愛人エミーレ・フレーゲとされていますが、確たる証拠や記録はなく、定かではないようです。

  • エゴン・シーレ『死と乙女』(1915年 オーストリア絵画館蔵) <br />「死神と乙女」を描くのは伝統的なモチーフで、充実した人生を送るよう示唆する「メメント・モリ(死を想え)」の一種とされ、命の儚さを表しています。シーレ自身が「男と娘」と呼んだ作品で、愛は本質的に死を内包することを象徴する絵画です。28歳で夭折した天才画家が描いた乙女は恋人ヴァリ、死神はシーレ自身です。ヴァリはシーレの師クリムトのモデルでしたが、クリムトはシーレの才能を認め、ヴァリを使うよう促しました。こうして21歳の若者と17歳の薄幸の娘は恋に堕ち、同棲を始めました。制作年の1915年は、シーレが別の女性と結婚するため、ヴァリに「これからは愛人としてよろしく!」と告げたところ、「ありがとう。でもできないわ」とあっさり捨てられた年です。<br />やがてシーレが幸せな新婚生活に入る一方、ヴァリは従軍看護婦に志願して第1次世界大戦の戦場へ向かいました。シーレはこの絵の通り、本当に死神でした。彼女は23歳という若さで、ダルマチア戦線で猩紅熱に罹り、ひとり寂しく野戦病院で息を引き取りました。この絵はヴァリがシーレにしがみついていますが、事実は正反対で、この作品はシーレの未練と後悔を表現しています。<br />因みにシーレは、16歳でウィーン美術学校に合格しました。その翌年、シーレより1歳年長の田舎出身の痩せた青年が同じ試験を受け、不合格となり、再度受験するもまた失敗しました。その名は、アドルフ・ヒトラー!

    エゴン・シーレ『死と乙女』(1915年 オーストリア絵画館蔵)
    「死神と乙女」を描くのは伝統的なモチーフで、充実した人生を送るよう示唆する「メメント・モリ(死を想え)」の一種とされ、命の儚さを表しています。シーレ自身が「男と娘」と呼んだ作品で、愛は本質的に死を内包することを象徴する絵画です。28歳で夭折した天才画家が描いた乙女は恋人ヴァリ、死神はシーレ自身です。ヴァリはシーレの師クリムトのモデルでしたが、クリムトはシーレの才能を認め、ヴァリを使うよう促しました。こうして21歳の若者と17歳の薄幸の娘は恋に堕ち、同棲を始めました。制作年の1915年は、シーレが別の女性と結婚するため、ヴァリに「これからは愛人としてよろしく!」と告げたところ、「ありがとう。でもできないわ」とあっさり捨てられた年です。
    やがてシーレが幸せな新婚生活に入る一方、ヴァリは従軍看護婦に志願して第1次世界大戦の戦場へ向かいました。シーレはこの絵の通り、本当に死神でした。彼女は23歳という若さで、ダルマチア戦線で猩紅熱に罹り、ひとり寂しく野戦病院で息を引き取りました。この絵はヴァリがシーレにしがみついていますが、事実は正反対で、この作品はシーレの未練と後悔を表現しています。
    因みにシーレは、16歳でウィーン美術学校に合格しました。その翌年、シーレより1歳年長の田舎出身の痩せた青年が同じ試験を受け、不合格となり、再度受験するもまた失敗しました。その名は、アドルフ・ヒトラー!

  • ヒュー・ゴールドウィン・リヴィエール『エデンの園』(1900年 ギルドホール・アート・ギャラリー蔵)<br />近代絵画エリアは、時間に余裕がなくなり、決まって駆け足の鑑賞になります。しかし、これまでの作品とは一線を画す写実的な絵に惹かれて歩を止めました。英国画家の作品ですが、女性の顔にスポットを当てています。この絵の魅力は、連れの男性に微笑む女性の表情です。絵画にも拘わらず、屈託のない自然な表情が素敵です。一方、男性の表情は窺えませんが、笑顔で彼女の視線に対応しているだろうと察しがつきます。セピア色でコーディネートされたナイーブな作品です。<br />疑問なのは、描写とタイトル『エデンの園』のギャップです。敢えて寓意的に解釈すれば、かつての原罪を咎める雨は止み、2人は想いを確かめるように手を取り見つめ合う…でしょうか?美術館の解説は、「かつてエデンの園を追放された2人が苦難を乗り越え、現代で再会する様子を描いた」といった主旨です。はぐらかされたような解説ですが、時空を超えて再会した2人の幸せを願わずにはいられません。あるいは深読みすれば、ビクトリア朝末期の作品であることから、今は幸せでもやがて幸せが終わり、再びエデンの園から追放されるとの逆説的なメッセージなのでしょうか?

    ヒュー・ゴールドウィン・リヴィエール『エデンの園』(1900年 ギルドホール・アート・ギャラリー蔵)
    近代絵画エリアは、時間に余裕がなくなり、決まって駆け足の鑑賞になります。しかし、これまでの作品とは一線を画す写実的な絵に惹かれて歩を止めました。英国画家の作品ですが、女性の顔にスポットを当てています。この絵の魅力は、連れの男性に微笑む女性の表情です。絵画にも拘わらず、屈託のない自然な表情が素敵です。一方、男性の表情は窺えませんが、笑顔で彼女の視線に対応しているだろうと察しがつきます。セピア色でコーディネートされたナイーブな作品です。
    疑問なのは、描写とタイトル『エデンの園』のギャップです。敢えて寓意的に解釈すれば、かつての原罪を咎める雨は止み、2人は想いを確かめるように手を取り見つめ合う…でしょうか?美術館の解説は、「かつてエデンの園を追放された2人が苦難を乗り越え、現代で再会する様子を描いた」といった主旨です。はぐらかされたような解説ですが、時空を超えて再会した2人の幸せを願わずにはいられません。あるいは深読みすれば、ビクトリア朝末期の作品であることから、今は幸せでもやがて幸せが終わり、再びエデンの園から追放されるとの逆説的なメッセージなのでしょうか?

  • ヒュー・ゴールドウィン・リヴィエール『エデンの園』<br />もうひとつの謎は、何故こうしたマイナーな画家の作品が展示されているのかです。リヴィエールは素性に不明な点が多く、彼が生涯に描いた69作品は3作品を除いて全て肖像画です。その3作品も、正直な所、一般的な作品とは言えません。この美術館の展示品は、名画を選りすぐったもののはずです。それ故に、どんな選定意図があったのか勘ぐりたくもなる作品です。<br />美術館全体の感想を言えば、米国の美術館蔵の作品数が少ない印象を受けました。契約が難しかったのか、あるいは選定した専門家(敬称略:青柳生規、長塚安司、若桑みどり、神吉敬三、大高保二郎、千足伸行、木島俊介)の趣向なのかは不明です。今後のコレクションに期待したいと思います。因みに、レポは米国美術館所蔵の作品を意図的に増やしてお届けしています。

    ヒュー・ゴールドウィン・リヴィエール『エデンの園』
    もうひとつの謎は、何故こうしたマイナーな画家の作品が展示されているのかです。リヴィエールは素性に不明な点が多く、彼が生涯に描いた69作品は3作品を除いて全て肖像画です。その3作品も、正直な所、一般的な作品とは言えません。この美術館の展示品は、名画を選りすぐったもののはずです。それ故に、どんな選定意図があったのか勘ぐりたくもなる作品です。
    美術館全体の感想を言えば、米国の美術館蔵の作品数が少ない印象を受けました。契約が難しかったのか、あるいは選定した専門家(敬称略:青柳生規、長塚安司、若桑みどり、神吉敬三、大高保二郎、千足伸行、木島俊介)の趣向なのかは不明です。今後のコレクションに期待したいと思います。因みに、レポは米国美術館所蔵の作品を意図的に増やしてお届けしています。

  • ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(1851~52年 ロンドン・テート・ギャラリー蔵) <br />ラファエル前派の絵画の中でも傑作中の傑作と称され、英国美術史上の最高傑作と言われています。ラファエル前派とは、19世紀中頃に英国で起こった芸術的傾向で、ラファエロ以前の素朴なルネッサンス芸術やフランドル美術を模範とし、ありのままの自然を正確に描写するスタイルです。 <br />シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の一場面が描かれています。王子ハムレットは、現国王の叔父に父を殺され母を奪われたと疑い、真実を探っていました。この作品は、狂気を装った恋人のハムレットに捨てられ、また、父親がハムレットに殺されたことを知ったオフィーリアが、発狂した末に小川で溺死する際の生と死の狭間を切り取っています。背景の草花には寓意が込められ、ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味しています。<br />因みにモデルを務めたエリザベス・シッダルは、水を張ったバスタブの中でポーズを取り続けたために肺炎を患ったそうです。この出来事を知ったモデルの父親が怒り狂い、後にミレイに慰謝料を請求する事態にまで発展しています。 <br />また、夏目漱石著『草枕』には、「ミレイのオフィーリアは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレイはミレイ、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない」とあります。漱石にかかれば、ミレイも形無しですね!

    ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(1851~52年 ロンドン・テート・ギャラリー蔵)
    ラファエル前派の絵画の中でも傑作中の傑作と称され、英国美術史上の最高傑作と言われています。ラファエル前派とは、19世紀中頃に英国で起こった芸術的傾向で、ラファエロ以前の素朴なルネッサンス芸術やフランドル美術を模範とし、ありのままの自然を正確に描写するスタイルです。
    シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の一場面が描かれています。王子ハムレットは、現国王の叔父に父を殺され母を奪われたと疑い、真実を探っていました。この作品は、狂気を装った恋人のハムレットに捨てられ、また、父親がハムレットに殺されたことを知ったオフィーリアが、発狂した末に小川で溺死する際の生と死の狭間を切り取っています。背景の草花には寓意が込められ、ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味しています。
    因みにモデルを務めたエリザベス・シッダルは、水を張ったバスタブの中でポーズを取り続けたために肺炎を患ったそうです。この出来事を知ったモデルの父親が怒り狂い、後にミレイに慰謝料を請求する事態にまで発展しています。
    また、夏目漱石著『草枕』には、「ミレイのオフィーリアは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレイはミレイ、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない」とあります。漱石にかかれば、ミレイも形無しですね!

  • エドワード・バーン・ジョーンズ『黄金の階段』(1876~80年 テイト・ギャラリー蔵)<br />ラファエル前派が象徴主義への影響力を高めていった頃、バーン・ジョーンズは神秘性を高揚させながら、装飾性にも拘った作品を描きました。<br />この作品は、音楽的な調和をテーマに、音階を文字通り「音の階段」として表しています。古代ローマ帝国時代を彷彿とさせる純白ドレスの乙女たちが、多様な楽器を携え、列を成して黄金の螺旋階段を天上界から降りてきます。階段は旋律線にも似た流麗な曲線を描いて流れ落ち、手にした楽器と共鳴し合ってハーモニーを奏でます。乙女たちが折り重なり、ひしめき合う姿は音符を彷彿とさせ、一人ひとりがリズムとメロディを刻んでいます。階段は、ピアノの鍵盤を思わせます。そんな中、ひとりの乙女が、楽器を落としたのか、足を滑らせたのか、旋律の調和を乱し、その破綻が鑑賞者に緊張感をもたらせます。<br />一方、吹き抜け屋根に留まる白鳩と空は天上界を表し、下方の家へ入る扉は地上界を表しています。天と地の世界を結び付けようとした、ラファエル前派の特徴に満ちた作品とも言えます。このように曲線を多用して清純な世界を描く手法には、ボッティチェリやマンテーニャの影響が窺えます。<br />また、乙女たちの表情には、同じラファエル前派のミレイの内面性やロセッティの肉感的な官能性は感じられません。乙女たちの「魂」を封印し、敢えて無表情な人形を彷彿とさせることで連続的な挙動を強調し、階段の曲線と相俟って音楽的な律動を表しています。このように人物の情感を封印することで装飾性を一層引き立てる手法は、ある意味、耽美主義派の到達点とも言えます。

    エドワード・バーン・ジョーンズ『黄金の階段』(1876~80年 テイト・ギャラリー蔵)
    ラファエル前派が象徴主義への影響力を高めていった頃、バーン・ジョーンズは神秘性を高揚させながら、装飾性にも拘った作品を描きました。
    この作品は、音楽的な調和をテーマに、音階を文字通り「音の階段」として表しています。古代ローマ帝国時代を彷彿とさせる純白ドレスの乙女たちが、多様な楽器を携え、列を成して黄金の螺旋階段を天上界から降りてきます。階段は旋律線にも似た流麗な曲線を描いて流れ落ち、手にした楽器と共鳴し合ってハーモニーを奏でます。乙女たちが折り重なり、ひしめき合う姿は音符を彷彿とさせ、一人ひとりがリズムとメロディを刻んでいます。階段は、ピアノの鍵盤を思わせます。そんな中、ひとりの乙女が、楽器を落としたのか、足を滑らせたのか、旋律の調和を乱し、その破綻が鑑賞者に緊張感をもたらせます。
    一方、吹き抜け屋根に留まる白鳩と空は天上界を表し、下方の家へ入る扉は地上界を表しています。天と地の世界を結び付けようとした、ラファエル前派の特徴に満ちた作品とも言えます。このように曲線を多用して清純な世界を描く手法には、ボッティチェリやマンテーニャの影響が窺えます。
    また、乙女たちの表情には、同じラファエル前派のミレイの内面性やロセッティの肉感的な官能性は感じられません。乙女たちの「魂」を封印し、敢えて無表情な人形を彷彿とさせることで連続的な挙動を強調し、階段の曲線と相俟って音楽的な律動を表しています。このように人物の情感を封印することで装飾性を一層引き立てる手法は、ある意味、耽美主義派の到達点とも言えます。

  • アンリ・ルソー『蛇使いの女』(1907年 オルセー美術館蔵)<br />素朴派(ナイーブ・アート)の巨匠ルソーが63歳で描いた傑作で、その3年後に没しています。素朴派とは、美術教育を受けず、また作品を手本にすることもなく、純粋に描くことで素朴さや独創性が際立つ作品を制作するジャンルの画家を指します。<br />この絵はルソーの作品を絶賛していた芸術家ロベール・ドローネーの母親ベルトが注文した作品で、彼女はインド旅行の経験があり、南国風のエキゾチックな主題のものを依頼しました。密林で笛を奏でる蛇使いのシルエットを、満月の逆光を巧みに用いて神秘的に浮かび上がらせています。蛇使いの瞳は、鑑賞者を見据えるかのような魔力的な光を放っています。また、肩や足元、木々には、シルエットでそれと判る大蛇や梟、ペリカンらしき鳥を象徴的に配しています。<br />ルソーは南国風景をナポレオン3世と共にメキシコ従軍した時の記憶を元に描いたと語っていますが、実際には南国へ行ったことはなく、密林の描写はパリの熱帯植物園でスケッチしたものを組み合わせたものです。しかし月光に照らされ、妖しく茂る手前の草木と奥の陰影のコントラストがドラマチックで、怪しくも幻想的な世界へと誘う絵画です。魔術的とも比喩される本作のような圧巻の色彩感覚や静謐で神秘的な世界観は、ルソーの真骨頂のひとつであり、魅力でもあります。この作品に関しては、それまで作品発表時の恒例だった嘲笑がピタリと止んだといいます。笑いものにしてやろうと集まった批評家たちが、言葉を失い、固唾を呑む姿が目に浮かぶようです。

    アンリ・ルソー『蛇使いの女』(1907年 オルセー美術館蔵)
    素朴派(ナイーブ・アート)の巨匠ルソーが63歳で描いた傑作で、その3年後に没しています。素朴派とは、美術教育を受けず、また作品を手本にすることもなく、純粋に描くことで素朴さや独創性が際立つ作品を制作するジャンルの画家を指します。
    この絵はルソーの作品を絶賛していた芸術家ロベール・ドローネーの母親ベルトが注文した作品で、彼女はインド旅行の経験があり、南国風のエキゾチックな主題のものを依頼しました。密林で笛を奏でる蛇使いのシルエットを、満月の逆光を巧みに用いて神秘的に浮かび上がらせています。蛇使いの瞳は、鑑賞者を見据えるかのような魔力的な光を放っています。また、肩や足元、木々には、シルエットでそれと判る大蛇や梟、ペリカンらしき鳥を象徴的に配しています。
    ルソーは南国風景をナポレオン3世と共にメキシコ従軍した時の記憶を元に描いたと語っていますが、実際には南国へ行ったことはなく、密林の描写はパリの熱帯植物園でスケッチしたものを組み合わせたものです。しかし月光に照らされ、妖しく茂る手前の草木と奥の陰影のコントラストがドラマチックで、怪しくも幻想的な世界へと誘う絵画です。魔術的とも比喩される本作のような圧巻の色彩感覚や静謐で神秘的な世界観は、ルソーの真骨頂のひとつであり、魅力でもあります。この作品に関しては、それまで作品発表時の恒例だった嘲笑がピタリと止んだといいます。笑いものにしてやろうと集まった批評家たちが、言葉を失い、固唾を呑む姿が目に浮かぶようです。

  • ギュスターヴ・モロー『オルフェウス』(1865年 オルセー美術館蔵)<br />フランス象徴主義の巨星モローの代表作と称されている作品です。<br />ギリシア神話に登場する吟遊詩人であり歌と竪琴の名手としても語り継がれる「オルフェウス」の首と竪琴を拾い上げ、それを抱えるトラキア(地名)の娘の姿を描いた作品です。どことなく暗く沈んだ色調ですが、幻想的な雰囲気を醸す作品です。オルフェウスの生首を切なくも慈悲深い表情で思い深げに抱えて向き合うトラキアの娘の心象を見事に表現しています。晩年のオルフェウスは、愛妻エウリュディケとの死別に絶望し、冥府の秘儀を男性のみに伝え、全ての女性との接触を絶っていました。それが災いして酒神バッカスの信女であるトラキアの女性たちが狂乱し、儀式の際にオルフェウスを八つ裂きにし、その首と竪琴を川に流しました。それらを拾い上げた優しくも切ない表情のトラキアの娘が何を思っているのか、気になる1枚です。

    ギュスターヴ・モロー『オルフェウス』(1865年 オルセー美術館蔵)
    フランス象徴主義の巨星モローの代表作と称されている作品です。
    ギリシア神話に登場する吟遊詩人であり歌と竪琴の名手としても語り継がれる「オルフェウス」の首と竪琴を拾い上げ、それを抱えるトラキア(地名)の娘の姿を描いた作品です。どことなく暗く沈んだ色調ですが、幻想的な雰囲気を醸す作品です。オルフェウスの生首を切なくも慈悲深い表情で思い深げに抱えて向き合うトラキアの娘の心象を見事に表現しています。 晩年のオルフェウスは、愛妻エウリュディケとの死別に絶望し、冥府の秘儀を男性のみに伝え、全ての女性との接触を絶っていました。それが災いして酒神バッカスの信女であるトラキアの女性たちが狂乱し、儀式の際にオルフェウスを八つ裂きにし、その首と竪琴を川に流しました。それらを拾い上げた優しくも切ない表情のトラキアの娘が何を思っているのか、気になる1枚です。

  • ノルウェイを代表する画家ムンクの展示ルームです。<br />5歳で母親を結核で亡くし、父親は妻のことを忘れようと医師として貧民街で医療に没頭しますが、その反面、家庭内では暴力を振るうようになります。そんな中、ムンクを支えたのは亡母の妹カーレンでした。彼女はムンクの芸術的才能を見いだしました。しかし不幸は続き、多感な14歳の時には姉を結核で亡くします。自身も病弱で生きることへの不安は絶えず、「病と狂気と死は私のゆりかごをたゆたい、それは生涯に亘って私につきまとう黒い天使であった」と晩年に語っています。ムンクが悩みや苦しみを乗り超えることができたのは、絵画の世界のおかげでした。18歳で王立美術工芸学校に入学して絵画の勉強を始めますが、その翌年、人妻ミリー・ベルクとの交際が始まり、嫉妬や罪悪感に苛まれる日々を送ることになり、この生活はパリ留学を決意する26歳まで続きました。辛い愛の日々から逃れ、芸術の都パリで新しい絵画に触れ、再出発を誓ったムンクでしたが、その矢先に故郷から届いたのは父親の訃報でした。その後も愛と放浪の遍歴は続き、「生と死」、「愛と性」といったテーマに感受性を研ぎ澄ませていった彼の作品には、「不安や狂気」といった独特の世界感が広がっていきました。

    ノルウェイを代表する画家ムンクの展示ルームです。
    5歳で母親を結核で亡くし、父親は妻のことを忘れようと医師として貧民街で医療に没頭しますが、その反面、家庭内では暴力を振るうようになります。そんな中、ムンクを支えたのは亡母の妹カーレンでした。彼女はムンクの芸術的才能を見いだしました。 しかし不幸は続き、多感な14歳の時には姉を結核で亡くします。自身も病弱で生きることへの不安は絶えず、「病と狂気と死は私のゆりかごをたゆたい、それは生涯に亘って私につきまとう黒い天使であった」と晩年に語っています。ムンクが悩みや苦しみを乗り超えることができたのは、絵画の世界のおかげでした。 18歳で王立美術工芸学校に入学して絵画の勉強を始めますが、その翌年、人妻ミリー・ベルクとの交際が始まり、嫉妬や罪悪感に苛まれる日々を送ることになり、この生活はパリ留学を決意する26歳まで続きました。 辛い愛の日々から逃れ、芸術の都パリで新しい絵画に触れ、再出発を誓ったムンクでしたが、その矢先に故郷から届いたのは父親の訃報でした。その後も愛と放浪の遍歴は続き、「生と死」、「愛と性」といったテーマに感受性を研ぎ澄ませていった彼の作品には、「不安や狂気」といった独特の世界感が広がっていきました。

  • エドヴァルド・ムンク『叫び』(1893年 ムンク美術館蔵)<br />『叫び』は4部作であり、同じテーマで1893年に油彩版とパステル版、1895年にはクレヨン版、1910年にはテンペラ画で描いています。また、リトグラフのモノクロ版も存在します。因みにこの作品のタイトルは、当初は「絶望」を考えていましたが、友人の勧めで「叫び」に改めたそうです。<br />この絵についてムンクは、「ある夕暮れ、友達と道を歩いていた。僕は疲れて気分が悪かった。太陽が沈むところだった。空が血のように赤く染まった。僕は果てしない絶叫が自然を貫いて通り抜けていくのを感じた」といったニュアンスで幻聴という異常体験を語っています。人物が何かを叫んでいるようにも見えますが、この人物が幻聴を聞いてしまい、その恐怖心から耳を塞ぎ、得体の知れない何かと必至に戦っている様子です。<br />研究家プリドー氏は、「『叫び』が描かれた頃、ムンクは失恋のため絶望の淵にあり、家系に遺伝する精神疾患が悪化するのを恐れていた。『叫び』に描かれた橋がよく自殺者が飛び込む定番の場所であったことは、単なる偶然ではない」と語っています。更に、この橋は屠殺場と妹が入院していた精神病院のすぐ傍にあったとされ、自殺を匂わせて描いた絵だとの説もあります。<br />実際、ムンクは統合失調症を患い、その症状の幻聴や幻覚、妄想に悩まされていました。様々な情報や刺激に過敏になり過ぎて脳が対応できなくなり、精神機能のネットワークがうまく働かず、感情や思考をまとめられなくなるのが総合失調症です。そのきっかけは、恋愛関係のもつれから発砲事件を起こし、左手中指を失ったことです。これが、彼の精神状態を不安定にさせた要因の一つとされ、その後にアルコール依存症に発展し、やがて統合失調症と診断されるに至ります。とは言え、統合失調症という特性を武器に変え、孤独や不安をテーマにした独自の境地の作品を数多く描くなど逞しく生涯を送っています。<br />因みに、ムンクは80歳で亡くなっています。大方は自殺と思われるでしょうが、誕生日の1週間後、自宅近くで破壊工作があり、自宅の窓ガラスが爆発で吹き飛ばされたため、凍える夜気に晒されて気管支炎を発症し、それが悪化して1ヵ月後に亡くなっています。

    エドヴァルド・ムンク『叫び』(1893年 ムンク美術館蔵)
    『叫び』は4部作であり、同じテーマで1893年に油彩版とパステル版、1895年にはクレヨン版、1910年にはテンペラ画で描いています。また、リトグラフのモノクロ版も存在します。因みにこの作品のタイトルは、当初は「絶望」を考えていましたが、友人の勧めで「叫び」に改めたそうです。
    この絵についてムンクは、「ある夕暮れ、友達と道を歩いていた。僕は疲れて気分が悪かった。太陽が沈むところだった。空が血のように赤く染まった。僕は果てしない絶叫が自然を貫いて通り抜けていくのを感じた」といったニュアンスで幻聴という異常体験を語っています。人物が何かを叫んでいるようにも見えますが、この人物が幻聴を聞いてしまい、その恐怖心から耳を塞ぎ、得体の知れない何かと必至に戦っている様子です。
    研究家プリドー氏は、「『叫び』が描かれた頃、ムンクは失恋のため絶望の淵にあり、家系に遺伝する精神疾患が悪化するのを恐れていた。『叫び』に描かれた橋がよく自殺者が飛び込む定番の場所であったことは、単なる偶然ではない」と語っています。更に、この橋は屠殺場と妹が入院していた精神病院のすぐ傍にあったとされ、自殺を匂わせて描いた絵だとの説もあります。
    実際、ムンクは統合失調症を患い、その症状の幻聴や幻覚、妄想に悩まされていました。様々な情報や刺激に過敏になり過ぎて脳が対応できなくなり、精神機能のネットワークがうまく働かず、感情や思考をまとめられなくなるのが総合失調症です。そのきっかけは、恋愛関係のもつれから発砲事件を起こし、左手中指を失ったことです。これが、彼の精神状態を不安定にさせた要因の一つとされ、その後にアルコール依存症に発展し、やがて統合失調症と診断されるに至ります。とは言え、統合失調症という特性を武器に変え、孤独や不安をテーマにした独自の境地の作品を数多く描くなど逞しく生涯を送っています。
    因みに、ムンクは80歳で亡くなっています。大方は自殺と思われるでしょうが、誕生日の1週間後、自宅近くで破壊工作があり、自宅の窓ガラスが爆発で吹き飛ばされたため、凍える夜気に晒されて気管支炎を発症し、それが悪化して1ヵ月後に亡くなっています。

  • エドヴァルド・ムンク『叫び』<br />中央上部左の赤い雲の上には、鉛筆で薄く「狂人のみが描きうる」と書かれており、生涯の憂いが彼を狂人の境地に導き、作品にそれを記さざるを得なかったのかと思わせます。<br />しかしこの言葉について訊かれたムンクは「このままにしておこう」とだけ答えており、彼が書いたものなのか、展覧会でこの絵を観た人が書き込んだものかどうかは永遠の謎になっています。

    エドヴァルド・ムンク『叫び』
    中央上部左の赤い雲の上には、鉛筆で薄く「狂人のみが描きうる」と書かれており、生涯の憂いが彼を狂人の境地に導き、作品にそれを記さざるを得なかったのかと思わせます。
    しかしこの言葉について訊かれたムンクは「このままにしておこう」とだけ答えており、彼が書いたものなのか、展覧会でこの絵を観た人が書き込んだものかどうかは永遠の謎になっています。

  • エリザベート・ヴィジェ・ルブラン 『娘と一緒の自画像』(1786年 ルーヴル美術館)<br />当方が4travelのプロフィール写真に使わせていただいている、ヴィジェ・ルブランの作品です。6年ぶりの再会です。<br />18世紀のロココ美術後期に活躍し、マリー・アントワネットによりベルサイユ宮殿に召喚され、王妃や子供達、王族や家族の「ベルサイユのばら」風の肖像画を数多く描き、女流画家のパイオニアと称されています。彼女と王妃は、画家と王妃を超えた親友並みの関係を築いていました。故に、フランス革命で王族が逮捕された後、フランスから逃れて数年間、イタリア、オーストリア、ロシアで画家として生計を立てました。革命政府の転覆後、フランスへ戻りナポレオン・ボナパルトの妹の肖像画も手がけましたが、ナポレオンとの折り合いが悪化し、出国してスイスに赴きました。フランスが王政復古するとルイ18世に手厚く迎えられ、フランスを安住の地としました。<br />この絵は、ルブラン31歳、娘ジュリー6歳の時の自画像です。ロココ様式による肖像画の典型であった軽い微笑みを浮かべており、絵を観る者と柔らかく対峙してくれます。彼女は画家として名声を博しましたが、画家であり画商であった夫は賭博好き、一人娘も長じてから素行が悪く、弱冠30歳で先立つなど家庭的には恵まれませんでした。墓碑銘には“Ici, enfin, je repose….” 「ここで、ついに、私は休みます…」と記されています。

    エリザベート・ヴィジェ・ルブラン 『娘と一緒の自画像』(1786年 ルーヴル美術館)
    当方が4travelのプロフィール写真に使わせていただいている、ヴィジェ・ルブランの作品です。6年ぶりの再会です。
    18世紀のロココ美術後期に活躍し、マリー・アントワネットによりベルサイユ宮殿に召喚され、王妃や子供達、王族や家族の「ベルサイユのばら」風の肖像画を数多く描き、女流画家のパイオニアと称されています。彼女と王妃は、画家と王妃を超えた親友並みの関係を築いていました。故に、フランス革命で王族が逮捕された後、フランスから逃れて数年間、イタリア、オーストリア、ロシアで画家として生計を立てました。革命政府の転覆後、フランスへ戻りナポレオン・ボナパルトの妹の肖像画も手がけましたが、ナポレオンとの折り合いが悪化し、出国してスイスに赴きました。フランスが王政復古するとルイ18世に手厚く迎えられ、フランスを安住の地としました。
    この絵は、ルブラン31歳、娘ジュリー6歳の時の自画像です。ロココ様式による肖像画の典型であった軽い微笑みを浮かべており、絵を観る者と柔らかく対峙してくれます。彼女は画家として名声を博しましたが、画家であり画商であった夫は賭博好き、一人娘も長じてから素行が悪く、弱冠30歳で先立つなど家庭的には恵まれませんでした。墓碑銘には“Ici, enfin, je repose….” 「ここで、ついに、私は休みます…」と記されています。

  • ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『ナイトメア(夢魔)』(1781年 デトロイト美術館蔵)<br />フュースリは、チューリヒに生れ、幼少時から古典文学を学び、牧師の資格も取得しました。22歳の時、行政官を告発した友人を支援したため母国を追放されて英国に渡り、レノルズに絵の才能を見出されてイタリアに8年間留学後、画家になったという異色の画家です。後年、英国ロイヤル・アカデミーの教授や院長にまで出世しています。ミケランジェロの影響を受け、ダンテ『神曲』や神話、シェークスピア作品をテーマにしました。強い明暗の色使いや不気味な怪物・悪魔が現れる幻想画で知られていますが、これでもロマン派です。<br />恍惚の表情で眠る女性を夜な夜な襲う不埒な悪魔と、好色のシンボルの馬をモチーフにした妖艶な作品です。真紅のカーテンを割り、目を爛々と輝かせて興奮した馬が顔を覗かせています。また、女性の腹の上には悪魔が座っていますが、これは金縛り状態の表現だそうです。往時の欧州では、金縛りも悪夢も夢遊病も全て悪魔の仕業とされていました。中野京子女史は、「眠りはある意味、こま切れの死だ。夜がその黒々とした翼を拡げるたび、幾度も幾度も自我を完全喪失しなくてはならない」と眠りの持つ恐怖の一面を解説されています。<br />モデルは、当時40歳だったフュースリの片思いの相手とされています。彼は結婚を望みましたが、彼女の父親に猛反対され、結局彼女は他の男性と結ばれました。こうした背景があれば、悪魔と馬は彼の分身でしかありません。しかし、何故自己の分身をここまで醜悪に描く必要があったのか?その根底にあるのは、恋人への深い嫉妬と怨嗟だと分析されています。これが真実ならば、失恋と言うネガティブな志向から創作された作品が想定外に出世作になったということです。これが日夜彼女を呪っていた絵画だったのかと思うと身の毛がよだちます。<br />因みにこの絵画は大人気を博し、複製画が作られ、心理学者フロイトはアパートにそのコピーを飾っていたそうです。どんな夢を見ていたことやら?

    ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『ナイトメア(夢魔)』(1781年 デトロイト美術館蔵)
    フュースリは、チューリヒに生れ、幼少時から古典文学を学び、牧師の資格も取得しました。22歳の時、行政官を告発した友人を支援したため母国を追放されて英国に渡り、レノルズに絵の才能を見出されてイタリアに8年間留学後、画家になったという異色の画家です。後年、英国ロイヤル・アカデミーの教授や院長にまで出世しています。ミケランジェロの影響を受け、ダンテ『神曲』や神話、シェークスピア作品をテーマにしました。強い明暗の色使いや不気味な怪物・悪魔が現れる幻想画で知られていますが、これでもロマン派です。
    恍惚の表情で眠る女性を夜な夜な襲う不埒な悪魔と、好色のシンボルの馬をモチーフにした妖艶な作品です。真紅のカーテンを割り、目を爛々と輝かせて興奮した馬が顔を覗かせています。また、女性の腹の上には悪魔が座っていますが、これは金縛り状態の表現だそうです。往時の欧州では、金縛りも悪夢も夢遊病も全て悪魔の仕業とされていました。中野京子女史は、「眠りはある意味、こま切れの死だ。夜がその黒々とした翼を拡げるたび、幾度も幾度も自我を完全喪失しなくてはならない」と眠りの持つ恐怖の一面を解説されています。
    モデルは、当時40歳だったフュースリの片思いの相手とされています。彼は結婚を望みましたが、彼女の父親に猛反対され、結局彼女は他の男性と結ばれました。こうした背景があれば、悪魔と馬は彼の分身でしかありません。しかし、何故自己の分身をここまで醜悪に描く必要があったのか?その根底にあるのは、恋人への深い嫉妬と怨嗟だと分析されています。これが真実ならば、失恋と言うネガティブな志向から創作された作品が想定外に出世作になったということです。これが日夜彼女を呪っていた絵画だったのかと思うと身の毛がよだちます。
    因みにこの絵画は大人気を博し、複製画が作られ、心理学者フロイトはアパートにそのコピーを飾っていたそうです。どんな夢を見ていたことやら?

  • ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『ティターニアとボトム』(1794年 チューリヒ美術館蔵)<br />シェークスピアの戯曲『真夏の夜の夢』の一シーンを描いた作品です。フュースリは知識人のため作品もシェークスピアやミルトンの何幕目の何シーンとなり、鑑賞者にも教養が求められます。<br />『真夏の夜の夢』は、妖精の夫婦オベロンとタイタニアが住む森の中で展開されていきます。夫オベロンの従者パックが妖精の女王ティターニアにかけたのは、目を覚まして最初に見たものを恋するという魔法でした。目を覚ました彼女は下層労働者ボトムへの恋に堕ち、しかも彼の頭は、彼の性格に似つかわしいと感じたパックにより、ロバの頭に挿げ替えられていました。ロバの頭をしたボトムを彼女が愛するシーンは、インパクトがあります。やがて夫婦の蟠りが解けると、オベロンは彼女が気の毒になり、ボトムの頭からロバの頭を取り去り、魔法を解いて和解します。<br />『真夏の夜の夢』には、豆の花や蜘蛛の巣の妖精などの妖精が登場します。左下の「仮面ライダー」を彷彿とさせる奇妙な生き物は、蛾の羽根の妖精「モス」です。この作品は「あやしい絵」のひとつに取り上げられていますが、説明書には「赤い目の昆虫人間」とありました。確かに、「仮面ライダー」と書いても今の子どもたちには通じませんものね!<br />ところで、ティターニアは怪物を愛するように魔法をかけられるのですが、何故ロバなのでしょうか?ヤン・コットによると、ロバは古代からルネッサンス期まで、動物の中で最も強い性的能力を持つと信じられていたそうです。女性とロバとの恋愛自体、グロテスクなことですが、ティターニアという女性の周りには動物や性的なイメージが散り嵌められているようです。因みに彼女に仕える妖精たちは、奇妙な名前ばかりです。これらは魔女の用いる媚薬の成分であり、性的なイメージを高める細工だそうです。

    ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『ティターニアとボトム』(1794年 チューリヒ美術館蔵)
    シェークスピアの戯曲『真夏の夜の夢』の一シーンを描いた作品です。フュースリは知識人のため作品もシェークスピアやミルトンの何幕目の何シーンとなり、鑑賞者にも教養が求められます。
    『真夏の夜の夢』は、妖精の夫婦オベロンとタイタニアが住む森の中で展開されていきます。夫オベロンの従者パックが妖精の女王ティターニアにかけたのは、目を覚まして最初に見たものを恋するという魔法でした。目を覚ました彼女は下層労働者ボトムへの恋に堕ち、しかも彼の頭は、彼の性格に似つかわしいと感じたパックにより、ロバの頭に挿げ替えられていました。ロバの頭をしたボトムを彼女が愛するシーンは、インパクトがあります。やがて夫婦の蟠りが解けると、オベロンは彼女が気の毒になり、ボトムの頭からロバの頭を取り去り、魔法を解いて和解します。
    『真夏の夜の夢』には、豆の花や蜘蛛の巣の妖精などの妖精が登場します。左下の「仮面ライダー」を彷彿とさせる奇妙な生き物は、蛾の羽根の妖精「モス」です。この作品は「あやしい絵」のひとつに取り上げられていますが、説明書には「赤い目の昆虫人間」とありました。確かに、「仮面ライダー」と書いても今の子どもたちには通じませんものね!
    ところで、ティターニアは怪物を愛するように魔法をかけられるのですが、何故ロバなのでしょうか?ヤン・コットによると、ロバは古代からルネッサンス期まで、動物の中で最も強い性的能力を持つと信じられていたそうです。女性とロバとの恋愛自体、グロテスクなことですが、ティターニアという女性の周りには動物や性的なイメージが散り嵌められているようです。因みに彼女に仕える妖精たちは、奇妙な名前ばかりです。これらは魔女の用いる媚薬の成分であり、性的なイメージを高める細工だそうです。

  • アングルの作品の展示ルームです。<br />アングルは、新古典主義における最後の巨匠です。性格なデッサンを基本としたアカデミックな作風の画家として確固たる地位を築きました。生涯に亘って理想美を追求し、『グランド・オダリスク』などは発表時に批難の的になったものの、その多くは傑作として現在も絵画史に燦然と輝いています。<br />『グランド・オダリスク』は、頸椎が数個多いと酷評された作品です。しかし、これはアングルが意図的に描いたものでした。アングルが活躍した時代、カメラの技術が躍進しました。若手画家には死活問題になり、「絵画は死んだ」とまで言われました。アングルは、若手画家たちの生活を危惧し、絵画にしかできない表現を模索しました。それが、『グランド・オダリスク』でした。背中越しに振り向く全裸の美女。強調したいのは、美女の美しい背中。ならば、この背中を更に強調すればよい…。<br />結局、アングルの意図は、美術愛好家たちには理解されませんでした。しかしアングルの心配をよそに、絵画の表現は進歩していきました。その後、シュールレアリスムやキュビズムといった新しい芸術のムーブメントが花開いていったのです。

    アングルの作品の展示ルームです。
    アングルは、新古典主義における最後の巨匠です。性格なデッサンを基本としたアカデミックな作風の画家として確固たる地位を築きました。生涯に亘って理想美を追求し、『グランド・オダリスク』などは発表時に批難の的になったものの、その多くは傑作として現在も絵画史に燦然と輝いています。
    『グランド・オダリスク』は、頸椎が数個多いと酷評された作品です。しかし、これはアングルが意図的に描いたものでした。アングルが活躍した時代、カメラの技術が躍進しました。若手画家には死活問題になり、「絵画は死んだ」とまで言われました。アングルは、若手画家たちの生活を危惧し、絵画にしかできない表現を模索しました。それが、『グランド・オダリスク』でした。背中越しに振り向く全裸の美女。強調したいのは、美女の美しい背中。ならば、この背中を更に強調すればよい…。
    結局、アングルの意図は、美術愛好家たちには理解されませんでした。しかしアングルの心配をよそに、絵画の表現は進歩していきました。その後、シュールレアリスムやキュビズムといった新しい芸術のムーブメントが花開いていったのです。

  • シャルダンやフラゴナールの作品の展示ルームです。<br />シャルダンは、18世紀ロココ様式時代のフランス絵画を代表する巨匠です。理知的で堅牢な優れた造形性と、詩情に溢れた静謐な場面描写、繊細でありながら精神性を感じさせる重厚な色彩、柔らかく包み込むような光の表現などで絶大な人気を博しました。<br />フラゴナールは、ロココ美術の典型的な画家であると共に、時代の変化の中で、ロココ時代の最後を飾った画家です。不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的主題や寓意的主題を扱った作品は、画家の天武の才能が示されています。

    シャルダンやフラゴナールの作品の展示ルームです。
    シャルダンは、18世紀ロココ様式時代のフランス絵画を代表する巨匠です。理知的で堅牢な優れた造形性と、詩情に溢れた静謐な場面描写、繊細でありながら精神性を感じさせる重厚な色彩、柔らかく包み込むような光の表現などで絶大な人気を博しました。
    フラゴナールは、ロココ美術の典型的な画家であると共に、時代の変化の中で、ロココ時代の最後を飾った画家です。不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的主題や寓意的主題を扱った作品は、画家の天武の才能が示されています。

  • ゴヤの作品の展示ルームです。<br />結構人気があります。

    ゴヤの作品の展示ルームです。
    結構人気があります。

  • フランシスコ・デ・ゴヤ『黒い絵』<br />ゴヤが晩年暮らしたマドリードの邸宅の「食堂」と「サロン」の漆喰壁には、そのムードから通称「黒い絵」と呼ばれる14枚の連作がありました。ゴヤ没後の1870年代に壁面からカンヴァスに移され、現在はプラド美術館蔵となっています。<br />今回は、2室あるうちの「食堂」にゴヤが暮らした当時の雰囲気をイメージ再現されていました。プラド美術館で観た、衝撃的な「黒い絵」をフラッシュバックさせることができました。

    フランシスコ・デ・ゴヤ『黒い絵』
    ゴヤが晩年暮らしたマドリードの邸宅の「食堂」と「サロン」の漆喰壁には、そのムードから通称「黒い絵」と呼ばれる14枚の連作がありました。ゴヤ没後の1870年代に壁面からカンヴァスに移され、現在はプラド美術館蔵となっています。
    今回は、2室あるうちの「食堂」にゴヤが暮らした当時の雰囲気をイメージ再現されていました。プラド美術館で観た、衝撃的な「黒い絵」をフラッシュバックさせることができました。

  • フランシスコ・デ・ゴヤ『ボルドーのミルク売り娘』(1825~27年 プラド美術館蔵)<br />『黒い絵』の連作を見た後、重く暗い気分で展示室を出た刹那、目に飛び込んでくるのが、死の前年に完成され、ゴヤの絶筆となったこの作品です。この絵が目に入った時は、感無量になりました。こんな風にドラマチックに絵画との触れ合いで鑑賞者の心を鷲掴みにする展示の仕掛けも大塚国際美術館の魅力のひとつです。<br />ゴヤがフランスへ亡命し、最晩年の4年間を過ごしたフランス南西部の都市ボルドーでミルク売りの少女を描いた作品です。不治の病で聴覚を失い、視力も衰えた末にゴヤが辿り着いた悟りの境地で描かれた少女は、優しい光に照らされ、その姿は安らぎと慈愛を湛え、聖母をも彷彿とさせます。それまでの数年は狂気に満ちた「黒い絵」を描くほどの精神状態でしたが、ボルドーに移り、穏やかな絵が描けるようになったのです。82年に亘る波乱万丈の人生の有終の美を飾ったのが、王族の肖像画でも戦闘シーンでもなく、ましてや陰鬱な「黒い絵」でもなく、この優しい光に満ちた少女だったというのは救われる思いがします。因みにこの絵は、内縁の妻レオカディアに与えられた唯一の遺産になりました。<br /><br />この続きは、桐葉知秋 阿波紀行⑥大塚国際美術館 本館2F・1Fフロアでお届けいたします。

    フランシスコ・デ・ゴヤ『ボルドーのミルク売り娘』(1825~27年 プラド美術館蔵)
    『黒い絵』の連作を見た後、重く暗い気分で展示室を出た刹那、目に飛び込んでくるのが、死の前年に完成され、ゴヤの絶筆となったこの作品です。この絵が目に入った時は、感無量になりました。こんな風にドラマチックに絵画との触れ合いで鑑賞者の心を鷲掴みにする展示の仕掛けも大塚国際美術館の魅力のひとつです。
    ゴヤがフランスへ亡命し、最晩年の4年間を過ごしたフランス南西部の都市ボルドーでミルク売りの少女を描いた作品です。不治の病で聴覚を失い、視力も衰えた末にゴヤが辿り着いた悟りの境地で描かれた少女は、優しい光に照らされ、その姿は安らぎと慈愛を湛え、聖母をも彷彿とさせます。それまでの数年は狂気に満ちた「黒い絵」を描くほどの精神状態でしたが、ボルドーに移り、穏やかな絵が描けるようになったのです。82年に亘る波乱万丈の人生の有終の美を飾ったのが、王族の肖像画でも戦闘シーンでもなく、ましてや陰鬱な「黒い絵」でもなく、この優しい光に満ちた少女だったというのは救われる思いがします。因みにこの絵は、内縁の妻レオカディアに与えられた唯一の遺産になりました。

    この続きは、桐葉知秋 阿波紀行⑥大塚国際美術館 本館2F・1Fフロアでお届けいたします。

この旅行記のタグ

関連タグ

713いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • リリーさん 2017/12/01 14:36:48
    こんにちは
    montsaintmichelさん、私の高野山の旅行記にご投票下さり、ありがとうございます。

    大塚国際美術館、前々から行きたいと思っていました。やはりスゴイです。写真撮影もできるし、楽しめそうです。
    よくわからなかったのですが、モネのラ ジャポネーズの衣装を着て写真撮影をするのが、どうして差別や人を傷つけることになるのでしょうか。日系アメリカ人ではなく、中国系のアメリカ人がそれを指摘したそうですが、私には何がそんなにいけないのか、わからなくて。。
    奥様をモデルにしたのなら、悪い意味は全然なかったと思うのですが。

    この美術館、広くてまわるのに一日かかると聞きました。確かに作品も沢山あるのですネ。


    montsaintmichel

    montsaintmichelさん からの返信 2017/12/02 17:58:40
    RE: こんにちは
    リリーさん、こんばんは!

    返事が遅くなり申し訳ありません。
    旅行記にアクセスしていただきありがとうございました。

    ラ・ジャポネーズの件は、リリーさんもおっしゃる通り、日本人には理解できないことだと思います。人種差別がまかり通る社会の恐ろしさかもしれません。

    娘さんたちと一緒に高野山が愉しめたなんて羨ましい限りです。
    高野山は海外観光客も増えているようですね!
    次の旅行記を愉しみにしております。

    montsaintmichel

montsaintmichelさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP