2017/10/06 - 2017/10/07
2位(同エリア1477件中)
montsaintmichelさん
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大塚国際美術館では、(1)環境展示、(2)系統展示、(3)テーマ展示の3つのユニークな展示方法を採用しています。
その中でも出色なのが「環境展示」と呼ばれ、環境空間を丸ごと原寸大で再現したダイナミックな展示方法です。ポンペイ遺跡やカッパドキアの聖テオドール聖堂壁画、オランジュリー美術館のモネの『大睡蓮』など、移動不可能な美術作品を現地の空間を忠実に再現した立体展示がなされています。また、壁画の朽ちた様子などもオリジナル通りに再現しており、臨場感が迫る展示になっています。
正直な所、実際に行ってみるまでは半信半疑でした。しかし、礼拝堂の環境展示に身を投じるや否や、ネガティブな思考は払拭され、レプリカであることもすっかり忘れて写真撮影に没頭する自分の姿がありました。
大塚国際美術館のHPです。
http://o-museum.or.jp/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
-
大塚国際美術館ブランドシンボル
ビジュアル・アイデンティティのテーマカラーは、西洋絵画で高価な色として珍重されてきた「ラピスラズリ・ブルー」を基調としています。フェルメール『真珠の耳飾りの少女』や宗教画の聖母マリアなどの肖像画は、ラピスラズリ無しでは制作が不可能と言われたほどです。またこの色は、「地中海の向こう」を意味し、「群青色」とも呼ばれました。まさに海の向こうにある素晴らしい名画集を、日本に居ながらにして巡ることができる「大塚国際美術館」のコンセプトを象徴したカラーと言えます。
因みに『旧約聖書』の「エジプト記」には、ラピスラズリは祭司アロンの聖なる祭服に着けられた12個の宝石として登場します。また『ヨハネの黙示録』では、世界が終末を迎えた後に現れる新エルサレムの都の神殿の東西南北12の礎はそれぞれ宝石で飾られ、そのうちの2番目がラピスラズリだと記されています。古代ローマの学者は「星の煌めく天空の破片」と讃え、ペルシャでは天空の色を映す神の光の象徴とも言われていました。語源は、「ラピス」はラテン語の石、「ラズリ」は青空を意味するペルシャ語が由来です。神に繋がる石として、病気の治療などにも使われ、「魔法の石」と言われたそうです。 -
システィーナ・ホール
目玉となるのが入口のエスカレータで上った先にあるシスティーナ・ホールです。ミケランジェロが手掛けたシスティーナ礼拝堂内の絵画を完全再現しており、空間の広さも原寸大です。このように空間を丸ごと再現する展示方法を「環境展示」と呼んでいます。移動が不可能なシスティーナ礼拝堂やポンペイ遺跡、あるいはカッパドキアの聖堂などを現地の雰囲気そのままに体感できるのが最大の魅力です。
以前システィーナ礼拝堂を訪れたことがありますが、中は仄暗く、鑑賞者で溢れており、圧倒されるような厳粛な雰囲気は感じられましたが、近くに寄って細部やタッチを鑑賞するのは叶わず不完全燃焼でした。そうした意味で、レプリカとは言え静謐な空間に仕上げられており、本家に勝る点も多々あると思います。
尚、本家では側壁にボッティチェッリの『反逆者たちの懲罰』や『モーセの生涯の出来事』をはじめ『旧約聖書』や『新約聖書』の物語が描かれていますが、ここでは省略されています。将来は、フルバージョンで環境展示していただきたいなと思います。 -
システィーナ・ホール
本家では不可能なのが、このように地下2階の吹き抜けから見渡すことです。天井が身近になる分、迫力もアップし圧巻です。ヴァチカン宮殿美術館では、このように高所から見ることはできず、これはレプリカならではの醍醐味です。
陶板画を制作している大塚オーミ陶業の技術力の証が、2007年に完全再現された天井画です。複雑な曲線で構成された三次元曲面(スパンドレル)を再現するのに、実に10年の研究と技術改良を行なったそうです。
また、天井画の完成を記念してヴァチカン美術館館長を招待した際、美術作品を通じてキリスト教の伝統を日本に紹介し、理解を深めたことを讃え、大塚明彦館長が教皇ベネディクト16世より聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章しています。ひょっとすると、このシスティーナ・ホールを観てキリスト教信者になられた方もおられるかもしれません。少なくとも、オリジナルを鑑賞するためにヴァチカン美術館に足を運んだ方は多数居られるのではないでしょうか。 -
システィーナ・ホール 『最後の審判』
天井画完成の20年後、クレメンス7世発願で祭壇の背面に壁画が描かれることになりました。パウルス3世がミケランジェロに依頼し、1535~1541年にかけて制作されました。226平方mを覆う巨大な『最後の審判』は、新約聖書にあるこの世の終末を描いたもので、中央にイエスと聖母マリアが座しています。神を信じ正しい行いをした者は天国に昇り、悪人は地獄に突き落とされます。つまり、「マタイの福音書」の記述をリアルに描写した作品です。 イエスはここでは審判者として描かれ、その傍らに寄り添う聖母マリアは周囲の渦から目を背け、憂愁の表情を浮かべています。イエスの右下には、生皮を剥がれた聖バルトロメオ。左手に持つ抜け殻の顔は、ミケランジェロの自虐的な自画像だそうです。壁画の上方には天使たちの姿が描かれる一方、最下層には地獄へ堕ちる者と天国へと救い出される者。後者には黒人(左端)も描かれており、ミケランジェロ独自の世界観が窺えます。そして、右下の岩が地獄の入口。そこに立つのが地獄の審判者ミノス。彼は大蛇に巻き付かれ、その鎌首は急所に噛みついています。ミノスの顔は、当時ヴァチカン式部官だったビアージョの肖像です。彼が裸体描写を酷評したため、ミケランジェロが鬱憤晴らしをしたのだそうです。しかし、あまりにも多くの裸体が描かれているため、パウルス3世逝去後、下腹部を隠す腰布が描き足されたそうです。
因みに、イエスの位置でビルの4~5階に相当する高さだそうです。 -
システィーナ・ホール『アダムの創造』
長さ40m程の天井は、ミケランジェロが描いたフレスコ画で埋め尽くされています。ここには、『旧約聖書』から「創世記」の9つのエピソードを描がき、手前から順に「光と闇の分離」「太陽と月の創造」「大地と水の分離」「アダムの創造」「イヴの創造」「原罪と楽園追放」「ノアの燔祭」「大洪水」「ノアの泥酔」と並んでいます。
中央に君臨するのが「アダムの創造」です。神は粘土でアダムを創り、命を吹き込みました。そして楽園エデンの園を世話させるため、アダムをエデンの園に住まわせました。
因みに、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『E.T.』の指と指を合わせる有名なシーンは、この絵がモデルとされています。 -
システィーナ・ホール
システィーナ・ホールの完全再現には当然ヴァチカン市国の国務大臣の許可が必要であり、ロビー活動として縁のあった日本の枢機卿に依頼して直筆の手紙を渡したそうです。陶板画は、複製許可をもらった後、写真データを元に製版し、陶板に原画の質感を忠実に再現する技術であり、その上に職人が細部の補色やレタッチなどを行うなど非常に手間暇をかけて制作されています。
因みにこのホールでは、横綱 白鵬関と紗代子夫人、後藤田正純議員と水野真紀さんの結婚式が行われました。 -
システィーナ・ホール
本家よりも明るい分、間近に天井画が臨め、その細部を隈なく鑑賞できます。ミケランジェロは、天井部分は30代の時に4年、正面部分は60歳過ぎてから5年の歳月を費やして完成させています。正面部分には、抜け殻になってしまった自画像も描いているほどです。
感心するのは、遠近法の観点から、下から仰ぎ見た時に違和感のない姿に見えるように計算を尽くして大きさを変えて描いているところです。気が乗らず、いやいや描いた絵にしては素晴らしいできばえです。 -
システィーナ・ホール『デルフォイの巫女』
上の写真の左上に描かれている巫女の原寸大パネルが床の上にあります。
遠近法を駆使して描いているため、間近で見た印象と実際に仰ぎ見た印象が異なるのが判ると思います。こうした展示方法もアーティストたちの参考になることでしょう。
デルフォイの巫女「ピューティア」は、世界に最も大きな影響を与えた巫女と言われています。ソクラテスに哲学者としての自覚を促したのも、ペルシア戦争の際にペルシャ艦隊を追い払う事ができたのも、アテネの僭主ソロンが政治改革を行ったことも、スパルタが富国強兵的な政策方針に転換したのも、全てデルフォイの神託がきっかけだったと言われてます。
改めて天井から見つめる彼女を観ると、まるで彼女が語り部として、ここに描かれている物語を預言しているかの様にも窺えます。ミケランジェロが、この巫女を最も若く、華やいだ女性として描いたのには、それなりの意味がありそうです。 -
システィーナ・ホール 『クマエの巫女』
筋骨逞しい老婆は、「クマエの巫女」と呼ばれます。ウェルギリウス著『ア・エネーイス』には、冥界への案内人として登場します。他の巫女たちは若く美しい姿で描かれているのに、不思議なことにこの巫女だけは老婆の姿です。それには理由があります。
昔はとても綺麗な女性でしたが、太陽神アポロンに見初められ「何でも望みを叶えてやろう」と言われ、それならばと片手で砂を握り「この砂粒と同じ数の寿命が欲しい」と願いました。そして、願いが叶った途端、アポロンの元を去ったのでした。しかし、「若く綺麗な姿のままで…」と言いそびれてた結果、年月と共に容姿は変化するも死ぬことはできず、体が砂の様になってしまっても声だけが残り、1000年も生きながらえたそうです。 -
アンドレーア・デル・カスターニョ『ダンテ・アリギエーリ、フィリッポ・スコラーリ、クマエの巫女(「著名人連作」より)』(1450年頃 ウフィツィ美術館蔵)
「クマエの巫女」の名誉のために、彼女の若かりし頃の絵画を紹介しておきます。
右側に立つのが、アポロンに出会う前の彼女の姿です。
このままの容姿で長寿できれば最高だったでしょうね!
この画家は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の『ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像』を描いた方です。
尚、この絵画があるのは、B2 ROOM#40です。忘れずにチェックしてくださいね! -
聖マルタン聖堂
パリから南に300kmの距離にある、ジョルジュ・サンド館があることでも知られるノアン・ヴィック村に建つロマネスク様式の小聖堂です。397年に没した聖マルティヌスに捧げるために12世紀前半に建てられた聖堂ですが、フランス革命期には穀物小屋として使用され、荒廃していたそうです。内陣の壁画はイエスの受難物語で占められ、祭室内はイエス生誕とその死を主題にしたものが占めています。聖堂としての歴史は概略しか判明していませんが、1849年に壁画の一部が発見され、ロマネスク絵画が蘇った聖堂です。
聖堂内に入るとどこかヒンヤリした感覚を覚え、レプリカであることなど忘れている自分がいました。本家に足を踏み入れたことはありませんが、複製とは言え、そのリアリティに圧倒されます。
身廊と内陣を仕切る壁は3段に分かれ、上段中央にある光背に包まれた「栄光のキリスト」の姿は、この聖堂のテーマが「最後の審判」に基づくことを暗示しています。
中段は、右から左に「受胎告知」「マリアを詰問するヨセフ」「マギの礼拝」「マギの旅」。マギ(東方三博士)の一人は星を指さしています。表情には喜びと共に驚きが感じられます。翻ったマントから疾走感が伝わります。馬の表情にも、頑張って走っている様子が窺えます。
下段の左は「神殿奉献」。マリアは律法で定められた産後の清めの期間を終えた後、モーセの律法に従い、長子であるイエスをエルサレムの神殿に捧げに行く。そこで救い主を待ち望んでいたシメオンと女預言者アンナに会い、幼子の将来についての予言を聞きました。右は「イエスの十字架降下」の場面です。 -
聖マルタン聖堂
アーチを潜ると淡い黄土色の地にくすんだ色調のロマネスク様式の聖堂が目の前に広がります。
1849年に修復された12世紀の壁画は、身廊東壁や内陣の四方の壁、祭室のコンク(四半球形の天井)と半円の側壁に見られます。色調は、全体的に褐色が勝り、黄色、黄土色、緑、黒、灰色、赤、茶、白などの色が使われ、西南フランスのポワトゥー地方に顕著なロマネスク様式で素朴で暖かな雰囲気が漂います。 -
聖マルタン聖堂
これらの壁画は、神父から説話を聞いた信者の一人が描いた作品とされています。
明り取りの窓の間には3預言者が佇み、その脇の窓には「天使」がいます。 -
聖マルタン聖堂
後陣のコンクにあるフレスコ画は、四福音書記者の象徴(マルコ:獅子 マタイ:人(天使)ルカ:雄牛 ヨハネ:鷲)を従える「荘厳のキリスト」。
下段には、「エリザベト訪問」(左)と「聖ペテロの逆磔刑」(右)イエスと同じ正十字ではもったいないので、逆さ十字で吊るすように願ったそうです。
右側には「アダムとイブを守る天使」。 -
聖マルタン聖堂
右はイエス。しかし、このような丸顔のイエスの絵は初めて見ました。もうひとりはダビデだそうです。 -
聖マルタン聖堂
「最後の晩餐」の壁画が描かれた中世時代は、ダ・ヴィンチの頃より考えが厳格で、「裏切り者は、正しき者と一緒にしてはならない」という約束事に則っています。世の中には様々な「最後の晩餐」が存在しますが、その見所は裏切り者のユダが何処に描かれているかです。そうした目線で比べて見られるのは、大塚国際美術館の特権です。
人物のクリっとしたつぶらな瞳と太い眉、ほっぺが赤く、棟方志功の版画を彷彿とさせます。スペインのカタルーニャ地方の壁画と共通する要素もあるそうですが、扇状に広がる衣の襞はこの地方独特のものだそうです。 -
聖マルタン聖堂
上部は、この教会の守護聖人サン・マルタンの逸話「サン・マルタンの死」。右の場面は、ポワティエとトゥールの修道士が聖なる遺骸を奪い合う場面が描かれています。
中段の左は、「弟子の足を洗う」。中段の右は、「キリストの就縛」。右側には十字架を担うシモン。
ユダの接吻を合図に兵士達に捕らえられるキリスト。マルコスの耳を切ろうとするペトロにキリストは、ギョロリとしたまなざしを向けて制しています。下段は、「ラザロと悪い金持ち」。 -
聖ニコラオルファノス聖堂
本家を訪れたことがないため比較できませんが、この展示室はかなり薄暗く、照度を抑えています。恐らくギリシア テサロニキの東側城壁の一隅に建つ聖堂も薄暗いものと推測され、本家に沿った展示に拘っているものと思われます。
1310~20年頃の建立とされ、聖人像やイエスの生涯などの物語を壁画で表しています。建築様式は、円蓋を持たないバジリカ式で、初期キリスト教以来の伝統を堅持しつつ、後期ヴィザンチン建築で流行したU字形ギャラリーを設ける構造です。元々は14世紀に創設された同名の修道院に属した聖堂のようです。壁画などの文字はキリル文字です。
入口のすぐ右側で出迎えてくれているのが、聖ニコラオスです。因みに聖ニコラオスは、サンタ・クロースの起源とされている聖人です。ここの壁面には聖ニコラオスの生涯が描かれています。 -
聖ニコラオルファノス聖堂
U字形ギャラリーと身廊にまたがり、「イエスの生涯」、立像や胸像の聖人像などの物語が壁画を飾っています。中央祭室のコンク(四半球形の天井)には、聖母とミカエル、ガブリエルの2大天使の他、数多くの聖人像、イエスと聖母の生涯の出来事を祝うヴィザンチン典礼の12祝祭、イエスの受難と復活の物語、アカティストス(聖母讃歌)、聖ニコラオスの生涯やメノロギオン(聖者暦集)など、豊富な図像が描かれています。聖皿の上に寝かされている幼児イエスを表す「アムノス」やアカティストス、メノロギオンは、現実に執行された典礼の内容を壁画にしたものです。こうした傾向は、後期ヴィザンチン文化の特徴とされます。
ギリシア正教の壁面装飾には法則があります。まず東は、日の昇る方角ですから聖堂の最も重要な場所が置かれます。東壁には、受胎告知やキリストの降誕、キリストの復活などの比較的明るいテーマが描かれています。
北壁には、お約束通り「最後の晩餐」があります。さて、裏切り者のユダは何処でしょうか?どうやらテーブルの上のお料理に手を出してるのがユダのようです。 -
聖ニコラオルファノス聖堂
西壁は日が沈む方角のため、キリスト磔刑や聖母の死などの暗いテーマが描かれています。入口の上部には12祝祭最後の場面「聖母の死」が描かれ、聖母への称賛がテーマであることを示しています。
小じんまりとした静謐な聖堂ですが、四方八方、そして上から下まで壁画で埋め尽され、壁画の色彩の美しさはもとより、破損している部分も忠実に陶板で複製されています。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』(紀元前70~50年頃 ポンペイ遺跡)
秘儀荘は、古代ローマ帝国が強大な国家を築き、地方都市の繁栄時代にポンペイに建設された郊外別荘と呼ばれる豪邸のひとつです。この秘儀荘の中でも「秘儀の間」のこの壁画はとても有名です。「ポンペイ・レッド」と呼ばれる下地の辰砂(しんしゃ)を用いた鮮烈な赤色をベースに花嫁の入信式の様子が描かれています。実はヴェスヴィオ火山噴火以前は、黄色い壁だったそうです。火山の噴火と噴出ガスによって赤色に変色したとされています。ポンペイの町を呑み込んでしまった大噴火の爪痕が、奇跡的にこうした美しい芸術を今に遺したのです。
イタリア周遊ツアーでポンペイ遺跡を回りましたが、現地ガイドさんの趣向もあり、秘儀荘はスキップされてしまいました。是非観てみたいと思っていたので、感慨深いものが込み上げてきます。
この壁画は、時代背景を知ると理解が深まります。ディオニソス(バッカス)はギリシア神話では酒の神で知られていますが、古代ローマ帝国時代は豊穣の神として広く信仰されていました。「ディオニソスの儀式」はポンペイ近郊で流行していたディオニュソス信仰に基づく秘密の儀式であり、その信仰はローマ元老院によって弾圧されていました。何故弾圧されたかと言えば、その信仰は「社会的な法や理性といった束縛を解き放ち自由になれる」という社会秩序を乱すものだったからです。秘儀荘の主人は、弾圧から逃れ、壁に秘儀を描き、極秘裏に信仰を唱え続けていたのです。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』
壁画は、「秘儀の間」を入った左端から「ディオニュソス秘儀の入信式」の物語が始まります。入門者の女性が神「バッカス」と交わり、子を身ごもるストーリーです。画風は、美術史的にはギリシア美術のうちの後期古典時代と初期ヘレニズム時代の彫塑作品を手本にしているとされます。
ディオニュソスの秘儀とは、女性信者による集団陶酔の儀式です。ディオニュソスの神を讃え、酒を飲み、過激に踊り狂い、ストレスを発散し、獣を八つ裂きにしたりもする秘密の儀式とされ、憑きから覚めると何事もなかったかのように普通の女に戻るのだそうです。
第1幕は、儀礼書の朗読のシーン。左端の女性は子どもができず、入信することで懐妊が約束されるとのストーリーです。少年ディオゾスは女性に教理を授ける儀式作法を読み聞かせ、伝授者は巻物を左手に少年を見つめています。
第2幕は、犠牲と献酒のシーンです。女性が奉納物を運び、中央に座るのは女祭司で、右側の女性が注ぐ聖水で植物の小枝を水盤で清めています。女祭司の目線の先が気になるところです。そこにはシレノスの…。
第3幕は、音楽好きのシレノスがリラ(竪琴)を奏で、女のサテュロスが山羊の子に自らの乳を与えています。シレノスは太って毛深い半獣神の姿をしていますが、知恵者でディオニュソスの養育係だったとの神話的エピソードもあります。
第4幕は、女性が怯え、恐怖におののき、逃げ出すシーンです。何かを拒絶し、走って逃げようとしているようにも見えます。先の牧歌的な風景から一転し、儀礼の恐ろしさを暗示しています。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』
第5幕は、シレノスがサテュロスに酒の壺で占いをさせ、もう一人のサテュロスは演劇用の不気味な仮面を掲げています。
第6幕は、上部が剥落してしますが、ディオニュソスがサンダルを片方脱ぐ程に酔い、アリアドネーの膝に寄り掛かっています。このシーンは、部屋の正面に当たり、宗教的儀式の始まる鍵になる場面です。
第7幕は、鞭打ちのシーンです。一人の女性が布で多産のシンボルを隠し持ち、翼を持った人物が女性の膝にうずくまる女性を鞭で打っています。入門者への鞭打ちは、儀式の重要な一部とされていました。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』
第8幕は、鞭打たれた者と踊るバッカス神の巫女です。右側の最後の試練を終えた入門者は、喜び踊っています。
この絵の部分は『鞭打ちの図』と呼ばれ、儀式を終えた女性が司祭らしい女性のひざにうつぶせになり、宗教的な法悦に身をゆだねている様を描いたものとされます。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』
第9幕は、花嫁になる神聖な入門者が婚礼の準備をしています。
天使が手に持つ鏡でお手入れをしています。 -
秘儀荘『ディオニソスの儀式』
第10幕は、座った女性がこの儀式の一部始終を見つめています。つまり、この女性が秘儀荘の女主人であったと考えられます。
この絵は、入口(本家)の右手前壁にあるため、先を急ぐと見落としてしまうので要注意です。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
北イタリア パドヴァにある礼拝堂です。中世の芸術家ジョット・ディ・ボンドーネが描いた、西洋美術史上最も重要な作品とされる一連のフレスコ絵画で知られ、1305年に完成しました。礼拝堂が受胎告知と聖母マリアの慈愛に捧げられたものなので、ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描き、人類の救済においてマリアが果たす役割を祝福しています。
入口アーチからの眺めは、聖母マリアを象徴する神秘的なラピスラズリ・ブルーの天井が際立ち、心を揺さぶります。本来この礼拝堂の見所は「西洋絵画の父」と称されるジョットの壁画なのですが、この真っ青な天井に目が点になります。金色のドットが満点に輝く綺羅星にも見えます。「美術巡礼者にとって聖地のひとつ」 と称されるのは、決して大げさな物言いではないことが実感できます。また、さりげなく模様の一部のように煙探知機を紛れ込ませています。これぞ、「おもてなし」精神の真髄です。
因みに本家の鑑賞には予約が必要で、15分入替え制のためゆっくり鑑賞することができないようです。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
この礼拝堂は、富裕な商人エンリコ・スクロヴェーニが古代ローマ帝国時代の西暦60~70年頃に築かれたアレーナ(円形闘技場)の跡地に建立したもので、別名「アレーナ礼拝堂」とも呼ばれています。1303年に礼拝堂が完成、その後、堂内の壁画装飾をジョットが担当し、1305年に奉献されました。単身廊1祭室の簡素な聖堂で、内部は全て彩色されています。中世末期の死せる絵画の復活者と称され、人間的共感に満ちた正規ある場面を想像したと評価されています。ルネッサンス絵画の礎を築いた画家でもあります。
(大塚国際美術館 西洋絵画300選より)
アーチには「大天使ガブリエルを遣わす父なる神」と「聖母マリアの受胎告知」が描かれています。玉座に座った「見えないはずの『父なる神』」を可視的に描いています。フレスコ画ではなく板絵に描き、この板は窓の扉としても使われていたため、損傷が激しくなっています。また、空間の奥行きを強調するように、周囲の天使が配置されています。左下では大天使ガブリエルが跪き、右下ではマリアが冷静沈着な態度で接し、堅固な質量感を湛えています。胸で交差させた腕は、短縮法で正確に描かれています。これは圧縮された楕円で光輪を描いたことと共に、ジョットがこの礼拝堂において3次元的表現方法として編み出した描写技法です。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
この礼拝堂を建造したエンリコ・スクロヴェーニの父レジナルドは、高利貸しで財をなし、かのダンテ著『神曲』にあさましい姿で登場させられるほどの悪名高き高利貸しでした。往時は、お金で商売をすることはカトリックの教えから忌み嫌われた行為であり、罪人と見做されていたためです。その息子エンリコ自身も同じく高利貸しでしたが、父ならびに一族の贖罪を願って私財を投じてこの礼拝堂を建立しました。
エンリコの墓はこの礼拝堂の後陣にあり、彼の肖像画が『最後の審判』で礼拝堂をマリアに祈り捧げる人物として描かれています。今風に言えば「プロミス」や「アイフル」等のようなサラ金業者と言ったところですが、暴利を貪るだけで社会貢献していないのが現在の高利貸しです。最近は銀行までサラ金の片棒を担いでいるようで、世も末です。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
ジョット作のフレスコ画は全37場面で構成され、側壁に上中下の3段に分けて描いています。礼拝堂のテーマは「救済」であるため、ことさら聖母マリアをクローズアップしています。
最上段の「聖母マリアの生涯(12場面)」は、ジェノヴァ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた殉教者列伝『黄金伝説』をベースにし、祭壇に面した壁の右上から始まり、聖母マリアの両親ヨアキムとアンナが描かれ、「受胎告知」やエルサレム神殿への「マリア奉献」など聖母マリアの生涯を表現した壁画になっています。
下の2段にまたがる「イエスの生涯(25場面)」は、ボナヴェントゥラが書いた追随者たちの著作をベースにし、イエス生誕から受難、復活、聖霊降臨までの一連のエピソードを描いています。
どの絵も青色だけが剥離しています。特にマリアを象徴する青いマントは、「生誕」の場面に残されているだけで、その他は白くなっています。これは青色の顔料の性質からフレスコ画法で描くことができず、漆喰が乾いてからテンペラ画法で塗ったために色落ちしてしまったものです。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
円熟期にあったジョットの最高傑作「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」は、オリジナルと同様に礼拝堂入口のある西壁一面に「最後の審判」が配置されている他、「聖母マリアの生涯」が12場面、「イエスの生涯」が25場面、東壁の「大天使ガブリエルを遣わす父なる神」、そして「美徳と悪徳」の14の擬人像が身廊内に描かれています。ジョットは、これらのフレスコ画を主要部分以外は助手の協力を得ながら仕上げたそうです。
西壁全面を埋め尽くす『最後の審判』です。中世絵画の「審判者」イエスは真っすぐ正面を睨む構図が多いのですが、ジョットのイエスは人々に視線を向け、その厳格さを和らげているように思えます。システィーナ・ホールのミケランジェロの『最後の審判』と見比べるのも面白いと思います。因みにジョットは、ルネッサンス期の芸術家ミケランジェロより236年も前に『最後の審判』を描いています。
壁画中央上に描かれたイエスを中心に、左側に天国へ導かれた人々、右側に地獄へ落とされた人々を描いています。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
イエスの下に位置する十字架の足下には、エンリコの姿があります。エンリコがマリアと他の2聖女に、「スクロヴェーニ礼拝堂」を捧げている図です。現実ではありえない、とても直感的な図象ですから、思わず頬が弛んでしまいます。 -
スクロヴェーニ礼拝堂
右下は、「最後の審判」のおどろおどろしい地獄の図です。 -
スクロヴェーニ礼拝堂『最後の晩餐』
裏切り者は誰なのかという問いに答え、「私と同じ鉢にパンを浸している者がそれである」という言葉が書かれ、裏切り者が誰かを明示しています。また、後ろ向きの聖人は、頭が隠れないように光輪を顔側に描いています。 -
スクロヴェーニ礼拝堂『ユダの接吻』
ジョットの代表作として紹介されることの多い『ユダの接吻』も、この礼拝堂に描かれています。ゲツセマネの園でのイエスの逮捕劇です。
裏切り者ユダがイエスに接吻することにより、兵士たちに逮捕すべき人物を知らせるという迫真のシーンです。尊厳溢れる表情でユダを見つめるイエスと悪意に満ちた視線のユダの対比が印象的です。また、接吻するユダがマントを広げ、イエスがユダのマントの下で消し去られたかのように見せています。どっしりした姿が画面の中央を大きく占め、この質量感のある身体表現がジョットの真骨頂です。人物の心情や本質までもを映しだすかのように描かれています。
因みにユダの服は黄色ですが、往時「黄色は卑しい色」とされていました。ですから娼婦などの服装に黄色が使われることが多かったそうです。 -
『貝殻のヴィーナスの家』(紀元前1世紀頃 ポンペイ遺跡)
古代ローマ帝国時代、紀元前2世紀中頃の富裕層の邸宅には、「アトリウム」なる玄関口に接するパブリック空間と「ペリステュリウム」なる閑暇を愉しむためのプライベート空間が設けられていました。元々「ペリステュリウム」は、「列柱によって囲まれた空間」との意味を持ち、ヘレニズム文化圏で見られる、体育・知育・徳育を目的とした空間「ギムナシオン」からヒントを得て個人邸宅に取り込まれました。
この邸宅の所有者はサトリィ一族の傍系に当たり、噴火前の時期ポンペイではよく知られた人物だそうです。「貝殻のヴィーナスの家」と呼ばれるのは、ペリステュリウムの壁面に、豊穣の女神であり愛と美の女神でもあり、またポンペイの守護神でもあった「ヴィーナス」が庭園の守り神として描かれていたからです。 -
『貝殻のヴィーナスの家』
このフレスコ画は、遠近法を用いてより立体的に美しさを訴求し、また、色彩の豊かさと表現法の完成度の高さを通じ、特に遠目からは一層美しく観られる仕組みです。ヴィーナスが横たわる貝殻をキューピッドを乗せたイルカが牽引しています。また、ヴィーナスは、身に着けた宝石類を除いて全ての肌を露呈しています。これはポンペイひいては古代ローマ社会の「性への大らかさ」を窺わせます。また、神々を本来の生身の姿で描くことは、古代ギリシア・ローマ時代においては、完成された美の追求とされ、理想的な姿でもあったそうです。
ヴィーナスの表情は知性豊かで、人々の敬虔さが伝わってきます。因みにヴィナースの髪型は、ネロ皇帝時代に大流行したスタイルだそうです。 -
『鳥占い師の墓』(紀元前520年頃 タルクィニア モンテロッツィ墓地)
『貝殻のヴィーナスの家』の反対側にありますが、内部はとても暗いです。
壁面と天井に彩色された装飾が施され、エトルリア絵画の代表作のひとつに数えられます。古代エトルリア人の墓とされ、本家は世界遺産認定なるも非公開のため拝むことは叶いません。地下に墓室がある墳墓の形式で、内部にはフレスコ画が描かれています。墓室自体は、往時の住宅を模して造られているそうです。
この墓があるタルクィニアは、ローマから海岸沿いを北(ピサ)方面に100km程の距離にあります。作品の時代背景は、紀元前6世紀の古代ローマ帝国時代末期、都市国家ローマをエトルリア人の王が支配していた頃です。時が経ち紀元前509年、ローマ市民が横暴なエトルリア人の王族に反旗を翻し、共和制ローマを樹立しました。ローマ史を西ローマ帝国滅亡(467年)で区切れば、ローマ1000年の歴史の始まりがエトルリア人の王族追放になります。
因みにエトルリア人は、トスカーナ地方に居住していた系統不明の民族です。塩野七生著『ローマ人物語』によると、ローマ人は力ではケルト人に劣り、技術ではエトルリア人に劣り、文化ではギリシア人に劣るとあります。ローマ人は土木建築に才能を発揮しましたが、その基礎(アーチ建築・芸術など)はエトルリア人から学んだものです。この時代はイタリア半島南部にギリシア人の植民地があり、技術で優れるエトルリア人と文化で優れるギリシア人の間に交流がなされ、ギリシア文化の影響を受けたものと思われます。
鳥占い師の墓を紹介しているサイトです。
http://www.ou.edu/class/ahi4163/files/tomb03.html -
『鳥占い師の墓』
奥の正面壁に向かい合った人物が描かれています。1878年の発見当初、この2人のポーズは鳥占いを行っているものと解釈され、それ故に「鳥占い師の墓」と命名されました。古代エトルリアでは、天空を舞う鳥たちは神々の世界と地上の人間の世界とを繋ぐ使者の役割を担っていると考えられ、鳥の行動の変化を読み解くことで神の啓示が判ると信じられていました。しかしその後の研究で、この絵は墓に葬られた人の死を悲嘆する神官たちの姿だとの解釈に見直されています。神官は、エレガントな白いトゥニカ風の衣服の上にショール風の掛衣を纏っています。また、フェニキア人が履いていたような先端が反り返った靴です。これはエトルリア人の起源が小アジアだったことの証とも言われています。更に、中央に描かれた赤い扉の絵は、その向こう側にある黄泉の国とこちら側の現世との結界を示すとされます。素朴な扉の絵ですが、生と死を象徴的に表していると思うと感慨深いものがあります。
また、上の破風には動物の格闘図が描かれています。質的に優れたこの絵画はアルカイック後期の作品とされ、イオニア人からの強い影響が見られます。また、天井の傾斜部には小さな花文が点々と配されています。こうしたアルカイック期の伸び伸びとした大らかな表現は、神秘的色合いが濃いヘレニズム期の作例と対比されることが多く、今日失われてしまったギリシア絵画を知る手掛りとして貴重なものとされています。 -
『鳥占い師の墓』
右壁の絵は、葬儀の際に催されるレスリング競技です。 -
『鳥占い師の墓』
その右には剣闘士競技のルーツとされるフェルス競技の様子が描かれ、死者へのはなむけの意味があったことを表しています。 -
聖テオドール聖堂
本家は、トルコのアナトリア高原にある奇妙な岩が群居するカッパドキアの一画にあり、現在は気楽に観光を洒落込める場所ではなくなっています。ここなら安心・安全を担保した上でゆっくり愉しむことができます。
展示室へのアクセスは、少し判り難いので要注意です。システィーナ礼拝堂と同じB3フロアーにありますが、ギャラリーAエリアにある狭い通路を経て一旦屋外に出る必要があります。 -
聖テオドール聖堂
ビザンチン文化やキリスト教文化に造詣が深い訳ではありませんが、祭壇にある四半球型のコンクの真下に佇んで目を閉じると、何処からか修道士たちの祈りの声が洩れ聞こえるようなトランス状態に陥ります。 -
聖テオドール聖堂
顔の削られた聖人画は、イスラム教信者の仕業だそうです。
堅い砂地の床、岩を彫ったままの質感を残した壁の一部にイエスの生涯を描いた壁画が残されています。その奥に小さな四半球型のコンクがあり、その天井一面に土着色が勝る朴訥とした絵が描かれています。キトラ古墳のように古びて、かすれた絵がリアルに迫ってきます。 -
聖テオドール聖堂
上部に彫られた十字架の周囲にある飾り文字の碑文から、10世紀前半に聖テオドロスに捧げられた聖堂だとされています。 -
聖テオドール聖堂
一旦屋外に出てから岩窟に入り直すという手の込んだ演出が、作品にリアリティを持たせています。室内に唐突に何の脈略もなく洞窟が出現するより、断然リアリティがあります。鉄の扉から岩窟に足を踏み入れた刹那、外光を巧みに取り込み、この場所がレプリカであることを忘れさせます。また、床には砂が撒かれ、足跡が付く拘りようです。
この続きは、桐葉知秋 阿波紀行④大塚国際美術館 B2フロアでお届けします。
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