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モネ晩年の大作『大睡蓮』が屋外展示されています。こうしてモネが憧れ、印象派が好んだとされる自然光を浴びた作品を鑑賞できるのは、感慨深いものがあります。また、夏季には、絵画を取り囲むように約300株もの睡蓮が咲き誇り、名画に味わいを添えます。その中には『大睡蓮』にも描かれた「青い睡蓮」もあります。「青い睡蓮」は、モネが住んでいたジヴェルニーでは気候が合わずに咲かせることができず、想像で描いたとされる睡蓮です。<br />因みに、80歳近かったモネは、この大作を完成させるために失明寸前だった白内障の手術を受け、亡くなる直前まで筆を入れ続けたそうです。そのためか、心持ち抽象的でモヤっとしたタッチで描かれています。<br />大塚国際美術館のHPです。<br />http://o-museum.or.jp/

桐葉知秋 阿波紀行④大塚国際美術館 B2フロア

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2017/10/06 - 2017/10/07

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

モネ晩年の大作『大睡蓮』が屋外展示されています。こうしてモネが憧れ、印象派が好んだとされる自然光を浴びた作品を鑑賞できるのは、感慨深いものがあります。また、夏季には、絵画を取り囲むように約300株もの睡蓮が咲き誇り、名画に味わいを添えます。その中には『大睡蓮』にも描かれた「青い睡蓮」もあります。「青い睡蓮」は、モネが住んでいたジヴェルニーでは気候が合わずに咲かせることができず、想像で描いたとされる睡蓮です。
因みに、80歳近かったモネは、この大作を完成させるために失明寸前だった白内障の手術を受け、亡くなる直前まで筆を入れ続けたそうです。そのためか、心持ち抽象的でモヤっとしたタッチで描かれています。
大塚国際美術館のHPです。
http://o-museum.or.jp/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス JR特急 徒歩

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  • ROOM#46は、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わった作品の展示ルームです。<br />ここにも『聖アンナと聖母子』のルーヴル版とロンドン版の2作品が対比できるように並べて展示されています。<br />

    ROOM#46は、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わった作品の展示ルームです。
    ここにも『聖アンナと聖母子』のルーヴル版とロンドン版の2作品が対比できるように並べて展示されています。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503~17年 ルーヴル美術館蔵)<br />『モナ・リザ』は、最もパロディ作品の多い美術作品です。<br />ラファエロの作品にも『一角獣を抱く貴婦人』があります。その女性のポーズや背景、視線などが『モナ・リザ』にソックリなのは、ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一室で『モナ・リザ』に取り組んでいた頃、そこを訪ねたラファエロが衝撃を受け、その作品をスケッチし、それをベースに描いたためと推測されています。<br />ところが、ラファエロの模写の風景にはテラスの柱が鮮明に描かれていたことから、『モナ・リザ』に新説が浮上しました。『モナ・リザ』は本来もう一回り大きな作品であり、ナポレオンが「額縁に入らない」という理由で両端を6~7cm切り落としたという説です。画面の端が削り落とされた事により微妙なアンバランスが生じ、その結果、モナ・リザの視線の意味合いが曖昧になり、鑑賞者の想像を掻き立てていると説明しています。<br />一方、『モナ・リザ』の絵は切り落とされてはおらず、ラファエロの模写に描かれた柱は単に付け加えられただけとする美術史家もいます。異なる作家の作品間で新たな発見が新たな謎を呼ぶのは珍しいケースと言えます。

    レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(1503~17年 ルーヴル美術館蔵)
    『モナ・リザ』は、最もパロディ作品の多い美術作品です。
    ラファエロの作品にも『一角獣を抱く貴婦人』があります。その女性のポーズや背景、視線などが『モナ・リザ』にソックリなのは、ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一室で『モナ・リザ』に取り組んでいた頃、そこを訪ねたラファエロが衝撃を受け、その作品をスケッチし、それをベースに描いたためと推測されています。
    ところが、ラファエロの模写の風景にはテラスの柱が鮮明に描かれていたことから、『モナ・リザ』に新説が浮上しました。『モナ・リザ』は本来もう一回り大きな作品であり、ナポレオンが「額縁に入らない」という理由で両端を6~7cm切り落としたという説です。画面の端が削り落とされた事により微妙なアンバランスが生じ、その結果、モナ・リザの視線の意味合いが曖昧になり、鑑賞者の想像を掻き立てていると説明しています。
    一方、『モナ・リザ』の絵は切り落とされてはおらず、ラファエロの模写に描かれた柱は単に付け加えられただけとする美術史家もいます。異なる作家の作品間で新たな発見が新たな謎を呼ぶのは珍しいケースと言えます。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』(1508~10年 ルーヴル美術館蔵)<br />ルーヴル美術館を訪れた時は、デッサンの調査中のため外されており、原寸大で見るのは今回が最初です。<br />ルイ12世の娘クロードの誕生祝いに注文されたと伝わりますが、ダ・ヴィンチは完成までに長期間を費やしたため、結局納品されなかったようです。<br />首を傾げたくなるのは、マリアが母アンナの膝の上に座る構図です。何故このような不自然な構図が必要とされたのか?井出洋一郎著『聖書の名画をたのしく読む』では、「レオナルドは、太古(背景の山岳)から律法が与えられた旧約聖書の昔日の時代(聖アンナ)、そして新約聖書の今日の時代(聖母子と人間を象徴する子羊)、最後にひび割れた大地が落ち込む未来の世紀、という人類の悠久の歴史をここに描いた」と解説しています。つまり、母マリアが膝の上に旧約聖書を置いてマリアに読み聞かせたという宗教画の主題「聖母の教育」が、イエス誕生後も続けられていたことを示すとしています。また、今後のイエスの受難を、生贄にされる子羊及び彼らが断崖の上に居ることで暗示するとしています。<br />一方、中野京子著『怖い絵 3』は、フロイトの解釈を引き、「ダ・ヴィンチ・コード」を浮き上がらせるために敢えてこの構図にしたと記しています。マリアのマントの形はハゲワシを表わし、古代エジプトでは女神の象徴だったとしています。ハゲワシの雌は交尾せずに風によって孕み、卵を産むとされ、その意味ではマリア(無原罪御宿)のシンボルになります。また、ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」には、「幼児の頃一人で寝ているとハゲワシがやってきた。ハゲワシは私の上に留まり、尾で私の口を開かせ、私の唇の内部を何度もその尾で打った」と記されています。フロイトは、これをダ・ヴィンチの性体験と捉え、アンナとマリアはダ・ヴィンチの養母と実母を表し、同居していた叔父から受けたイタズラが彼にこの絵を書かせたと分析しています。確かに、幼子イエスに落ちかかるマントは、尾に突かれるイエスを表しているようにも見えます。<br />実はこのフロイト説には落ちがあります。「ハゲワシ」は「アトランティコ手稿」の翻訳者の誤訳であり、実際は鷹だったのです。その事実に慌てたフロイト学派の研究者は、フロイト説を鷹にも当て嵌るように、その修正作業に躍起になったそうです。

    レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』(1508~10年 ルーヴル美術館蔵)
    ルーヴル美術館を訪れた時は、デッサンの調査中のため外されており、原寸大で見るのは今回が最初です。
    ルイ12世の娘クロードの誕生祝いに注文されたと伝わりますが、ダ・ヴィンチは完成までに長期間を費やしたため、結局納品されなかったようです。
    首を傾げたくなるのは、マリアが母アンナの膝の上に座る構図です。何故このような不自然な構図が必要とされたのか?井出洋一郎著『聖書の名画をたのしく読む』では、「レオナルドは、太古(背景の山岳)から律法が与えられた旧約聖書の昔日の時代(聖アンナ)、そして新約聖書の今日の時代(聖母子と人間を象徴する子羊)、最後にひび割れた大地が落ち込む未来の世紀、という人類の悠久の歴史をここに描いた」と解説しています。つまり、母マリアが膝の上に旧約聖書を置いてマリアに読み聞かせたという宗教画の主題「聖母の教育」が、イエス誕生後も続けられていたことを示すとしています。また、今後のイエスの受難を、生贄にされる子羊及び彼らが断崖の上に居ることで暗示するとしています。
    一方、中野京子著『怖い絵 3』は、フロイトの解釈を引き、「ダ・ヴィンチ・コード」を浮き上がらせるために敢えてこの構図にしたと記しています。マリアのマントの形はハゲワシを表わし、古代エジプトでは女神の象徴だったとしています。ハゲワシの雌は交尾せずに風によって孕み、卵を産むとされ、その意味ではマリア(無原罪御宿)のシンボルになります。また、ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」には、「幼児の頃一人で寝ているとハゲワシがやってきた。ハゲワシは私の上に留まり、尾で私の口を開かせ、私の唇の内部を何度もその尾で打った」と記されています。フロイトは、これをダ・ヴィンチの性体験と捉え、アンナとマリアはダ・ヴィンチの養母と実母を表し、同居していた叔父から受けたイタズラが彼にこの絵を書かせたと分析しています。確かに、幼子イエスに落ちかかるマントは、尾に突かれるイエスを表しているようにも見えます。
    実はこのフロイト説には落ちがあります。「ハゲワシ」は「アトランティコ手稿」の翻訳者の誤訳であり、実際は鷹だったのです。その事実に慌てたフロイト学派の研究者は、フロイト説を鷹にも当て嵌るように、その修正作業に躍起になったそうです。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子(と幼児聖ヨハネ)』(1500年頃 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)<br />このカルトン(下絵)は、ダ・ヴィンチ没後、ベルナルディーノ・ルイーニが所有していました。ダ・ヴィンチは1516年にミラノを去る際、弟子ルイーニに膨大なノートとカルトンを託したのです。8枚の紙を貼り合わせ、木炭と白色チョークで描かれたこの作品は、色彩は無く、下方の細部は描かれていません。しかし、この下絵と同じ作品はこの世に存在していません。<br />一方、ルーヴルにある『聖アンナと聖母子』とは三角形の人物配置に似るものがあり、幼児ヨハネを子羊に置き換えたともとれます。このことから、ルーヴル版『聖アンナと聖母子』が完成する10年前に描かれた下絵と推測されています。<br />このカルトンにまつわる「狂気の沙汰」を紹介します。1962年、観客からインク壺が投げつけられました。インク壺は割れず、インクは飛び散らなかったのですが、画肌が軽く損傷したようです。また、1987年、ショットガンで2m程の至近距離から銃撃されています。精神疾患とされる人物の犯行で、逮捕後に「イギリスの政治、社会、経済状態」に対する反感を示すために犯行に及んだと語ったそうです。銃弾が作品を貫通することはなかったものの、砕け散った保護ガラスの破片がマリアの衣服部分に直径15cmの穴を開けたそうです。天才の描く絵画は、潜在する魂を揺り起こすのかもしれません。

    レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子(と幼児聖ヨハネ)』(1500年頃 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)
    このカルトン(下絵)は、ダ・ヴィンチ没後、ベルナルディーノ・ルイーニが所有していました。ダ・ヴィンチは1516年にミラノを去る際、弟子ルイーニに膨大なノートとカルトンを託したのです。8枚の紙を貼り合わせ、木炭と白色チョークで描かれたこの作品は、色彩は無く、下方の細部は描かれていません。しかし、この下絵と同じ作品はこの世に存在していません。
    一方、ルーヴルにある『聖アンナと聖母子』とは三角形の人物配置に似るものがあり、幼児ヨハネを子羊に置き換えたともとれます。このことから、ルーヴル版『聖アンナと聖母子』が完成する10年前に描かれた下絵と推測されています。
    このカルトンにまつわる「狂気の沙汰」を紹介します。1962年、観客からインク壺が投げつけられました。インク壺は割れず、インクは飛び散らなかったのですが、画肌が軽く損傷したようです。また、1987年、ショットガンで2m程の至近距離から銃撃されています。精神疾患とされる人物の犯行で、逮捕後に「イギリスの政治、社会、経済状態」に対する反感を示すために犯行に及んだと語ったそうです。銃弾が作品を貫通することはなかったものの、砕け散った保護ガラスの破片がマリアの衣服部分に直径15cmの穴を開けたそうです。天才の描く絵画は、潜在する魂を揺り起こすのかもしれません。

  • ROOM#41もダ・ヴィンチの部屋です。<br />修復前後の『最後の晩餐』を見比べて鑑賞できるとは画期的な展示方法です。ダ・ヴィンチ自身が描いたままの『最後の晩餐』は地球上に存在しませんが、修復前後の原寸サイズの『最後の晩餐 』が見られる場所は世界でもここだけです。<br />因みに本家では、1グループ最大25人、見学時間は15分の制限が設けられています。このように巨大な絵画をじっくり観るには時間が短か過ぎます。<br />当方は、「京都府立陶板名画の庭」でこの『最後の晩餐』の陶板画を見て、イタリア旅行を思い立ちました。

    ROOM#41もダ・ヴィンチの部屋です。
    修復前後の『最後の晩餐』を見比べて鑑賞できるとは画期的な展示方法です。ダ・ヴィンチ自身が描いたままの『最後の晩餐』は地球上に存在しませんが、修復前後の原寸サイズの『最後の晩餐 』が見られる場所は世界でもここだけです。
    因みに本家では、1グループ最大25人、見学時間は15分の制限が設けられています。このように巨大な絵画をじっくり観るには時間が短か過ぎます。
    当方は、「京都府立陶板名画の庭」でこの『最後の晩餐』の陶板画を見て、イタリア旅行を思い立ちました。

  • 『最後の晩餐 』(1495~98年 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院蔵)<br />「修復前」の壁画は、その芸術的価値もよく判らないほど画面が暗く、輪郭もはっきりしていません。また、随所にダ・ヴィンチらしくないタッチも確認できます。その原因は、ダ・ヴィンチが漆喰の壁には相応しくないテンペラ(顔料に亜麻仁油と卵を混ぜたもの)で描いたことにあります。修道院の食堂の壁に描かれたために湿気を吸収してしまったのです。また、1943年に連合軍の空爆によって建物が破壊されて構造体が大打撃を受けたことなども挙げられます。その上、18世紀以降、繰り返し描き直しや描き加えが行われ、見る影もなく悲惨な運命を辿ってきました。

    『最後の晩餐 』(1495~98年 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院蔵)
    「修復前」の壁画は、その芸術的価値もよく判らないほど画面が暗く、輪郭もはっきりしていません。また、随所にダ・ヴィンチらしくないタッチも確認できます。その原因は、ダ・ヴィンチが漆喰の壁には相応しくないテンペラ(顔料に亜麻仁油と卵を混ぜたもの)で描いたことにあります。修道院の食堂の壁に描かれたために湿気を吸収してしまったのです。また、1943年に連合軍の空爆によって建物が破壊されて構造体が大打撃を受けたことなども挙げられます。その上、18世紀以降、繰り返し描き直しや描き加えが行われ、見る影もなく悲惨な運命を辿ってきました。

  • 『最後の晩餐 』(修復後)<br />この美術館が開館した時は『最後の晩餐 』の修復前だったため、修復後に作り直したために2種類あります。「修復」は、1977年に修復士ピニン・ブランビッラ女史が担い、科学的検査を基に、画面に堆積した塵や加筆を細い筆で 取り除いてゆくという綿密細心で気の遠くなるような作業を20年の歳月をかけて完遂し、色鮮やかに甦えらせています。 <br />修復前後で見比べると、修復では判らなかったことが観えてきます。具体的には、イエスの口が少し開いていたことです。イエスが12使徒に、「この中に私を裏切った者がいる」と呟いた刹那を切り取った絵画であることがよく判ります。<br />もうひとつは、イエスの右のこめかみにある「ホクロ」の正体です。技術上、透視図法を用いるため、この部分にフックのようなものを立て、そこに糸を張ったと考えられています。透視図法だと中央の1点に集約されますが、それがこめかみの所だったのです。<br />その他、ユダの手には金貨の入った袋が握られている、右端の聖人シモンにはひげが無かった、テーブルには魚料理が並んでいた、タペストリは花模様だった等々。修復により、ダ・ヴィンチの意図や工夫が新たに発見されたのです。修復技術の進歩も判る優れものです。この部屋は、こうした発見の歓びを引き出せる場でもあります。<br />因みに館内のレストランでは、『最後の晩餐』に描かれているのと同じメニューを味わうことができます。

    『最後の晩餐 』(修復後)
    この美術館が開館した時は『最後の晩餐 』の修復前だったため、修復後に作り直したために2種類あります。「修復」は、1977年に修復士ピニン・ブランビッラ女史が担い、科学的検査を基に、画面に堆積した塵や加筆を細い筆で 取り除いてゆくという綿密細心で気の遠くなるような作業を20年の歳月をかけて完遂し、色鮮やかに甦えらせています。
    修復前後で見比べると、修復では判らなかったことが観えてきます。具体的には、イエスの口が少し開いていたことです。イエスが12使徒に、「この中に私を裏切った者がいる」と呟いた刹那を切り取った絵画であることがよく判ります。
    もうひとつは、イエスの右のこめかみにある「ホクロ」の正体です。技術上、透視図法を用いるため、この部分にフックのようなものを立て、そこに糸を張ったと考えられています。透視図法だと中央の1点に集約されますが、それがこめかみの所だったのです。
    その他、ユダの手には金貨の入った袋が握られている、右端の聖人シモンにはひげが無かった、テーブルには魚料理が並んでいた、タペストリは花模様だった等々。修復により、ダ・ヴィンチの意図や工夫が新たに発見されたのです。修復技術の進歩も判る優れものです。この部屋は、こうした発見の歓びを引き出せる場でもあります。
    因みに館内のレストランでは、『最後の晩餐』に描かれているのと同じメニューを味わうことができます。

  • 『最後の晩餐 』<br />このように名画の中に迷い込むこともできます。

    『最後の晩餐 』
    このように名画の中に迷い込むこともできます。

  • 2枚の『岩窟の聖母』を見比べられるのは、ここ以外では恐らく不可能でしょう。<br />このように高さが微妙に違うことを初めて知りました。<br />右はルーヴル版、左はロンドン版ですが、いずれも真筆とされています。類似の絵が複数あるのは珍しいことではありませんが、この作品は謎多きミステリー絵画であるのが特徴です。『ダ・ヴィンチ・コード』の中でも、『岩窟の聖母』が謎の暗号のひとつとして使われていました。『モナ・リザ』に隠されていた暗号メッセージは、文字を並び替える事で「Madonna of the Rocks」、即ち『岩窟の聖母』であることに気付き、『岩窟の聖母』の裏から百合の紋章が描かれた鍵と更なるメッセージを発見する件です。

    2枚の『岩窟の聖母』を見比べられるのは、ここ以外では恐らく不可能でしょう。
    このように高さが微妙に違うことを初めて知りました。
    右はルーヴル版、左はロンドン版ですが、いずれも真筆とされています。類似の絵が複数あるのは珍しいことではありませんが、この作品は謎多きミステリー絵画であるのが特徴です。『ダ・ヴィンチ・コード』の中でも、『岩窟の聖母』が謎の暗号のひとつとして使われていました。『モナ・リザ』に隠されていた暗号メッセージは、文字を並び替える事で「Madonna of the Rocks」、即ち『岩窟の聖母』であることに気付き、『岩窟の聖母』の裏から百合の紋章が描かれた鍵と更なるメッセージを発見する件です。

  • ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』(1483~86年 ルーヴル美術館蔵)<br />ダ・ヴィンチが30歳の時、フランシスコ会系聖母無原罪の御宿り信心会からミラノのサン・フランチェスコ・ グランデ聖堂の祭壇画の注文を受けました。注文主が提示したテーマは、「無原罪の御宿り」でした。この絵が「無原罪の御宿り」?と訝しく思われるかもしれませんが、キリスト教美術において「閉ざされた洞窟」は聖母の純潔や無原罪受胎を象徴します。<br />この絵は『新約聖書』ではなく「聖書外典」から着想しており、イエス生誕後、ヘロデ王による嬰児虐殺から逃れるべく、エジプトへ逃げる途上、砂漠の洞窟に身を隠したマリアとイエスが、幼い洗礼者ヨハネに出会った場面を描いています。<br />しかし教会はこの絵に難癖を付けて受け取りを拒否し、代金の支払いさえしませんでした。長らく裁判沙汰が続きましたが、この絵はそれを仲裁したフランス王ルイ12世に献上されました。依頼主へは絵を描き直すことになり、ロンドン版が教会へ奉納されました。しかし18世紀後半、教会が作品を競売に出品し、それをスコットランド人画家が購入し、更に複数の収集家の手を経て、1880年にナショナル・ギャラリーが購入しました。<br />まず、大きな違いを見ていきます。いずれもデ・プレディス兄弟との共作ですが、パリ版の主導はダ・ヴィンチでした。パリ版は、マリアの頭上に光輪がなく、また、どちらの幼児がイエスか判りません。これが、教会が受け取りを拒否した大きな理由でした。一般的には、右側の幼児がイエスで左側がヨハネという解釈が6割とされます。『ダ・ヴィンチ・コード』では、敢えて左側をイエスと解釈した上で、イエスが洗礼者ヨハネを拝んでいることが教会の怒りを買ったとの設定でした。<br />また、幼児が似ているのは、恣意的にダ・ヴィンチがどちらがイエスかを鑑賞者に決めさせようとしたとも思えます。因みにルーヴル公式解説では天使を「ガブリエル」としてますが、「ウリエル」との説も根強いものがあります。ウリエルは洗礼者ヨハネの守護天使ですから、絵の解釈が大きく変わります。

    ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』(1483~86年 ルーヴル美術館蔵)
    ダ・ヴィンチが30歳の時、フランシスコ会系聖母無原罪の御宿り信心会からミラノのサン・フランチェスコ・ グランデ聖堂の祭壇画の注文を受けました。注文主が提示したテーマは、「無原罪の御宿り」でした。この絵が「無原罪の御宿り」?と訝しく思われるかもしれませんが、キリスト教美術において「閉ざされた洞窟」は聖母の純潔や無原罪受胎を象徴します。
    この絵は『新約聖書』ではなく「聖書外典」から着想しており、イエス生誕後、ヘロデ王による嬰児虐殺から逃れるべく、エジプトへ逃げる途上、砂漠の洞窟に身を隠したマリアとイエスが、幼い洗礼者ヨハネに出会った場面を描いています。
    しかし教会はこの絵に難癖を付けて受け取りを拒否し、代金の支払いさえしませんでした。長らく裁判沙汰が続きましたが、この絵はそれを仲裁したフランス王ルイ12世に献上されました。依頼主へは絵を描き直すことになり、ロンドン版が教会へ奉納されました。しかし18世紀後半、教会が作品を競売に出品し、それをスコットランド人画家が購入し、更に複数の収集家の手を経て、1880年にナショナル・ギャラリーが購入しました。
    まず、大きな違いを見ていきます。いずれもデ・プレディス兄弟との共作ですが、パリ版の主導はダ・ヴィンチでした。パリ版は、マリアの頭上に光輪がなく、また、どちらの幼児がイエスか判りません。これが、教会が受け取りを拒否した大きな理由でした。一般的には、右側の幼児がイエスで左側がヨハネという解釈が6割とされます。『ダ・ヴィンチ・コード』では、敢えて左側をイエスと解釈した上で、イエスが洗礼者ヨハネを拝んでいることが教会の怒りを買ったとの設定でした。
    また、幼児が似ているのは、恣意的にダ・ヴィンチがどちらがイエスかを鑑賞者に決めさせようとしたとも思えます。因みにルーヴル公式解説では天使を「ガブリエル」としてますが、「ウリエル」との説も根強いものがあります。ウリエルは洗礼者ヨハネの守護天使ですから、絵の解釈が大きく変わります。

  • ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』(1495~1508年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)<br />ロンドン版は、マリアに光輪が描かれ、衣と背景の青を鮮明にし、ヨハネはアトリビュートの十字架の杖を抱えて腰には羊の衣を巻き、天使はヨハネを指差していません。<br />一方、パリ版最大の謎の「天使が洗礼者ヨハネを指差すことの意味」については、新たな調査により、この手は後世に書き加えられたことが判明しました。右手が描き足されたのは、ルイ12世の指示によるものと推測されています。こうした「指し示す指」はダ・ヴィンチ作品に度々登場し、謎は迷宮入りかと思われていたのですが…。<br />何故、ルイ12世は右手を描かせたのでしょうか?それは、ヨハネを指差すことで、絵の主役を聖母子からヨハネに移そうとしたのです。ヨハネを主役にしたかったのは、この『岩窟の聖母』に薄幸の元王妃ジャンヌへの思いを秘めたからです。彼女は病弱で子どもができず、図らずも離縁されました。そのジャンヌのラテン語読みはヨハンナ、男性名では「ヨハネ」です。<br />全般的には、パリ版は、色使いは穏やかで温かみがあり、人物などの描写が繊細であり、スフマート技法によりぼかした穏やかな表現がなされ、ダ・ヴィンチの真骨頂が際立ちます。ロンドン版は、やむなく書き直しさせられた性格上、弟子+ダ・ヴィンチによるものではないかとの解釈もあります。これに対しては、2010年、ナショナル・ギャラリーがこの絵の洗浄と保存作業を実施したところ、全てダ・ヴィンチの真筆による作品であることが判明したと公式発表しています。しかし、何をもって真筆と判断したのか、詳しいことは不明です。

    ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』(1495~1508年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)
    ロンドン版は、マリアに光輪が描かれ、衣と背景の青を鮮明にし、ヨハネはアトリビュートの十字架の杖を抱えて腰には羊の衣を巻き、天使はヨハネを指差していません。
    一方、パリ版最大の謎の「天使が洗礼者ヨハネを指差すことの意味」については、新たな調査により、この手は後世に書き加えられたことが判明しました。右手が描き足されたのは、ルイ12世の指示によるものと推測されています。こうした「指し示す指」はダ・ヴィンチ作品に度々登場し、謎は迷宮入りかと思われていたのですが…。
    何故、ルイ12世は右手を描かせたのでしょうか?それは、ヨハネを指差すことで、絵の主役を聖母子からヨハネに移そうとしたのです。ヨハネを主役にしたかったのは、この『岩窟の聖母』に薄幸の元王妃ジャンヌへの思いを秘めたからです。彼女は病弱で子どもができず、図らずも離縁されました。そのジャンヌのラテン語読みはヨハンナ、男性名では「ヨハネ」です。
    全般的には、パリ版は、色使いは穏やかで温かみがあり、人物などの描写が繊細であり、スフマート技法によりぼかした穏やかな表現がなされ、ダ・ヴィンチの真骨頂が際立ちます。ロンドン版は、やむなく書き直しさせられた性格上、弟子+ダ・ヴィンチによるものではないかとの解釈もあります。これに対しては、2010年、ナショナル・ギャラリーがこの絵の洗浄と保存作業を実施したところ、全てダ・ヴィンチの真筆による作品であることが判明したと公式発表しています。しかし、何をもって真筆と判断したのか、詳しいことは不明です。

  • ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』( 1434年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)<br />ファン・エイクは、15世紀のベルギーの古都ブリュージュで活躍し、油彩の濡れた絵具の上に新たな絵具を載せて混ぜ合わせる技法(写実手法)や錯視的な新技法を確立した画家です。その精緻な写実力で往時の風俗や習慣を克明に描き、この作品は結婚式を描いたものとされます。西洋美術史の中でも極めて独創的かつ複雑な構成の作品とされ、婚姻契約の場面を記録するために描かれた珍しい証明画と見做す美術史家もいます。<br />1857年に出版されたクロウ とカヴァルカセレ の書籍が、ジョヴァンニ・ディ・アッリゴ・アルノルフィーニ とその妻ジョヴァンナ・チェナーミの結婚と本作品とを結び付け、それが定説となっています。オレンジや犬、燭台など、全てに聖書に基づくアレゴリーが隠されているとされ、特に鏡の中にもう一つの世界を反転させて描くというアイデアは奇抜です。<br />気になるのが、大きなお腹に手を添える新婦です。できちゃった婚ではなく、往時は妊婦体形が究極の女性美とされ、お腹の周りに詰め物をして美しさを競ったそうです。往時の欧州ではペストが猛威を振るい、瞬く間に人口が激減しました。そうした死への恐怖の裏返しで新しい生命の誕生を望む風潮が強まり、その象徴として妊娠スタイルが流行りました。<br />傷のない鏡は、聖母マリアの純潔を意味します。また、鏡の中には、新郎新婦に向かい合う青い服の人物が描かれています。この人物が、この絵の制作者ファン・エイクです。鏡の上には、1434年の年号とラテン語のメッセージ「我、ここにあり」と書かれています。署名は画家が結婚に立ち会ったことの証で、この作品は結婚証明書の役割を果たすとされています。往時、身分の違う結婚の場合、立会人が必要でした。それは、新郎新婦のポーズにも見て取れます。通常は握手のように右手で右手を取りますが、ここでは男性が左手で女性の右手を取っています。これは、身分か家柄が違う貴賤結婚を意味します。この場合、新婦や子どもには相続権が与えられませんが、夫が生きている間は保障される習慣がありました。つまり、この作品は財産の贈与と引き換えに妻になるという契約を無事に終えたところと見做されています。

    ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』( 1434年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)
    ファン・エイクは、15世紀のベルギーの古都ブリュージュで活躍し、油彩の濡れた絵具の上に新たな絵具を載せて混ぜ合わせる技法(写実手法)や錯視的な新技法を確立した画家です。その精緻な写実力で往時の風俗や習慣を克明に描き、この作品は結婚式を描いたものとされます。西洋美術史の中でも極めて独創的かつ複雑な構成の作品とされ、婚姻契約の場面を記録するために描かれた珍しい証明画と見做す美術史家もいます。
    1857年に出版されたクロウ とカヴァルカセレ の書籍が、ジョヴァンニ・ディ・アッリゴ・アルノルフィーニ とその妻ジョヴァンナ・チェナーミの結婚と本作品とを結び付け、それが定説となっています。オレンジや犬、燭台など、全てに聖書に基づくアレゴリーが隠されているとされ、特に鏡の中にもう一つの世界を反転させて描くというアイデアは奇抜です。
    気になるのが、大きなお腹に手を添える新婦です。できちゃった婚ではなく、往時は妊婦体形が究極の女性美とされ、お腹の周りに詰め物をして美しさを競ったそうです。往時の欧州ではペストが猛威を振るい、瞬く間に人口が激減しました。そうした死への恐怖の裏返しで新しい生命の誕生を望む風潮が強まり、その象徴として妊娠スタイルが流行りました。
    傷のない鏡は、聖母マリアの純潔を意味します。また、鏡の中には、新郎新婦に向かい合う青い服の人物が描かれています。この人物が、この絵の制作者ファン・エイクです。鏡の上には、1434年の年号とラテン語のメッセージ「我、ここにあり」と書かれています。署名は画家が結婚に立ち会ったことの証で、この作品は結婚証明書の役割を果たすとされています。往時、身分の違う結婚の場合、立会人が必要でした。それは、新郎新婦のポーズにも見て取れます。通常は握手のように右手で右手を取りますが、ここでは男性が左手で女性の右手を取っています。これは、身分か家柄が違う貴賤結婚を意味します。この場合、新婦や子どもには相続権が与えられませんが、夫が生きている間は保障される習慣がありました。つまり、この作品は財産の贈与と引き換えに妻になるという契約を無事に終えたところと見做されています。

  • ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』<br />この絵は謎だらけです。<br />①季節と服装がアンマッチング<br />屋外では桜が果実を付け、季節は夏ですが、服装は不相応な厚手の毛皮。毛皮は男性がセーブル(クロテン)、女性がアーミン(シロテン)で、共に高価なことから、冨の象徴ともとれます。<br />②シャンデリアには、1本の蝋燭しか灯っていない<br />神の目を表し、神聖な結婚式が行われていることを表しています。<br />③窓枠と机の上に置かれたオレンジ<br />『旧約聖書』には「高潔な人とは、葉を落とさない樹木のよう」と記され、オレンジの木は天国の象徴とされ「知識」を表します。「知恵の実」から原罪を解放したリンゴを連想させ、生まれる子への救世を願ったと解釈されます。また、オレンジは南国の果物で、往時の北ヨーロッパでは贅沢品でした。ですから、裕福の象徴でもあります。更には、オレンジは豊穣や多産を表す、縁起の良い果物でした。<br />④無造作に置かれた女性物の靴と先端が尖った男性靴<br />ブルゴーニュ公国フィリップ善良公が流行らせた木靴が左下に見えます。履物を脱ぎ捨てる行為は、聖書の「聖なる場所では履物を脱げ」に由来します。但し、アルノルフィーニ氏の靴はつま先同士が、夫人のものはかかと同士がくっついた形になっていることの意味は謎とされます。⑤凸面鏡のフレームに描かれた10シーン<br />10のシーンは、『新約聖書』からイエスの受難の物語が描かれています。<br />⑥可愛い犬<br />犬は、忠実、誠実の象徴であり、女性の貞節を示しています。因みに犬の毛並みの筆致は、奇跡とも言えるほどの離れ業です。<br />⑦夫妻の背後にあるベッド左側の椅子の背に「聖マルガレーテ」像が描かれていますが、これは安産の守護聖人です。<br />⑧刷毛や中央の鏡の左側にある水晶のロザリオは、往時の結婚の贈り物の定番でした。

    ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』
    この絵は謎だらけです。
    ①季節と服装がアンマッチング
    屋外では桜が果実を付け、季節は夏ですが、服装は不相応な厚手の毛皮。毛皮は男性がセーブル(クロテン)、女性がアーミン(シロテン)で、共に高価なことから、冨の象徴ともとれます。
    ②シャンデリアには、1本の蝋燭しか灯っていない
    神の目を表し、神聖な結婚式が行われていることを表しています。
    ③窓枠と机の上に置かれたオレンジ
    『旧約聖書』には「高潔な人とは、葉を落とさない樹木のよう」と記され、オレンジの木は天国の象徴とされ「知識」を表します。「知恵の実」から原罪を解放したリンゴを連想させ、生まれる子への救世を願ったと解釈されます。また、オレンジは南国の果物で、往時の北ヨーロッパでは贅沢品でした。ですから、裕福の象徴でもあります。更には、オレンジは豊穣や多産を表す、縁起の良い果物でした。
    ④無造作に置かれた女性物の靴と先端が尖った男性靴
    ブルゴーニュ公国フィリップ善良公が流行らせた木靴が左下に見えます。履物を脱ぎ捨てる行為は、聖書の「聖なる場所では履物を脱げ」に由来します。但し、アルノルフィーニ氏の靴はつま先同士が、夫人のものはかかと同士がくっついた形になっていることの意味は謎とされます。 ⑤凸面鏡のフレームに描かれた10シーン
    10のシーンは、『新約聖書』からイエスの受難の物語が描かれています。
    ⑥可愛い犬
    犬は、忠実、誠実の象徴であり、女性の貞節を示しています。因みに犬の毛並みの筆致は、奇跡とも言えるほどの離れ業です。
    ⑦夫妻の背後にあるベッド左側の椅子の背に「聖マルガレーテ」像が描かれていますが、これは安産の守護聖人です。
    ⑧刷毛や中央の鏡の左側にある水晶のロザリオは、往時の結婚の贈り物の定番でした。

  • ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』<br />近年、新説が唱えられて物議を醸しています。発端は、1994年に古文書からある記述が発見されたことです。そこには「1447年、ブルゴーニュ公爵がアルノルフィーニ夫妻の結婚祝いに銀製鍋を贈与」とありました。1447年はこの絵の完成から13年後、ファン・エイク没後です。それ故、これまで定説だったアッリゴとその妻ジョヴァンナ説は否定され、新たにアルノルフィーニ家の系図が調査され、ジョヴァンニ・ディ・ニコラ が浮上しました。しかもその妻コスタンツァ・トレンタ は、この作品が描かれる前年に死去していたのです。絵のお腹の様子から死因は産褥と解釈され、女性側の照明のロウソクが消えているのは、妻の死を暗示したものとしています。<br />また、鏡の中の夫婦の手は、真っ黒です。ファン・エイクの真骨頂は、細部まで繊細に描くことです。医師ポステル氏は、この謎を解くために文献を漁り、1822年出版のシャルル・ノディエ 著『幻想作品集』に行き着き、亡霊がこの世に戻るという話に着目しました。亡き夫は、妻に魂の再生を祈るミサを求め、手を握らせます。その時、妻が握ったのは焼け焦げた夫の手でした。中世の伝承では、「あの世から戻った人間は、煉獄を乗り越えて来るために黒く焦げている」とされていました。こうした考察からポステル氏は、この絵は亡くなった妻が夫の元に戻った姿を記録したものと主張しています。<br />ロジックには齟齬がなく説得力のある説ですが、個人的には、亡霊の姿を描いたものではなく、在りし日の面影を記録させたものと思います。ただしこの新説は、絵画の中に散り嵌められたアレゴリーのうち、好都合のものだけを取り上げている点が気になります。更なる考証を期待したいものです。

    ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻の肖像』
    近年、新説が唱えられて物議を醸しています。発端は、1994年に古文書からある記述が発見されたことです。そこには「1447年、ブルゴーニュ公爵がアルノルフィーニ夫妻の結婚祝いに銀製鍋を贈与」とありました。1447年はこの絵の完成から13年後、ファン・エイク没後です。それ故、これまで定説だったアッリゴとその妻ジョヴァンナ説は否定され、新たにアルノルフィーニ家の系図が調査され、ジョヴァンニ・ディ・ニコラ が浮上しました。しかもその妻コスタンツァ・トレンタ は、この作品が描かれる前年に死去していたのです。絵のお腹の様子から死因は産褥と解釈され、女性側の照明のロウソクが消えているのは、妻の死を暗示したものとしています。
    また、鏡の中の夫婦の手は、真っ黒です。ファン・エイクの真骨頂は、細部まで繊細に描くことです。医師ポステル氏は、この謎を解くために文献を漁り、1822年出版のシャルル・ノディエ 著『幻想作品集』に行き着き、亡霊がこの世に戻るという話に着目しました。亡き夫は、妻に魂の再生を祈るミサを求め、手を握らせます。その時、妻が握ったのは焼け焦げた夫の手でした。中世の伝承では、「あの世から戻った人間は、煉獄を乗り越えて来るために黒く焦げている」とされていました。こうした考察からポステル氏は、この絵は亡くなった妻が夫の元に戻った姿を記録したものと主張しています。
    ロジックには齟齬がなく説得力のある説ですが、個人的には、亡霊の姿を描いたものではなく、在りし日の面影を記録させたものと思います。ただしこの新説は、絵画の中に散り嵌められたアレゴリーのうち、好都合のものだけを取り上げている点が気になります。更なる考証を期待したいものです。

  • ハンス・ホルバイン『大使たち』(1533年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵) <br />英国に派遣されたフランス大使たちの肖像画ですが、様々な意図が込められた寓意画です。1533年、英国王ヘンリー8世は、ローマ教会と対立してイギリス国教会の下で最初の后と離婚し、アン・プーリンと再婚して戴冠式を強行しました。こうしてローマ教会との関係は険悪になり、描かれた2人のフランス大使の使命は、フランス王がこの結婚を容認することを伝え、宗教改革を穏便に行なうようイギリス国教会を説得することでした。しかし翌年、ヘンリー8世は自らイギリス国教会の首長となり、カトリック教会から離脱しました。<br />こうした世相を反映し、棚の上には数学や天文学など「神の創造物」、下の棚には「人間の創造物」を並べて対比しています。賛美歌の楽譜はローマ教会と英国教会の調和を意図するも、弦が切れたリュートや解体されたフルート、壊れた地球儀は宗教界の不和と現世の虚しさを暗示し、左上の緑のカーテンの陰にはイエス磔刑像が覗けます。更に、算術書には定規が挟まり、教会の分断を暗示しています。<br />一方、2人の大使の下方に得体の知れない白い不気味な物体が描かれています。それは正面から観ても何なのか判らないのですが、向かって右斜め上から見ると、描かれたものが判る仕組みになっています。さて何が見えるのでしょうか?

    ハンス・ホルバイン『大使たち』(1533年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵) 
    英国に派遣されたフランス大使たちの肖像画ですが、様々な意図が込められた寓意画です。1533年、英国王ヘンリー8世は、ローマ教会と対立してイギリス国教会の下で最初の后と離婚し、アン・プーリンと再婚して戴冠式を強行しました。こうしてローマ教会との関係は険悪になり、描かれた2人のフランス大使の使命は、フランス王がこの結婚を容認することを伝え、宗教改革を穏便に行なうようイギリス国教会を説得することでした。しかし翌年、ヘンリー8世は自らイギリス国教会の首長となり、カトリック教会から離脱しました。
    こうした世相を反映し、棚の上には数学や天文学など「神の創造物」、下の棚には「人間の創造物」を並べて対比しています。賛美歌の楽譜はローマ教会と英国教会の調和を意図するも、弦が切れたリュートや解体されたフルート、壊れた地球儀は宗教界の不和と現世の虚しさを暗示し、左上の緑のカーテンの陰にはイエス磔刑像が覗けます。更に、算術書には定規が挟まり、教会の分断を暗示しています。
    一方、2人の大使の下方に得体の知れない白い不気味な物体が描かれています。それは正面から観ても何なのか判らないのですが、向かって右斜め上から見ると、描かれたものが判る仕組みになっています。さて何が見えるのでしょうか?

  • ハンス・ホルバイン『大使たち』<br />忽然と浮かび上がるドクロは、「メメント・モリ(死を想え)」を暗示しています。これは絵画に触れられるほどの距離だから観られるものです。<br />ヘンリー8世は、後にエリザベス女王となる娘を産んだアンさえも断首台へ送りました。国王の絶大な信頼を得ながらも、パトロンだった恩人トマス・モアさえも処刑された事実を知り、南ドイツからやってきたハンスの心はいかばかりだったでしょう。こうした状況下で描いたのがこの作品です。<br />その後、国王は、待望の男児を産んだばかりの3人目の妻を亡くしました。次の妃を選ぶため、ハンスは国王の任命で妃候補の姫たちの肖像画を見合写真代わりに描きました。国王が見初めたのは、楚々とした美人の「アンナ・フォン・クレーフェの肖像」でした。彼女を妃に迎えたものの、絵と実体とのギャップから「フランドルの太った雌馬」と罵り、僅か6ヶ月で離婚しました。この1件で国王の不興を買ったハンスは、処刑こそ免れたものの、その後目立った活躍もせず、1543年に失意の中でペストに罹り生涯を閉じました。<br />因みにホルバイン(=Hohl Bein)は、ドイツ語で「空っぽのドクロ」という意味だそうです。単なる画家としてのサインだったのかもしれませんが、その真相は闇の中です。

    ハンス・ホルバイン『大使たち』
    忽然と浮かび上がるドクロは、「メメント・モリ(死を想え)」を暗示しています。これは絵画に触れられるほどの距離だから観られるものです。
    ヘンリー8世は、後にエリザベス女王となる娘を産んだアンさえも断首台へ送りました。国王の絶大な信頼を得ながらも、パトロンだった恩人トマス・モアさえも処刑された事実を知り、南ドイツからやってきたハンスの心はいかばかりだったでしょう。こうした状況下で描いたのがこの作品です。
    その後、国王は、待望の男児を産んだばかりの3人目の妻を亡くしました。次の妃を選ぶため、ハンスは国王の任命で妃候補の姫たちの肖像画を見合写真代わりに描きました。国王が見初めたのは、楚々とした美人の「アンナ・フォン・クレーフェの肖像」でした。彼女を妃に迎えたものの、絵と実体とのギャップから「フランドルの太った雌馬」と罵り、僅か6ヶ月で離婚しました。この1件で国王の不興を買ったハンスは、処刑こそ免れたものの、その後目立った活躍もせず、1543年に失意の中でペストに罹り生涯を閉じました。
    因みにホルバイン(=Hohl Bein)は、ドイツ語で「空っぽのドクロ」という意味だそうです。単なる画家としてのサインだったのかもしれませんが、その真相は闇の中です。

  • ルーカス・クラナッハ『回春の泉』(1546年 ベルリン国立美術館蔵)<br />奇妙な岩山のある背景が目を惹き付け、その下にはプールを彷彿とさせる泉を描いています。泉の中央にある噴水を境に、若い美女に甦る醜悪な老女たちは、恥じらいや戸惑いの表情から晴れやかで自信に満ちた表情や仕草に一変します。<br />噴水にはヴィーナスとキューピッドが描かれ、左側には若返りを願う老女たちがおんぶされたり、担架で運ばれたりしています。そして泉に浸かると効果てきめん、右側では娘時代に甦った姿を描いています。しかし泉の水に浸かって若返るのは女性たちだけで、男たちが若返るのはそうした女性と接すること、つまり愛こそが不老長寿の源だと暗示しています。水に浸かるのは一種の洗礼と思われ、若返りだけでなく、今までの罪障を洗い流し、心身共にリフレッシュするという意味もあるようです。<br />クラナッハがこの作品を描いたのは74歳の時、自分自身に忍び寄る老いを痛切に感じていたからこそ生まれた傑作なのかもしれません。

    ルーカス・クラナッハ『回春の泉』(1546年 ベルリン国立美術館蔵)
    奇妙な岩山のある背景が目を惹き付け、その下にはプールを彷彿とさせる泉を描いています。泉の中央にある噴水を境に、若い美女に甦る醜悪な老女たちは、恥じらいや戸惑いの表情から晴れやかで自信に満ちた表情や仕草に一変します。
    噴水にはヴィーナスとキューピッドが描かれ、左側には若返りを願う老女たちがおんぶされたり、担架で運ばれたりしています。そして泉に浸かると効果てきめん、右側では娘時代に甦った姿を描いています。しかし泉の水に浸かって若返るのは女性たちだけで、男たちが若返るのはそうした女性と接すること、つまり愛こそが不老長寿の源だと暗示しています。水に浸かるのは一種の洗礼と思われ、若返りだけでなく、今までの罪障を洗い流し、心身共にリフレッシュするという意味もあるようです。
    クラナッハがこの作品を描いたのは74歳の時、自分自身に忍び寄る老いを痛切に感じていたからこそ生まれた傑作なのかもしれません。

  • ルーカス・クラナッハ『ヴィーナスに訴えるキューピッド』(1530年頃 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)<br />クラナッハ独特のコケティッシュで妖艶なヴィーナスですが、エロティシズムを追求した作品ではなく、ここには教訓が描かれています。しかし、官能的な裸身の描き方が素晴らしく、少女とも熟女とも定かでなく、小悪魔的な不思議な魅力を放っています。 それは小ぶりな胸と幼児体形のように膨らんだお腹、撫で肩と細長い手足、爬虫類的で冷徹な切れ長の目が成せる業です。 <br />中央にヴィーナス、その左手に鬱蒼とした樹木、右手には水面に映る風景が描かれています。ヴィーナスは往時流行した帽子と首飾りを身に着け、髪を綺麗にまとめて大人びた様子です。息子キューピッドが描かれていることから、彼女は母親としての威厳も湛えています。キューピッドは、蜂の巣を取ったために怒った蜂に襲われ、刺された痛みを母親に訴えています。この絵は、ヴィーナスがキューピッドに彼が他人に対して行なってきた所業を諭すシーンです。愛の神キューピッドは、恋の矢を放って恋を成就させたり、逆に辛い恋に陥れたりします。ヴィーナスはキューピッドに、彼が他人に与えた恋の痛手は蜂に刺されるよりも辛いものであることを諭し、人の痛みが判るように躾けています。一方、キューピッドの所業を諭しながらも、裸身を晒して首を傾け、リンゴの枝を掴みながらこちらを物憂げに見つめるヴィーナスには、アダムに知恵の実を勧めたイヴの姿を重ねあわせ、男性を誘惑する魅惑的な存在として、キューピッドと同じく恋の痛手を相手に与える2面性のある存在として描いています。<br />因みにクラナッハの裸体表現はピカソにも影響を与え、この作品を模倣したピカソの作品が『ヴィーナスとキューピッド』です。

    ルーカス・クラナッハ『ヴィーナスに訴えるキューピッド』(1530年頃 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵)
    クラナッハ独特のコケティッシュで妖艶なヴィーナスですが、エロティシズムを追求した作品ではなく、ここには教訓が描かれています。しかし、官能的な裸身の描き方が素晴らしく、少女とも熟女とも定かでなく、小悪魔的な不思議な魅力を放っています。 それは小ぶりな胸と幼児体形のように膨らんだお腹、撫で肩と細長い手足、爬虫類的で冷徹な切れ長の目が成せる業です。
    中央にヴィーナス、その左手に鬱蒼とした樹木、右手には水面に映る風景が描かれています。ヴィーナスは往時流行した帽子と首飾りを身に着け、髪を綺麗にまとめて大人びた様子です。息子キューピッドが描かれていることから、彼女は母親としての威厳も湛えています。 キューピッドは、蜂の巣を取ったために怒った蜂に襲われ、刺された痛みを母親に訴えています。この絵は、ヴィーナスがキューピッドに彼が他人に対して行なってきた所業を諭すシーンです。愛の神キューピッドは、恋の矢を放って恋を成就させたり、逆に辛い恋に陥れたりします。ヴィーナスはキューピッドに、彼が他人に与えた恋の痛手は蜂に刺されるよりも辛いものであることを諭し、人の痛みが判るように躾けています。 一方、キューピッドの所業を諭しながらも、裸身を晒して首を傾け、リンゴの枝を掴みながらこちらを物憂げに見つめるヴィーナスには、アダムに知恵の実を勧めたイヴの姿を重ねあわせ、男性を誘惑する魅惑的な存在として、キューピッドと同じく恋の痛手を相手に与える2面性のある存在として描いています。
    因みにクラナッハの裸体表現はピカソにも影響を与え、この作品を模倣したピカソの作品が『ヴィーナスとキューピッド』です。

  • アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンドロス大王の戦い』(1529年 アルテ・ピナコテーク蔵)<br />ドイツ・ルネッサンスのドナウ派を代表する画家です。ドナウ派とは、16世紀初頭、アルトドルファーの拠点レーゲンスブルクからウィーン一帯のドナウ渓谷地域を中心に活動した画家を言い、南ドイツの山岳風景に重きを置いたロマンチックな画風で知られています。アルトドルファー自身は、クラナッハの風景描写の影響を受けています。<br />紀元前333年、アレクサンドロス大王の率いたマケドニア軍がダレイオス3世のペルシア軍を破ったイッソスの戦いを描いた作品です。バイエルン公ヴィルヘルム4世の依頼により、王宮を装飾する一連の英雄伝に基づく作品の一つとして描かれました。<br />兵士群の緻密な描写だけでなく、鳥瞰図的な構図や渦巻く雲等の背景描写も秀逸で、宇宙的なスケールを湛えています。<br />この戦の結果は、昇る朝日でマケドニア軍、薄れた三日月でペルシア軍を対比しています。因みに、ナポレオンはこの絵を浴室に飾っていたそうです。験を担いで古代のヒーローにあやかりたかったのかもしれません。

    アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンドロス大王の戦い』(1529年 アルテ・ピナコテーク蔵)
    ドイツ・ルネッサンスのドナウ派を代表する画家です。ドナウ派とは、16世紀初頭、アルトドルファーの拠点レーゲンスブルクからウィーン一帯のドナウ渓谷地域を中心に活動した画家を言い、南ドイツの山岳風景に重きを置いたロマンチックな画風で知られています。アルトドルファー自身は、クラナッハの風景描写の影響を受けています。
    紀元前333年、アレクサンドロス大王の率いたマケドニア軍がダレイオス3世のペルシア軍を破ったイッソスの戦いを描いた作品です。バイエルン公ヴィルヘルム4世の依頼により、王宮を装飾する一連の英雄伝に基づく作品の一つとして描かれました。
    兵士群の緻密な描写だけでなく、鳥瞰図的な構図や渦巻く雲等の背景描写も秀逸で、宇宙的なスケールを湛えています。
    この戦の結果は、昇る朝日でマケドニア軍、薄れた三日月でペルシア軍を対比しています。因みに、ナポレオンはこの絵を浴室に飾っていたそうです。験を担いで古代のヒーローにあやかりたかったのかもしれません。

  • アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンドロス大王の戦い』<br />下方に配された無数の兵士群と上方に広がる雄大な背景の描写が見所のひとつであり、兵士たちの姿は眩暈を起こしそうなほど緻密な描写です。<br />銘板から垂れた錘の真下には、黄金の馬に跨り、槍を持ったアレクサンドロス大王の雄姿が描かれ、3頭立ての白馬に牽かれる2輪車に乗って敗走するダレイオス3世を追走しています。マケドニア軍が3万人、ペルシア軍が10万人とされ、そのスケール感をうねるように繋がった兵士の隊列で描写しています。

    アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンドロス大王の戦い』
    下方に配された無数の兵士群と上方に広がる雄大な背景の描写が見所のひとつであり、兵士たちの姿は眩暈を起こしそうなほど緻密な描写です。
    銘板から垂れた錘の真下には、黄金の馬に跨り、槍を持ったアレクサンドロス大王の雄姿が描かれ、3頭立ての白馬に牽かれる2輪車に乗って敗走するダレイオス3世を追走しています。マケドニア軍が3万人、ペルシア軍が10万人とされ、そのスケール感をうねるように繋がった兵士の隊列で描写しています。

  • ヨアヒム・パティニール『冥界の渡し守カロンのいる風景』(1515~24年 プラド美術館蔵)<br />ゴシックとルネッサンスを繋ぐ架け橋を担ったフランドル画家であり、空想や中世の世界観を湛えた風景画を得意としました。風景画に拘り、ルネッサンス期に発達した絵画の分業においても、風景は自らが描き、人物は他の画家に任せました。1世代前のボスや中世の装飾写本の影響が色濃く、友人デューラーは「良き風景画家」と称したほどです。<br />美術書でパティニールの代表作として紹介されるのがこの作品です。彼の虜になるきっかけは、青のグラデーションで描写された遠景の妙です。霞みゆく広大な空と、遥か彼方に聳える山々。彼はダ・ヴィンチのように遠景をぼかす「空気遠近法」を用いず、暖色は前面に出て見え、寒色は奥まって見えるという「色彩遠近法」を駆使し、クリアで奥行のある風景を描きました。また、「パティニール・ブルー」は神秘的であり、時には寂寥感も滲ませます。<br />2つ目の特徴は、コンデジで撮影した写真のように「パン・フォーカス」、つまり遠近共にピントを合わせて緻密に描き込んでいる点です。<br />3つ目は、「水平線」を意図的に描いている点です。通常なら山や樹木を衝立に視線を遮りますが、彼の絵画には水平線が登場し、描かれた風景の先にある更なる広がりを想像させます。<br />最後は、「鳥の目」です。海にしても荒野にしても、高い視点から俯瞰することで広がりを強調しています。しかも一般的な「鳥瞰図」ではなく、様々な高さの視点を自由に組合わせ、独自の風景を創作しています。一般的にはマニエリスム初期の特徴とされますが、一種のキュビズムの魁とも思えます。<br /><br />カロンは、ギリシア神話に登場する冥界のステュクス川(三途の川)の渡し守です。一般的にはボロを纏った不愛想な老人の姿で描かれ、小船とオールを使って冥界へ向かう死者を運びます。渡し賃は銀貨一枚。古代ギリシアで死者の舌の下に銀貨を入れたのは、このステュクス川を渡ってタルタロス(黄泉の国)へ行くためでした。渡し賃を忘れた場合、対岸へ渡るのに200年の間、川岸を彷徨うことになります。死者からお金をせしめる故、「守銭奴」と卑下されたカロンですが、銀貨1枚を現在の価格に換算すると500円程だそうです。風景と人物の大きさのアンバランスが何とも妙ですが…。川を挟んで左が天国、右が地獄を表しています。ジャンルとしては宗教画ですが、タイトルを知らずに見れば、風景画にしか映りません。個人的な見解ですが、プログレッシブ・バンド「YES」のロジャーディーンの手による往年のアルバム・ジャケットは、パティニールの作品を彷彿とさせるものがありました。

    ヨアヒム・パティニール『冥界の渡し守カロンのいる風景』(1515~24年 プラド美術館蔵)
    ゴシックとルネッサンスを繋ぐ架け橋を担ったフランドル画家であり、空想や中世の世界観を湛えた風景画を得意としました。風景画に拘り、ルネッサンス期に発達した絵画の分業においても、風景は自らが描き、人物は他の画家に任せました。1世代前のボスや中世の装飾写本の影響が色濃く、友人デューラーは「良き風景画家」と称したほどです。
    美術書でパティニールの代表作として紹介されるのがこの作品です。彼の虜になるきっかけは、青のグラデーションで描写された遠景の妙です。霞みゆく広大な空と、遥か彼方に聳える山々。彼はダ・ヴィンチのように遠景をぼかす「空気遠近法」を用いず、暖色は前面に出て見え、寒色は奥まって見えるという「色彩遠近法」を駆使し、クリアで奥行のある風景を描きました。また、「パティニール・ブルー」は神秘的であり、時には寂寥感も滲ませます。
    2つ目の特徴は、コンデジで撮影した写真のように「パン・フォーカス」、つまり遠近共にピントを合わせて緻密に描き込んでいる点です。
    3つ目は、「水平線」を意図的に描いている点です。通常なら山や樹木を衝立に視線を遮りますが、彼の絵画には水平線が登場し、描かれた風景の先にある更なる広がりを想像させます。
    最後は、「鳥の目」です。海にしても荒野にしても、高い視点から俯瞰することで広がりを強調しています。しかも一般的な「鳥瞰図」ではなく、様々な高さの視点を自由に組合わせ、独自の風景を創作しています。一般的にはマニエリスム初期の特徴とされますが、一種のキュビズムの魁とも思えます。

    カロンは、ギリシア神話に登場する冥界のステュクス川(三途の川)の渡し守です。一般的にはボロを纏った不愛想な老人の姿で描かれ、小船とオールを使って冥界へ向かう死者を運びます。渡し賃は銀貨一枚。古代ギリシアで死者の舌の下に銀貨を入れたのは、このステュクス川を渡ってタルタロス(黄泉の国)へ行くためでした。渡し賃を忘れた場合、対岸へ渡るのに200年の間、川岸を彷徨うことになります。死者からお金をせしめる故、「守銭奴」と卑下されたカロンですが、銀貨1枚を現在の価格に換算すると500円程だそうです。 風景と人物の大きさのアンバランスが何とも妙ですが…。川を挟んで左が天国、右が地獄を表しています。ジャンルとしては宗教画ですが、タイトルを知らずに見れば、風景画にしか映りません。個人的な見解ですが、プログレッシブ・バンド「YES」のロジャーディーンの手による往年のアルバム・ジャケットは、パティニールの作品を彷彿とさせるものがありました。

  • ヨアヒム・パティニール『冥界の渡し守カロンのいる風景』<br />地獄風景のズームアップです。<br />パティニールが残した作品の数は僅か11点とされ、彼の生涯については、ほとんど不明です。生まれた時と場所についてもはっきりせず、出生地はベルギーのディナンかブヴィーニュとされ、生年は1480~85年とアバウトです。<br />唯一明確なのは、1515年に生涯の大半を過ごしたアントワープの聖ルカ芸術家ギルドの親方に登録され、1524年に亡くなったことです。しかし1度でもその絵を観た者は、驚くほど精緻な細部から目を離せなくなり、絵の中に流れる時間に心を奪われてしまいます。<br />この周辺の作品展示方法については、一考の価値があります。ナトリウム系ライトを使用しており、画面がオレンジ色に染まるのです。原画の展示では絵具が劣化し難いナトリウム系ランプが重宝されますが、「青」が魅力のこの作品にはタブーです。陶板画ですから、自然光に近いライトにするなど、オンリーワンの展示方法がであるべきです。上の写真は、石川美子著『青のパティニール 最初の風景画家』と照合して色彩修正をしたものです。この書籍を見て鑑賞に来られた方は、当方同様にがっかりされるかもしれません。

    ヨアヒム・パティニール『冥界の渡し守カロンのいる風景』
    地獄風景のズームアップです。
    パティニールが残した作品の数は僅か11点とされ、彼の生涯については、ほとんど不明です。生まれた時と場所についてもはっきりせず、出生地はベルギーのディナンかブヴィーニュとされ、生年は1480~85年とアバウトです。
    唯一明確なのは、1515年に生涯の大半を過ごしたアントワープの聖ルカ芸術家ギルドの親方に登録され、1524年に亡くなったことです。しかし1度でもその絵を観た者は、驚くほど精緻な細部から目を離せなくなり、絵の中に流れる時間に心を奪われてしまいます。
    この周辺の作品展示方法については、一考の価値があります。ナトリウム系ライトを使用しており、画面がオレンジ色に染まるのです。原画の展示では絵具が劣化し難いナトリウム系ランプが重宝されますが、「青」が魅力のこの作品にはタブーです。陶板画ですから、自然光に近いライトにするなど、オンリーワンの展示方法がであるべきです。上の写真は、石川美子著『青のパティニール 最初の風景画家』と照合して色彩修正をしたものです。この書籍を見て鑑賞に来られた方は、当方同様にがっかりされるかもしれません。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』(1510~15年 プラド美術館蔵)<br />フランドル地方の宗教画家ボスの代表作で、プラド美術館で最も謎めいた作品と言われています。ファンタジーな雰囲気に溢れる画風で、その独創性から「地獄と怪物の画家」と称されました。君主フェリペ2世がその王宮エル・エスコリアルに飾っていた、観音開きの板に油彩で描かれた三連祭壇画です。閉じた状態では、そこに描かれているのは「天地創造」。扉を開くとその左翼には「エデンの園」が描かれ、神が生まれたてのイヴの手を取って導き、アダムに引き合わせています。右翼には「地獄」が描かれています。<br />そして中央部分には現世を表す「快楽の園」。愛と快楽をモチーフに、円形と卵形を多用し、豊穣を意味する小宇宙(子宮)を表しています。聖書に基づく寓話を描いたとも言われていますが、梟やキリン、馬だけでなくユニコーンやグリフォンのような想像上の動物や巨大な果実や魚、鳥、奇妙な形をした塔、そして様々な快楽に耽ける無数の男女が描かれています。男に担がれた巨大なムール貝から突き出した男女の足、赤い実を手に梟を載せて踊る人々、翼を付けて飛ぶ人間、手が樹木、胴体が卵の殻になっている「樹木人間」、戦車の耳、鳥の怪物に丸飲みされてはそのまま排泄される人々。パネルにぎっしりと描かれた摩訶不思議な世界は、謎と寓意に満ちており、その解釈については現在でも議論の的となっています。大塚国際美術館なら、細部までじっくり観てボスが伝えようとする寓意や象徴を解き明かすことができると思います。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』(1510~15年 プラド美術館蔵)
    フランドル地方の宗教画家ボスの代表作で、プラド美術館で最も謎めいた作品と言われています。ファンタジーな雰囲気に溢れる画風で、その独創性から「地獄と怪物の画家」と称されました。 君主フェリペ2世がその王宮エル・エスコリアルに飾っていた、観音開きの板に油彩で描かれた三連祭壇画です。閉じた状態では、そこに描かれているのは「天地創造」。扉を開くとその左翼には「エデンの園」が描かれ、神が生まれたてのイヴの手を取って導き、アダムに引き合わせています。右翼には「地獄」が描かれています。
    そして中央部分には現世を表す「快楽の園」。愛と快楽をモチーフに、円形と卵形を多用し、豊穣を意味する小宇宙(子宮)を表しています。聖書に基づく寓話を描いたとも言われていますが、梟やキリン、馬だけでなくユニコーンやグリフォンのような想像上の動物や巨大な果実や魚、鳥、奇妙な形をした塔、そして様々な快楽に耽ける無数の男女が描かれています。男に担がれた巨大なムール貝から突き出した男女の足、赤い実を手に梟を載せて踊る人々、翼を付けて飛ぶ人間、手が樹木、胴体が卵の殻になっている「樹木人間」、戦車の耳、鳥の怪物に丸飲みされてはそのまま排泄される人々。 パネルにぎっしりと描かれた摩訶不思議な世界は、謎と寓意に満ちており、その解釈については現在でも議論の的となっています。大塚国際美術館なら、細部までじっくり観てボスが伝えようとする寓意や象徴を解き明かすことができると思います。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』<br />右翼は、人々が堕ちた地獄の辛苦を表し、奇怪な生物や人物が描かれています。この中に薄笑いを浮かべて振り返っている男の姿があり、それがボスの自画像と言われています。<br />判りますか?中央、やや右よりです。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
    右翼は、人々が堕ちた地獄の辛苦を表し、奇怪な生物や人物が描かれています。この中に薄笑いを浮かべて振り返っている男の姿があり、それがボスの自画像と言われています。
    判りますか?中央、やや右よりです。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』<br />目を皿のようにして観ていると、突然、音もなく三面鏡のように両翼が閉じ始め、そこに原初地球を彷彿とさせるスケルトン球体が描かれた、モノトーンの「天地創造」の世界が現れます。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
    目を皿のようにして観ていると、突然、音もなく三面鏡のように両翼が閉じ始め、そこに原初地球を彷彿とさせるスケルトン球体が描かれた、モノトーンの「天地創造」の世界が現れます。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』<br />スケルトン球体の中に平面になった原初地球が浮かび、その下の部分は下界、上の部分は雲が渦巻く天界を表しています。<br />有名な『快楽の園』ですが、絵を閉じた状態は初めて観ました。こうした新たな発見もあるのですね!<br />こうした演出もレプリカなればこその醍醐味です。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
    スケルトン球体の中に平面になった原初地球が浮かび、その下の部分は下界、上の部分は雲が渦巻く天界を表しています。
    有名な『快楽の園』ですが、絵を閉じた状態は初めて観ました。こうした新たな発見もあるのですね!
    こうした演出もレプリカなればこその醍醐味です。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』<br />この絵は、「天地創造」の第3日目の世界をスケルトン球体の中に表現したものと解釈されています。大地と海そして植物が創造され、大地が緑で覆われ始めた原初地球を描き、海と陸に隔てられた地上にはまだ生物は存在していません。<br />単色で描かれた理由は、往時のフランドル画家たちが描いていた三連祭壇画の様式を踏襲したものと考えられますが、キリスト教義でいう天地創造で「大地に光を」の言葉と共に創造される太陽と月が完成する前の地球を描いた可能性もあります。<br />また、荒野の上の大岩と巨大な果物は、開いた状態のパネルで展開される光景に結び付けられています。つまり、この「天地創造」は、内側パネルの「快楽の園」のプロローグとして描かれたものです。<br />では、何故原初地球をガラス球の中に描いたのでしょうか?実は、フランドルには「幸福はガラスのようなものだ。すぐに割れてしまう」という諺があります。恐らくボスは、人間社会に渦巻く欲望を諺に託してこの絵を描いたのでしょう。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
    この絵は、「天地創造」の第3日目の世界をスケルトン球体の中に表現したものと解釈されています。大地と海そして植物が創造され、大地が緑で覆われ始めた原初地球を描き、海と陸に隔てられた地上にはまだ生物は存在していません。
    単色で描かれた理由は、往時のフランドル画家たちが描いていた三連祭壇画の様式を踏襲したものと考えられますが、キリスト教義でいう天地創造で「大地に光を」の言葉と共に創造される太陽と月が完成する前の地球を描いた可能性もあります。
    また、荒野の上の大岩と巨大な果物は、開いた状態のパネルで展開される光景に結び付けられています。つまり、この「天地創造」は、内側パネルの「快楽の園」のプロローグとして描かれたものです。
    では、何故原初地球をガラス球の中に描いたのでしょうか?実は、フランドルには「幸福はガラスのようなものだ。すぐに割れてしまう」という諺があります。恐らくボスは、人間社会に渦巻く欲望を諺に託してこの絵を描いたのでしょう。

  • ヒエロニムス・ボス『快楽の園』<br />左上には、天地創造を見守る「父なる神」を小さく描いています。<br />面白いのは、ローマ教皇のような姿をした父なる神に聖書を持たせていることです。

    ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
    左上には、天地創造を見守る「父なる神」を小さく描いています。
    面白いのは、ローマ教皇のような姿をした父なる神に聖書を持たせていることです。

  • マティアス・グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』(1512~16年 ウンターリンデン美術館蔵)<br />イーゼンハイムにある聖アントニウス会修道院付属施療院のために描かれた祭壇画です。この施療院は、ペストや麦角中毒患者の治療を行うことで知られていました。<br />祭壇画は3面からなり、第3面の右翼パネルが「聖アントニウスの誘惑」(写真では左側)です。本来は、聖アントニウスが悪魔の誘惑を耐え忍ぶ崇高なシーンですが、怪物たちから集団リンチされて痛ましい姿です。髪を掴まれ、ボコボコにされています。しかし怪物たちの肌の質感や牙などはリアルで、右側には鼻水を垂らす怪物もいます。まさに魑魅魍魎の世界で、「誘惑」よりも地獄絵図を彷彿とさせ、ボス張りの怪物に目が惹きつけられます。 <br />ボスの怪物は寓意を持っていますが、この怪物は宗教的信念を折ろうとしており、観る者に現実味のある恐怖を感じさせたことでしょう。イタリア ルネッサンス絵画とは一線を画した、ドイツ象徴主義をよく表した絵画と言えます。<br />哲学者ミシェル・フーコー著『狂気の歴史』によると、この奇怪な怪物たちは、「人間の隠された自然本性の姿」と解説しています。「文芸復興期になると動物性との関連が転倒し、動物は解き放たれ、伝承と道徳訓の世界から逃げだしてそれ固有の幻想性を手に入れる。こうして、驚くべき転倒によって今や動物の方が、人間の動静を窺い、彼を捕えて彼本来の真理を知らせようとするのである。錯乱した想像力から生れた奇怪な動物が、人間の隠された自然本性の姿となった。例えばそれは、グリューネヴァルトの『聖アントワーヌの誘惑』に現れる筋ばった手の猛禽類である」。<br />因みに、右側パネルは「聖アントニウスの聖パウロ訪問」です。

    マティアス・グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』(1512~16年 ウンターリンデン美術館蔵)
    イーゼンハイムにある聖アントニウス会修道院付属施療院のために描かれた祭壇画です。この施療院は、ペストや麦角中毒患者の治療を行うことで知られていました。
    祭壇画は3面からなり、第3面の右翼パネルが「聖アントニウスの誘惑」(写真では左側)です。本来は、聖アントニウスが悪魔の誘惑を耐え忍ぶ崇高なシーンですが、怪物たちから集団リンチされて痛ましい姿です。髪を掴まれ、ボコボコにされています。しかし怪物たちの肌の質感や牙などはリアルで、右側には鼻水を垂らす怪物もいます。まさに魑魅魍魎の世界で、「誘惑」よりも地獄絵図を彷彿とさせ、ボス張りの怪物に目が惹きつけられます。
    ボスの怪物は寓意を持っていますが、この怪物は宗教的信念を折ろうとしており、観る者に現実味のある恐怖を感じさせたことでしょう。イタリア ルネッサンス絵画とは一線を画した、ドイツ象徴主義をよく表した絵画と言えます。
    哲学者ミシェル・フーコー著『狂気の歴史』によると、この奇怪な怪物たちは、「人間の隠された自然本性の姿」と解説しています。「文芸復興期になると動物性との関連が転倒し、動物は解き放たれ、伝承と道徳訓の世界から逃げだしてそれ固有の幻想性を手に入れる。こうして、驚くべき転倒によって今や動物の方が、人間の動静を窺い、彼を捕えて彼本来の真理を知らせようとするのである。錯乱した想像力から生れた奇怪な動物が、人間の隠された自然本性の姿となった。例えばそれは、グリューネヴァルトの『聖アントワーヌの誘惑』に現れる筋ばった手の猛禽類である」。
    因みに、右側パネルは「聖アントニウスの聖パウロ訪問」です。

  • ピーテル・ブリューゲル『ネーデルラントのことわざ』(1559年 ベルリン国立美術館蔵) <br />1枚の絵に100以上の「ことわざ」を詰め合わせた寓意的な作品です。前景の中央には、赤い服の女性が年老いた夫に青いマントを着せています。青は「空虚、虚栄、欺瞞、無知、愚行」を意味する色であり、また、「夫に青いマントを着せる」ということわざには「夫を裏切る」という意味があります。 この青色は、この作品の随所に現れ、懲りない人間の愚行の数々を象徴しています。<br />例えば、画面の左端の家の2階には、上下逆になった地球儀が「世界は上下逆さま」=「秩序の反転」、「地球に糞をする人物」=「全てを軽視する」、中央の青い屋根のある家では「悪魔に懺悔する人物」=「敵に告白する」を描いています。

    ピーテル・ブリューゲル『ネーデルラントのことわざ』(1559年 ベルリン国立美術館蔵)
    1枚の絵に100以上の「ことわざ」を詰め合わせた寓意的な作品です。前景の中央には、赤い服の女性が年老いた夫に青いマントを着せています。青は「空虚、虚栄、欺瞞、無知、愚行」を意味する色であり、また、「夫に青いマントを着せる」ということわざには「夫を裏切る」という意味があります。 この青色は、この作品の随所に現れ、懲りない人間の愚行の数々を象徴しています。
    例えば、画面の左端の家の2階には、上下逆になった地球儀が「世界は上下逆さま」=「秩序の反転」、「地球に糞をする人物」=「全てを軽視する」、中央の青い屋根のある家では「悪魔に懺悔する人物」=「敵に告白する」を描いています。

  • ピーテル・ブリューゲル『ネーデルラントのことわざ』<br />左下の隅に描かれているのは、「悪魔を枕に押さえつけることさえ可能」=「全てに打ち勝つ男らしさ」を表します。本来の意味なら男性で描かれるべきですが、悪魔を押さえ付けるほど強い女性として、その時代を風刺しています。<br />その直ぐ上、「柱を噛む人」=「偏執的な信仰を持つ人」、つまり偽善者です。<br />その上、魚を焼く人は「ニシンはここで揚げない」=「計画通りでない」。また「卵を食べるためにニシン全てを揚げる」=「小さな目的のためにやり過ぎること」。また、「帽子を被る」=「最終的に責任をとること」。<br />そのすぐ右下、「片手に炎、片手に水を持つ者を信じるな」=「2面性のある者を信じるな」。<br />その右、「樽の栓を引き抜く豚」=「天災いは忘れた頃にやってくる」。<br />その右、「煉瓦の壁に頭を打ち付ける」=「無謀なチャレンジ」。また、壁に頭をぶつけている人は片足が裸足です。これは「片足に靴、もう一方は裸足」=「バランスが大切」。<br />その上、「猫の首に鈴を付ける」=「進んで危険なことを請負うこと」。鎧を纏いナイフをくわえた男性は、「歯まで武装」=「完全武装」、それに加え「鎧を纏う」=「怒っている」。<br />その上、雌鶏を触っている人は卵の量を心配しており、「不確かなことに依存する」様子を表します。<br />壁の右側、羊毛を刈る者と豚毛を刈る者が居り、これは「一方は有利で他方は不利」=「一長一短」であることを示します。更に、「有利だからといってやりすぎないように」という意味の「毛刈りはしても皮は剥ぐな」も表現しています。

    ピーテル・ブリューゲル『ネーデルラントのことわざ』
    左下の隅に描かれているのは、「悪魔を枕に押さえつけることさえ可能」=「全てに打ち勝つ男らしさ」を表します。本来の意味なら男性で描かれるべきですが、悪魔を押さえ付けるほど強い女性として、その時代を風刺しています。
    その直ぐ上、「柱を噛む人」=「偏執的な信仰を持つ人」、つまり偽善者です。
    その上、魚を焼く人は「ニシンはここで揚げない」=「計画通りでない」。また「卵を食べるためにニシン全てを揚げる」=「小さな目的のためにやり過ぎること」。また、「帽子を被る」=「最終的に責任をとること」。
    そのすぐ右下、「片手に炎、片手に水を持つ者を信じるな」=「2面性のある者を信じるな」。
    その右、「樽の栓を引き抜く豚」=「天災いは忘れた頃にやってくる」。
    その右、「煉瓦の壁に頭を打ち付ける」=「無謀なチャレンジ」。また、壁に頭をぶつけている人は片足が裸足です。これは「片足に靴、もう一方は裸足」=「バランスが大切」。
    その上、「猫の首に鈴を付ける」=「進んで危険なことを請負うこと」。鎧を纏いナイフをくわえた男性は、「歯まで武装」=「完全武装」、それに加え「鎧を纏う」=「怒っている」。
    その上、雌鶏を触っている人は卵の量を心配しており、「不確かなことに依存する」様子を表します。
    壁の右側、羊毛を刈る者と豚毛を刈る者が居り、これは「一方は有利で他方は不利」=「一長一短」であることを示します。更に、「有利だからといってやりすぎないように」という意味の「毛刈りはしても皮は剥ぐな」も表現しています。

  • ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年 ウィーン美術史博物館蔵)<br />ブリューゲルは、ベルギーのアントワープ、往時はネーデルランド、フランス語ではフランドルと呼ばれた地方で活躍しました。フランドル地方で有名だったのがボスで、一種独特の世界観を不気味な動物や怪物で表現し、一世を風靡しました。それが「フランドル絵画」と呼ばれるジャンルの始まりです。一般にフランドル絵画には風刺や暗喩が多用され、奥が深く全ての意味は解読されていないそうです。一説には、ボスは股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをする習慣があり、その姿勢の最中に亡くなったそうです。日本三景「天橋立」の発想と近いものがあるのかもしれません。<br />さてブリューゲルの描いた『バベルの塔』は3点ありましたが、その内の1点はすでに存在しません。また、2017年に来日した作品は、「小バベル」と呼ばれる作品です。最も有名な作品がこの「大バベル」です。因みに大・小は、絵のサイズの違いを言います。

    ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年 ウィーン美術史博物館蔵)
    ブリューゲルは、ベルギーのアントワープ、往時はネーデルランド、フランス語ではフランドルと呼ばれた地方で活躍しました。フランドル地方で有名だったのがボスで、一種独特の世界観を不気味な動物や怪物で表現し、一世を風靡しました。それが「フランドル絵画」と呼ばれるジャンルの始まりです。一般にフランドル絵画には風刺や暗喩が多用され、奥が深く全ての意味は解読されていないそうです。一説には、ボスは股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをする習慣があり、その姿勢の最中に亡くなったそうです。日本三景「天橋立」の発想と近いものがあるのかもしれません。
    さてブリューゲルの描いた『バベルの塔』は3点ありましたが、その内の1点はすでに存在しません。また、2017年に来日した作品は、「小バベル」と呼ばれる作品です。最も有名な作品がこの「大バベル」です。因みに大・小は、絵のサイズの違いを言います。

  • ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』<br />農民風俗を描き「農民ブリューゲル」と称された画家には珍しく、『旧約聖書』「創世記」にある古代バビロニアのバベルの塔がモチーフです。「ノアの洪水後、驕り高ぶった野心に満ちた人間が、神の領域を侵すが如く天を突く巨塔を築き始め、その傲慢さが神の逆鱗に触れ、神は人々の言葉を混乱させて意思疎通を絶ち、そして塔建設は破綻した」というあらすじです。現在、我々が異なる言語を話す元凶はこのバベルの塔にあるとされ、また科学技術に対する過信を戒めているとの解釈もあり、今の世にも繋がるものがあります。<br />残存する2点の『バベルの塔』はブリューゲルが生涯で見た最大の建築物「コロッセオ」をモデルにしたとされますが、実際には想像でカバーした部分の方が多いと思われます。神の視点で壮大なテーマを描きつつ、架空の建物を主役にここまで緻密に描き込む想像力がブリューゲルの真骨頂です。建築について相当の知識を持ち、あるべき構造を考え抜いて描いているのが伝わってきます。

    ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
    農民風俗を描き「農民ブリューゲル」と称された画家には珍しく、『旧約聖書』「創世記」にある古代バビロニアのバベルの塔がモチーフです。「ノアの洪水後、驕り高ぶった野心に満ちた人間が、神の領域を侵すが如く天を突く巨塔を築き始め、その傲慢さが神の逆鱗に触れ、神は人々の言葉を混乱させて意思疎通を絶ち、そして塔建設は破綻した」というあらすじです。現在、我々が異なる言語を話す元凶はこのバベルの塔にあるとされ、また科学技術に対する過信を戒めているとの解釈もあり、今の世にも繋がるものがあります。
    残存する2点の『バベルの塔』はブリューゲルが生涯で見た最大の建築物「コロッセオ」をモデルにしたとされますが、実際には想像でカバーした部分の方が多いと思われます。神の視点で壮大なテーマを描きつつ、架空の建物を主役にここまで緻密に描き込む想像力がブリューゲルの真骨頂です。建築について相当の知識を持ち、あるべき構造を考え抜いて描いているのが伝わってきます。

  • ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』<br />傲慢、迫害、混乱の象徴とされる2重アーケードや2重螺旋構造には、「コロッセオ」の影響が見られます。また、螺旋状の不安定な構造や塔の基盤となる下層部が未完成な中、すでに上層部の工事が始められているのは「破綻の予兆」を暗示しています。元々、16世紀のオランダ語の諺「バベルの塔を建てる」は、実現不可能な巨大プロジェクトを始めるという意味で使われていました。<br />更に、キャンバス左下には、灰色のマントを纏ったニムロデ王を象徴的に描いています。彼は『旧約聖書』に登場する王で、自身の力を誇示せんがためにバベルの塔の建設を命じたとされ、ノアの方舟に登場するノアの子孫でもあります。因みに、タロットカードで最も悪いこと示す「塔」のカードは、このバベルの塔が由来との説もあります。

    ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
    傲慢、迫害、混乱の象徴とされる2重アーケードや2重螺旋構造には、「コロッセオ」の影響が見られます。また、螺旋状の不安定な構造や塔の基盤となる下層部が未完成な中、すでに上層部の工事が始められているのは「破綻の予兆」を暗示しています。元々、16世紀のオランダ語の諺「バベルの塔を建てる」は、実現不可能な巨大プロジェクトを始めるという意味で使われていました。
    更に、キャンバス左下には、灰色のマントを纏ったニムロデ王を象徴的に描いています。彼は『旧約聖書』に登場する王で、自身の力を誇示せんがためにバベルの塔の建設を命じたとされ、ノアの方舟に登場するノアの子孫でもあります。因みに、タロットカードで最も悪いこと示す「塔」のカードは、このバベルの塔が由来との説もあります。

  • ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』<br />この絵画にはもうひとつの愉しみ方があり、それはブリューゲルの遊び心とも言えます。小さな画集では確認できないほどのサイズで1400人もの人物が緻密に描かれ、その中には「立小便」や「大便」をしているつわものが数人いるらしいのです。しかし本家のウィーン美術史美術館では、見つけようと絵画に近付くと近接センサーが作動して警報が鳴り響き、即座に警備員が駆けつけるそうです。因みに「大便」をしている人は、お尻をこちら側に向けてしゃがんでおり、お尻から「う○ち」が半分垂れ下がったリアルな状況で描かれています。<br />描かれている場所は、上の写真の茂みの陰です(ほぼ中央)。ニムロデ王に向けて排便していることから、傲慢な独裁者へのアイロニーと窺えます。

    ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
    この絵画にはもうひとつの愉しみ方があり、それはブリューゲルの遊び心とも言えます。小さな画集では確認できないほどのサイズで1400人もの人物が緻密に描かれ、その中には「立小便」や「大便」をしているつわものが数人いるらしいのです。 しかし本家のウィーン美術史美術館では、見つけようと絵画に近付くと近接センサーが作動して警報が鳴り響き、即座に警備員が駆けつけるそうです。 因みに「大便」をしている人は、お尻をこちら側に向けてしゃがんでおり、お尻から「う○ち」が半分垂れ下がったリアルな状況で描かれています。
    描かれている場所は、上の写真の茂みの陰です(ほぼ中央)。ニムロデ王に向けて排便していることから、傲慢な独裁者へのアイロニーと窺えます。

  • ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』<br />こちらが立小便をしている輩です。

    ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
    こちらが立小便をしている輩です。

  • カフェ・ド・ジヴェルニー<br />地下2階「カフェ・ド・ジヴェルニー」は、モネ・ファンにお勧めのカフェです。白・赤・緑の3色を基調とした清潔感溢れるインテリアでコーディネートされています。ジヴェルニーはモネのアトリエがあった場所ですので、カフェの外に広がるモネの池を眺めながら、食事が愉しめます。<br />期間限定ですが、『睡蓮 緑のハーモニー』をイメージした「モネのパンケーキ」が有名です。

    カフェ・ド・ジヴェルニー
    地下2階「カフェ・ド・ジヴェルニー」は、モネ・ファンにお勧めのカフェです。白・赤・緑の3色を基調とした清潔感溢れるインテリアでコーディネートされています。ジヴェルニーはモネのアトリエがあった場所ですので、カフェの外に広がるモネの池を眺めながら、食事が愉しめます。
    期間限定ですが、『睡蓮 緑のハーモニー』をイメージした「モネのパンケーキ」が有名です。

  • カフェ・ド・ジヴェルニー<br />ふと窓の外を見ると真正面に「青い睡蓮」が咲いているではありませんか?<br />青い睡蓮は、モネが住んでいたジヴェルニーでは気候が合わずに咲かせることができず、想像で描いた睡蓮と言われています。<br />睡蓮の季節は終わったと思っていたのですが、青い睡蓮だけが行く夏を惜しむかのように、雨に打たれながらもけなげに花を咲かせていました。

    カフェ・ド・ジヴェルニー
    ふと窓の外を見ると真正面に「青い睡蓮」が咲いているではありませんか?
    青い睡蓮は、モネが住んでいたジヴェルニーでは気候が合わずに咲かせることができず、想像で描いた睡蓮と言われています。
    睡蓮の季節は終わったと思っていたのですが、青い睡蓮だけが行く夏を惜しむかのように、雨に打たれながらもけなげに花を咲かせていました。

  • カフェ・ド・ジヴェルニー<br />「モネのパンケーキ」がなかったため、代わりに「ヴィーナスのカレー」を注文しました。貝殻型のお皿に海老天が載せられたユニークなものです。大塚「ボンカレー」のような味かと思いましたが、結構濃厚な大人向けの味にまとめられています。<br />主人は、阿波尾鶏チキンカツ丼です。歯ごたえ充分の分厚いカツです。鯛丼が気になっていたようですが、ディナーバイキングで好きなだけ食べることができるようなので、急遽メニュー変更です。阿波尾鶏を使った焼き鳥がいっぱいありましたが…。

    カフェ・ド・ジヴェルニー
    「モネのパンケーキ」がなかったため、代わりに「ヴィーナスのカレー」を注文しました。貝殻型のお皿に海老天が載せられたユニークなものです。大塚「ボンカレー」のような味かと思いましたが、結構濃厚な大人向けの味にまとめられています。
    主人は、阿波尾鶏チキンカツ丼です。歯ごたえ充分の分厚いカツです。鯛丼が気になっていたようですが、ディナーバイキングで好きなだけ食べることができるようなので、急遽メニュー変更です。阿波尾鶏を使った焼き鳥がいっぱいありましたが…。

  • モネの池<br />2018年、大塚食品「ボンカレー」が発売されてから半世紀を迎えます。<br />ことの発端は、1964年にカレー粉や固形カレーを製造販売する会社を大塚グループが引き継いだことです。しかし、他社と同じものでは勝機はなく、差別化が求められました。<br />ヒントになったのが、米国専門誌『モダン・パッケージ』の記事でした。缶詰に代わる軍用携帯食としてソーセージの真空パックが紹介されていました。これを契機に、「お湯で温めるだけで食べられるカレー」をコンセプトに開発が始められました。レトルトパウチの製造方法は、点滴液を高温で殺菌する技術を応用し、試行錯誤の末に開発されました。つまり、「医」と「食」を融合させた、「医食同源」の発想です。<br />こうして1968年2月12日、世界初の市販レトルトカレー「ボンカレー」が誕生しました。ネーミングは、フランス語のBON(おいしい)とCURRY(カレー)の組合わせです。翌年には全国発売され、パッケージに女優 松山容子さんを起用し、牛肉・野菜入りと大きく書かれていたのが記憶に鮮やかです。全国的にブレイクした要因は、着物のままカレーを作るというTVCMの意外性だったそうです。当時はカラーテレビの普及と相俟って、情報媒体としてTVはお茶の間の主役でした。最近は奇を衒うCMが氾濫していますが、CM制作者の「温故知新」になればと思います。

    モネの池
    2018年、大塚食品「ボンカレー」が発売されてから半世紀を迎えます。
    ことの発端は、1964年にカレー粉や固形カレーを製造販売する会社を大塚グループが引き継いだことです。しかし、他社と同じものでは勝機はなく、差別化が求められました。
    ヒントになったのが、米国専門誌『モダン・パッケージ』の記事でした。缶詰に代わる軍用携帯食としてソーセージの真空パックが紹介されていました。これを契機に、「お湯で温めるだけで食べられるカレー」をコンセプトに開発が始められました。レトルトパウチの製造方法は、点滴液を高温で殺菌する技術を応用し、試行錯誤の末に開発されました。つまり、「医」と「食」を融合させた、「医食同源」の発想です。
    こうして1968年2月12日、世界初の市販レトルトカレー「ボンカレー」が誕生しました。ネーミングは、フランス語のBON(おいしい)とCURRY(カレー)の組合わせです。翌年には全国発売され、パッケージに女優 松山容子さんを起用し、牛肉・野菜入りと大きく書かれていたのが記憶に鮮やかです。全国的にブレイクした要因は、着物のままカレーを作るというTVCMの意外性だったそうです。当時はカラーテレビの普及と相俟って、情報媒体としてTVはお茶の間の主役でした。最近は奇を衒うCMが氾濫していますが、CM制作者の「温故知新」になればと思います。

  • モネの池<br />徳島名産の阿波尾鶏は、徳島県立農林水産総合技術支援センター畜産研究所が10年の歳月をかけて開発した肉用鶏です。外国産の大量輸入で国内養鶏産業が大打撃を受けたのが起爆剤になり、大型で肉質が良く、強健な赤笹系軍鶏(阿波地鶏)の雄とブロイラー専用種の白色プリマスロックの雌を交配して開発されました。<br />真夏のイベント「阿波踊り」の強烈なエネルギーと躍動感溢れる郷土色豊かな鶏という意味を込め、その尾羽の美しい姿をイメージして命名されました。2001年に安心・安全な「特定JAS地鶏」に認定され、2011年には出荷数、シェア共に丹波地どり、名古屋コーチン、比内地鶏、薩摩地鶏などを抑えて国内トップになり、その座を維持しています。2016年は210万羽を出荷し、シェアはダントツの34%を占めます。<br />通常のブロイラーの飼育期間は55日ですが、阿波尾鶏は80日以上かけて育てます。そのため肉色はやや赤みを帯び、低脂肪で適度な歯ごたえがあり、甘みとコクがあります。肉の旨味成分であるアミノ酸組成(アスパラギン酸、グルタミン酸)の含量が、他の鶏種に比べて多いのが特徴です。<br />2003年には、キャンペーンソング『徳島の地鶏 阿波尾鶏』が制作されました。作詞:丸本昌男氏、作曲:城みちる氏、オリジナルは遠藤晴香さんが歌われているそうです。

    モネの池
    徳島名産の阿波尾鶏は、徳島県立農林水産総合技術支援センター畜産研究所が10年の歳月をかけて開発した肉用鶏です。外国産の大量輸入で国内養鶏産業が大打撃を受けたのが起爆剤になり、大型で肉質が良く、強健な赤笹系軍鶏(阿波地鶏)の雄とブロイラー専用種の白色プリマスロックの雌を交配して開発されました。
    真夏のイベント「阿波踊り」の強烈なエネルギーと躍動感溢れる郷土色豊かな鶏という意味を込め、その尾羽の美しい姿をイメージして命名されました。2001年に安心・安全な「特定JAS地鶏」に認定され、2011年には出荷数、シェア共に丹波地どり、名古屋コーチン、比内地鶏、薩摩地鶏などを抑えて国内トップになり、その座を維持しています。2016年は210万羽を出荷し、シェアはダントツの34%を占めます。
    通常のブロイラーの飼育期間は55日ですが、阿波尾鶏は80日以上かけて育てます。そのため肉色はやや赤みを帯び、低脂肪で適度な歯ごたえがあり、甘みとコクがあります。肉の旨味成分であるアミノ酸組成(アスパラギン酸、グルタミン酸)の含量が、他の鶏種に比べて多いのが特徴です。
    2003年には、キャンペーンソング『徳島の地鶏 阿波尾鶏』が制作されました。作詞:丸本昌男氏、作曲:城みちる氏、オリジナルは遠藤晴香さんが歌われているそうです。

  • モネの池<br />池の先の楕円空間に巨大な名画が現れます。<br />モネの『大睡蓮』です。モネの言葉通り、心静かな瞑想の場を与えてくれます。『大睡蓮』の水色と海の碧、鈍色の空のハーモニーが、この絵を心に鮮やかに焼き付けます。本当は、蒼空が最高だったのですが…。<br />因みに、2017年11月28日~12月31日の間は、更新工事に伴い『大睡蓮』は鑑賞できないようです。

    モネの池
    池の先の楕円空間に巨大な名画が現れます。
    モネの『大睡蓮』です。モネの言葉通り、心静かな瞑想の場を与えてくれます。『大睡蓮』の水色と海の碧、鈍色の空のハーモニーが、この絵を心に鮮やかに焼き付けます。本当は、蒼空が最高だったのですが…。
    因みに、2017年11月28日~12月31日の間は、更新工事に伴い『大睡蓮』は鑑賞できないようです。

  • モネ『大睡蓮』(1920~26年 オランジュリー美術館蔵)<br />モネ晩年の大作が屋外展示されています。陶板画でしか不可能な大胆不敵な展示です。モネは、8枚の『睡蓮』の連作をフランス政府に寄付する条件を6つ挙げました。モネの遺志は、条件が厳し過ぎてすぐには日の目をみませんでしたが、モネ没の翌年に2室からなるオランジュリー美術館の開館で実現されました。建築家カミーユ・レフェーヴルが、ナポレオン3世が築いた温室(オランジュリー)を改造し、ガラス天井から外光が燦々と降り注ぐモネの遺志通りの美術館に仕上げました。<br />一時期、フランスの美術館では絵画の写真撮影が禁止されていましたが、「Tous photographes規約」に基づき、現在は解禁されています。簡単に言えば、「国の文化遺産施設での写真撮影を許可する」というもので、「SNSで公開して皆で共有しよう」という発想です。立ち遅れている日本の美術館もこうなるといいのですが…。現在開催中の兵庫県立美術館「大エルミタージュ展」も『戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像』だけは写真撮影OKのようです。愛知県立美術館では金曜日は全作品撮影OKだったようです。同じ作品展で兵庫県の対応が違う理由は、比較的年齢層の高い客層への配慮だとのことです。今後の展開に期待したいところです。

    モネ『大睡蓮』(1920~26年 オランジュリー美術館蔵)
    モネ晩年の大作が屋外展示されています。陶板画でしか不可能な大胆不敵な展示です。モネは、8枚の『睡蓮』の連作をフランス政府に寄付する条件を6つ挙げました。モネの遺志は、条件が厳し過ぎてすぐには日の目をみませんでしたが、モネ没の翌年に2室からなるオランジュリー美術館の開館で実現されました。建築家カミーユ・レフェーヴルが、ナポレオン3世が築いた温室(オランジュリー)を改造し、ガラス天井から外光が燦々と降り注ぐモネの遺志通りの美術館に仕上げました。
    一時期、フランスの美術館では絵画の写真撮影が禁止されていましたが、「Tous photographes規約」に基づき、現在は解禁されています。簡単に言えば、「国の文化遺産施設での写真撮影を許可する」というもので、「SNSで公開して皆で共有しよう」という発想です。立ち遅れている日本の美術館もこうなるといいのですが…。現在開催中の兵庫県立美術館「大エルミタージュ展」も『戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像』だけは写真撮影OKのようです。愛知県立美術館では金曜日は全作品撮影OKだったようです。同じ作品展で兵庫県の対応が違う理由は、比較的年齢層の高い客層への配慮だとのことです。今後の展開に期待したいところです。

  • モネ『大睡蓮』<br />オランジュリー美術館にある「大睡蓮」は2つの楕円形で展示されていますが、ここはそのうちの第2室を陶板画で原寸大で再現したものです。<br />モネがランス政府に寄付する条件として提示したのは、次の6項目です。<br />こうして『大睡蓮』の前に佇むとオランジュリー美術館「睡蓮の間」を訪れた時の記憶がフラッシュバックしてきます。<br />①部屋を円形に造り、周囲を囲むように絵を飾ること。<br />②部屋には「睡蓮」だけを展示すること。<br />③絵は自然光の下で見られるようにすること。<br />④内装は白で統一していっさいの色をつけないこと。<br />⑤見る者と絵を遮るいっさいのものを置かないこと。<br />⑥展示は死後行うこと。

    モネ『大睡蓮』
    オランジュリー美術館にある「大睡蓮」は2つの楕円形で展示されていますが、ここはそのうちの第2室を陶板画で原寸大で再現したものです。
    モネがランス政府に寄付する条件として提示したのは、次の6項目です。
    こうして『大睡蓮』の前に佇むとオランジュリー美術館「睡蓮の間」を訪れた時の記憶がフラッシュバックしてきます。
    ①部屋を円形に造り、周囲を囲むように絵を飾ること。
    ②部屋には「睡蓮」だけを展示すること。
    ③絵は自然光の下で見られるようにすること。
    ④内装は白で統一していっさいの色をつけないこと。
    ⑤見る者と絵を遮るいっさいのものを置かないこと。
    ⑥展示は死後行うこと。

  • フラ・アンジェリコ『受胎告知』(1430年頃 サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院)<br />ROOM#28~29は、「受胎告知」をテーマにした絵画を揃えています。<br />15世紀のフィレンツェ派を代表する、「光の画家」と称されるアンジェリコの傑作です。敬称「フラ・アンジェリコ」は「天使のような画僧」という意味で、本名はグイード・ディ・ピエトロと言います。彼の性格をよく表すエピソードがあります。教皇ニコラウス5世から「肉でも食べようか」と食事の誘いを受けた際、彼は「修道院長の許可なしに、肉は食べられません」と断ったそうです。また、磔刑図を描く時は、頬を涙で濡らしながら描いたとも。アンジェリコは何枚も「受胎告知」を描いており、この作品の他にはプラド美術館蔵や司教区美術館蔵の作品が有名です。<br />この作品は、マリアと大天使ガブリエルの緊張の刹那を切り取ったテンペラ画で、修道院の修道士たちに向けて描かれたものです。従って衣装も簡素で、絵の下部にはラテン語で「この前を通って汚れなき聖母の姿を仰ぐ時、アベ・マリアを唱えることを忘れぬように」と記されています。<br />特徴は、マリアの表情が人間味に溢れ、かつ静謐な雰囲気を醸していることです。清楚なマリアと虹色に彩られた天使の翼の対比も見所です。また、お決まりのマリアのアトリビュート「白百合」を封印しています。尚、聖霊は、メダイヨンに目立たない程度に鳩のプロフィールを描き込んでいます。

    フラ・アンジェリコ『受胎告知』(1430年頃 サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院)
    ROOM#28~29は、「受胎告知」をテーマにした絵画を揃えています。
    15世紀のフィレンツェ派を代表する、「光の画家」と称されるアンジェリコの傑作です。敬称「フラ・アンジェリコ」は「天使のような画僧」という意味で、本名はグイード・ディ・ピエトロと言います。彼の性格をよく表すエピソードがあります。教皇ニコラウス5世から「肉でも食べようか」と食事の誘いを受けた際、彼は「修道院長の許可なしに、肉は食べられません」と断ったそうです。また、磔刑図を描く時は、頬を涙で濡らしながら描いたとも。アンジェリコは何枚も「受胎告知」を描いており、この作品の他にはプラド美術館蔵や司教区美術館蔵の作品が有名です。
    この作品は、マリアと大天使ガブリエルの緊張の刹那を切り取ったテンペラ画で、修道院の修道士たちに向けて描かれたものです。従って衣装も簡素で、絵の下部にはラテン語で「この前を通って汚れなき聖母の姿を仰ぐ時、アベ・マリアを唱えることを忘れぬように」と記されています。
    特徴は、マリアの表情が人間味に溢れ、かつ静謐な雰囲気を醸していることです。清楚なマリアと虹色に彩られた天使の翼の対比も見所です。また、お決まりのマリアのアトリビュート「白百合」を封印しています。尚、聖霊は、メダイヨンに目立たない程度に鳩のプロフィールを描き込んでいます。

  • ティントレット『受胎告知』(1583~87年  サン・ロッコ同信会館蔵)<br />16世紀のヴェネツィア派を代表する画家です。ヴェネツィア派は、直接絵具で描き始め、途中で構図や形などを変えていくという自由奔放な描き方が特徴です。故に作品は大胆で、イマジネーションをベースに描かれます。<br />大胆不敵にも窓から飛び込んできた天使ガブリエルに対し、突然の事態にのけぞりながら恐れ慄くマリア。一般的な「受胎告知」をモチーフにした静謐な絵と比べ、迫力あるダイナミック感が伝わってきます。<br />マリアの驚きは、第1に天使が群れをなしてやってきたこと。第2に、身に覚えのない妊娠を告げられたこと。第3にそれが神の子だと告げられたこと。怯えた表情と広げられた手で、驚きを隠し切れない様子が鮮やかに表現されています。少し暗いトーンにし、マリアの戸惑いを強調しています。<br />例え神の意志とは言え、普通の女子だったマリアには理不尽なことであり、驚愕の出来事です。この絵の怖いポイントは、圧倒的かつ絶対的な力の前では人間は無力であることを感じさせることです。

    ティントレット『受胎告知』(1583~87年 サン・ロッコ同信会館蔵)
    16世紀のヴェネツィア派を代表する画家です。ヴェネツィア派は、直接絵具で描き始め、途中で構図や形などを変えていくという自由奔放な描き方が特徴です。故に作品は大胆で、イマジネーションをベースに描かれます。
    大胆不敵にも窓から飛び込んできた天使ガブリエルに対し、突然の事態にのけぞりながら恐れ慄くマリア。一般的な「受胎告知」をモチーフにした静謐な絵と比べ、迫力あるダイナミック感が伝わってきます。
    マリアの驚きは、第1に天使が群れをなしてやってきたこと。第2に、身に覚えのない妊娠を告げられたこと。第3にそれが神の子だと告げられたこと。怯えた表情と広げられた手で、驚きを隠し切れない様子が鮮やかに表現されています。少し暗いトーンにし、マリアの戸惑いを強調しています。
    例え神の意志とは言え、普通の女子だったマリアには理不尽なことであり、驚愕の出来事です。この絵の怖いポイントは、圧倒的かつ絶対的な力の前では人間は無力であることを感じさせることです。

  • ダ・ヴィンチ『受胎告知』(1472~1475年 ウフィッツィ美術館)<br />ダ・ヴィンチが20歳の時に描いた作品です。天使ガブリエルの翼は、それまで金色や虹色で描かれていましたが、リアルに鳥の羽の色彩で表現したのが彼の真骨頂です。また、こうしたリアリティを強く出ているのが、天使が持つ百合の花です。「受胎告知」では、百合の花のおしべは描かないのが不文律でした。それは、百合の花が純潔、「無原罪の御宿り」のシンボルだからです。しかし、彼は敢えておしべを描いています。その理屈が、「画家は自然を師としなければならない。画家は自然を模し自然と相競う」。<br />「作家は処女作に向かって成長する」という言葉があります。通常、初期作品には、その画家なり彫刻家の本質的部分が現れているそうです。ダ・ヴィンチの場合も、微妙なやや曇りがちの夕方の光明、マリアのあるかなきかの僅かな表情、背後に見える靄に霞んだ風景などが挙げられます。そうしたところに『モナ・リザ』に通じるものが感じられます。

    ダ・ヴィンチ『受胎告知』(1472~1475年 ウフィッツィ美術館)
    ダ・ヴィンチが20歳の時に描いた作品です。天使ガブリエルの翼は、それまで金色や虹色で描かれていましたが、リアルに鳥の羽の色彩で表現したのが彼の真骨頂です。また、こうしたリアリティを強く出ているのが、天使が持つ百合の花です。「受胎告知」では、百合の花のおしべは描かないのが不文律でした。それは、百合の花が純潔、「無原罪の御宿り」のシンボルだからです。しかし、彼は敢えておしべを描いています。その理屈が、「画家は自然を師としなければならない。画家は自然を模し自然と相競う」。
    「作家は処女作に向かって成長する」という言葉があります。通常、初期作品には、その画家なり彫刻家の本質的部分が現れているそうです。ダ・ヴィンチの場合も、微妙なやや曇りがちの夕方の光明、マリアのあるかなきかの僅かな表情、背後に見える靄に霞んだ風景などが挙げられます。そうしたところに『モナ・リザ』に通じるものが感じられます。

  • ラファエロの間 署名の間 『アテネの学堂』(1509~10年 バチカン博物館蔵) <br />教皇ユリウス2世は、25歳のラファエロを大抜擢して自らの居室にフレスコ画を描かせました。ラファエロの間は、コンスタンティヌスの間、ヘリオドロスの間、署名の間、ボルゴの火災の間の4部屋あります。但し、コンスタンティヌスの間に描かれた絵は、ラファエロが制作中に亡くなったため、大部分が弟子の手によるものです。<br />最初に着手した「署名の間」は全面的にラファエロが描いたものとされ、その代表作が『アテネの学堂』です。遠近法を用いた奥行きのある建築空間に、哲学者たちを大勢描いています。内容といい、制作されたスピードといい、天才と称されたことを実感させる作品です。<br />「署名の間」の由来は、公式書類の署名が行われた部屋だったことです。『アテネの学堂』は、制作者の遊び心から古代学者をルネッサンス期に活躍した人物とダブらせて描いているのが興味深い処です。<br />中央左で天を指し、「知識の源・思想が天に由来する」と示唆しているのが、精神哲学者プラトン役のダ・ヴィンチです。指差しポーズは、ダ・ヴィンチのアレゴリーです。その右で「確実な実在の証」として手を大地に向けて広げているのが科学者アリストテレスですが、モデルは不明です。その2人の下方で座しているのは、自然哲学者ヘラクレイトス役のミケランジェロです。そして哲学者に交じってラファエロ自身も登場させています。下段の右端から2人目、黒いベレー帽を被りカメラ目線の人物がラファエロです。自らも古代学者に並ぶに相応しい存在だという自負の表れだそうです。<br />因みに古代エジプトの女性数学者ヒュパティア役は、往時のラファエロの恋人マルガリータが務めています。手前左側に立つ白い服装の女性です。

    ラファエロの間 署名の間 『アテネの学堂』(1509~10年 バチカン博物館蔵) 
    教皇ユリウス2世は、25歳のラファエロを大抜擢して自らの居室にフレスコ画を描かせました。ラファエロの間は、コンスタンティヌスの間、ヘリオドロスの間、署名の間、ボルゴの火災の間の4部屋あります。但し、コンスタンティヌスの間に描かれた絵は、ラファエロが制作中に亡くなったため、大部分が弟子の手によるものです。
    最初に着手した「署名の間」は全面的にラファエロが描いたものとされ、その代表作が『アテネの学堂』です。遠近法を用いた奥行きのある建築空間に、哲学者たちを大勢描いています。内容といい、制作されたスピードといい、天才と称されたことを実感させる作品です。
    「署名の間」の由来は、公式書類の署名が行われた部屋だったことです。『アテネの学堂』は、制作者の遊び心から古代学者をルネッサンス期に活躍した人物とダブらせて描いているのが興味深い処です。
    中央左で天を指し、「知識の源・思想が天に由来する」と示唆しているのが、精神哲学者プラトン役のダ・ヴィンチです。指差しポーズは、ダ・ヴィンチのアレゴリーです。その右で「確実な実在の証」として手を大地に向けて広げているのが科学者アリストテレスですが、モデルは不明です。その2人の下方で座しているのは、自然哲学者ヘラクレイトス役のミケランジェロです。そして哲学者に交じってラファエロ自身も登場させています。下段の右端から2人目、黒いベレー帽を被りカメラ目線の人物がラファエロです。自らも古代学者に並ぶに相応しい存在だという自負の表れだそうです。
    因みに古代エジプトの女性数学者ヒュパティア役は、往時のラファエロの恋人マルガリータが務めています。手前左側に立つ白い服装の女性です。

  • ラファエロ・サンティ『大公の聖母』(1505~6年 パラティーナ美術館蔵 )<br />「聖母子の画家」と称されるラファエロの最高傑作で、漆黒の闇に聖母子を浮かべています。イエスは聖母の胸元と肩にその手を置き、聖母はその温もりに応えるかのように優しい母親の顔をしています。神聖なる聖母子と家庭的な母子の姿を、1枚の絵で両立させた秀作です。<br />しかし、ミステリアスな絵でもあります。300年近く美術史上から忽然と消え、18世紀末、トスカーナ大公フェルディナンド3世によって発見されました。大公はナポレオン侵攻によりトスカーナを離れた時もこの絵を肌身離さず持ち歩き、それが『大公の聖母』という画題の由来になっています。<br />ラファエロの聖母子画で背景が黒塗りされた作品は他になく、聖母子の神聖さを強調したものと考えられてきました。しかし近年の調査で、黒塗りされたのはラファエロの死後、18世紀だと判明したのです。X線調査により、背景には建物の柱や丘のような風景が描かれていたのが明らかになりました。では、何故黒く塗り潰されたのでしょうか?調査によると、背景の彩色はベージュ系だけだったようです。これは、風景を描くには不自然です。そこから推測すると、この絵は未完成だったと思われます。ラファエロは絵の構想を思い悩むうちにローマ教皇庁に招かれ、戻り次第完成させるつもりでローマに旅立ったのではないか?しかし、ローマで急病で亡くなり、この絵は未完のまま残された…。<br />何時、誰がどのような理由で背景を黒塗りしたのかは、今後の研究の成果が待たれるところです。

    ラファエロ・サンティ『大公の聖母』(1505~6年 パラティーナ美術館蔵 )
    「聖母子の画家」と称されるラファエロの最高傑作で、漆黒の闇に聖母子を浮かべています。イエスは聖母の胸元と肩にその手を置き、聖母はその温もりに応えるかのように優しい母親の顔をしています。神聖なる聖母子と家庭的な母子の姿を、1枚の絵で両立させた秀作です。
    しかし、ミステリアスな絵でもあります。300年近く美術史上から忽然と消え、18世紀末、トスカーナ大公フェルディナンド3世によって発見されました。大公はナポレオン侵攻によりトスカーナを離れた時もこの絵を肌身離さず持ち歩き、それが『大公の聖母』という画題の由来になっています。
    ラファエロの聖母子画で背景が黒塗りされた作品は他になく、聖母子の神聖さを強調したものと考えられてきました。しかし近年の調査で、黒塗りされたのはラファエロの死後、18世紀だと判明したのです。X線調査により、背景には建物の柱や丘のような風景が描かれていたのが明らかになりました。では、何故黒く塗り潰されたのでしょうか? 調査によると、背景の彩色はベージュ系だけだったようです。これは、風景を描くには不自然です。そこから推測すると、この絵は未完成だったと思われます。ラファエロは絵の構想を思い悩むうちにローマ教皇庁に招かれ、戻り次第完成させるつもりでローマに旅立ったのではないか?しかし、ローマで急病で亡くなり、この絵は未完のまま残された…。
    何時、誰がどのような理由で背景を黒塗りしたのかは、今後の研究の成果が待たれるところです。

  • ジュゼッペ・アルチンボルドの展示コーナーです。<br />アルチンボルドは、ルネッサンス後期の「マニエリスム」を代表する画家のひとりです。マニエリスムは、「マンネリ」と語源が同じで、手法や様式などの「型」を指します。つまり、ルネッサンスで極めた芸術の奥義からの脱皮が叫ばれ、画家たちには受難の時代でした。アルチンボルドは、野菜や果物等で描いた「だまし絵風肖像画」で知られ、「奇想の画家」とも呼ばれました。その才能をハプスブルク家3代に亘る神聖ローマ皇帝に認められ、ウィーンやプラハの宮廷画家として活躍しましたが、没後は日が当たらず、1930年代にシュルレアリストたちによって再評価されて脚光を浴びることになりました。

    ジュゼッペ・アルチンボルドの展示コーナーです。
    アルチンボルドは、ルネッサンス後期の「マニエリスム」を代表する画家のひとりです。マニエリスムは、「マンネリ」と語源が同じで、手法や様式などの「型」を指します。つまり、ルネッサンスで極めた芸術の奥義からの脱皮が叫ばれ、画家たちには受難の時代でした。アルチンボルドは、野菜や果物等で描いた「だまし絵風肖像画」で知られ、「奇想の画家」とも呼ばれました。その才能をハプスブルク家3代に亘る神聖ローマ皇帝に認められ、ウィーンやプラハの宮廷画家として活躍しましたが、没後は日が当たらず、1930年代にシュルレアリストたちによって再評価されて脚光を浴びることになりました。

  • ジュゼッペ・アルチンボルド 「四大元素」『水』(1568年頃 ウィーン美術史美術館蔵)<br />1569年にマクシミリアン2世に献上した連作作品です。宇宙の構成要素(大気、火、大地、水)を組み合わせ、世界の支配者たる皇帝を讃えた作品です。大航海時代の到来という時代背景もあり、王侯貴族が世界中の珍奇な物を収集し陳列する「驚異の部屋」づくりに励んでいたのも奏功しました。<br />『水』では、62種の魚類や海獣などの水に関連する生き物をパーツに、それらを巧妙に組合せて人物を描いています。「マンボウの目を人物の目」、「サメの開いた口を人物の口」、「ウニのトゲを王冠」にしているのは、思わず頬が弛んでしまいます。インパクト充分で、子どもでも興味を示すこと間違いなしの絵だと思います。

    ジュゼッペ・アルチンボルド 「四大元素」『水』(1568年頃 ウィーン美術史美術館蔵)
    1569年にマクシミリアン2世に献上した連作作品です。宇宙の構成要素(大気、火、大地、水)を組み合わせ、世界の支配者たる皇帝を讃えた作品です。大航海時代の到来という時代背景もあり、王侯貴族が世界中の珍奇な物を収集し陳列する「驚異の部屋」づくりに励んでいたのも奏功しました。
    『水』では、62種の魚類や海獣などの水に関連する生き物をパーツに、それらを巧妙に組合せて人物を描いています。「マンボウの目を人物の目」、「サメの開いた口を人物の口」、「ウニのトゲを王冠」にしているのは、思わず頬が弛んでしまいます。インパクト充分で、子どもでも興味を示すこと間違いなしの絵だと思います。

  • 『四季』「春」(1573年 ルーヴル美術館蔵)<br />ヨーロッパ宮廷に「外交上の贈り物」として出回ったアルチンボルドの代表作『四季』の中の『春』です。彼は同じテーマで幾つも作品を残しており、本作は1573年に描かれたものです。ルーブル美術館のアンケート調査によると、『モナ・リザ』に次いで来館者の注目を集めている作品だそうです。ここに描かれた植物は、なんと81種類あるそうです。<br />美術史家ジャコモ・ベッラ氏によると、カラヴァッジョ作『病めるバッカス』と『メドゥーサ』にアルチンボルドの『四季』の影響が見られると述べています。グロテスクな人物の容貌を的確に捉えた素描のことを言っているのだと思います。

    『四季』「春」(1573年 ルーヴル美術館蔵)
    ヨーロッパ宮廷に「外交上の贈り物」として出回ったアルチンボルドの代表作『四季』の中の『春』です。彼は同じテーマで幾つも作品を残しており、本作は1573年に描かれたものです。ルーブル美術館のアンケート調査によると、『モナ・リザ』に次いで来館者の注目を集めている作品だそうです。ここに描かれた植物は、なんと81種類あるそうです。
    美術史家ジャコモ・ベッラ氏によると、カラヴァッジョ作『病めるバッカス』と『メドゥーサ』にアルチンボルドの『四季』の影響が見られると述べています。グロテスクな人物の容貌を的確に捉えた素描のことを言っているのだと思います。

  • ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『ウルビーノのヴィーナス』(1538年 ウフィツィ美術館蔵)<br />裸婦像を描く上での雛形になったとされる作品です。女性モデルは、後のウルビーノ公グイドバルド・デラ・ローヴェレの妻と伝えられています。タイトルにあるウルビーノとは、ローマの都市名で、その統治者ローヴェレの依頼で制作された女神像です。背景には2人の侍女が花嫁道具を長びつに収める様子が描かれ、ヴィーナスの足元には忠誠や貞節を表す犬が描かれていることから、結婚祝いのために描かれた作品とされています。往時、ヴィーナスは結婚の守護神とされ、その右手からは愛の象徴である赤い薔薇が溢れています。<br />因みにこの絵には、絵の中のヴィーナスが鑑賞者を追うように挑発的に視線をずらすという不可思議現象が見られます。鑑賞者を絵画の目が追う仕組みは、ある1点を見るように眼球の位置を調節し、それから眼球を少し外側にずらすように描くと、絵の人物像の視線が鑑賞者を追うようになるそうです。この現象を「モナ・リザ視線異方性効果」と呼んでいます。

    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『ウルビーノのヴィーナス』(1538年 ウフィツィ美術館蔵)
    裸婦像を描く上での雛形になったとされる作品です。女性モデルは、後のウルビーノ公グイドバルド・デラ・ローヴェレの妻と伝えられています。タイトルにあるウルビーノとは、ローマの都市名で、その統治者ローヴェレの依頼で制作された女神像です。背景には2人の侍女が花嫁道具を長びつに収める様子が描かれ、ヴィーナスの足元には忠誠や貞節を表す犬が描かれていることから、結婚祝いのために描かれた作品とされています。往時、ヴィーナスは結婚の守護神とされ、その右手からは愛の象徴である赤い薔薇が溢れています。
    因みにこの絵には、絵の中のヴィーナスが鑑賞者を追うように挑発的に視線をずらすという不可思議現象が見られます。鑑賞者を絵画の目が追う仕組みは、ある1点を見るように眼球の位置を調節し、それから眼球を少し外側にずらすように描くと、絵の人物像の視線が鑑賞者を追うようになるそうです。この現象を「モナ・リザ視線異方性効果」と呼んでいます。

  • レンブラント・ファン・レイン『ダナエ』(1636年 エルミタージュ美術館蔵)<br />ダナエは、ギリシア神話に登場するアルゴス王アクリシオスの娘で、王により人目に触れない青銅の塔に幽閉されました。何故なら、孫が王を殺すとの神託を真に受けたからです。ところが、幽門された彼女を見初めたゼウス(ユピテル)が黄金の雨に姿を変えて密かに彼女と交わり、英雄ペルセウスが生まれました。王は怒り、母子を箱に詰めて海に流すも箱はセリポス島に漂着し、やがてペルセウスは成長して帰国し、円盤投げ競技に参加しました。そして彼の投げた円盤が王に当たり、王は予言通り死ぬというあらすじです。<br />ダナエは多くの画家が描きましたが、レンブラントの作品には3つの特徴があります。まず、右手を上げた独創的なポーズです。これは、ゼウスとの交わりへのダナエの意思表示です。次に、キューピッドが手を縛られ、苦しげに顔を歪めています。これは、ダナエの幽門を暗示するとも、純潔を表すともされています。また、黄金の雨と化したゼウスを暗示させるものはどこにもありません。それ故、「ダナエ」ではないとの論評もあったほどです。リアリティを追求した裸婦の表現と、レンブラント独特の強烈な光の明暗が強いインパクトを与える1枚です。<br />哀しいことに、1985年、リトアニア人青年が硫酸をかけた上、刃物で2度切りつける惨事が起こっています。その結果、ダナエの顔など、絵の中央部分は絵の具が流れ落ちてしまったそうです。動機については、政治的な理由を挙げたり、「ダナエに誘われ、交わるためだった」と語ったそうです。精神鑑定の結果、精神分裂症と診断されています。1997年まで、12年間かけて修復作業が行われましたが、原画の輝きは失われてしまったそうです。

    レンブラント・ファン・レイン『ダナエ』(1636年 エルミタージュ美術館蔵)
    ダナエは、ギリシア神話に登場するアルゴス王アクリシオスの娘で、王により人目に触れない青銅の塔に幽閉されました。何故なら、孫が王を殺すとの神託を真に受けたからです。ところが、幽門された彼女を見初めたゼウス(ユピテル)が黄金の雨に姿を変えて密かに彼女と交わり、英雄ペルセウスが生まれました。王は怒り、母子を箱に詰めて海に流すも箱はセリポス島に漂着し、やがてペルセウスは成長して帰国し、円盤投げ競技に参加しました。そして彼の投げた円盤が王に当たり、王は予言通り死ぬというあらすじです。
    ダナエは多くの画家が描きましたが、レンブラントの作品には3つの特徴があります。まず、右手を上げた独創的なポーズです。これは、ゼウスとの交わりへのダナエの意思表示です。次に、キューピッドが手を縛られ、苦しげに顔を歪めています。これは、ダナエの幽門を暗示するとも、純潔を表すともされています。また、黄金の雨と化したゼウスを暗示させるものはどこにもありません。それ故、「ダナエ」ではないとの論評もあったほどです。リアリティを追求した裸婦の表現と、レンブラント独特の強烈な光の明暗が強いインパクトを与える1枚です。
    哀しいことに、1985年、リトアニア人青年が硫酸をかけた上、刃物で2度切りつける惨事が起こっています。その結果、ダナエの顔など、絵の中央部分は絵の具が流れ落ちてしまったそうです。動機については、政治的な理由を挙げたり、「ダナエに誘われ、交わるためだった」と語ったそうです。精神鑑定の結果、精神分裂症と診断されています。1997年まで、12年間かけて修復作業が行われましたが、原画の輝きは失われてしまったそうです。

  • レンブラント・ファン・レイン『夜警』(1642年 アムステルダム国立美術館蔵)<br />レンブラントの代表作のみならず、オランダ黄金時代の代表作とされる絵画史上に輝く傑作です。<br />描かれているのは市民自警団、しかも実在の人物が出動する刹那を切り取った集団肖像画です。団員たちは思い思いの方向に体を向けて多様な表情を見せ、交錯する動きがドラマチックに臨場感を伝えます。大多数の人物が部分的にしか描かれず、全身が描かれたのは中央の隊長と副隊長、中央左奥の少女の3人だけです。レンブラントは、強い日光を斜め上45°から差し込ませて陰影を作り、群像の中からこの3人を浮かび上がらせました。彼の真骨頂は「光と闇」ではなく、「光」の絶妙な使い方にあることを実感させる作品です。<br />しかし、この絵画は注文主により訴訟沙汰になりました。何故なら、自警団は均等に代金を払って集団肖像画を依頼していたのです。平等に描かれると思っていた注文主たちは、画家の身勝手な演出に激怒したのです。芸術性よりも、記念写真のような整然とした集団肖像画を求めていたのです。<br />往時、レンブラントは36歳。画家として絶頂期を迎えた頃でした。しかしこの1件で評判を悪くし、仕事は激減し、14年後には浪費癖や資産家出身の妻の死去が契機となり破産しています。時を経て、この絵画が「世界三大名画」のひとつと博されていると知ったら、レンブラントや自警団たちはどんな思いでしょう。<br /><br />この続きは、桐葉知秋 阿波紀行⑤大塚国際美術館 B1フロアでお届けいたします。

    レンブラント・ファン・レイン『夜警』(1642年 アムステルダム国立美術館蔵)
    レンブラントの代表作のみならず、オランダ黄金時代の代表作とされる絵画史上に輝く傑作です。
    描かれているのは市民自警団、しかも実在の人物が出動する刹那を切り取った集団肖像画です。団員たちは思い思いの方向に体を向けて多様な表情を見せ、交錯する動きがドラマチックに臨場感を伝えます。大多数の人物が部分的にしか描かれず、全身が描かれたのは中央の隊長と副隊長、中央左奥の少女の3人だけです。レンブラントは、強い日光を斜め上45°から差し込ませて陰影を作り、群像の中からこの3人を浮かび上がらせました。彼の真骨頂は「光と闇」ではなく、「光」の絶妙な使い方にあることを実感させる作品です。
    しかし、この絵画は注文主により訴訟沙汰になりました。何故なら、自警団は均等に代金を払って集団肖像画を依頼していたのです。平等に描かれると思っていた注文主たちは、画家の身勝手な演出に激怒したのです。芸術性よりも、記念写真のような整然とした集団肖像画を求めていたのです。
    往時、レンブラントは36歳。画家として絶頂期を迎えた頃でした。しかしこの1件で評判を悪くし、仕事は激減し、14年後には浪費癖や資産家出身の妻の死去が契機となり破産しています。時を経て、この絵画が「世界三大名画」のひとつと博されていると知ったら、レンブラントや自警団たちはどんな思いでしょう。

    この続きは、桐葉知秋 阿波紀行⑤大塚国際美術館 B1フロアでお届けいたします。

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