2017/08/05 - 2017/08/17
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HOUKOUさん
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張家口「水母宮」「大境門」を見学
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(2017/8/12 旅行8日目)
ホテルの朝食を取って,近くのバス停に行く。
地図がないので,このあたりからどんなバスが出るのか実際停留所で確認するしかないのだ。
うまいことに,ややアクセスに難があると思われた「水母宮」行きのバスがあった。 -
「水母宮」は,水の恵みの女神である「水母娘娘」を祭るお宮である。
張家口のように水に乏しい地域では広く信仰されているらしい。
実際この地は貴重な水源となっており,境内はその渓流沿いに広がっている。 -
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「水母娘娘」
子宝祈願の対象でもあるらしい。 -
馮玉祥(ふうぎょくしょう)の別荘が記念館として公開されている。
映画「ラストエンペラー」で,紫禁城内に突然軍隊が乱入し,テニスをしていた宣統帝溥儀一家に,紫禁城からの退去を通告する場面がある。
溥儀は革命により,1912年に退位していたが,紫禁城に居住する権利など中華民国政府との間に「清帝退位優待条件」が締結されていた。
しかし1924年にクーデター(北京政変)を引き起こしたこの馮玉祥によって,この優待条件は破棄され,皇帝一家は紫禁城から追い出されてしまう。 -
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ここから長城へ歩いて行くこともできるらしいが,そんな体力はとてもない。
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それにこの頃から少し下痢の兆候がでてきたのだ。
腹痛があるわけでもないが,1日に5,6回ぐらいはトイレにかけこむようになった。
何が悪かったのだろうか,昨日の羊の頭か,上海動物園でタダで提供されていた「飲料水」(園内の高いミネラルウォーター代をケチるため,少し飲んでみたが味がなんだかおかしかった)が今頃体に影響しはじめたのか,
おかげで様々な「ニーハオトイレ」を利用しまくるという文化(?)体験をするはめになった。(W)
少なくともこの地域では「ニーハオトイレ」は過去の笑話や都市伝説では全然なくて,バリバリの現役として活躍している。(W)
「ニーハオトイレ」にもバリエーションがあるようで,多く見かけたのは「半ニーハオトイレ」とも言うべき,正面からの視線には弱いものの,隣のしゃがんでいる人に対してはプライバシーが保護されているものであった。
これに扉さえつければ普通のトイレになるという,あと一歩の進化形である。
ニーハオトイレにもメリットはあって,それはトイレが空きかどうか一目瞭然であることである。
日本で時々出会う,人が入っているかどうかの微妙さが全くない。
従って,ノックすべきかどうか思い悩むとか,ノックしたら怒気を込めたノックが返ってくるという不安感やトラブルからも解放されるのだ。
写真のものは,「独立便器型」であるが,「川型」も多く見かけた。
ただ「川型」の利用に際しては注意が必要だ。
独立便器型であれば,水を流すのは使用者が任意で行うことができる。
しかしながら,「川型」の場合,どうやら水は間欠的に流れるようで,利用する際必ずしも「流したて」ばかりではないのだ。
従って・・・以下略。
昔は日本でも川の上にトイレを作り,それを厠(かわや)と呼んでいたが,そんな風流なものではない。 -
張家口のシンボル「大境門」へタクシーで移動する。
前にも触れたとおり,この山と山に挟まれた狭隘な谷間は,北方民族から中国を守る要衝であった。
既に北魏の時代にそれらしいものがあったというが,今の原型になるものは明の時代に作られ始められた。
当時はこの門から北は異民族の地,或いは必ずしも安全が保障されていない遊牧民のテリトリーだったはずで,その緊張感はただならぬものであったことだろう。
今は北も南も中華人民共和国であり,観光地的な平和な雰囲気に満ち満ちている。
あらかじめ頭の中で出来上がっていた「大境門」への歴史的イメージとのかい離した,その雰囲気に軽い意外感を感じた。
北から攻めてきたのは何も北方騎馬民族だけではなかった。
1945年,ソ連軍が攻めてきた。
恐怖のどん底につき落とされたのは中国人ではなかった。
当時2万人(他の地域から逃れてきた人を含めたら6万人)ほど張家口にいた日本人居留民だった。
8月15日で戦争は終わっているはずであるが,それでもソ連軍は南進をやめない。
満州に侵入したソ連軍の略奪・暴行の情報も入ってきており,そうした軍規の乱れたソ連兵が張家口へ侵入したら地獄を見ることは明らかである。
ここで一人の軍人が立ち上がる。
根本博中将である。
台湾(蒋介石)に肩入れし,その金門島を人民解放軍から死守した功労者の根本将軍である。(ちなみに,私は昨年末アモイから金門島に渡ってその陣地跡を見学した)
すでに戦争は終結しているので,戦勝国たるソ連軍に武力で抵抗したら厳罰を受けるはずであるが,わが身を顧みず,ただ日本人を無事祖国に帰したい・・その一心で決断したことだった。
張家口の北27kmにある丸一陣地で,装備兵力ともに圧倒的なソ連軍相手に日本軍は必至の抵抗を行う。
張家口の日本人が満州での地獄を見ず,数々の苦難はあったものの,その多数が無事日本の土を踏むことができたのは,まさに根本中将とそのもとで果敢に戦った将兵活躍の賜物である。 -
その丸一陣地は,この「大境門」から北に伸びる道の先にある。
この道は,さらには張北,さらにウランバートルに通ずる。
従って漢民族と遊牧民族が仲良くしさえすれば,この関門は両者の接点,さらに交易の場ともなりうるのである。
漢民族は,あらゆる王朝を通じて,常に北方民族の脅威にさらされていた。
騎馬の機動力を生かし,たびたび漢民族の地に侵略し,略奪・殺戮を恣にした。
こちらから攻め込んでも,返り討ちにあったり(皇帝が捕らわれたこともある=土木の変),敗走させても居住地を移動したりして,決して根絶させることができない。 -
こうした相手には融和策が一番である。
お互い刃を交えるより,産品を交換するほうがよい。
その交易の場として栄えたのがこの大境門の南側に作られた「上堡」である。
北からは毛皮が持ち込まれ,「水母宮」から湧き出る清水でなめされ,張家口は「皮都」とも呼ばれるほどになった。 -
現在立ち入りが禁止されていたが,その上堡を再現すべく街並みが整備されつつあった。(例によって映画のセット風であるらしいが)
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