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2017年9月13日、台風18号のせいで、ベトナム航空の台北発ハノイ行が欠航しました。<br />予期せぬ、台北1泊となりました。<br /><br />その時思い出したのが、昔やった台湾一周の旅です。<br /><br /><br />台湾一周旅行をしたのは、たしか、1994年。<br />バックパッカーを初めたころの、8月の会社の夏休みでした。<br /><br />たしか、10日ほどで台湾を1周しました。<br /><br /><br />その頃は、デジカメ無し、フィルムカメラの時代。<br />インターネットカフェはありましたが、wifi無しの時代です。<br />ATMも普及していなかったのか、銀行のカウンターに行って、カードで現金を調達したのを覚えています。。。<br />もちろん、宿はすべて飛び込みで見つけました。<br />まだまだアナログ時代でした。。。<br /><br /><br />台北駅の周りは、大工事だらけでした。<br />それが今の新しい台北駅やら地下鉄なのだと思います。<br />新幹線は無いし、台北101もまだありませんでした。。。<br /><br /><br />旅程は、適当に行きあたりばったりで、<br />記憶をたどると、<br />結局、<br />行った順に、<br /> <br /> 台北   2泊<br /> 花蓮   1泊<br /> 太魯閣峡谷  1泊<br /> 墾丁   1泊<br /> 台中 2泊<br /> 台北 1泊<br />です。<br /><br />当時はまだ、千と千尋の神隠し以前で、<br />九分なんて知りませんでした。。。<br /><br /><br />そんな、20年以上前の記憶に残っている思い出を、全然関係のない2017年の台北の写真で、回想したいと思います。<br /><br /><br />ーーーーーー<br /><br />おまけ<br /><br />黃明志文慧如台北尷尬癌之旅<br /><br />https://youtu.be/zq94GaGoMbc<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

2017年9月の予定外の台北一泊の夜市の写真でお送りする、1994年のいきあたりばったり台湾一周旅行。 古き日本の心に触れた多くの思い出。

37いいね!

1994/04/27 - 1994/05/08

5349位(同エリア28093件中)

pal

palさん

2017年9月13日、台風18号のせいで、ベトナム航空の台北発ハノイ行が欠航しました。
予期せぬ、台北1泊となりました。

その時思い出したのが、昔やった台湾一周の旅です。


台湾一周旅行をしたのは、たしか、1994年。
バックパッカーを初めたころの、8月の会社の夏休みでした。

たしか、10日ほどで台湾を1周しました。


その頃は、デジカメ無し、フィルムカメラの時代。
インターネットカフェはありましたが、wifi無しの時代です。
ATMも普及していなかったのか、銀行のカウンターに行って、カードで現金を調達したのを覚えています。。。
もちろん、宿はすべて飛び込みで見つけました。
まだまだアナログ時代でした。。。


台北駅の周りは、大工事だらけでした。
それが今の新しい台北駅やら地下鉄なのだと思います。
新幹線は無いし、台北101もまだありませんでした。。。


旅程は、適当に行きあたりばったりで、
記憶をたどると、
結局、
行った順に、
 
 台北 2泊
 花蓮 1泊
 太魯閣峡谷 1泊
 墾丁 1泊
 台中 2泊
 台北 1泊
です。

当時はまだ、千と千尋の神隠し以前で、
九分なんて知りませんでした。。。


そんな、20年以上前の記憶に残っている思い出を、全然関係のない2017年の台北の写真で、回想したいと思います。


ーーーーーー

おまけ

黃明志文慧如台北尷尬癌之旅

https://youtu.be/zq94GaGoMbc







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  • 台北 Táiběi タイペイ 2泊<br /><br />昼は、台北の有名な観光地を巡りました。<br />龍山寺、故宮博物院、中正記念堂などなど。。。<br /><br />飲ん兵衛人なので、夜は、飲み屋を探し回りました。<br />台湾の赤ちょうちんに入って、台湾の人たちを見て、話したかったのです。<br /><br />なかなか飲み屋街が見つかりませんでしたが、やっと見つけました。<br />赤ちょうちんではなく、ちょっとおしゃれな通り。。。<br /><br />1軒目は、台湾カップルの集まるちょっとおしゃれなカウンターのバーでした。<br /><br />カウンターの中で2人の女の子が、明らかに中国語と違う言葉でしゃべっていました。<br /><br />タガログ語 ?  そんな響きでした。<br /><br />他の女の子に、英語で<br /><br />         あの娘達、フィリピン人 ?<br /><br />と聞いてみました。<br /><br />  ああ、あの娘達は、少数民族よ。<br /><br />台湾の東の山岳部に少数民族が7部族ぐらい住んでいるというのは、ガイドブックで知っていました。日本統治時代は、7部族をひっくるめて、高砂、たかさご族と呼ばれていたそうです。<br /><br />台湾とフィリピン。<br />そう遠くない。<br />高砂族の、どの部族かはわかりませんでしたが、タガログ語の響きの言葉を話していました。<br /><br />まだバブル期で、台湾もバブルでした。<br />カップルで来ていた男が、チップですとカウンターの女の子に200NT$をあげていました。。。<br />  <br /><br />2軒目は、またバーに入りました。<br />扉はオープンで、危険はなさそうでした。<br /><br />英語だったと思います。<br />ママさんが、あなた日本人?<br />じゃあ日本語の話せる可愛い娘を呼んであげる、と外部から女の子を呼んでくれました。<br /><br />ええーっ。お願いしてませんけど。。。<br /><br />それが、桃井かおりと安達祐実のハーフのような超美人。。。<br />が到着。。。<br />(1994年です。。。)<br /><br />ふにゃふにゃと、酔っ払い化していました。。。<br /><br />彼女は、もう一軒行こうと誘ってきました。<br />酔っ払い馬鹿の私はついて行きました。<br /><br />3軒目。<br />美女に連れていかれたのは、地下にある暗いバーでした。<br />客は一人もおらず、我に返り、怖くなりました。。。<br /><br />そして退散ーーーーんと、1本ビールを飲んで、おあいそしました。<br />レシートを見てびっくり !!!!!!!!!!!<br />日本円換算で、10000円でした。。。<br />(当時、1NT$ = 4円)<br /><br />が、レジの横には、スキンヘッドの超筋肉むきむきマンが座っていました。。。<br />いや、びっくりボディーでした。。。<br />映画の世界です。。。<br /><br />当時、台湾には大陸とつるんだ凶悪なヤクザ組織がいくつもあると、本で読んでいました。チクレンパン、シカイハン。。。などなど。。。<br /><br />泣く泣くというか、アチョーとコテンパンに殴られたり、裸で放り出されたり、川や海に浮かびたくなかったので、そそくさと払いました。。。<br /><br />初日で、台湾一周旅行計画予算の7万円から10000円失いました。。。<br /><br />美女は、涙目で、ごめんなさい、っと闇夜に消えました。。。<br /><br />私はよれよれで、宿泊先にたどり着けました。。。<br /><br /><br />我がバックパッカー人生の中でも、最も大きな汚点の一つです。。。<br />手痛い勉強料でした。。。<br /><br />  ありがとう台湾、多謝(ドーシャ)です(T_T)/<br /><br />金貨は1枚減りました、<br />が、バックパッカー経験値は、1つアップしました(-_-)///<br /><br /><br />んー、バックパッカー以前の問題です。。。<br />知らない人に付いていっちゃあいけません。。。<br />子供でも知っています。。。<br />

    台北 Táiběi タイペイ 2泊

    昼は、台北の有名な観光地を巡りました。
    龍山寺、故宮博物院、中正記念堂などなど。。。

    飲ん兵衛人なので、夜は、飲み屋を探し回りました。
    台湾の赤ちょうちんに入って、台湾の人たちを見て、話したかったのです。

    なかなか飲み屋街が見つかりませんでしたが、やっと見つけました。
    赤ちょうちんではなく、ちょっとおしゃれな通り。。。

    1軒目は、台湾カップルの集まるちょっとおしゃれなカウンターのバーでした。

    カウンターの中で2人の女の子が、明らかに中国語と違う言葉でしゃべっていました。

    タガログ語 ? そんな響きでした。

    他の女の子に、英語で

    あの娘達、フィリピン人 ?

    と聞いてみました。

      ああ、あの娘達は、少数民族よ。

    台湾の東の山岳部に少数民族が7部族ぐらい住んでいるというのは、ガイドブックで知っていました。日本統治時代は、7部族をひっくるめて、高砂、たかさご族と呼ばれていたそうです。

    台湾とフィリピン。
    そう遠くない。
    高砂族の、どの部族かはわかりませんでしたが、タガログ語の響きの言葉を話していました。

    まだバブル期で、台湾もバブルでした。
    カップルで来ていた男が、チップですとカウンターの女の子に200NT$をあげていました。。。
      

    2軒目は、またバーに入りました。
    扉はオープンで、危険はなさそうでした。

    英語だったと思います。
    ママさんが、あなた日本人?
    じゃあ日本語の話せる可愛い娘を呼んであげる、と外部から女の子を呼んでくれました。

    ええーっ。お願いしてませんけど。。。

    それが、桃井かおりと安達祐実のハーフのような超美人。。。
    が到着。。。
    (1994年です。。。)

    ふにゃふにゃと、酔っ払い化していました。。。

    彼女は、もう一軒行こうと誘ってきました。
    酔っ払い馬鹿の私はついて行きました。

    3軒目。
    美女に連れていかれたのは、地下にある暗いバーでした。
    客は一人もおらず、我に返り、怖くなりました。。。

    そして退散ーーーーんと、1本ビールを飲んで、おあいそしました。
    レシートを見てびっくり !!!!!!!!!!!
    日本円換算で、10000円でした。。。
    (当時、1NT$ = 4円)

    が、レジの横には、スキンヘッドの超筋肉むきむきマンが座っていました。。。
    いや、びっくりボディーでした。。。
    映画の世界です。。。

    当時、台湾には大陸とつるんだ凶悪なヤクザ組織がいくつもあると、本で読んでいました。チクレンパン、シカイハン。。。などなど。。。

    泣く泣くというか、アチョーとコテンパンに殴られたり、裸で放り出されたり、川や海に浮かびたくなかったので、そそくさと払いました。。。

    初日で、台湾一周旅行計画予算の7万円から10000円失いました。。。

    美女は、涙目で、ごめんなさい、っと闇夜に消えました。。。

    私はよれよれで、宿泊先にたどり着けました。。。


    我がバックパッカー人生の中でも、最も大きな汚点の一つです。。。
    手痛い勉強料でした。。。

      ありがとう台湾、多謝(ドーシャ)です(T_T)/

    金貨は1枚減りました、
    が、バックパッカー経験値は、1つアップしました(-_-)///


    んー、バックパッカー以前の問題です。。。
    知らない人に付いていっちゃあいけません。。。
    子供でも知っています。。。

  • 花蓮 Huālián 1泊<br /><br />台北から列車で行きました。<br /><br />花蓮駅は、まるで昔の国鉄のような駅でした。<br />そして貨物車の基地がありました。<br /><br />私の育った家のすぐ近くに国鉄の駅、コンテナ基地があったので、とても懐かしく思える風景でした。<br /><br />海岸線をてくてく散歩しました。<br /><br />海の街。<br />海鮮料理の店が沢山ありました。<br /><br />水槽にいっぱい海鮮類が陳列されていていいなぁと思ったのですが、予算の関係で、パス。<br />いや、台北でビール1杯10000円のぼったくりにあったばかりなので、節約でした。。。<br /><br /><br />思い出の一杯。。。<br /><br />漢字ばかりのメニュー。<br />麺屋さんで、いろいろなんとか麺のメニューの中で、麻醤麺なるものを頼みました。<br /><br />麻醬麺。日本語読みで、マーショウメン。<br />日本語読みで頼むと、大将に、確か、マーシャンミンと笑って発音を直されました。<br /><br />当然どんなものが出てくるかわからない。。。<br /><br />出てきたのは、ほとんど汁のない麺料理でした。<br /><br />麺料理なので、スープがいっぱいだと、思っていました。。。<br />また、失敗してしまった。。。<br />スープのないラーメンなんて。。。<br /><br />ところが、これが美味い。<br />とっても美味しかった。<br />私にとっては、台湾で1番美味しかったです。<br />安くて美味しい、1番でした。<br />思い出の、味です。<br /><br />その後、中華圏は、香港、澳門、上海、瀋陽などと行ったのですが、いつも麻醤麺を探しています。<br />未だに、麻醬麺に出会えません。。。<br /><br />麻醤麺。<br />私にとっては、幻の麺料理です。。。<br /><br /><br />

    花蓮 Huālián 1泊

    台北から列車で行きました。

    花蓮駅は、まるで昔の国鉄のような駅でした。
    そして貨物車の基地がありました。

    私の育った家のすぐ近くに国鉄の駅、コンテナ基地があったので、とても懐かしく思える風景でした。

    海岸線をてくてく散歩しました。

    海の街。
    海鮮料理の店が沢山ありました。

    水槽にいっぱい海鮮類が陳列されていていいなぁと思ったのですが、予算の関係で、パス。
    いや、台北でビール1杯10000円のぼったくりにあったばかりなので、節約でした。。。


    思い出の一杯。。。

    漢字ばかりのメニュー。
    麺屋さんで、いろいろなんとか麺のメニューの中で、麻醤麺なるものを頼みました。

    麻醬麺。日本語読みで、マーショウメン。
    日本語読みで頼むと、大将に、確か、マーシャンミンと笑って発音を直されました。

    当然どんなものが出てくるかわからない。。。

    出てきたのは、ほとんど汁のない麺料理でした。

    麺料理なので、スープがいっぱいだと、思っていました。。。
    また、失敗してしまった。。。
    スープのないラーメンなんて。。。

    ところが、これが美味い。
    とっても美味しかった。
    私にとっては、台湾で1番美味しかったです。
    安くて美味しい、1番でした。
    思い出の、味です。

    その後、中華圏は、香港、澳門、上海、瀋陽などと行ったのですが、いつも麻醤麺を探しています。
    未だに、麻醬麺に出会えません。。。

    麻醤麺。
    私にとっては、幻の麺料理です。。。


  • 太魯閣 Tàilŭgé タロコ 1泊<br /><br />蓮花からバスに乗り、どこかの街で、太魯閣峡谷へのバスに乗り換えしました。<br /><br />確か、少数民族が住んでいると本で読んで、そちらに向かったのだと思います。<br /><br />断崖絶壁の道を、岩の壁すれすれで、バスが駆け抜けたのを覚えています。<br />断崖絶壁を突っ走るバスからの、谷の眺めは絶景だったと記憶しています。<br /><br />その台湾横断道路を造るのに、数多くの事故で多くの人が亡くなったと、どこかで読みました。。<br /><br />降りた山の中の目的の街、あるいは村で宿を見つけました。<br /><br />英語が通じました。<br />ユースホステルみたいなところで、本当は会員でないと泊まれないということでした。<br /><br />  どこから来たの?<br /><br />  日本。<br /><br />  えっ?<br /><br />周りにホテルらしきものもなく、泊めてもらえることになりました。<br /><br />一部屋に二段ベッドが二つ。<br />結局、だれも他にお客さんはいなくて、一人で夜を明かしました。<br /><br />泊めてくれてありがとうございました。<br /><br /> 多謝(ドーシャ)です。<br /><br /><br />さて、でも周りにほとんど何もありませんでした。<br />やっと一軒の食堂を見つけました。<br /><br />食堂には、写真メニューもなく、<br />四文字の漢字料理名とさんざんにらめっこして、<br />結局夕飯で頼んだのが、確か、魚小片なんとか。<br />最後の漢字は思い出せません。<br /><br />魚の切り身の何かだと思って注文したのですが、<br />出てきたのは、小魚を揚げたのがてんこ盛りで、想像と違う料理に、目が点になりました(・o・)。。。<br /><br />でもまあ、ビールのつまみにはもってこいでした。。。<br /><br />  多謝です。。。<br /><br /><br />漢字四文の中華料理名。<br />それを読み解いて、なんとなく想像通り、且つ或いは、美味しい料理にありつける確率は、いまだに1/2ぐらいです。。。

    太魯閣 Tàilŭgé タロコ 1泊

    蓮花からバスに乗り、どこかの街で、太魯閣峡谷へのバスに乗り換えしました。

    確か、少数民族が住んでいると本で読んで、そちらに向かったのだと思います。

    断崖絶壁の道を、岩の壁すれすれで、バスが駆け抜けたのを覚えています。
    断崖絶壁を突っ走るバスからの、谷の眺めは絶景だったと記憶しています。

    その台湾横断道路を造るのに、数多くの事故で多くの人が亡くなったと、どこかで読みました。。

    降りた山の中の目的の街、あるいは村で宿を見つけました。

    英語が通じました。
    ユースホステルみたいなところで、本当は会員でないと泊まれないということでした。

      どこから来たの?

      日本。

      えっ?

    周りにホテルらしきものもなく、泊めてもらえることになりました。

    一部屋に二段ベッドが二つ。
    結局、だれも他にお客さんはいなくて、一人で夜を明かしました。

    泊めてくれてありがとうございました。

     多謝(ドーシャ)です。


    さて、でも周りにほとんど何もありませんでした。
    やっと一軒の食堂を見つけました。

    食堂には、写真メニューもなく、
    四文字の漢字料理名とさんざんにらめっこして、
    結局夕飯で頼んだのが、確か、魚小片なんとか。
    最後の漢字は思い出せません。

    魚の切り身の何かだと思って注文したのですが、
    出てきたのは、小魚を揚げたのがてんこ盛りで、想像と違う料理に、目が点になりました(・o・)。。。

    でもまあ、ビールのつまみにはもってこいでした。。。

      多謝です。。。


    漢字四文の中華料理名。
    それを読み解いて、なんとなく想像通り、且つ或いは、美味しい料理にありつける確率は、いまだに1/2ぐらいです。。。

  • 太魯閣 - 墾丁<br /><br />バスで移動しました。<br />確か2度ほどバスを乗り換えました。<br /><br /><br />墾丁行きの乗客がまばらなバスの中で、おばあちゃんに日本語で声を掛けられました。<br /><br />  日本人かい? 私は、高砂族だよ。タカサゴ、わかるかい?<br /><br />高砂族。台湾の7部族ぐらいある少数民族の総称です。。。<br />おばあちゃんが高砂の何族だったかは、わかりません。<br /><br />少数民族間の共通語は、今でも日本語が使われているのだと言っていました。。。<br /><br />バスの運転手さんにも、お兄さん、お兄さんと日本語で話しかけていました。<br /><br /><br />  私の妹は、日本に行って、死んじゃったよ。。。<br />  いじめられたのかねぇ。。。<br />  日本で死んじゃった。<br />  日本でいじめられたのかねぇ。。。<br />  どうしていじめられたのかねぇ。。。<br /><br />  えーっ???<br /><br />  お金ちょっとくれんか?<br /><br />  なんでやねん!<br /><br />まあ、その話、おばあちゃんの情報不足で突拍子もない。<br />おばあちゃんは手紙で妹の死を知っても、日本に行けなかったのでしょう。<br />おばあちゃんのは涙目でとても悲しげでした。<br />日本人に出会うたびに話しかけて、その話をしているのかもしれません。。。<br /><br />少しお金をあげたか、あげなかったか、覚えていません。。。<br />多分ほんの少し心付けしたと思います。。。<br /><br />悲しい話でした。。。<br /><br />日本人が、当時日本だった台湾人を愚弄する話など聞いたことがありません。<br />いや、でも、えっ高砂人などと聞いたら、きっとあったでしょうね。。。<br />私が知らないだけなのでしょう。<br /><br />おばあちゃんは、墾丁に着く前にどこかの街で降りていきました。。。<br /><br />さようなら、おばあちゃん。お元気で。。。<br />再見。。。<br /><br /><br />貴重な話、ありがとうございました。<br /><br /> 多謝でした。。。

    太魯閣 - 墾丁

    バスで移動しました。
    確か2度ほどバスを乗り換えました。


    墾丁行きの乗客がまばらなバスの中で、おばあちゃんに日本語で声を掛けられました。

      日本人かい? 私は、高砂族だよ。タカサゴ、わかるかい?

    高砂族。台湾の7部族ぐらいある少数民族の総称です。。。
    おばあちゃんが高砂の何族だったかは、わかりません。

    少数民族間の共通語は、今でも日本語が使われているのだと言っていました。。。

    バスの運転手さんにも、お兄さん、お兄さんと日本語で話しかけていました。


      私の妹は、日本に行って、死んじゃったよ。。。
      いじめられたのかねぇ。。。
      日本で死んじゃった。
      日本でいじめられたのかねぇ。。。
      どうしていじめられたのかねぇ。。。

      えーっ???

      お金ちょっとくれんか?

      なんでやねん!

    まあ、その話、おばあちゃんの情報不足で突拍子もない。
    おばあちゃんは手紙で妹の死を知っても、日本に行けなかったのでしょう。
    おばあちゃんのは涙目でとても悲しげでした。
    日本人に出会うたびに話しかけて、その話をしているのかもしれません。。。

    少しお金をあげたか、あげなかったか、覚えていません。。。
    多分ほんの少し心付けしたと思います。。。

    悲しい話でした。。。

    日本人が、当時日本だった台湾人を愚弄する話など聞いたことがありません。
    いや、でも、えっ高砂人などと聞いたら、きっとあったでしょうね。。。
    私が知らないだけなのでしょう。

    おばあちゃんは、墾丁に着く前にどこかの街で降りていきました。。。

    さようなら、おばあちゃん。お元気で。。。
    再見。。。


    貴重な話、ありがとうございました。

     多謝でした。。。

  • 墾丁 Kĕndīng 1泊<br /><br />ホテルはいつも、飛び込みでした。<br />付け焼刃の台湾語が通じなければ、いや通じるわけがない。。。<br />毎回、玉砕でした。<br />結局、へたな英語が頼りでした。。。<br /><br />懲りなく、最初は台湾語、次は英語で、飛び込みのホテルに部屋がないかと尋ねました。<br />対応してくれたのは、20歳もいかない可愛い女の子でした。<br /><br />  えっ?日本人なのぉ !?<br />  えーーーーーーーー !?<br />  うちのおじいちゃん呼んでくるぅ !!!<br />  おじいちゃんは、日本語話せるのよーーー !!!!!<br /><br />と英語で答えてくれました。<br /><br />と、わざわざ日本語のできるおじいちゃんを引っ張り出してきました。<br /><br />出てきて、日本語を嬉しそうに話してくれたおじいちゃん、<br /><br />  誠に多謝(ドーシャ)です。<br /><br /><br />そこの旅館に決めて、海岸線を散歩しました。<br /><br />観光インフォメーションセンターがありました。<br />何を聞いたのか覚えていませんが、対応してくれた女の子が、<br /><br />  どこの国の人?<br /><br />と、英語で尋ねてきました。<br /><br />  ヤップンヤン (確か、台湾語で日本人)<br /><br />  えっ??? 何?  何人??? わからないです。。。<br /><br />  ヤップンヤン、ヤップンヤン !!!<br /><br />全く通じず、玉砕。。。<br /><br />  リーベンレン(日本人。普通話)、Japanese です。。。<br /><br />台湾語で日本人とも伝えられないとは、とほほ、でした(-_-)<br /><br />女の子は、私が案内してあげるよと,、ニコニコ顔、キラキラな目で申し出てくれました。<br /><br />えーーーーーーーー !?<br />なぜ、そんなに優しくしてくれる ?<br />とっても嬉しかったのですが、台北でのぼったくりに遭った失態と恐怖が頭から離れませんでした。。。<br /><br /> 君子危うきに、もう近寄らず、です。。。<br /><br />大丈夫です、一人で行けますと、ご辞退申し上げました。。。<br /><br />今考えると、誠に誠にもったいない。。。<br />可愛いニコニコのキラキラお目目の台湾女子でした。<br /><br />ああ、案内をお願いしていたら、<br />またビール1本、10000円で、一文無しになっていたか。。。<br />あるいは、<br />可愛い台湾娘と恋に落ち、結婚していたかもしれません。<br /><br />えー、妄想ですな(-_-)/<br />妄想です。。。<br /><br /><br />墾丁で出会った優しい人たち、誠に多謝(ドーシャ)です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />  

    墾丁 Kĕndīng 1泊

    ホテルはいつも、飛び込みでした。
    付け焼刃の台湾語が通じなければ、いや通じるわけがない。。。
    毎回、玉砕でした。
    結局、へたな英語が頼りでした。。。

    懲りなく、最初は台湾語、次は英語で、飛び込みのホテルに部屋がないかと尋ねました。
    対応してくれたのは、20歳もいかない可愛い女の子でした。

      えっ?日本人なのぉ !?
      えーーーーーーーー !?
      うちのおじいちゃん呼んでくるぅ !!!
      おじいちゃんは、日本語話せるのよーーー !!!!!

    と英語で答えてくれました。

    と、わざわざ日本語のできるおじいちゃんを引っ張り出してきました。

    出てきて、日本語を嬉しそうに話してくれたおじいちゃん、

      誠に多謝(ドーシャ)です。


    そこの旅館に決めて、海岸線を散歩しました。

    観光インフォメーションセンターがありました。
    何を聞いたのか覚えていませんが、対応してくれた女の子が、

      どこの国の人?

    と、英語で尋ねてきました。

      ヤップンヤン (確か、台湾語で日本人)

      えっ??? 何? 何人??? わからないです。。。

      ヤップンヤン、ヤップンヤン !!!

    全く通じず、玉砕。。。

      リーベンレン(日本人。普通話)、Japanese です。。。

    台湾語で日本人とも伝えられないとは、とほほ、でした(-_-)

    女の子は、私が案内してあげるよと,、ニコニコ顔、キラキラな目で申し出てくれました。

    えーーーーーーーー !?
    なぜ、そんなに優しくしてくれる ?
    とっても嬉しかったのですが、台北でのぼったくりに遭った失態と恐怖が頭から離れませんでした。。。

     君子危うきに、もう近寄らず、です。。。

    大丈夫です、一人で行けますと、ご辞退申し上げました。。。

    今考えると、誠に誠にもったいない。。。
    可愛いニコニコのキラキラお目目の台湾女子でした。

    ああ、案内をお願いしていたら、
    またビール1本、10000円で、一文無しになっていたか。。。
    あるいは、
    可愛い台湾娘と恋に落ち、結婚していたかもしれません。

    えー、妄想ですな(-_-)/
    妄想です。。。


    墾丁で出会った優しい人たち、誠に多謝(ドーシャ)です。









      

  • 墾丁 - 台中<br /><br />バスの旅でした。<br />確か、日程的に足りなくなってきたので、少しでも台北に近づこうと、台南をパスすることにしました。<br /><br />墾丁から少し北上して、台中行きへのバスに乗り換えでした<br /><br />バスターミナルでもなく、街でもなく。。。<br />墾丁からのバスに、道端で降ろされました。。。<br />途方に暮れていると、おじいちゃんに話しかけられました。<br /><br />  日本人ですか?<br /><br />日本語でした。<br /><br />  はい!<br /><br />おじいちゃんの日本語は、1945年から時間が止まったような古風な美しい日本語でした。。。<br /><br />片仮名単語が全く通じません。<br />ついカタカナ語で言ってしまうと、おじいちゃんに通じませんでした。<br /><br />  ガイドブックによると、、、<br /><br />  ガイドブックって何ですか???<br /><br />えーと、えーと、ガイドブック? <br />純日本語でなんだ???<br />ずいぶん考えました。。。<br />そうだ!たぶんそうだ。<br /><br />  旅行指南書です。<br /><br />  あー旅行指南書ですか。。。<br /><br />やっと通じた、と言う具合でした。。。<br /><br />私たちの話す言葉は、1945年以前の日本語から、現代の日本語に進化しました。<br />江戸時代の人と会話するのは、さらにさらに難しいでしょうねぇ。。。<br />言語とは外国の言葉を取り入れて、あるいは新しい言葉が創られて、どんどん進化していくんだと実感しました。。。<br /><br />おじいちゃん。古き美しい日本語、ありがとうございました。<br />また、助けてくださいまして、誠にありがとうございました。<br /><br />  多謝、多謝です。<br /><br />おじいちゃんに教えられて、無事、台中行きのバスに乗れました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />  <br /><br /><br />

    墾丁 - 台中

    バスの旅でした。
    確か、日程的に足りなくなってきたので、少しでも台北に近づこうと、台南をパスすることにしました。

    墾丁から少し北上して、台中行きへのバスに乗り換えでした

    バスターミナルでもなく、街でもなく。。。
    墾丁からのバスに、道端で降ろされました。。。
    途方に暮れていると、おじいちゃんに話しかけられました。

      日本人ですか?

    日本語でした。

      はい!

    おじいちゃんの日本語は、1945年から時間が止まったような古風な美しい日本語でした。。。

    片仮名単語が全く通じません。
    ついカタカナ語で言ってしまうと、おじいちゃんに通じませんでした。

      ガイドブックによると、、、

      ガイドブックって何ですか???

    えーと、えーと、ガイドブック? 
    純日本語でなんだ???
    ずいぶん考えました。。。
    そうだ!たぶんそうだ。

      旅行指南書です。

      あー旅行指南書ですか。。。

    やっと通じた、と言う具合でした。。。

    私たちの話す言葉は、1945年以前の日本語から、現代の日本語に進化しました。
    江戸時代の人と会話するのは、さらにさらに難しいでしょうねぇ。。。
    言語とは外国の言葉を取り入れて、あるいは新しい言葉が創られて、どんどん進化していくんだと実感しました。。。

    おじいちゃん。古き美しい日本語、ありがとうございました。
    また、助けてくださいまして、誠にありがとうございました。

      多謝、多謝です。

    おじいちゃんに教えられて、無事、台中行きのバスに乗れました。







      


  • 台中 Táizhōng 2泊<br /><br />どこでどうやって出会ったのか全く覚えていません。<br />が、ほぼ同年代の英語の話せる男と知り合い、意気投合しました。<br /><br />家にまで連れて行ってくれました。<br />彼の、台湾の大家族の古い民家を見学することができました。<br />そして、彼の家族とも少し触れ合うことができました。<br /><br />彼のおじさんのボロボロの小さな車で、しばしドライブしました。<br />ポンコツの初代に近いカローラだったなぁ。。。<br />どこに行ったのか覚えていませんが。。。<br /><br />台湾語。彼は、ミンナンチャイナと言っていました。<br />閩南語です。<br />彼曰く、ミンナンチャイナをしゃべている時、ちょっとワイルドな気分になるんだ。<br /><br />媽祖は、台湾人にとって重要な神様なんだ。航海の神様だ。<br />多くの人が大陸から媽祖様を拝んで、海を渡って台湾にやって来たんだよ。<br />(以来、台湾を訪れた時、媽祖様を見つけると、航海の神様、つまり、旅の神様。んーむにゃむにゃ、良き旅をお願い致します。などと祈ります。)<br /><br />などなどと、いろいろと教えてもらいました。<br /><br />  多謝です。<br /><br />***************************<br /><br />出会った男の名前とかを書いたメモをもらったのですが、帰国後、無くなっていました。。。<br /><br />その後、1999年9月21日、台湾が大地震に見舞われました。<br />連絡もお見舞いもできず、ごめんなさい。<br />とっても心配していました。。。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    台中 Táizhōng 2泊

    どこでどうやって出会ったのか全く覚えていません。
    が、ほぼ同年代の英語の話せる男と知り合い、意気投合しました。

    家にまで連れて行ってくれました。
    彼の、台湾の大家族の古い民家を見学することができました。
    そして、彼の家族とも少し触れ合うことができました。

    彼のおじさんのボロボロの小さな車で、しばしドライブしました。
    ポンコツの初代に近いカローラだったなぁ。。。
    どこに行ったのか覚えていませんが。。。

    台湾語。彼は、ミンナンチャイナと言っていました。
    閩南語です。
    彼曰く、ミンナンチャイナをしゃべている時、ちょっとワイルドな気分になるんだ。

    媽祖は、台湾人にとって重要な神様なんだ。航海の神様だ。
    多くの人が大陸から媽祖様を拝んで、海を渡って台湾にやって来たんだよ。
    (以来、台湾を訪れた時、媽祖様を見つけると、航海の神様、つまり、旅の神様。んーむにゃむにゃ、良き旅をお願い致します。などと祈ります。)

    などなどと、いろいろと教えてもらいました。

      多謝です。

    ***************************

    出会った男の名前とかを書いたメモをもらったのですが、帰国後、無くなっていました。。。

    その後、1999年9月21日、台湾が大地震に見舞われました。
    連絡もお見舞いもできず、ごめんなさい。
    とっても心配していました。。。







  • 台北 最後に1泊<br /><br />さあ、どう過ごしたか、全く記憶がありません。。。<br /><br />1つだけ記憶があります。<br />銀行でカードでお金を引き出しました。<br />最初のぼったくりのビール10000円が響いて、お金が少し足りなくなったのです。。。<br /><br />ATMが無かったので、窓口で頼むシステムでした。<br />なぜか、窓口の担当の係員の男は、急に気持ち悪いほどニコニコしだして、不思議でした。<br /><br />お金とレシートを受け取りました。<br />レシートを見てビックリでした。<br />レシートには、ハンコが押されていました。<br />係員のハンコは、私と同じ苗字でした。。。<br /><br />遠い遠い親戚さん(+_+)!? まさか。。。<br /><br /><br />1994年、台湾一周の旅、<br />台北初日、ビール1瓶、10000円という、手痛い洗礼を受けました。<br /><br />どうなることやらと思いましたが、<br />至る街で、古き日本の心に触れる、多謝、多謝の旅でした。<br /><br /><br />その頃言われていたのが、世代による言語の断絶でした。<br /><br />日本時代の人たちは、日本語と台湾語。<br />高砂族の人たちは、それぞれ自分たち民族の言葉と、日本語。<br />大陸から蔣介石と共に渡ってきた人たちは、普通語?<br />もともとの台湾人の子供世代は、その教育で大陸の言葉を話すようになる。。。<br />おじいちゃんおばあちゃん世代と孫世代で話す言葉が違う。。。<br />世代で話す言葉が違う???という悲しい問題でした。。。<br /><br />その頃も、台北では、日語の語学学校がいっぱいありました。<br />若い世代は、日本文化に興味があり、そして、おじいちゃん、おばあちゃんと日本語で話したかったのかもしれません。<br /><br />今、台湾は何語なんでしょう?<br />それをミックスしたのが、現代の台湾語ですよねぇ。。。<br />きっと。<br /><br /><br />優しい台湾の人たち。<br />台湾が大好きになりました。<br /><br />旅も、終わり良ければ総て良し。<br /><br />ありがとう、台湾!!!<br />1994年の台湾一周の旅の回想でした。<br /><br />多謝(ドーシャ)、多謝(ドーシャ)の旅でした!!!<br /><br /><br />***************************************<br /><br /><br />2017年 予定外の台北一泊<br />https://4travel.jp/travelogue/11284202

    台北 最後に1泊

    さあ、どう過ごしたか、全く記憶がありません。。。

    1つだけ記憶があります。
    銀行でカードでお金を引き出しました。
    最初のぼったくりのビール10000円が響いて、お金が少し足りなくなったのです。。。

    ATMが無かったので、窓口で頼むシステムでした。
    なぜか、窓口の担当の係員の男は、急に気持ち悪いほどニコニコしだして、不思議でした。

    お金とレシートを受け取りました。
    レシートを見てビックリでした。
    レシートには、ハンコが押されていました。
    係員のハンコは、私と同じ苗字でした。。。

    遠い遠い親戚さん(+_+)!? まさか。。。


    1994年、台湾一周の旅、
    台北初日、ビール1瓶、10000円という、手痛い洗礼を受けました。

    どうなることやらと思いましたが、
    至る街で、古き日本の心に触れる、多謝、多謝の旅でした。


    その頃言われていたのが、世代による言語の断絶でした。

    日本時代の人たちは、日本語と台湾語。
    高砂族の人たちは、それぞれ自分たち民族の言葉と、日本語。
    大陸から蔣介石と共に渡ってきた人たちは、普通語?
    もともとの台湾人の子供世代は、その教育で大陸の言葉を話すようになる。。。
    おじいちゃんおばあちゃん世代と孫世代で話す言葉が違う。。。
    世代で話す言葉が違う???という悲しい問題でした。。。

    その頃も、台北では、日語の語学学校がいっぱいありました。
    若い世代は、日本文化に興味があり、そして、おじいちゃん、おばあちゃんと日本語で話したかったのかもしれません。

    今、台湾は何語なんでしょう?
    それをミックスしたのが、現代の台湾語ですよねぇ。。。
    きっと。


    優しい台湾の人たち。
    台湾が大好きになりました。

    旅も、終わり良ければ総て良し。

    ありがとう、台湾!!!
    1994年の台湾一周の旅の回想でした。

    多謝(ドーシャ)、多謝(ドーシャ)の旅でした!!!


    ***************************************


    2017年 予定外の台北一泊
    https://4travel.jp/travelogue/11284202

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この旅行記へのコメント (2)

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  • kokotoririさん 2018/12/13 22:48:23
    旅行指南書
    palさん

    続けてコメント失礼します。
    楽しく拝読しました。また笑わせていただきました。

    文章もはぎれよくてリズムがあって読みやすいです!


    台湾の方々、皆さんすごく親切なのに、飲み屋で働いている人はいきなり中華系の民族臭が強くなりますよね…私も経験があります。

    当時は日本語が上手な方、たくさんいらっしゃったんですね。
    今それだけの方と話すチャンスはなかなかないのではないでしょうか。

    私は、10年前に台湾一周した時と、こないだ行った時で、日本語を話す高齢者の遭遇率がグンと落ちてしまったなぁと思いました…

    去年の台風話で「旅行指南書」という表現を使ってらしゃった理由がわかってよかったです(笑)

    pal

    palさん からの返信 2018/12/14 00:59:14
    Re: 旅行指南書
    Shuhei さん、

    またまたお読みいただき、ありがとうございます。

    Shuhei さんも、台湾を一周したんですね !!!
    是非、旅行記にしてほしいです !!!!!


    1994年にも、日語を掲げる語学学校がいっぱいありました。
    若い世代は日本文化が好きと同時に、日本語を話すおじいちゃん、おばあちゃんと日本語で話したかったのかもしれませんね。

    日本語教育を受けた世代に出会うのは、もう稀でしょうねぇ。


    カタカナ語が通じないのは、パニックでした。
    出会ったおじいちゃんとは、んー、んーー、日本語でなんだぁ(-_-)!?
    と考え、考え、話していました。

    ガイドブックは指南書ですねぇ。。。

    pal

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