2017/08/05 - 2017/08/17
52位(同エリア136件中)
HOUKOUさん
- HOUKOUさんTOP
- 旅行記93冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 34,729アクセス
- フォロワー5人
大同の「華厳寺」「善化寺」「九龍壁」などを見学。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
大同は城壁の中に旧市街があり,見どころはその中に集中している。
ただ,この場所から城壁内へ入るバス路線が,ややわかりにくそうだったので,タクシーを使うことにした。
ところが,ホテル前に止まっていたタクシーの補助席に乗り込むと,中国のタクシーの補助席の目の前に必ず提示してあるはずの写真入り身分証がない。
さては白タクかと思い,突然降りようとする客に面食らう運転手に「ライセンス!」と言葉を投げつけ車を出る。
今度はちゃんとした格好のタクシーであることをしっかり確認し別な車に乗り込む。
すると,やはり補助席にライセンスカードらしきものが全くない。
どうやら,大同のタクシーはこうなっているらしい。(W)
さっきの運転手には悪いことをしてしまった。
大同の城壁が見えてきた。
この北門から入るのではなく,東に回った後城内に入る。
華厳寺前でタクシーを降りる。 -
車窓から見た大同城壁にしても,ここ華厳寺周辺にしても,中国でしばしば感じる「綺麗すぎる復元」の嫌味を少し感じた。
しかし華厳寺自体は,創建当初のままではないとしても,歴史を感じさせる素晴らしい佇まいであった。
これは日本の天平の雰囲気ではないか。
特に建物の鴟尾(しび)は日本の東大寺などで見られるものと酷似している。
言うまでもなく,中国から古代日本に伝わったものではあるが。
われわれ日本人は,このような素朴で力強い鴟尾の形状を見ると,時代の古さを自然に感じるように刷り込まれているらしい。
なにかタイムスリップした感覚さえ覚える。
これまで中国で見てきた数々の寺院とは異なる様式は,鴟尾だけではない。
重厚な外壁,エキゾチックな形にくり抜かれた小さな入口。 -
仏像にしても,ほとんどの仏像が真新しい金ぴかな中国にあって,白木作りのものもあるし,長き年月を経て古色蒼然とした味わいを帯びているものも少なくない。
-
-
圧巻は「大雄宝殿」の5体の仏。
明代に作られたものだという。
更に遼代に建てられたという堂内の装飾は極めて精緻であり,その直線的な意匠は居並ぶ5仏と相まってきわめて荘厳な空間を形作っている。
ほとんど無宗教に近い21世紀の俗物たる私から見ても,その荘厳さに圧倒され,ある種の宗教的興奮を覚えざるを得ない。
まして,当時の人たちが受けた感動はいかほどであったことか!
中国のお寺でこのような強い感銘を覚えたのは,これまで何度あっただろうか。 -
-
いにしえの大同のランドマークであったであろう「華厳宝塔」へも登ってみる。
だぶだぶの靴カバーを履かされ,急な階段を登るのは骨が折れる。
よたよたしながら,あと少しで登り切れるところまで来たところで,先に上り切っていた若い女性が手を差し伸べてくれた。
私はまだ57歳であり,まだまだ老体とは言えないし見えないはずだ(?)。
日本ではほとんどありえない体験だ。
本当に嬉しかった。
こうした,日本より高い中国の敬精神は広州でも体験した。
今より更に若かった当時の私が,なんと地下鉄で2度も席を譲られたのだ。 -
宝塔から眺める華厳寺と大同市街。
-
1038年の建てられた「簿伽教蔵」。
「簿伽」とは貴人などへの尊称で,「簿伽梵(バカボン)」は仏陀のこととされる。
ちなみに天才バカボンの名前の由来はこの言葉とも言われている。
(「レレレのおじさん」は「チューダパンダカ」とも言われるW。) -
堂内には,遼代に作られたオリジナルの塑像が残っている。
仏に脇侍する菩薩は「東方維納斯(東洋のビーナス)」として有名だ。
完全に女性化して,母性的慈愛を発散している。
本来,観音菩薩を含む菩薩は仏になる前の修行者であり,サンスクリット語源から見ても男性であったはずだ。
菩薩の「女性化」は日本でも見られる現象であるが,それは若干控えめに感じられるのに対して,中国の場合はかなり大胆に表現される傾向があるように感じられる。
それは中国人が,媽祖(海の守り神)や碧霞元君(泰山の女神)などの女神像をいたるところで見慣れているせいではないかとも思う。
もちろん日本にも女神はいるが,アマテラスオオミカミの神像など見た人はいるだろうか? -
続いて「善化寺」へ。
華厳寺の側の通りを南に歩いて行くと城壁の南壁に突き当たる。
その城壁沿いを東に歩いて行けば「善化寺」である。
ここも創建は唐時代と古く,その後重修が重ねられたものの,遼代や金代の建物が一部残っている。
ここでは文殊菩薩でさえ女性の姿をしている。 -
本殿である大雄宝殿は遼時代のもの。
-
鴟尾(しび)は,防火を象徴するシャチの形が見て取れる。
-
先ほどの華厳寺と同じ仏像の配列であり,スケールはやや小さいが,やはり心に迫るものを感じる。
-
三聖殿は金代のもの。
毘盧遮那仏を中心に,文殊菩薩,普賢菩薩が脇侍する。 -
「善化寺」の前は城壁の南門がある。
それにしても,この大同旧市街をすっぽりと包む城壁は,旧来からの城壁を修復したというより,全く新しく作り直したもののように見える。
これまで中国の城壁が残る都市はいくつか見てきた。
しかし,それは昔からある城壁を補修したり,その一部を残したものがほとんどで,この大同のように大きな街を一周するようなものをまるごと再建するというものではなかった。
世界的に見ても,このような城壁は都市機能の阻害要素になるので,近代化に伴い取り壊されていく。
ヨーロッパは特にそうである。
城壁は取り壊され,その跡地には立派な環状道路が整備されている。
ウィーンのリンク通りなどその典型例である。
中国でも首都北京の城壁は取り壊されニ環路という環状道路に生まれ変わっている。
しかるに,ここ大同ではこうした時代の流れに逆行するかのように,巨大な城壁が完全に再建されているのだ。
城壁の本来の目的である都市の外敵に対する防御機能は,今の時代意味をなさないのは明らかだ。
目的は観光都市創りに他ならないはずだが,建設には膨大な資金を要したはずである。
はたして,それに見合うだけのアピール効果はあるのだろうか?
外国人はともかく,国内各地に残されている城壁を見慣れた中国人にとって,はたしてどれほどの魅力があるのだろうか。
そして,莫大な建設費以外に,大同に生活する市民にとって城壁のデメリットはないのであろうか?
まず,城壁に設けられた門は数か所に限定されるため,交通機能は確実に低下するであろう。
また,特に城壁近くの住居などは日当たりや風通しが悪くなるなどの影響も考えられる。
この中国各地にみられる映画のセットのようなあまりにも真新しい,しかしあまりにも巨大な城壁を見ながら,中国の政策決定プロセスがやはり通常の民主的な国家とはかけはなれているなと感じる。
通常の国なら,反対運動や,複雑な利害調整で実現不能だと思う。 -
さて次は有名な「九龍壁」を見に行くつもりであるが,途中「大同府文廟」などかある城壁内の東南部エリアをそぞろ歩くことにする。
そこは,広大な廃墟であった。
中国で廃墟化した街の一角を見ることは,そう目面しいことではない。
どんな都市でも一か所か二か所はそうしたところがあるものだ。
しかし,これだけの広大な面積が廃墟化したのを見るのは初めてだ。
まるで戦争に巻き込まれ,すっかり荒れ果てた街を歩いているような気がする。
「廃墟ファン」が泣いて喜びそうな街である。
もちろんこれは戦争の爪痕でもなんでもなく,大規模な再開発で立ち退きを余儀なくされた街であろうが。
再開発決定からかなり時間が経過しているようで,屋根に草が茂っている廃屋も多い。
最近立ち退いた一家なのか,まだ何か使えそうなものが残っていないか探している風な家族もいた。 -
-
歩いていたら「大同府文廟」や「帝君廟」を見かけたが,どちらもやはり映画のセットみたいにきれいに整備されていて,金を出してまで見る気がしない。
こんなものより,さっきの様々な人間ドラマの残骸みたいな廃墟でもみていたほうが面白い。 -
とうとう九龍壁までたどり着く。
有名な割には入場券が格安だが,広場に単に壁一枚は立っているだけである。
しかし,この九匹の龍の躍動感はさすがに素晴らしい。 -
どの龍も,まるで逆鱗(龍の喉元にある逆さ鱗)に触れられたかのように,この2次元の壁から飛び出さんかのごとく,たけり狂い身を躍らしている。
-
この龍の爪は4本。
よく知られているように,5本爪の龍は皇帝のみ使用できた。(この習わしは元の時代にできたものらしい)
この九龍壁の作り主は,明の太祖朱元璋の第13男朱桂。
北方異民族の侵入に備え,ここ大同に王府を設けた。
その屋敷に建てられた障壁である
皇帝の息子といえど5本爪は使えなかったのである。
さて,今日の観光はこれで終わり。 -
ホテル周辺は近代的で大規模なスーパーがなさそうだったので,そういうスーパーを探すため新市街地へ行くため西門から城壁を出る。
西側から見た大同城。 -
完璧なまでに再建されている。
また城壁周りには,少し趣にかける水路と緑地が巡らされている。
その城壁の外縁は日本人の感覚では無駄に見えるほど広く,その分新市街地に出るまでかなり歩く羽目になった。
これ以上歩く気がなくなり,結局買い物も何もしないでタクシーでホテルに帰る。 -
百度で事前に調べたホテル周辺で一番大きそうなスーパーに行って白酒などを買ってくる。
-
白酒は「青瓷酒」というもの。
あまりおいしくない。 -
夜は,ホテル近くの食堂で,気になっていた食べ物「ヨウメン」がメニューにあったので,それを注文する。
内モンゴル名物としてネットなどで見かける「ヨウメン」は,蒸籠にきれいに蜂の巣状に並べられたもの(ヨウメン窩窩)であるが,出てきたものは,それを皿に移し替え押し詰めたようなものだった。
ソバみたいな個性的な風味を期待していたのだが,そうした風味もあまり感じない。
筒状になった麺を伸ばすと,幅広のきし麺のようになり,酢醤油のつけ汁で食べる。
風味はともかく,その食感は面白い。 -
ライトアップされた大同駅。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
HOUKOUさんの関連旅行記
大同(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
28