1999/11/23 - 1999/11/28
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Tagucyanさん
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前回までが普通の家族旅行でしたので、今回はちょっと「濃いめ」のものを投稿いたします。
自己紹介のところにも書いていますが、私は平成11年11月に国内鉄道線の完乗を達成しました。
その後、新線ができる旅に防衛戦に出かけております。
このとき、最後に残っていたのが、北海道の日高本線。
というか、その1年ぐらい前から意識して残しておきました。
そうして満を持して北海道まで出かけたときの記録になります。
---
この頃は乗り鉄旅行にカメラを持って行くことはありませんでした。
でもこのときは、小6から始めた乗り鉄の1つの区切りということで、カメラを持って行きました。当時は当然フィルムカメラです。
たしかその時の写真が実家の押し入れにあったはずなので、行った機会に探してみました。
現物を見てびっくりしたのですが、車中泊を含む5泊6日の乗り鉄旅を、なんと36枚撮りフィルムたったの1本で収めていました。
まあとにかく当時は写真を撮ることに無頓着だったんですね。
1日に100枚も200枚も撮る現在では考えられません(笑)
ということで、かなり飛び飛びになってしまっていることをご容赦ください。
その時は「区切りだから」と豪勢に、往復とも寝台特急のA寝台個室でした。
いまや客車寝台列車そのものが全滅してしまいました。
また、日高本線も災害で長いこと不通の区間があり、廃止のウワサも聞かれます。
そういう意味でも貴重な記録となりました。
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- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
概要に書いたとおり、記録を写真に残すことには全く無頓着でしたが、記録を残すこと自体はしておりました。
小6で乗り鉄を始めたとき、親に「せっかく出かけたのなら、その記録をつけてみたら」と言われて、このような記録帳をつけていました。
今回、実家の押し入れを探していたら、その記録帳もすべて出てきました。
このときの北海道行きの旅行記が書かれていたノート。
「そのじゅういち」、つまり11冊目ということです。
そして、この旅行をもって、記録帳の記載が終わっていました。
やはり、ひとつの区切りとしていたんでしょうね。 -
このときの旅行の1~2日目が書かれているページ。
この頃には自宅にもパソコンがあったのですが、旅行記だけはこのように手書きで詳細に書いていました。
これがあるおかげで、どういう行動をしたか、何を食べたか、どの宿に泊まったか、いくら払ったか、などが今でも詳細にわかります。
欄外には当日の気温や乗った列車の座席や乗務員名までメモされています。
ホント、この頃はマメだったんだなあ。今じゃ考えられない(爆) -
切符もとってありました。
当時は、昔ながらの周遊券はすでになく、代わりに「周遊きっぷ」というのがありました。
現在は廃止されています。
上の切符が「ゾーン券」。いわばゾーン内のフリー切符です。ゾーン内であれば特急の自由席にも乗れました。
そしてそのエリアまで、少なくとも片道はJR線を使う、というのがルールでした。
(本州エリアの場合は、往復ともJR線である必要がありました)
このときは、往復ともJR線でしたので、「ゆき券」と「かえり券」の乗車券がついています。
これらの切符は正規料金の2割引でした。
当時東京駅丸の内口の地下にあった、JR北海道のツインクルプラザで購入してますね。
あの頃はこのツインクルプラザや、昭和通りの江戸橋の近くにあったJR四国のワープ東京支店をよく使っていました。 -
そして、迎えた1日目。
上野駅の13番線、と言いたいところですが、15番線です。
すぐ向こうに常磐線の「フレッシュひたち(当時)」が見えることからもそれがわかりますね。今と同じ配置です。
ここから、21:41発、上越線・羽越線・奥羽線回りの青森行き寝台特急「あけぼの」に乗りました。
今となってはこの写真だけで卒倒ものです。。。 -
その時の特急券です。
A寝台個室のことを「シングルデラックス」と呼ぶのは、現在のサンライズと同じですね。
ちなみに、雑にスタンプが押されていますが、当時は全区間秋田車掌区の担当でした。 -
正統的なブルートレインの車両。
寝台特急はこれでないといけません。
これに乗り込むときの高揚した気分はもう二度と味わえないんだなあ、と思うと…(涙)
(上着の下の部分が光ってますが、これはこの部分に反射テープが貼ってあり、フラッシュをたくと光っちゃうのでした。) -
A寝台個室の室内。
こんな写真を撮ったんだなあ。よほど興奮してたんでしょうね。
ちなみに記録帳によれば、この部屋は2人用としても使えたらしく、この日は満室で、部屋の数より乗客の人数の方が多かったらしい。
また、秋田までで約半数が降り、弘前で自分1人になったようです。
上野から青森まで12時間半。ちょっと前までこんな列車があったんです。
これを「前近代的だ」と思うのか、なくなってしまったことに対して「余裕のない世の中だ」と憂うのか。
私は後者であり続けたいと思います。 -
明けて、2日目。1枚も写真を撮っていませんでした(爆)
この日の行動
ー(あけぼの号)-青森-(はつかり1号)-函館-(鈍行)-大沼公園-(北斗11号)-苫小牧(泊)
当時、青函トンネルを通る昼間特急は盛岡始発の「はつかり」でした。新幹線の八戸延伸と同時に「白鳥」となり、それが新函館北斗延伸までの間続きました。
ここで、なぜ函館から大沼公園まで鈍行に乗ったかというと、七飯-大沼間の短絡線を乗ったかどうかが曖昧なため、改めて乗っておいたのでした。
当時、下りの特急列車に乗れば必ずこの区間を通ったのですが、「新たな乗りつぶしは鈍行で」という現在にも通じるポリシーに則ってこのような乗り継ぎをしました。 -
2日目の切符は残ってます。
青森から函館まで乗った特急「はつかり1号」の自由席特急券は、窓口でなく自動券売機で買ったようです。
右下に「カ」のマーク。今はなきオレンジカードで買ってたんですね。
当時東北新幹線はまだ盛岡までの営業で、「はつかり」も盛岡始発でした。
記録帳には、青函トンネルを「快速海峡」以外で通るのは初めてだ、と書いてありました。
快速海峡号… 全列車機関車牽引の客車列車で、「はつかり」よりも本数が多かったんですよ。新幹線八戸延伸時に「白鳥」に統合、廃止されてしまいました。
また、大沼公園から苫小牧まで乗った特急「北斗11号」の指定席特急券は、当日大沼公園駅で買ったようです。
なんで前売りで買わなかったかは不明。 -
そして、全国制覇当日となる3日目の朝。
苫小牧駅から、さっそく日高本線の様似行きに乗りました。
当時のダイヤだと、朝イチの列車は静内行きで、様似まで行く最初の列車は8:05発。
非常にゆっくりした朝だったと書いてあります。
静内方面から高校生をいっぱいに乗せた3両の列車が到着し、そのうちの一番後ろの1両だけが折返し様似行きとなったようです。
この写真で扉が閉まっているのは、切り離し作業か何かをしていたのでしょうか。 -
日高本線仕様の列車。今もこの塗装の列車が周辺を走っていますね。
この写真は、列車すれ違いのため停車していた静内駅で撮ったようです。 -
「キハ40 358」
今も同じ塗装で走っているようです。 -
定刻11:19、終点様似駅に到着。
これで、日本国内の鉄道線を制覇しました(心の中でパチパチパチ)。
小学校6年生から始めた乗り鉄趣味に、一区切りがついた瞬間です。 -
せっかくなので、駅名標との2ショット。
「祝!達成」など書かれたものもなんにもなくて、質素なもんです(笑)
たしかこの日のために三脚を持ってきて、セルフタイマーで撮った写真です。 -
様似駅の駅舎。現在も変わっていないようです。
駅前からはえりも岬方面へのバスが接続しており、乗り継ぎ客でそれなりににぎわっていました。 -
様似駅は、委託ではありますが有人駅。
完乗した記念に、入場券や観光入場券、隣の駅までの切符などいろいろ購入しました。 -
で、私はそのあと折返しの列車に乗って静内駅へ。
当時、静内駅では駅レンタカーを扱っていて、ここで車を借り、えりも岬方面に向かいました。
日高と言えば競走馬の産地。あちこちに牧場を見かけました。 -
11月下旬と言えば一番日の短い時期。えりも岬に着いた頃には真っ暗でした。
この日はえりも岬の旅館で宿泊。
この写真は翌日の朝撮ったものですが、むちゃくちゃ暗い写真ですね… -
えりも岬の突端を撮ってみた写真。
-
これは、おそらく泊まった宿の窓から撮った写真と思われます。
思いっきりオフシーズンのこの時期、比較的大きなこの旅館の宿泊客は自分1人でした。
というか、営業していない宿も多かった記憶があります。 -
4日目はえりも岬から帯広までドライブしました。
えりも岬から広尾町のあたりまでは地形が険しく、道路建設に多大な費用がかかったことから「黄金道路」と呼ばれています。 -
広尾町の中心部にある、かつての広尾線の終点広尾駅。
駅舎は現在も同じ姿で、バスターミナルとして使われています。
このあと、旧広尾線の幸福駅や愛国駅にも寄ったらしいのですが、写真を撮ってない…
帯広には、お昼すぎに到着。
帯広駅から、特急「スーパーとかち」の自由席に乗って札幌に向かいました。
周遊きっぷの区間内なので自由席であれば特急料金を払う必要がありません。 -
全然記憶にないのですが、札幌ではホテルにチェックインしたあと大通公園を散歩したらしい。
これはテレビ塔の上から撮った写真。
このあとすすきののラーメン横丁に行って夕食をとったようです。
ベタな観光もしてますね。 -
5日目。この日は雪でした。
札幌から、小樽、長万部と鈍行を乗り継いで、夕方に函館に着いています。
この写真は、たぶん倶知安駅。 -
雪が降りしきる倶知安駅。
長時間停車したのでこんな写真を撮ったのだと思います。
この日、札幌から函館までの道中で撮った写真はこの2枚だけ(笑) -
そして!
函館から青森まで乗ったのが、大阪行きの寝台特急「日本海」。
大阪と青森を結ぶ「日本海」は当時2往復走っていて、そのうちの1往復がさらに函館まで来ていました。
函館からたしか秋田ぐらいまで、空いている寝台を指定席として利用できました。
ちなみに、下りは「立席特急券」で、空いている寝台を自由席として使えました。
このように、昼間の時間帯だけ寝台列車を利用することを通称「ヒルネ」と呼んでいました。
当時、長距離を走る寝台特急の末端区間でこういう扱いをしている列車がいくつもありましたね。 -
青森に着きました。
ここから、今回最後に乗るのは、青森発上野行きの寝台特急「はくつる」です。
この列車もA寝台個室にしました。ただし室内の写真は撮ってません。
この頃にはすでに「北斗星」も「カシオペア」も運転されており、上野-青森間のみを走る列車はこの「はくつる」1往復だけでした。
上野-青森間の寝台列車には、583系のはくつる(東北線回り)やゆうづる(常磐線回り)には何度も乗りましたが、このいわゆる24系といわれる車両の列車に乗ったのはこれが最初で最後でした。 -
上が、函館-青森間の寝台特急「日本海4号」の指定席特急券。
たしか、B寝台の下段を3人で座るように、窓際からA,B,C席と割り振っていたような…(記憶があいまい)
函館駅で当日に買ってますね。
また、下段が青森-上野間の寝台特急「はくつる」の寝台特急券。
当時、寝台特急券だけこのような横長だった記憶があります(ちがうかも)。 -
自分が乗ったのは左側の車両、10号車。
となりの車両には7号車とあります。
たぶん、時期により車両の数を調整していたんでしょうね。
このときの乗り鉄旅、36枚撮りフィルムの最後の写真がこれでした。
---
説明文ばかりが長くなった旅行記は、これで終わりです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (16)
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- マプトさん 2020/06/28 06:48:41
- 日高本線
- おはようございます。日高本線、読みました。もう様似まで行くことが出来ないと思うと、寂しさを難じます。新ひだか(静内)、浦河と道内では割と人口が多い街を通るのに、利用者が少ないとは、車社会を象徴しているようです。富川(日高町)だって、1万人ぐらいの人口です。門別漁港で夜釣りをしていたら、単行の列車が行く場面を見ましたが、もう幻になってしまいました。乗った時期が111月末。昆布干しはやっていないですね。昆布干しが日高本線の風物詩でした。
「日本海」「はくつる」、懐かしいです。「日本海」は、高松の帰りに大阪から函館まで乗りました。GWの頃の乗車で、目覚めたらりんご畑でした。大鰐辺りだったんでしょうね。「はくつる」は、電車時代を含め、関東方面との行き来に何回か乗りました。高校の修学旅行の帰りが上野から「はくつる」で、十和田丸に乗り継いでの帰道だったんですよ。夜行列車と言うか、第一、青森駅、上野駅にすら行かなくなりました。時代ですね。
- Tagucyanさん からの返信 2020/06/28 17:06:13
- RE: 日高本線
マプトさま
こんにちは。
本文にもあります通り、日高本線は私が日本の鉄道路線を全線制覇した記念の路線です。
当時乗っていなかった路線の中から、最果て感のある終着駅がある路線ということで最後に残しておいたのですが、それがなくなってしまうと思うと寂しいですよね。
これが廃線になると、日高振興局(日高支庁と言った方がしっくりくるのですが)から鉄道路線がなくなってしまいます。たしかに、あのあと沿線を車で走りましたが、そこそこ大きな町が連続していました。それでも廃止になってしまうんですからね。
あの当時は、各地にまだ寝台特急が残っていました。
大阪発の「日本海」も2往復あり、そのうちの1往復が函館まで来ていた時代なんですよね。印象として、通しで乗っている人も多かったと思います。いまやそういうので移動する時代じゃないんですね。世知辛いです。
「はくつる」「ゆうづる」583系電車のB寝台でよく乗りました。
それと、あとは欠かせない、急行「八甲田」「十和田」「津軽」。上野駅や青森駅で、自由席の列に何時間も並んだのも懐かしい、そして今後二度とできない思い出ですね。
個人的には、当時も今も、自宅からだと上野駅に行くよりも大宮駅に行く方が早いんです。でもあの頃は上野駅は必須でしたね。今はドライに大宮駅から新幹線です。
ホント、時代ですね。
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Tagucyan
-
- りんた2011さん 2017/10/15 11:02:46
- こんにちわ、はじめまして
- Tagucyanさま
こんにちは、はじめまして「りんた2011」と申します。
フォローありがとうございます。
旅行記を楽しみに読ましていただいています。
全線乗車済みなのですね、すごいですね!!
今はデジカメなので大量に写真が撮れますが、フィルム時代は気軽には撮れませんでしたね。費用面やらプリントしたものの保存やら
わたしも先月に日高本線に初乗車しました。と言っても残念ながら鵡川駅までですが・・・車両は全く変わっていないようでした。
全線の復旧は厳しそうですね・・・
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/15 16:25:31
- RE: こちらこそ、はじめまして
りんた2011さま
こんにちは。
こちらにもフォローいただきましてありがとうございます。
国内鉄道線乗りつぶしを一番積極的にしていた頃は、まだ今のようなデジカメ全盛になる少し前の話で、あまり写真を残すという習慣がありませんでした。
カメラを持って行っても、撮った分だけ現像代がかかりましたから、結構もったいぶって撮っていた記憶があります。
今なんか、数撃ちゃ当たる、たくさん撮れば1枚ぐらいいい写真があるだろう、でとにかくたくさん写真を撮ってしまい、これはこれで管理が大変ですが(笑)
今の日高本線は短い支線に成り下がってしまっていますね。
災害を受けた区間が長すぎて、JR北海道も経営が厳しくて、復旧は厳しそうな気がします。
でも、日高本線塗装の車両はそのまま近くの路線を走ってるようですね。
これからもよろしくお願いします。
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Tagucyan
-
- オーヤシクタンさん 2017/10/06 19:43:57
- すばらしい!
- Tagucyan様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
平成11年‥
つい最近のような気がしますが、デジカメがなく、フィルムのカメラで写真を撮っていた時代なんですね。
上野駅から乗る寝台特急あけぼの号。
乗る時のワクワク感が伝わってきます。
そして、日高本線様似駅でJR完乗.おめでとうございます。
日本全国全ての路線に乗るなんて、なかなかできる事ではありません。
そう言えば、富士フイルムが協賛で、チャレンジ20000キロと言うイベントがありましたが、それにも参加していたのでしょうか?
始発と終点で駅名版に自分が入った写真を事務局に送ると、区間に応じて景品が貰えると言うものでした。
あと、切符の保存状態がいいですね。
だいたい、あの手の切符は月日と共に印刷が薄れていくものでしす。
そして、ノートの記録がすばらしい。
学生時代、クラスでは書記でもやっていたのかと思える細かい記録‥
これは、一生の宝物です。
いいものを見せて頂きました。
ありがとうございました。
オーヤシクタン。
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/07 00:18:18
- ありがとうございます。
オーヤシクタン様
こんばんは。
平成11年、一応平成二ケタですけど…
デジカメもありましたが、まだまだ今のような性能はなくてフィルムが主流だったような気がします。
寝台特急も数多く健在で、乗るときのワクワク感がちょくちょく味わえました。
日本全国の鉄道制覇、始めた頃は夢物語でしたが、そのうち怒濤の攻めで一気に駆け抜けた感じでした。
「いい旅チャレンジ20,000km」ありましたねえ。私も会員でした。
始発駅と終着駅で写真を撮って、それを事務局に送ると認定されて、送られてきたシールを台紙に貼って… 節目の路線に乗ると、自宅の最寄り駅に景品が送られてきて、それを取りに行ったりして。なつかしいですね。
切符はお菓子が入っていた大きな鉄製の箱3つに、一応仕分けして入れてあります。
光が当たらないから劣化しにくいのでしょうか。
でも、台紙によっては指紋だらけになったり、印刷が薄くなったり、逆に黒っぽくなってしまったものもあります。
クラスで書記… やってませんでしたねえ(笑)
いま、旅行から帰ってきて写真をまとめてフォートラに投稿するのを楽しんでいるのと同じ感覚ですかね。
旅行の余韻に浸っている間に書くので、ついついあれもこれも書きたがるというような。
このまま放っておくとどこかに行ってしまいそうなので、またしまっておいて、忘れた頃に再び出して読んでみようと思います。
---
Tagucyan
-
- とのっちさん 2017/10/02 23:05:49
- 平成11年ですか…
- Tagucyanさま
こんばんは。すばらしい時代の旅行記ありがとうございます。
だいたい乗り潰しを意識するのは小学校高学年くらいでしょうか?私もです。私鉄完乗は程遠く、JRも平成25年に東北新幹線乗ってやっと完全乗車です。10代後半を乗り潰しに捧げてしまいEF58のイベント列車を見逃してしまったことが一生の心残りで、最近は車両側に偏っています。
鉄道で夜移動するのが極めて難しい時代、夜行をうまく組み合わせて効率よく乗り潰しができた最終世代かなと思います。朝から晩まで時刻表を読んで、一番効率のよいルートを探す、何よりの楽しみでした。
とのっち
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/03 23:57:28
- 18年前のほぼ日常の様子です
とのっちさま
こんばんは。
私は最初に「時刻表」というものに興味を持ちまして、それが小学3年生くらい。
6年生の時に、親が「乗り鉄界の神様」宮脇俊三の単行本を買ってきて、それが決定打になりました。
中学生の頃には、もう関東一円ぐらいには出かけるようになりましたね。
私の場合スタートがこれなので、乗り鉄一筋。
趣味がら、一般の人よりは車両にも詳しくはなりましたが、専門の方に比べれば全然…
今は夜行といえば長距離バスの時代になってしまいました。
おっしゃるとおり、夜行列車を自在に使っていた最後の年代かもしれません。
そういう意味では、いい時代を経験できたなあ、と思います。
---
Tagucyan
-
- Akrさん 2017/10/02 20:06:51
- 夢のような時代でした。
- こんばんは。Akrでございます。
貴重な旅の記録を拝見させていただきました。いまと比べれば夢のような時代でありましたね。それにしても当たり前に乗れる寝台列車があることあること。
日本海もあけぼのもつい最近まであったのに…懐かしいと思う反面、寂しくも感じますね。
それにしても日本の鉄道路線を完乗されるとは尊敬に値します。
私もこの歳で乗りつぶしなんざ始めちゃったのでせめてJR東日本くらいは完乗してみたいものです。
旅の記録。すばらしい資料ですね。
私も昔、撮ってきた写真をノートに貼って旅行記を作ったものですが、見事に消失してしまいました。
貴重な旅行記とお写真楽しませていただきました。
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/03 23:50:36
- RE: 夢のような時代でした。
Akrさま。
こんばんは。
このお話、もう18年も前の出来事ですので、当時は当たり前だったことが、今となっては貴重な記録となっていますね。
少なくとも寝台列車に乗って出発、というのはよく使う手段でした。
ここに出てくる「あけぼの」「ゆうづる」の他にも、「はくつる」「北陸」「出雲」「あさかぜ」「さくら」などなど、いろいろ乗りました。
夕方新幹線で出発して、大阪で「彗星」「あかつき」などに乗り換えたこともありました。
鉄道乗りつぶし、当時は独身で時間が自由に使えたので一気にやってしまった、という感じですね。今じゃこんなに自由にできないです。
今思えば、いいときにやっておいたなあと思います。
記録帳への反応がこれだけあって驚いております。
自分自身、こんなきれいな形で残っていたとは思っていなかったですね。
当時は時間があったので、こういうところにも手間をかけられた、ということも言えたりして…
---
Tagucyan
-
- S...t...e...Pha...n...i...Eさん 2017/10/02 19:05:29
- 貴重で素晴らしいゴール!
- Tagucyanさん、こんばんは!
すごいお宝写真と記録、切符の数々ですね!
これが全線完乗の記念すべき鉄旅だったというのが羨ましすぎる内容です( 〃▽〃)
今となっては乗れない寝台列車がいっぱい。。。
せめて日高本線だけは復旧してくれたらいいんですけどね。(>_<)
36枚に収まるように撮るってすごいですね。でもその分きっと厳選された、残したい一瞬やったと思うとまたプレミアム感増しますね!
旅の記録帳がすんごいキッチリかかれてて尊敬です!!
私も一応高校生くらいから、行った宿の名前が覚えられないので旅行に出たときだけ日記を書くようになりました(笑)
今も書いてますが、すごい適当なんですよw
でも、いい思い出ですね^^
貴重な記録を見せていただきありがとうございました♪
ステファニー
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/03 23:38:26
- RE: 貴重で素晴らしいゴール!
ステファニー様
こんばんは。
これだけ完全な形で、写真や記録や切符が残っているとは思っていませんでした。
切符など、1つの切符ホルダーにまとめて入っていましたからね。
もっと散在していて、まとめるのが大変かなと思っていたら。
写真については、40枚入るミニアルバムが1つだけで、「え? これだけ?」という感じでした。
当時は撮っただけ現像代がかかりましたからね。今のデジカメのように、撮るだけならお金がかからない時代と比べると、被写体も厳選していたような気がします。
記録帳ですが、始めた頃(まだ小学生)は1回に10行ぐらい、子供の作文のような簡単な文章でしたが、そのうち1日につき見開き2ページ、というのが定着しました。
これの元ネタとして、ポケットに入る小さいメモ帳を持ち歩いてメモしていました。
今回この「小さいメモ帳」がひとつも見つからなかったんですよね。
旅先でどういう風にメモしていたのか、見て思い出してみたかったんですけど。
ちなみに今は、全くメモしてません(笑)
デジカメそのものがメモ帳の代わりになってしまっています^^;
---
Tagucyan
-
- momoneneさん 2017/10/02 08:40:19
- いい思い出
- Tagucyanさん、おはようございまs。
とても貴重なものを見せていただき、Tagucyanさんが大切にしたいお気持ちが伝わりました。「ノート」の記述はすごいですね。ひたむきな情熱そのものです。
雪の降りしきる「倶知安駅」いい写真ですね。
私も、朝から清々しい気持ちにさせていただきました。
momonene
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/03 23:29:57
- RE: いい思い出
momoneneさま。
こんばんは。
先日実家に行ったときに、当時の自分の部屋の押し入れを漁っていたら、目的の写真よりも先に記録帳の方が出てきて、そこでしばし作業中断(笑)
キリがないので、それが入っていた段ボール箱ごと持って帰ってきました。
記録帳は、最初は親に言われて渋々始めた感じでしたが、どうでもいいことに凝るB型の性格そのままに、やがてあれもこれもと書き込むような感じになりました。
でも書いているときは結構苦痛だった記憶があります。
筆圧が高いのでシャーペンの芯はしょっちゅう折れる、ペンだこはできる…
まだ11月でしたが、あれだけの雪が降るのはさすがは北海道というところですね。
札幌から函館まで、鈍行を乗り継いでほぼ1日かけて移動する間、なぜ倶知安駅だけでしか写真を撮ってなかったんだろうとも思いますが、あの雪を見て「写真を撮りたいなあ」と思ったのでしょうか。
まあ、実際には何も考えずに、停車時間が長かったから撮っただけ、というオチかもしれませんが…
---
Tagucyan
-
- BTSさん 2017/10/02 07:35:03
- 日高本線
- Tagucyanさまへ
おはようございます。
朝から感動させていただきました。
Tagucyanさまは18年前に日高本線で日本の全路線を踏破されたんですね。
おめでとうございます。
日高本線は、2015年1月に高波による土砂流出で未だに鵡川駅~様似駅間が不通となっておりバスによる代替郵送をしています。今のJR北海道の懐事情では全線運転再開は難しいかもしれませんね。
私は日高本線には乗ったことはありませんが、車で道央・道東を一周した際に浦河から新千歳空港へ向かう途中にサラブレッド銀座を通りました。
小学生のときから書いていた「旅行記録帳」には感動しました。
ノートにぎっしり書き込みして11冊…私には真似ができません。
お母さまのアドバイスは素晴らしいです。
今になって見直すと、色々と思い出せれることが多いでしょうね。
この「旅行記録帳」は、Tagucyanさまの一生の宝物ですね。
Tagucyanさまは、ノートのまとめ方が上手ですね~しかも字体が綺麗です。
私は学生の時からノートをまとめるの苦手でした。(未だに苦手です)
朝から清々しい気持ちにさせていただきました。
BTS
- Tagucyanさん からの返信 2017/10/03 23:23:58
- RE: 日高本線
BTSさま。
こんばんは。
鉄道線の完乗が見えてきた頃、残っていた路線の中でどれを最後にしようかと考えて、最果ての終着駅があるという理由で日高本線にしました。
最後の1年はそれを意識した行程を組んであちこち出かけておりました。
その日高本線、再建への道のりは厳しそうですね。
もし廃止になんてなってしまったら、と思うと、写真に残しておいて本当によかったです。
記録帳ですが、この頃はもう社会人だったのでそれなりな見た目になっていますが、始めた頃なんか、はっきり言って子供の作文ですよ… 読んでいて恥ずかしくなってきます(笑)
この頃は我ながら丁寧に書いていたなあと思います。
今は手書きで文字を書くことがほぼないので、たぶんヒドいもんだと思います。
手が退化してしまっていて、数行書いただけで「勘弁してくれ〜」と^^;
---
Tagucyan
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