2009/07/21 - 2009/07/28
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ultimo comboioさん
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2009回想 日本人とリスボアの追記として。
8年ぶりに旅の続きを書く気になったのは一冊の本を古書店で手にしたからだった。
戸井十月「道、果てるまで」彼の本や旅のドキュメンタリーは好きで読んだり見たりしていた。この本も以前図書館で借りて読んだ気もしたが購入した。ユーラシア大陸をポルトガル・ロカ岬からウラジオストックまでバイクで横断した時の紀行文だ。NHK BSでも放映された。旅好きにはとても面白い本だ。
彼の叔父に元特攻隊生き残りの俳優西村晃がいる。四十年程前ひょんなことでその西村晃の自宅(新宿百人町だった)行ったことがある。この本に戸井十月も隣り合って自宅があったと書いてありあ~そうだったのかと氏との縁を感じた。
余談はこれくらいにして、公開していないリスボン市内の多くの写真があった事、その後国内においてリスボアと関連のある切支丹の記念碑など訪ねる機会があったので合わせて投稿する事にした。
ザビエルに学び日本人初のヨーロッパ留学生として遥かポルトガル・コインブラに倒れたベルナルド、若桑みどり著「クアトロラガッツイ」の天正遣欧使節の少年たち。
遠藤周作著「銃と十字架」陸路で聖地エルサレムを経てローマに赴き司祭となったペトロカスイ岐部
彼らの軌跡を少し辿ってみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- レンタカー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エールフランス JAL KLMオランダ航空
-
1553年にベルナルドはリスボアに上陸した。
日本では武田信玄と上杉謙信が川中島で初めて戦った年である。
その31年後の1584年4人の少年達はリスボアの土を踏んでいる。
宮本武蔵が生まれた年だ。
天正遣欧少年使節4人が滞在したサンロケ教会は荘厳な雰囲気。
後年、ペトロカスイ岐部もローマからリスボアにきて帰国の船を待っていた修道院での1年間に立ち寄ったことがあっただろうか? -
1506年から1515年にかけて建てられたとあるのでベルナルドが来た時にはすでに
存在する教会だ。
ベルナルドも立ち寄ったのかもしれない。 -
ベルナルド、4人の少年達、ペトロカスイ岐部も目にしたであろうテージョ川。
広大なテージョ川から遥か東洋への船団は出帆し、そして運と勇気を持ち合わせた者達だけが長く厳しい航海を乗り切って帰港した。 -
大航海時代は遠い昔だろうか?
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彼らが見上げたリスボアの空は現在よりもっと青かったに違いない。
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Santa Maria Maior de Lisboa 大聖堂
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28番線で古い街並みを見ながら歴史の街を往く。
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石畳の坂道を上るのは歴史を遡り彼らの足跡を探る事のようだ。
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また余談になるが戸井十月の「道、果てるまで」のリヴィエラで、偶然人口250人のコルニリア村に滞在することになった時の印象をイタリア人の思想家フランコ・カッサーノ「南の思想」を引用しながら次の文章で締めくくっている。
南ヨーロッパの地中海的ライフスタイルは、効率とスピード、勝ち負けと利益がすべてという下品な価値社会と対峙して、まだ辛うじてそこに踏みとどまっていた。 -
ベルナルド、4人の少年達、そして岐部は当時どんな景色を船から見たのか?
上陸後、当時のヨーロッパの社会や暮らしをどのように受け入れていったのだろう? -
船団は大西洋に向かって、このテージョ川を下って行く。
東洋の小さな島国日本は遥か彼方、気の遠くなる距離だ。アフリカの喜望峰をまわりインドゴア、マラッカ、マニラ、マカオ彼らが立ち寄った街だ。
全ては風まかせ強運の持主でなければ達成できない旅。
神に祈るしかなかったのだ。 -
河口に近いこのあたりは広すぎて海のように見える。
-
やがて右手にベレンの塔が見えてくると船団の乗組員はまたここに戻って来られますようにと祈ったに違いない。
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彼らがポルトガルを訪れた頃にはベレンの塔は完成していたので長い航海の果てに船上からこの美しい建物を目にしたはずだ。
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ベレンの塔から見るテージョ川。
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当時ジェロニモス修道院もほぼ完成していた。
-
ポルトガル人でインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマは1524年亡くなった。
インド航路の発見があったからこそザビエルも日本にやってきた。 -
彼らが訪れた頃にはもう偉大なる航海者ヴァスコ・ダ・ガマの棺はこの修道院に移されていただろうか?
-
彼らは我々より数百年も前に現代の世界遺産を見たのだ。
-
ベルナルドがリスボア上陸した約200年後に起きたリスボンの大地震でこの街は
85%の建物が倒壊し大勢の市民が犠牲になった。
大聖堂も王室のパンテオンと主礼拝堂が崩壊、回廊や礼拝堂の多くが大火で
消失した。 -
15メートルの津波がテージョ川を遡ったという。
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この通りの突き当りがテージョ川である。
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地震国であることは日本と同じなのだが日常誰もが数百年前のことなど忘れ去り
現在を生きている。
ファドの響きは生きてきた人間の喜び、悲しみ、魂、その歴史の流れを全て歌い上げているのかもしれない。アマリア・ロドリゲスいいなぁ。
最近のファドはANA MOURAという女性歌手がお気に入りだ。彼女のDESFADOというアルバムのDespiu A Saudadeを聞きながらリスボンの青い空を思い出している。 -
次の写真から場面は日本に移動していく。
私はこの旅をした数年後、彼らの日本での痕跡を探す旅をした。 -
鹿児島市にあるザビエル上陸記念碑。
1549年8月15日鹿児島上陸。
ベルナルドはザビエルが最初に洗礼を授けた薩摩出身の日本人。1551年ザビエルと他4人の日本人と共に日本を離れた。
次の写真に中央のザビエル、ヤジロー、ベルナルドの像。 -
ベルナルドはそれから2年後の1553年3月ポルトガルに向けインドゴアを出航。同9月にリスボア着。
彼はヨーロッパに来たファーストジャパニーズだった。
長い航海の為、病床についたが回復し1554年からコインブラの修道院で暮らす。
その後ローマに赴きローマ教皇にも謁見。
ローマへは陸路でスペインのバルセロナに行きそこから船でイタリアに渡った。 -
中央がベルナルドの像である。
ローマから戻りコインブラ大学で学んだが長旅の疲れなどで病気が悪化、1557年3月に客死したと資料にある。460年前のことである。
コインブラ大学の聖堂にひっそりとベルナルドの墓があるらしい。それには墓誌も何もなく、ただそこに日本の修学生が眠っていることがわかっている。
後年そのことを4トラトラベラーhakodadiさんから掲示板で教えていただいた。
貴重な情報で感謝している。ありがとうございます。
その写真はトラベラーhakodadiさんのコインブラ旅行記にあります。 -
ベルナルドの事が書かれている碑文。
彼の出自は他の誰よりもわかっていない。 -
もう一人の切支丹 ペトロカスイ岐部
大分県国東市国見町岐部にペトロカスイ岐部記念公園はある。
カスイ岐部は1587年豊後国国東郡岐部で切支丹だった両親のもとに生まれる。
ベルナルドが亡くなって30年後ということになる。
天正遣欧使節の少年達が出発した年が1582年彼が生まれる5年前のことだ。
そして彼らが帰国するのは1590年、岐部はまだ3歳にすぎない。
父ロマーノ岐部は戦国大名大友氏の重臣で国東半島北部岐部の豪族。
母マリアの実家も大友氏の重臣。
13歳で長崎有馬のセミナリヨに入学。ラテン語など多くを学ぶ。
4人の少年達もかつて有馬のセミナリヨで学んだ。
長崎有馬(南島原市)では少年使節の伊東マンショ、中浦ジュリアンの指導も受けたらしい。
伊東マンショは小倉を拠点に活動していたが長崎のコレジオで1612年病没。
宮崎県西都市に生誕の地が残る。
中浦ジュリアンは切支丹追放令後も国内に潜伏し布教に努めたが1633年捕らえられ殉教。
一方4人の中で唯一人棄教したとされる千々岩ミゲルは1633年没しているが
2017年9月長崎県諫早市でミゲルの墓とされる場所から木棺の一部が見つかり話題を呼んでいる。 -
岐部神父の歩んだ道
異教徒の真の狙いを疑い始めた時の権力者達はその後家康の切支丹追放令によってマカオなどへ追放。岐部も1614年多くの司教や切支丹、その家族が長崎からマカオやマニラへ。
この時少年使節の一人、原マルティノもマカオへ追放された。彼はマカオの聖ポール天主堂に眠っている。マルティノは焼物で有名な波佐見の出身1629年没。
岐部はその後、インドゴアから唯一人陸路ペルシャの砂漠を通り日本人で初めて聖地エルサレムを訪れる。
1620年ついにローマへ。2年間の熱心な修練の傍らグレゴリアン大学で学ぶ。その年の11月には司祭に叙せられ異例の出世を果たす。
しかし1622年、日本での迫害悪化の報に心を痛めて帰国の意思を固めローマからポルトガルのエボラに着いた。そこではモントリベトの修練院に入り一人前のイエズス会士になった。
その後リスボアのコレジオに入り一年間インド艦隊の出航を待った。
1623年ゴアへ向け出航。アユタヤ、マラッカ、マカオ、マニラをへて1630年16年ぶりに薩摩坊ノ津に上陸し帰国。
同じく家康のバテレン追放令を受けて家族とともに追放された切支丹大名高山右近がマニラで息を引き取ったのは追放の翌年1615年である。63歳。
同じ年に追放されたこの二人の接点はあったのだろうか?
同じ船で追放になったのかもしれない?岐部はマカオ、右近はマニラだ。
岐部がマラッカからマニラに1625年に立ち寄るが右近の死から10年が経っていた。
日本行きの船に乗れるのはさらに5年後のことだ。 -
帰国後、潜伏して布教に努めるが仙台藩で捕らえられ、1639年、52歳の時
江戸であまりにも悲惨な殉教を遂げる。
場所は浅草の待乳山聖天付近らしい。
中浦ジュリアンの殉教から6年、同じく決して転ばなかった強靭な精神。
この年は徳川家光がポルトガル人の来航を禁じた年である。その2年後にはオランダ人を長崎出島に移し鎖国が完成した。
田舎の国道沿いにひっそりとある記念公園の敷地にペトロカスイ岐部神父の像は
ローマに向かって立っている。
奥に見えるのは小さな教会。
日当たりの良い公園に立つ司祭ペトロカスイ岐部の像。
ここのすぐ近くに国見ふるさと展示館がありペトロカスイ岐部自筆のラテン語の書類(写し)など多くの資料を見ることができる。
ここはオラショ巡礼の道という111キロ(いい祈り)のスタート地点でもある。
城下カレイで有名な日出町にある大分トラピスト修道院をめざすらしい。
ヤコブの道・スペイン巡礼が厳しい人はいかがでしょうか?
ザビエルが歩いた道でもあります。 -
国見ふるさと展示館のパンフレット。
豊後の府内は大友宗麟のお膝元。数年前に完成した大分駅ビル前の広場に
ザビエルと宗麟の銅像が建ったらしい。
最後に我々が忘れてはいけないのはあの時代日本をキリスト教国家の侵略から守る為に豊臣秀吉から徳川家光までにキリスト教を禁教とし鎖国という道を選んだことが
正しい判断であった事だ。
日本で起こった島原の乱は特異な戦いである。
アメリカも南米もオーストラリアも当時そこに住んでいた民族は虐殺され奴隷にされ侵略された事実があるからだ。
ヨーロッパに日本人奴隷がいたという説もある。 -
時系列で遥か460年昔を偲ぶ簡単な旅行記作成で今まで点に過ぎなかった彼らの人生が細い線でつながった。
残念だが今回少年達の足跡が次の宿題となっている。彼らを追うには長崎と宮崎の所縁の場所を訪ねることになる。
彼らの波乱に満ちた生涯をジェロニモス修道院の美しいステンドグラスで結びにしたい。
神よわれら旅人に勇気と恵みを与えたまえ
旅人 戸井十月氏のご冥福を祈ります。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- sirokuma123さん 2022/05/28 14:19:45
- たくさんの訪問ありがとうございます
- こんにちは ultimo comboioさん
旅行記を拝見させていただいて、同じようにリスボンや鹿児島を訪問しても旅の深さの違いに感心するとともに、私の旅行がうわべだけの観光であることを反省です。
コロナの規制が少しずつ緩和され始めているので、慎重にかつ出来る限り旅を楽しみたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
sirokuma123
- ultimo comboioさん からの返信 2022/06/02 10:25:01
- RE: たくさんの訪問ありがとうございます
- > こんにちは ultimo comboioさん
>
> 旅行記を拝見させていただいて、同じようにリスボンや鹿児島を訪問しても旅の深さの違いに感心するとともに、私の旅行がうわべだけの観光であることを反省です。
>
> コロナの規制が少しずつ緩和され始めているので、慎重にかつ出来る限り旅を楽しみたいと思います。
> 今後ともよろしくお願いいたします。
>
> sirokuma123
>
sirokuma123さん
こんにちは
コメントありがとうございます。
早くコロナが落ち着いて旅に出られるようになればいいですね。
旅のスタイルは様々 来てよかったーと心から思えれば最高です。
高齢者は残された時を大いにエンジョイしなければと思います。
正に時が金也です(笑)
ultimo comboio
-
- mistralさん 2018/03/30 19:57:14
- こころひかれた旅行記でした。
- ultimo comboioさん
はじめまして。
mistralと申します。
シチリアの旅行記へのお立ち寄り、そして
投票までありがとうございました。
旅行記、拝見しております。
興味深い旅行記でした。
日本とヨーロッパにまたがり
時の流れと空間のつながりが
わかりやすく(一度では呑み込めないのですが)
解説されていて
拝読しますと跡をたどってみたくなりますね。
特に懐かしいリスボア!
かつて巡礼道を100キロだけ歩きましたが
オラショ巡礼道もこころひかれました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
- ultimo comboioさん からの返信 2018/04/01 09:34:18
- RE: こころひかれた旅行記でした。
- mistralさん
こんにちは
有り難いメッセージをありがとうございます。
もう9年も前になるのにポルトガルの思い出は鮮やかに蘇ります。
mistralさんのポルトガル、サンチャゴ巡礼の旅羨ましい限りです。
これから私が行きたいと思っているプラハなどほとんどの国に旅されたご様子、参考になります。
小生サンチャゴ巡礼を今でも諦めきれずにおりますがせめてmistraiさんの行程を
辿れたならいいなと、、、。
これからも良い旅をお続けください。
ultimo comboio
- mistralさん からの返信 2018/04/01 10:18:40
- RE: RE: こころひかれた旅行記でした。
- ultimo comboioさん
こんにちは。
お返事、そして沢山の投票を
ありがとうございました。
その後、もう一つのポルトガルの旅行記、
リスボア コーリングを拝見してまして
途中で気づきました。
その折に、投票とメッセージまでお送りしておりました。
お恥ずかしいです。
今回が「初めまして」ではなかったのです。
> 有り難いメッセージをありがとうございます。
> もう9年も前になるのにポルトガルの思い出は鮮やかに蘇ります。
ポルトガル、何故か心に残る地ですね。
>
> mistralさんのポルトガル、サンチャゴ巡礼の旅羨ましい限りです。
> これから私が行きたいと思っているプラハなどほとんどの国に旅されたご様子、参考になります。
>
> 小生サンチャゴ巡礼を今でも諦めきれずにおりますがせめてmistraiさんの行程を
> 辿れたならいいなと、、、。
私の巡礼はサポート付きの道中でしたから
大丈夫ですよ。
ぜひご検討されると良いと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
- ultimo comboioさん からの返信 2018/04/01 21:07:02
- RE: RE: RE: こころひかれた旅行記でした。
mistralさん
ご丁寧にご連絡ありがとうございます。
小生もかすかに記憶にあったmistralさんのハンドルネームと写真。
4トラでは恐らくよくあることだと思います。
次はどちらへおでかけでしょうか?
では
ultimo comboio
-
- palさん 2017/10/30 00:06:52
- リスボン? リスボアですよね。。。
- こんにちは。
リスボンを訪れた人には、リスボンではなく、リスボアですよね。
私は、1999年から、2000年をまたいでポルトガルを旅しました。
リスボア、エボラ、ナザレ、コインブラ、ポルトと周りました。
リスボアの街並み、坂、チンチン電車、ケーブルカーなど、懐かしい風景ですね。久しぶりに見ました。
ありがとうございます。
ジェロニモス修道院は閉館の日で入れませんでした。
今も心残りです。。。
私が訪れたヨーロッパは、フランス、イタリア、ポルトガルだけです。
ポルトガルは、とってものんびりしていていいですね。
ポルトガルと言えば、バスコ ダ ガマ、フラシスコザビエル、種子島、カステラ、シャボン。。。
それ以外にも、知られざる歴史のつながりがあるのですね。
とっても勉強になりました。
pal
- ultimo comboioさん からの返信 2017/10/31 19:22:28
- RE: リスボン? リスボアですよね。。。
- palさん
こんばんは
コメントありがとうございます。
8年も前の旅行記になってしまいました。月日の経つのは早いものです。
palさんは小生よりもずっと早い時期にポルトガルを旅されたんですね。
小生はリスボン近郊のみだったのでコインブラ、ポルトには是非行きたいと
思っているところですが遠い国ですから、、、。
今後とも宜しくお願いします。これからも旅行記楽しみにしております。
良い旅をされてください。
ultimo comboio
> こんにちは。
>
> リスボンを訪れた人には、リスボンではなく、リスボアですよね。
>
> 私は、1999年から、2000年をまたいでポルトガルを旅しました。
> リスボア、エボラ、ナザレ、コインブラ、ポルトと周りました。
>
> リスボアの街並み、坂、チンチン電車、ケーブルカーなど、懐かしい風景ですね。久しぶりに見ました。
> ありがとうございます。
> ジェロニモス修道院は閉館の日で入れませんでした。
> 今も心残りです。。。
>
> 私が訪れたヨーロッパは、フランス、イタリア、ポルトガルだけです。
> ポルトガルは、とってものんびりしていていいですね。
>
> ポルトガルと言えば、バスコ ダ ガマ、フラシスコザビエル、種子島、カステラ、シャボン。。。
>
> それ以外にも、知られざる歴史のつながりがあるのですね。
>
> とっても勉強になりました。
>
>
> pal
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