2009/07/21 - 2009/07/22
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ultimo comboioさん
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2009年ポルトガル・スペインを旅するためヨーロッパで最初に降り立ったのはパリだった。
ちょうどJALの経営がおかしくなり始めていた頃で、現場の士気も少しあやしくなり、私はこのパリ便で少し不快な思いをした。
期待と不安とともに乗り込んだ成田からのパリ便。
到着すると何故か空港の様子がおかしい。
軽機関銃を持った兵隊なのか警官なのかそこらじゅうに立っていて空港が騒然としていたのだ。
- 航空会社
- エールフランス JAL
-
どうしてパリの空港で最初に撮影した写真がこの一枚だったのか解らない。
それは機関銃を持った兵隊たちの中にいたモデルにしても良さそうな
美人兵士を撮るわけにもいかず
ターミナル移動も制限されてAFのポルトガル便ゲートまで行けない不安と焦りがあったのかもしれない。 -
わけがわからない中で落ち着こうと売店でエビアンを買い椅子に座ったところか。
テロ予告か何かあったのだろうと観念し、他の旅人達と一緒におとなしく待つしかなかった。 -
そして出発便のモニターを確認しながら待った。
当然シャルルドゴール空港のターミナルを見物する余裕もなかった。
この頃はまだアイフォンも登場していないしすぐ得られる情報はない。 -
AF2124便 CX3738便 共同運行だったのだなと、この写真をみて旅行記作成中に知った。20:20発でD72ゲートだったらしい。
-
やがて規制は解除になり人々が移動し始めた。
結局何事だったのかわからないまま搭乗ゲートまでたどり着いた。
この写真は搭乗口付近から写したらしい。ヨーロッパの夏は遅くまで明るい。 -
ヨーロッパでは1990年代には急速にLCCが空路を伸ばしていた。
easyJetは1995年設立されている。
日本はやっと2000年代になってポツポツと就航し始める。
jetstarが成田に就航するのは2007年のことだ。 -
遅れもなく搭乗できた時は本当に安堵した。
AIR FRANCEの機内はほぼ満席だった。 -
パリの空港といえば思い出すことがある。
それは沢木耕太郎の「旅する力・深夜特急ノート」の第三章・旅を生きる の中に彼が旅を終えてオルリー空港から他人名義のアエロフロートのチケットで帰国する時のことが書かれている。
長い旅に出て、彼が久しぶりに見た日本人。
黄色いコートを着た日本人形のような少女が若き日の藤圭子だった事だ。
後年、彼は藤圭子をインタビューした際その時のことを回想し彼女に確認する。その
インタビューの全容が出版されている。あの頃の藤圭子の仕事や思いがわかる。
その本が「流星ひとつ」(新潮社)だ。当時事情があり一度は出版を中止されたが、彼女亡き後出版された。
とても面白かった記憶がある。昨年には文庫本にもなっている。
帰国便で藤圭子を聴く。帰国便これが大事。最高ですよ。 -
そしてついに、目的地リスボンの街の灯りを私は目にした。
長い一日だった。
時差と昼間のパリの騒動もあって眠れないままリスボンの朝を迎えたのだった。 -
帰路はマドリードからアムステルダム経由で帰国した為、私の巴里はあの騒動があった日で時が止まっている。
時が移りJALも新生JALに生まれ変わった。株主でもあった私は損失を被った。
しかし今でも紅組に属して旅をしている変わり者?である。
私が再びヨーロッパの国を巡る日はそう遠くない気がする。
チェコ、オーストリア、ポーランド、ハンガリー、イタリア、スイス、etc
まだまだ旅をやめるわけにはいかないのだ。
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この旅行記へのコメント (1)
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- palさん 2017/10/30 00:23:34
- 私は、ブリティッシュエアウェイズでした。
- 空港で機関銃。
パリ、ローマもそうでした。
日本が平和ボケボケなのですかねぇ。
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