2017/08/01 - 2017/08/03
92位(同エリア729件中)
ねいちゃさん
夏旅、二日目です。
今回は2・3日を続けて、一つの旅行記にしてみます。
理由は・・・あまり「語る」内容がないもので・・・(笑)
とはいうものの、それなりにいつもの調子で進めていくつもりではありますが・・・。
松山でレンタカーを借り、「秘境」に向い今治で一泊した後、
しまなみ海道を北上し、尾道から新幹線で帰るという旅程。
「秘境」で日本の産業遺産から、高度経済成長の歩みを学び
しまなみ海道で美しい景観に心を癒すという寸法です。
それでは、いつもながらの旅日記。
のほほんと参りましょう。
2017 08/01 京都→松山空港→道後温泉→松山城→坂の上の雲ミュージアム→道後温泉
2017 08/02 道後温泉→伊丹十三記念館→マイントピア別子→今治
2017 08/03 今治→しまなみ海道→村上水軍博物館→能島水軍潮流体験船→伯方の塩→尾道→京都
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昨夜は例によってしこたま飲んで、
朝風呂を堪能して、いつもの温泉旅のある意味「日常」。
こうやってのんびり過ごせる時間の何と有り難いことか。
8階の部屋からは、道後温泉本館の雄姿が見えます。
大昔はこの本館が界隈でも一番大きな建物だったんでしょうね。道後温泉本館 温泉
-
10階のお食事処「飛梅」でのご朝食。
温泉の朝食は、とても優雅で美しい。
いつもは朝からガツガツ食べられないけれど
こういう空間ならば、話は別。
お代わりまでしちゃいました。花ゆづき 宿・ホテル
-
おぉ~、これが愛媛名物「じゃこ天」か!
香ばしくひつこくない、程よい塩加減・・・。
結構これはまる!
などと宣う間に、さぁそろそろご出発のお時間です。
従業員さまのお見送りを背に出かけます。 -
イチオシ
駅前到着。
いよでん名物「坊ちゃん列車」が鎮座されてます。
松山は夏目漱石が暮らした町でもあるのですが
小説「坊ちゃん」の舞台となったことの方が有名です。
商魂たくましく、あちこちで「坊ちゃん押し」が見受けられます。 -
この列車は展示物ではなく、現役の路面電車となって市内を走ります。
通常運賃は160円ですが、コイツは別料金800円と高額。
どうしても乗りたーいというわけでもないし、もし時間があえば・・・と
軽く考えていたのですが、この日は某国の団体客が全席取り押さえ。
プラットフォームでは朝から何か食ってるし、大声で話すし、
列車の前での記念撮影は、入れ替わり立ち代わり収まる気配もありません。
こうなると何かイラっとはするんですが、京都でもいつもの風景。
「坊ちゃん列車」に絶対乗ってやる!と思うほどでもありません。(笑) -
某国の団体さんが小さな車内に詰め込まれたのを見て
おもむろに列車のお顔を一枚。
添乗員さんも居られたようですが、大勢の方を一定方向に導くという仕事は
ホント大変な仕事だなぁといつも思います。
人って集まるとハメ外しすぎるバカもいるし、元より話が通じない輩もいるし、
特に外国の方だと文化という底辺が違うのだからねぇ。 -
ここから松山駅に戻って、予約しておいたレンタカー屋さんに向います。
松山から一気に新居浜近くまで高速で移動し、
そこから別所銅山へ向かう計画。
公共交通機関は嫌いじゃないのですが
どうしてもピンポイントで行きたい場所となると
どうしても車使ってしまうんですよね。 -
伊丹十三記念館
市内から高速までの道中にあった記念館で、チェックしておきました。
むっちゃ伊丹十三さんが好きというわけではありませんが
才能豊かな変な人というのは、興味ある存在なので
何か学べるだろうと足を運んだ次第です。伊丹十三記念館 美術館・博物館
-
伊丹十三記念館
http://itami-kinenkan.jp/ -
こじんまりとしてすぐに見終わるので、少し入館料は高めかなとは思いましたが、
伊丹十三という稀有なる才能に感銘も受けました。
伊丹さん、マンションから飛び降り自殺をされたとのことですが、自殺説を否定される方もいて、真相は「謎」だと言われています。
才能あるが故に批判的な精神から敵も多く作った人生、興味の尽きない人物ですね。
かなり前の大河ドラマで、足利義昭役を好演されていた印象が私的には強い俳優さんでした。 -
イチオシ
車で高速に乗り、そこから新居浜方面へ。
どこへ行くのかというと、「東洋のマチュピチュ」別子銅山なんです。
そこに、かつて「町」があった。
今はその「面影」だけを残す遺跡となった。
ここは日本の産業遺産の一つで、我々が生まれた頃にはまだ操業していた、
ある意味、生まれてホヤホヤの歴史遺産。
こういう所もこの頃は好物だったりします。マイントピア別子 東平ゾーン 名所・史跡
-
旧保安本部(現在は東平マイン工房)
1904年頃建設された建物といいますから、日露戦争の時分。
微妙に「坂の上の雲」とも繋がってて面白い。
今は銅板を使った体験などがおこなわれていました。
ここのおねいさんに、この遺産の沿革などを教えてもらい、
俄然興味が高まりました。 -
イチオシ
写真のL字型の石段は建設当時のもので、崩壊の危険性もあるので現在は通行不可。
この階段、駅舎の跨線橋に似てますよね、そうなんです、
この下には第三通洞・日浦通洞を走る鉄道のホームがあったんです。
ほほぉ~でしょ。 -
小マンプ
東平集落にある短いトンネルが小マンプ。
マンプとは坑道を意味する間符から転じたものとされています。
現在、小マンプの中は、東平にゆかりのある鉱山運搬機器展示場となっています。
実際向こうまで通り抜けて見ましたが、ちょっと薄気味悪い感じ。
運搬機器も坑道も思っていたものより、遥かに小さくて
作業の大変さがこれだけの展示品からも伺えます。 -
世界的産業遺産の里
マイントピア別子
http://besshi.com/machu-pikchu/
東平マップ -
東平歴史資料館で、この集落にどれだけの人々が暮らし、
どんな生活が行われていたのかをじっくり学ぶことができました。
私らの旅は常に学び旅でもあるので、ここはすごく良い所でした。
生活の大変さについては、まだ自分自身が消化しきれてないので
上手く伝える自信はないのですが、一端でもご紹介させてもらいます。 -
別子銅山は1690年に発見されて、翌年から1973年にまで、江戸から昭和にかけての4時代283年間にわたり、胴を産出し続けました。
最初は海抜約1200mから採掘され、最後は海抜マイナス約1000mまで、営々と掘りづづけられましたが、深くなるにつれ銅品質の劣化が激しくなったようです。
開坑から閉山まで一貫して「住友」が経営した、日本はもとより世界でも例のない銅山です。 -
標高1100mに位置する第一通洞から、斜めに掘り深められた東延斜坑が明治28年に完成し、鉱山の近代化は一挙に進みました。
しかし、斜坑の性格上、高い標高への巻き上げとそこからの輸送に大きな課題が生まれます。
この東延斜坑の底部に水平の坑道を作れば、搬出や輸送もしやすくなる。
その水平の坑道が第三通洞で、明治35年が完成。その出入口に当たる所、標高750mの場所に位置する所が、ここ「東平(とうなる)」地区だったのです。 -
この第三通洞の完成を経て、別子銅山は近代化を加速させることになります。
東平に鉱石選別所が置かれ、坑内鉄道も引かれ、湧水も電動ポンプにより人力による排出から解放されることになりました。
そして東平は、大正五年から昭和五年まで、別子銅山の本部が置かれ、鉱山関連施設の他、病院・高等小学校・郵便局・娯楽所なども整備され、最盛期には人口5000人が暮らす鉱山の町となっていきました。
最盛期の様子は、下の新居浜市作成のCGをご覧いただくと大変分りやすいです。
高精細CGで蘇る東洋のマチュピチュ「天空のまち 東平」
http://www.city.niihama.lg.jp/kanko/43/index.html -
イチオシ
インクライン跡
端出場(はでば)から索道で東平へと運ばれてきた物資は、長さ100m、傾斜角35度のインクライン(傾斜面を走る軌道)を通じて荷揚げされていました。
現在、インクラインはマイントピア別子東平ゾーンの園内遊歩道の一部、220段の長大階段に生まれ代わっています。
大変趣のある階段なんですが、一つ問題があって・・・。
「端の草地に入らない。マムシ注意!」との看板があって、
私怖くて「ど真ん中」しか歩けませんでした。(笑) -
イチオシ
東平索道停車場跡
索道とは、採鉱された鉱石を搬器(バケット)と呼ばれる専用のカゴに入れ、山間の空中に張り巡らされたラインを伝って運搬するロープウェイのような施設のことで、
東平索道停車場は、鉱山施設が集中していた東平集落の下部にあり、
東平と端出場(黒石)を結ぶ主要輸送機関でした。 -
昭和43年の閉坑までの間、鉱石は、隣接する貯鉱庫から搬器に移され、端出場へと運ばれていました。
索道の長さは全長3575m、搬器のスピードは時速約2.5m、
一日の鉱石の搬出量は900トンもあったそうです。 -
また、日用生活品や郵便物、新聞などもこの索道で輸送されており、
東平における物資輸送に欠かせない施設として広く利用されていました。
現在、赤レンガ造りの東平索道停車場の遺構があります。
この写真には索道基地跡の説明板がついていますね。 -
この索道跡や貯蔵庫跡などの外観や周辺の景色は、
ペルーにある旧インカ帝国の世界遺産「マチュピチュ」にもたとえられ、
東平が「東洋のマチュピチュ」と称される所以のひとつとなっています。 -
そうなんですよね~、今回、マイントピア別子を旅程に組み入れたのは、
この「マチュピチュ」という言葉の響きに惹かれてのものなんですよね。
ただ、この「東洋の」とか「日本の」とかつくのって、いわゆるパッチもんだし、
本物見てきた私らはどっか「上から目線」でもあるんですね。 -
その「上から目線」をある意味、裏切ってくれるのが東平です。
遺跡自身は小規模で「マチュピチュ」のスケール観には遠く及びません。
また、歴史といっても、たかだか大正・昭和なわけで、深さもありません。 -
でも何でしょう?
ここへ来た時の圧倒的な空気感というか、
重厚さというか、圧迫感みたいなものがビシッと伝わってくるんです。 -
人がね、ついこの間までね、厳しい自然環境の中、こんな山奥の人工的な集落に
閉じこもって、明日の糧の鉱石を掴んで、懸命に懸命に暮らしてきたという息遣い、
そんなものが聞こえるような場所だと思うのです。 -
「マチュピチュ」では整備されすぎて、そこに暮らしたアンデスの人々の息遣いはもうかき消されてしまっていたけど、この東平は粗削りでまだ残ってる、そんな感じでしょうか。
その意味では、「東洋のマチュピチュ」という表現も、許される範囲かな~と思います。方向性は違うんだけどね~。 -
貯鉱庫跡
銅山から運ばれてきた銅鉱石を麓に運ぶために、一時的に保管するための倉庫です。
貯鉱庫は上段の上貯鉱庫と下段の下貯鉱庫の二つから構成されていました。 -
第三通洞から電車にのせて運ばれてきた銅鉱石は一旦、上貯鉱庫に保管され、
上貯鉱庫と下貯鉱庫の間の選鉱場において、銅の含有率の度合いによって
鉱石と岩石とに手作業で選別されていたそうです。 -
イチオシ
赤レンガに緑の苔がうっすらと繁茂して、時の流れを感じさせてくれます。
レンガの壁には亀裂も入り、いつ崩壊してもおかしくない様子です。
この外観を残していくのは、凄く手間と時間のかかる作業でしょうね。 -
この貯鉱庫の石壁は、しまなみ地方で産出された花崗岩を使って建造されています。
ナイフの刃が通らないほどの精巧さはありませんが、同サイズの石が規則正しく並べられていて、日本人の手になる石壁だと思わせる遺物だと思います。 -
どうですか?
この美しい石壁は、マチュピチュに近いものを想像させてくれます。
ここは立派な産業遺産なんですよね~。 -
マイントピア別子の端出場ゾーンは、国道沿いの如何にも小学生向きのテーマパーク然としておりますが、この東平ゾーンはちょっと異質。
決して軽い気持ちで来ちゃいけない場所だと思います。
もっとも国道折れてからは一車線の離合も難しい手強いスンゴイ山道なので、異質感は伝わるんですが・・・・。 -
いや~、来てよかったです。
私が小学生になる頃まで、この銅山での生活があったということに深い感銘と驚きをもって感じることができました。
ではかつての生活の有り様を、youtube動画版で体感してください。
「天空のまち 東平(告知板)」
https://www.youtube.com/watch?v=kz_Xm19Hcfw -
マイントピア別子 端出場[はでば]ゾーン
東平ゾーンの重厚さから、一転、観光列車がお出迎えというポップな展開に。
ここ端出場は海抜156mの採掘の最終本部が置かれた所。
全延長一万mにもなった第四通洞や旧端出場水力発電所を見ることができます。マイントピア別子 端出場ゾーン テーマパーク
-
マイントピア別子という道の駅の周辺にいくつかの遺構が残っていますし、
マイントピア別子では鉱山鉄道や観光坑道を見学できます。
というわけで、本館2Fの「端出場駅」から、鉱山鉄道「別子1号」に乗車し、実際に使われていた鉱山鉄道を走ります。 -
端出場の全長333mの観光坑道に入りましょう。
ここは旧火薬庫だったところで、江戸時代から近代までの採掘や納税の様子がマネキンで作られています。 -
マイントピア別子 端出場ゾーン
鉱山観光は、一般・大人で1200円。砂金堀り体験のセット料金だと1600円。
また、別子温泉~天空の湯~は大人500円から入浴可。(2017年8月現在)
鉱山観光
http://besshi.com/kouzan -
入ってすぐのところに「歓喜坑」のジオラマ。
元禄4年、幕府の許可を受け、別子山中に最初に開いた坑口がこの歓喜坑だそうです。嬉しくて歓喜に沸いたところから命名されました。
あ、本物は他の場所にありますよ、これはジオラマ、セットです。 -
巨大なジオラマ、一個一個が動くのですが、まぁ雑多な動きなので・・・。(笑)
小さいお子様は面白いかもしれません。 -
何よりうれしかったのが、坑道では温度が20度くらいになったこと。
外気温はうだるような暑さですから、ほっと一息付けました。
鉱山観光は、寂れたテーマパーク展示レベル。敢えて行く必要はないかもしれません。
それより水力発電所などの見学があれば、学べたのにね。 -
昼飯抜きなので、少し空腹・・・で、じゃこ天を昼食替わりに。
さてと、次は今治行って、ご当地の名産今治タオルを買いに行きましょう。
高速を少し戻って、今何かと話題の今治へ(加計学園?!)・・・。 -
今治タオルの大きな店舗でご自宅用のバスタオルをご購入。
その後少し戻って今宵のお宿に・・・。
ケーオーホテル
http://www.keiohotel.co.jp/スペイン風のおされなホテル。。。たまにはこんな贅沢も「いいね」。。。 by ねいちゃさんケーオーホテル 宿・ホテル
-
華奢な感じがむしろいいお部屋。
ペルーのクスコでお泊りしたような、中庭のあるスペイン風のつくり。
こちらもマチュピチュづいてますね。 -
でっかいホテルではありませんし、プチホテルというほど小さくもない。
なかなかオシャレないいホテル。 -
イチオシ
アメニティグッズなどは、ご当地柄今治タオルオンリー。
スリッパとか、パジャマとかも、今治タオル。
夏場だしまとわりつくんかな~と思ってましたが、全くの杞憂。 -
朝起きても、肌にさらさらなのは驚きました。
汗ばむって感じがしないもの・・・。
さすがにいいものはいいですねぇ。
お値段は2万くらいしますが・・・。パジャマに2万か・・・。
ちょっと無理だなぁ~。(笑) -
さて、夕食です。国内旅行では珍しい、フルコース料理です。
まずは食前酒、スパークリングワインをいただきます。
良く冷えて、さっぱりして美味しい。
ほぼ一気飲み状態でした。(笑) -
鯛のカルパッチョ
穴子と夏野菜のアヒージョ・パン
カリフラワーとじゃが芋のスープ -
室内も落ち着いた装飾で、照明もやや暗くいい感じです。
内庭がよく見えるんですよ。
鉢植えにレモンの木があって、レモンが実をつけてます。 -
シマアジと有頭海老のポワレ、枝豆入りのバターライス添え
トマトソースとジェノベーゼソース
お口直しのシャーベット
牛フィレ肉のグリエ、コンチネンタルジャポネ
サラダ、ホワイトチョコとヨーグルトのムース
有機栽培のコーヒー -
結構な料理でした。
「旅先でのフルコースも有りだな」とヨメさんともお話し。
そろそろマジックタイムの時間かな~。
月がはっきりと見えてきたね。 -
夕暮れ時になると、ガラリと印象も変わる。
いい感じですね~。
もっとも近くには何もないので、お出かけとは無理なんですけど。 -
実は、夕食時に360mlの赤・白ワインの飲み比べ・・・みたいなをやりまして
結構いい塩梅で「うぇ~い」な感じになっております。
ワインってあんまり飲まないんですね、わたし。
バーボンとか日本酒とかはがぶ飲みするんですけど・・・。 -
ホテル内の売店
今治タオルをはじめとした高級品ばかりで・・・
「見るだけ」・・・になっております。 -
部屋数は14だったかな、多くはありません。
ホテルというより、会議とか結婚式とかそういう類で利用するのが
メインなのかもしれません。
部屋に戻ってガラス張り?のお風呂入ったら、もう爆睡でしたっ! -
8月3日、最終日の朝です。
グレープフルーツの実演直搾りジュース-びっくりするほど、濃厚で酸っぱいです。(笑)
三種の自家製パン-どれもこれも美味しすぎます。
フルーツとヨーグルト -
ケーオーホテル自慢のドイツの伝統技法で作られたロースハム
幅の太さを指定して、これも目の前で切ってくださいます。
特筆すべきは、ハムの後方にちらっとみえてるコンフィチュール
これ、パイナップルなんですよ~。
ハムにつけて食べるのがケーオー流。
これがまた結構合うのが不思議・・・。 -
すっかり朝ごはんも満喫させてもらいました。
いつもの旅行とは違った感じを、二人して楽しんでおります。
さてと、そろそろ出かけますか? -
今日はしまなみ海道を北上しつつ、島々に降り立って時間の許す限り珍しいものを見てまわろうという魂胆です。
ですから、次から次へと観光拠点を移動しまくります。来島海峡展望館 名所・史跡
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で、最初に訪れたのが四国から見るしまなみ海道。
来島海峡展望館
http://www.go-shimanami.jp/spot/?a=95 -
暑い一日になりそうですが、景色のせいか涼しくも感じます。
それにしてもいい天気・・・。 -
イチオシ
こうなったら「広角」でしょー。望遠と広角、ホント重宝してます。
この空の広がり、画角が中央に引き込まれるような歪みがどうしてもでますけど
こういう写真って結構好きなんです。 -
来島には来島村上氏という水軍がいたんですが、
こうして来てみると伊予の河野氏との関係が深いというのがよくわかります。
完全に四国だものね。
なるほどなぁー、と一人で納得しててすいません。(笑) -
それにしても、いいとこやね~。
こんな景色いつまででも眺めていられる・・・でも見て回らないと・・・。
目の前の大橋を渡って、次の目的地「大島」へ。 -
イチオシ
大島、亀老山展望公園にやってきました。
先ほど渡った来島海峡大橋が眼下に見えています。
上の写真とは海峡を挟んでちょうど反対側になります。
高速降りて結構細い道をクネクネのぼってきました。亀老山展望公園 名所・史跡
-
亀老山展望公園
http://www.go-shimanami.jp/spot/?a=182
「亀老」って面白い名前ですね。何でも黄金の観音様を背負った大亀を
旅の僧が見つけ、観音様を安置する寺院を建てて大切にお祈りなさったそうです。
それ以降、このお山は亀老山と呼ばれるようになったとか・・・。 -
風景しか撮ってませんが、展望デッキも凄くオシャレ。
展望台は景色のいい所に建つのは当たり前なんだけど、その展望台のせいで景観が台無しになるジレンマも抱える存在なんですよね。
そこで建築家隈研吾さんを中心としたプロジェクトが始まりました。
展望台を景観に埋没させる「見えない展望台」として作られたんだそうです。 -
亀老山展望公園は、日本サインデザイン奨励賞受賞など輝かしい栄誉と一緒に
展望台から眺める見事な景観を我々に提供してくれています。
駐車場の売店は、古いあばら家(失礼?!)的な感じなんですが
展望台は近未来の、何というか変身もののヒーローが活躍するような場所で、なかなか違和感ありまくりでした。 -
ここでは丁度夕日がいい感じに沈む風景を見せてくれる絶好のポイントで
多くの雑誌などでも有名なんで、真昼間ですけどちょっとその感じを味わおうと
加工してみました。
「なんちゃって、亀老山の夕暮れ」(笑) -
ほんと絶景でした。しまなみ海道を通られる方はぜひお立ち寄りくださいね。
あ、しまなみ海道はサイクリングのメッカでもありますが、
亀老山は標高307mの低いお山のくせに、くねくねの急な坂道が続き
かなりハードそう。何人か追い越しましたが、皆さんホント大変そうで・・・。
チャレンジされる方は心して、チャレンジなさってください。 -
大島の北の方に回ると、宮窪地区にでます。
そこに次の目的地「村上水軍博物館」があります。
結構期待してた場所・・・どういうふうに切り取ってるのか、興味津々。村上海賊ミュージアム 美術館・博物館
-
昔はそんなには有名ではなかった「村上水軍」ですが
やはり和田竜さんの「村上海賊の娘」のベストセラーで
一気に知名度を高めましたね。
大河に取り上げられると観光地が潤うみたいに・・・。
歴史の関わり方に王道も邪道もないので、これはこれで正解ですね。 -
実際、村上水軍が三家あって、それぞれが半独立的に対等というのも
あの本のお蔭でよくわかったし、毛利や本願寺門徒との関わりとか
立ち位置なんかも面白く読ませてもらいました。
海賊の娘がどんだけ活躍したのか、というのはフィクションなので
その辺りはちょっと浮いてる感じもないこともないですけど
村上水軍という背景が丁寧に描かれていたと思ってます。 -
さて、村上水軍について、語ってみましょうか。
中国から四国の芸予諸島を拠点とした海賊、能島村上家・因島村上家・来島村上家の三家が一般的に村上水軍と呼ばれています。 -
その起源については、信濃村上氏説や村上源氏説など、諸説あってよくわかりません。
歴史書での初見は、南北朝の頃で、すでに瀬戸内海の制海権をもっており、
海上に関所を設け通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や警護請負など
海賊業務が主な生業だったみたいです。 -
三家ともそれぞれ村上の前につく島名に拠点があり、中国に近いのか四国に近いのかによって、戦国期には臣従する大名家も異なっています。
因島村上氏は毛利氏に、来島村上氏は河野氏に臣従していましたが、最終的には毛利系の一翼を担うことになります。 -
1555年、強兵を誇る陶晴賢2万の軍勢を謀略でもって、安芸宮島に押し込め、
毛利4千が急襲し大敗に追い込んだ厳島の戦いには、
諸説あるものの村上水軍が合流し大いに活躍したと言われています。
この戦いで、毛利元就は戦国大名として名乗りを上げるとともに、
村上水軍も海賊として勇名をはせることになるわけです。 -
とか言ってる間に、なんか船乗ってますね。(笑)
この村上水軍博物館前には、宮窪瀬戸潮流体験という遊覧船が出てるんです。
1時間毎で、所要時間40分。料金は大人1000円。(2017年8月現在)宮窪瀬戸潮流体験 乗り物
-
宮窪瀬戸潮流体験HP
http://www.noshima.jp/choryu
グーグルマップからいただきました。
これが能島城です。海峡の潮流の早さがこの写真からでもわかります。 -
今治の来島にも遊覧船がありましたが、私らはこちらにしました。
理由は・・・こちらの写真。
「能島」を間近で見られるからなんです。 -
あの小さな島が「能島村上氏」の拠点、能島城があった所なんです。
ここへは船でしか来れませんもんね。能島城跡 名所・史跡
-
普段は上陸できない能島ですが、ここは桜でも有名桜満開の時期の週末には
季節船が運航されており、花見客でにぎわっています。
ですが、これが厄介な問題を産むんですね。
江戸時代以降無人島となっていたため、能島城跡の保存状態は良好だったんですが
桜が植えられてから、桜の根が遺跡を破壊していることがわかってきました。 -
で、遺跡を守るため桜の伐採が計画されている状況となっています。
地元の方々にとっては花見の時期の楽しみが無くなるのも問題だし
伐採される桜も生きているわけだし・・・
かといって、他に例を見ない海賊の水城跡の保存も必要・・・。
観光か保存か、いつも出てくる問題ですねぇ。 -
現在では遺跡保存に舵を切ったようで、
村上水軍城の本丸や二之丸・三の丸などの再現が進行中だそうです。
いつか「村上海賊の娘」に描かれたような、往年の雄姿が見られるかもしれません。 -
このあたりは瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つ。
しかし島の位置関係から干満時には激しい潮流を生み、
渦巻く急流は天然の要害ともなっていました。 -
宮窪瀬戸潮流体験では、エンジンを止めて潮の流れに船を任せることも
してくださいました。
結構なスピードで流されていきます。
かなり面白い体験・・・。 -
この海域を知りつくしてないと座礁する危険性が高いので、
通過する船に対して水先案内人として船を案内し、通行料を取ることができた。
効率よく収入を増やすため、室町期には能島城を築き、制海権も握っていったんでしょうね。 -
実際こういう潮流を見てみないと、村上水軍の飯のタネの理屈もわからないから
現場百遍ではありませんが、歴史のその場に立つという経験は大事だと思います。
頭ではわかっていても、体感として理解できませんからね。 -
イチオシ
写真でおわかりでしょうか?二・三段の曲輪が見えています。
もっとも高い部分が本丸となります。
また砂浜すぐ上の岩礁には、無数のピットがうがたれており
桟橋用の柱穴跡だと考えられています。 -
右手が能島、左手が鵜島。
狭い海峡は潮流が速く複雑で自然の要害。
海が天然の外堀だったのですね。 -
遠くに「しまなみ海道」が見えています。
見近島に橋脚を預けて、橋が島をまたぐ形で建設されています。 -
この灯台のある島、何でも「鶏小島」というらしいです。
確かにここに灯台がないと海難事故は多いでしょうね。 -
丁度3つの小島が点々と続いています。
昔、神功皇后が三韓征伐から帰られる途中、伯方島の有津に立ち寄った時、
三韓から持ち帰った金の鶏が、逃げてこの島に住み着いたそうで、
元旦にその金鶏の鳴き声が東天紅(とうてんこう)と聞こえると
幸せになれるという伝説があるそうです。 -
そして、このあたりの狭い海峡は「船折瀬戸(ふなおりせと)」と呼ばれる海域。
その名の由来は、海の難所であるここを船が航行した時、
真っ二つに折れてしまったという話から来ています。 -
船をへし折るほどの早い潮流、速度は9ノットだそうですが、
ノットと言われてもピンときません。
そうですね、だいたい約16.6キロほどのスピード。
自転車よりも少し早い感じ?かなり早い潮の流れですね。 -
伯方・大島大橋
橋を下から見上げると結構な迫力ですよね。 -
大橋を渡って、造船所の所までやってきました。
船頭のおじさん、いい感じでガンガンとばさはるので、面白い。
造船所も間近まで船をよせつけてくれはります。 -
しまなみ造船。クレーンが軽々と運び上げてるのは鋼鉄の塊なんですよねぇ。
結構な近さまで船を横づけされるので、クレーンから落ちてきたらどないしょ~、
とちと怯え気味。 -
ばら積み運搬船。でっかいっすね~。
ここではこういう類の船を建造しているみたいです。 -
この潮流体験船、なかなか面白い。
ただ、海流を追っかけるだけでなく、結構いろんなところへ連れて行ってくれはります。 -
造船所の作業員の方も手を振ったりしてくださるし・・・。
なかなか陸上からは見られる景色ではありませんし・・・。
結構おすすめです。40分で1000円ですから、コスパもよさげではないでしょうか。 -
村上武吉[むらかみたけよし]
村上水軍を語る上で、やっぱりこの方の概略くらいはお話ししないとねぇ。
小説では娘さんがやたらクローズアップされていますが、この方なくしてはこの娘さんも居られませんから、本当の主役はこの方なのでしょうね。伯方 大島大橋 名所・史跡
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武吉さんは戦国時代から江戸時代初期にかけて、能島村上水軍の大将をつとめられた能島城主さんです。
ただ村上氏は、源氏系列に属するようですが、清和源氏・村上源氏など諸説あって、出自はよくわかっていません。
まぁ海賊ですからね~、わかる方が珍しいのかもしれませんけど。 -
村上氏はここ瀬戸内の能島・来島・因島の三島に分かれて勢力を張りますが、拠点の位置関係から、因島村上氏は安芸の毛利方に近く、来島村上氏は伊予の河野氏に近かったようですが、能島村上氏はこれら戦国大名とは着かず離れずの微妙な立場でうまく泳いでいたようです。
-
もっとも全く独立した立場というのもとれませんが、多くの戦国大名が影響下に置きたいと思うような、自らの価値を高く見せる工夫はうまかったのかもしれません。
有名な厳島の戦いでは、毛利方に「一日だけ味方した」というお話が広く流布していますが、これも史実としては確証がないのも事実です。
一方で、この後の村上氏の発展は、毛利方の保護なしでは考えにくいですから何らの深い関係があったんでしょうね。 -
村上武吉の活躍を一番有名にしたのは、やはり織田信長との戦い、第一次木津川口の戦いでしょうね。
1576年(天正4年)7月13日、織田信長の攻囲を受ける石山本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利方との戦い。
大阪湾木津川河口で激突、毛利方の水軍の焙烙玉・雑賀衆の焙烙火矢の前に、織田方の水軍は壊滅的な打撃を受け、石山本願寺への兵糧搬入を成功させた海戦史上の愁眉といえる戦いです。 -
もっとも1578年の第二次木津川口の戦いでは、さすがは織田信長、鉄船6隻で焙烙玉を完璧に寄せ付けず、見事に打ち破っています。
織田信長の軍事的な才能はまさしくこういった局面で、二度と同じ過ちをしないことに尽きるんでしょうねぇ。
敗因をそのままにしない、なぜ負けたのかを考え対処する、これは今を生きる我々も大いに学なばねばなりません。 -
その後の村上武吉は、信長による中国征伐の中、毛利方として独自の活躍も見せますが、本能寺の変で全ての歯車が狂いはじめます。
毛利が秀吉傘下に入ると、独立的な立場の武吉は孤立し、毛利の小早川隆景に敗れて能島を奪われます。
また、海賊禁止令に背いたかどで秀吉陣営から詰問も受けたようで、その後は陸での生活を余儀なくされてもいます。 -
村上水軍はその後の朝鮮侵略に参戦するも、関ヶ原では西軍に組し、江戸幕府の制海権掌握の中で、戦国の海賊としての村上氏の歴史上での役割は終わります。
その後は朝鮮通信使の警護などが主な役目となっていきます。
最後にもう一度グーグルマップから・・・。
能島村上氏の活躍の拠点でしたっ! -
とか何とか言ってる間に、日本の氏神さまと言われる大山祇神社にやってきました。
この神社は、伊予国一宮で、大山祇神社の総本社。
山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将、はたまた自衛隊の関係者など戦からみの方々から多くの尊崇を集めておられます。
あ、しまった。御朱印帳忘れた~。大山祇神社 寺・神社・教会
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広い参道の直線上に「楠」があり、何でも初代天皇の誕生と同じ起源をもつそうです。神武さん出ましたね、ちょっと頑張りすぎな感じはしますが・・・・。
この参道は秋分・春分の日には、朝陽が拝殿の後ろから登り、その光が見えた瞬間に、楠の中央に光が通り神秘的な姿を見せてくれるそうです。 -
ここには教科書に出てくるような戦国武将も甲冑を奉納したりする由緒ある神社、源頼朝や義経奉納の鎧もあります。もちろん国宝。
写真は「能因法師雨乞いの樟」枯れていますが日本最古の楠で推定樹齢は3000年。
国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」の一部を成しています。
ゆっくりしたかったんですが、そろそろお時間のようです。 -
今回写真はありませんが、「伯方の塩」の工場見学などもしていて、しまなみ海道の半分くらいの観光で終わってしまいました。
因島や大野島なんかも行きたかったなぁ。
近くだしまた行くこともあるでしょう。
さてレンタカーを新尾道でお返しして、いよいよ帰宅しましょう。
あ、その前にビールを飲まなくちゃ・・・。(笑)
新尾道駅にはのぞみは停車しないので、こだまを乗り継ぎ、いったん福山へ。福山駅 駅
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福山城です。
新幹線ホームから隠し撮り?
だいぶ前に行ったことあるんですけど、もう忘れてしまいましたね。福山城 名所・史跡
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とりとめのない、いつもと変わらない旅行記ですが
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
次回はもう一つの夏旅、恒例の「孫旅」旅行記でお会いしましょう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- るなさん 2017/10/08 20:02:00
- ねいちゃ先生の授業
- 兄貴~!おひさじゃん♪お元気でしたか?(わざとらしい 笑)
ってかいつVol.1が投函されてたんだ?全然気づかないまま今日に至る('_')失礼しました。
私はご存知の通り、国内にはめっぽう弱いんで、いつもに増してとんちんかん(爆)松山とくれば坊ちゃん、道後温泉しか浮かびません。
路面電車っていいよねぇ♪海外でもこれがあると嬉しくなっちゃう。便利だしレトロな道後温泉本館にも負けじとフォトジェニックだしね。
レトロな本館、マジで撮りたい感満載だけど、周辺の建物が残念だわぁ。
松山城ってこんなに大きいんだ?立派だ~@@;
筒井門の風情がいいですねぇ!!
なぁんかどこ見ても時代劇のセットみたいだわ。
一ノ門前から大天守を臨む有名ショット、そりゃいちいちレンズなんて換えてられまへんがな。私なんて単焦点持ってても一度も使わないままの旅なんてしょっちゅうですよ(自慢にならないけど)
私ももう一歩の努力というのが欠けているので、どうも写真は上達しませんね。
坊っちゃんカラクリ時計が何かいいな~
カラクリがいいとかじゃなくて佇まいがね(笑)たいていカラクリ時計とかの仕掛けはイマイチなことが多いんでね。
オーケーホテルなんてちょっとセンスに欠ける(失礼)ネーミングに反してとっても素敵ですねぇ~お食事も美味しそうだわ!!
中庭ってカテゴリーに弱い私です。そういやねいちゃさん、マチュピチュ行ったのって4年前ぐらいだったよね?
いやいや今回もねいちゃ先生の授業は楽しかったです♪
歴史音痴な私にもよーわかる(ホントか?)二冊でしたよ。
湯舟嫌いなんで温泉とかあんまり好きではないのですが、主婦にとって上げ膳据え膳は最高です。いつなら食べない朝米もお替りしちゃうぐらい(笑)
一泊目は和風、翌日は洋風と変化があって良かったですね~
しまなみ海道はいつか行ってみたいって思ってます。広角でちゃんと撮ってるんじゃないの!!歪みが素敵♪青空と海、そして橋が相まっててホントに美しいわ~
お天気良くて最高でしたね。
るな
- ねいちゃさん からの返信 2017/10/09 23:12:28
- Re: ねいちゃ先生の授業
- 姐さん、お久しぶりでーす。
(こっちでは、ですが・・・)
>ってかいつVol.1が投函されてたんだ?全然気づかないまま今日に至る('_')失礼しました。
ほら、病院って暇だから。こっそりUPしてたんでさぁ。(笑)
>レトロな本館、マジで撮りたい感満載だけど、周辺の建物が残念だわぁ。
道後温泉ってさ、まぁ言ってみれば本館だけだしね。
周りの観光地の「どやさ」加減に本館がひっそりと佇む感じ。
むしろ、その残ってるぞ感がまた良かったですよ。
>私なんて単焦点持ってても一度も使わないままの旅なんてしょっちゅうですよ(自慢にならないけど)
私もシンデレラレンズと言われてる単焦点持ってるけど、使わないね。
ズームで可変させたら、画角と焦点あうのが便利すぎてね。
ホンマに腕上げるためには、自分から動いて画角の切り取りしないとダメなんだろうけどねぇ。写真家じゃないから、旅先でそればっかりこだわるわけにもいかないもんね。
>オーケーホテルなんてちょっとセンスに欠ける(失礼)
オーケーじゃないから、ケーオーだし。同じか・・・。
確かに安直なネーミングとは裏腹ないいホテルでした。この手の旅、気に入ったので、たまにちょくちょく掘り込もうと思ってます。
>そういやねいちゃさん、マチュピチュ行ったのって4年前ぐらいだったよね?
そうそう、もう4年たつね。あれ以来海外行ってない。あそこ以上に行きたいとこ見つからないんだけど。でも今回病院入って、やっぱ動けるうちはいっとこうと思った次第です。
>いやいや今回もねいちゃ先生の授業は楽しかったです♪
おやまぁ、歴史語りをほめてもらえるなんて?!
歴史好きの裾野少しは広げられたかな?
松山城は現存天守閣なんで、色々語らなくても存在感がやっぱあるんですわ~、重みってやつです。別子銅山の東平ゾーンも圧迫感がね、すんごくあったもん。本物の生きた証というのはさすがですわ。
>しまなみ海道はいつか行ってみたいって思ってます。
しまなみ海道もいいけど、その手前の京都にも寄ってくださいましね。
姐さんにとっては海外でお友達に会う方が、心の距離感は近いかもしれませんが、どっこい京都にも意気投合できるじじいがいますから。(笑)
姐さんの旅行記もまたお邪魔しまーす。
ねいちゃ
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