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続日本百名城の小牧山城の紹介です。信長が築城した当時は、北側は池沼で自然の要害だったようです。このため、城下町は小牧山の南側の原野に造られました。(ウィキペディア、続日本百名城・公式ガイドブック)

2017夏、続日本百名城の小牧山城(7/8):天守、主郭の石垣模型、城下町・小牧山城出土品

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2017/07/07 - 2017/07/07

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旅行記グループ 2017夏、尾張の続百名城巡り

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旅人のくまさん

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続日本百名城の小牧山城の紹介です。信長が築城した当時は、北側は池沼で自然の要害だったようです。このため、城下町は小牧山の南側の原野に造られました。(ウィキペディア、続日本百名城・公式ガイドブック)

交通手段
私鉄 徒歩
  • 小牧市歴史館から眺めた光景です。実質的な小牧山城の天守からの眺望になります。小牧市の篤志家の方が私財で建設し、小牧市に寄付された建物中の眺めです。東南方面の光景です。写真中央付近に小牧神明社の鎮守の杜が見えています。(同上)

    小牧市歴史館から眺めた光景です。実質的な小牧山城の天守からの眺望になります。小牧市の篤志家の方が私財で建設し、小牧市に寄付された建物中の眺めです。東南方面の光景です。写真中央付近に小牧神明社の鎮守の杜が見えています。(同上)

  • 天守から眺めた、東南方面の光景です。この方角では、長久手古戦場を遠望できます。中央奥に霞んで見える丘陵地辺りのようです。(同上)

    天守から眺めた、東南方面の光景です。この方角では、長久手古戦場を遠望できます。中央奥に霞んで見える丘陵地辺りのようです。(同上)

  • 天守から眺めた、南西方面の光景です。左端に見えるのが、小牧市役所です。建物の左端付近に市章が見えました。中央やや上部を左右に走るのが名古屋高速・小牧線です。(同上)

    天守から眺めた、南西方面の光景です。左端に見えるのが、小牧市役所です。建物の左端付近に市章が見えました。中央やや上部を左右に走るのが名古屋高速・小牧線です。(同上)

  • 天守から眺めた、南側方面の光景です。左端の中間辺りから、見愚上に向かって伸びているのが合瀬川です。遠くに名古屋市中心部の超高層ビル群が霞んで見えています。(同上)

    天守から眺めた、南側方面の光景です。左端の中間辺りから、見愚上に向かって伸びているのが合瀬川です。遠くに名古屋市中心部の超高層ビル群が霞んで見えています。(同上)

  • 天守から眺めた、南側方面の光景です。樹木帯の先に見える右端の建物が小牧市役所です。この方角が、かつて信長が造った小牧城下町の方面です。(同上)

    天守から眺めた、南側方面の光景です。樹木帯の先に見える右端の建物が小牧市役所です。この方角が、かつて信長が造った小牧城下町の方面です。(同上)

  • 天守から眺めた、南側方面の光景です。中央やや右側に霞んで見える超高層ビルは、名古屋駅方面のビルです。名古屋城を探してみましたが、霞んでしまい、見付けることが出来ませんでした。左下から中央に向かって、合瀬川が見えました。(同上)

    天守から眺めた、南側方面の光景です。中央やや右側に霞んで見える超高層ビルは、名古屋駅方面のビルです。名古屋城を探してみましたが、霞んでしまい、見付けることが出来ませんでした。左下から中央に向かって、合瀬川が見えました。(同上)

  • この光景は、西南方面になるようです。右手前に日立物流の白っぽい建物と、やや奥の方に高層マンション群が見えました。(同上)

    この光景は、西南方面になるようです。右手前に日立物流の白っぽい建物と、やや奥の方に高層マンション群が見えました。(同上)

  • 左手に目印のオリックスとピアゴの建物が見える方角の光景です。西側方面になるようです。手前に見える高架道路は、南北に走る名古屋高速・小牧線のようです。(同上)

    左手に目印のオリックスとピアゴの建物が見える方角の光景です。西側方面になるようです。手前に見える高架道路は、南北に走る名古屋高速・小牧線のようです。(同上)

  • 少し方角を変えて、次は西北か、北方面の光景になるようです。遠くに、右側から伊吹山地、左側から養老山地で迫る、関ヶ原方面になるようです。(同上)

    少し方角を変えて、次は西北か、北方面の光景になるようです。遠くに、右側から伊吹山地、左側から養老山地で迫る、関ヶ原方面になるようです。(同上)

  • 方角の確認のために撮影しておいた、方角説明用の写真です。北側方面の写真の一部です。(同上)

    方角の確認のために撮影しておいた、方角説明用の写真です。北側方面の写真の一部です。(同上)

  • 小牧・長久手の戦いのビデオが視聴できるコーナーです。ゆっくり視聴できるよう、椅子席が設けてありました。(同上)

    小牧・長久手の戦いのビデオが視聴できるコーナーです。ゆっくり視聴できるよう、椅子席が設けてありました。(同上)

  • 航空写真をベースに、かつての小牧山城と城下町の街路を重ね合わせた図面です。小牧山城は樹木が取り払われた状態のモデルが置かれていました。城下町の東端が合瀬川、南端が、土塁が築かれた惣構です。西側は、河岸段丘が境になっていたようです。(同上)

    イチオシ

    航空写真をベースに、かつての小牧山城と城下町の街路を重ね合わせた図面です。小牧山城は樹木が取り払われた状態のモデルが置かれていました。城下町の東端が合瀬川、南端が、土塁が築かれた惣構です。西側は、河岸段丘が境になっていたようです。(同上)

  • 『史跡・小牧御山』のタイトルがあった説明パネルです。『小牧山の歴史』では、江戸時代は尾張藩領となり、『御勝利後開運御陣跡』として保護され、保存状態が良いまま明治期を迎えたことが紹介されていました。山中の堀や土塁の保存状態が良いことで、貴重な城郭遺産となっています。(同上)

    『史跡・小牧御山』のタイトルがあった説明パネルです。『小牧山の歴史』では、江戸時代は尾張藩領となり、『御勝利後開運御陣跡』として保護され、保存状態が良いまま明治期を迎えたことが紹介されていました。山中の堀や土塁の保存状態が良いことで、貴重な城郭遺産となっています。(同上)

  • 石垣などの発掘調査を踏まえて作成された模型です。小牧山城の中心部にある主郭を取り囲んだ石垣の光景です。これまでは土城と思われていた小牧山城が、石垣を多用した城郭であったことが分かってきました。(同上)

    イチオシ

    石垣などの発掘調査を踏まえて作成された模型です。小牧山城の中心部にある主郭を取り囲んだ石垣の光景です。これまでは土城と思われていた小牧山城が、石垣を多用した城郭であったことが分かってきました。(同上)

  • 同じく、角度を変えて眺めた、小牧山城の主郭の石垣模型の光景です。麓から数えて、四層に築かれていたようです。この城造りが、後の安土城の築城に生かされたとする見方が出てきました。(同上)

    同じく、角度を変えて眺めた、小牧山城の主郭の石垣模型の光景です。麓から数えて、四層に築かれていたようです。この城造りが、後の安土城の築城に生かされたとする見方が出てきました。(同上)

  • 『小牧城下町の発掘調査』のタイトルがあった説明パネルです。永禄6年(1563年)、信長が小牧山城の南の原野に築いた、東西1キロ、南北1.4キロの城下町の発掘調査の紹介です。<br /><新町遺跡><br />小牧山城の南端から南に300メートルの位置にあり、武家屋敷、下級武士や商工業者の住居跡も確認されました。信長の岐阜絵の移転に伴い廃絶されたことも確認されています。<br /><上御園遺跡><br />小牧城下町の西に位置する、商工業者が居住した区域の遺跡です。調査区域のほぼ全域から、土坑940基、井戸22基、掘立柱建物36棟の多数の遺跡が見つかっています。江戸時代に一般化した城下町の原型とも言うべき、先進的な町造り跡とされます。(同上)

    『小牧城下町の発掘調査』のタイトルがあった説明パネルです。永禄6年(1563年)、信長が小牧山城の南の原野に築いた、東西1キロ、南北1.4キロの城下町の発掘調査の紹介です。
    <新町遺跡>
    小牧山城の南端から南に300メートルの位置にあり、武家屋敷、下級武士や商工業者の住居跡も確認されました。信長の岐阜絵の移転に伴い廃絶されたことも確認されています。
    <上御園遺跡>
    小牧城下町の西に位置する、商工業者が居住した区域の遺跡です。調査区域のほぼ全域から、土坑940基、井戸22基、掘立柱建物36棟の多数の遺跡が見つかっています。江戸時代に一般化した城下町の原型とも言うべき、先進的な町造り跡とされます。(同上)

  • (左):端反皿(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土<br />(中):丸皿(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土<br />(右):天目茶碗(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土 (同上) <br />

    (左):端反皿(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土
    (中):丸皿(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土
    (右):天目茶碗(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土 (同上) 

  • (左):皿(土師器)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土<br />(中):燈明皿(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土<br />(右):建水(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・新町遺跡出土 (同上)

    (左):皿(土師器)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土
    (中):燈明皿(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土
    (右):建水(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・新町遺跡出土 (同上)

  • (左):碗(輸入染付磁器)<br />室町時代(16世紀後半)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土<br />(中):天目茶碗(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀後半)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土<br />(右):茶入(瀬戸・美濃)<br />室町時代(16世紀中頃)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土 (同上)

    (左):碗(輸入染付磁器)
    室町時代(16世紀後半)
    小牧城下町・上御園遺跡出土
    (中):天目茶碗(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀後半)
    小牧城下町・上御園遺跡出土
    (右):茶入(瀬戸・美濃)
    室町時代(16世紀中頃)
    小牧城下町・上御園遺跡出土 (同上)

  • (左):片口(瀬戸・美濃)<br />江戸時代(17世紀前半)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土<br />(中):耳付水注(瀬戸・美濃)<br />江戸時代(17世紀前半)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土<br />(右):志野丸皿(瀬戸・美濃)<br />安土桃山時代(16世紀後半)<br />小牧城下町・上御園遺跡出土 (同上)

    イチオシ

    (左):片口(瀬戸・美濃)
    江戸時代(17世紀前半)
    小牧城下町・上御園遺跡出土
    (中):耳付水注(瀬戸・美濃)
    江戸時代(17世紀前半)
    小牧城下町・上御園遺跡出土
    (右):志野丸皿(瀬戸・美濃)
    安土桃山時代(16世紀後半)
    小牧城下町・上御園遺跡出土 (同上)

  • 『小牧山城の発掘調査』のタイトルがあった説明パネルです。<br /><永禄期の遺構:信長時代><br />土の城ではない、石垣の城の姿が確認されました。また、東麓の帯曲輪地区では、土塁と急峻な野間堀で区画された、多数の武家屋敷跡が見つかりました。<br /><天正期の遺構:小牧・長久手の戦の時代><br />家康は、小牧山城を大改修し、堅固な陣城を築きました。麓を取り囲む二重の土塁や堀、中腹を取り囲む堀や虎口等です。(同上)

    『小牧山城の発掘調査』のタイトルがあった説明パネルです。
    <永禄期の遺構:信長時代>
    土の城ではない、石垣の城の姿が確認されました。また、東麓の帯曲輪地区では、土塁と急峻な野間堀で区画された、多数の武家屋敷跡が見つかりました。
    <天正期の遺構:小牧・長久手の戦の時代>
    家康は、小牧山城を大改修し、堅固な陣城を築きました。麓を取り囲む二重の土塁や堀、中腹を取り囲む堀や虎口等です。(同上)

  • 小牧山城出土品<br />左:『丸皿』<br />瀬戸・美濃<br />室町時代(16世紀中頃)<br />右:『小天目茶碗』<br />瀬戸・美濃<br />室町時代(16世紀中頃) (同上)

    小牧山城出土品
    左:『丸皿』
    瀬戸・美濃
    室町時代(16世紀中頃)
    右:『小天目茶碗』
    瀬戸・美濃
    室町時代(16世紀中頃) (同上)

  • 小牧山城出土品<br />左:『皿』<br />土師器<br />室町時代(16世紀中頃)<br />右:『鉢』<br />瀬戸・美濃<br />室町時代(16世紀中頃) (同上)

    小牧山城出土品
    左:『皿』
    土師器
    室町時代(16世紀中頃)
    右:『鉢』
    瀬戸・美濃
    室町時代(16世紀中頃) (同上)

  • 小牧山城出土品<br />『すり鉢』<br />瀬戸・美濃<br />室町時代(16世紀中頃) (同上) 

    小牧山城出土品
    『すり鉢』
    瀬戸・美濃
    室町時代(16世紀中頃) (同上) 

  • 小牧山城出土品<br />『茶釜型釜』<br />土師器<br />室町時代(16世紀中頃) (同上)<br />

    小牧山城出土品
    『茶釜型釜』
    土師器
    室町時代(16世紀中頃) (同上)

  • 小牧山城出土品<br />『内耳鍋』<br />土師器<br />室町時代(16世紀中頃) (同上)

    小牧山城出土品
    『内耳鍋』
    土師器
    室町時代(16世紀中頃) (同上)

  • 小牧山城出土遺物<br />『墨書石垣石材・佐久間』<br />室町時代(16世紀) (同上)

    小牧山城出土遺物
    『墨書石垣石材・佐久間』
    室町時代(16世紀) (同上)

  • 『小牧山城の墨書石垣石材』のタイトルがあった説明パネルです。チャートと呼ばれる小牧山産の角礫に、『佐久間』の文字が草書で墨書されていました。(同上)

    『小牧山城の墨書石垣石材』のタイトルがあった説明パネルです。チャートと呼ばれる小牧山産の角礫に、『佐久間』の文字が草書で墨書されていました。(同上)

  • 『井戸(結桶)の復元』のタイトルがあった説明パネルです。平成12年(2000年)の発掘調査で見つかった、小小牧山麓の帯曲輪、405-1bで見つかった井戸跡です。(同上)

    『井戸(結桶)の復元』のタイトルがあった説明パネルです。平成12年(2000年)の発掘調査で見つかった、小小牧山麓の帯曲輪、405-1bで見つかった井戸跡です。(同上)

  • 井戸(結桶)の復元模型の光景です。発掘調査を基に復元された井戸模型は、高さ80センチ、上径70センチ、底径80センチの大きさです。(同上)

    井戸(結桶)の復元模型の光景です。発掘調査を基に復元された井戸模型は、高さ80センチ、上径70センチ、底径80センチの大きさです。(同上)

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