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続日本百名城の小牧山城の紹介です。愛知県で続日本百名城に選ばれたのは、小牧山城のほか、150番の古宮城と151番の吉田城の3箇所です。日本百名城と合わせ7箇所になりました。(ウィキペディア、続日本百名城・公式ガイドブック)

2017夏、続日本百名城の小牧山城(3/8):発掘調査中の石垣、転落石、主郭、天守(歴史館)

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2017/07/07 - 2017/07/07

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旅行記グループ 2017夏、尾張の続百名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

続日本百名城の小牧山城の紹介です。愛知県で続日本百名城に選ばれたのは、小牧山城のほか、150番の古宮城と151番の吉田城の3箇所です。日本百名城と合わせ7箇所になりました。(ウィキペディア、続日本百名城・公式ガイドブック)

交通手段
私鉄 徒歩
  • 小牧山城の山頂に向かう途中の光景です。木々の間から、小牧市街が見えていました。信長が、清州城から商工業者を引き連れて造った城下町です。清州城からは、江戸時代にも家康の指示によって、『清州越し』と呼ばれる大々的な引っ越しがありました。(同上)

    小牧山城の山頂に向かう途中の光景です。木々の間から、小牧市街が見えていました。信長が、清州城から商工業者を引き連れて造った城下町です。清州城からは、江戸時代にも家康の指示によって、『清州越し』と呼ばれる大々的な引っ越しがありました。(同上)

  • 同じく、木々の間から眺めた小牧市街の光景です。信長が築いた城下町は、小牧山の南側方面でした。既に紹介しましたが、東西1キロ、南北1.5キロの城下町の南端には、惣構えと呼ばれる堀と土塁が1キロに亘って構築されました。(同上)

    同じく、木々の間から眺めた小牧市街の光景です。信長が築いた城下町は、小牧山の南側方面でした。既に紹介しましたが、東西1キロ、南北1.5キロの城下町の南端には、惣構えと呼ばれる堀と土塁が1キロに亘って構築されました。(同上)

  • 左手に『青年の家』と『遊園地』方面の道案内表示があり、その矢印の先に、地道に丸太で細工をした階段がありました。(同上)

    左手に『青年の家』と『遊園地』方面の道案内表示があり、その矢印の先に、地道に丸太で細工をした階段がありました。(同上)

  • 『山の岩盤に築いた石垣』のタイトルがあった説明パネルです。平成16年度(2004年)~平成19年度(2007年)に行われた第4次発掘調査で見つかった、自然石を利用した石垣の紹介でした。小牧山の岩盤層の切立の上に石垣が築かれていました。大量の裏込石も発掘されています。(同上)

    『山の岩盤に築いた石垣』のタイトルがあった説明パネルです。平成16年度(2004年)~平成19年度(2007年)に行われた第4次発掘調査で見つかった、自然石を利用した石垣の紹介でした。小牧山の岩盤層の切立の上に石垣が築かれていました。大量の裏込石も発掘されています。(同上)

  • 大量に発掘された裏込石の集積場所の光景です。裏込石は、石垣の裏側に積み込まれる小石(栗石)です。10~30センチに割った小石が多く用いられます。石垣内部の排水を円滑に行う役目を持っていて、この裏込が不十分だと、大雨の時など石垣が崩壊する恐れがあります。雨水は小石の隙間を流れて石垣下に排水され、水圧で石垣が崩壊するのを防ぎます。(同上)

    大量に発掘された裏込石の集積場所の光景です。裏込石は、石垣の裏側に積み込まれる小石(栗石)です。10~30センチに割った小石が多く用いられます。石垣内部の排水を円滑に行う役目を持っていて、この裏込が不十分だと、大雨の時など石垣が崩壊する恐れがあります。雨水は小石の隙間を流れて石垣下に排水され、水圧で石垣が崩壊するのを防ぎます。(同上)

  • 南側から眺めた、天守(小牧市歴史館)の光景です。近年の発掘調査の成果で、小牧山城が安土城に先立つ、石垣を使った本格的な城郭であったことが分かってきました。(同上)

    南側から眺めた、天守(小牧市歴史館)の光景です。近年の発掘調査の成果で、小牧山城が安土城に先立つ、石垣を使った本格的な城郭であったことが分かってきました。(同上)

  • 南側から眺めた、天守(小牧市歴史館)のズームアップ光景です。発掘調査を基に作成された信長時代の小牧山城は、山全体が堅固な城郭で、四層に築かれた地形の最上段に、天守に相当する建物が置かれているようでした。(同上)

    南側から眺めた、天守(小牧市歴史館)のズームアップ光景です。発掘調査を基に作成された信長時代の小牧山城は、山全体が堅固な城郭で、四層に築かれた地形の最上段に、天守に相当する建物が置かれているようでした。(同上)

  • 小牧山城の模擬天守の光景です。昭和43年(1968年)、名古屋の実業家の平松氏が私財を投じて建設し、小牧市に寄付された建物です。現在は歴史館として城内での展示が行われています。(同上)

    イチオシ

    小牧山城の模擬天守の光景です。昭和43年(1968年)、名古屋の実業家の平松氏が私財を投じて建設し、小牧市に寄付された建物です。現在は歴史館として城内での展示が行われています。(同上)

  • 西南側から見上げた天守(小牧市歴史館)の光景です。右手の1階に南側の正面玄関が見えています。(同上)

    西南側から見上げた天守(小牧市歴史館)の光景です。右手の1階に南側の正面玄関が見えています。(同上)

  • 木の根元に転がっていた、『転落石』の表示があった石垣の石材の光景です。この場所に転がって来たのでしょうか、そのままで長年月を経たような印象でした。(同上)

    木の根元に転がっていた、『転落石』の表示があった石垣の石材の光景です。この場所に転がって来たのでしょうか、そのままで長年月を経たような印象でした。(同上)

  • 『下段石垣・隅角石』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。天正期以降の算木積以前の積み方と説明されていました。(同上)

    『下段石垣・隅角石』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。天正期以降の算木積以前の積み方と説明されていました。(同上)

  • 『下段石垣』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。張出部の下段石垣で、1.5メートルほどの高さ腑があったと説明されていました。(同上)

    『下段石垣』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。張出部の下段石垣で、1.5メートルほどの高さ腑があったと説明されていました。(同上)

  • 『南東張り出し部・全景』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。南東部と北西部に張り出しがあり、櫓などの建物があった可能性が指摘されていました。(同上)

    『南東張り出し部・全景』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。南東部と北西部に張り出しがあり、櫓などの建物があった可能性が指摘されていました。(同上)

  • 『岩盤削平の様子』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。岩盤の垂直面を石垣として利用した様子が説明されていました。(同上)

    『岩盤削平の様子』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。岩盤の垂直面を石垣として利用した様子が説明されていました。(同上)

  • 『大手東側岩盤加工部・全景』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。石を積まずに、岩盤を加工して石垣にした部分の説明です。(同上)

    『大手東側岩盤加工部・全景』のタイトルがあった、発掘調査中の石垣に関する説明パネルです。石を積まずに、岩盤を加工して石垣にした部分の説明です。(同上)

  • 『小牧山城主郭周辺案内図』のタイトルがあった平面図です。露出した石垣部分、転落石の場所と、発掘調査で見つかった裏籠め石の仮置き場などが表示されていました。(同上)

    『小牧山城主郭周辺案内図』のタイトルがあった平面図です。露出した石垣部分、転落石の場所と、発掘調査で見つかった裏籠め石の仮置き場などが表示されていました。(同上)

  • 転落石と主郭跡の標識の光景です。転落石の標識は複数ありましたが、本丸の石垣調査が行われたことで、改めて確認されて、表示がなされたようでした。石垣が崩れていても、発掘の成果で裏込石が出ているので、石垣面の位置も確定できるようです。(同上)

    イチオシ

    転落石と主郭跡の標識の光景です。転落石の標識は複数ありましたが、本丸の石垣調査が行われたことで、改めて確認されて、表示がなされたようでした。石垣が崩れていても、発掘の成果で裏込石が出ているので、石垣面の位置も確定できるようです。(同上)

  • 転落石が散乱する斜面の光景です。取り片付ける前の調査が必要なようです。地震などの自然現象が原因の場合と、廃城の時の人為的なことが原因の場合もあるようです。(同上)

    転落石が散乱する斜面の光景です。取り片付ける前の調査が必要なようです。地震などの自然現象が原因の場合と、廃城の時の人為的なことが原因の場合もあるようです。(同上)

  • 発掘調査の途中の箇所でしょうか、出張った箇所の側面に、土嚢が高く積まれていました。(同上)

    発掘調査の途中の箇所でしょうか、出張った箇所の側面に、土嚢が高く積まれていました。(同上)

  • 天守閣に相当する歴史博物館の前から見下ろした、金属パイプが施設された急傾斜の石段光景です。発掘調査のための臨時施設のようでした。(同上)

    天守閣に相当する歴史博物館の前から見下ろした、金属パイプが施設された急傾斜の石段光景です。発掘調査のための臨時施設のようでした。(同上)

  • 『国指定史跡・小牧山と歴史館のご案内』のタイトルがあった案内パネルです。信長による築城と、その後の小牧・長久手の戦いが紹介されていました。歴史館の建物設計は、名工大の木戸久教授、モデルになった建物は、秀吉が京都聚楽第に建てた飛雲閣と紹介されていました。(同上)

    『国指定史跡・小牧山と歴史館のご案内』のタイトルがあった案内パネルです。信長による築城と、その後の小牧・長久手の戦いが紹介されていました。歴史館の建物設計は、名工大の木戸久教授、モデルになった建物は、秀吉が京都聚楽第に建てた飛雲閣と紹介されていました。(同上)

  • 『尾張徳川家十九代・徳川義親氏之像』の表示があったブロンズ立像です。徳川義親氏(1886~1976年)は、戦前の侯爵・貴族院議員で、植物学者、狩猟家でした。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから『虎狩りの殿様』として親しまれました。同家の『徳川開墾場』があった北海道八雲村を訪問し、度々熊狩りをしたことから、『熊狩りの殿様』とも呼ばれていました。(同上)

    『尾張徳川家十九代・徳川義親氏之像』の表示があったブロンズ立像です。徳川義親氏(1886~1976年)は、戦前の侯爵・貴族院議員で、植物学者、狩猟家でした。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから『虎狩りの殿様』として親しまれました。同家の『徳川開墾場』があった北海道八雲村を訪問し、度々熊狩りをしたことから、『熊狩りの殿様』とも呼ばれていました。(同上)

  • 『尾張徳川家十九代・徳川義親氏之像』のズームアップ光景です。越前松平家・松平慶永(春嶽)の子として生まれ、1908年に尾張徳川家の養子となり、家督を相続しました。福井藩主だった松平春嶽公は、幕末四賢侯の一人と謳われています。(同上)

    『尾張徳川家十九代・徳川義親氏之像』のズームアップ光景です。越前松平家・松平慶永(春嶽)の子として生まれ、1908年に尾張徳川家の養子となり、家督を相続しました。福井藩主だった松平春嶽公は、幕末四賢侯の一人と謳われています。(同上)

  • 歴史博物館の前から見下ろした、城跡光景です。南側方面になるようです。小牧市街も遠望できました。(同上)

    歴史博物館の前から見下ろした、城跡光景です。南側方面になるようです。小牧市街も遠望できました。(同上)

  • 本丸跡での石垣の発掘調査が行われたことで出土した裏籠石などです。平地に山積みされていました。(同上)

    イチオシ

    本丸跡での石垣の発掘調査が行われたことで出土した裏籠石などです。平地に山積みされていました。(同上)

  • 『御野立聖蹟』の文字が刻まれた石碑の光景です。昭和天皇がこの地に立たれたことを記念する石碑です。元々は復興天守の北側にあったようですが、この場所に移築されました。参謀総長陸軍大将・鈴木壮六の落款がありました。陸軍参謀総長を1930年(昭和5年)に退任されていますから、それ以前の石碑です。(同上)

    『御野立聖蹟』の文字が刻まれた石碑の光景です。昭和天皇がこの地に立たれたことを記念する石碑です。元々は復興天守の北側にあったようですが、この場所に移築されました。参謀総長陸軍大将・鈴木壮六の落款がありました。陸軍参謀総長を1930年(昭和5年)に退任されていますから、それ以前の石碑です。(同上)

  • 木々の間を透かして眺めた、北西方面の光景になるようです。小牧城の麓付近は、樹木に隠れてしまいました。(同上)

    木々の間を透かして眺めた、北西方面の光景になるようです。小牧城の麓付近は、樹木に隠れてしまいました。(同上)

  • あまり自信はありませんが、北東方面の光景になるようです。東西に走る東名道と、右端付近のヤマダ電機が目印でした。左手に見える、削られた山が特定できれば確実ですが、確認できていません。(同上)

    あまり自信はありませんが、北東方面の光景になるようです。東西に走る東名道と、右端付近のヤマダ電機が目印でした。左手に見える、削られた山が特定できれば確実ですが、確認できていません。(同上)

  • 近くの電線で一休み中のツバメさんです。羽を伸ばしてリラックスしていました。梅雨の初めにやってきて、暑くなる

    近くの電線で一休み中のツバメさんです。羽を伸ばしてリラックスしていました。梅雨の初めにやってきて、暑くなる

  • 一休み中のツバメさんの後ろ姿です。喉元の赤い色などは確認できませんでした。ツバメさんか、イワツバメさんかの見分けが付きませんでした。(同上)

    一休み中のツバメさんの後ろ姿です。喉元の赤い色などは確認できませんでした。ツバメさんか、イワツバメさんかの見分けが付きませんでした。(同上)

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