2017/06/28 - 2017/06/28
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旅人のくまさんさん
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バスツアーに参加した長野の渓流巡りです。最初の阿寺渓谷の紹介の続きです。江戸時代、木曽桧をなどを生産する信濃の木曽は、尾張徳川藩により治められていました。
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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バスの駐車場所を再集合場所にして、暫くの間は阿寺渓谷の自由散策です。念のために折畳み傘を携行しましたが、雨の心配はなくなってきたようです。浅の天気予報では100%雨を覚悟していました。
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『樽ヶ澤(たるがさわ)橋』の表示があったコンクリート橋の袂の光景です。コンクリートの表面が、随分と劣化していました。この橋の周りに、見落としそうな『樽ヶ澤の瀧』がありました。
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今はまだ新緑の楓の葉のズームアップ光景です。雨上がりで、一層爽やかな色となっていました。日本紅葉百選』に選ばれている阿寺渓谷ですから、カエデは秋の主役かも知れません。
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赤い杭が並んでいた斜面の裾の光景です。赤い杭は、楓の苗木の支柱を兼ねた目印でした。年月をかけて、楓の名所の拡大を図っているようでした。
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『阿寺渓谷・ガイドマップ』のタイトルがあった観光案内看板です。『日本紅葉百選』に選ばれ、エメラルド・グリーンの澄んだ川と滝などの見所が紹介されていました。木曽は桧の産地としても有名です。
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島木赤彦(しまき・あかひこ:1876~1926年)の歌碑の説明立札ですが、説明文の方はまだ空白でした。明治・大正時代のアララギ派の歌人として知られた人です。『アララギ』は、日本の短歌結社です。1903年(明治36年)に伊藤左千夫をはじめとした正岡子規門下の歌人らが集まった根岸短歌会の機関誌『馬酔木』を源流とし、1908年(明治41年)に左千夫や蕨真一郎を中心に『阿羅々木』として創刊されました。翌年、島木赤彦が創刊した『比牟呂』と合併し、『アララギ』と改題されました。
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イチオシ
島木赤彦の歌碑の光景です。歌碑に刻まれていたのは、『山深くわけ入るままに谷川の 水きはまりて家一つあり』の和歌でした。赤彦は、明治40年に伊藤佐千夫とこの地で一緒になり、阿寺鉱泉でひとときを過ごして多くの名歌を残しました。『アララギ』は歌壇で広く認められ、発行部数の飛躍的な増加などで『歌壇制覇』の時代を迎えましたが、赤彦の死が終焉を告げるものとなりました。『アララギ』は斎藤茂吉、土屋文明が代表となり戦後まで継続し、1997年(平成9年)に終刊しました。現在、アララギ系に分類される結社には『新アララギ』、『短歌21世紀』『未来』、『塔』、『歩道』、『アララギ派』などの全国結社のほか、『柊』、『林泉』、『群山』、『関西アララギ』等をはじめ多くの地方結社があります。
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吊り橋の上から眺めた、上流方向の渓流の光景です。透明度が高い川の水ですから、浅い場所では、エメラルド・グリーの水の色ははっきりとは見えません。
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吊り橋の上の同じ場所からズームアップした、上流方向の渓流光景です。川の水が透明で、魚には住み難そうな場所でした。目を凝らしても、魚影を見つけるのは難しそうです。
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吊り橋の上から眺めた、下流方向の渓流光景です。水深が深くなった場所では、エメラルド・グリーの水の色となっていました。
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イチオシ
同じ場所からズームアップした、下流方向の渓流光景です。エメラルド・グリーの水の色が、かなりはっきりと見えてきました。
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まだタイトルが付いていない説明立て看板の光景です。写真で紹介されていたのは、先程、写真を撮影してきた吊橋です。
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イチオシ
先程、写真を撮影してきた吊橋の支柱の光景です。吊り橋は、街道から一段低くなった場所に架かっていました。右端の白い標識には、1周12キロの遊歩道が表示されていました。
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木々の間から眺めた渓谷の光景です。整備はされていませんでしたが、河原に下りる道もあったようです。雨上がりで滑りやすいですから、下りるのは止めました。
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『阿寺国有林』の題字があった、まだ新しい木製看板の光景です。中部森林管理局と大桑村の連名での看板でした。中部森林管理局は、長野県、富山県、岐阜県、愛知県を管轄している林野庁の地方支分部局です。
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『「木曽悠久の森」と木曽生物群集保護林』のタイトルがあった看板です。林野庁・中部森林管理局と木曽山林管理署・南木曾支署連名の立派な立て看板の光景です。核心地域(コア)がピンクと空色で、緩衝地域(バッファ)がこい緑色で区分けして表示してありました。
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『阿寺渓谷へお越しの皆様へ』のタイトルがあった注意書きです。『来た時よりも美しく』をキャッチフレーズに、『焚火』が厳禁、『バーベキュー』が禁止されていました。
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阿寺渓谷の見学を終え、次に向かったのは飯田地区の天竜峡ですが、その前に昼食のレストランに向かいました。その途中の車中光景です。土砂崩れの場所かと見間違えましたが、急斜面を伐採して作られた太陽光パネル群でした。経済的な目論見があっての太陽光発電設備でしょうが、どんなに割り引いても、自然に優しい施設とは思えない光景でした。
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暫くの間は車中からの光景が続きます。次第に晴れ上がっていく山の光景です。名古屋を出発し、阿寺渓谷に到着するまでは雨が降り続いていましたから、窓ガラスにも雨滴が残っていました。
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阿寺渓谷に近い農村光景です。阿寺渓谷から飯田地区の天竜峡に向かうには、国道19号線から256号線を走るのが近いようでした。途中、昼神温泉を通るコースです。その256号線から分かれて、大平峠、飯田峠を越える山道もあります。
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立派な枝振りに仕立てられた、咲き始めのオレンジ色の樹木が目に入りました。信号待ちでスピードが落ちましたので、余裕をもって撮影できました。ノウゼンカツラ(凌霄花)でした。ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属の落葉性のつる性木本です。
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車が信号待ちしたところで、少し後方を振り返っての撮影です。遠くに見えるのは、雲が晴れ上がっていく山の頂上付近の光景です。
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現在地の確認のため、信号待ちの時に撮影した写真が続きます。ここの信号にはまだ、『阿寺渓谷入口』の地名表示がありました。前方の本通りは国道19号線、かつての中山道のようです。
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先程の『阿寺渓谷入口』の交差点から10分ほど走った場所の光景です。随分と広い駐車場を持ったお店の光景です。駐車場の右奥に『信州そば処』の看板が見えました。
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扉が閉まっていたようですが、『信州そば処』の看板があった和風の建物光景です。美味しい蕎麦でしたら、旅行中、毎日でも昼は蕎麦を食べたい思いがします。今日は日帰りですし、昼食のレストランは予め決まっていました。
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あとで調べた地図から判断しますと、この辺りは妻籠宿のようでした。南木曾温泉や富貴の森温泉も近くに記されていました。妻籠宿は中山道七十七次、42番目の宿場でした。
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隣接する現在の岐阜県中津川市にある馬籠宿と、現在の長野県木曽郡南木曽町の妻籠宿は、旧中山道の名所として、木曽路を代表する観光名所として名高い場所です。
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阿寺渓谷を出発し、飯田へ向かう途中の車窓光景が続きます。煙がたなびく、長閑な山村光景です。山も林も野原も緑一色でした。
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阿寺渓谷から飯田までは、かなりの道のりがありました。と行っても、休憩なしで行ける2時間以内の距離だった記憶です。
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飯田にある昼食のレストランに到着しました。ドライブインの『水引の郷・山都飯田』です。見学する時間はありませんでしたが、水引博物館が併設されていました。かなり規模が大きなお店でした。
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